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2012年12月19日

2012FIFAクラブワールドカップの記録 その1:青かった富士山と、青いチームのもとに集う不思議な巡り合わせとか。

あらためてクラブW杯のことを綴っていく。

午後から休みをいただき、京都駅へ。
じつはこの時点で、先日名古屋で試合を終えたばかりのコリンチャンスのサポーターの姿が京都駅構内でちらほら見受けられ、おそらくついでに京都観光にも来たのであろう。あぁ、本当にブラジルから大挙して押し寄せてきたんだなぁと実感。もちろん在日ブラジル人の方々も多いのだろうけど、どちらにせよあちこちで白黒のサッカー的ウェアを着込んでいる人に駅構内で出会えて、その時点でテンションが高まってきたのである。

そして、
新幹線からみえた富士山の青さに、幸先の良さを感じたのである。まさにクラブW杯の公式ロゴマークに描かれているような富士山そのものではないか! と。

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雲ひとつ無い天候のときに、この時間帯にこうして新幹線に乗れていることに感謝した。
そう思うとのっけからラッキーな旅だったのである。

そして新横浜駅につくと、

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なんだか無法地帯みたいになっていて。

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こんな感じで、バッタもんのタオルマフラー等が売られていたわけである。
基本的に、こういうところで売られているタオルマフラーは、オフィシャルグッズではカバーしきれない多様性だったり意味合いを帯びて作られていて、これはひとつのフットボール文化の一側面として私は重要だと思っている。たとえばこの写真でいえば一番下、本日の試合である「チェルシー×モンテレイ」の試合を記念して作られた、両チームのエンブレムがあしらわれたマフラーがあるわけで、こういうのはバッタもんならではの世界だと思う。

こうしてスタジアムへ。

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周辺ではいろいろとスポンサーのブースなどでイベントが実施されていた。
この日は開門直後にさっさと中に入ってしまい、そして再入場できなかったのでかなりヒマになってしまった。
でもそのおかげで、このスタジアムから夕日に映える富士山が見えることを初めて知った。なのでしばらく富士山を眺めて突っ立っていたりした。

こうして準決勝、チェルシー×モンテレイにのぞんだ。
この日の座席はゴール裏。かなり前の列。

私は今回、バナーを作ってきて、表面は業者に発注した「布ポスター」で、チェルシーのレジェンドであるデニス・ワイズ師匠の叫んだ顔写真とともに「C'mon Lads !(オマエらがんばれよ!!)」のメッセージが入っている。そして裏面は、時間がなかったので、強引に手書きで書いたメッセージを貼り付けた・・・あの夏のU-20女子W杯で「盛り上げ隊」のみなさんが作った横断幕の「世界のみんな、震災復興支援ありがとう。日本は希望とともに前進しています」の言葉を自分なりにアレンジした英文メッセージである(今回のクラブW杯が当初、東北地方での開催も検討されていたことを忘れてはならない)。そんなわけで試合前に(周囲に気をつかいつつ)バナーを掲げていたら、カメラマンが何人かこちらを撮ってくれていたり、そしてテレビのクレーンカメラもちょこちょこ動いていて、しばらく自分の目の前でジーッと止まってくれていたりしたので、バナーを上げることに張り合いができてよかった。

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前回の記事でも書いたが、今年の元旦にチェルシーのスタジアムツアーに参加した際に知り合ったYさんご夫妻が、ものすごく自分と近い席をおさえていたことが直前に分かって、なんだかすごい縁を感じた次第である。

5月にチェルシーがチャンピオンズリーグで優勝したおかげで12月の日本に来てくれたわけで、そうじゃないとお互いこの場所にはいなかったわけで(しかも去年、今年と2年連続で日本開催となり、次回はモロッコ開催となるわけだから、本当に今回はあらゆる意味で奇跡の連続なのである)。

しかもしかも、Yさんについてさらに言えば、実は私の職場のとある方と、以前一緒にお仕事をしていたことがあるという(笑) この偶然というか奇跡というか、世界の狭さというものにクラクラする。

そういういろんな「奇跡」をかみしめながら、我らがチェルシーFCがスタジアムに登場し、そこから先のことはあまり覚えていない。

私のとなりに座ったお姉さんがとてもチェルシーのことが好きで、そして中央に陣取る外国人サポーターたちが織りなす本場のチャントの合唱にも積極的に呼応していこうとしていて、そのことに私はかなり救われていた。とかく私は自分がバナーをひとりで掲げていることに当初恥ずかしさを感じていただけに、この方の存在があったおかげでゴール裏がさらに楽しめたのであった。考えてみたら、私はチェルシーの試合をいつもバックスタンドで観ていたので、こういうゴール裏でチェルシーのために声をあげるというのは初めてだった。そして私がゴール裏からコールして応援できる「資格」のあるクラブはいまのところチェルシーだけなので、つまりのところ、これは「初めてのゴール裏サポーター感覚」だった。

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で、おそらくオーストラリアから来たお兄さんたちが、カンガルーの人形を掲げたり投げたりしていた。テレビでは映らなかっただろうが、こんな調子で常にゴール裏はネタに満ちていた。

印象的だったのは、立ったままの観戦は禁じられていたようで、「カンガルー周辺」の彼らが警備員に注意されると、すかさず、イングランドのサッカー場ではどこでもよく聞かれるチャント、「このクラブを愛しているなら、立ち上がれ!」を発し、それをされたら我々も立ち上がらないといけないわけで、「警備員に立つなと禁じられたら、ゴール裏にいる全員の客を立たせればいい」という、この逆転の発想に感心した(笑)。

そしてこの大会前に突然解任されてしまった前監督のロベルト・ディマッテオのことを讃えるべく(ていうか新監督のベニテスが徹底的に嫌われているため)、最近のリーグ戦ではディマッテオがチェルシー時代につけていた背番号に由来して、前半16分で一斉にサポーターが立ち上がって拍手なりチャントなりを行っているわけで、この日も例に漏れずそのような状況になり、ゴール裏では我々も立ち上がって拍手とかをしていた。するとちょうどそのときに先制ゴールが決まって、叫んだ。

そんなわけで後半も開始早々に2点を加え、試合は(わりと)チェルシーの圧勝、でも終了直前に1点を失って終わってしまい、中途半端な締めくくり。でもこのときは、無事に決勝でコリンチャンスと試合ができることに安堵感を覚えていた。

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そうしたら、私の立ち上げた「チェルシーファン向けクラブW杯日本滞在情報提供サイト」を通じて何度かメールのやりとりをしていたインドネシアのサポーター、Dさんが私のバナーをちゃんと分かってくれていて、試合後に駆けつけてくれた。感動。
ちなみにDさんが持っている「世界制覇」のプリントは、私が自分で作ってサイトからダウンロードできるもので、Yさんのお連れ合いさんがちゃんとプリントアウトして現地に持ってきていただいていたもの(実は私は自分でこれらのネタを作っておきながら、バタバタしていて持参するのを忘れていた)。

いろんな巡り合わせで、こうしてひとつのサッカークラブのもとで様々な人々と出会うことができ、うまく言い表せない不思議な感覚があって、それはいまでも続いている。

次回につづく。

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