2019.05.20

平成最後の読書と、令和最初の読書

 読みながら、これが平成最後の読書になるのかもしれないと感じたので、4月30日を目標に読み切ったのが『ねじまき鳥クロニクル』だった。最近は「村上春樹再マイブーム期」で、特に近年のインタビュー集やエッセイなどを読んでいて、その流れで重い腰をあげ、今まで食わず嫌いだった長編も少しずつ手を出そうと思ったのである。でもこの作家の物語世界は、一年に一度読むぐらいがちょうどいいかもしれない。『ねじまき鳥』のおかげで、ゴールデンウィークのはじめごろはなんとなくフワフワとした気分になっていた。作者がこれを書いたのが1994年で、その後村上春樹は阪神大震災にみまわれた日本に戻り、オウムの事件に関心を寄せていく時期になるので、そう思うと平成を振り返る時期には図らずもどこかで共鳴していた気もする。

 なので令和になってからの最初の読書は地に足の着いた、現実的な内容の本を・・・と思い書店でウロウロした末に手に取ったのは、地に足が着くどころかずっと浮かんでいるようなテーマ、つまり空の旅についてのエッセイ、『グッド・フライト、グッド・ナイト:パイロットが誘う最高の空旅』(マーク・ヴァンホーナッカー著、ハヤカワ文庫)であった。現役パイロットでありつつ優美な文章を書くイギリス人作家による大空への賛歌。特に印象的だったのは、夜の飛行時における窓からの景色が好きであるという、根っからの「空マニア」としての記述であった。

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旅客機のすぐ下を、空っぽの大地が流れていく。暗い地表は天国と同じくらい遠く思える。また地表には、人の創った光も自然の炎も思いがけずたくさんある。都市や小さな集落が光によって描きだされる。闇が支配する時間に、光の文字で記された本のページのような地表を眺めていると、夜間飛行は、人間が地上に生んだ光の美しさを再確認するだけのためにあるような気がしてくる。生きとし生けるものすべてが星々に包まれていることを、思い出すために飛んでいるように思えてくる。

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 暗いコックピットから見る星々は息をのむすばらしさだ。高高度ともなると星々に遠近感が生まれ、夜空は三次元になる。宇宙に“深さ”という言葉を使ってもいいような気がしてくる。古の光が貫く深さから成る、宇宙という名の海だ。
 月のない夜は小さな星まで見えるので、意外にも星座の存在感は薄れる。乱気流や湿気のせいで11キロ下の地表までは届かない弱い光まで見えるがゆえに、星座の輪郭が埋もれてしまうのだ。逆に新しい星座を考えようと思えばいくらでもできる。天の川が初めて本物の川らしく見える。光のひとつひとつが水の粒だとしたら、暗黒を流れる星の雲といってもいい。

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と、このように美しい文(または見事すぎる訳文)が続くのだが、「なるほど、そんな世界があったのか!」と、いままで夜に窓際の席からじっくり外を眺めたことがなかったことを激しく後悔している。とはいえ、特に夜間飛行のときは、窓は閉めたままにしないと客室乗務員から注意を受けるので、そのあたりは悩ましいところではある。

前回、飛行機に乗って海外に行ったのが2年前のロンドン行きの大韓航空になるわけだが、行きのソウルからの乗り継ぎ便では、ばっちり窓際を予約して、「おろしや国酔夢譚」の世界を思いつつ、ロシア上空での地表の景色を楽しみにしていて、ずっと窓の外を眺めていた。しかしかなり早い段階で「シェードを下ろせ命令」が客室乗務員からそれとなく通達され、なぜこんな明るい時間帯に!? 誰も寝ないのに? これを楽しみに窓際の席を(しかも追加料金で最前列を)予約したってのに!! と納得がいかなくて、ちょっと半開きにしてそのままボーッとしていたら、トイレ待ちで通路にいた子供が、わざわざ身を乗り出して私の窓を完全に閉め切りやがったのである(笑)。いくら大人げないと言われようが、私はそのときばかりは内心、おおいに憤ったぞ。そのことをこの記事を書きながら思い出したわけで、ふたたびまた腹立たしくなってきたので、だから次に飛行機に乗るときは、毛布をかぶって窓をあけてずっと外を見ているかもしれない。こうして私の場合、この本の流れるような文体のごとく落ち着いた優雅な空の旅とはほど遠いのである。

 

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2019.04.28

旅先での「寸劇スリ」(寸劇詐欺)にご用心

 仕事の関係で、いろいろな国の領事館などがメールで配信している海外危険情報を目にすることが多いのだが、ロシアの在ウラジオストク日本総領事館がこのまえメールで送ってきた、現地で流行りつつあるスリの手口がなかなか絶妙だったので紹介したい。

 バス停や横断歩道など、そこで立ち止まって何かを待っている状況だとする。あなたの前にはアジア系観光客がいる。そこへ現地のロシア人が近づいてきて、よくみたら目の前の観光客のポケットから財布を奪おうとしている! ・・・のだが、うっかり財布が地面に落ちてしまい、あわててロシア人は逃げ去った。
 アジア系観光客はスリに狙われたことに気づき、後ろにいたあなたに言いがかりをつけて詰め寄るのである。あなたは当然自分は何もしていないと言い張るが、言葉がうまく出てこない。そこであなたは身の潔白を晴らすべく上着やカバンのポケットなどを相手に調べさせることとなり、その混乱に乗じてあなたの所持品が盗まれるという手口だ。

 領事館のメールではこれを「寸劇サギ」と書いてあって、やや緊張感を欠いたファニーな響きを感じないでもないが、他に表現しようのない的確なネーミングでもある。以前からそういうことはあちこちで行われていたのかもしれないが、私はもし自分が実際に狙われたら、たぶんまんまと被害にあう可能性は高いなぁと感じた。

 そもそも現地人のスリの役と、アジア系観光客の役という「配役」が絶妙ではないだろうか。「現地のスリがアジア系観光客を狙う」という、自分にとっても当事者性の高い場面設定のなかに一気に引き込んで、「そこにあったはずの無関係さ」をいきなり排除して、「寸劇のキャスト」に無理矢理組み入れられてしまう感じが巧妙である。

 しかも「スリが失敗する」というストーリーによって、その現場を目撃してしまった人は、いくら勇敢な性格であっても、逃げていくドジなスリをあえて追いかけようとする可能性は低くなるはずだ。場合によっては「被害にあわなくてよかったですね」と、自分から被害者役に近づいてしまいたくなる気持ちも出てくるだろう。そのうえで被害者役のアジア系観光客の予想外の反応にさらされると、冷静な判断力ができなくなる可能性は高い。

 一連の出来事すべてが自分をターゲットにした寸劇だとすると、この状況に少なくとも一定時間は巻き込まれるしかないわけで、なかなかそこから冷静になって「ひたすら逃げる」という判断はかなり難しくなるわけだ。

 よくある海外旅行先での詐欺被害の手口だと、たいていは犯人が被害者に話しかけるところから始まるので、気をつけてさえいれば警戒心マックスで状況にあたれる。よく聞く「ケチャップ強盗」も寸劇の要素があるとも言えるが、事前にそのことを注意しておけば、衣服に突然ケチャップなどがついたことを認識したら、その場で立ち止まって「どうしよう」とか思うのではなく(話しかけてくる奴をガン無視して)ひたすらその場から(できれば怒りを表しながら)離れることで事態はある程度回避できる。そういう直接的なやり方ではなく、寸劇サギは他人同士の偶発的トラブルという事態を通してターゲットの心の隙に入り込んでくるので、これを考えた人のずる賢さには脱帽してしまう。

 こういう詐欺の手口は、悲しいかな常に新しい手法が試行錯誤して開発されていき、うまくいけばすぐ広まっていくわけで、不謹慎だが「その手があったのか!」と唸ってしまう。

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2019.04.22

時代の変わり目における「かたち」

 そもそも西洋かぶれの自分はなるべく西暦を使いたいと思っているので元号は仕方なく用いているにすぎないのだが、それでも時代区分の節目に立っていることについて、どこかしら落ち着かない気分にはなっている。

 天皇が新しく即位して元号が変わったからといってもちろん何か社会が変わるわけでもなく、むしろ書類仕事的に面倒くさい手続きや調整が増えるだけで、これまでの「平成」を一挙に過去のものにしようとする政治的な狡猾さにも気をつけないといけないわけだが、そういう手触りのない時代感覚の変わり目において、改元の節目を「物理的に」味わえる唯一といっていいかもしれない場所を知ったので、この落ち着かなさを抱えつつ、思いきって東京まで行ってみたのである。

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 行き先は国立公文書館。ここでいま、期間限定で「平成」の改元の書が特別に展示公開されているのである。当時の官房長官、小渕氏が掲げたあれだ。

(写真も撮ってよかったのでうれしかった。そしてあまり客も少なかった)

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 あらためて現物を前にした直感的な印象としては、「額ってこんなにシンプルな薄めの色だったっけ」ということだ。このすっきりした感じが、書かれた文字の凛とした印象を高めている気がする(そのあとネットで当時の写真を確認すると、たしかに同じ額のように見える。まぁ、天皇が崩御したあとの改元なので、変に目立つ額に入れてもダメなんだろうけれど)。

 そして「平成」の文字であるが、やや変色した和紙の上にかすかに残る墨のかすれや、細かい部分などを自分の目で確認できたので、文字通り時代の変わり目を捉えたひとつの芸術作品として堪能させてもらった。ひとつの書にたいしてここまで自分自身を丸ごとぶつけるように見つめることは、これからもないかもしれない。

 もちろん、元号はやはり単なる記号みたいなものでしかないのだが、この紙の上に書かれた文字としての元号は、確かにほんの少し自分の人生とわずかながら重なったわけで、それなりに「手応え」を感じることはできた。時代性にたいして「手応え」を覚えるのも変な話かもしれないが。

そうして、そのあと出口の近くになると、複製ではあるけれども日本国憲法の「前文」の文書が展示されていた。その前文をあらためて当時の空気感を想像しながら黙読することで、やはりどうしたってこれは格調高く心に響く日本語の文章だと再認識させてくれた。浅はかな政府と広告代理店なんかが結託したかのように打ち出すキャッチコピーまがいの政策ワードとは雲泥の差であって、そういう部分でも公文書館に来てみてよかったと思った。あぁ、平成は終わる、本当に終わる。終わってしまう。そして相変わらず不安げな政治的統治はこの国で続く、それだけだった。

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▲自分の影とかさねて「平成」を写し取ることのできる場所。

 

「平成の書」は現在の特別展「江戸時代の天皇」の期間中、ゴールデンウィークいっぱいは一般公開されているようだ。

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2019.03.31

ピンク・フロイドの初代マネージャーのピーター・ジェナー氏をめぐる話、そして2019年の神戸でピンク・フロイドの音楽につつまれた話

奇しくもピンク・フロイドのネタが続く。

イリノイ州アーバナ・シャンペンからお送りしているコミュニティラジオ「harukana show」番組ホストのMugikoさんは、ロンドンでのフィールドワーク調査の流れで、60年代後半のロンドンのアンダーグラウンド文化に携わった人々にインタビューをしているのだが、今回ピーター・ジェナー氏との会見を行ったということで、その放送回に私も日本からウェブマイク越しに参加させていただいた。

今回の機会をいただくにあたって、あらためてピーター・ジェナー氏について調べると、この人こそはピンク・フロイドの最初のマネージメントを行った人物であり、そこから音楽業界に本格的に関わっていった元・経済学者という経歴を持っている。

私が興味深く思ったのは、ピンク・フロイドのデビューアルバム『夜明けの口笛吹き』のオープニング・ナンバーである『天の支配』、この曲のイントロに流れるノイジーな人間の声の主がジェナーさんだということである(これもマーク・ブレイク著『ピンク・フロイドの狂気』で初めて知った)。
つまり、ピンク・フロイドというモンスター・バンドのアルバム・レコード史において、一番最初に登場する人間の声は、実はシド・バレットではなくピーター・ジェナー氏の声になるのである。そういうこともあって私は、Mugikoさんがジェナー氏にインタビューを行う前に、いくつかの質問事項にそえて「記念に、私の名前を呼びかけるようなボイス・メッセージをぜひしゃべってもらって、録音してほしい!」という無茶なリクエストをさせていただいた。そしてありがたいことに実際に(期待以上の)メッセージを見事にいただけたのであった(それは今回のharukana showでも聴ける)。

すかさず私はスマホのメール着信音にそのジェナー氏からのメッセージ音声を加工して設定した・・・が、スマホのメールをGmailで利用していて、そこの着信音にはうまく機能しないようで、おかげでまったく関係ないタイミングで突然「タテーシ、ハロー!」とジェナー氏の声で鳴ることがちょくちょくある。これはこれでビビるのであった。

というわけで、番組のポッドキャストは(こちら)より。

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そしてさらに別件で、ピンク・フロイドのネタは続く。

4月に神戸で行われるアートイベント「078」の一環で、「TIME TRIP COSMOS with PINK FLOYD」という催しが神戸税関の古い建物の中庭でつい先日開催されたのである。フライヤーには「伝統建築・神戸税関中庭を華麗にライトアップ、美しい建物の姿を幻想的に浮かび上がらせる空間演出。ピンク・フロイドの良質な音楽を響かせる時空を超えた幽玄の夜」とのこと。入場無料だったので気軽にでかけてみた。

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神戸税関は1927年に立てられた古い庁舎と、阪神大震災後に増築された部分とが連結されているようで、「近代産業遺産」ともなっている建築とのこと。

こうしたモダンな建物の開放的な中庭に立ち入ること自体もおもしろいのだが、ここで大音量で、よりによってピンク・フロイドの曲をひたすら流すという試みなのであるから、なかなかマニアでトンガったイベントである。工業大学の学生たちの手による大きなブタのモニュメントも置かれ、夕闇が少しずつ濃くなっていくなかでライト・ショーが壁面を照らし、音楽プロデューサー・立川直樹氏による選曲でピンク・フロイドが流れていく。

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そして肌寒い中でもお客さんはけっこう入っていた。老いも若きもただ中庭に突っ立ってデビューアルバムから近年の作品までを含めた19曲をじっくり聴き入る2時間あまりのひととき。なんだろうなこの2019年の光景は。
そしてなによりこの建物がよりによって税関局だというのに、そこで『マネー』という題名の曲が鳴り響いていたわけで、その状況はなんだか確かにフロイド的だなーと感じていた。

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そしてさらに翌日は、この神戸税関の向かいにあるデザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)にて、テクニクス社の最高級オーディオを用いてピンク・フロイドのレコードを鑑賞するという企画も行われた。こちらは有料のイベントではあったが、ダメもとで申し込んだら参加できたので、2日連続で神戸へ。

私はオーディオ機器には明るくない。というのもこの分野にもし深入りしたらそれこそとんでもない人生になるという怖れもあり、あまり手を出さないように努めている。いつもお世話になっている鍼灸師さんがけっこうなオーディオ愛好家で、自宅でいかにお気に入りの音楽を最高のコンディションで味わうか、その環境づくりをめぐる奮闘ぶりをよく施術中に聞かせてもらっていて、自分としてもその話は確かに魅力的なのだが、近づくと絶対に泥沼だなぁと思っている。

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で、この総額一千万円ぐらいのシステムで、この日は名盤『狂気』を全曲フルで聴いてみるということとなった。
レコード盤の持っている情報量の豊富さ、そして音響機器のセッティングがうまく決まれば、聴き手をつつむ音の波の配置や奥行き感がとても立体的になっていくことを、全身で体感したわけである。
「あぁ、私はこれからの人生において、このアルバムをこれ以上の良好な条件では聴けないのかもしれない」とか思うと、たしかに「今までとは別物のように」聴こえてくるわけである。さすがに立川氏が言うように「聴いたことのない音」までは、私の耳ではそこまで探れなかったが、「良いオーディオ機器は、そりゃあ確かに良い」という、至極あたりまえのことをじっくりと納得させられた時間であった。

ちなみに私個人の歴史でいえば『狂気』を初めて聴いたのが高校生のときで、当時はそこまで好きな作品でもなかったが、今となってはすごく好きなアルバムになっている。聴き続けることで、歳を取るごとに自分のなかでも変容していくものがあるのかもしれない。あらためて全身で集中して『狂気』の生み出す世界に没入したこの時間はたしかに貴重なものだった。

『狂気』のあとの残り時間は客席からのリクエストを募って『吹けよ風、呼べよ嵐』と『Sheep』の2曲ほど聴いたわけだが、個人的には『エコーズ』のあのイントロ部分だけでいいから聴いてみたかった。

そんなわけで、オーディオシステムのすごさ以前に、私なぞはやはり「レコード盤って、やっぱりいいんですねぇ」っていうレベルのところで、あらためて新鮮な体験となった。やばい、レコードプレーヤー欲しいかも(笑)。

何より、その日は朝からちょっと頭が重たくて体調がそんなによくなかったのだが、このレコード試聴体験が終わったあとは体調もなぜか回復して、体がスッキリしていたのである。最高級オーディオ機器はここまでフィジカルに響くものなのかと、試聴会が終わったあとの帰り道にジワジワとその威力に敬服するというオチである。

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2019.03.04

ピンク・フロイドのV&A博物館の展覧会告知ポスターを手に入れたのである

昨年の夏にDIYファクトリー(大阪店は閉店してしまったが)で「壁紙の貼り方」を受講して、盆休みはもっぱら自宅の壁面の一部を輸入壁紙で覆うという試みに専心していた。

しかし案の定、あまりうまくいかず、なんとか壁紙は貼ったものの、乾くにつれて壁紙の継ぎ目のところが収縮して、隙間が空いてしまうことになった。やり直す気持ちにもなれず、そのまま放置していた。

で、少しでもこの隙間をごまかすために、大きめのポスターでも壁にかけようかと、なんとなく思っているうちに、海外オークション通販の「セカイモン」で、2017年夏に行ったヴィクトリア&アルバート博物館のピンク・フロイド展覧会の告知ポスターなるものが出品されていて、そんなものを見てしまったら買うしかないだろうと、高い送料もおかまいなしにオーダーした次第であった。

海を渡って届いたポスターはところどころ割れていたりしてダメージがついていたが、それゆえに「実際にどこかで掲示されていた感」があるのでオッケーだと思った。大きさはヨコ61cm×タテ99cmなのでわりと大きく、V&A博物館のイベント案内としてロンドンの地下鉄の構内などで貼られていたんじゃないかというファンタジーをかきたてる(まぁ実際は単に余って処分に困ったあげくのオークション行きだったとしても、だ)。

せっかくなのでフレームに入れて飾りたいので、近所のバックス画材へ(ちなみにこの店は最近改装して、2階にはZINEコーナーが設置されている)。ロンドンの地下鉄駅で掲示されてそうな無愛想でシンプルなシルバーのフレームをオーダーで作ることにした。

そして、出来上がってお店に受け取りに来るときに、ポスターの現物を持っていったらその場で店員さんがポスターをフレームに入れてくれるとのこと。所々痛んでいるシロモノなのでちょっと迷ったが、勇気を出して(?)現物を持って受け取りに行ってきた。

実際にフレームをみると確かに大きく、そしてポスターも丸めたまま保管していたので、私と店員さんの二人がかりでやらないとうまく紙がフレームに入らなかったので、やはり現物をお店に持っていって正解だった。店員さんもポスターの内容をみて「かっこいいですね」とか言ってくれるので、恐縮のあまり早口で事情を説明するに至ったり(笑)。

車を持っていないので、バスと徒歩でこれを持って帰るつもりだと店員さんに告げると「なるほど・・・」とつぶやき、「このまま持ち歩くと目立ちますよねぇ」と大きな紙を表面に貼ってもらい、持ち手までつけていただく。それで無事に帰宅できた。

で、以前から持っていたピンク・フロイド関係のもう一枚のポスターである『原子心母』のやつと並べて壁にかけてみた。

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バッチリである。サイズ感といい、この「何がなんだか分からない感じ」といい(笑)

特に今回のは「V&A」のロゴがとっても効いている。ロンドンの地下鉄でよく見かける告知ポスターの感じが旅情を思い起こさせて。

そして冷静に思い返すと、この『原子心母』の牛のポスターも、以前に「セカイモン」で手に入れたものだった。

あともうひとつ冷静に考えると、これで別に壁紙の隙間の問題が解決しているわけでもない。

まぁいいか。

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2019.02.10

カフェ・アノニマの閉店

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京都の左京区に引っ越してからは、休みの日のお昼ご飯どきなど、しばしば「カフェ・アノニマ」を訪れていた。

今日ひさしぶりに行ったら、お会計のときに店主さんに「長く通っていただいていましたよね」と突然言われ、「じつは16日に閉店することになりました」とのこと。入口に張り紙があったのに気づかず、いつも通りおいしいご飯とカフェラテをいただいた直後、「ええええええ」と動揺。

「男おひとりさま」が立ち寄りやすい雰囲気で、
本棚が充実しているブックカフェでもあり、
多種多様な「カフェめし」や、当然ドリンクもすべからく美味しく、
BGMもそのときどきで渋い選曲だったりもして、
自転車で気軽に行きやすくて駐輪しやすくて(←意外にこれは重要)、
つまりは私にとっては「非の打ち所が無い、素晴らしいカフェ」であったのだ。


ここはラーメン屋の天下一品の総本店がある交差点から、東にたった数十歩いけばたどり着けるカフェなのだが、いかんせん場所がちょっと見えにくくて、それゆえに文字通り「穴場カフェ」の雰囲気も、たしかにあった。ラーメンを求めて行列を作っている人をみるたびに、この人達が食後にちょっとカフェに寄るのなら、せっかくならアノニマにいけばいいのにと思うほど、「いつ来ても確実に座れる感じ(=ゆえに男おひとりさまでも行きやすい)」という状況ではあったかと思う。ちなみに私はたとえここがブックカフェであっても、「男おひとりさまは、個人経営のカフェでは食べて飲んだらすぐに店を出るのが流儀」と考えているのであるが、居心地が良すぎる部分も客単価の低いカフェ経営においてはいろいろと難しいところがあるのかもしれない。

あらためて入口の張り紙を読むと、2004年オープンから約15年にわたり頑張っていたことが分かった。

「カフェアノニマがあなたの心の中で  あなたのカフェであり続けてくれれば 嬉しく思います」
とのメッセージ。
しかと受け止めたい。

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2019.01.26

映画『マイ・ジェネレーション:ロンドンをぶっとばせ!』を観て、平成の終わりに60年代ロンドンをあらためて想う

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やー、あらためて映像で観てもツィギーはやっぱりステキだ、ホントにステキ。
それが一番の感想かもしれない(笑)。

想像以上に、(良い意味で)“教材的な”内容で、60年代ロンドンのユースカルチャーを捉えていて、これでもかと当時の映像の洪水を見せてくれる。そしてまた、この前後の歴史的展開を照射しつつも、うたかたの幻のようだった刹那の輝き、刺激的かつポップさゆえの儚さ、そういった感傷をも、同時代を知らない我々に味わわせてくれるような時間だった。

この時代の生き証人として俳優のマイケル・ケインがナビゲート役を務めているのだが、ところどころで若き日のケインがロンドンの街を歩き回る映像が差し挟まれていて、このスケッチ的な映像資料が、あたかも50年後にこの映画を作るために記録されていたのではないかというぐらいに見事にハマっていたのも印象的。

なにより、この時代を彩るサウンドトラックも期待通りで、心なしか音質も素晴らしくて、京都シネマってこんなに音響良かったっけ? って思ったぐらい。唯一気になったのは映像のなかで「モッズ」の説明が出てきたときのBGMが(確か)ストーンズだったので「ちょっとそこはなぁ~」って感じになったことぐらい。
DVD版が出たらダラダラと部屋で流しっぱなしにしたい感じ。

そう思うと、この当時の「退廃的とみなされていた」カルチャーの担い手たちがちゃんと元気でいるうちに、こういうドキュメンタリーをちゃんと作っておくことは本当に大事だよなぁと思った。なので今度は誰か英国70年代プログレッシヴ・ロックのちゃんとしたドキュメンタリー映画を作ってくれ・・・と思わずにはいられない・・・(笑)
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パンフも表紙のデザインが良かった。このメガネほしい。
ちなみに右の渦巻きは、BBC「トップ・オブ・ザ・ポップス」をモチーフにしたマウスパッド(昔、スカパーの懸賞で当てた 笑)。

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2019.01.02

お店の空きスペースを有効利用。コインロッカー不足に対応したシェアリングサービス「ecbo cloak」を利用してみた

あけましておめでとうございます。
今年もできるかぎりたくさん書いていきたいと思います。できるだけ・・・

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さて。
旅行などで大きい荷物のあるとき、大都市のターミナル駅などでは、コインロッカーが空いていないことがほとんどである。そしてスーツケースなど大きい荷物になると、さらにロッカーの数が限られている。「荷物預かり所」を設けている駅はよほど大きい駅じゃないとないので、なかなか困るわけである。

それでネットで調べると「ecbo cloak」というサービスがあることを知り、このあいだ初めて使ってみた。
店舗の空きスペースを利用して、ネットを介して「ここなら荷物預けられます」と検索されて、利用者とつなげるシェアリングサービスである。

会員登録をして、自分が預けたいエリアを検索すると、地図付きでいろいろなお店が表示される。そこからは手軽に自分の持ち物の個数などを選択していけば、あとはお店の営業時間に応じて予約ができる。

先日私が使ったのはとあるデパートの服屋さんだったのだが、レジに持っていくと「チェックイン」の作業が行われ、荷物の写真をその場で店員さんが撮影していた。
(何らかの処理が行われるたびに、登録してあるメールアドレス宛に通知がちゃんと来る)

ひとつ注意しないといけないのは、「この時間に取りに行く」ということを現場でも改めてはっきりさせておかないとお店側も困るので、そこだけはコインロッカーほどの気軽さはない(料金は1回いくらなので、もちろん遅刻しそうならあらかじめ電話連絡をすればいいだけなのだが)。

そしてもうひとつこのサービスが興味深いと思うのは、荷物を受け取りにいったついでに、私はその預かってくれたお店の商品もついでにチェックすることとなり、ついつい記念にTシャツを買ってしまったことだ(笑)。また場合によっては、旅先についてのちょっとした情報などもそこの店員さんに質問しやすい雰囲気も出てくるだろう。いくつか検索されたお店のなかで、自分の親しみやすいジャンルのお店を選んだことにより、そうした「旅先での予想外の出会い」も楽しめたわけである。

AirbnbとかUberとかは、日本の行政の強固な姿勢により普及は難しいが、コインロッカー業界においてはあまり既得権益を守る必要がないためか、このシェアリングサービスはすでに利用可能なわけで、今後はもっとお店が参加してほしいと思う次第である。

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2018.12.31

今年最後の読書は、パン職人の自叙伝。

 今年は結局フリーペーパーも書かず、ZINEづくりに向けた作業もまったくはかどらずに終わっていく。
 ただ、インプットの面において久しぶりに読書欲が旺盛な周期に入ってきたのか、今年はめっぽういろんなジャンルの本を読んできたように思う。ただし今年最後の読書のきっかけは意外なところからやってきて、つい先日顔を合わせた旧友のM・フィオリオ氏が「これを読め!」と(強引に)貸してきた、ドミニク・ドゥーセ氏の自叙伝『ドミニクドゥーセ、リスタート!』(伊勢新聞社、2014年)となった。


 ドミニク・ドゥーセって、誰? となるのも無理はない。我々にとってその名前が特別なのは、90年代の初めに我々がF1マニアだった頃、鈴鹿サーキットで出店していたパン・お菓子屋のフランス人オーナーシェフとしてこの名前を深く記憶に留めていたからだ。特にフィオリオ氏がこのお店のお菓子を気に入り、彼が買った缶入りのお菓子に添えられていたリーフレットもなんとなく印象的だった。それで私もずっとドミニク・ドゥーセという名前を、聖地としての鈴鹿サーキットのこととセットで想い出のなかにしまっている。

 ただそれから25年ぐらいたって、お互いF1ファンではなくなっている今の状況において、フィオリオ氏がこの本を私にどうしても読ませたかったのは、我々はドミニク・ドゥーセが当時どういう想いでフランスから来日して、三重県の国際レーシングサーキットに店を構えて、その後どういうことがあったかということをまったく知らないまま生きていたからである。別にそんなことを知らないままでも、それはそれで問題はないのだろうが、この本を読むと「そんなことがあったのか、ドミニク!!」と、まるで遠い親戚のおじさんの知られざる驚きの過去をこそっと告白されたかのような、その数奇な人生の浮き沈みがなんとも驚きの連続だったからである。

 そもそもドミニク・ドゥーセは、87年に鈴鹿でF1日本GPを誘致するにあたって海外からの選手や客に対応できる良質の料理人の必要性が検討されたことで、サーキットの運営母体であるホンダから熱心なオファーを受けて日本に来ることになったそうだ。そこからの日本社会への適応に関する苦闘ぶりを読むにつれ、結局この人は日本のバブル期における「ノウハウがなくても金で解決すればいい」的なありかたに翻弄された人のようにも思えてくる。苦労して母国でパン職人になり、腹をくくって日本に来たからにはフランスの味をたくさんの人に伝えようという使命感をもって頑張り続けるも、遠くに住む家族との問題や、サーキットから独立してお店を展開するも、あやしい事業提携話にひっかかって悲惨な目にあったりと、幾多の困難を経て「ドミニク・ドゥーセの店」のブランドを守り抜き、今は原点である鈴鹿に本店を構えて「リスタート」をきっているドミニク氏の職人魂を思うと、今すぐにでもお店に出向いて、パンやカヌレを食べたい気持ちになってくる。

 「鈴鹿に行けばドミニクのパンが食べられる」ということでファンも多かったという幾多のF1ドライバーたちとの交流もまた、彼のパン職人としての来歴を語るうえでは欠かせない部分であるが、「私も、彼らとは違ったレースを、必死で走っていた」という一文がすごく、光っている。

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2018.11.27

ヴァーチャル暖炉生活

テレビを買い換えたことから、YouTubeをテレビで気軽に観られるようになり、すっかり寝る前にYouTubeを観ることが習慣化された話を昨年の6月に書いている

そんな「寝る前YouTube」のなかで最近新たに加わったジャンルが「暖炉の火」である。
そう、ひたすら暖炉の火をパチパチと眺めることができる動画で、いろんな種類がある。実際に燃やしているものがあれば、CGで作ったのであろう焚き火の映像などもある。


この暖炉画像でいいのは、テレビが壁際にあることから、なんとなく「暖炉が自宅にある感じ」が視覚的に演出されていることである。パチパチと音も鳴っているからなおさらリアルだ。

以前もこのブログに書いているが、『焚火パーティーへようこそ』というエッセイ集を読むと、「焚き火ってなんてすばらしいんだ」という気持ちになり、タキビストになることへの憧れがあふれんばかりに沸いてくるから、ぜひ広くオススメしたい。暖炉とか薪ストーブを持っていると、日々タキビストな生活になるのでうらやましい。


こうして、ニセ暖炉を眺めながら、これも寝る前の習慣になっている「養命酒」を飲んだりしている。何かがズレているような気がするが、もうあまり気にしない。

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2018.11.01

永遠に続くかのような、はるか遠い世界をくぐりぬけたような気持ちで読み終えた小説のこと

 だいぶ前に手に入れていたものの、なかなか読む決心がつかなくて、長いあいだ放置していた小説を、ようやく先日読み終えた。


 読む決心がつかなかったのは、その小説があまりにも長いからであった。ひとたび手を着けたら、一気にリズムに乗って読んでいかないと、きっとすぐ飽きて挫折するだろうと思っていた。

 しかし思い切って本の世界に飛び込むと、その心配は不要だった。それぞれの章ごとに、一遍のドラマが始まっては終わっていき、そして次の章へと時間の流れは受け継がれつつ、かすかな関連性が次の章への布石を打っていく。その端々で、その小説が描く空間に実在したであろうさまざまなものへの想いに浸らせつつ、つぎつぎとスリリングで面白いフィクションが展開されていく、みごとな構成の小説だった。


 その本の題名は、ずばり『ロンドン』である。エドワード・ラザファードによる1997年の作品で、日本語版は集英社が発行した。上下巻合わせてだいたい1100ページ。ハードカバー版しか存在しておらず、2冊重ねると8.5センチほどの厚さになる。なので読むのをためらっていた理由のひとつは「一冊が重たすぎる」ことにあり、この数年、この本がひょっこりと文庫版だったりデジタル版で再発されないものかとずっと望んでいたが、どうやらそうはならないようだ。通勤電車の中ぐらいでしか本を読まない私にとっては、この本をずっとカバンに入れ続けた2ヶ月が終わった今、毎朝がどことなく「軽やかな気分」にすらなっている。


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 この小説は紀元前54年から、1997年にいたる約2千年にわたるロンドンの、もっといえば「テムズ川とその周辺」を舞台に、フィクションとして10組ほどの家族の変遷を語りつつ、実際の歴史的事象を織り込んで描いたダイナミックな大河ドラマのごとき小説(まさに舞台も『大河』なのだ)である。

 それぞれの時代においてたくましく生き抜き、純朴な人だったり狡猾な人だったりが、幸運や不運に見舞われ、自らの力の及ばない時代の荒波に翻弄されていったりする。それぞれの登場人物やその子孫達の目線から、ひとつの大きな「河」とその周辺の大地が少しずつ発展し、大火や爆撃による崩壊をも乗り越えて現在の姿に至っていく、そのありようを壮大な小説として味わっていくわけで、ロンドンという街が好きで好きでたまらない私のような者にとっては、これまでにない独特な読書体験をさせてもらったと、いまはひたすら作者(と見事な翻訳者)に感謝しかない。


 もっと早く読んでおけばよかったと思うことが何度もあり、話のあちこちで差し挟まれる、考古学的・歴史学的な「ロンドン・トリビア」に触れるたびに、スマホでグーグル地図を調べたりウィキペディアで実物を確認したりする楽しさもあって、今度ロンドンを訪れるときにはぜひ行ってみたい場所がこれでさらに増えまくった次第である。そもそもロンドンには言うまでもなくたくさんの面白い博物館や美術館があって、どれもリピーターとなってついつい再訪してしまうので、時間がいくらあっても足りなくて、他に行くべき博物館がまだまだ残っている有様なのである。なので実は私はいまだに「ロンドン博物館」と「交通博物館」には行けてなくて「今後のお楽しみ」にしたままなのである。次回ロンドンに行ったら、この街の歴史の面白さをじっくり味わえるであろうこの2館は心からワクワクして訪れることができそうである。

 子どもの時から私は歴史の授業が得意ではなく、すぐに物忘れをするためになかなか歴史の流れを記憶することが苦手だと思ってきたが、こうしてたった一カ所の視点から離れずに、ひとつの人類史の流れをたどっていくことが、こんなにスリリングでドラマチックなのかと改めて歴史学の面白さに敬服している。思えば世界史の教科書って、読み進めるとこれまでの出来事がバッサリと後ろに追いやられて、突然次の章からまるで何事もなかったかのようにまったく別の地域の話になっていく展開になっていて、そのあたりでモヤモヤとさせられていたのだろうなぁとつくづく思い至った。そりゃあ限られた時間に生徒たちは歴史的事象を理解・把握しないといけなかったから仕方ないのだが、そのせいでこうした『ロンドン』がもたらしてくれる「定点観測的楽しさ」が味わえないのは歯がゆいところでもある。

装丁のイラストレーションも最高にステキで、帆船が宙に浮かんでいるという空想的コンセプトが、史実とフィクションの混交をうまく雰囲気として伝えているようにも思える。


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 なにより最後の最後で、人がやってきては去って行く巨大交易都市としてのロンドンが、古来よりさまざまな民族の移住によって築かれた場所であることを作者は強調して締めくくっているのが印象的であった。それはまさに私がはじめてロンドンを訪れたときに感じ得たことでもあり、現代のアメリカやブラジルの大統領の流れとも関して、また、移民の受入れにあまりにも消極的な先進国に住む者として、読後感にじんわりと残すものがあった。


 

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2018.10.09

小文:「ダメといわない」発想、台風における人間の闇、カプチーノの想い出

 このあいだ、ひさしぶりに大阪は高槻の「乾物屋スモール」を訪れ、のんびりとした時間を過ごさせてもらった(もう2周年になる)。店主のまぁこさんが、最近依頼をうけるようになったという、調味料をテーマとしたレクチャーにおいて、彼女なりに工夫したタイトルとして「ダメと言わない調味料のはなし」というのがあって、この考え方やセンスが相変わらず素敵であった。ついついこの手の話はトーンが教条的になり、「いかに化学調味料が体に悪いか」「これが正解で、あれはダメ!」という観点に陥りがちになり、「良いことができていない自分」へのぼんやりとした罪悪感なり自己否定的な雰囲気なりが出てしまう。
 お客さんもダメ出しをされるために話を聞きにきたわけではないし、その時間を楽しく有意義に過ごすためにも、「体に良いものを作っている生産者さんを応援する楽しさ」を伝える方向性に持って行きたいという、まぁこさんのその姿勢はすばらしいと思うし、多くの人に共有されていってほしいと感じる。
 「良いものと悪いもの」の知識はそれとして理解しつつも、「こうしなきゃいけない」というプレッシャーをかけるのではなく、ましてや押しつけがましくなるのでもなく、「こういう製品をこういう人たちが作っているんですよ」という部分を出発点として、我々が普段使っているもの、食べているものに(楽しみながら)注目していくこと。この発想はいろいろな分野で活かせそうな気がする。

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 最近ツイッターで知って戦慄を覚えた・・・というと大げさなのかもしれないが、なぜ台風災害のときに、しばしば「風雨のなか田畑の様子を見に行って、用水路などにはまって死ぬ人」が必ずといっていいほど出てくるのだろうかという、長年ずっと思っていた疑問の答えのひとつが(ここ)で紹介されていた。

 それによると、台風や大雨のときは、自分のところの田畑に排水されないように「見張る」というのが必要で、結局「見張りに来なかった人の田畑に向けて、みんなが水を逃がそうとする」という事情があるというのだ。もちろんいろんな地域があってそれは一概には言えないのだろうけど、でもおそらくそれは実態として大いにありえるのだろうし、人間の真実がそこにある気がする。そしてそれは「防災」なんかとは無関係の秩序なのである。そのことを知らずに私はいままで「なんでこんな危ない日に外へ出るのか?」とばかり思っていて、大地とともに生きている人たちのリアルな切実さにまったく思い至っていなかったことを痛感した。

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 あまりコーヒーにたいしてこだわりがないのだが、カフェでの注文時だったり、ファミレスのドリンクバーに「カプチーノ」があると、ついそのボタンを押してしまう。3年前にイタリアを旅したときに、ジェノバの古い建物の最上階にあった家族経営の宿に一泊したのだが、主人のオヤジさんが朝食を自ら準備してくれて、飲み物を何にするかを聞いてくる段階になって・・・カプチーノ? ・・・カプチーノ? カプチーノッ!!と、まるで

「もうオマエはカプチーノでいいよなっ!?」

と言わんばかりの勢いで、一方的にカプチーノを入れて持ってきた。それ以来「カプチーノ」という言葉に触れるたびにあのオヤジさんのまくしたてるような勢いを想起しては、憧憬の念を込めつつカプチーノを頼まないといけない気分になるのだった。

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▲「カプチーノ事件」の食堂。ジェノバまた行きたい。
そういえば吉田戦車の『伝染るんです』のなかに、男子学生が中華料理店に入ったら何も頼んでないのにチャーハンが置かれて「だってお客さんチャーハン顔だもん!」って言われて納得してパクパク食べる、っていう漫画があったが、なんとなくそのノリに近い感触。

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2018.09.04

フライヤー/フリペ/Zineの整理・保管用に「自宅で展示しつつ収納する棚」をDIYしてみた【7年越しの第2弾】

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2011年5月にこのブログで私は『フライヤー/フリペ/Zineの整理・保管用に「自宅で展示しつつ収納する棚」を自作DIYしてみた』という記事を書いている。
有孔ボードを使ったフライヤー置き場を自分なりに作ってみたわけだが、かなり詳細に作り方を書いていて、当時の私の「してやったり感」がにじみでている。→記事は(こちら

そして引っ越した後もこの自作棚は活用されていて、今でもさまざまな「紙モノ」がギッシリと挟まっている。

で、この過去の記事をあらためて読むと「あまった板は、この棚づくりが成功したら第二弾を作るときに使おうと思った」としっかり書いてあって苦笑してしまう。
そう、余った棚はその後も7年間にわたり私の自宅に保管されたまま、持て余していたのである。

今年は自分のなかで「部屋のインテリアをしっかりがんばろうイヤー」にしているため、この「有孔ボード棚」のバージョン2を作ることにした。
あれから7年もたつと、とくに旅行先で手に入れるいろいろな紙モノも増えていき、それらをしまい込むのももったいなく、生活のなかで少しでも目に触れるところに置きたいという思いもあった。

そして第二弾を作るにあたっては、「物が乗る部分は、木材を貼り付けるのではなく、ボルトを大量に並べてしまえばいいのではないか?」と思ったのである。

有孔ボードの穴のサイズにもよるが、自分の持っているボードの穴は8ミリだったので「M8サイズ」のボルトとナット、ワッシャーをまとめて仕入れてきた。
ボルトの長さは4cmぐらいがいいかなと思ったが、これは今後場合によって変更してもいいだろう。そう、ボルトで固定していくほうが、何かとカスタマイズ性は高くなるので、木材を貼り付けるよりもよっぽど良いんじゃないかと思える。

そしてボルトを取り付ける前に、ひと工夫を試みた。それはあるインテリア雑誌で有孔ボードの活用事例を見ていたとき、「なぜこの黒いボードはやたら格好良く見えるのか」をいろいろ考えてみた結果、「ボードの穴の側面も黒く塗っているのかもしれない」ということに気づいたのである。なのでマジックでひたすらすべての穴の側面を塗りつぶしていった(この作業でペンは完全に摩耗してダメになります)。

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▲ペンで塗っている列の上下の穴の見え方に注目。側面を塗ると、どの角度からみても黒々と見えるわけだ。


たまたま昨日も同僚に「プライベートのとき何やっているかよく分からない」と言われてしまったが、こういうこと、つまり何時間もかけて穴にマジックペンを差し込んでグリグリしているような生活を送っているわけである(塗れたつもりでも板の向きを変えると塗り残しがたくさん見つかって、予想以上に何往復もして塗りまくった)。

こうしてボルトを取り付けていく。
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裏面はこんな感じ。かなり適当にニスを塗っている。
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そして今回は設置場所として、もともと賃貸で穴を空けてよい木材のレール部分があり、ここから吊り下げようと思った。まずはレール部分を、「カモ井加工紙」の撮影作業向けマスキングテープ「mt foto」シリーズの黒色を仕入れてきて、それを貼り込んでみた。ちなみに有孔ボードの端もこのテープで補強した。このテープはカメラ機材の補修にも使えるぐらい頑丈で発色もよいので、かなり使えることを最近知った。

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で、ひっかけるパーツについては、かねてからずっと気になっていて、近所にありながら今まで立ち寄ったことがなかった、京都・上賀茂神社ちかくの“インディーズ系”な金物雑貨店「BOLTS HARDWARE STORE」にて、ちょうど欲しかった感じのアルミフックをゲット。
それにしてもこのお店はすばらしかった・・・京都にお越しの際はぜひここまで足を伸ばして来訪してほしい(カフェも併設している金物屋さんっていうだけですごい)。雑貨系も充実していて、こういうお店は本当にがんばってほしい(サイトはこちら)。

カラビナを通してS字フックでぶらさげる方式にしているが、これについては今後の課題。このあたりはテキトーに対処しているので、また何らかのよい方法があればそれに変えていく。

あとは前回同様、ゴムを通していく。
ボードの片面は帽子をひっかけたりするスペースにしてみたり、とにかく思いつきでカスタムが可能。

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というわけで、ボルト方式でもまったく問題なく紙モノが置ける。木材を貼る手間もないから、とても簡単に作れるので、今後はこの方式をオススメしていく。

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2018.08.28

英和辞書と偶然性

 ここ数日、机の上の空いたスペースに英和辞書を広げたままにしている。かつて同じようなことを村上春樹がエッセイで書いていたが、辞書はおもむろに意味もなく適当なページを読んでみると「新たな顔」を見せるような感じがあって、食事中などにその置いたままの英和辞書の見開き2ページをじっくり読んで楽しんだりしていた。

 で、思い立ってそのままの状態で辞書を放置していると、クーラーや扇風機の風の具合で、自然にページがめくれていくことが分かった。そうして今、この場所にずっと辞書を置いて、ページの変化を実験的に楽しんでいる。

 このことをブログに書きたくなったのは、たまたま今朝みたら「LOVE」っていう単語が載っているページになっているからだった。そう、すごくラッキーな気分なわけよ、単純なんだけど(笑)。

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↑ちなみに近年、家で置いている英和辞書は、選びに選んで『アンカーコズミカ英和辞典である。巻末付録の読み物なんかもすごく良くできてたりする。

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2018.08.04

かねてから気になっていた大阪・難波の「DIY FACTORY」に行ってみた

おなじみイリノイ州アーバナシャンペンのコミュニティラジオ「Harukana Show」で、先日行ってきたDIY FACTORYの話をさせていただく(こちら)。
(あとその前の回は、ワールドカップの話をさせていただいたり)
というわけであらためてブログでそのことを書いてみる。
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 「DIY FACTORY」ではさまざまなDIYツールや素材を売っているだけでなく、作業場所の提供や、用具の貸し出し、そしてDIYのノウハウを教えてくれるスクールが開講されている。
 そこで今回、体験レッスン(1000円)で、「電動工具の使い方」の講座を受けてみた。

 普段から電動工具を必要とするほどの物作りを頻繁にやっているわけではないので、このようなツールを私はまだ持ったことがない。ごくたまに「あったら便利だろうな」と感じるシーンもあるが、周囲に持っている人がいて貸してもらえそうな道具でないかぎり、まずそれを取り扱う経験を得ることは難しい。そしてホームセンターに行けばこうした電動工具は買えるわけだが、安全上の観点もあって、それらの工具を店内で気軽に試して使わせてもらえるような販売方法は一般的ではないだろう。電動ドリルならまだイメージがわくが、実際に木材に向かってサンダーでヤスリがけをするのがどういう感覚なのかを分からずして、店頭で見ただけで「これ買います」とはなりにくい。

 そういうニーズに応えるかたちでDIY FACTORYはレッスンを通して、誰しもが気軽に工具の使い方の入り口に立つことができるわけである。まさに私のように「いつかDIY工具を手に入れようとは思っているけど、その前にちょっと試しに触ってみたい」と思っているような人にはうってつけのショップである。

 参加者にはエプロンが貸与され(念のため、汚れてもいい格好で来ること)、この日約1時間のレッスンで体験できた工具は、ジグソー、サンダー、電動ドリルとインパクトドライバーである。それぞれの道具についてわかりやすく説明が書かれたレジュメをもとに、先生が詳しく説明をしてくれる。用意された木材をジグソーで切っていくときなどは、普段木材をたくさん切る用事が特になくても「これ欲しい!」となったり、サンダーで杉の木をヤスリがけし、表面のツルツル感を確かめてはウットリしたり、電動ドリルとインパクトドライバーについては形もよく似ているから「どっちがどう違うのか」と前から疑問に思っていたわけだが、その違いを実体験を伴って理解することができた。こんなに楽に木材を切ったりネジを回せるのか!と、電動工具をすぐ買ってしまいそうになるほど楽しめた。

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 やはりこうした電動工具の便利さを知ってしまうと、おのずと「何か作ってみようかな」という意識に傾くわけで、そうして初めてDIYの物作りプロジェクトがその人なりに進んでいく部分もあるはずだ。たいていは「作りたい欲や、差し迫った必要性」が先にあるのだろうけど、「作れる/作りやすい技術を手に入れる」ことが先にあってもいいわけで、あらためて中学校のときの「技術家庭科」の授業をオトナになっても受けられるような、こういう機会がもっとあってもいいなぁと実感した。

 このお店では他にもさまざまなレッスンがあって、「溶接技術の基本」というレッスンもあり、近いうちに溶接をしなければならない予定が個人的にまったくなくても、なんだか受講してみたいと思える。

 あとこのお店で売られている塗料で、「こんなのあるんだー!」と初めて知ってテンションが高まったものがチラホラと。
 たとえば(株)タカラ塗料の「コンクリートエフェクト」(こちら)。これは塗っただけでコンクリートっぽく見えるペンキで、これだと例えば賃貸の壁の上にシートを張って上からペンキが塗れるというやり方と組み合わせたら面白いかもしれない。

 大阪は難波、関東では東京の二子玉川にこのDIY FACTORYはあるので、ぜひお気軽にレッスンを受講してみてはいかがかと。本格的にレッスンする場合は、英会話教室みたいにポイントを購入して受講するシステムとなっている。
 

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2018.07.17

バスケ、バレー、サッカーのボール生地を使ったアパレルブランド「FUKUNARY」が超絶ステキな件

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スポーツ用品とアパレルのコラボレーションということで、最近知ってテンションが高まった事例。
広島にある八橋装院という会社では、特にバレーボールやバスケットボールで有名なMikasaの、あのボールに使う素材をそのまま転用して様々なグッズをデザインして「FUKUNARY」というブランドのもとでリリースしている(リンクはこちら)

ちょっと前の話になるのだが、たまたま梅田の百貨店ルクアにいたら、このFUKUNARYが期間限定で出店していた現場に遭遇し、

「ん・・? こ、これはーっ!?」となった。

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バレーボール、バスケットボール、そしてサッカー。これらのボールにはそれぞれの特性があるわけだが、その風合いや質感を生かして、オシャレかつ耐久性の高い製品たちがセンスよく作られていて、これはもう、やったもん勝ちである。私はその売場のスタッフさんたちに「すげー!!」と連呼してしまい、いろいろお話を聞かせてもらい、しまいには店員さんが実際に使っているお財布の使用状態までもを調子に乗って写真に撮らせてもらったぐらいだ。(結局そのときは何も買わなかったのですいません 笑)
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↑これ、表面はバスケットボールのあの質感でありつつ、中身の仕分け部分もすごく良く出来ていて、あえて写真は載せませんが(笑)、すごく使いやすそうだった。

そして当然、「使用済みボールから、記念品のようにグッズを作ることもできる」とのことで、それだったら普通にプロ選手の使用済みボールからグッズ展開してもいいわけで、マニアとはこういうのを買う人種なのだから、やったもん勝ちなのであると進言させてもらった。

「サッカーボールのキーケースとかネイマールとかに贈って使ってもらって、ネットにあげてくれたら一発でしょう~」とか勝手なことばかり言う私。

聞けば広島の工場も見学できるかもしれないので、これで広島へ旅したくなる理由がまたひとつ増えた(大雨の状況はどうだったのか気になるけれども)。

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2018.07.01

無印良品の「キャリーカート」の外観を、ロックバンドの機材運搬ケース風(実際は大昔のピンク・フロイドのあれ)にステンシルでカスタマイズしてみた件

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 いわゆるキャリーカートやスーツケースで固いボディの場合は、車輪を床に設置した状態から見ておおむね表面の凹凸が縦向きに入っていることが多い気がする。そのことを意識するようになったのは、無印良品でリリースされている現行のキャリーカート(ストッパー付きハードキャリー)がそういった傾向とは異なるアプローチで作られていて、凹凸が横向きになっていることに気づいたからである。

 そしてある日、この「凹凸が横向きであること」、さらに「それぞれの凹凸の間隔が5センチぐらいあること」によって、私のなかにあるヴィジョンが浮かんだのである。それは次の画像にあるように、「これってピンク・フロイドの『あれ』が作りやすいのではないか!?」ということだ。

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これは1972年の映画『ライヴ・アット・ポンペイ』のワンシーンだが、バンドの持ち込む機材の裏面にはほぼすべて、ステンシルでこの文字が印字されていることが確認できるのである。昨年ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館で観たピンク・フロイド回顧展のときは、まさにこのステンシルのロゴをモチーフにしたTシャツが売られていて私は狂喜したのであった。

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そうしたこともあり、このステンシルだったらわりと簡単にキャリーカートにペイントできるのではないか!? となった。

 一度それを思い浮かべるとどうしても作りたくなってきたので、(しばらくはないとは思うが)このデザインが生産中止になる前に買っておかねばと思い、「無印良品週間」を待って「キャリーバーの高さを自由に調節できるストッパー付きハードキャリー」を思い切ってオーダー。


 そうしてステンシルのシート作りに取りかかる。
 今回はWindowsに標準で入っている一般的な「ステンシル」のフォントで違和感なく使えそうなので、それを用いることにした。ちなみに本物をよくみると「LONDON」の最後の「N」だけがなぜか妙な形の文字になっているのだが、そこまでの忠実なコピーはやめて、すべての文字のフォントが整った状態で印字するほうを優先した。描画ソフト(Illustratorなど)を用いて文字を並べて、それをOHPシートに適切な大きさで印刷し、線にそって切っていけば簡単にステンシルのシートができる。

 (追記)ステンシルのフォントを並べたPDFデータはこちらのリンク先で提供します(「PFL.pdf」をダウンロード )。


 
ここからは少し根気の要る作業になるが、文字の切り抜きについては(こちらのサイト)などが分かりやすい。失敗した部分はマスキングテープで補修してみた。

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 このボディの素材を調べるとポリカーボネイトとのことで、田宮模型のポリカーボネイト専用塗料スプレーを仕入れた。これは普通の模型屋に行っても見つからなくて、店員に聞くと予想通り「ラジコン専門店だったらあると思う」とのこと(ポリカーボネイトといえば、私などは真っ先に田宮のラジコン模型を連想するので)。なのでややマニアックなタイプゆえに、ネットで取り寄せるしかなかった。ホワイトと、クリアーの2種類を調達。




 そしてまずテストとして、小さい星を3つ並べたステンシルを作って、目立ちにくい底面の部分に貼り付け、それぞれの星に条件を変えてスプレーしてみた。左が2度吹き+クリアー1度吹き、真ん中が1度吹き+クリアー1度吹き、右が1度吹きのみ、となった。それで分かったのは、ボディ表面の無数の小さい穴に塗料が溜まる感じになり、一回吹いただけで十分な発色が得られ、強くこすっても塗料がほとんど広がらなかった。左端のは2度吹きのときにおそらく必要以上に塗料がはみ出して、ステンシルの隙間に進入した結果だと思われる。

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ステンシルだと独特の「色むら」「ボケた感じ」「荒さ」がポイントになってくるので、あまりきっちりと塗る必要もなく、スプレーは1度吹くだけでいいかもしれないと思った。


 というわけで本番。切り抜いたステンシルを丁寧にマスキングテープで固定し、余計なところも新聞紙などでカバーして塗装を行う。


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もちろん他の多くのキャリーカートのように縦向きの筋が入ったボディでもステンシルを吹き付けることはできるだろうが、パッと見たときの印象でいえば、やはりこの横向きの平坦な部分に文字を入れられるほうが良いはずである。


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こうして無事に見事に、それらしくステンシルが印字された!(両面やってみた)
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この方法を応用すれば、思い思いに好きなロックバンドの機材運搬用ケースっぽいボディをカスタマイズすることが可能だろう。

 カートを使わないときは収納ケースのようにして部屋に置きっ放しにしていても、それなりにオブジェ的な存在感でインテリアに合わせていけそうなのもよい(自己満足でいいのである、こういうのは)。


 こうして無印のカートのボディは凸凹が横向きになっていることの素晴らしさを最大限利用した作品となったわけである。ナイスデザインなのである。

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2018.05.28

楽しげな本が新たに発刊されましたよ:『退屈をぶっとばせ!:自分の世界を広げるために本気で遊ぶ』(オライリージャパン)

読んでない本について書くのはこのブログでは控えてるのだが、2日前に出た本で「わー!」となったので、その気持ちに従って衝動的に紹介。『Make:』の関連書籍はどれも刺激的で見逃せない。
アマゾンの紹介ページではこんな風に書いてある:
本書は、自分自身にとって意味のある人生を作りたいと考えている10代の少年少女のための書籍です。
その内容は「すぐに大人にほめさせない」「学校に行かないで学ぶ」「ADHDの子どもへのメッセージ」など、成長の過程で必要なことが書かれたエッセイから、「文章を書くためのエクササイズ」「批評する方法を身につける」「スニーカーをデコる」「クッキーの焼き方を通して科学実験を学ぶ」「政治家に自分の考えを伝える」「ガレージセールでお金をかせぐ」「自分で自転車を修理する」「ゲームデザインを学ぶ」など、自己表現、社会活動、DIYに関連したハウトゥまで幅広く、これらを知り、体験することで、企業が提供する出来合いの娯楽ではない、本当に夢中になれることを自分で見つけることができるでしょう。
・・・ということなのだが、もはやこれは10代の子供向けではなく、文章を書いたり批評したりスニーカーをデコったり、クッキー焼いたり政治を考えたりガレージセールしたり自転車修理したりゲームづくりに挑んでみたりとか、「これはぜんぶオトナも本気出してやるべきだろう」っていう気持ちになるわけだ(そう思わせるウラの意図なり、真の狙いみたいなものも、『Make:』だったりオライリーの本全般は匂わせてくるので、さすがというか)。

そしてこの説明文でグッとくるのが「自己表現」と「社会活動」の同列のなかにDIY精神が当たり前のように語られて、それが共有されている状況がうかがえることだ。それこそがずっと私にとってこだわりのある部分であって、「ものづくり=DIY」の部分だけでなく、「それを行う主体としての自分そのもの」が「手作り、創意工夫」のなかで「自己表現」となっていく感じ、そこをちゃんと押さえていきたいのである。

で、これを言うと立場的にどうなんだとなりそうだが、そういう精神性ってやつは、教育だけでは(もっというと政策だけでは)育成されないし、常に「計画性」とか「プロセス、効用、効果測定、カリキュラム」みたいなものを、すっ飛ばして、すりぬけて、意味の分からない方向へ飛び散っていくのである。アウト・オブ・オーダーな世界。ざまぁみろ、っていう。

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2018.05.07

自分にとっての平成時代において、おそらく最後の全力疾走になると思えた日のこと

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 今年のゴールデンウィークはあちこちへ移動が激しかったのだが、ある事情で立ち寄った長野県の飯山駅から帰ったときのことを書いておきたい。

 当初手配していた切符は、18:23発の北陸新幹線「はくたか」で金沢駅にいき、そこからサンダーバードに乗り換えて京都に帰るというものであった。

 しかし当日、飯山駅の改札口を通ると、電光掲示板に「50分遅れ」の表示が(この日、北陸新幹線は架線にビニールがひっかかったようで、その影響で大幅な遅れが生じたとのこと。ビニールねぇ・・・)。あわてて改札口横の窓口へいく。すでに先客が切符を手にしつつ駅員さんに問い合わせていて、その話の内容から、まさに私がしたい質問そのものであった。その場にいた3組の客はどうやら全員が関西方面へ金沢経由で帰るつもりだったので「サンダーバードの乗り継ぎは待ってくれるのかどうか」が問い合わせの焦点となった。

 駅員さんも困っていて、金沢駅にその場ですぐ電話で問い合わせてくれていたが、少なくとも我々が乗る予定だった接続のサンダーバードは「待たない」との返答(金沢駅はJRが西日本の所管になることも影響していたようである)。駅員さんも金沢駅への電話のなかで「今ここに10名ほどのお客さんがその予定で切符を持っているのだが、なんとかならないだろうか」と、できる限りの対応をしてくれたが、難しそうであった。

 私は窓口カウンターでノートをひろげて、駅員さんの言ったことをメモしつつ、考えられるその他の手段を検討してみた。まずスマホで「長野からの夜行バス」の可能性を調べ、当日の座席が予約できるかどうかの問い合わせをするか迷ったが、あまりにも疲れていたのでそれはやめておきたかった。飯山駅から南下して関東経由で帰る線ももちろん検討したが、時間が遅くてどうにもいいダイヤがヒットしない。そのことについては駅員さんに聞いてもよかったが、それどころじゃない感じだったのと、もしその可能性があれば先に教えてくれていたであろう。現地で一泊するという可能性は、本当に最終手段である。翌日も大事な予定があったので、できる限り当日中に京都に戻りたい。



 で、こういうとき、お客さんのなかには駅員さんに不満をぶつけにかかる人がいる。怒りたい気持ちは分かる。分かるんだが、偉そうだが私の気持ちとしてはこういうことだ。旅のトラブルは、ある種の「神様からの挑戦状」みたいなものなのだ、と。こういうときには冷静に状況を味わい、最悪でも苦笑い、できれば笑顔で乗り切ってこそ、旅人としての矜持が問われてくるのである・・・そのお客さんが旅行中かどうかは知らないが。

 なので、ノートにあれこれと考えられる可能性を書き付けていくと、周囲の慌ただしさから距離を置いて、落ち着きを保つことができる。新幹線が1時間に1本到着するかどうかの閑散とした改札なので、そのまま窓口カウンターに留まっていても特に問題のない状況だったので気分的には助かった。

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 その場にいた他の駅員さんたちもいろいろ調べたり問い合わせたりしてくれて、もしどうしても当日中に帰るのであれば、我々が乗る予定だった列車の1時間後に出発するサンダーバードの終電しかない、となった。ただし連休中なので指定席は完売していて、自由席に乗るしかないが、おそらく混雑していて、立ったままの乗車になってしまうだろうとのこと(そして、ムダになった指定席券は行った先の駅で半額だけ払い戻しがされるらしい)。

 

 しばらくすると、金沢駅からの続報として「サンダーバードの終電だけは、遅延した電車の接続のために待ってくれる」ことの確約が得られたという情報が伝えられた。もはや選ぶべきルートはそれしかないと思ったので、そこで私は、いったん改札の外に出させてもらって、駅のコンビニで食料と多めの水分を調達しにいき、その後ひたすら待って、1時間遅れの新幹線「はくたか」に乗った。


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 この区間だけは指定席なので確実に座ってご飯が食べられるうちに・・・と思い、はくたかの中で、買っておいたおにぎりをまずは食べはじめた。

 

 そして、このトラブルのなかで、考えられる限りの最善を尽くせるとしたら、「2時間立って帰ることになるであろう終電のサンダーバードで、誰よりも早く自由席車両に飛び込んだら、もしかしたら座れる可能性もあるのではないか?」ということだと思い至り、そこで、「時刻表を愛読するほど鉄道業界に明るく、調べ物が得意で、私の状況や事情をすぐに理解して適切なアドバイスをしてくれることが期待できる人物」として、友人のM・フィオリオ氏にLINEで事情説明をし、協力を取り付けた。実は改札の窓口カウンターでやりとりする直前に、彼はまったく別件でLINEを送ってきてくれていたので、頼みやすかったのも大きい。

 

 そして私はこのとき初めて北陸新幹線を利用したことになるのだが、しばらく乗っているうちに、金沢方面に向かうときには、やたらたくさんの長いトンネルがあるようで、スマホではネットの電波がすぐにとぎれてしまうことが多そうだということが分かってきた。そうなるとなおさら、金沢へ着く一時間ちょっとのあいだであれこれと自分のスマホで調べられることには限界があり、フィオリオ氏のほうで安定的に情報を集めてもらって、まとめて送ってもらえるほうが絶対に良いだろうという判断もあった。

 

 私が知りたい情報を要約すると、こういうことだった。「金沢駅で、はくたかが到着するホームから最短ルートでサンダーバードの自由席車両に行くにはどうすればいいか」、そのためには以下の情報が必要だった。

 ・はくたかが到着するホームで、乗り換えに適切なエスカレーターに最も近いはくたかの車両は何号車の、前後どちらの出入り口か?

 ・はくたかが到着するとき、車両の右、左のどちらのドアが開くのか?

 ・はくたかが到着するホームから、どういうルートでサンダーバードの待つホームに向かうべきか?

 ・サンダーバードの自由席車両は何号車か?

 ・最短ルートでサンダーバードの待つホームにたどり着いたとき、もっとも近い場所にある車両は何号車になるのか?

 

 おおむね上記のような内容を調べてもらった。その前提として、新幹線ホームと、サンダーバードのいる在来線ホームのあいだには乗り換え改札を通らないといけないことをフィオリオ氏は書いてきて、「そうだった!」となり、そんな当たり前のことを忘れていた私も実は今回のトラブルでやや参っていたのかもしれない。いずれにせよ私は金沢駅へは人生で2回ぐらいしか利用しておらず、まったく駅内部の記憶がないため、なおさらナビゲートを必要としていた。

 

 そうして、時間を追うごとにフィオリオ氏からはひとつひとつ情報が提供されていった。大げさかもしれないが、このシチュエーションはまるで映画『アポロ13』を思い起こさせた。トム・ハンクスらが地球に帰還するための宇宙船の電源を確保しなくてはならず、手順を少しでも間違えるとアウトとなるため、NASA管制塔からゲイリー・シニーズが苦労して見いだした適切な手順を伝えていく、あの名シーンみたいに思えた。もし仮に私が自由席に座れなくても、今回のトラブルを通して、こうしたやりとり自体がとても楽しく感じられてきた(フィオリオ氏にとっては迷惑で面倒な依頼が舞い込んできただけなんだが 笑)。

 

 こうした情報収集の結果、私がとるべきアクションは次のようにまとまった。

「はくたかの7号車の前寄りの出口でスタンバイ。13番ホームに到着予定なので左側ドアから出て、すぐ目の前に下りエスカレーターがあるので、下ったあと左側に折れて在来線への乗り換え改札を通り、すぐ左の階段で2番ホームに駆け上がり、サンダーバードの5、6、7号車の自由席を目指す(サンダーバードは先頭が9号車)」

 完璧だ。ありがとう、フィオリオ!

 

 幸い私は6号車に座っていたので、列車が金沢駅に近づく10分前には荷物を持ってすぐ隣の7号車の前方出口の左側にスタンバイできた。もはやこれは「勝負」なので、なりふり構わず「ポールポジション」を狙って、ドアが開いたと同時にダッシュするつもりであった。

 

 そして金沢駅に近づくにつれネットの電波も安定してきたので、ここでようやく、念のためJRの公式サイトに掲載されている金沢駅の構内図を見てみた。しかしこの構内図をパッと見て、小さい画面ですぐに何かを読みとるのも難しく、そこで自分のなかでちょっとした混乱を招いてしまい、ムダによけいな質問を次々とフィオリオ氏に投げかけてしまった。このあたりで自分の判断力に迷いが生じてきたのも事実である。

 

 はくたかが金沢駅に近づき、私は左側ドアに鼻を押しつける勢いだった。もし誤作動でドアが開いたら飛び出していただろう。

 

 そうして車内アナウンスが流れる。電車の遅延についての一通りのお詫びのあと、「到着は14番ホーム、お出口は右側です」との衝撃的なお知らせ。

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 後ろを振り返ると、4人の若い家族連れ(荷物多め)がいた・・・1時間も遅れてしまった新幹線は時刻表通りに13番ホームには入らないようであった。さっそくのつまずきにウケてしまい、思わず手にしたスマホでフィオリオ氏に「出口14番で右側やった(笑)」、「家族連れがポールポジション(笑)」と続けてLINEに書いて送ったため、その最中に続けてアナウンスされた「乗り換えのご案内」を耳に入れそこねる始末。サンダーバードが予定通り2番ホームにいるか確信がもてないグダグダの状態になり、自分を責めつつ(アナウンスを聞き逃したことはフィオリオ氏には伏せておいた)、4人の家族連れ(荷物多め)の、他愛ない会話の背後で、手にしたカバンをぶつける勢いの私が立ちすくむ構図。

 おそらくこれが『ミスター・ビーン』だと、なんとかしてヒドい手段を講じてこの家族連れを押しのけて右側ドアの先頭に立つのだろうなぁと思っていた。

 

 そうこうするうちに新幹線がホームにすべりこむ。するとフィオリオ氏が教えてくれたように、ドアの窓の向こうにはちょうどいい場所に下りエスカレーターが見えたので思わず笑ってしまいそうになった。できることならその光景を(家族連れの背中ごと)写真に撮りたかったぐらいなのだが、私はカメラではなく切符をしっかり手に持って、これから始まる競争に意識を向けなくてはいけないと自分に諭した(家族連れの背後で笑いをこらえていた時点では、この話をブログに書こうとはまったく思っていなかったため、残念ながら写真記録は取れずじまいである)。

 

 ドア、オープン!

 家族連れがエスカレーターに。

 ハタから見たらタテイシもこの家族の一員だと思われたであろう距離感で後に続く。

 殊勝にも、先頭をいくお父さんが重たそうなスーツケースを持ったままエスカレーターを駆け下りていったので、心から拍手を送りたい気分。ほら、子供たちもお母さんも後に続け! ほら早くーっ!!

 

 自分の足がエスカレーターから降りた瞬間、その家族連れを置き去りにして走る。ちゃんと目の前に乗り換え改札口があり、瞬間的に「現在、改札口を開放しています」という見慣れない案内表示が目に入る。おそらく今回の事情ゆえにそういう配慮をしているのだろうか、とっさのことなので理由を確かめず、開け放たれていたゲートを遠慮なく走り抜け、すぐ左の階段をあがる。

だあぁぁぁーー。

 

 階段の上に2番ホームの表示がみえ、たしかに列車が停まっていて、「9」の文字が車体に。すかさずターンして後ろの車両をめざし、7号車車両に。混んでいた車内で、2つぐらいしか空いてる座席がなかったが、とにかく通路側の空き座席に飛び込む。車内アナウンスが聞こえ、いま乗った電車が無事にサンダーバードであることをそこではじめて確認できた。

 そして間もなく、つぎつぎと新たな乗客がこの自由席車両にやってきて、通路は人であふれる。

 

ウェェェェーーーイ!!!

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 その場にいた乗客からしたら、北陸新幹線のトラブルのせいで出発が遅れて、ただでさえ夜遅い電車なのに、グダグダした感じであっただろう。そこへ血相を変えて40歳の男が息切れ激しくゼーハー言いながら突然走り込んできたのだから(でもおそらく顔は少しニヤニヤしてたとも思う)、せっかくの(平成最後の)ゴールデンウィークの夜に気持ち悪い光景を見せてしまったかと思う。

 

 

 「・・・座れた・・・」

 

Tension

 ともかくこのときの、「一言打ってすぐ送る」を繰り返しているLINEの状況から、私のテンションの高ぶりがうかがえよう。

 旅先での予想外のトラブルを、一転してスリリングなゲームに仕立てることができたのは、すべてはフィオリオ氏のおかげである。しかもこうして久しぶりのブログのネタにもすることができた。さらに言うと、今回のこの記事の下書きは、その金沢からのサンダーバードの車中で、持ち歩いていたポメラで書いた次第である。多くの「座れなかった乗客」を周りに感じる中では、眠ってしまう気にはなれず、何らかの文章を打つことで、自分なりにこの一連の出来事を振り返る時間にしようと思ったわけである。

 

 そして、最近ことに強く思うのは、年齢を重ねるとますます私はミスター・ビーンのような行動様式を是としてしまう感覚が強まってきたことだ。ビーン師匠と呼んでしまいたい。

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2018.04.02

よくわからない『ブロックチェーン』について、それなりに気をつけてチェックしておきたいと思う

 最近はニュースでビットコインの不穏な話が続いているが、今年の正月にWIREDの記事でオンライン百科事典『Everipedia』がブロックチェーン導入で目指すものというのを読んで、本家Wikipediaから派生しようとするあたらしいオンライン百科事典が、「ブロックチェーンの仕組みを取り入れる」といったことが書いてあり、「うわーっ!?」となった。

 なぜかというと、それまでこの手の話にあまり詳しくない私はつい「ブロックチェーン=ビットコインのこと」だと簡単に思って過ごしていたからである。しかしどうやらそれは間違った認識かもしれないということにそこではじめて気づき、すぐ書店に出向いてこのビットコインやブロックチェーンに関する関連書籍を漁り、この本を選んでひとまず基本的なことを知っておこうと思ったのである。

 なぜそこまで焦ったのかというと、「ビットコインと無縁でいたい」と思うぶんには問題はないし自分もそうなのだが、その仕組みを支える「ブロックチェーン」という技術には無縁でいられなくなるという予感をこのWIREDの記事によって強く感じてしまったのである。ウィキペディアなんてものは少なからず自分の生活にもそれなりに日常的に関わっているわけで、それが「ブロックチェーンでやります」なんて言われた日にゃ、私の生活のある部分は、ある意味でブロックチェーンが土台になるのである。


 で、結果としてこの本は多少専門的な部分はあるが、まさに私のように何も分かっていない層にうまく「ことのはじまりから現況まで」を説明してくれる感じで読み通せた。私なりに今の段階で分かることだけ書いていくと、ビットコインを支える仕組みとしての「ブロックチェーン」を強引に言い換えると、「すべての人が参照できて、多方面からの膨大なデータの上書きの際にズレることなく管理される大きな台帳みたいなもの」である。

 そしてここが重要なのだが、このブロックチェーンは、もはやビットコインなどの仮想通貨のやりとりだけでなく、今後はさまざまな分野、つまり医療情報とか社会生活全般におけるありとあらゆる情報処理を取り扱ううえでの土台になる可能性が高い(というか、ほぼ不可避だろう)ということだ。仮想通貨のやりとりなんていうものは、ブロックチェーンのポテンシャルにおいては「単なる氷山の一角」のことらしい・・・(通貨なのでどうしても人の欲望がからむから、ちょっと動きが激しくなるわけで、でも思えばこれまでもハイテク技術を進化させてきたのはいつだって途方もない欲望がドライブしていくときである)。


 そして読みながら私の頭に浮かんできたアイデアは、ブロックチェーンを使うことで、世界中の言語データが収集・蓄積され、さらにAIでの自動学習を加えていくことで、世界中のどこに行っても高精度の同時通訳での交流が低コストで可能になるのではないか、ということだ。具体的な技術的手段はもちろん説明できないが、「おそらくそういうことも可能にさせる仕組みなのだろう」ということは想定できるわけだ。まぁ、私のレベルでそういうことがすぐ思いつくということは、すでに世界のどこかで誰かがすでにその方面で研究を行っているんだろうとは思う。でもこれなどは、ブロックチェーンを使うことによる比較的ポジティブで平和的な利用方法のひとつではないだろうか。ただし(奇しくも英語教育をネタにした前回のフリーペーパー「HOWE」でも示唆したように)、そのせいで外国語教育産業そのものが成り立たなくなると、別の混乱が引き起こされるかもしれない・・・まあ、それだけのインパクトや影響力が、このブロックチェーンなる新技術は秘めていて、そこの可能性や危険性というものをもっとちゃんと見極めていかねばならないようだ。

 ちなみに、ここ数年は仕事の関係でグーグル翻訳を使うことがちょくちょくあるのだが、最近のバージョンアップで、突如として劇的に翻訳能力が賢くなっていて、ちょっと薄気味悪いぐらいである。ただそうした気味悪さをはるかに凌駕していくような存在がきっとブロックチェーンの暗闇から立ち上ってくるんじゃないだろうか、とも思っている。あくまでもすべては予測の領域ではあるが。

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