2つ目の「奇跡の神託」があのスタジアムで現出したということ
今シーズンのプレミアリーグの日程が去年の夏前に発表になったときのことを思い出す。
ちょうどU-23代表の五輪第2次予選を観たあと名古屋に泊まっていて、帰りの朝、ホテルのロビーに置いてあったパソコンでBBCのサイトをみたのである。ちょうど年末にイギリス渡航をぼんやりと考えていたのもあって、めぼしい日程をすぐにその場でノートにメモっては、帰り道で読み返していたりした。毎年、こうして日程が発表されるときはワクワクする。
日程が発表されるとき、だいたいの場合は、ひいきのチームにとっての「ビッグマッチ」がいつになるのかをチェックする。いろいろな計算のもとで日程が考案されるのであろうが、毎週どこかで面白そうなカードが仕組まれる。
今回のプレミアリーグ最終節、のこり4分たらずのロスタイムにおける奇跡的な大逆転優勝を思うと、この日程を組んだ人たちは誰なのか知るよしもないが、「マンチェスターシティ×QPR」というカードを最終節にもってきたこと、この「運命」がこの日の「奇跡」を演出していたのだと思う。
昇格組のQPRは、やはりプレミアリーグでは苦戦が続き、シーズン途中でマーク・ヒューズに監督が交代していたこともまたドラマチックであった。シティを追われたヒューズ監督が、よりによってシティの44年ぶりのトップリーグ制覇の前に立ちはだかるのであった。
そして降格争いをしていたQPRを前に、試合前のスタジアムの雰囲気が、私にはとても「鼻についた」。つまり、サポーターたちはすでに優勝を確信したかのようなノリに思えてきた。まぁ、それも仕方がない。今シーズンもっともアウェイで調子が悪い下位チームであったわけだ。ところが、である。
あとのことは、もはやここで改めて書くこともないと思う。
「ロスタイムで2点を入れて逆転優勝を決める」
という、サッカーで起こしうる限りもっとも劇的なシナリオは、奇しくもシティの最大のライバルが、1999年のカンプノウにおけるチャンピオンズリーグ決勝で起こした奇跡、あれ以来ではないかと思う。
私は、あのカンプノウの試合をテレビで観てはいないのであるが、永遠に語り継がれるであろうあの試合には「サッカーにおける神様からのメッセージ」が含まれていることを信じている。つまり「最後まで決してあきらめてはいけない」という、すべての人類に適用可能な普遍的教訓が、多くの人間が注目しているあの現場において、「神託」のように現出したと思っている。
そして、同じようなことが昨日のシティ・オブ・マンチェスタースタジアムに起こったとすれば、そこで語られうるもうひとつの教訓とは、「決して、相手を見くびってはいけない」ということではないか。
神様はまるで、「次の教訓」を語ったかのように思った。
そう、QPRはとても素晴らしかった。バートンが退場になったあとに2点目を決めたのである。もはや先日の、あのバルセロナ×チェルシーを連想させるとてつもない闘いだった。彼らも点を入れて守りきらないと降格の危機にあったのである。ここがアヤだった。シティはサポーターともども、試合前のあの陽気な雰囲気を遠い過去のことのように忘れるほどに打ちのめされていた。
正直、まったくシティを応援していなかった私ですら、もちろんこの展開は予想外であり、試合中に何度も写されるサポーターの泣きそうな顔たちを見届けているうちに、つくづくサッカーの残酷さと、その反面における秘やかな媚薬のような面白さという、難しい感情を覚えていた。
「相手を甘くみてはいけない」ということは、それはすなわち「サッカーを甘くみてはいけない」ということと同義だったのだ。
シティのサポーターも選手もスタッフも、そしてこの試合を驚きの目で見つめていたすべての人も、痛いほどにそのことを感じたのであろう、十分にその「教訓」を我々が受け止めたあと、神様はきっと、「では最初の教訓のことも思い出してもらおう」となったような気がする、あのロスタイムの4分間のあいだに。
「最後まで決してあきらめないこと」
こうして、あの試合において、私は二つの「教訓」の現出をみた気がする。
そのように記憶できる2011-12シーズンとなった。
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