教育/Education

2021年5月23日

ブラウンシュヴァイク・ドイツサッカーの故郷:スタジアムめぐり旅2014・ふりかえり(その7)

私のこれまでの人生において、映画館で観ていてもっともボロ泣きした作品が、2012年に観た『コッホ先生と僕らの革命』である。

これはドイツにはじめてフットボールというスポーツを紹介しようと奮闘したイギリス帰りの教師と、その教え子たちをめぐる映画なのだが、「この人たちのおかげで、やがてドイツのサッカーが隆盛し、それをお手本にして日本のサッカーも発展していったのだ」と思って観ているうちに、最後のクライマックスのときは(そこまで感動するシーンではないはずなのだが)先人たちへの感謝の念とかがわき起こり、涙がドバドバと止まらず鼻水ズルズル状態になってしまったわけだ。(当時このブログで書いた同作品についての記事は→こちらへ

※でも改めてウィキペディアで調べると、歴史的には実はこのときコッホ先生が紹介したのはサッカーではなくラグビーのルールだったという説もあったりで、私の涙の行方も肩すかしな気分になったりもするが・・・

で、この歴史の舞台となったのが、ブラウンシュヴァイクであり、同地のサッカークラブ、アイントラハト・ブラウンシュヴァイクは当時1部リーグから降格してこの夏から2部で再挑戦するという状況だった。

映画を観て間もない時期だったこともあり、この「ドイツサッカーの心の故郷」とも言えるブラウンシュヴァイクは、今回の旅では必ず訪れておきたい街だった(本当はもっと事前にがっつり調査をして、ゆかりの場所とかを特定していくこともできたはずなのだが、それは次回の課題ということで・・・)。

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ホテルの前。

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▲日本のビジネスホテルであれどこであれ、自分が泊まったホテルの部屋に飾ってあるアート作品はかならず写真に収めるのだが、このときのクリムトの絵は、旅情をかきたてられてグッときた。

駅からホテルまでの界隈は、それなりに普通の街だなーと思っていたのだが、さすがにドイツはだいたいどこも旧市街のゾーンでその歴史的味わいをこれでもかと見せつけてくる。
今でも思い返すに、このブラウンシュヴァイクは普通に観光でゆっくり再訪したいぐらい、とても独特の味わいが充ち満ちていた。

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▲微妙なバランス感覚で成り立っていた建物。

あと、最初この建物の前を通ったときに、どうしてたくさんの人が出入りしているんだろうと思ったのだが、
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入口に近づくと、実はこれはショッピングモールだった。中は普通にモールだった。この旅で初めて出くわした「巨大なモール」だったので、しばらく歩き回った。なぜか店内で一枚も写真を撮っていないので、おそらく当日すごくテンションが高ぶっていたと思われる。

そんなわけで、旧市街地の雰囲気がとてもよかった印象しかないブラウンシュヴァイクであった。

で、翌朝は中心部から少し離れた場所にあるスタジアムにバスで出かけた。

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スタジアム前は集合住宅が並んでいたが、このカラーリングがまた良い。

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陸上競技場併設型の、のっぺりした感じのスタジアムだった。

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ちょうど学校の遠足みたいなノリの子どもたちと同じタイミングでファンショップへ入店。

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で、ここでも良い感じのTシャツがいくつかあったのだが、私はこの旅でザンクト・パウリFCのショップでおそらく大量のグッズを買うことが予想されたので、「あまりムダにモノを買わない」と自制していたのだが、それも今思うと「我慢せずにたくさん買って途中で郵送で送っておけばよかったんじゃないか」と思ったり。
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こういうマイナー系クラブのシャツに限って、なかなか見応えのあるデザインだったりする。

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エナジードリンクのデザインも可愛らしい。

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そしてこの頃から徐々に気になってきたのが、この「洗面台の排水口のフタ」である。どこのクラブでも公式グッズになっていたのだが、最初私はこのグッズの使い方が分からず、こうして(わざわざ)洗面台とセットに展示してあったのを初めてみて、ようやく意味が理解できたのであった。この部分についてはドイツ国内はどこも規格が一緒なのだろうか?

もっと下調べをしていけば、「ここがドイツサッカー発祥の地です」みたいなものを示す史料に触れることができたのかもしれないが、少なくともこのスタジアムの周りにはそういう雰囲気はなかった。それはまた今度訪れるときに備えての宿題ということで、このあと私はブレーメンに向かった。

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▲ 一人だとカフェに入るのも勇気がいるが、この街の「居心地のよさ」がそうさせたのか、ちょっと休憩がてらにカフェラテを頼んでみたり。するとカップの形のとおり両手で持たないと飲めないぐらいの分量で(FAカップかよ!)、日本で飲む3杯分ぐらいあって、うろたえる。

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2020年6月27日

『フットボール批評』28号「無観客劇場への覚悟はあるか」

今日からJリーグが再開される。なんとかここまで、こぎつけた。

そんななか『フットボール批評』最新の28号、特集は「無観客劇場への覚悟はあるか」。今回も非常に読み応えがあったので、いくつかコメント。

 まず冒頭のJリーグ村井チェアマンのインタビュー。コロナ禍で個人的にも毎日の仕事生活に疲弊しつつある状況で読んでいるからか、この記事において村井チェアマンの発言に触れると、素直に「この人、すごい有能!!」と平伏したくなった。思考と決断と実行のスピードの早さ、そしてサッカー業界の外からやってきたがゆえに、変なところでの考慮をせず、ひたすらJリーグ理念を判断基準として動こうとしているところに我々ファンは一定の信頼感を寄せることができるわけだ。
 「新型コロナウイルスの本質的な意味は『分断』にある」という村井氏の意見は、広く社会全般に共有されてほしい問題提起ではないだろうか。

 新連載「汚点:横浜フリューゲルスは、なぜ消滅しなければならなかったのか」。これまでもサッカー産業の暗部に切り込んできた田崎健太氏による原稿なので、今後の展開がすごく楽しみ。まさに『批評』だからこそこういうテーマは正面切って掲載していく意義がある。確かに言われてみたら当時はクラブの消滅についていろいろと考えるところはあったけれども、そもそも横浜フリューゲルスというクラブの成り立ちについて思い及んだことはなかったなぁ、と。そこでこの連載では、クラブの出発点が1964年東京五輪の時期に結成されたサッカー少年団だった、というところから歴史語りが始まっていき、思わぬ人物の関わりが明らかにされ、続きが早く読みたい・・・!となる(おそらくやがては単行本化されるとは思うので期待したい)。
 そして何より、コロナ禍における経済的損失が不可避となってきたサッカー界およびスポーツ界にとって、第二のフリューゲルスを生み出さないようにするためにはどうするか、という裏のテーマも図らずも背負うことになっていくと思うので、なおさら雑誌としても大事にしていってほしい連載。

 最近の『批評』の連載ですごく楽しみになっているのが「世界サッカー狂図鑑」。さまざまな国の市井のサッカーファンをじっくりと取材し、文章とイラストで親しみやすく紹介してくれる。今回はマレーシアのジョホールバル出身のサポーターさんで、イスラム教徒としての生活様式と、サッカーを熱くサポートしていく日々がどのようにリンクしていくかが興味深い。そして今回は「番外編」として、この国で芝を作る日本人の奮闘ぶりもレポートされている。こちらも「すげぇぇー!!」となる。サッカーというスポーツの及ぶ世界の広さをあらためて実感。

 今号では、以前別冊で出た「フットボール戦術批評」のエッセンスが「ミニ版」として収録されていて、あえてサッカーが観られないなかでこういうガチな戦術論を載せてきたこと自体が面白い。そして期待以上に前のめりになる記事ばかりだった。ひとつはシメオネ監督のアトレティコがリバプールとのCL戦で見せた「ゲーゲンプレッシング2.0」といえる組織的ボール奪取の理論の話。
 もうひとつはベガルタ仙台を指揮していた渡邉前監督と岩政大樹氏の対談「ポジショナルプレー実践論」。これは指導者目線で語られたがゆえに、「いかに選手に分かってもらうか」というベクトルが、そのまま読み手である我々素人にたいする「いかに読者に分かってもらうか」という方向性に一致していくので、記事の中で岩政氏がひとりで熱く盛り上がっていくポイントと、読み手の私のほうもシンクロして「そういうことですかー!! なるほどーー!」となった出色の対談。
 ちなみに普通こういう対談形式の記事は「聞き役の合いの手」が省かれることが多い。しかしこの記事では

「岩政:はい」

「岩政:あーー」

っていう、やたら挿入される岩政氏のこの短いリアクションが誌面で再現されていると、読んでいるこちらのリズムにも同調してくるので、このスタンスはわりと悪くないと個人的には思っている。

 そしてこちらも印象に残った記事としては、元Jリーガー井筒陸也氏とサガン鳥栖・小林祐三の対談。もともと音楽活動などサッカー選手以外の顔も積極的に見せていた“パンゾー”選手だったが、その発信力ゆえにいろんな言葉を持っている選手だということが改めて分かってすごく刺激的。コロナ禍におけるJリーガーは何を考えるべきか、という井筒氏の問いかけに対して小林祐三は、

「一回、絶望したらいいんじゃないと思うけど。
そこで絶望できるというのも、一つの指針になるなと思っていて。
でも、僕は絶望できなかった」

 刺さるフレーズである。
 ほかにも「フットボールにたいして盲目的にならないようにする、ほどよい脱力感」というテーマも興味深く、「子供のときからサッカーしかやってませんでした」というのが、日本の部活動のありかたなども含めて果たしてどうなんだろうかという教育文化的な側面にも通じるものがある。 やー、小林祐三に連載記事書いてもらえないだろうか(笑)。つまり、こういう『批評』のようなメディアこそが「語れるJリーガーを見いだしていく」という機能を果たしていくのではないかと思っていて、普段だとなかなか話せないことも、『批評』のような場だったら、心の内を自分のリアルな言葉で紡いでもらえるのではないかと、そういうことを改めて期待させた号だった。

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2020年3月21日

イングランド史上最高のフォワード、ウェイン・ルーニーは「詩を書くこと」が好きだという驚きの事実に「…なるほど!」となる

いまDAZNで配信されている、BBCドキュメンタリーのウェイン・ルーニー編を「いまさらルーニーもなぁ」と思いつつ(失礼)、それとなくダラダラと観ていたわけだが、何が驚いたかって、ルーニーは少年期から「詩を書くことが好き」だという。

奥さんと付き合い始めたときはもちろん、結婚後も、旅先などで妻や子どもたちよりも先に早く起きて、詩をしたためて贈ったりするとか。

いや、ほんと失礼で申し訳ないのだが、ルーニーがそういうことをする人だとは、これっぽっちも思っていなかった。

「文章を書くことは好き」と本人も認めているわけだが、16歳で衝撃のプレミアリーグデビューを飾った「怪童」が、同じ頃リバプールのとある高校の国語の授業を楽しんで受講していたのかもしれないと思うと、それまで思い描いていたルーニー像が、また違った印象になる。

そして私は今回、「ルーニーは文才がある」という新事実を前にして、あらためて「なるほど!」と、深く納得したわけである。

それはどういうことかというと、ルーニーのサッカー選手としての際立った特徴のひとつとして、「どんな選手と組んでもうまく機能する」というのがあると思えるからだ。彼のキャリアのハイライトはマンチェスター・ユナイテッド時代になるが、その在籍中、ファン・ニステルローイ、カルロス・テベス、クリスティアーノ・ロナウド、ズラタン・イブラヒモビッチなど、「超個性的」とも言える点取り屋が来て活躍しては去っていったわけだが、ルーニーはこうした選手たちと常に良いコンビネーションを築き上げていった。彼はゴールゲッターでもあるがチャンスメイクにも長けていて、コンビを組むアタッカーといかに連動していくかを高いサッカーセンスでもって成し遂げていった印象があるのだ。

で、「文章を書くこと」というのは、「相手とのコミュニケーションへの心遣い」というものが非常に重要になってくる作業であり、相手の立場や状況を察知して、自らの表現をそのときどきに応じて適切に発動させる行為だとすると、ルーニーが「詩を書くのが好き」というとき、それは彼のサッカー選手としての(そして人としての)根本的な「姿勢、スタイル」にも見事に直結しているのではないか、と思うのである。味方を活かしつつ自分もチャンスで狙っていく。それをルーニーのレベルでやられたら、そりゃあ相手は大変である。

ちなみに日本のサッカー界でも、田嶋幸三氏(いまコロナウイルスで大変なことになっていてお見舞い申し上げます)がかつて『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(光文社新書、2007年)という本などで紹介しているが、JFAアカデミーでも育成年代のサッカー選手にたいして論理的思考や言葉の運用能力を向上させようという取り組みが行われているわけで、このあたりは日本全体の教育そのものの重要性に直結するところだから個人的にも興味深い部分である。いずれにせよ若いサッカー選手たちには「ルーニーは、詩を書くのが好きだってよ!!」と言い聞かせたいところである。

 

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2014年6月 1日

夜の公園で、未来のネイマールとボールを蹴った話

友人達が、近所の公園でボールを蹴りましょうと誘ってくれた。

こうして何気なくボールが蹴れる機会を(まったく普段サッカーをしていない人でも)作っていけるようにしたい、というのはかねてから考えていたことであり、二つ返事でオッケーした。

普段めったに運動をすることがない生活を送っているオトナ4人が夜の公園に集まり、本当に単純に「恐る恐るボールを蹴ってみて遊ぶだけ」という、なんともヘナチョコな状況を繰り広げていた。ちなみにボールは、この日はじめて封をあけた新品のものだった。

あらためて簡単なパス回しをしていても、日頃サッカーを「観る」うえでも非常に得るものがあった。いかにトラップが難しいか、いかにグラウンダーでくるボールをダイレクトで蹴るのが難しいか、そして何より、90分走り続けたうえで、最後まできっちりボールを蹴ることのできるプロ選手の体力がいかにすごいか、ということをワールドカップ前にあらためて肌感覚で体験できる機会となったのはよかった。

そうやってすぐに息のあがったオトナたちがダラダラと公園のすみっこで休んでいると、同じ公園でボールを蹴っていた中学生の2人に声をかけられ、試合をしましょうと言われた。
普通に生活していて、子どもたちから一緒に遊ぼうと言われることなんてありえないのだが、サッカーボールを持っているだけで、こういう状況が成立する。突然のことにオトナたちのほうがドギマギしていたように思う(笑)。

こうして、オトナ4人対中学生2人の即席試合がはじまった。

そしてこの中学生のNくんがむちゃくちゃ上手な子で、「ネイマールが好き」と言うだけあって、雰囲気もネイマールっぽい感じで、我々は試合をしているというよりも、その見事な足技とスピードに翻弄されながら、ただひたすら「スゲー!!」と関心するばかりであった。

そうしているうちに、たぶんいつも中学生の子たちとこの公園で遊んでいるのであろう地元の小学生ぐらいの子どもたちが、どこからともなく5人ほど加勢に駆けつけてきて、それがなんだか可笑しくて笑えてきた。昭和のマンガみたいな展開。

で、そこで話し合いの末、この素人オトナチームへNくんに加わってもらい、それで試合をすることに。

オトナたち、ひたすらNくんの名前を連呼して彼にボールを集めていく。
メッシやネイマールなど、一人で突破できる選手を味方にすることの気持ちを味わう。もう、ひたすら彼に頼る頼る(笑)

相手の子どもたちも、ガチでサッカーをプレーしている子たちのようで、バルサだったりレアルだったりのユニフォームを着て、背番号をみるとネイマールだったりクリスチアーノ・ロナウドだったりの名前が入っているので、僕らも「ロナウド!」とか呼んであげると、子どもたちもよりいっそうテンション高く真剣なまなざしでボールを追いかけていくのが印象的だった。

そして私はいつのまにか「ヘタクソなジダン」と呼ばれ・・・(笑)

試合が終わって(我々が負けた)、すっかり遅くなったので子どもたちを急いで帰らせる。
つい私は子どもたちに「年を取ったら体が動かなくなるから、今のうちに思いっきりサッカーを楽しんで!」と肩を叩いて声をかけていた。

「おれたち、オトナを相手に勝ったんやでー!」と家族や友人に自慢してくれたら嬉しい。

ネイマールなNくんは、よく聞けば京都のクラブチーム、ASラランジャに所属してプレーをしているとのこと。そりゃあガチで上手なわけだ。それでも自分のプレーぶりを鼻にかける雰囲気もなく、謙虚で礼儀正しい少年であり、我々オトナたちはすっかりNくんのファンになっていたので、自転車に乗って帰っていくNくんに向かって、私は衝動的に(例のマラソンの応援のように)彼の名前をコールして送り出した(←近所迷惑な話 笑)。

我々オトナ4人は、Nくんにとって最初のサポーター集団になったのかもしれない(笑)

普段そこまでサッカーを観ない友人は、こうしてラランジャというクラブチームのことをはじめて知り、Nくんの行く末も応援したくなる気持ちになっていた。これこそがJリーグのいう「百年構想」の芽生えみたいなものかもしれない。地元のチームで育つ子どもたちが大きな舞台へ挑戦していくプロセスをみんなで見守っていける環境づくりがJリーグの目指すところであり、そのワクワク感や面白さをリアリティをもって実感することができた出来事だった。

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2012年9月25日

映画館でマジ泣きしながら観た『コッホ先生と僕らの革命』に、日本のサッカーファンとして心からの「ありがとう」を伝えたい

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ドイツにおけるサッカーの創始期を描く、史実に基づく映画である。
1874年。イギリス帰りのコッホ先生が、サッカーボールを手にドイツに戻り、名門校で英語を教えることになる。

規律と服従を重んじるドイツ式教育のなかにあって、「自主性」と「フェアプレー精神」と「仲間を大切にする気持ち」を育みたいと思い、コッホ先生はイギリス留学中に出会ったあたらしいスポーツ、サッカーを通した授業を取り入れる。

ただしサッカーは国民教育的観点(またブルジョワ的価値観)からみると「野蛮」なものであり、従来の体育教育にはそぐわないものとして、同僚の教師や教育後援会の圧力によりコッホ先生とサッカーは排斥されようとする。

そうして学校ではサッカーが「禁止」となり、こっそりやっていた校外でのサッカーもバレて禁じられていく。しかし最終的に、国からの「視察」というイベントが契機となって、サッカーというスポーツが教育現場で活用できるかどうかという判断がされることになり、生徒たちの知恵と努力で試合にこぎつけるところが物語のクライマックスであるわけだ。

この、勇気ある先生と子供たちの存在があったからこそ、ドイツでサッカーというスポーツがはじまったのだという想いで映画をみると、もう映画の序盤から私は『探偵ナイトスクープ』における西田敏行みたいな状態になっていた・・・最初にコッホ先生が学校にサッカーボールと荷物をかかえて現れるシーンから・・・この一個のボールから、その後の100年後の状況を想うと、もう、涙腺がグワ~~っと。「早すぎ!」っていう(笑)。

そしてなにより、サッカーを通して培われていくフェアプレーの精神や、親や先生に服従するだけでない、ひとりひとりが自主的に考え行動する「フットボール的精神性」が、普段の生活の中でも活かされるのであるというメッセージがこの生徒たちの変容や成長を通して描かれているのであり・・・もう映画の中盤あたりからスイマセン、いい年こいて、たまらず涙と鼻水が流れたままで・・・(笑)

コッホ先生が公園で生徒たちに「想像してみてほしい、あらゆる街にサッカーチームができて、みんなが試合を楽しみにするような世界を」と呼びかける、そのシーンが印象的で・・・(この、この状況がですよ、仮にフィクションであったとして、そんなセリフが当時語られていなかったとしても)このコッホ先生の想いが実を結び、サッカーの魅力に感化された生徒たちを始まりとして、やがてドイツにサッカー文化をもたらし、そこからあらゆる地域における総合的スポーツクラブの伝統を生み・・・そしてクラマーさんが日本にやってきてこの国のサッカーの近代化に尽力した縁で、そのドイツの状況を現地で目の当たりにした日本の先人たちの「感動」が、その後の20世紀末の日本にJリーグを生み出す「原動力」へとつながっていった歴史を想うと・・・この今のJリーグの姿を、コッホ先生や「サッカーって、なんだそれ?」って最初は不思議そうな目をしていたあの生徒たちに見せてあげたい・・・「すべては君たちの勇気のおかげやぞ!」・・・と思うと、もうダメです、涙が止まらなかった。

このときのコッホ先生の想いが、そのまま100年を越えて、まさに僕らの日常にまで届いていること。サッカーを愛する我々が今まさに生きている世界をも含めて捉えうる壮大なストーリーの「原点」に、あらためて最大級の「ありがとう」を伝えたくなる映画である。

なお、全国で公開中だが上映されている映画館が限られており、そして非常に残念なことに「京都シネマ」ではパンフレットが売り切れだったので買えず、再入荷もないとのこと。なので私の知り合いのかたで、もし映画館でこの作品のパンフレットみつけた方はぜひ僕のぶんも買っておいてほしいですマジで!!

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2012年5月11日

フットボールクラッキ「ジュニア世代に求められる日本の育成環境とは!」

最近スカパーで放送されるようになったサッカー番組『フットボールクラッキ』が熱い。
「どうやったら、もっとサッカーをとりまく世界がよくなるか」という問題意識が徹底的に根底にあって、つまりは「容赦ない」。現状の地上波ではおそらく無理なのであるが、せっかくここまで有意義なコンテンツがあるのなら、こういうものこそ地上波でたくさんの人の目に触れて欲しい・・・と今回の「ジュニア世代に求められる日本の育成環境とは!」の回をみてよけいに思う。

今回は、育成年代のサッカーコーチとして最近注目されている池上正さんの指導方法や理念をめぐる内容がメインテーマ。

たまたま最近、池上さんの『サッカーで子どもの力をひきだす オトナのおきて10』という本を読んだのだが、これはサッカーのための本ではなく、正真正銘の「教育」の問題を扱っている本なのだと思えた。自分はいま子育てをしているわけではないのだが、子どもと向き合ううえでの「ちょっとしたこと」のなかに、いろいろな可能性を伸ばしたり、あるいはその可能性を潰えたりさせるものがたくさんあることを痛感させてくれる。サッカーは「たとえ話」に最適なツールなので、教育という枠組みで起こりえる大人と子どもの関係性は、そのままフィールドのうえのボールを通したやりとりに反映させて考えることがしやすい。サッカーの指導法をとおして、ひろく「子どもと大人の双方にとって、『成長』とは何か」ということまで考えさせてくれる本であった。

番組のなかでも、池上さんは「サッカーをうまくなるために、苦しいことに耐えてがんばらないといけない、と思われているけれども、それは絶対にない」と言い切っている。とくに年少児においては、技術よりもまずなにより「サッカーが楽しい」と思ってもらえることが大事なのである。楽しくなければその次につながらない。まずはそこが生命線となる。

そして「絶対に叱らない。褒める」というのも池上さんの重要なスタンスだ。
「ミスや失敗を見つけ、指摘するのは大人にとって一番簡単なこと」といい、そして「何よりミスをした本人がそのことを一番よく分かっているのだから、あえて大人がそこをさらに突いても、本人がヘコむだけ」と。そうではなく「チャレンジして失敗して、そこからいろいろな解決法なり突破口があること」をいかに「自分で考えられるように」指導者が子どもをエンパワメントしていけるか、が大事なのである。つまりは「問題解決への思考力、創造性」の育成にこそ指導者は注力すべきであって、そこをベースにして「さらにサッカーがうまくなりたい」というふうに大きくなっていく子どもにたいしてプレー技術や戦術を身につけさせる・・・というのが理想的ではないか、ということだ。

これって、もはやサッカーだけじゃない。もっとも根本的なところで、目指したい「教育」のあり方であろう。

ジェフ千葉のスタッフとしてオシム監督の薫陶を受けたこともある池上さんは現在、京都サンガの育成スタッフとなっているため、番組のなかでも京都の小学校へ訪問授業に出かけている様子が紹介されていた。そこでは小学生にたいしていきなり「サッカー」をおしつけるのではなく、まずは「コミュニケーション力を向上させる遊び」からはじまり、「仲間をつくり、仲間と協力して動くことの楽しさ」を味わえるようなプログラムで授業を進めていたのが印象的であった。授業のなかでたびたび起こる問題(最初に決めたルールを破る子がでてくるのをどうするか、集合の声を聞き入れてくれない子たちにどうしたらすぐ集合してもらえるようにするか)といったことを子どもたち自身が解決できるように粘り強く働きかけ、そうしてコミュニケーションを深めたうえで、そこでようやくボールをつかってサッカーのプレーを実践していくようにしていて、サッカーが好きでもない子どもでも一緒に楽しめるような内容を工夫していた。

ここで行われていることは、このブログを通して私が考え続けたいテーマそのものと同様、「サッカー」と「人生」とか「社会」とか「人間関係」とかが融合しているステキな営みなのである。もはや池上さんはあの子どもたちにサッカーを単純に教えているわけではないのだ。サッカーは単なる道具として、そこから「自分の頭で考え続けること、創造性を発揮すること、自分で自分を成長させること、失敗を恐れないこと、挑戦する意欲を持つこと」といった、人が社会のなかで生き続けるうえでたくさんの大切なことを共に考え学ぶことを目指している。そのうえでサッカーは、他のスポーツと比べて圧倒的にシンプルであり、道具も少なくて済み、プレイする場所にも制約を受けにくいという利点があるために、教育的ツールとしても(娯楽としても)重要な役割を担っていくと思うわけだ。

いずれにせよこの「教育としてのサッカー」については、何度も書き続けるテーマになるだろう。

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2012年3月27日

子どもの教育上良くないガンバ大阪の監督人事

セホーン監督は、そもそも呂比須ワグナーの監督招聘プランがJリーグから不許可になったから、「仕方なく」呼んできた監督なわけだ。
で、公式戦5連敗で監督を解任するのはしょうがないとしても、ヘッドコーチに据えていた呂比須までクビにするっていうのが、筋道としてどうにも腑に落ちない。それだと「西野監督を切ってまで呂比須を監督に」というそもそもの最初のアクション自体の意図は何だったんだと怒り出す人が続出してもしかたない。引き続きヘッドコーチを呂比須に担当させて、そのうえでチームを指揮してくれる監督を再び探す、っていうプランはありえないのか?

プロの世界のこととはいえ、私は常々、こうした「人事をめぐるあれこれ」について、「もうちょっと、子どものファンの目線も意識して行動してほしい」と思っている。
そりゃあ、プロは厳しい。社会も厳しい。それでもなお、プロスポーツの世界においては、次世代への教育的観点をかなぐり捨ててまで、勝ち負けと金の問題に執着するオトナの醜態をさらしまくってほしくないのである。ましてやサッカーなのである。もっともこの世で「教育的可能性を秘めたスポーツ」なのである。

なぜセホーンが解任されたら、呂比須まで一緒に解任されないといけないのか? ヘッドコーチとしての実力が足りなかったからか? ヘッドコーチの力量って5試合の結果で判断されるような要素がどこまで仕事としての範囲内でありえるのか? では、なぜ最初に呂比須を招こうとしたのか? その意図は? その責任は誰が取るべきなのか?
・・・といったことを、私はもし子どもに問われたとしても、今はなんとも答えようがない。

思い描いていた結果にならないと、このような「むちゃくちゃな判断」がまかり通るということを、子どもたちに学習してほしくないわけだ。
粘り強く、筋道を立てて試行錯誤していくような姿勢、それこそがそもそも「サッカー的な打開方法」ではなかったのか。

そう思うと、悔しいけどアーセナルFCのベンゲル監督への信頼感や、それを支えるサポーターの雰囲気といったものが輝いて見えてくる。たとえ目先の結果が伴わなくても、サポーターやフロント陣は、ベンゲルと同じ目線で、自分たちのクラブの若手選手がどんどん育っていく過程や彼らの未来への可能性を一緒に追求してワクワクしているのである。そしてそれこそまさに教育的でもある。

ちなみに、セホーンの後任として松波がヘッドコーチから昇格したことは、一方では興味深い雰囲気を漂わせている。
というのも、現役時代の後期の松波の姿は、後半途中から流れを変えるために投入されることが多い印象があって、まさに今の状況も同じように思えてくるからだ。ガンバ大阪史上有数の劣勢なる展開において、かつてと同じように、静かに寡黙に表舞台へと勝負していく松波の姿に注目だ。

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