『フットボール批評』24号が面白かったよ
5月に出た『フットボール批評』の第24号が『批評』らしくていい記事が多かった。
年四回発行の季刊雑誌とはいえ、私がブログ記事の執筆をさぼっていたらもうそろそろ新しい号がでて書店で買いにくくなってしまうようなタイミングになりかかっているが、ともかく以下に興味深かった記事を列挙してみる。
・「自営業者『Jリーガー』は第二の人生に夢を見るか?」
社会保障制度を専門とする法学者による、Jリーガーの引退後の社会保障についての極めて分かりやすい現状分析と課題の提示。一般的にサッカー選手として成功して長期間活躍したような有名選手であれば、引退後も安泰かと安直に思っていたが、社会補償制度の視点から見ると必ずしもバラ色の老後ではないかもしれないという指摘には少なからず新鮮な衝撃を受ける。こうした現行の環境下における選手会の存在意義などもあらためて考えさせられたり。「サッカー選手の引退後に思いをめぐらせることは、私たち自身の働き方や社会のあり方を考え直す営みにもつながっています。そのような営みはまた、サッカー選手への理解と共感を深め、その価値と魅力を高めることにつながり得るのではないでしょうか」というこの一文は、まさに『批評』という雑誌の存在意義にも十分リンクすると思う。
・「ミキッチ 燃えさかる魂」
この雑誌のために語られたとても長いインタビューのなかで正式に「引退宣言」をするという、異色の記事。それなりに彼の過去の所属クラブを理解していたつもりだったが、カズがディナモ・ザグレブに移籍したときに実はミキッチがポジション争いのライバルだったことはこれを読んで初めて知った次第である。こうして彼の歩みをあらためて見せられると、ストイコビッチもそうだが、欧州の強豪クラブで活躍していたであろう才能あふれるプレーヤーがひょんなことでJリーグでプレーすることになり、そこから日本という国に人生を捧げるほどの愛情を感じてコミットし続けてくれたサッカー選手を、どうしてこの国のサッカー協会とかJリーグはもっと「有効活用」できないのだろうかと思わずにはいられない。
・「スポーツ文化異論第8回:欧州に移籍した選手がどこに住んでいるのか問題」(by 武田砂鉄)
これはもう、タイトルだけで勝負ありの好記事。前号も川口能活の知られざるポーツマス時代の記事があったが、これはその続編としても読めてしまう。デンマーク時代の川口の、これまた「そうだったの!?」となる意外なエピソードをジワジワとくすぐってくるコラム。
・「10年ぶりの『ほら吹き』:大分トリニータ元社長 溝畑宏が語る『私の失敗』とJリーグへの思い」(by 木村元彦)
今シーズンのトリニータの躍進を思うと、今まさにこの人の発言を拾ってくる姿勢は、それが「流行りもの」を追いかけるのではなく、「あえて昔の傷跡(?)を振り返る」ということであり、それはやはり『批評』たるゆえんであろう。かつてこの社長について本を書いた著者だからこそ迫れる、「そのあと」を語るインタビュー。かつてセリエBのクラブを買収しようとして、現在ベルギーでシントトロイデンを買収したDMM社がやろうとしていることを数年先に構想していた話なども、なかなかスリリング。
・「名手は本当に両足を使うのか? 現場視点による利き足問題の再検証」
『批評』でたびたび提示される「利き足問題」。果たして子供時代から両足で蹴れるように訓練するのは本当に良いことなのかという、これはもっと多様なフィールドで議論されてほしいと思えるテーマで興味深い。今回の記事で挙げられた金田喜稔氏のいう「70年代の日本で、ペレをお手本に据えたことで、両足を使うことが重視されるようになったのでは」という仮説は重要な指摘かもしれない。
・「KFG蹴球“誌上”革命論」 これはもう、毎号最後のあたりで「お楽しみ」のように期待しながら読めるコーナー、いつもいつも深く唸らせてもらう。今回はクラブライセンス制度ありきでスタジアムを(背伸びして)建設することが地域において本当にいいのかどうか、などなど。いっそのことJ-SPORTSの『FOOT!』あたりはこの人たちをレギュラー出演者にしてほしいぐらいである。
私にとっての「『フットボール批評』らしさ」というのは、「いま、とくに考えなくてもよかったことにあえて思い至らしてくれること」と言えようか。流行りのテーマだけではなく、サッカーをめぐるさまざまな事象を、ちょっと角度を変えて考えさせてくれるような、そういう記事を今後も読んでみたい。
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