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2012年7月17日

宮本恒靖引退試合

最初は、行くかどうか迷っていた。

ただ、久しぶりにF氏から連絡があり、ぜひ行きましょうとなったので、このタイミングも何かの縁だと思い、宮本恒靖引退試合に向かう。

結果として、行って良かった。本当に。

宮本の引退試合に際して、古巣のガンバ、最後のクラブとなったヴィッセルはもとより、かつてともに代表で闘ったメンバーも集結し、「ツネフレンズ」として試合を行った。これほどのメンバーが集まったことを、宮本の人柄やリーダーシップとともに忘れないでいたいと思う。

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1試合目の、ツネフレンズ(日本代表)とヴィッセルの試合。いきなり私たちの目の前に現れたのは、宮本・中田浩二・中澤による「フラット3」であった。2002年W杯でありシドニー五輪だったりする。もちろん、故・松田直樹がここにいたら、と思わずにはいられない。いずれにせよ、このディフェンスラインを動かしている宮本の姿をみて、感慨深さのボルテージはいきなりマックスにあがる。

そして当日になるまで「サプライズ」ではあったが、薄々それは誰もが感じていたあの男の登場。

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中田英寿。やー、本当に来て良かった。

もうここであらためて書く必要はないのだろうが、ヒデがいて、俊輔とか稲本とかとパス交換していたりするわけだ。福西は今も現役なんじゃないかっていうぐらいに躍動していたし、前線には鈴木隆行師匠があいかわらずいいオーラだして走っているのである。三浦アツがフリーキックを蹴ったり、最近引退を表明した藤田俊哉も少し出場してくれたり、とにかく、宮本がたどってきた日本代表および五輪代表の歴史が凝縮されて目の前にあったのだ。そういうことだった。

途中でヘディングの競り合いで頭を痛めてピッチの外で横たわる「フリをした」宮本が、メディカルスタッフの仕込んだ「バットマン・マスク」をつけてピッチに戻るなど、これは正直言って予想外の「ネタ」であった。さすが関西人。客大喜び(そしてディフェンス陣も全員バットマンマスクを少しの間だけつけていたりする)。

宮本の息子さんも「追加出場」でピッチにあらわれ、そして普通に上手なドリブルで選手たちをかわしていく姿にどよめく。そして三都主がわざと突き飛ばして(この日の彼はちゃんとヒール役をしっかりこなしていて見事だった)PKを与えて、息子がゴールを決めた。

そのあとも、ヒデと俊輔が宮本の息子とマッチアップするなど、終始ハートフルな展開。

ヴィッセル神戸フレンズやガンバ大阪フレンズとしても宮本がそれぞれ加わって3試合をこなす。それにしてもガンバの苦しい事情を思うと、来日してくれたシジクレイとかは普通に今のガンバに復帰したらいいのに、っていう安定したパフォーマンス(苦笑)。なにより現在のミスター監督が背番号11をつけて、ちゃんとエリを立てて少しだけピッチに立っていたりして、そして家長とか吉原宏太とか大黒や山口智も違和感なくガンバ大阪のためにプレイし、ガンバファンとしても楽しめた試合だったと思う。

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なので、「宮本が主役」でありつつも、「宮本恒靖のいた時代」における日本および関西のサッカー界の歴史みたいなものが、この日のホームズスタジアムで見事に演じられていたような感覚がある。

あぁ、惜しむらくはスタジアムに空席がけっこうあったことだ。とくにゴール裏がスカスカだったのがちょっと残念。もちろん私ですら最初は行くのを迷った試合ではあるが、この空間はあの2002年W杯を忘れたくない人間にとって、なんとも言いようのない感情をもたらしてくれた。感謝したい気分というか、懐かしすぎて泣けそうな気分というか、戻らない時間を悔いる気分だったり。

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最後のあいさつで、宮本恒靖はこう言った。

 サッカーはこの日本でもっと大きな存在になれると思います。そうなっていかないといけないとも思います。毎試合スタジアムが満員になること。親子3世代が手を取り合ってスタジアムに行くことが普通になること。グラウンドがたくさんできて、子どもたちがどこでもサッカーをできるようになること。そしてW杯で日本が優勝する日が来ること。絶対にそんな日が来るのではないかと思ってます。
 
 そのために、皆さんがみんながそれぞれの立場でやれることがあります。選手はいいパフォーマンスをみせて、お客さんに感動を与えないといけないと思います。そして皆さんは皆さんの立場でサッカーの良さ、素晴らしさを周りに伝えていってください。周りの人をスタジアムに連れてきてください。僕は僕でこれから学ぶこと、経験することでサッカー界の発展に貢献していきたいと思います。

おこがましさを承知で書くが、私も、それゆえにサッカーを応援しようとしてきた。なので宮本がこの場でこういうふうに表明をしてくれたことで、ものすごく勇気づけられたのである。それぞれの立場の人々が、勝ったり負けたり泣いたり笑ったり、まさにサッカーのポジションのように、自分のできるプレーで自分なりにサッカーのために貢献していくありかた。「FOOTBALL ACTIVIST」と言い張る自分にとって、宮本は「チームメイト」であり、これからも彼は私たちにとっての永遠のキャプテンでもある。

 

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コメント

詳細に書かれていて、
読んでいるとあの瞬間が戻ってきたような錯覚に陥ります。
恒さんのあの笑顔は忘れられません。
そして、彼が発信したメッセージは
彼でしか言いえないものでありました。
ホントに感動の連続。
空席は嫌な予想が的中しました。
ガンバが低迷してる事、
そしてガンバサポのヴィッセルに対する嫌悪感、
さらに、ガンバがなぜ”主催”しないという事への抗議の姿勢であり、
即ち、この試合は認めないという
強硬なまでの姿勢が表れていたと思います。
言いかえれば、
ガンバを愛し恒さんの事を心から愛しているからなのでしょう。
ガンバサポの方が圧倒的にファンが多いわけですから、
ヴィッセルでやったのは唯一の失敗かもしれません。
あのスタジアムを観てガンバサポが何を感じたかです。
そこから、日本のサッカー界が変わっていくでしょう。

投稿: あるる | 2012年8月 1日 11:41

あるる>コメントをありがとうございます。なるほどガンバファンにとってはそういう事情というか想いがあったかもしれないですね。私はついぞJリーグの特定のクラブを応援しないままズルズルと見続けているクチなので、そういう個々のクラブの視点からみると、なるほどなぁと思わされます。

投稿: HOWE | 2012年8月 1日 20:27

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