#ファンの責任マラソン があるので #ファンの責任労働 というのもアリではないだろうか
今年の4月ごろ、あるサガン鳥栖のサポーターが、低迷するチーム状況にたいする自虐ネタ(?)として、Twitter上で「#ファンの責任マラソン」というハッシュタグを投じた。
おそらくそのサポーターも普段はランニングを趣味にしておられるのであろう。いわゆる部活動における「罰走」のようなノリで、愛するクラブが試合に負けたことの「責任」を取って自分が走る(走らされる)という状況を「ファンの責任」として位置づけたわけである。
やがてこのハッシュタグは、「Jリーグ×ランニング」の趣味を持つ多くの「Jサポランナー/Jユニランナー」の人々の琴線に触れ、じわじわと共有されるようになっていった(ように思う)。
もちろん、彼らの多くはもともと普段から自主的に走っているであろう人たちであるが、そうした日々のランニングのなかで、「応援しているチームが負けたときは、責任をとって“罰走”する」という、自虐的なファンタジーをある種のネタとして楽しむことができるわけだ。
このハッシュタグを追っていると、ほかにも「この機会に自分も走ってみようかな」というサポーターのつぶやきだったり、「全国のJサポランナーさんたちとつながれるような気がして楽しい」というコメントが見受けられたりもする。ちょっとした自虐ネタでつながる悲喜こもごもな日々。ふがいないチーム状況を憂う状況から転じて視点をちょっと変えてみると、サッカーファンとしてほんの少し日々の生活を楽しめるコツが、こうして新たに生まれていくのである。
そこで私は思うのだが、この「罰走」としてのマラソンを「労働」に置き換えてみても面白いのではないだろうか。つまり「チームが負けた責任の一部を負ってサポーターが労働に励む」というニュアンスで捉える「#ファンの責任労働」である。まぁ、チームが勝とうが負けようが、日々の労働をがんばるのは社会人として本来当然のこととはいえ、そんなに簡単に毎日がんばることなんてできない。だからこそ、そこの「がんばり」を、愛するクラブの成績にリンクさせてしまえば、苦しい労役のなかでも少しは笑顔になれるエネルギーが得られるのではないだろうか。「このあいだの試合、負けやがってー!」と、苦笑いをかみしめつつ。
「・・・言われなくても、しょっちゅうやってるわ!」っていうツッコミもあちこちから飛んできそうだが(笑)
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