先日ブログで「過去のJリーグの試合を配信してほしい」と書いたが、DAZNでまさにそういうコンテンツが配信された。ヴェルディ×レッズの93年ニコスシリーズの優勝決定試合、解説は北澤豪。ハットトリックを決めたカズに早い段階で北澤が抱きついていったシーンを観て「カズダンスをさせるタイミングを逃してしまった」と反省していたのが微笑ましい。改めて当時を振り返ると、背番号は選手固定じゃなくて、この試合で出場停止だったラモス瑠偉にかわって菊原志郎が10番をつけていて、そのせいもあってか「元祖・天才的なオーラ」を放っていたりするのが興味深かったり。DAZNそのものは単なる配信プラットフォームで、実際の番組は外部製作会社などがあれこれ関係しているのだろうから、番組の最後にいちいちスタッフロールがでてこない。だから誰に感謝して誰をホメたらいいのか分からないが、とにかく今後もこういう展開を期待している。
NHKーBSでも93年のJリーグ開幕ゲームを先日の日曜日に改めて放送していた。ずいぶん何度も目にした映像として、マイヤーの第1号ゴールの印象が強すぎるせいか、そのあとの試合展開はあまり記憶になく、あらためて今回観ているとマリノスのエバートンによる同点弾の第2号ゴールに感じ入るものがあった。これは木村和司のコーナーキックのチャンスからで、ここで木村はふと相手の間合いを崩すようなショートコーナーでボールをナナメに蹴り出して、それを受けたエバートンがまさにマイヤーのゴールと似たような場所から似たようなシュートを決めた。あの試合のテンションを考えると、自分の最大の武器であるはずのプレースキックのチャンスの際に、状況を見てすかさずショートコーナーを選択できてしまう木村和司の凄みを改めて思い知ったわけである(2年前のW杯は、まさに最後の最後でそこの選択をミスって日本代表はベルギーに負けたわけで)。
こうしてコロナウイルスの関係で自宅で過ごす時間が長くなると、過去に録りためていたテレビ番組を振り返ることも多くなる。先日は、昨年末に関西ローカル局であるMBSで放送されたガンバ大阪応援番組の特別版、400時間におよぶロッカールームの撮影映像をもとにしたドキュメンタリー番組を観た(その後、この素材をもとにしたDVD商品が制作されている)。
宮本監督体制で闘った19年シーズンの、そのロッカールームをホーム・アウェイ問わずすべてひたすら定点観測するべくスタッフがカメラを取り付けるところから始まるのだが、見終わったあとはこの「ロッカールームにカメラを置くこと」の是非をおおいに考えさせられたのである。
よりによってこのシーズンはガンバにとって難しい試合が続いてしまい、おのずとドキュメンタリーの視聴者の側もハラハラしてしまう展開になっていく。静かに落ち込む試合後のロッカーの様子、叱責してなんとか次につなげようと声を枯らす宮本監督、うつむく選手たち・・・そうして毎試合繰り広げられるこのロッカールームでの選手とコーチングスタッフたちだけによる濃密なコミュニケーションのぶつかり合いみたいなものが、確かに視聴者にとって興味深いのは確かなのだが、果たしてそこで期待されている「選手や監督たちのありのままの素顔」が本当に・本当に・本当に・あの状況だと言えるか、そして現場の選手たちに微妙な影響を与えていなかったのだろうか、そこに尽きるのである。
この「ロッカーにカメラ問題」はかねてより高校サッカー選手権の放送をめぐってもしばしば議論されている。そしてロッカーにカメラが入ったことで「大迫半端ないって」という、日本サッカー史に残ると断言していい珠玉の名シーンが生み出されたのも確かである(ちなみにあれは、そのあとの監督の「オレは大迫に握手してもらったぞ」まで含めての名シーンとして記憶され続けてほしいわけだが)。とくに負けたチームのロッカーは感動シーンを生み出す装置と見なされるわけで、せっかくの選手と監督とのあいだの、これでチームが終わっていくという彼らのサッカー人生のなかで忘れがたい大切な時間のときに、カメラがその現場に土足で踏み込んでいいのかどうか。これは本当に難しい問題ではあるが、ひとつの補助線として考えられるのは、高校サッカー部においては、監督やコーチが「教育的な判断」を持って、場合によってはカメラの撮影を拒否できる余地はあるだろうという点が挙げられる。そのうえでほとんどの場合は、選手たちの記録を残してあげようという監督や関係者の判断によりカメラがその場を撮影しているように思える。
そんな高校サッカーにおける「選手たちの素顔」は、二度と戻らない一度きりの選手権という舞台においてのものだからカメラがその場に同席してもオープンに展開されるのかもしれないが、これがプロサッカーにおける勝った負けたの過酷な現場になると、やはりカメラが入った時点で「素の様子」は期待できないのではないかと思うわけである。
たとえばチームがうまくいっていないときに宮本監督が「何か言いたいことはないか!?」と選手に問いかけて、誰かの応答を待つシーンがある(これを「ワークショップのファシリテーション」という観点で捉えることも可能なのでそういう方面でも興味深いやりとりなのだが)、とかくこの現場の状況だと、カメラの存在が絶対にジャマになっているはずである。言いたいことがあっても、選手の胸の内には「カメラの前だしなぁ・・・」という思いが絶対に、どこかで、あるのではないだろうか。もちろん極限状況なので、カメラどころじゃない部分は当然あるだろうし、放送では使えないシーンもあったかと想像するし、番組で明かされた部分ではハーフタイムのとき、失点のシーンをめぐって仲間にたいして本音で問題点を指摘したりする迫真のシーンもある。そこは間違いなく圧倒的に「素」なのだろうけど、ある時間や局面になると、ふとそれも「カメラ」の存在がどこかで意識されるのではないかと想像される。
つまりここが大事なポイントなのだが、逆に言うと、もし「カメラがあろうが、オレは気にせずに本音をぶつけるぜ!」という選手がいたとしたら、それは番組制作側にとっては実に喜ばしいけれども、おそらくそれ以外の人々からは「人としてもサッカー選手としても、状況判断が甘くて視野が狭いのでは」とすら見なされる可能性があるのだ。そんな環境下で誰があえて自分に不利な振る舞いを好んで選択するだろうか?
なのできっとあのシーズンにおけるロッカールームでは、ひょっとしたら宮本監督だって、本当はもっと他に言いたいことがあったり、もっとブチギレたりしたかったかもしれない。そしてシーズン途中加入の立場ゆえに悶々としつつ、自責の念を含めつつもあえてここぞのときにチーム全員に向かってストレートに苦言を述べた宇佐美だって、その行為は勇気のあることだったが、本当の本音のところはもっと他にあったかもしれない。総じて言うと、この番組で観た限りでは、「これはいつものロッカールームの様子ではないんじゃないか」という思いがずっとつきまとってくるのである。なので今後はカメラを入れずにそっとしておいてあげたほうが、結果的にチームのためかもしれないと、わがままな視聴者は思うのであった。
ちなみにこの番組で分かったことだが、ロッカールームで試合後に提供されるケータリングにおいては、大量のコカコーラやアクエリアスが置かれていた。疲れたあとに糖分を補給するにはてっとり早いのかもしれないが、アクエリアスはともかく、コカコーラが大盤振る舞いされる状況はあまり想像していなかったので、そこも興味深かった。
あと、「監督が選手たちに怒鳴るロッカーローム」において思わぬ存在感を発揮してしまうのが、外国人選手の通訳担当者だということも印象的であった。強い口調で宮本監督が叫び続けていて、一瞬、その語りが途切れる緊張感ただよう静寂のなかで、ボソボソと聞こえてくるのは、ポルトガル語で淡々とそのメッセージを伝えている通訳さんの声・・・。これって、怒る側も相当やりにくい状況なのだろうなぁと思うし、通訳さんも現場の空気感を損なうことないよう気を遣いながら必死に通訳業務を全うしようとしているから、いやはや過酷な労働である。
そして話の趣旨は変わるが、この番組をトータルで振り返って思うに、負けたあとのロッカールームでしょんぼりする選手たちをカメラが捉えようが、勝ったあとの喜び合う高揚感をカメラで捉えようが、どんな状況においても、出来上がった映像作品としては「結局のところ誰よりも男前で、主役を取っちゃうのが監督」となってしまうことが、いまのガンバ大阪所属選手たちにとって「ある意味でハンデ」ではないかと、よけいな同情をしてしまうのであった。怒っても困っても笑ってもダントツでカッコよくて絵になるんだから、なんなんだよあの監督は、っていう(笑)
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