1987 Zenit in OSAKA(大阪国際サッカー3姉妹都市大会)

2016年10月 3日

【情報求む】1987年5月の大阪に、サンクトペテルブルグのサッカークラブ、ゼニトがやってきたという話(その2)

前回からのつづき。

今回のパベルさんのメールによって、はじめて私はロシアのサンクトペテルブルグが大阪市の姉妹都市のひとつであることを知った。ネットでみると、このほかの都市には上海、サンフランシスコ、シカゴ、メルボルンがあり、そしてさらにサッカーファン的に気になるのは、サンパウロ、ミラノ、ハンブルグとも姉妹・友好都市関係にあるとのこと。

この「3姉妹都市大会」は、もしかしたらインテルとかACミランやハンブルガーSV(あるいはザンクトパウリか 笑)とかコリンチャンスとかサントスみたいなクラブが呼ばれてもいいぐらいのスペシャルな大会だったかもしれない!・・・なんて夢想してみたり。

いずれにせよ今回は、1987年(昭和62年)5月に開催の「大阪国際サッカー3姉妹都市大会:大阪市長居球技場竣工記念」という大会について調べるわけだが、まず問い合わせたのは、主催者である大阪府サッカー協会である。事情を説明したメールを送ってみると、

---
お問い合わせ頂いた件、開催については覚えているものが2~3おりましたが、資料の保存は事務所の移転も有ってか見当たりません。
折角ですが、ご期待に応えれなく申し訳ございません。
悪しからず、ご了承ください。

----

という返答。まぁ、実際にどこかに資料があったとしても、こういう個別の依頼に応じるのはなかなか難しい向きもあるだろう。


で、実際にたどり着きたいのはパンフレットの現物そのものなのだが、この大会は大阪市の公的行事でもあったと考えられるので、「大阪市立中央図書館」はどうだろうかと、ネットで申し込めるレファレンス・サービスで問い合わせてみた。

そうすると、回答が以下のようにきた。

------

【回答】
当館所蔵の1987年のポスターおよびチラシを確認いたしましたが、あいにくですが、当館ではおたずねの大会のチラシ・パンフレット・ポスターのいずれも所蔵しておりませんでした。
お役に立てず、申し訳ありません。

以下の当館資料には交流試合の日程、参加人数、優勝国が記載されています。
『大阪市の姉妹都市交流(交流史)』 大阪市/[編] 大阪市, 1991.3 <当館書誌ID:0000243642>

p.97 上海市との交流記事内1987年度(昭和62年度)の項に以下の記載がありました。
「大阪国際サッカー3姉妹都市大会の開催 5月22日-5月31日
<編成> 上海市から24名が参加 団長:吉嘉 中華体育総会上海市分会副主席

p.137 レニングラードとの交流記事内、「4.スポーツ交流」の項目に、スポーツ交流経過の表があります。それによると、次のように記載されています。
昭和62年度
種目名:サッカーチーム
期間:5月22日-5月31日
日数:10日間
人員・構成 22名 ゼニット(国内A級)

p.142 には、次の記載があります。
1987年(昭和62)5月22日-31日
レニングラードのサッカーチーム・ゼニットが、長居球技場オープン記念の三姉妹都市サッカー大会に参加、優勝。

また、読売新聞の記事を検索できる商用データベース
「ヨミダス歴史館」で以下の記事の掲載が確認できました。
1987年5月31日 朝刊16面
「記録コーナー」 サッカー大阪国際三姉妹都市大会 決勝 ゼニット(ソ連)1-0ヤンマー

以上、回答とさせていただきます。

----------

こういうのを初めて利用したのだが、大阪市民でもないのに無料で調べてもらって申し訳ないと思うほどに、キチッとした調査結果を得ることができた。パンフレットはなさそうなのだが、ちゃんとデータとしては以上のように残っていることが分かった。

このあと分かることなのだが、上海からのチームは、上海市の選抜チームとのこと。なのでクラブチームではない。
そしてホストの大阪からは、ヤンマーと松下電器、つまり今のセレッソ大阪とガンバ大阪が出場したようである。
ゼニト、当時の表記ではゼニットとなるのだが、この大会でゼニトが優勝を果たしていたわけで、やはりここはプロチームの面目躍如といったところなのだろう。

徐々にこの大会の輪郭が浮かび上がってきた。

次回に続く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月19日

【情報求む】1987年5月の大阪に、サンクトペテルブルグのサッカークラブ、ゼニトがやってきたという話(その1)

 この半年間ほど前から、サッカーファンとしての私の最大の関心事は、EUROでもリオ五輪でもなく、1987年(昭和62年)に開催された「大阪国際サッカー3姉妹都市大会」というひとつの大会のことになってしまった。

 ことの始まりは、3月にとつぜん、私のブログでメルアドをみたという、ロシアのサンクト・ペテルブルグに住むパベルさんという人からメールがきたことである。

 グーグル翻訳で日本語に直したのであろう、たどたどしくも、切実な雰囲気のただようメールだった。

私はFCゼニトレニングラードのサッカープログラムのロシアコレクターです。
私はを探しています1987大阪国際サッカー3姉妹都市大会小冊子
私は多分あなたはどこにでもそれを見てきました、このプログラムの画像を添付しました。
たぶん、あなたはそれを見つけるのを助けることができますか?

とのこと。添付では、非常に小さいサイズの荒い画像なのだが、たしかにそれらしきパンフレットが表示されている。

1987_osaka


なんとか英語でメールを書いて、より詳しい事情を尋ねると、パベルさんは29歳で、ずっとサンクトペテルブルグで生まれ育ち、今もそこに住んでエンジニアをしているそうだ。

メールのなかでグッとくる文章があって、

Football is more then just a game for Peter (maybe you know Peter is slang name of St-Petersburg) it is tradition.

Russian football was born in Petersburg and still is the main part of life of its citizens.

この文で言いたいことは、ストレートに自分に入ってきた。
もう、人生を心底ゼニトのために捧げちゃっている人なのだろう。
もちろんそういう人は私も大好きである。

そして、彼がなぜゼニトの試合プログラムを集めているかを教えてくれた。

それは、パベルさんが13歳のときに亡くなった父親の遺志だという。

彼のお父さんはそれこそ相当なゼニトのサポーターだったようで、おびただしい量のプログラムを過去のものからがんばって収集してきたとのこと。「自分が亡くなってもこれだけは売らないように」と言い残していたとのことで、かなり充実したコレクションであることがうかがえる。

こうしてパベルさんはお父さんの後を継いでプログラムの収集を手がけており、集めたコレクションをいつかまとめてウェブサイトで公開することなどを考えているとのこと。

そうした事情を知ると、同じサッカーファンとしては、できる限りのことをしたいと思う。
プログラムの現物が手に入れられる自信はないが、せめて現物のコピーができたらいいだろうし、その1987年の大会にまつわるあらゆる情報をパベルさんにお伝えできれば・・・と思った。

こうして私にひとつの「研究テーマ」が与えられた、そんな気分でいる。

年齢からいうと、1987年だとパベルさんはちょうどその頃に生まれていることになる。そんな時代状況において、ゼニトは大阪に来ていたのである。

1987年、もちろんJリーグは始まっておらず、そしてこの頃私は小学四年生で、今となってはどうしてそうなったのかよく分からないが、じつはYMCAのサッカー少年団にいて、サッカーをそれなりにプレイしていたという、私の個人史上でも希有な時期を過ごしていた。でも実はそんなに自分がサッカーを好きだったかというと、自信がない(Jリーグがもっと早く始まっていたら・・・と思う)。それよりもファミコンをやることのほうが、やっぱり好きな子どもだった。そのことは今でも私にとって悔やまれる部分である。

そんななか、あの頃大阪で開催されていたのであろうサッカー大会のことを、今の私が追いかけることになった。

そして結論からいうと、まだこの大会のパンフレットの現物を見つけることは、できていない。

そうしているうちに時間だけが過ぎていくので、ひとまずこれまで調べたことを、次回以降このブログに書き残しておこうと思う。

つづく。

Zenitlogo

| | コメント (0) | トラックバック (0)