子どもの教育上良くないガンバ大阪の監督人事
セホーン監督は、そもそも呂比須ワグナーの監督招聘プランがJリーグから不許可になったから、「仕方なく」呼んできた監督なわけだ。
で、公式戦5連敗で監督を解任するのはしょうがないとしても、ヘッドコーチに据えていた呂比須までクビにするっていうのが、筋道としてどうにも腑に落ちない。それだと「西野監督を切ってまで呂比須を監督に」というそもそもの最初のアクション自体の意図は何だったんだと怒り出す人が続出してもしかたない。引き続きヘッドコーチを呂比須に担当させて、そのうえでチームを指揮してくれる監督を再び探す、っていうプランはありえないのか?
プロの世界のこととはいえ、私は常々、こうした「人事をめぐるあれこれ」について、「もうちょっと、子どものファンの目線も意識して行動してほしい」と思っている。
そりゃあ、プロは厳しい。社会も厳しい。それでもなお、プロスポーツの世界においては、次世代への教育的観点をかなぐり捨ててまで、勝ち負けと金の問題に執着するオトナの醜態をさらしまくってほしくないのである。ましてやサッカーなのである。もっともこの世で「教育的可能性を秘めたスポーツ」なのである。
なぜセホーンが解任されたら、呂比須まで一緒に解任されないといけないのか? ヘッドコーチとしての実力が足りなかったからか? ヘッドコーチの力量って5試合の結果で判断されるような要素がどこまで仕事としての範囲内でありえるのか? では、なぜ最初に呂比須を招こうとしたのか? その意図は? その責任は誰が取るべきなのか?
・・・といったことを、私はもし子どもに問われたとしても、今はなんとも答えようがない。
思い描いていた結果にならないと、このような「むちゃくちゃな判断」がまかり通るということを、子どもたちに学習してほしくないわけだ。
粘り強く、筋道を立てて試行錯誤していくような姿勢、それこそがそもそも「サッカー的な打開方法」ではなかったのか。
そう思うと、悔しいけどアーセナルFCのベンゲル監督への信頼感や、それを支えるサポーターの雰囲気といったものが輝いて見えてくる。たとえ目先の結果が伴わなくても、サポーターやフロント陣は、ベンゲルと同じ目線で、自分たちのクラブの若手選手がどんどん育っていく過程や彼らの未来への可能性を一緒に追求してワクワクしているのである。そしてそれこそまさに教育的でもある。
ちなみに、セホーンの後任として松波がヘッドコーチから昇格したことは、一方では興味深い雰囲気を漂わせている。
というのも、現役時代の後期の松波の姿は、後半途中から流れを変えるために投入されることが多い印象があって、まさに今の状況も同じように思えてくるからだ。ガンバ大阪史上有数の劣勢なる展開において、かつてと同じように、静かに寡黙に表舞台へと勝負していく松波の姿に注目だ。
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