ノートの端にある日付の記入欄が空白のままであることが無性に好きである、というよくわからない話など
本を読んでいて、思わぬところで、子ども時代からずっと自分のなかに持っていた、なんともいえない恍惚感をともなう、密かな「こだわり」のことを図らずも思い出すこととなった。
それは何かというと、ノートのページの上部にあらかじめ薄く印刷されている、「日付を書く欄」のことなのである。
青白く、限りなく薄いインクで印刷されている「Date / / 」といった、あの部分である。
あの部分が、「何も書かれていないままの状態」であることを、私はとっても好んでいたのである。その状態そのものが、なぜか子どものころから無性に、大好きなのであった。今でも好きだ。
このあいだ『限りある時間の使い方』(オリバー・バークマン著、高橋璃子訳、かんき出版、2022年)を読んでいたら、こんな一節があった。
哲学者のアンリ・ベルクソンが『時間と自由』という本のなかで書いたこととして紹介されていたのだが、我々は優柔不断な状態を好むということで、「われわれが思いのままにする未来が、ひとしくほほえましく、ひとしく実現可能な、さまざまの形のもとに、同時にわれわれに対して現れるからである」
その記述を読んだとき、なぜ子どもの頃から自分はあのノートの端っこにある「DATE / / 」の空疎な印刷がたまらなく好きだったのかについて、決定的な答えが図らずも説明されている気がして、ゾワゾワッとした。
そうなのだ。
私はこの「何も書かれていない日付欄」に、「ひとしくほほえましく、ひとしく実現可能な」さまざまな「未来の一日」を感じていたかったのである。きっと。
なので子どもの時から、このノートの端っこにある「Date」の部分をひたすらボーッと眺めるひとときを、何らかの意志をもって「好んでいた」わけだが、まぁ子どものときってそういう妙なところへの途方もない嗜好って、わりとあったりする。今になってようやく、この本によって「うっ、そういうことか・・・!」となっている。
でもそういう「将来へのありもしない、謎めいた“郷愁”」ともいえそうな、「あったかもしれない未来の人生への、無条件の途方もない憧憬」みたいなものを「優柔不断ぎみにひきずる感覚」は、結局のところオトナになった今でも未だにずっと、どこかで求めている。それがやっかいなところでもある。
(今回のこのネタ、果たして伝わるのかどうか、もはや分からないのだが、気にしないでおく)
ちなみにこの本、ほかにも
「僕たちが気晴らしに屈するのは、自分の有限性に直面するのを避けるためだ」
なんていうことをサラッと言ってて、ものすごくグサグサと刺さる。
それとか「宇宙的無意味療法」というのが本書に出てくるが、これは大昔から私が提唱している「天文学セラピー」(こちらの過去記事)と同じことを言っている。日々の不安や心配事は宇宙から見ればまったくどうでもいいことのように思えてくる、というやつだ。
そんなわけで最近折に触れてページをめくってこの本を再読して、気になったところはメモっている。
話は変わって宇宙といえば、『宇宙する頭脳:物理学者は世界をどう眺めているのか?』(須藤靖・著、朝日新書、2024年)も最近読んだ本ではなかなか楽しかった。著者の若々しい文体と、脚注がやたら面白いという、そういう意味でも印象深い本だったが、ガチガチ文系の私でもぐいぐいと宇宙論にひきこまれていく。
「この宇宙において地球が誕生したという事実は、その後地球で生物が誕生しようとしまいと変わることのない断固たる事実である。仮に生物、そして人類が誕生しなくとも、この地球は実在しているのだ(ただし、それを確認してくれる知性はいない)」
「我々人類が存在するおかげで、この宇宙(さらにはマルチバース?)の実存が確認されている事実は確かだ。その意味において、我々はこの宇宙の実存証明に関して信じがたいほど重要な貢献をしている」
なんていう話は、長年「かゆいなー、でも、かけないなー」と思っていた脳味噌の隅っこを気持ちよくガリガリとかいてくれるような爽快感すらあった。こういう話をもっと子どもの時に授業で聴きたかったし考えたかった。
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それと、もうすっかり10月になってしまったが、8月にひさしぶりに「Harukana Show」のラジオで2回連続で話をさせてもらい・・・
「No. 698, Aug. 9, 2024, 冷茶。Pink Floyd『狂気』発売50周年記念イベントと四角錐 with Tateishi」(こちら)
「No. 699, Aug.16, 2024, KYOTOGRAPHIE 2024でボランティア、アートでつなぐ with Tateishi」(こちら)
ということで、本当に久しぶりにグラフィティの話をしたり、相変わらずなピンク・フロイドへの偏愛を語り、そして今年のマイブームとなった京都国際写真展ボランティアのことを語らせていただいた。
あと以前から注目しているWisely Brothersの曲を選ばせていただいた。イリノイ州のアーバナの街角で、コミュニティラジオで彼女らの音楽が流れたのだと思うと、ほっこりする。
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