« ネガティヴな意味で興味深い試合だった | トップページ | のぞみ7号に乗ってのぞみ7番を応援してきた »

2013年6月 7日

DJポリスの出現は「ロックフェス的封鎖」というコンセプトを支えていくのか

近いうちに、サッカーファンが「DJポリス」の横断幕とかTシャツとか作りそうな予感がするな・・・。

今日になって「『DJポリス』に警視総監賞授与へ W杯出場決定後の渋谷でユーモア誘導 負傷者、逮捕者ゼロを評価」というニュースもでてきたわけで、思わぬカタチで今回のW杯出場決定にまたひとつ印象的なトピックスが増えた。

ネット上ではいたって冷静に、今回の騒動についての否定的な見解も多く見受けられていて、渋谷で騒ぐ人びとについて「結局は警察の仕事を増やしていることになる」とか、「テレビ局が煽るからよけいに人が渋谷に集まってくる」とか、そして今回のようなDJポリスが登場したことにより、次回以降同じようなシチュエーションが想定されるときは、今回以上に「自分も行ってみよう」っていう人でさらにごった返すことも考えられる。つまりこれから先、もっとこの対応策は難しい状況に追い込まれる可能性が高い。

あと私が気になるのは、DJポリスの見事な誘導による「美談」のかげで、「そもそも、渋谷のスクランブル交差点を封鎖したことは本当によかったのか?」という点が忘れられてしまった気がして、メディアはもっと冷静に論じてほしい気もする。現場にいたわけじゃないので何も分からないのだが、この対処法で本当にトラブルはなかったんだろうか、と思わずにはいられないし、どうせ封鎖できる領域から常にファンははみ出していくであろう(なぜなら、それがサッカー的な動きでもあるから)。

そこで想像できるのは、これはひょっとしたら「ロックフェスと同じ状況」を創り出しているかもしれないということだ。
つまり、ステージのすぐ近く、ひたすら踊って暴れて声を出したいオーディエンスのところが「DJポリス」のいる封鎖ゾーンになり、友人と飲みながらステージを遠目に眺める層が、封鎖ゾーンをすり抜けたところでワイワイ騒ぐサポーターに対応するわけで、そういうロックフェス的棲み分けが今回実験的に行われた、ということになるのかもしれない。や、わかんないけれど。

いずれにせよ、今回の出来事が、今後の日本の公共空間においてサッカーファンが騒ぎ立てるときに常に参照されるべきエポックメイキング的な先行事例として語られていくのは間違いないだろう。ここから、お互いにとってより良い道筋を模索していければと思う。どうしたって「サッカーファンは粗暴だ」というイメージが先行していけばいくほど、いまあちこちの地方で行われているサッカースタジアムの建設推進運動に暗い影を落としていくわけで。そういう影響も常に忘れてしまいたくない。

あと今回のDJポリス騒動で個人的にグッときたのは、「サッカーを比喩的に表現し、そのプレゼンテーションが多くの人に伝わって、何らかのアクションを導いた」という点である。逸脱行動への衝動や社会規範や群集心理や理性のはざまにあって、サッカー的比喩とユーモア精神がギリギリのところでせめぎあっていたことも印象的だった。

|

« ネガティヴな意味で興味深い試合だった | トップページ | のぞみ7号に乗ってのぞみ7番を応援してきた »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: DJポリスの出現は「ロックフェス的封鎖」というコンセプトを支えていくのか:

« ネガティヴな意味で興味深い試合だった | トップページ | のぞみ7号に乗ってのぞみ7番を応援してきた »