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2020年9月13日

『フットボール批評』を定期購読してるもんだからチェルサポなのに「アーセナル特集号」を読まざるを得なかった件

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 私はチェルシーサポを標榜しているが、屈折した性格ゆえに、あるいはチームの風土がそうさせたのか、愛憎入り交じるヒネくれたスタンスでこのクラブを応援している(この記事など参照)。

そして『フットボール批評』を定期購読していて、「あなたはまだアーセナル信仰を知らない」という特集テーマの最新号が届いたときには、苦笑いするしかない

 ヒネくれついでに言うと、実は、わりとアーセナルは好きなほうである。

 そもそもデニス・ベルカンプは私の人生でも指折りの大好きな選手だ。98年W杯のオランダ×アルゼンチン戦における彼の伝説的トラップ&シュートを生中継で目撃したとき、リプレイを見ながら思わず彼の体の動きをその場で何度も真似てみたりして、そして「やっぱりこれからは海外サッカーも熱心に追いかけよう」と強く思ったこともすごく覚えている。

 そして2001年1月にはじめてロンドンに訪れたとき、21世紀最初のサッカー生観戦を、私はあのハイバリーで迎えたのである。当時は家にネットもなくチケットオフィスに国際電話をかけてムチャクチャな英語を使ってなんとか奇跡的にゲットしたチケットであるが、当時から入手困難だったはずのハイバリーのチケットが取れたのは対戦相手が当時最下位のブラッドフォード・シティだったからかもしれない(調べたら今は4部リーグにいる)。なので今はもう存在しない、天井がせり出していて暗くて狭いハイバリーのスタジアムでベルカンプのプレーを味わえたことは・・・人生初めての飛行機に恐る恐る乗って、この飛行機嫌いの選手を観にいくことに意義があった・・・サッカーファンとして貴重な思い出である(それでも運命は奇妙なもので、このときのロンドン旅行から帰ってきた直後にはチェルシーのサポになっていったわけだが・・・)。

 ちなみに話がそれるがチェルシーFCファンとしても知られるミュージシャンのカジヒデキさんがチェルシーサポになった理由は、ロンドンで暮らしていた時代にアーセナルの試合が観たかったけどチケットがぜんぜん取れなくて、そのかわりにチェルシーのスタジアムに行くようになったことがきっかけだったとのことで、このあたりの「仕方なさ」からサポになるノリは痛快である。

 というわけで、そんな私が「アーセナル特集号」を手に取り、出来る限り好意的な目でそれぞれの記事を読もうと挑んだのだが、結論から言うと「ガッカリ感」だけが残ったわけである、うむむ。

 印象として「どの記事も予想通りのことしか書いてない」。それって『批評』の仕事ではないと思うのですよ。百歩譲って「いや、今の若いサッカーファンの多くは03-04シーズンのインヴィンシヴル時代をリアルタイムで知らないのだから、過去の歴史を振り返るのは大事」と思いつつも、この雑誌には「別の見方」とか「論点」を求めているので、そもそもこうやって特定のクラブのことだけを取り上げるのは、やっぱり他のサッカー雑誌に任せておいた方がいいのではないかと。

 そんなにヴェンゲル礼賛のスタンスだったら、アーセナルという素材ではなくヴェンゲル監督自身を主軸にして、ASモナコ、名古屋、アーセナルといったそれぞれの仕事を通史で検証する流れに構成したほうがよっぽど『批評』として意味があったと思う(それでもグーナーたちは買ってくれたと思うよ)。日本の雑誌なのだから、やはりグランパス時代のことや、日本代表監督就任を切望されていたヴェンゲルがトルシエを推挙したことなど、そっちのほうがよっぽど「今だからこそ掘り下げるテーマ」としてふさわしいのではないだろうか。

 「ヴェンゲル時代はすばらしかった、無敗優勝は偉業だ」なんて記事を『批評』で読んでも「そんなの分かりきっとるわい」という思いは拭えないし、そんな気持ちで雑誌をとじて表紙を見ると「あなたはまだアーセナル信仰を知らない」って書いてあるから「知るかー!」ってなったり(笑)。そもそも、アーセナルの栄光の陰には、ずっとヴェンゲルに批判的な一派もいたかもしれないし、ソル・キャンベルの存在を最後まで認めたがらないサポーターもいたかもしれないし、「フランシス・ジェファーズをあきらめない偏執狂ファンたち」だっていたかもしれないし、それとか「ニクラス・ベントナー豪傑伝説」みたいなネタ記事があったってよかった。歴史の表舞台からこぼれ落ちていった断片を、後から少しずつ拾い上げて眺めていく「どんくさい」作業を、紙媒体の雑誌は担っていって欲しいと思う。

 『批評』は、もっと論争を持ち込んでいいと思うし、甘っちょろい予定調和的サッカージャーナリズムを叩き潰す勢いが欲しいのですよ、マジで。ページをめくる手を思わず止めて「そうだったのか・・・」とか「これってどういうこと・・・」と黙想させてくれるような記事を期待している。でもこれを書きながら思ったのは、これってまるで「90分フルでプレスをかけつづけろ」って言っているようなものかもしれないから、「そりゃあ確かにムリだよな」という気持ちにもなるので、なんともむずかしい。

 

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↑ パソコンに保存されていた、どこから拾ってきたか思い出せない画像。信仰と愛のかたち。

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2019年6月23日

『フットボール批評』24号が面白かったよ

 5月に出た『フットボール批評』の第24号が『批評』らしくていい記事が多かった。

 年四回発行の季刊雑誌とはいえ、私がブログ記事の執筆をさぼっていたらもうそろそろ新しい号がでて書店で買いにくくなってしまうようなタイミングになりかかっているが、ともかく以下に興味深かった記事を列挙してみる。

・「自営業者『Jリーガー』は第二の人生に夢を見るか?」
 社会保障制度を専門とする法学者による、Jリーガーの引退後の社会保障についての極めて分かりやすい現状分析と課題の提示。一般的にサッカー選手として成功して長期間活躍したような有名選手であれば、引退後も安泰かと安直に思っていたが、社会補償制度の視点から見ると必ずしもバラ色の老後ではないかもしれないという指摘には少なからず新鮮な衝撃を受ける。こうした現行の環境下における選手会の存在意義などもあらためて考えさせられたり。「サッカー選手の引退後に思いをめぐらせることは、私たち自身の働き方や社会のあり方を考え直す営みにもつながっています。そのような営みはまた、サッカー選手への理解と共感を深め、その価値と魅力を高めることにつながり得るのではないでしょうか」というこの一文は、まさに『批評』という雑誌の存在意義にも十分リンクすると思う。

・「ミキッチ 燃えさかる魂」
 この雑誌のために語られたとても長いインタビューのなかで正式に「引退宣言」をするという、異色の記事。それなりに彼の過去の所属クラブを理解していたつもりだったが、カズがディナモ・ザグレブに移籍したときに実はミキッチがポジション争いのライバルだったことはこれを読んで初めて知った次第である。こうして彼の歩みをあらためて見せられると、ストイコビッチもそうだが、欧州の強豪クラブで活躍していたであろう才能あふれるプレーヤーがひょんなことでJリーグでプレーすることになり、そこから日本という国に人生を捧げるほどの愛情を感じてコミットし続けてくれたサッカー選手を、どうしてこの国のサッカー協会とかJリーグはもっと「有効活用」できないのだろうかと思わずにはいられない。

・「スポーツ文化異論第8回:欧州に移籍した選手がどこに住んでいるのか問題」(by 武田砂鉄)
 これはもう、タイトルだけで勝負ありの好記事。前号も川口能活の知られざるポーツマス時代の記事があったが、これはその続編としても読めてしまう。デンマーク時代の川口の、これまた「そうだったの!?」となる意外なエピソードをジワジワとくすぐってくるコラム。

・「10年ぶりの『ほら吹き』:大分トリニータ元社長 溝畑宏が語る『私の失敗』とJリーグへの思い」(by 木村元彦)
 今シーズンのトリニータの躍進を思うと、今まさにこの人の発言を拾ってくる姿勢は、それが「流行りもの」を追いかけるのではなく、「あえて昔の傷跡(?)を振り返る」ということであり、それはやはり『批評』たるゆえんであろう。かつてこの社長について本を書いた著者だからこそ迫れる、「そのあと」を語るインタビュー。かつてセリエBのクラブを買収しようとして、現在ベルギーでシントトロイデンを買収したDMM社がやろうとしていることを数年先に構想していた話なども、なかなかスリリング。

・「名手は本当に両足を使うのか? 現場視点による利き足問題の再検証」
 『批評』でたびたび提示される「利き足問題」。果たして子供時代から両足で蹴れるように訓練するのは本当に良いことなのかという、これはもっと多様なフィールドで議論されてほしいと思えるテーマで興味深い。今回の記事で挙げられた金田喜稔氏のいう「70年代の日本で、ペレをお手本に据えたことで、両足を使うことが重視されるようになったのでは」という仮説は重要な指摘かもしれない。

・「KFG蹴球“誌上”革命論」  これはもう、毎号最後のあたりで「お楽しみ」のように期待しながら読めるコーナー、いつもいつも深く唸らせてもらう。今回はクラブライセンス制度ありきでスタジアムを(背伸びして)建設することが地域において本当にいいのかどうか、などなど。いっそのことJ-SPORTSの『FOOT!』あたりはこの人たちをレギュラー出演者にしてほしいぐらいである。

 私にとっての「『フットボール批評』らしさ」というのは、「いま、とくに考えなくてもよかったことにあえて思い至らしてくれること」と言えようか。流行りのテーマだけではなく、サッカーをめぐるさまざまな事象を、ちょっと角度を変えて考えさせてくれるような、そういう記事を今後も読んでみたい。

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2019年3月18日

『フットボール批評』23号「川口能活とポーツマス」を読んで、久しぶりにあの街のことを想う

 最新号の『フットボール批評』23号に、「川口能活とポーツマス:かつての友人たちから親愛なるヨシへ」という6ページの記事が載っている。昨シーズンをもって引退した川口が以前在籍していた、ポーツマスFCにゆかりのある人物を訪ね、当時の川口との思い出をたどっていくという、小川由紀子氏によるこのレポートに私は感銘を受け、これだけでも今回の『批評』は買う価値があると思った。

 2001年から始まる川口能活のイングランド挑戦を振り返るときに私がまず思い出すのは、川口が渡英した直後にスカパーが当時2部のポーツマス戦の生中継を敢行したことだ。翌年のW杯を控えて日本代表のゴールキーパーが初めて欧州に挑戦するということで話題性は高く、2部チャンピオンシップリーグの試合が生中継で観られることそのものにまずは興奮したわけであるが、実際にフタを開けてみると、こともあろうに川口はスタメン出場ではなかった。「主役不在の試合」を当時の実況・コメンタリーがどのように苦慮しつつ進行していたのか、そこまではさすがに記憶がないのだが、イングランドの港町で繰り広げられる、まったく馴染みのない選手たちによるフットボールが展開される様子を眺めながら、歴史や伝統といったなんともいえないものに阻まれたかのような「壁の高さ」を感じた記憶だけは残っている。

 そのあとのポーツマスの印象としては、プレミアリーグに昇格してシャカ・ヒスロップというゴールキーパーが登場するやスタメンを張り続け、ついぞ川口はイングランドで輝きを放ったとは言いがたいわけである。

 それが、今回の『批評』の記事を読むと、川口のポーツマスでの日々が不遇だったとされる「歴史的認識」を違う角度から改めさせてくれたのである。
 細かいことは実際の記事をぜひ手に取って読んでもらいたいのだが、確かに川口個人としては活躍を残せたとは言いがたかった日々ではあるものの、スタッフたちや地元サポーターにとって、川口能活と過ごした日々がいかに素晴らしかったかということが、この記事を通して伝わってくるのである。アジアから来たキーパーにたいしてどれだけポーツマスの人々から愛情が注がれていたのか、その「記録や数字だけでは測れない何か」を今に至るまで残し続けていることに胸が打たれたのである。

 そもそも振り返れば川口というキーパーは、体格のハンデをものともしない「神がかったセービング」で強いインパクトを残し続けた選手である。そう思うと、記録や数字を越えた何かを彼は体現しつづけていて、そのひとつにポーツマスでの日々があったのかもしれないと思わせる。

 そして何より、このイングランド南部の港町については個人的にも感慨深い思い出があるがゆえに、なおさらに今回の記事であらためてポーツマスという街のことを繰り返し想起している。

 それはすでに川口も退団したあとの2009年12月のことで、プレミアリーグで奮闘していたポーツマスFCのホームゲームを観に行く機会があったのである。

 たどりついたスタジアム「フラットン・パーク」は、海からの潮風に絶えず吹きさらしにされてきたような、ある種、期待を裏切らない寂れ感があった。よけいな飾りたてもなく、あらゆる設備が必要最小限で済まされていて、時間の流れとともに少しずつ綻びながらたたずんでいる感じに、この国の人々の「アンティークを尊ぶ価値観」が表れているようにも思え、このスタジアムもまたそのひとつだと感じた。

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 晴れた日で、私が座っていた場所はコーナーフラッグ寄りでピッチの対角線上に位置していた。ポーツマスにはカヌやクラニチャルらが在籍していて、対戦相手のリバプールにはジェラードやトーレスがいた時代である。当然ながら試合の具体的な中身については記憶の彼方にあるのだが、特筆すべきは、この試合を2ー0で制したのはポーツマスの側だったことだ。そして2点目を決めた選手【記録ではフレデリック・ピケオンヌだった】が、コーナーフラッグのところへ走り込んできて、駆け寄るサポーターたちと歓喜の抱擁をしていた。
 このシーンだけが強く記憶に残っているのは、その後ホテルのテレビで繰り返しこの大金星となる得点を叩き込んだ喜びの場面がニュース映像として流れていて、「まさに自分の目の前の数メートル先で起こっていたこと」だったからだ。コーナーフラッグのすぐ近く、階段状の通路側に座っていた私も、やろうと思えば階段を降りて、あの抱擁の輪に加わることができたのである。それなのに私は動けなかった。もちろん、海外からの観光客としての一般的な振る舞いとしては正しかったのだろう。しかし、こういうときにこそ規範を少し逸脱して、心からワクワクするほうへ動けるようにもなりたいと、いまでもあのシーンを思い返すとちょっとした後悔の気持ちがわいてくる。

 そしてまたこの試合の勝利の意味を自分としては大事に受け止めていたいのである。というのも、このシーズンにポーツマスは7勝7分け24敗で最下位となり、あえなくプレミアリーグから降格することになるわけで、この12月19日に挙げたリバプールからの勝利というのは、当時の記録からすると、これ以後に強豪クラブに金星を挙げることができなかったという意味では、ポーツマスFCが成し得た国内トップリーグでの、現時点では最後の「輝いた瞬間」だったとも言えるのだ。

 そして試合後の高揚感あふれるスタジアムの雰囲気よりもはっきり覚えているのは、ポーツマスの中央駅近くに戻り、ショッピングモールで、ポーツマスFCのグッズを身につけた人々に向かって、家族連れなどが声をかけると、すかさずサポーターからも「2ー0で勝ったぜ!!」みたいな雰囲気で大声を返し合っていた光景だった。その日の夕刻、こうしてポーツマスの街のあちこちで、おらがクラブの奮闘ぶりがたくさんの人々に共有されていて、このエリアで船舶していた帆船を照らす夕日の印象とともに、心感じ入るハートフルな雰囲気に満ちていたのであった。

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 その後ポーツマスは破産問題における勝ち点剥奪のペナルティの影響もありディビジョンを落とし続け、一時期はサポーターがトラストを組織して市民オーナー制度でクラブが運営されるというドラマチックな出来事も経験し、4部リーグまで落ちていた時期もあるが、今シーズンは3部リーグの首位争いをしており、ふたたび上を目指すことのできるベクトルが整ってきているのであれば喜ばしい。そして今もなおスタジアムはあの「味のあるボロさ加減」を保っているのであろうかと想像する。

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2014年12月28日

海外サッカー雑誌の表紙デザインが素敵すぎる件:ドイツの『11FREUNDE』、オーストリアの『ballesterer』

 雑誌の表紙デザインの面白さは、雑誌の存在を書店でアピールするうえで大切な要素だが、だからといって「なんのこっちゃ分からない」ところまで行きすぎると、かえって雑誌の内容が分かりにくく、伝わらない部分がある。そのあたりのバランスが問われる難しさがうかがえる。

 そんななか今回紹介したいのは、ドイツの雑誌『11 FREUNDE』、そしてオーストリアの『ballesterer』だ。どちらも偶然にその存在を知った雑誌なのだが、バックナンバーの紹介ページをみると、所々で「おぉ~」と唸ってしまう秀逸なデザインが多く、文字が読めなくても手に取ってしまいたくなる。それこそが「デザインの勝利」なわけであるが。

 ひとまず、ざっと画像を貼り付けてみる。

 まずは『11 FREUNDE』から

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・・・・といったところで、じつはこの雑誌については、122号(緑色の表紙)を、はじめてドイツに行った2012年に駅の売店で何気なく買ったことでその存在を知ったのだった。そのとき紹介されていたバックナンバーの表紙たちをみて「おお、オシャレ!」とずっと思っていた。

とくにこの力強い表紙のロゴがいい味出している。「11人の仲間」っていう意味になるのだろうけど、ステッカーとか作りたくなる感じ。

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そして次は『ballesterer』。

「バックナンバー売り切れ」と思われる文字が表紙にかぶっているのが残念だが、それはそれとして見ていても、すごく良い雰囲気の表紙が連発。

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 こういう分野になると、自分が「洋モノかぶれ」であることは認めるしかないが、部屋にインテリアで飾りたくなるものが多い。

 特にこの雑誌の表紙には、サッカーにおける政治・経済・宗教といったテーマを特集で扱っていると思われるものもいくつか見受けられる。それでもデザインのクオリティによってサッカー雑誌としての魅力を損なわずに展開しているわけで、こういうのはサッカーに限らず日本のあらゆるスポーツ雑誌ではなかなか見受けられない気がする。

 「そのものについての事象を、それ以外のモノで置き換えて表現する」っていうのは、考えてみたら日本の詩歌とかの伝統に照らせば、決して不得手ではないと思うので、『Number』あたりなんかは良いクオリティを保持しているだけに、ここからもっと冒険してもいいんじゃないかという気もする。

 つまり「この表紙デザインだから、捨てがたい一冊」になることも多いわけで・・・こうして今、まさに年末の大掃除で雑誌の整理作業などを抱えながら、逃げるようにパソコンに向かってブログを書いていたりする自分にとっては・・・「日本のスポーツ雑誌、もっとデザインがんばってよ」という気持ちを実感をこめて言いたくなるわけであった。

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2014年2月22日

「好きなこと」を仕事にし続ける情熱を絶やさないコツ:ライアン・ギグスに学ぶ

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『Number』の最新号(No.847)。この2人が並ぶ表紙だと私は買うしかない。せっかくだったらモウ監督もスーツでキメてほしかったが(だってこれだといかにも『休日のパパ的風情』が、最近の彼はとくに強まる)。

「レジェンドが語る欧州フットボール論」って、もはやそれだけだと陳腐な企画のようにも思えるけど、それはそれで予想以上に楽しめた。

そのなかでもライアン・ギグスのインタビューがよかった。やはり現役を長く続けるうえでは、日々の自己管理が大事なわけだが、特に興味深かったのは「メンタルの管理」についての話。「成功に酔わず、試合で手応えを感じても、『で、次の対戦相手は?』とすぐに気持ちを切り替える」という話で、

「・・・その意味では、あんまりサッカーを楽しめていないのかもしれない。だから僕は、次に対戦するチームやマッチアップする選手のビデオを見終わった後、あえてまったく関係のない試合を眺めたりもするんだ。仕事のことを忘れて、純粋に一人のファンとしてサッカーを愛する気持ちを保っていくためにね」

とのこと。これはきっと、ギグスがその長いキャリアを築き選手として成熟していくうえで、そのプロセスのなかで編み出した自分なりの対処方法なのだと思う。ハングリー精神を失わないことと同じぐらい、「サッカーを純粋に楽しみ続ける気持ち」という、少年のような精神性も失わないように努めていく。その両輪があってこその、日々のフットボーラーとしての生活の積み重ねがあったということだ。こういう「対処法」を意識的にやりつづけるからこそ、ライアン・ギグスという選手は40歳になってもプレミアリーグのトップレベルでプレーを続けられている。「好きなことを仕事にすることの苦しみ」への対処法としてもヒントになりそうな話だ。

そのほかの記事では、いまベンフィカのディレクターを務めるルイ・コスタのインタビューも楽しかった。「背番号10番について語ってほしい」という依頼を持ち込んだら、忙しいにも関わらずやってきて語りまくって、あげくインタビュー後もわざわざ記者さんの携帯電話に「あと3人、言い忘れた背番号10がいる!」って電話をかける、そのルイ・コスタの人柄にグッときた。「相手が率先して語りたくなるテーマを用意する」っていうのは、ジャーナリズムの世界だけじゃなく、いろいろな場面でポイントになってくると思うわけで、ルイ・コスタも「10番」を語りたくてしょうがなかったんだなぁ、と微笑ましい気分になった。

そしてページをまたいで掲載されている夕暮れのリスボンの街並みの美しさも印象的。『Number』はスポーツ雑誌における『ナショナル・ジオグラフィック』だとずっと思っているのだが、こういう見事な風景写真が添えられると、海外サッカー観戦への旅情がかきたてられる。

そのあとに続く記事「フィリッポ・インザーギを訪ねて。」も秀逸。ルイ・コスタに「10番」を語ってもらうなら、「9番」を語るに相応しいのがインザーギなのは当然であったが、約束されたはずのインタビューが(ミランの新監督お家騒動のゴタゴタにより)勝手にドタキャンとなり、「実現しなかったインタビュー企画そのものをネタとして、無理矢理インザーギを語ってみる」という、このスタンスがいい。なんかこう、ドタバタのなかでも一瞬光る内容を見せるあたり、たった一発のチャンスをワンタッチで決めてギャーギャー喜びを爆発させるインザーギのキャラクターそのものっぽくて、ひるがえって記事として成立しているのがすごい。いつかインザーギだけで本を作ってほしい気がする。マジで。

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「ギャー!!」

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2013年9月 4日

今さらながら、『ジャイキリ』のこと

本当に、今さらではあるが、『ジャイアントキリング』のことについて書かせていただく。

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2010年のワールドカップのときに、スカパーの情報番組で連日「パッカくん」が登場しているあたりからずっと気になっていて、うすうすこのマンガの面白さは伝わってきていて、それでも「マンガはハマると怖い」という昔ながらの臆病な部分が顔を出してはズルズルと年月が過ぎていき、そして昨年の秋頃からついに手を出してしまった。それでも「一週間に一冊ずつ」のペースを守りきり(笑)、最近ようやく最新刊に追いついた次第である。

このマンガは、もちろん達海監督というキャラクターを軸に据えて読めるけれども、本当の意味での主人公および主題となるテーマは、絶対的に「サッカークラブそのもの」だということがすごい。

「地域におけるサッカークラブとは何か」というテーマと、
「サッカーを通して人はいかに成長するか」というテーマがこのマンガを支えていて、「そうそう、こういうサッカー漫画が読みたかった!!」という気分である。

や、もう、私なぞが改めて書く必要がないほどにメジャー級に人気のある作品なんだけど、そういうことだ。

単にサッカー選手や監督だけじゃなく、彼らをとりまくスタッフ、フロント陣、サポーター、取材記者、カメラマン、スポンサー、地域の市井の人びとなど、多様な人びとの目線に立って、それぞれの物語を語り得るようなストーリー構成をとっているあたりが最高に楽しい。ひとつのボールを追うことに、これほどまで多面的な視野から熱く表現されうるサッカーマンガとしては、もうこれ以上のものは存在できないんじゃないかと思わせるほど。

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とくにグッとくるのは、このマンガにおける「観客席のサポーターの描き込みっぷり」である。だいたいスポーツマンガにおける観客ってテキトーに書いても別に問題はないはずなんだが、ジャイキリにおいては実際のJリーグの観客席にたいする取材を相当行っているのがよく分かるほどに、それぞれのサポーターの姿にバリエーションと表情があり、身につけている応援グッズとかゲーフラとかのディテールなど、じっくり観ていると本当によく描き分けられている。まさに一人一人にとっての「ETUとの物語」がそこから垣間見られるような感覚があって、それがまたいっそうリアリティを高めていて、それほどまでにやはりこのマンガは「サッカークラブ」がメインの存在として描かれていくのである。

決してサッカークラブはモノを言わないし、その存在が主体的に動きを見せることはないにせよ、このマンガを全体的に包むテーマやモチーフとしての「クラブ」の存在感。
そしてそれは当然ながら「Jリーグ賛歌」でもあるし、「百年構想」を考えるうえでのとても入りやすい「参考図書」でもあるわけで、もっとJリーグもよりいっそうこのマンガとコラボしてほしいものだ(いつかマスコットのパッカくんに出会ったらすごいテンションあがるだろう)。

そういう意味で、誰にもしばられず、自由人でありたい気風があるはずの達海があえて監督就任に際してETUのクラブハウスの一室を住居にするという設定も、その真意は現時点ではよくわからないが(ひょっとしたらジャイキリの関連書籍のなかでは解明されていたりするのかもしれないが、まだチェックしていない)、興味深いのである。それは達海にとっての「ホームスタジアム」としての、まさに「ホーム」の感覚を描いているようにも思えるし、そして達海の過去に起因する、そのクラブをとりまく地域の人びとにたいする複雑な気持ちの反映がその設定に描写されているとも受け止めることができるし、さらに言うと「一人の選手はクラブ以上の存在にはなり得ない」という、現実的にFCバルセロナなどを語るうえでたびたびでてくる問題のことなども想起させたりするし、別の見方では「単に面倒くさいから、いろいろ便利なクラブハウスに住んじゃっただけだろう?」とか、いろいろ考えると面白いのである。

そんなこんなで、これからこのマンガがどのような展開を見せるのか、楽しみで仕方ないのである。

<ついでに>

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過去にアディダスとのコラボ商品でこのようなトラックジャケットも出ていたようだが、第2巻あたりで達海や松ちゃんが着ていたこれの白色バージョンも作ってくれたらとっても嬉しい。

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2013年6月30日

文生堂書院「サッカーとワールドカップに関する洋古書コレクション」

仕事の関係で、古書店の文生堂書院のメールマガジンを受け取るようになっていたのだが、たまたま先日紹介されていたのが、
「サッカーとワールドカップに関する洋古書コレクション」の目録。
こちらのページ)から、PDFでダウンロードもできる。

当然ながら、洋書の世界でサッカー関係の本は古くから山ほど出版されているわけで、このリストも丁寧に読めばすごくツッコミがいのある本も見つかるかもしれない(時間がないのでゆっくり確認できていないが)。

ザッとみて目についたのは110番の『Soccer Skills with Gazza.』。アメリカW杯の前年に出版されているわけで、怪童ポール・ガスコインのサッカースキルが堪能できる本なんだろうな。たぶんサッカー教本かもしれないんだけど、ガスコインが教えてくれるサッカー本っていうのは、これはちょっと気になる(って、すっかり忘れていたのだが、イングランドはアメリカ大会の出場を逃していたんだよな)。

そういえばロンドンにサッカー関連書籍がメインのちいさい本屋さんがあったのを思い出したのだが(たぶん書店の多いレスタースクエア周辺)、すっかり名前も場所も忘れてしまった。どこかにデータがあるはずだが・・・とにかく一軒まるごとスポーツ書籍だけのお店というのもそれはそれでアリだなーと思った。

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2013年5月16日

『FOOTBALL ACTIVIST』ZINEの第1号ができました

チェルシーぃぃ
祝・ヨーロッパリーグ優勝!

そしてこちらもようやく完成して嬉しいのです。

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『FOOTBALL ACTIVIST』#01号、テーマ「サッカーファンならではの方法で楽しんでみる、市民マラソン大会の応援~Jリーグサポーターよ、沿道に集まろう!」(本文16ページ、定価500円)

本当に小さい冊子ではありますが。

たとえばイングランドのフットボールシーンではこうした「ファンジン文化」は今でも残っているのですが、日本ではスポーツをモチーフにした小冊子が珍しい気がしていたので、こういうのをずっと作りたかったわけです。

というわけで、創刊号テーマとして、かねてからこのブログでも紹介している、例の「市民マラソンを走るサッカーウェア姿のランナーさんを勝手に応援しよう企画」を取り上げてみました。この応援をやるに至った経緯、そして応援のコツなどを16ページにわたって書いております。

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そしてさらに言えば、私としては今回のZineにおいては「浦和レッズの背番号7のユニフォームを着た女の子」のイラストを描けたことに、ひとつの達成感を覚えていたりします。

本冊子をお取り扱いしていただいているお店を紹介しますと・・・

★こうしたインディーズ自主出版などを扱っておられるオンラインストア「Lilmag」さんでは、さっそく紹介文を添えて販売していただいております(こちらのリンクをクリック)。

お店のHPのトップページは(こちら)。

実店舗の本屋さんでは、
★東京
SHIBUYA PUBLISHING BOOKSELLERS(お店のHPはこちら)

★京都
ガケ書房(お店のHPはこちら

上記お店にて販売していただいております!ありがとうございます!

このほかにも随時、取り扱っていただけるお店を募集中です。

もちろん著者本人にもお問い合わせいただければ対応いたします!
メールは prog_howe(at)hotmail.com  まで。

第一版は限定300冊をつくりました。
どうやったら、こういう冊子を読んでくれるサッカーファンの方々に届くのか、まったくおぼつかない状況でスタートしております。お知恵を拝借しながら、とにかくまずは冊子を作って、サッカーをプレイするがごとく、あちこち走りながら考えていこうと思っています。




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2013年4月 1日

サッカー文化と「政治的なるもの」とのマッチアップのなかで生きること:『アナキストサッカーマニュアル』を読んで

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『アナキストサッカーマニュアル:スタジアムに歓声を、革命にサッカーを』
ガブリエル・クーン著、甘糟智子・訳、レイジ・フットボール・コレクティブ・協力 現代企画室・刊

この数週間、この本について何をどう説明して書こうかと、あれこれと思索してみたのだが、タイトルに「マニュアル」とあって、それはつまり網羅的な情報を伝えていこうという意図のもとで書かれた本ゆえに、全体的にこれだ、という説明が難しいことを感じている。

この本はまさに文字通りの「アクティビスト」、つまり政治・社会運動の文脈において考察されていくサッカー本である。このブログで私が「フットボール・アクティビスト」と名乗ってはいるものの、このような本の前においては、まったくアクティビストのアの字にも至っていないわけだが・・・。

それでもなお、まずはこの本の内容について、自分なりのコトバで一文でまとめてみると、

「タイトルに『アナキスト』って書いてあるが、実際にはこの本の著者は、左サイドに張り付いてプレーをするのではなく、できるだけ中盤の真ん中にポジションをとり、巧みなプレーで『政治とサッカー』をめぐる世界中の多彩な出来事をパス出ししてくれる好著である」

ということだ。決してこれは、左派政治運動の極端な人による極端な物言いで埋め尽くされている本ではない(と、少なくとも私はそう受け止めている)。
サッカーのボランチのように、非常にバランスを意識したポジショニングで、著者が誠実に、「サッカーと政治」を語ろうとしている努力が伝わってきて、いままで読んだサッカー本のなかでも際だって特別な位置を占めそうな予感がある。

つまりは、「パスの受け手(読者)」である我々の読み方にかかってくる。
それゆえ、「フットボール的」な書籍であった。

この本を日本語で読めるようにしてくれたことに最大限の感謝を示したい。

で、

正直なところ、私はこの本を読んで、どうしていいかわからないぐらい「ヤバい、ヤバいぞ」という気分でいる。
その「ヤバい」という感覚は何かというと、「知らないこと、考えが至っていないことが、まだまだたくさんありすぎる」ことへの焦燥感だ。そこを刺激してくれる本なのである。

「反人種差別ワールドカップ」、「オルタナティブ・ワールドカップ」、「金の警棒賞(最も暴力的な警備を行うクラブに与えられる)」のこととか、あとサッカー文化におけるセクシャル・マイノリティの運動がこれほど活発になっていることとか、今までまったく知らなかったことがたくさん紹介されている。

さらにいうと、伝統的な政治的議論だと、「サッカーは大衆のためのアヘンであり、政治意識を失わせるので害のあるスポーツだ」と言われてきたことが、そういう方向ではなく、「異なる立場の人びとを結びつけ、連帯させるエネルギーを有する、世界で最も愛されているツール」のようにサッカーを捉えて、その可能性や面白さをいかに活用していくかということに向かっていくのであれば、ラディカルな政治意識をもったまま、サッカーを応援することに矛盾を感じなくて済むわけで、そしてそういうバランス感覚でなされている実践がすでに世界のあちこちで試みられていて、それは(個人的にも)重要な示唆に富んだヒントをもたらしてくれる。

「サッカーを『大衆のアヘン』や資本家たちの楽園でしかないとみなしたり、ナショナリズムや派閥心を育む反動的な温床だとみなすのは短絡的だ。サッカーには、直接民主主義や連帯、それから忘れてはならないのは、楽しさといったことに基づくコミュニティの形成と確立を促進する価値観が生来的に備わっている」(p.322)

「理想的な状況下であれば、サッカーは個人の自由と社会的責任の結合を体験する、そして実験する、完全な環境である。その上、社会と同様、チームが成功するためには異なるスキルを持った人間が協力し合わなければならない。マラドーナばかりが10人いてもW杯で優勝はできないだろう。マラドーナが輝くためには、彼が出来ないたくさんの仕事を他のチームメートがやらなければならない。堅固なディフェンスラインを敷き、ルーズボールを追い、相手をタックルし、頭で競り勝ち(『神の手』は使わずに)といった具合だ。『名もない』チームがスター満載のチームを倒してきた例がサッカーの歴史に多いのは、選手たちが自分たちの能力を、チームとして最大限発揮したからだ。サッカーは個人の才能を、社会的に最も有益となる形で結集させることを人びとに教えてくれる」(p.326)


というわけで、今後もできるかぎり再読して、気合いを入れてこの本に書かれている情報を自分でもフォローしていきたい。もし可能であれば、この本をもとに、そう、まさにこの本とピッチ上でパス交換をするがごとく、自分なりにZine冊子のようなかたちで、この本から得られたものを別の形にして自分なりに表現・発信していけたらいいなと考えているし、そしてまたこの本の帯に書かれている言葉を借りれば「ラジカル・フットボーリズム」とはそういう態度こそが求められていると思う。そうさせるだけのエネルギーと、好奇心の高揚と、ちょっとした勇気をもたらしてくれたこの本に、そしてサッカーそのものにも、感謝したくなる。

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2013年2月16日

今日はエルゴラ紙渾身のJリーグ選手名鑑発売日でしかもエルゴラのタオルマフラーが当選して嬉しくて、その足で宮崎キャンプ行ってきます

いきなり朝に荷物が届いて、

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エル・ゴラッソ特製タオルマフラーが当選したーーー!!

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めっちゃうれしい! 前からずっと欲しかってん!!(笑)

私のように特定のJリーグクラブを応援しない者にとっては、こういうテイストのマフラーがちょうどいいのである。

ごくたまに、こうしてエルゴラ紙が読者アンケートを実施するのだが、そのときにハガキにいろいろと意見なり日頃の感謝の気持ちなりを書きまくったわけで、その気持ちが通じたのであれば本当に嬉しい。

で、奇しくも今日はそのエルゴラッソ紙によるJリーグ選手名鑑、2013年版が発売になった。ずっと待っていて、今夜まさに宮崎キャンプにでかける日だったので、ギリギリ間に合ってよかった。いまさっそく書店で買ってきたところ。

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この選手名鑑は毎年本当によく作られていて、バージョンアップし続けているので本気でオススメ。
それぞれの担当記者の力量によるところがあるが、選手紹介において「コネタ」が炸裂しているクラブは読んでいて楽しい。「そんな情報いらないだろう!」と思えるネタが、ひるがえって味わい深く読めてしまう。これらのコネタがきっかけで顔と名前を覚えた選手もわりといるので、この効果は計り知れない。
たとえば今パッと川崎フロンターレのところをみたら、ジェシのところで「日本食が好きで、長期離脱中に等々力のうどん店に息子と行儀良く並んでいた」なんてネタがあったり、もうそれだけでこのブラジル人DFに親しみを覚えずにはいられないわけだ。

このあと宮崎行きのフェリーに乗るべく出かけるわけだが、フェリーのなかでこれを熟読するのが楽しみなのである。そして今年もここに選手たちのサインをもらうことができればなおいっそう良し。

そして宮崎は暖かいからマフラーはいらないかなと思っていたが、せっかくなのでエルゴラのマフラーも持って行くことにした!

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