『フットボール批評』を定期購読してるもんだからチェルサポなのに「アーセナル特集号」を読まざるを得なかった件
私はチェルシーサポを標榜しているが、屈折した性格ゆえに、あるいはチームの風土がそうさせたのか、愛憎入り交じるヒネくれたスタンスでこのクラブを応援している(この記事など参照)。
そして『フットボール批評』を定期購読していて、「あなたはまだアーセナル信仰を知らない」という特集テーマの最新号が届いたときには、苦笑いするしかない。
ヒネくれついでに言うと、実は、わりとアーセナルは好きなほうである。
そもそもデニス・ベルカンプは私の人生でも指折りの大好きな選手だ。98年W杯のオランダ×アルゼンチン戦における彼の伝説的トラップ&シュートを生中継で目撃したとき、リプレイを見ながら思わず彼の体の動きをその場で何度も真似てみたりして、そして「やっぱりこれからは海外サッカーも熱心に追いかけよう」と強く思ったこともすごく覚えている。
そして2001年1月にはじめてロンドンに訪れたとき、21世紀最初のサッカー生観戦を、私はあのハイバリーで迎えたのである。当時は家にネットもなくチケットオフィスに国際電話をかけてムチャクチャな英語を使ってなんとか奇跡的にゲットしたチケットであるが、当時から入手困難だったはずのハイバリーのチケットが取れたのは対戦相手が当時最下位のブラッドフォード・シティだったからかもしれない(調べたら今は4部リーグにいる)。なので今はもう存在しない、天井がせり出していて暗くて狭いハイバリーのスタジアムでベルカンプのプレーを味わえたことは・・・人生初めての飛行機に恐る恐る乗って、この飛行機嫌いの選手を観にいくことに意義があった・・・サッカーファンとして貴重な思い出である(それでも運命は奇妙なもので、このときのロンドン旅行から帰ってきた直後にはチェルシーのサポになっていったわけだが・・・)。
ちなみに話がそれるがチェルシーFCファンとしても知られるミュージシャンのカジヒデキさんがチェルシーサポになった理由は、ロンドンで暮らしていた時代にアーセナルの試合が観たかったけどチケットがぜんぜん取れなくて、そのかわりにチェルシーのスタジアムに行くようになったことがきっかけだったとのことで、このあたりの「仕方なさ」からサポになるノリは痛快である。
というわけで、そんな私が「アーセナル特集号」を手に取り、出来る限り好意的な目でそれぞれの記事を読もうと挑んだのだが、結論から言うと「ガッカリ感」だけが残ったわけである、うむむ。
印象として「どの記事も予想通りのことしか書いてない」。それって『批評』の仕事ではないと思うのですよ。百歩譲って「いや、今の若いサッカーファンの多くは03-04シーズンのインヴィンシヴル時代をリアルタイムで知らないのだから、過去の歴史を振り返るのは大事」と思いつつも、この雑誌には「別の見方」とか「論点」を求めているので、そもそもこうやって特定のクラブのことだけを取り上げるのは、やっぱり他のサッカー雑誌に任せておいた方がいいのではないかと。
そんなにヴェンゲル礼賛のスタンスだったら、アーセナルという素材ではなくヴェンゲル監督自身を主軸にして、ASモナコ、名古屋、アーセナルといったそれぞれの仕事を通史で検証する流れに構成したほうがよっぽど『批評』として意味があったと思う(それでもグーナーたちは買ってくれたと思うよ)。日本の雑誌なのだから、やはりグランパス時代のことや、日本代表監督就任を切望されていたヴェンゲルがトルシエを推挙したことなど、そっちのほうがよっぽど「今だからこそ掘り下げるテーマ」としてふさわしいのではないだろうか。
「ヴェンゲル時代はすばらしかった、無敗優勝は偉業だ」なんて記事を『批評』で読んでも「そんなの分かりきっとるわい」という思いは拭えないし、そんな気持ちで雑誌をとじて表紙を見ると「あなたはまだアーセナル信仰を知らない」って書いてあるから「知るかー!」ってなったり(笑)。そもそも、アーセナルの栄光の陰には、ずっとヴェンゲルに批判的な一派もいたかもしれないし、ソル・キャンベルの存在を最後まで認めたがらないサポーターもいたかもしれないし、「フランシス・ジェファーズをあきらめない偏執狂ファンたち」だっていたかもしれないし、それとか「ニクラス・ベントナー豪傑伝説」みたいなネタ記事があったってよかった。歴史の表舞台からこぼれ落ちていった断片を、後から少しずつ拾い上げて眺めていく「どんくさい」作業を、紙媒体の雑誌は担っていって欲しいと思う。
『批評』は、もっと論争を持ち込んでいいと思うし、甘っちょろい予定調和的サッカージャーナリズムを叩き潰す勢いが欲しいのですよ、マジで。ページをめくる手を思わず止めて「そうだったのか・・・」とか「これってどういうこと・・・」と黙想させてくれるような記事を期待している。でもこれを書きながら思ったのは、これってまるで「90分フルでプレスをかけつづけろ」って言っているようなものかもしれないから、「そりゃあ確かにムリだよな」という気持ちにもなるので、なんともむずかしい。
↑ パソコンに保存されていた、どこから拾ってきたか思い出せない画像。信仰と愛のかたち。
最近のコメント