フットボールクラッキ「ジュニア世代に求められる日本の育成環境とは!」
最近スカパーで放送されるようになったサッカー番組『フットボールクラッキ』が熱い。
「どうやったら、もっとサッカーをとりまく世界がよくなるか」という問題意識が徹底的に根底にあって、つまりは「容赦ない」。現状の地上波ではおそらく無理なのであるが、せっかくここまで有意義なコンテンツがあるのなら、こういうものこそ地上波でたくさんの人の目に触れて欲しい・・・と今回の「ジュニア世代に求められる日本の育成環境とは!」の回をみてよけいに思う。
今回は、育成年代のサッカーコーチとして最近注目されている池上正さんの指導方法や理念をめぐる内容がメインテーマ。
たまたま最近、池上さんの『サッカーで子どもの力をひきだす オトナのおきて10』という本を読んだのだが、これはサッカーのための本ではなく、正真正銘の「教育」の問題を扱っている本なのだと思えた。自分はいま子育てをしているわけではないのだが、子どもと向き合ううえでの「ちょっとしたこと」のなかに、いろいろな可能性を伸ばしたり、あるいはその可能性を潰えたりさせるものがたくさんあることを痛感させてくれる。サッカーは「たとえ話」に最適なツールなので、教育という枠組みで起こりえる大人と子どもの関係性は、そのままフィールドのうえのボールを通したやりとりに反映させて考えることがしやすい。サッカーの指導法をとおして、ひろく「子どもと大人の双方にとって、『成長』とは何か」ということまで考えさせてくれる本であった。
番組のなかでも、池上さんは「サッカーをうまくなるために、苦しいことに耐えてがんばらないといけない、と思われているけれども、それは絶対にない」と言い切っている。とくに年少児においては、技術よりもまずなにより「サッカーが楽しい」と思ってもらえることが大事なのである。楽しくなければその次につながらない。まずはそこが生命線となる。
そして「絶対に叱らない。褒める」というのも池上さんの重要なスタンスだ。
「ミスや失敗を見つけ、指摘するのは大人にとって一番簡単なこと」といい、そして「何よりミスをした本人がそのことを一番よく分かっているのだから、あえて大人がそこをさらに突いても、本人がヘコむだけ」と。そうではなく「チャレンジして失敗して、そこからいろいろな解決法なり突破口があること」をいかに「自分で考えられるように」指導者が子どもをエンパワメントしていけるか、が大事なのである。つまりは「問題解決への思考力、創造性」の育成にこそ指導者は注力すべきであって、そこをベースにして「さらにサッカーがうまくなりたい」というふうに大きくなっていく子どもにたいしてプレー技術や戦術を身につけさせる・・・というのが理想的ではないか、ということだ。
これって、もはやサッカーだけじゃない。もっとも根本的なところで、目指したい「教育」のあり方であろう。
ジェフ千葉のスタッフとしてオシム監督の薫陶を受けたこともある池上さんは現在、京都サンガの育成スタッフとなっているため、番組のなかでも京都の小学校へ訪問授業に出かけている様子が紹介されていた。そこでは小学生にたいしていきなり「サッカー」をおしつけるのではなく、まずは「コミュニケーション力を向上させる遊び」からはじまり、「仲間をつくり、仲間と協力して動くことの楽しさ」を味わえるようなプログラムで授業を進めていたのが印象的であった。授業のなかでたびたび起こる問題(最初に決めたルールを破る子がでてくるのをどうするか、集合の声を聞き入れてくれない子たちにどうしたらすぐ集合してもらえるようにするか)といったことを子どもたち自身が解決できるように粘り強く働きかけ、そうしてコミュニケーションを深めたうえで、そこでようやくボールをつかってサッカーのプレーを実践していくようにしていて、サッカーが好きでもない子どもでも一緒に楽しめるような内容を工夫していた。
ここで行われていることは、このブログを通して私が考え続けたいテーマそのものと同様、「サッカー」と「人生」とか「社会」とか「人間関係」とかが融合しているステキな営みなのである。もはや池上さんはあの子どもたちにサッカーを単純に教えているわけではないのだ。サッカーは単なる道具として、そこから「自分の頭で考え続けること、創造性を発揮すること、自分で自分を成長させること、失敗を恐れないこと、挑戦する意欲を持つこと」といった、人が社会のなかで生き続けるうえでたくさんの大切なことを共に考え学ぶことを目指している。そのうえでサッカーは、他のスポーツと比べて圧倒的にシンプルであり、道具も少なくて済み、プレイする場所にも制約を受けにくいという利点があるために、教育的ツールとしても(娯楽としても)重要な役割を担っていくと思うわけだ。
いずれにせよこの「教育としてのサッカー」については、何度も書き続けるテーマになるだろう。
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