サッカー文化と「政治的なるもの」とのマッチアップのなかで生きること:『アナキストサッカーマニュアル』を読んで
『アナキストサッカーマニュアル:スタジアムに歓声を、革命にサッカーを』
ガブリエル・クーン著、甘糟智子・訳、レイジ・フットボール・コレクティブ・協力 現代企画室・刊
この数週間、この本について何をどう説明して書こうかと、あれこれと思索してみたのだが、タイトルに「マニュアル」とあって、それはつまり網羅的な情報を伝えていこうという意図のもとで書かれた本ゆえに、全体的にこれだ、という説明が難しいことを感じている。
この本はまさに文字通りの「アクティビスト」、つまり政治・社会運動の文脈において考察されていくサッカー本である。このブログで私が「フットボール・アクティビスト」と名乗ってはいるものの、このような本の前においては、まったくアクティビストのアの字にも至っていないわけだが・・・。
それでもなお、まずはこの本の内容について、自分なりのコトバで一文でまとめてみると、
「タイトルに『アナキスト』って書いてあるが、実際にはこの本の著者は、左サイドに張り付いてプレーをするのではなく、できるだけ中盤の真ん中にポジションをとり、巧みなプレーで『政治とサッカー』をめぐる世界中の多彩な出来事をパス出ししてくれる好著である」
ということだ。決してこれは、左派政治運動の極端な人による極端な物言いで埋め尽くされている本ではない(と、少なくとも私はそう受け止めている)。
サッカーのボランチのように、非常にバランスを意識したポジショニングで、著者が誠実に、「サッカーと政治」を語ろうとしている努力が伝わってきて、いままで読んだサッカー本のなかでも際だって特別な位置を占めそうな予感がある。
つまりは、「パスの受け手(読者)」である我々の読み方にかかってくる。
それゆえ、「フットボール的」な書籍であった。
この本を日本語で読めるようにしてくれたことに最大限の感謝を示したい。
で、
正直なところ、私はこの本を読んで、どうしていいかわからないぐらい「ヤバい、ヤバいぞ」という気分でいる。
その「ヤバい」という感覚は何かというと、「知らないこと、考えが至っていないことが、まだまだたくさんありすぎる」ことへの焦燥感だ。そこを刺激してくれる本なのである。
「反人種差別ワールドカップ」、「オルタナティブ・ワールドカップ」、「金の警棒賞(最も暴力的な警備を行うクラブに与えられる)」のこととか、あとサッカー文化におけるセクシャル・マイノリティの運動がこれほど活発になっていることとか、今までまったく知らなかったことがたくさん紹介されている。
さらにいうと、伝統的な政治的議論だと、「サッカーは大衆のためのアヘンであり、政治意識を失わせるので害のあるスポーツだ」と言われてきたことが、そういう方向ではなく、「異なる立場の人びとを結びつけ、連帯させるエネルギーを有する、世界で最も愛されているツール」のようにサッカーを捉えて、その可能性や面白さをいかに活用していくかということに向かっていくのであれば、ラディカルな政治意識をもったまま、サッカーを応援することに矛盾を感じなくて済むわけで、そしてそういうバランス感覚でなされている実践がすでに世界のあちこちで試みられていて、それは(個人的にも)重要な示唆に富んだヒントをもたらしてくれる。
「サッカーを『大衆のアヘン』や資本家たちの楽園でしかないとみなしたり、ナショナリズムや派閥心を育む反動的な温床だとみなすのは短絡的だ。サッカーには、直接民主主義や連帯、それから忘れてはならないのは、楽しさといったことに基づくコミュニティの形成と確立を促進する価値観が生来的に備わっている」(p.322)
「理想的な状況下であれば、サッカーは個人の自由と社会的責任の結合を体験する、そして実験する、完全な環境である。その上、社会と同様、チームが成功するためには異なるスキルを持った人間が協力し合わなければならない。マラドーナばかりが10人いてもW杯で優勝はできないだろう。マラドーナが輝くためには、彼が出来ないたくさんの仕事を他のチームメートがやらなければならない。堅固なディフェンスラインを敷き、ルーズボールを追い、相手をタックルし、頭で競り勝ち(『神の手』は使わずに)といった具合だ。『名もない』チームがスター満載のチームを倒してきた例がサッカーの歴史に多いのは、選手たちが自分たちの能力を、チームとして最大限発揮したからだ。サッカーは個人の才能を、社会的に最も有益となる形で結集させることを人びとに教えてくれる」(p.326)
というわけで、今後もできるかぎり再読して、気合いを入れてこの本に書かれている情報を自分でもフォローしていきたい。もし可能であれば、この本をもとに、そう、まさにこの本とピッチ上でパス交換をするがごとく、自分なりにZine冊子のようなかたちで、この本から得られたものを別の形にして自分なりに表現・発信していけたらいいなと考えているし、そしてまたこの本の帯に書かれている言葉を借りれば「ラジカル・フットボーリズム」とはそういう態度こそが求められていると思う。そうさせるだけのエネルギーと、好奇心の高揚と、ちょっとした勇気をもたらしてくれたこの本に、そしてサッカーそのものにも、感謝したくなる。
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