2012FIFAクラブワールドカップの記録 その4:決勝戦の日のこと
もはや遠い過去のような気がするが、クラブW杯最終日のことを書く。
新横浜駅ではこの期間中、特設グッズ売り場が展開されていた。
どういうものが売られていたかというと
こんな感じで。記録として挙げておく。何度も言うが、再びこのチームのグッズが新横浜駅なんかで買える日がくるのかどうか・・・
そんなこんなで、
朝イチの新幹線でやってきたF氏と合流する。彼はアーセナルのサポーターではあるが、プレミアリーグファンとしてチェルシーを観たいという。
駅前の様子。この日も朝から無法地帯が形成されつつあった。
アイルランドからきたというオジさんから、私はチェルシーとコリンチャンスの両方のチーム名が入ったパチもんのマフラーを購入する。このテのマフラーを買うことはすでに昨晩から決めていたことだった。この日の試合に勝とうが負けようが、もはや自分にとって忘れたくない試合になるのは分かっていたからだ。
そのほか、駅周辺でも屋台が出ていて、グッズやらソーセージなどが売られていたり。
キックオフまで7時間以上時間があるのだが、すでにコリンチャンスのサポーターはスタジアム周辺のいたるところで集まっていたわけである。
とくに印象的だったのは、
コリンチャンスの大きな旗を掲げて堂々と練り歩く、ガチなサポーターのおばあちゃんに出くわしたことだ。
日本に住んでいる方なのか、あるいはブラジルからはるばる来たのか、そのあたりはまったく分からないし、言葉も通じなかったんだけど、この人にとってこの決勝戦を迎えたことの意味なんかを考えてしまうと、一緒に写真に収まってくださいとお願いせずにはいられなかった。
こうして会場となる横浜国際競技場の様子をうかがうと、
もうすでに黒と白の服を着た人々があちこちでたむろっていた。
(この日の天気がよかったのが幸いだった)
そして、チェルシーの青いユニフォームを着ている日本人がこの階段付近を通ろうとすると、
容赦ないブーイングの嵐に見舞われるのであった(笑)
イングランド人の場合は慣例的に「試合の始まる直前までスタジアム入りはしない」というのがあるので、この時間帯にチェルシーのシャツを着ているのは確実に日本人なのであった。
それに加えて、そもそもこんな真冬のなか、コートを羽織らずにユニフォームを着て歩く若い人を、私はいつも「すげ~」と思って観ているのだが。
中には「お前もコリンチャンスのサポーターになれよ!」と言われんばかりに、無理矢理黒い服を着せられようとするチェルシーのファンがいたり・・・
あと、あえて写真はアップしないが、チェルシーのブラジル代表・オスカルの11番のユニを着た若い男の子が、コリンチャンスの黒い服をきた若い女性につめよられて何らかの言葉を浴びせられているシーンも目撃した(オスカルはブラジル時代サンパウロFCに所属していたから、コリンチャンスにとっては敵以外の何者でもないんだろうな)。
そうやってチェルシーのユニフォーム姿の日本人が次々と罵声を浴びせられるなか、それでも私が感じ入ったのは、「チェルシーのユニフォームを着た女の子」に対しては、とても寛容なムードになっていたことだった・・・・・あれだけさんざん「チェルシー、ファッキュー!」とか言うとったくせに!!(笑)
私やF氏は、いちよチェルシーとコリンチャンスの両方のネームが入ったマフラーを身につけている程度なので、とくに誰かから何かを言われるわけでもなく、ただひたすら、この不思議な状況を楽しんでいた。
本来なら、ここで私もチェルシー!と叫び続けるべきなんだろうけど、間違いなくここは「アウェイ」だった。海外でサッカーを観に来たときのような緊張感であった。
そして何度も叫んでいるフレーズは何なのか知りたかったので、そのへんにいたおじさんにメモ帳を渡して書いてもらった。
この「Timao」が、「チモン=偉大なチーム」というコリンチャンスの愛称であることを後で知った。
あと「ヴァイ・コリンチャンス!」と叫びまくっていて、この「Vai」が「行け!」という意味だそうで。この「ヴァイ・コリンチャ~ンス!」のフレーズが、その後数日間私の耳から離れなくなっていった。
よくみると「にぎやか」とか「ばんざい」とか書いてあって、こういうのはキライじゃない。
彼らに限らずあちこちのコリンチャンスサポーターの間で見受けられた「我々がスロー」っていう、このスローガンが未だに謎。
あと、こういうときに使われるゴシック体の文字はなぜにここまで微笑ましい気分にさせてくれるのか。フォントの使い方ひとつでどうしてここまで笑えるものになるのか。
そして、日本に向けてこういう震災復興祈念メッセージを掲げてくれていた熱いサポーターもいた。"JAPAN WILL NEVER BE THE SAME / GO CORINTHIANS"。ありがとう。
こうして、3位決定戦がそろそろ始まろうかというあたりで、スタジアム前はどんどん人が集まりだし、そしてその多くが黒と白のサポーターだったりして、みなさん口々にヴァイ・コリンチャ~ンスを叫び出したり歌い出したり手を叩いたり。
あと、やたらあちこちで家族的な雰囲気だったり、「よぉ!お前も来たのかっ~!」的なハグがあちこちで見受けられたり、この人たちが報道で「家を売ってやってきた」とか言われていたことが、あながち誇張ではなくて、本気でこの人たちの何人かは仕事を辞めて家や車を売ってきたんだろうなという気分になっていた。
そして階段でずっとこの状況を見守っていたら、気が付けば同行のF氏が売店に向かっていって、マフラーを買い直していた・・・コリンチャンス単体のマフラーに(笑)。
そう、すっかり、我々は、魅了されてしまった。
この空間に。
歌い、飛びはね、叫ぶ、ブラジル人の「陽気な、でも必死の応援」。
そしてひたすら、心のどこかで「チェルシー!」と叫んでいる自分もいて。
で、この場からなかなか去りがたかったのは、いま目の前で広がっている光景を、これからもサッカーファンとして何かを考えたりするうえで絶対に手放してはならないものとして、全身で感じ取って留めておきたかったからだろうと思う。
そうしてコリンチャンスの大勢のサポーターとともに階段にたたずんでいたら、(この旅ではラッキーなことが続くわけで)私のちょうど目の前に、「真打ち」とも言える雰囲気をたたえた、さらにディープでコアな雰囲気のコリンチャンスサポーターの一群が、いくつかの旗とともに近づいてきたのである。
どうしてこの場所に来てくれたのか、よくわからないが、とにかく私の目の前に、彼らは現れた。
私は階段から見下ろすように、彼らの姿がよく見えた。
そして彼らを取り囲む形で、すべてのコリンチャンスサポーターが、ここに意識を向けて、一瞬静まりかえった。
そうして、私はこの動画を撮影することとなった。
この状況のなか、私が思ったことは、
「ウッドストックのライヴ会場にきたお客さんをステージから観たときはこんな感じだったんだろうか」ということだった。
これのこと(笑)。
↓
まさにこういう気分でいた。
と同時に、ここに来たくても来れなかったコリンチャンスの熱狂的なサポーターたちの「祈り」みたいな、もはや「怨念」とでもいうような、そういう迫力に圧倒されてしまっていた。
この「歌」と「祈り」は、止まることなく続いていった。試合前に異様なテンションの高さ・・・。
ここで助かったのは、この状況から抜け出すきっかけとして、チェルシーサポーターのYさんご夫妻と試合前にお会いすべく、電話連絡を取ることができたことだった。
そこでようやく我に返った気分になれた。
やはりコリンチャンスの群衆のせいで、なかなかスタジアムのゲートまでたどり着くのが一苦労だったようで、なんとかYさんとお会いして、そこで今日やっと私は自分がチェルシーサポーターになれたような気がした。
こうしてスタジアムに入り、3位決定戦、アル・アハリ×モンテレイを見届け(試合中からすでにコリンチャンスのサポーターが自分のチームのコールをしていた)、メインスタンドのコリンチャンス寄りのサイドから、決勝戦を見届けた。
ただ、試合の印象というよりも、もはやこの場所を取り囲む無数のコリンチャンスサポーターの熱気と、会場の寒さに、自分の記憶の容量がもっていかれていった気がする。
一瞬のスキをつかれてチェルシーは得点を許し、その後は何度かチャンスを迎えるものの決めきれず、あえなくチェルシーは0-1で負けてしまった。
トヨタカップの時代を含めて、ここまで南米からのサポーターが来たことはなかったと、後日いくつかのメディアで伝えられていた。
その数は約3万人とも言われていて、その数字が正しいのであれば、ちょうどこのスタジアムの半分近くがコリンチャンスサポーターだったことになる。
それはもはや中立地での開催ではなく、この日はどうしたって「コリンチャンスのホーム」状態であった。
たまらず私は、何度か一人で「カモン・チェルシー!!」のコールを発してみた、が、周囲にいたはずのチェルシーのユニフォーム姿の人びとが乗ってくれるわけでもなく、むなしく響くだけであった。
そして遠くのゴール裏にいるはずのチェルシーサポーターの集合体も、この席からはあまり確認ができなかった。当然彼らのコールも聞こえなかった。
私は、サッカーを生で観ていて、あまり今まで感じたことのなかった気分を味わっていた。それはつまり「心細さ」ということだった。あぁ、ようやく自分にとって、これが正真正銘の「アウェイ体験」なんだな、と思った。そして、チェルシーが点を奪い返すためには時間が必要であるはずなのに、この心細さゆえに「早くこの試合が終わってほしい」という、矛盾した気持ちすら沸き起こってくることもあった。そういう、妙な気分になっていた。
そうしていたら、試合終了間際のトーレスのゴーーール!! 「っっっっ!!!!!!!!!!」 となったのもつかの間、まさかのオフサイド判定で、この日最も高ぶった状態だったはずだが、もはや記憶にあまりない。
こうしてタイムアップを迎え、舞台はフィナーレへ。
ダヴィド・ルイスが座り込んでいた姿を見届ける。F氏も私も、この日のチェルシーでもっとも熱のこもったプレーぶりだったのはダヴィド・ルイスだと意見が一致した。
コリンチャンスのテーマ曲が何度もループで流れていた。
試合中も得点が決まったあとにゴール裏では発煙筒がたかれていて、スタジアムの外もこんな感じになっていた。
長いようで短い一日が終わっていく。
新横浜で宿を取っていたので、我々はその後、駅周辺をウロウロして、中華料理店で遅い夕食を取った。そこにももちろんコリンチャンスのサポーターたちがいて、私はそのときはもう敗戦をしっかり受け止めていたので、笑顔で「ヴァイ・コリンチャンス!」と声をかけたりもした。
でも、それでもやはり悔しい気分でもあったので、「うううーー」となりながらパクパク食べた美味しいチャーハンのことをこれからも忘れないだろうと思う。そして今後もチャーハンを食べるたびに、私はこの夜のことを思い出すのかもしれない。
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