藤田のぞみというサッカー選手がいたことを忘れない
本日、藤田のぞみの早すぎる引退表明が発表された(こちら)。
クラブから正式なリリースのないまま2年間ちかく長期離脱していた選手にたいして、ファンの多くはすでにある程度の覚悟をしていたかと思う。しかし自分としてはやはり、ただただ今は残念であり、簡単に「おつかれさま」と言えるほどの気持ちにはなれない。まだまだ藤田のぞみには辿り着いてほしかった世界があって、着てほしいユニフォームもあり、そして、我々に見せて欲しいプレーがたくさんあったのである。
外出先でみたツイッターで一報を知り、京都の街を歩きながら、そこで思い出されたのが、かつて藤田のぞみがインタビューで将来の目標を尋ねられたときのことだ。彼女は、
「悔いのないサッカー人生を送ること」
と述べたのだが、この答えがなぜかずっと印象に残っていた。
今回の発表を受けて、あのとき感じた印象がよみがえり、そこで思い至ったのは、きっと藤田のぞみはそのキャリアの初期のうちから、自らの身体が直面するであろうある種の限界点みたいなものを、すでに予感しえていたのではないかということである。
それは単なる推測にすぎないとしても、そうして「限界」に向かう怖れを抱えながらも、手を抜かず全力で鍛錬に励み続けてきたサッカー選手としての藤田のぞみがいたことを、ずっと忘れないでいたい。
そして彼女にとっての新しい人生が、それもまた、悔いのないものになるように、ただひたすらそのことを祈りたい。「サッカーとしての人生」は、終わらない。
ありがとうございました。
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