イングランド/England

2022年3月12日

いまチェルシーのファンとして言いたいこと

220312

 ロシアのウクライナ侵攻に伴い「オリガルヒ」と呼ばれる大富豪の資産について英国政府は資産凍結や渡航禁止措置の制裁を取ることになり、チェルシーFCのオーナーもその対象となった。日本の片隅にいる私はただでさえ年度末でクソ忙しい日常のなかで、はやく収まってほしいと願う戦争のニュースとともにまったくクラブの状況が追い切れていないなかで、焦燥感を覚えつつ今、この文章を書いている。状況は刻々と変わるだろうから、このブログで正確な情報を提供することは難しいことを前提でおつき合いいただきたい。

 自分の知る限り、まず最初にアブラモビッチがチェルシーの所有権を手放して、他の管理団体に運営権を渡すと発表したのだけれども、今回の政府の制裁により、自由にクラブを売却できなくなって、かつチケットやグッズ販売、選手契約とかの営業的な活動ができなくなる、とのこと。さすがに試合はできるように政府から「特別ライセンス」が付与されて、チームとしての活動はできるものの、そもそも「商売」の部分が取り上げられたらクラブは今後どうなるんだ、というのが現時点での話(合ってる?)。

 ところでちょっと話がそれるが最初のアブラモビッチの発表のときのニュースであらためて知ったのだが、クラブ側がアブラモビッチにたいして莫大な負債があって、その返済もチャラにしますみたいな意向が報じられていた。でもこれって会計上では世の中で普通にあることなんだろうか。クラブは利子をつけてオーナーにお金を返しつつ、オーナーは自分の利益をクラブに再投資し続けていたり、さらにお金をクラブに貸し付けているわけで、そもそもこういうお金の流れってセーフなんだろうかとフト思ったり。会計的なことにまったく疎いので詳しい人に教えてもらいたいのだが。

 で、そもそもアブラモビッチ氏がどういう経緯で大富豪になっていったかとかの話を引いてきて、もともとがダーティーなお金で成り上がり、そういうお金でチェルシーというクラブが強くなっていったのだから、チェルシーファンは自らのアイデンティティに苦しんでいるだろうみたいな論評もネットでみた。これについては「はぁ、そうですか」としか言えない。もし仮にアブラモビッチに買収されたあとの2003年以降のすべてのタイトルが「無価値」なものにされたりトロフィーが没収されたとしても、サッカーの現場において存在した、幾多のリアルな出来事は不変であり、「勝ったり負けたりの楽しさや記憶」までを奪われる筋合いはまったくない。2012年のCL準決勝でバルセロナ相手に決めたトーレスのゴールを思い起こすたび、あの無人のゴールへ転がっていくボールの軌跡には70億円相当に見合う価値があったのだと腑に落ち、たとえあれがダーティーなカネであろうが、あのときの強烈な快楽の共有、そして腹の底からの
「ざまぁーーみろ!!」
の背徳的なまでの爆発的な感情の吐露、それはサポーターたちにとって永遠のものなのである。
 
 さて2003年にアブラモビッチがチェルシーを買収した際に、アーセナルのベンゲル監督が「彼らは宝くじに当たったようなものだ」とコメントしたことを覚えているだろうか。当時私はなぜかその発言が印象に残っていて、その頃からはじまるチェルシーの豪華な補強の数々を目にするたびに、ベンゲルの言葉を繰り返し思い起こすこととなった。なるほど、そうか、これは宝くじに大当たりしたようなものなのだという認識は、そのあともずっとあった。

 なので私が以前このブログで「あなたがチェルシーのサポーターにならないほうがいい10の理由」という記事(こちら)を書いたとき、

このあたりのスリリングさは今後も続いてくだろうし、ある日突然、アブラモビッチがチームから手を引いて大混乱に陥って、崖から一気に転がり落ちていく危険性もあるわけで、そういう日がくることを・・・実は心のどこかで「怖いものみたさ」で期待してしまう自分もいたりする。

このように書いたのは、私のなかでずっと「いまは宝くじに当たって散財している状態」としてチェルシーを応援してきたことに由来している。そう、いつかは宝くじの当選金も尽きてしまう日がくるだろう、そういう思いがずっとあった。

 ただし、(1)このような事態がきっかけとなってクラブの経営危機が起こるとは想像していなかったことと、(2)よりによってこのタイミングかよ、というのが私の今の気分である。まず(2)については、つい先月このクラブは世界最高峰の栄誉に浴したばかりであり、どうせ世界中のサッカーファンやマスコミからはすぐに忘れられるだろうから大声で言っておくが、現時点では「地球上で最も優れたサッカークラブはチェルシーFCです」と断言してもこの1年ぐらいはまったく差し支えない状態なのである。そんなクラブがたった一ヶ月そこらの間にグッズ売場までもが閉鎖させられるような仕打ちを受けているのであり、この圧倒的な落差を劇的なまでに仕立て上げられるストーリーが、将来このクラブの歴史を振り返るときに繰り返し語られるのかと思うと正直ゲンナリする。

 そして(1)については、これは国際情勢を把握していないとなんともいえない複雑な事態であり、何かを言うことに難しさを覚えるが、それでも今チェルシーのサポーターである自分として感じていること、特に英国政府に対して言いたいのは、オーナーが制裁を受けてクラブ経営が縮小を余儀なくされたり破綻したりプレミアリーグから強制的に降格させられようが、そして我々の愛するクラブが「ダーティーなマネー」に満ちていたことを痛感させられようが、それを踏まえても今、最も目を向けて優先してほしいことは、ウクライナとロシアの民間人が無用な殺戮や刑罰に巻き込まれないようにすること、人道的支援を拡充すること、環境汚染の拡大を防ぐこと、そこに向けての政治的な働きかけを全力で追求することだ。

 私にとってサッカークラブの消滅危機は二の次だ。そして付け加えるなら、クラブは消滅できない。何があろうとも、サッカークラブの本質は壊滅させられた焦土のなかにおいても必ず芽吹いて空をめざすようになると思っている。そして当然ながらウクライナにもロシアにもチェルシーのファンがいるだろう。サッカーには、政治的指導者が固執する古くさい国民国家の枠組みなどでは到底乗り越えることができないスケールの連帯と多様性と力強さがある。そして、その気になれば国境を越えてチャントを見事に合唱できる。

| | コメント (0)

2022年2月13日

World Champions! Chelsea!!

Worldchampion

すいません、結局ぜんぜんクラブW杯をライヴで観る状況ではなかったんですが、朝起きて優勝を知りました。
2012年の横浜開催のときの雪辱を果たしましたね・・・いやはや、おめでとうございます。
思えばアブラモビッチ体制になってからちょうど20年ぐらい経ったわけで(個人的にはあっという間な気分ですが)。ここまでオーナーが支えてくれるとも予想だにしませんでしたが、こうして頂点の頂点までトロフィーを獲得したわけで、そういう意味でもなんかホッとしたというか、どういうわけかオーナー目線でこの勝利を捉えてしまいますな(笑)。

後追いでYouTubeで試合を確認すると、ネックになったのは双方の2得点がVAR判定がらみだったということで、それなりに難しい試合展開だったようで。

Yuni
この最大の大一番における「現地組」のサポーターたちのユニフォーム着用率がとても気になるので、写真を探してしまいがちですが、ここぞというときに着るユニってそれぞれ思い入れがあると思うんですね。で、やはりみんなバラバラで、レトロなユニが興味深い。逆にいうと現行の「3ユニ」ってあまり人気なさそうな気もする。

それにしても英国版の公式サイトのトップページをみたら、
Az
いやー、このアスピリクエタの笑顔が、なんともインパクトあっていいですね。この笑顔に乾杯ってやつです!
Well done, Blues!!

| | コメント (2)

2020年9月13日

『フットボール批評』を定期購読してるもんだからチェルサポなのに「アーセナル特集号」を読まざるを得なかった件

200913_01

 私はチェルシーサポを標榜しているが、屈折した性格ゆえに、あるいはチームの風土がそうさせたのか、愛憎入り交じるヒネくれたスタンスでこのクラブを応援している(この記事など参照)。

そして『フットボール批評』を定期購読していて、「あなたはまだアーセナル信仰を知らない」という特集テーマの最新号が届いたときには、苦笑いするしかない

 ヒネくれついでに言うと、実は、わりとアーセナルは好きなほうである。

 そもそもデニス・ベルカンプは私の人生でも指折りの大好きな選手だ。98年W杯のオランダ×アルゼンチン戦における彼の伝説的トラップ&シュートを生中継で目撃したとき、リプレイを見ながら思わず彼の体の動きをその場で何度も真似てみたりして、そして「やっぱりこれからは海外サッカーも熱心に追いかけよう」と強く思ったこともすごく覚えている。

 そして2001年1月にはじめてロンドンに訪れたとき、21世紀最初のサッカー生観戦を、私はあのハイバリーで迎えたのである。当時は家にネットもなくチケットオフィスに国際電話をかけてムチャクチャな英語を使ってなんとか奇跡的にゲットしたチケットであるが、当時から入手困難だったはずのハイバリーのチケットが取れたのは対戦相手が当時最下位のブラッドフォード・シティだったからかもしれない(調べたら今は4部リーグにいる)。なので今はもう存在しない、天井がせり出していて暗くて狭いハイバリーのスタジアムでベルカンプのプレーを味わえたことは・・・人生初めての飛行機に恐る恐る乗って、この飛行機嫌いの選手を観にいくことに意義があった・・・サッカーファンとして貴重な思い出である(それでも運命は奇妙なもので、このときのロンドン旅行から帰ってきた直後にはチェルシーのサポになっていったわけだが・・・)。

 ちなみに話がそれるがチェルシーFCファンとしても知られるミュージシャンのカジヒデキさんがチェルシーサポになった理由は、ロンドンで暮らしていた時代にアーセナルの試合が観たかったけどチケットがぜんぜん取れなくて、そのかわりにチェルシーのスタジアムに行くようになったことがきっかけだったとのことで、このあたりの「仕方なさ」からサポになるノリは痛快である。

 というわけで、そんな私が「アーセナル特集号」を手に取り、出来る限り好意的な目でそれぞれの記事を読もうと挑んだのだが、結論から言うと「ガッカリ感」だけが残ったわけである、うむむ。

 印象として「どの記事も予想通りのことしか書いてない」。それって『批評』の仕事ではないと思うのですよ。百歩譲って「いや、今の若いサッカーファンの多くは03-04シーズンのインヴィンシヴル時代をリアルタイムで知らないのだから、過去の歴史を振り返るのは大事」と思いつつも、この雑誌には「別の見方」とか「論点」を求めているので、そもそもこうやって特定のクラブのことだけを取り上げるのは、やっぱり他のサッカー雑誌に任せておいた方がいいのではないかと。

 そんなにヴェンゲル礼賛のスタンスだったら、アーセナルという素材ではなくヴェンゲル監督自身を主軸にして、ASモナコ、名古屋、アーセナルといったそれぞれの仕事を通史で検証する流れに構成したほうがよっぽど『批評』として意味があったと思う(それでもグーナーたちは買ってくれたと思うよ)。日本の雑誌なのだから、やはりグランパス時代のことや、日本代表監督就任を切望されていたヴェンゲルがトルシエを推挙したことなど、そっちのほうがよっぽど「今だからこそ掘り下げるテーマ」としてふさわしいのではないだろうか。

 「ヴェンゲル時代はすばらしかった、無敗優勝は偉業だ」なんて記事を『批評』で読んでも「そんなの分かりきっとるわい」という思いは拭えないし、そんな気持ちで雑誌をとじて表紙を見ると「あなたはまだアーセナル信仰を知らない」って書いてあるから「知るかー!」ってなったり(笑)。そもそも、アーセナルの栄光の陰には、ずっとヴェンゲルに批判的な一派もいたかもしれないし、ソル・キャンベルの存在を最後まで認めたがらないサポーターもいたかもしれないし、「フランシス・ジェファーズをあきらめない偏執狂ファンたち」だっていたかもしれないし、それとか「ニクラス・ベントナー豪傑伝説」みたいなネタ記事があったってよかった。歴史の表舞台からこぼれ落ちていった断片を、後から少しずつ拾い上げて眺めていく「どんくさい」作業を、紙媒体の雑誌は担っていって欲しいと思う。

 『批評』は、もっと論争を持ち込んでいいと思うし、甘っちょろい予定調和的サッカージャーナリズムを叩き潰す勢いが欲しいのですよ、マジで。ページをめくる手を思わず止めて「そうだったのか・・・」とか「これってどういうこと・・・」と黙想させてくれるような記事を期待している。でもこれを書きながら思ったのは、これってまるで「90分フルでプレスをかけつづけろ」って言っているようなものかもしれないから、「そりゃあ確かにムリだよな」という気持ちにもなるので、なんともむずかしい。

 

200913_02

↑ パソコンに保存されていた、どこから拾ってきたか思い出せない画像。信仰と愛のかたち。

| | コメント (0)

2020年4月21日

本当にどうでもいい話かもしれないのだが

こんにちは。

ひきつづき先の見えない生活が続いていて、張り合いのない日々ではあるが、そんななかコネタを。

最近DAZNでは過去のプレミアリーグの名勝負などが随時配信されていて、そのなかで1994-95シーズンにおけるブラックバーン・ローヴァーズの優勝決定の試合があった。

いまは2部リーグにいるが、トップ・ディビジョンがプレミアリーグとして新設された1992-93シーズンから、2004-05シーズンにチェルシーが優勝するまでの間は、「マンチェスターUとアーセナル以外でプレミアを制した唯一のクラブ」として特異なポジションを誇っていたわけで、近年のレスターほどではないにせよ、この優勝はなかなかレアなものと言える。

この時代のことはまったく知識に乏しく、ブラックバーンにはアラン・シアラーがいて活躍したことぐらいしか知らなくて、映像をみていると元チェルシーのグレアム・ルソーもこのときの優勝メンバーだったことを今回はじめて知った(つまりその後のルソーがチェルシーに長く在籍していたあいだは、チームのなかで数少ないプレミアリーグ優勝経験者だったことになる)。

 

で、そんな昔の試合映像をダラダラと眺めていると、思いもがけない発見があった。

 

ブラックバーン・ローヴァーズFCといえば、このエンブレムである。

Blackburn

そう、バラである。

設立が1875年とのことでイングランドでも古いほうになる。調べたらエンブレムもいろいろな変遷があったようだが、チームの位置するランカスター地方を代表する花が赤いバラとのこと。イングランドのクラブは紋章風のエンブレムが多いので、こういうビジュアル直球型のデザインはやや珍しいとも言える。ちなみに下に書いてあるラテン語は「技術と労働」という意味。ArtとLabourか。


そして、

この奇跡の1994-95シーズンにおいて、ブラックバーンのゴールマウスを守っていたキーパーというのが・・・



Flowers

 

「フラワーズ」さん、なのである。

 

すごい、と思う。

 

見事なオチだ。

・・・すごくないですか?

Flowers

「フラワーーズ!!」

 

     ( し つ こ い ? )

Savage10_20200421222901

 

やー、素直に感動しましたよ、ワタシは。

そういうことってあるんですね、と。

外出自粛のなか、ひとりで家にこもりつつも、こういうネタは大事にしていきたいのである。

 

| | コメント (0)

2020年3月21日

イングランド史上最高のフォワード、ウェイン・ルーニーは「詩を書くこと」が好きだという驚きの事実に「…なるほど!」となる

いまDAZNで配信されている、BBCドキュメンタリーのウェイン・ルーニー編を「いまさらルーニーもなぁ」と思いつつ(失礼)、それとなくダラダラと観ていたわけだが、何が驚いたかって、ルーニーは少年期から「詩を書くことが好き」だという。

奥さんと付き合い始めたときはもちろん、結婚後も、旅先などで妻や子どもたちよりも先に早く起きて、詩をしたためて贈ったりするとか。

いや、ほんと失礼で申し訳ないのだが、ルーニーがそういうことをする人だとは、これっぽっちも思っていなかった。

「文章を書くことは好き」と本人も認めているわけだが、16歳で衝撃のプレミアリーグデビューを飾った「怪童」が、同じ頃リバプールのとある高校の国語の授業を楽しんで受講していたのかもしれないと思うと、それまで思い描いていたルーニー像が、また違った印象になる。

そして私は今回、「ルーニーは文才がある」という新事実を前にして、あらためて「なるほど!」と、深く納得したわけである。

それはどういうことかというと、ルーニーのサッカー選手としての際立った特徴のひとつとして、「どんな選手と組んでもうまく機能する」というのがあると思えるからだ。彼のキャリアのハイライトはマンチェスター・ユナイテッド時代になるが、その在籍中、ファン・ニステルローイ、カルロス・テベス、クリスティアーノ・ロナウド、ズラタン・イブラヒモビッチなど、「超個性的」とも言える点取り屋が来て活躍しては去っていったわけだが、ルーニーはこうした選手たちと常に良いコンビネーションを築き上げていった。彼はゴールゲッターでもあるがチャンスメイクにも長けていて、コンビを組むアタッカーといかに連動していくかを高いサッカーセンスでもって成し遂げていった印象があるのだ。

で、「文章を書くこと」というのは、「相手とのコミュニケーションへの心遣い」というものが非常に重要になってくる作業であり、相手の立場や状況を察知して、自らの表現をそのときどきに応じて適切に発動させる行為だとすると、ルーニーが「詩を書くのが好き」というとき、それは彼のサッカー選手としての(そして人としての)根本的な「姿勢、スタイル」にも見事に直結しているのではないか、と思うのである。味方を活かしつつ自分もチャンスで狙っていく。それをルーニーのレベルでやられたら、そりゃあ相手は大変である。

ちなみに日本のサッカー界でも、田嶋幸三氏(いまコロナウイルスで大変なことになっていてお見舞い申し上げます)がかつて『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(光文社新書、2007年)という本などで紹介しているが、JFAアカデミーでも育成年代のサッカー選手にたいして論理的思考や言葉の運用能力を向上させようという取り組みが行われているわけで、このあたりは日本全体の教育そのものの重要性に直結するところだから個人的にも興味深い部分である。いずれにせよ若いサッカー選手たちには「ルーニーは、詩を書くのが好きだってよ!!」と言い聞かせたいところである。

 

| | コメント (0)

2019年10月 3日

うっかり「スタジアム崩壊」の危機を乗り越えて

Nanostad(ナノスタッド)というメーカーが、いろんなサッカースタジアムのペーパークラフトのキットをリリースしているので、私はチェルシーのスタンフォード・ブリッジのキットを手に入れた。


Nanostad(ナノスタッド) スタジアム3Dパズル チェルシー スタンフォード・ブリッジ 3725

10img0457_r

▲余裕の表情をうかべる親子。

 

対象年齢7歳以上とあったので、まぁ、気軽に作れるキットだろうと思った。

厚紙に数字がふられたパーツを、手で押し出すように切り離していく。切断面が絶妙によく出来ているので、わりと心地よくパーツが外れてくれる。

03r0042027_r

▲左手に持っている半透明のパーツは、実際のスタジアムの屋根に設置されている半透明の屋根を模していて、このあたりかなりガチなこだわりをもってキットが構成されていて感心する。

こういう説明書をたよりに、接着剤などを使わずにすべて「差し込み」で組み上げていく。

02r0042022_r

なので、こういう細い道具を使うと、キットの穴ぼこを開けていく作業もやりやすくなる。

04r0042047_r

そうしているうちに「普通に作っていっても面白くないよな」という、子供の頃に培った「モデラー魂」が数十年ぶりにわき上がってきたのである。

たとえば、

05r0042048_r

こうしてピッチの周りを電光掲示板の広告看板が囲む部分も、のっぺりとした青いパーツだけで表現されていたので、ここは自分なりに手を加えやすい部分であると考え、

06r0042051_r

それらしい看板の画像をネットで見つけて、適度な大きさに印刷して貼ってみたり。

で、看板の裏側ってどうなっていたんだっけ? となり、過去に実際に現地で撮影した写真をひたすら振り返ってみると、こういう写真をみつけた。

Photo_20191003215901

▲この看板の裏側の部分だけを画像ソフトで切り抜いて、横に連続して貼り付けて縮小させてプリントアウトし、それを貼り込んでみた。

07r0042054_r

▲分かるだろうか。伝わるだろうか。これこそ模型制作の醍醐味であろう。結果的に最後まで組み立てると、この看板の裏側はほとんど目視では確認できないことが判明するのだが、「秘するが華」という世阿弥の言葉を胸に、これはこれで自己満足の境地なのである。

もしかしたら同じパーツを使いたいという読者がいるかもしれないので、このパーツだけ画像ファイルをダウンロードできるようにここに置いておく。(→ ダウンロード - e79c8be69dbfe8a38fe38391e383bce38384.jpg )

で、そういうマインドでスタンドの部分をみていると、

08r0042055_r

これはこれでいいのだが、人がいないスタジアムよりも、人が大勢いるほうがいいんじゃないかと思い、「やはりスタジアムには横断幕がいるだろう」と思ったのが間違いだった。

09r0042056_r

こういう横断幕をいろいろネットで調べて、細かく切ったりして貼り込んでいく。

写真にはないが、ゴール裏にはおなじみの「JT キャプテン、リーダー、レジェンド」幕とか「スーパー・フランキー・ランパード」幕とかも、それなりの大きさに切り取って貼っていった。

そのうえで、客席にお客さんが密集して座っている画像を縮小印刷して貼り込もうと思ったわけである。

しかし、このあたりで「力尽きた」のである。

おそらくミリ単位で横断幕を切ったり貼ったりしているうちに2017年の正月休みも終わっていったのだろう。

少しはいろいろと試みたのである。スタンドの座席の枠組みのサイズを測り、客席の様子を捉えた画像をそれなりの縮小サイズにして並べ、画像編集ソフトで並べたりカットしたりして、それをプリントして貼り込んでいこうというプランだった。しかし、あまりに面倒くさくなってきたのである。


そういうわけで、この模型はこの未完成の状態のまま、2年ほど放置されていったのであった。(ブログでこの制作過程をアップしようとしていたので、上記のような写真だけはちゃんと撮っていた)

つまり、言い換えると、私はチェルシーFCのサポーターであることを喧伝しながらも、自宅の片隅では2シーズンちかくにわたり、ホームスタジアムを崩壊させたまま生活していたことになる。

やー、申し訳ない、ロンドン。

で、そんな状態のままチェルシーの監督はコンテからサッリになり、そうしてランパードへとバトンが引き継がれた。

何も誰も引き継いでいない私の家には相変わらず朽ち果てたスタンフォード・ブリッジが忘れられた状態でたたずんでいて、最近になってようやく「これはさすがにマズイな」と思い、もう客席を人で埋めることはあきらめて(笑)、この状態のまま最後まで組んでいこうと、ふたたびピンセットを手に挑んだのである。

 

11img0434_r

 

Img0433_r

▲この屋根の部分に、先にあげた半透明のシートを組み入れたりするのだが、「なるほど、たしかにこんな風合いの光が屋根から降りてくる感じ、するする!」と興奮してしまう。

 

・・・とはいえ、私が思っていた以上に、組み上がりが進めば進むほど、パーツの接合作業には難しさが伴うようになっていった。

つまり単体のパーツ同士をはめ込むのは問題はないが、こうして建造物の立体感が出てきたあとだと、「あっちを差し込むとこっちが飛び出てしまう」というようなジレンマを覚えるシーンが多発するのである。なので場合によってはスタジアム崩壊覚悟でちょっとした力を加えながら、少しの隙間やゆがみを狙って、別のパーツをはめ込む・・・という作業がでてくるのであった。

Face

そう、こんな余裕の表情ができなくなってくるわけだ。

 

だから、もし今後これを読んだ方が、Nanostadのスタジアム模型を作ろうと思われた場合、私から言えるアドバイスはこれだ。

「自分が本当に好きなクラブ、好きなスタジアムの模型だけにしておきなさい」

というのも、

「なんでこのスタジアムはこんなところにヘンな出っ張りがあるねん!」

「どうしてこの部分が必要なんよ!?」

「誰やねんデザインした建築家は!?」

と、作っている最中に、スタジアムにたいして悪態をついてしまいたくなることが多々あるからだ。

 

そういう困難(?)を乗り越えて、多少のアラは目をつぶりつつ、なんとか完成にまでこぎつけた。

12img0445_r

▲あらためて、今まで気づかなかった造形美を感じられたり。

Img0449_r

▲画面左側の青い階段状のパーツが本当に難しかったのでヘロヘロ状態になっている。

13img0450_r

▲「そういやこの出入り口の坂道付近で2005年に出待ちしていたら、急にモウリーニョ監督が出てきたなぁ」と悦に入る。

14img0451_r

▲建設に関係した人々に罪はもちろんないのだが、あらためてこの模型を作るにあたり、併設のホテルを設計した人に「もうちょっとデコボコをなくしたデザインで作れなかったのか」と問い詰めたい気分になった。

Img0446_r

・・・というわけで、出来上がるとやはりそれはそれでいい感じの模型となり、どう飾るかはまだ未定なのだが、地面の土台の裏側が空洞なので、壁にフックでかけて垂直に展示することも可能である。

 

そしてオチとしては、このキットには・・・







15img0455_r

バス がついているのである。

これって、もはやチェルシーのキットにつけられると「おいおいモウリーニョ監督への皮肉か?www」となるわけである。

 

16img0456_r

▲あと、やたらリアリティを追求して設計されているはずの模型なのに、バスだけあきらかにスケール比率が合ってないという(笑)

 

(気になったので他のキットを調べると、バスのついているクラブは他にもあったので、まぁ、そこまで深読みしなくてもよさそうだった・・・)

---

というわけで、スタジアム建築が好きな方なら楽しめること請け合い。

Nanostadのホームページをみると、すごくマニアックなクラブまで揃っていそうで、手を出したくなる。

とはいえ、繰り返すが、あまり思い入れのないスタジアムだと「キーーッ!!」ってなるので、慎重に選びましょう(笑)

公式サイトにはでてないけど、アマゾンで検索するとドルトムントのスタジアムなんかもキット化されているみたいで、もし次に作るならこれにしたいかも。ただし絶版っぽいが・・・

 

| | コメント (0)

2019年8月22日

いわゆる「ランパード案件」について

 一年は早いもので、昨年のいまごろはサッリ監督のチェルシーについての展望を書いていた・・・というか話の主題は、サッリ監督が「チャーリー・ザ・ツナ」に似ていることを世界に向かって叫びたいだけのものだったわけだが。


 そうして月日が流れ、7月にプレシーズンで来日して川崎フロンターレやバルセロナと試合をしたチェルシーFCの監督席には、サッリではなく、フランク・ランパードが座っていた。そんなことになるとは一年前に想像もできなかったし、昨シーズンは2部のダービー・カウンティで結果を残していて、どちらかといえばもともとの出身クラブであるウエストハムあたりで今後は若手育成などを経験して大きく育っていく監督になるのかなぁーなんていう程度で、横目で彼の動向を追っていたぐらいだ。

 正直にいえば、私はもうちょっとサッリ監督のチェルシーが観てみたかったのである。

 一緒にナポリから連れてきた愛弟子ジョルジーニョありきの戦術で、どこかでジョルジーニョが故障などして使えなくなった場合に、果たしてどういうやりくりを戦術家サッリは見せてくれるのかを私はずっと密かに期待していたのだ。あるいはリュディガーやダビド・ルイスが揃って長期不在になったときにセンターバックからのボール供給という重要業務を誰がどうするのか、その状況において、伸び悩むクリステンセン君あたりが逆境をはねのけてどこまでチェルシー守備陣の救世主になれるのかなど、そういう(ネガティブ要因から生じる、総じてドタバタ感が満載の)物語を観てみたかったのである。

それがどうだ、ジョルジーニョはシーズン通してフル稼働していて、なぜかセンターバックもサイドもそれなりに元気でシーズンを終え、新加入GKケパもまるで5年ぐらい前からそこにいたかのような存在感だ。
 つまりのところ「固定しすぎたスタメンが、シーズン中盤から当然のごとく疲弊していって調子を落としまくって、かろうじて4位でフィニッシュ」という、実に予定調和的でフツーな感じの結末になったわけだ。そりゃあCL出場権に滑り込んだということは大成功の部類に入るシーズンではあったんだろうけど、本当にそれでいいのかチェルシーよ。
 私はひたすら「豪華絢爛さの陰で、卑屈でネガティブな雰囲気から立ち上る、モヤモヤがぬぐえないサッカー戦闘集団」としてのチェルシーを応援したいという想いを捨てきれずにいるので、まるで地方の公立高校で部員が最低人数しかそろってないけど甲子園を健気に目指して地方大会ベスト8あたりで惜しくも敗退した野球部のような、涙ぐましいさわやかな「やりきった感」のある少数精鋭チームというのはなんだか違和感があるのだ。

そんなわけで、オフにアザールが抜けて、移籍ルール違反のごたごたで補強禁止処分が下り、プリシッチがかろうじてルール範囲内で新規獲得選手となり、ほとんど変わらないメンバーで新シーズンを迎えることになったが、ここでこそサッリ監督2年目の「必死のやりくり」を見せて欲しかったのである。何せサッリは元銀行員という異色の経歴の持ち主だから、バランスの悪い条件下における「絶妙な帳尻合わせ」をピッチ上で見せてくれたはずなのである。それが面白くないわけがないだろう。なので、ここでランパードを監督に迎えることがどれだけハンデになっていることか、首脳陣は考えたことがあるのだろうか。

ついでにいうと、サッリの後釜に「レジェンドOB」を迎えるのであれば、なぜランパードではなく、サッリの副官だったジャンフランコ・ゾラを真っ先に指名しなかったのか。どうしてサッリ退任とともにゾラもチームを離れなきゃならなかったのか。「ゾラ信徒」としてはそこも解せないわけである。

というわけで、ここまで読んでくれた方は、「タテイシはランパードを評価していない」と思う向きもあるだろう。

うむ、そこは、とても難しいところであるが、「否定はできない」と述べておく。

実を言うと、私はフランク・ランパードについて、どうしても「表現しにくい何か」を抱えている。ずっと。
とても評価しにくく、何らかの言葉で言い表すことが難しい存在の選手である。

あまりに多くの貢献を果たしたスーパーな選手であることは認めつつ、とはいえ、チェルシーのファンとして彼の監督就任を手放しで喜べるかというと、そうでもない。
私はこの「ランパード案件」がずっとひっかかっていた。どうしても素直にスーパー・フランキーを讃えられない。

---

・・・と、以上までの文章を書いたところで、しばらく「寝かせて」おいた。ブログの下書きとして置いておいて、これからどう書こうかとぼんやりと考えつつ、あぁそろそろプレミアも開幕だなぁとノンキに構えていたら、すんでのところでまさかのダビド・ルイス、アーセナル移籍の報道。

これで私にとってはっきりしたのは、「やはりランパードとは分かり合えない気がする」ということだ。まぁ、別に私がランパードと友人になるかどうかが問われているわけではないのだが・・・

ダビド・ルイスと新監督とのあいだに何があったのかについて、もはや私はその報道を追いかける気にもなれないのでよく分かっていない。「能力以上に、キャラ立ち具合」で私はチェルシーの選手を評価してきたので、そういう意味ではダビド・ルイスこそが現在のチェルシーFCをひっぱっていた選手だったから、この移籍にはかなりの失望感を覚えている。そもそもゴール前のフリーキックの場面で「呼ばれてもないのに、自分が宇宙一のフリーキッカーであると言わんばかりにやたら蹴りたがる感を出すこと」で相手GKへのムダな揺さぶりをかけていたあの役割をこれから誰が担うんだよ、ランパードが代わりに蹴るのかよ。

そんなわけで、開幕からさっそく私は新監督にたいして厳しい目を向けてしまうこととなった。チャーリー・ザ・ツナに似ているわけでもなく、どうしたって「レジェンドの香り」しか出てこない精悍な若大将について、このモヤモヤ感を抱えたままシーズンを送ることが今年のテーマになりそうだ。

まぁ、でも、結局な、
DAZNに変わったらプレミアリーグをかつてのような愉しい気持ちで鑑賞することも難しくなっていくんだろうよ。結局そこかもしれない。ブツブツ途切れすぎなんだよネット映像配信は!ほんとに、もう。

 

・・・と、結局いろいろなところに八つ当たりをしている夏の日々なのである。

 

| | コメント (2)

2019年7月17日

チェルシーFCの19/20シーズンのアウェイは「モッズ文化」をモチーフにしているとのことだが、モッズというよりも・・・

ええと、スーパー・フランク・ランパードがチェルシーFCの新監督に就任したことはまた別に書こうとずっと思っていて、ちょっとこれはネタとして大きすぎて、どう書いたらいいものかずっと思い悩んでいる状態であった。そんなこんなでチェルシーFCご一行はジャパン・ツアーとしていま日本に来ているわけで、金曜日の夜に川崎フロンターレと試合をする予定である。関東に住んでいるチェルサポは大忙しとのこととお察しする。

 

さてそんななか、新シーズンのアウェイ用ユニフォームが公式サイトで発表されている。(すでに発表済みのホーム用のユニフォームは、私はわりと好きな感じである。ナイキにしてはよくやったとすら思っている

公式サイトの文章をグーグル翻訳すると、

------
清潔でスタイリッシュなデザインは、1960年代のロンドン、特にスタンフォードブリッジから歩いてすぐのキングスロードで繁栄したモッズ文化にインスパイアされています。
新しいキットはボタンダウンカラーで完成したぱりっとした白いポロシャツを特徴とします。 これは赤と青の縞模様でトリミングされ、中央に2つのボタンで固定されています。それぞれに「ロンドンのプライド」というフレーズが刻まれています。

------

とのことで、今回は「モッズ・カルチャー」をテーマにしてきたのである。

パンクよりも清潔感があってシャープな雰囲気、つまりはフレッド・ペリー的な装いを狙っているんだろう。

それで公式サイトではこのように男子チーム、女子チームそれぞれをモデルとしてプロモーション写真が掲載されているわけだが・・・



1920cfcaway


うん、これはなんというか、

私のファーストインプレッションでは、モッズ文化というよりも、

どうしても

「運送会社のコマーシャルっぽい雰囲気が感じられてしまって、そのテイストにしか見えてこないのであった。色合いのせいなのか、スポンサーロゴのせいなのか、アスピリクエタの仕草のせいなのか、韓国代表チ・ソヨンのバリバリ仕事しそうな雰囲気のせいなのか、イーサン・アンパドゥの“ミュージシャン掛け持ち仕事っぽさ”のせいなのか、どういう理由なのかはうまく言えないが・・・すまない、みんな。見れば見るほど荷物運びまくってそうなノリだ。チェルシーFC,新シーズンもがんばろうぜ。

 

| | コメント (2)

2019年3月18日

『フットボール批評』23号「川口能活とポーツマス」を読んで、久しぶりにあの街のことを想う

 最新号の『フットボール批評』23号に、「川口能活とポーツマス:かつての友人たちから親愛なるヨシへ」という6ページの記事が載っている。昨シーズンをもって引退した川口が以前在籍していた、ポーツマスFCにゆかりのある人物を訪ね、当時の川口との思い出をたどっていくという、小川由紀子氏によるこのレポートに私は感銘を受け、これだけでも今回の『批評』は買う価値があると思った。

 2001年から始まる川口能活のイングランド挑戦を振り返るときに私がまず思い出すのは、川口が渡英した直後にスカパーが当時2部のポーツマス戦の生中継を敢行したことだ。翌年のW杯を控えて日本代表のゴールキーパーが初めて欧州に挑戦するということで話題性は高く、2部チャンピオンシップリーグの試合が生中継で観られることそのものにまずは興奮したわけであるが、実際にフタを開けてみると、こともあろうに川口はスタメン出場ではなかった。「主役不在の試合」を当時の実況・コメンタリーがどのように苦慮しつつ進行していたのか、そこまではさすがに記憶がないのだが、イングランドの港町で繰り広げられる、まったく馴染みのない選手たちによるフットボールが展開される様子を眺めながら、歴史や伝統といったなんともいえないものに阻まれたかのような「壁の高さ」を感じた記憶だけは残っている。

 そのあとのポーツマスの印象としては、プレミアリーグに昇格してシャカ・ヒスロップというゴールキーパーが登場するやスタメンを張り続け、ついぞ川口はイングランドで輝きを放ったとは言いがたいわけである。

 それが、今回の『批評』の記事を読むと、川口のポーツマスでの日々が不遇だったとされる「歴史的認識」を違う角度から改めさせてくれたのである。
 細かいことは実際の記事をぜひ手に取って読んでもらいたいのだが、確かに川口個人としては活躍を残せたとは言いがたかった日々ではあるものの、スタッフたちや地元サポーターにとって、川口能活と過ごした日々がいかに素晴らしかったかということが、この記事を通して伝わってくるのである。アジアから来たキーパーにたいしてどれだけポーツマスの人々から愛情が注がれていたのか、その「記録や数字だけでは測れない何か」を今に至るまで残し続けていることに胸が打たれたのである。

 そもそも振り返れば川口というキーパーは、体格のハンデをものともしない「神がかったセービング」で強いインパクトを残し続けた選手である。そう思うと、記録や数字を越えた何かを彼は体現しつづけていて、そのひとつにポーツマスでの日々があったのかもしれないと思わせる。

 そして何より、このイングランド南部の港町については個人的にも感慨深い思い出があるがゆえに、なおさらに今回の記事であらためてポーツマスという街のことを繰り返し想起している。

 それはすでに川口も退団したあとの2009年12月のことで、プレミアリーグで奮闘していたポーツマスFCのホームゲームを観に行く機会があったのである。

 たどりついたスタジアム「フラットン・パーク」は、海からの潮風に絶えず吹きさらしにされてきたような、ある種、期待を裏切らない寂れ感があった。よけいな飾りたてもなく、あらゆる設備が必要最小限で済まされていて、時間の流れとともに少しずつ綻びながらたたずんでいる感じに、この国の人々の「アンティークを尊ぶ価値観」が表れているようにも思え、このスタジアムもまたそのひとつだと感じた。

Portsmouth

 晴れた日で、私が座っていた場所はコーナーフラッグ寄りでピッチの対角線上に位置していた。ポーツマスにはカヌやクラニチャルらが在籍していて、対戦相手のリバプールにはジェラードやトーレスがいた時代である。当然ながら試合の具体的な中身については記憶の彼方にあるのだが、特筆すべきは、この試合を2ー0で制したのはポーツマスの側だったことだ。そして2点目を決めた選手【記録ではフレデリック・ピケオンヌだった】が、コーナーフラッグのところへ走り込んできて、駆け寄るサポーターたちと歓喜の抱擁をしていた。
 このシーンだけが強く記憶に残っているのは、その後ホテルのテレビで繰り返しこの大金星となる得点を叩き込んだ喜びの場面がニュース映像として流れていて、「まさに自分の目の前の数メートル先で起こっていたこと」だったからだ。コーナーフラッグのすぐ近く、階段状の通路側に座っていた私も、やろうと思えば階段を降りて、あの抱擁の輪に加わることができたのである。それなのに私は動けなかった。もちろん、海外からの観光客としての一般的な振る舞いとしては正しかったのだろう。しかし、こういうときにこそ規範を少し逸脱して、心からワクワクするほうへ動けるようにもなりたいと、いまでもあのシーンを思い返すとちょっとした後悔の気持ちがわいてくる。

 そしてまたこの試合の勝利の意味を自分としては大事に受け止めていたいのである。というのも、このシーズンにポーツマスは7勝7分け24敗で最下位となり、あえなくプレミアリーグから降格することになるわけで、この12月19日に挙げたリバプールからの勝利というのは、当時の記録からすると、これ以後に強豪クラブに金星を挙げることができなかったという意味では、ポーツマスFCが成し得た国内トップリーグでの、現時点では最後の「輝いた瞬間」だったとも言えるのだ。

 そして試合後の高揚感あふれるスタジアムの雰囲気よりもはっきり覚えているのは、ポーツマスの中央駅近くに戻り、ショッピングモールで、ポーツマスFCのグッズを身につけた人々に向かって、家族連れなどが声をかけると、すかさずサポーターからも「2ー0で勝ったぜ!!」みたいな雰囲気で大声を返し合っていた光景だった。その日の夕刻、こうしてポーツマスの街のあちこちで、おらがクラブの奮闘ぶりがたくさんの人々に共有されていて、このエリアで船舶していた帆船を照らす夕日の印象とともに、心感じ入るハートフルな雰囲気に満ちていたのであった。

Portsmouth2

 その後ポーツマスは破産問題における勝ち点剥奪のペナルティの影響もありディビジョンを落とし続け、一時期はサポーターがトラストを組織して市民オーナー制度でクラブが運営されるというドラマチックな出来事も経験し、4部リーグまで落ちていた時期もあるが、今シーズンは3部リーグの首位争いをしており、ふたたび上を目指すことのできるベクトルが整ってきているのであれば喜ばしい。そして今もなおスタジアムはあの「味のあるボロさ加減」を保っているのであろうかと想像する。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年8月21日

チェルシーの開幕戦でメッセージ・ボードをあげに行ったらマスコットのライオンにおちょくられた件など

R0047473_r

この夏にロンドンに行った大きな理由はもうひとつのブログに書いたのだが、タイミングよくプレミアリーグの開幕戦にも合わせられたので、前回の記事で予告したとおり、例のメッセージ・ボードを持ってチェルシー×バーンリーの試合をスタンフォード・ブリッジで観戦することができた。

まずこのボードの件について。結論からいえば、テレビ中継に乗っかることはできなかった模様。
ただ、試合前のアップの段階で、北側のチェルシーFCサイドの最前列に陣取って、他の客といっしょにアップの様子を間近で見届けながらひたすらボードを掲げていると、少なくともその前を通ったすべてのカメラマンからは、確実にボードの写真を撮影してもらえていた。

R0047530_r

周辺にいたサポーターも、何のボードを見せてるの?と声をかけられ、内容が分かると納得してくれた。こちらの英語力のなさゆえ、それ以上の有意義な会話を続けることは難しかったのだが。

R0047543_r

あとはこれね、マスコットキャラのBRIDGETちゃん(女子)。

R0047532_r

実はスタジアムに入る前も、彼らは周辺でいろんなサポとの写真撮影にいそしんでいて、このボードを取り出してスリーショットをスタッフさんに撮ってもらっていた。

3shot

ほどなくこの場所でも再会。
すると私のボードを「これ貸してっ」と取り上げ、そのまま走り去っていった(笑)

R0047533_r

R0047534_r

R0047536_r

あとで戻ってきてくれたのがかわいらしかった。

そんなわけで、北側エリアはチェルシーの面々がアップしている状況がしっかり見えるし、慣れてるお客さんは試合開始ギリギリまで来ないし、最前列のお客さんから「どいてよ!」とか言われることもなく、アップの時間だけはどんなに前にいてても特に怒られない。

R0047539_r

というわけで、やはりボードは持って行ってよかった。

試合開始前になれば自分の席に戻ることになるわけだが、さすがに混みあう状況では長く掲げられるのはためらわれるし、ボードのメッセージ内容も試合が始まってしまえばあまり意味がないものなので、試合開始ギリギリのところで畳んで閉じておいた。

で、かつてチェルシーのスタジアムツアーでたまたま一緒になったご縁で知り合えたConsadole at Stamford Bridgeさんご夫妻から、その試合後にLINEメールで連絡が入り、私の写真をインスタグラムにあげている、熱心なジョン・テリーのファンの人がいることを見つけたようで、教えていただく。「おおっ、つまりどこかの媒体では流通しているのか!?」となった。
(ちなみにこの人、テリーの妻か?って思うぐらい、テリー一色のインスタを展開していた・・・)

Jtinsta

んで、帰国後にいろいろ調べてみた。
私が分かった限りでは、デイリー・メールのLIVE更新のページで、このボードのことが紹介されていた模様!

Jtdailymail1

↑トップページ。この日の模様をリアルタイム速報で伝えるページっぽい。

Jtdailymail2

↑こんな感じ。

で、有名な写真エージェントのGetty Imagesの関連で、ジョン・ワルトンさんというカメラマンが私の写真(上の2バージョン)をそこに納めてくれていた様子。

以前のクラブワールドカップのときもそうだったが、こういうご縁でたまたま自分を撮影してくれたフォトグラファーの人そのものを検索すると、いろいろ彼らの活動の様子がわかったりして、ツイッターのアカウントも持っていたりするからフォローさせてもらったりして、「自分を撮影してくれたカメラマン」という位置づけで、その後も追いかけていける楽しみが増えるのである。海外サッカー観戦の場における、こういうアピール行為の副産物といってもいいだろう。

他にもどこかでこのボードのネタが使われていたらいいなぁと願いつつ。
(一番いいのはテリー本人にこの写真が伝わることなんだが)

まぁ、すでにいない元キャプテンのネタなので、あまりオフィシャルには扱いにくいネタでもあるだろうから、難しいところではあったかなー、とも。

あと反省点としては「チェルシーのユニを着ていたほうがよかったのか?」という点であるが、実際に用意はしていたのだけど、気候的に寒かったので、長袖のままでいいか・・・となったのであった。でも今から思えば「長袖の上から着ればいいやん」と思うのだが、どういうわけか現地ではその発想にならなかった。ボード掲げることで一杯一杯だったのか。

---

R0047487_r

さて、その他の件について。

この試合は結果的に、歴史的な記録としては
・前年度チャンピオンチームが翌シーズンの開幕戦で3失点したプレミアリーグ初の試合
・前年度チャンピオンチームが翌シーズンの開幕戦で2名の退場者を出したプレミアリーグ初の試合

・・・とか、他にもあったかもしれず(場合によってはプレミアリーグではなく、100年以上にわたるイングランドのトップリーグ全体の話だったかもしれないが)、まぁいわゆる「とんでもねぇ試合」だった。

そもそも開始早々にアロンソがすぐイエローカードをもらった時点で「今日の審判って・・・」と早めに気づくべきだったし、私のいた西スタンド下段の空気感でいえば、その直後の前半10分すぎ(だったよね)に訪れる「新キャプテン、一発レッド退場」っていう状況も、どこかしら醒めた目で「あ、そうくるか」的な、なんともいえない雰囲気があった気がする。もちろん激しいブーイングもあるにはあったのだが、私としてはこんな早々にさっそく試合がガタガタになるのはどうかと思えるので、もうちょっと審判さん空気読んでよー、てか周囲のサポもわりと大人しく受け入れるわけ、このジャッジ?(まぁ、たしかに危ないタックルだったけども!?) という気持ちではあった。

 なにより若手でいきなり開幕スタメンに抜擢され、試合前のアップで緊張感が隠しきれなかった感じのボガくんが、この退場のせいですぐにベンチに下げられてしまったのが実に可哀相でしたよ・・・新キャプテン、ケイヒルの苦すぎる船出となってしまい、それはそれで見応えはあったんだけども。

 あとケイヒル退場の思わぬ副産物というべきか、代わりにクリステンセンくんが穴埋めをすることになり、まさかこんな早くに生観戦の場でクリステンセンを観ることができるなんて、という気分。

 まぁ、試合はこんな調子でずっと審判のジャッジにイライラさせられっぱなしの展開。こういうとき近くに声がやたら大きいサポーターが延々ヤジっててちょっとうるさい、っていうこともよくあるが、幸いこの日の西スタンドはそんなにヒドくなく、もしかしたら一番ハッスルしていたのは、私の目の前に座っていたラテン系の女の子だったかもしれない。

R0047553_r

狭い座席スペースのなかでもムダのない動きでダイナミックに腕を振り回し続けて審判のジャッジにあらゆる文句を叫び続けていた彼女の姿をみるにつけ、こういうパッションに乏しい私なんぞはいたく感銘を受けていた。

 で、周知の通りこの試合では後半途中になって新加入のFWモラタが登場し、よけいなプレーでイエロー2枚目をくらったファブレガスが退場して9人になった状況となっても果敢にゴールをめざし、モラタの1ゴール1アシスト(と言っていい絶妙な落としを、ダヴィド・ルイスがうまく蹴り込んだ。しびれた)で2ー3まで追い上げた。なのでスタジアムの雰囲気も一転してノリノリな感じになり、タイムアップまで躍動感がみなぎる良い感じであった。まぁ、前半の時点で帰りたくなるような試合を、ここまで楽しくひっぱっていけたのはよかったし、決して悲観してはなかった感じ(だってアザールとかいなかったもんね、っていう言い訳)。

そして試合後に最後までピッチにとどまり、悔しさをかみしめつつ、まんべんなく客席に向かって拍手をつづけていたアスピリクエタ、本当に評判通りの人格者だな~キミは。

R0047577_r

 そして毎回感心するのが、終わったあとの客ハケの良さ。あっという間にスタンドからいなくなり、近所のパブやら歩き帰り組やらで散り散りになり、ちょっとスタジアムのショップをみて(グッズのバリエーションが乏しい印象は変わらず)、そしてフルアム・ブロードウェイの駅まで歩いて駅ナカのドラッグストアとかでちょっと買い物してから改札を通ったら、まったく混雑を感じることなく地下鉄に乗って帰れたレベルだった。

R0047514_r

↑ウイリアム・ヒルと提携が始まったようで、スタジアム内でブックメイカーを賭けることができた(記憶ではかつて西スタンドにはブースが無かった気がする)。結果はこちらも惨敗・・・何せ、「ケーヒルがゴールを決める」に賭けてたりする(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧