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2013年6月23日

代表チームのアイデンティティ

メキシコ戦のあと、ザック監督は記者会見で、おおきくスタメンを変えずに試合に臨んだことについて「チームのアイデンティティを壊したくなかっ た」という旨の返答をしたとのこと。やはりザックはクラブチームの監督のパースペクティブで代表チームをみているのかな、と感じてしまう。実際ザックにとって日本代表がはじめてのナショナルチームでの指揮となるわけで、そのあたりはかなり大きいポイントかと思う。

チームのアイデンティティというのは、クラブチームでこそ監督の色がすぐに反映されるのかもしれないが、日常的に試合ができないナショナルチームになると、その根幹の思想は歴史と時間によってのみ生成されていくと思うのだ。

たとえばオランダ代表の4-3-3システムは育成年代から一貫して採用するなど、かなりあのフォーメーションの伝統を大切にしてきたり、ドイツ代表の不屈の闘志とか、アイルランド代表のあの感動的なまでのロングボール一辺倒からのワンチャンスにかける泥臭さとか、そういうものは一人の監督によって築かれるものではないと思えるのだ。

なのでメキシコとの3戦目はまったくスタメンを入れかえて臨んでほしかった。せっかく呼んだ選手を、完全なる消化試合で使わないのならいつ使うのやら。そういう意味で今のところザック采配については疑問が残りまくる。

と同時に、監督の国籍がW杯予選をひかえるたびにコロコロ変わって、やたら厳格なルールを求められたり、急に自由ばかりが与えられたりなど、一貫性のない方向性でもって日本代表が右往左往されてしまう状況を作っている協会にも疑問が生じてくるわけで。頼むよ原さん。

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コンフェデ杯にあわせて起こったブラジルの大規模デモについて、ロイターのサイトで21日に公開されていた「焦点:『南米の春』遠いブラジル、アラブと異なるデモの本質」は分かりやすい記事だった。ただしその翌日ぐらいからデモ参加者が100万人とかの報道になったので、記事が書かれたころとはまた違った局面になっているのかもしれないが。

いずれにせよ、来年のW杯のときにも同様のことは行われるかもしれないし、その次に開催される(おなじBRICsでもある)ロシアのW杯だったりも、今回のことからいろいろと波及していく動きがあるかもしれない。

この記事でも述べられているように、「今まではサッカーで不満が解消されていたのに、新しい世代の新しい形のデモだ」というのは、ブラジルから発信されたという意味ではとても重要なことのように思う。

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そんななか、日本のスポーツメディアが当然ながら報道しないU-20ワールドカップ、トルコにて先週からひっそり開幕。日本が出場権を逃したこの大会は、次のリオ五輪世代にとっての登竜門であり、あぁなんでこの大会に出られなかったのか日本よ、とあらためてネットで結果をみながら残念に思う。

韓国はポルトガル・ナイジェリア・キューバ、オーストラリアはトルコ・コロンビア・エルサルバドル、そしてイラクはイングランド・チリ・エジプトと同組。やー、楽しそうでうらやましい。

このU-20世代は、セレッソの南野や、広島の野津田とか神戸の岩波とかJリーグでも試合に出るようになって面白い存在が揃ってきつつあるだけに・・・。京都の久保だって、本来なら今頃トルコでこの大会に出ていたのかもしれず、その悔しさにより私は思わず先日西京極にいって彼のホームラストゲームを見届けてきたぐらいだ(なんでこのタイミングでスイスリーグに移籍するのか、J1リーグ目指したほうがよっぽどいいんじゃないか、とはやっぱり思うのだが)。

なので、コンフェデでA代表が3連敗したことよりも、それ以上にこの世代が国際大会の経験を積めないままでいることのほうが悔しくて心配。

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