歴史/history

2017年3月 9日

「奇跡を見逃したことを忘れないようにする」

CLの試合日程も最近は工夫されて、ベスト16でも1日に2試合だけやるような感じになっている。そうして今朝も、最初から観るのではなく、あくまでもいつも通り起きる時間帯にテレビをスカパーにあわせ、後半からの様子を、あたかもラジオをきくように、適当に眺めていた。どちらの試合を主にチェックするかについては、まだ点差がつまっているドルトムントとベンフィカのほうを選んだ。

たまにもうひとつの試合を見ていて、バルセロナが勢いよく得点をあげていて、しかしここにきて痛恨のアウェイゴールを許してしまい、その時点で私はチャンネルを戻したのだ。

もうひとつのほうも、気がつけばドルトムントが得点を重ねていて、そして残り20分ぐらいで香川が投入されていて、そちらのほうをずっとテレビでつけながら、歯を磨いたりしていた。

CLの放送終了後にはいつものように、過去のセリエAの名選手によるゴール集が流れていた記憶がある(この映像にでてくるジダンのプレーは、いつみても本当に華麗で見事だ)。
このとき、いつもはもうひとつの試合についてもハイライトを確認するのだが、なぜかこの朝はそのままテレビを消して家を出た。

それがこの今朝のすべてだった。

こうして、わずか紙一重のところ、テレビのチャンネルのひとつ裏側で、私は「奇跡」を見逃したのである。

サッカーの神様がいるとしたら、人類にいくつかの教訓を残すものと私は信じている。そう思える試合のひとつであろう。1999年のCL決勝のマンチェスターユナイテッドの大逆転劇に並ぶほどの。
しかも今回はその点差をはるかに上回る、文字通りの奇跡的な逆転劇、もはや奇跡という言葉でしか言い表せないのがくやしいほどの、とてつもない歴史的瞬間が、奇しくも1999年と同じカンプノウで起きていたのである。第一戦0-4から、ホームでアウェイゴール1点を奪われた状況での6-1のミラクル、二戦合計6-5。バルセロナ、勝ち上がり。あの0-4を受けたあとのルイスエンリケ監督退任表明から、いったいこの展開を誰が予期していたか。

というわけで、私はこのゲームを見逃したことをずっと悔しい気持ちで覚え続けることになる。昨年のレスターも奇跡だろうし、今回のことも、それはたしかにこの世に存在した奇跡であり、サッカーという物事の姿を借りてもたらされた奇跡なんだろうと思う。

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2016年12月28日

ニューカッスル・ユナイテッドはサッカークラブの名前だが、ニューカッスルの街が世界規模で知らぬ間に本当にユナイテッドになってる件

今日のネタはちょっとサッカーそのものからは距離のあるテーマだが、しかしおそらく日本のサッカーメディア関連では誰も発見していないネタのような気がするので書いてみたい。

Newcastleunited

ニューカッスルといえば、サッカーファンにとってはイングランド北部にあるサッカークラブを通してなじみのある都市名であろう。

このニューカッスルを「ニュー・キャッスル」と言い直して考えると、文字通りの意味として「新しい城」となるわけだが、このコンセプトの地名は、世界中にいくつか存在しているようなのである。

実際「新城」と書けば、日本にも愛知県に新城市(しんしろし)がある。つまりここは「日本のニュー・キャッスル」と言っていいわけだ。

で、先日私の上司のSさん(愛知県出身)が発見したネタがこれである。

「Newcastles of the World」

・・・つまり、「世界中の『新城』な地名のみなさん、仲良くやりましょう連盟」が存在していたのである!!

世界中の「ニュー・キャッスル」大集合・・・これこそまさに文字通りで「ニューキャッスルのユナイテッド状態」ではないか!!

ホームページは(こちら)である。

これをみると、ちゃんと日本の新城市も加盟していて、(ここ)を注意深く読むと、2年に一度は世界中のニューキャッスル関係者が集うカンファレンスが開かれているようで、2018年度の開催地が新城市に決まった模様。

世界中にどれだけ「ニュー・キャッスル」があるのかは、(こちら)のページをみると詳しく知ることができる。この連盟のコア・メンバーが16都市、その他把握している都市で70ちょっとあるようだ。

Newcastleutd

うむ、まぁ、

「ふーん、そうか・・・」で終わるネタなのかもしれない。

でもなんというか、サッカーファンとして馴染みのあるニューカッスルの地名が、その名前だけのつながりだけで、僕らの知らないところでこういう国際交流が継続的に続けられているということに、なんだかほっこり和むものを感じないだろうか。

いっそ新城市、いつかアラン・シアラーとか招いてサッカー教室とかやってほしいし、「日本で一番ニューカッスル・ユナイテッドを応援する街」を宣言してもいいのでは。

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2016年10月 3日

【情報求む】1987年5月の大阪に、サンクトペテルブルグのサッカークラブ、ゼニトがやってきたという話(その2)

前回からのつづき。

今回のパベルさんのメールによって、はじめて私はロシアのサンクトペテルブルグが大阪市の姉妹都市のひとつであることを知った。ネットでみると、このほかの都市には上海、サンフランシスコ、シカゴ、メルボルンがあり、そしてさらにサッカーファン的に気になるのは、サンパウロ、ミラノ、ハンブルグとも姉妹・友好都市関係にあるとのこと。

この「3姉妹都市大会」は、もしかしたらインテルとかACミランやハンブルガーSV(あるいはザンクトパウリか 笑)とかコリンチャンスとかサントスみたいなクラブが呼ばれてもいいぐらいのスペシャルな大会だったかもしれない!・・・なんて夢想してみたり。

いずれにせよ今回は、1987年(昭和62年)5月に開催の「大阪国際サッカー3姉妹都市大会:大阪市長居球技場竣工記念」という大会について調べるわけだが、まず問い合わせたのは、主催者である大阪府サッカー協会である。事情を説明したメールを送ってみると、

---
お問い合わせ頂いた件、開催については覚えているものが2~3おりましたが、資料の保存は事務所の移転も有ってか見当たりません。
折角ですが、ご期待に応えれなく申し訳ございません。
悪しからず、ご了承ください。

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という返答。まぁ、実際にどこかに資料があったとしても、こういう個別の依頼に応じるのはなかなか難しい向きもあるだろう。


で、実際にたどり着きたいのはパンフレットの現物そのものなのだが、この大会は大阪市の公的行事でもあったと考えられるので、「大阪市立中央図書館」はどうだろうかと、ネットで申し込めるレファレンス・サービスで問い合わせてみた。

そうすると、回答が以下のようにきた。

------

【回答】
当館所蔵の1987年のポスターおよびチラシを確認いたしましたが、あいにくですが、当館ではおたずねの大会のチラシ・パンフレット・ポスターのいずれも所蔵しておりませんでした。
お役に立てず、申し訳ありません。

以下の当館資料には交流試合の日程、参加人数、優勝国が記載されています。
『大阪市の姉妹都市交流(交流史)』 大阪市/[編] 大阪市, 1991.3 <当館書誌ID:0000243642>

p.97 上海市との交流記事内1987年度(昭和62年度)の項に以下の記載がありました。
「大阪国際サッカー3姉妹都市大会の開催 5月22日-5月31日
<編成> 上海市から24名が参加 団長:吉嘉 中華体育総会上海市分会副主席

p.137 レニングラードとの交流記事内、「4.スポーツ交流」の項目に、スポーツ交流経過の表があります。それによると、次のように記載されています。
昭和62年度
種目名:サッカーチーム
期間:5月22日-5月31日
日数:10日間
人員・構成 22名 ゼニット(国内A級)

p.142 には、次の記載があります。
1987年(昭和62)5月22日-31日
レニングラードのサッカーチーム・ゼニットが、長居球技場オープン記念の三姉妹都市サッカー大会に参加、優勝。

また、読売新聞の記事を検索できる商用データベース
「ヨミダス歴史館」で以下の記事の掲載が確認できました。
1987年5月31日 朝刊16面
「記録コーナー」 サッカー大阪国際三姉妹都市大会 決勝 ゼニット(ソ連)1-0ヤンマー

以上、回答とさせていただきます。

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こういうのを初めて利用したのだが、大阪市民でもないのに無料で調べてもらって申し訳ないと思うほどに、キチッとした調査結果を得ることができた。パンフレットはなさそうなのだが、ちゃんとデータとしては以上のように残っていることが分かった。

このあと分かることなのだが、上海からのチームは、上海市の選抜チームとのこと。なのでクラブチームではない。
そしてホストの大阪からは、ヤンマーと松下電器、つまり今のセレッソ大阪とガンバ大阪が出場したようである。
ゼニト、当時の表記ではゼニットとなるのだが、この大会でゼニトが優勝を果たしていたわけで、やはりここはプロチームの面目躍如といったところなのだろう。

徐々にこの大会の輪郭が浮かび上がってきた。

次回に続く。

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2016年9月19日

【情報求む】1987年5月の大阪に、サンクトペテルブルグのサッカークラブ、ゼニトがやってきたという話(その1)

 この半年間ほど前から、サッカーファンとしての私の最大の関心事は、EUROでもリオ五輪でもなく、1987年(昭和62年)に開催された「大阪国際サッカー3姉妹都市大会」というひとつの大会のことになってしまった。

 ことの始まりは、3月にとつぜん、私のブログでメルアドをみたという、ロシアのサンクト・ペテルブルグに住むパベルさんという人からメールがきたことである。

 グーグル翻訳で日本語に直したのであろう、たどたどしくも、切実な雰囲気のただようメールだった。

私はFCゼニトレニングラードのサッカープログラムのロシアコレクターです。
私はを探しています1987大阪国際サッカー3姉妹都市大会小冊子
私は多分あなたはどこにでもそれを見てきました、このプログラムの画像を添付しました。
たぶん、あなたはそれを見つけるのを助けることができますか?

とのこと。添付では、非常に小さいサイズの荒い画像なのだが、たしかにそれらしきパンフレットが表示されている。

1987_osaka


なんとか英語でメールを書いて、より詳しい事情を尋ねると、パベルさんは29歳で、ずっとサンクトペテルブルグで生まれ育ち、今もそこに住んでエンジニアをしているそうだ。

メールのなかでグッとくる文章があって、

Football is more then just a game for Peter (maybe you know Peter is slang name of St-Petersburg) it is tradition.

Russian football was born in Petersburg and still is the main part of life of its citizens.

この文で言いたいことは、ストレートに自分に入ってきた。
もう、人生を心底ゼニトのために捧げちゃっている人なのだろう。
もちろんそういう人は私も大好きである。

そして、彼がなぜゼニトの試合プログラムを集めているかを教えてくれた。

それは、パベルさんが13歳のときに亡くなった父親の遺志だという。

彼のお父さんはそれこそ相当なゼニトのサポーターだったようで、おびただしい量のプログラムを過去のものからがんばって収集してきたとのこと。「自分が亡くなってもこれだけは売らないように」と言い残していたとのことで、かなり充実したコレクションであることがうかがえる。

こうしてパベルさんはお父さんの後を継いでプログラムの収集を手がけており、集めたコレクションをいつかまとめてウェブサイトで公開することなどを考えているとのこと。

そうした事情を知ると、同じサッカーファンとしては、できる限りのことをしたいと思う。
プログラムの現物が手に入れられる自信はないが、せめて現物のコピーができたらいいだろうし、その1987年の大会にまつわるあらゆる情報をパベルさんにお伝えできれば・・・と思った。

こうして私にひとつの「研究テーマ」が与えられた、そんな気分でいる。

年齢からいうと、1987年だとパベルさんはちょうどその頃に生まれていることになる。そんな時代状況において、ゼニトは大阪に来ていたのである。

1987年、もちろんJリーグは始まっておらず、そしてこの頃私は小学四年生で、今となってはどうしてそうなったのかよく分からないが、じつはYMCAのサッカー少年団にいて、サッカーをそれなりにプレイしていたという、私の個人史上でも希有な時期を過ごしていた。でも実はそんなに自分がサッカーを好きだったかというと、自信がない(Jリーグがもっと早く始まっていたら・・・と思う)。それよりもファミコンをやることのほうが、やっぱり好きな子どもだった。そのことは今でも私にとって悔やまれる部分である。

そんななか、あの頃大阪で開催されていたのであろうサッカー大会のことを、今の私が追いかけることになった。

そして結論からいうと、まだこの大会のパンフレットの現物を見つけることは、できていない。

そうしているうちに時間だけが過ぎていくので、ひとまずこれまで調べたことを、次回以降このブログに書き残しておこうと思う。

つづく。

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2016年5月20日

レスターの優勝によってもたらされた唯一の残念なことと、それを受けてベン・メイブリーさんのコラムを読んで深く反省したこと

もう、レスターのプレミアリーグ奇跡の優勝のすごさについては、どこまで語っても尽きることがないわけだが、今年のゴールデンウィークは時間があればネットを調べて、「レスターの優勝を喜ぶ人々の画像」を集めるのが、なんだか精神的な癒やしのレベルにすら達していた気がする(や、別にそんな精神的に参っているわけでもないのだが、たぶん・・・)。

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▲あの優勝決定の日とほぼ同時刻に、たまたまスヌーカーの世界王者決定戦があって、そこで優勝した選手もレスターの出身だったっていうこのネタが特に好きだ。

・・・と、こうして「5000倍のオッズをひっくりかえした奇跡の優勝」は、そりゃあもう、当然ながらサッカーの歴史、スポーツの歴史でも類を見ない出来事として後世に語り継がれるわけである。

で、こともあろうに、レスターの優勝から2日ぐらいたって、自分のなかに、考えてはいけないような、なにかモヤモヤしたものを感じてしまっていた。

それを認めるのは、罪悪感のような、自己嫌悪のような、そういう気分になるものであったが、ストレートに言葉にすると、

「もう、スポーツを観ていて、あるいは人生全般において、これ以上の奇跡的な感動を味わうことはないのかもしれない」ということへの、なんともいえない絶望感みたいなもの

というのが、むくむくとわき上がってきたのである。

だって、オッズが5000倍っすよ。

このレスターの優勝相当の「奇跡」をふたたび体験することが、いまのこのライヴで生きている世界中の人々のなかで、5000倍を乗り越える確率でしか味わえないのだとすれば・・・・それって、もう「ほぼゼロ」のオッズじゃないか、と。

もっと具体的にいうと・・・というか、このことに思い至ったことがすべてのきっかけだったのだが・・・ずっと連載が続いている『ジャイアント・キリング』であるが、もはやレスターのこの優勝のあとになると、仮に将来的にこのマンガの結末が「ETUのリーグ制覇」だったとしても、おそらく、私のなかでは、「まぁ、レスターのときほどの奇跡感はないよな」っていう思いが絶対にぬぐえないのではないか・・・・そうなると、ちょっと、正直これはヘコむ事態になってしまったなぁと、ゴールデンウィークの終わりごろに思い至っていたのである。

もう、これ以上の感動はないのかもしれない。
チェルシー×スパーズ戦の、あのアザールの決勝ゴールは、そういう意味を持っていたのであった。てか、あんなタイミングでチェルシーって、どうよ(笑)しかもアザール・・・

で、実はこのことをブログに書くかどうかずっと悩んでいたわけだが、そうしているうちに5月9日のJSPORTSのサイトに、ベン・メイブリーさんのコラム、「ラニエリとレスターから、みんなへの贈り物」というコラムが掲載された。

そこにベンさんはこう書いて記事を締めくくっている。

もしかしたら、先週ラニエリが言ったように、レスターのような衝撃のチャンピオンは、20年に1度しか出てこないかもしれない。でも今、“こんなこと絶対に起こらない”という知識は“こんなことも起こりえる”という知識に代わった。

もしも最初のページをめくる時に、それがどんなふうに終わるかわかってしまっているなら、物語に何の価値がある?

それが、愛すべきイタリア人監督ラニエリと、愛すべきチームレスターが、全てのファンに、全てのチームに、全てのジャーナリストにくれたフットボールの贈り物だ。これから、僕たちはどんな夢でも叶うかもしれないと思って、フットボールを見ることができるのだから。

・・・これを読んで私は殴られたような気分だった。

いかに私がネガティブか、っていうことを思い知らされた(笑)

ベンさんのコラム全文は(こちら)。

そう、「もうこんな奇跡起こらない」とショゲるのではなく、
「どんな奇跡だって起こせるかもしれない」と、前を向く姿勢、走り続ける姿勢である。


それがフットボール的生活のはずだっただろう?

・・・と、今回本当にこの記事には、なんというか、救われた気持ちでいる。と同時に自分の至らなさも思い知ることとなった。

純粋に、「がんばろう」って思える、そういうプレミアリーグ15/16シーズンだった。
そしてもちろん、このレスターというクラブのことは一生忘れない。

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2015年9月22日

デットマール・クラマー氏逝去

 正直サッカーをのんびり観る気分が失われやすい昨今の社会状況なのであるが、そんななかデットマール・クラマー氏の死去のニュースが。

 中条一雄さんの本を読むと、当時のドイツサッカー連盟が日本にクラマー氏を派遣してくれたことは、本当にラッキーだったことを実感する。当時35歳ぐらいで来日していたことになるのだが、すでに優秀な指導者であることに疑いの余地はなく、そういう人材を日本に紹介してくれたということで、日本サッカー界はなによりドイツサッカー連盟にまず恩義がある。

 こうして時を経て、多くの日本人がドイツでプレーするようになったことを、クラマー氏がどういう思いで観ていたのか。そして何より、いつかワールドカップの、それも決勝トーナメントあたりで、ドイツ代表と日本代表がガチで勝負する日がきたら、あらためてそのときにクラマー氏の功績が振り返られることになろう。RIP。

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2014年9月22日

邂逅

シティ1-1CFC
途中出場のランパードがシティの同点ゴールをあげる。
不思議な試合、そして心に残るゴールだった。

ニューヨーク行きへの餞別だと思っておく!

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2013年12月 7日

起きたあとに思ったこと

ワールドカップの組み合わせが終わり、あれやこれやと想像して語る楽しさが4年ぶりにやってきた。

で、韓国の入ったグループH、ベルギー・アルジェリア・ロシアというのは、考えてみたら2002年大会における日本のグループH「ベルギー・ロシア・チュニジア」とほぼ同じノリなので、不思議な気分だ。韓国のかわりに日本がここに入る可能性もあったわけで。

ほかにアジアでいえば・・・オーストラリア、グッドラック(笑)。

で、これから半年間、日本のお茶の間でドログバさんのことやファルカオのことが「こんな強烈なストライカーと闘うんだぜ」とテレビで紹介される機会が多くなるんだろう。コロンビア代表ファルカオは今もチェルシーが獲得を目指していて、私もその方針には数年前からずっと賛成票を入れたい気分であったし、コートジボワール代表としてドログバさんやカルーといった元チェルシーの選手が、そのキャリアの終演を飾る大舞台で日本代表と対戦する縁を持てたことは個人的に嬉しく思っている。

そしてよりによってこんな抽選会あけの土曜日に、2013年J1リーグの最終節をむかえる。今シーズンも「日程君」のすさまじい仕事ぶりにより、最後の最後まで目が離せないカードが連発しているのは周知の通り。世界屈指の「先が読めないトップリーグ」として今年もJ1リーグは楽しめた。もちろんJ1昇格プレーオフ、J2・JFL入れ替え戦の最終決戦も明日は控えていて、本当にもうシーズンが終わるのかと信じがたい気分!

そしてそして、明日は奈良マラソン! 後半38km前後で応援する予定。走った直後に行われるであろう昇格プレーオフの京都や徳島のユニフォームを着ているランナーさんもいるかもしれない。
幸運を!!

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2013年5月15日

百年構想は、前半18分が過ぎたところだ。

 ちょうど20年前の今日、Jリーグがはじまったとき、私は高校1年生であった。すでに中学校のときから、来年はじまるあたらしい「何か」については気になっていた。実際にその日がくるまで特に身の回りで何かが起こった記憶はないが、ヴェルディとマリノスの開幕試合が行われた日を境に、たしかに何らかの歴史が始まったことは自分のなかでも確かだった。

 その翌日の日曜日の朝、TBSの番組「アッコにおまかせ」で、Jリーグの「サポーター」とは何かを紹介するべく、スタジオにチアホーンをもったマリノスとヴェルディのサポーターが登場したことがあったのだが、そのときに誰かが「日本代表を強くするためにもJリーグが盛り上がってほしい」といったことを述べていたことが強く記憶に残っていて、それは自分にとって今までにないスポーツとの関わり方を訴えていたように思う。オリンピックとはまた違うナショナルチームのありかたがそこにはあって、この目の前のプロリーグを応援することが、世界へダイレクトにつながっていく道筋になっていくのだ、と。

 思えばその後の「ドーハの悲劇」というのは、たしかに悲劇ではあったのだが、Jリーグと日本代表という二つの概念を、どのように我々はサポートしていくかを学習するうえで、とても重要な体験だったかもしれない。あれがJリーグ黎明期に起こった出来事であったことが、タイミングとして絶妙だった。

 「百年構想」というのは、いまもなお、自分と日本のサッカーをつないでいる「契約」みたいなものだと考えている。百年構想は、5分の1が終わったところだ。サッカーの試合でいえば、「前半18分」が過ぎたところだ。

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2013年5月 8日

48時間以内に次のユナイテッドの監督が発表されるというので、その前に書いておく。

帰宅してたまたまBBCワールドをつけたら、ファーギー引退のニュースをやっていて驚いて、そしてずっと延々このニュースが繰り返し報じられていていることにも驚いてしまうが・・・この外国のニュース番組のテンションでやっていると、なんだかコトバは悪いが、まるで本人が死んだかのようなノリに感じられてしまうほどに・・・つまりそれほどにBBCワールドではこのニュースが今日はデカかった、ということだ。さっきは英国外での反応まで報じられていた。うーん、単なるひとつのサッカークラブの監督が辞めるだけなんだけどな。いつもガム噛んでるじいさんの。

そしてネットであちこち確認すると、ベン・メイブリーさんのツイッターで「土曜日のシティのFAカップ決勝の話題がこれで霞んでいく。さすがファーギーだ」という皮肉なコメントが紹介されていて、なかなかニヤッとさせてしまう視点だったり、あとこちらのほうが重大なのだが、モウリーニョを獲得するなら今しかないというタイミングで、誰よりもクラブのために動くファーギーだからこそ、このタイミングでの勇退を発表したのではという説だったり。

そう、
チェルシーファンの私としては、つい先日までヘラヘラしながら「来季はまたモウさんと闘えるぞ的な気分」でいたことを悔いた。悔いまくった。

そういうことだったのか・・・

いろいろな動きがひとつの結末にピタッとはまっていくかのような感覚。

やー、でも、まだ決まったわけじゃないから、まだ好き勝手なことを言わせてもらうと、モウリーニョ監督がここであえてチェルシーを選んだら、そりゃあもう格好良いっすよ。ロック魂を感じさせるチョイスですよ。つまり、レアルにいったときだって、あの時点で自分のルーツでもあったバルセロナとの決別を宣言したわけで、そのときの気概をここでもう一度、という気分でもいる。

でもそれも結局はチェルシーにとって来季のチャンピオンズリーグ出場が最低条件であって、このファーギー引退のニュースがこのあと6時間後におけるスパーズとの大一番において何らかの影響がないとは到底思えない。

いやー、ほんと、あのオッサンによってモウリーニョが「奪われた」形になったとしたら、なんだかチェルシーにとってファーギーって結局「最後の最後まで一枚上手で、煮え湯を飲まされつづけた人」みたいな、生涯ずっとその思いを背負っていかなきゃいけない感じで、そこが悔しくて腹立たしいわけっすよ(笑)。

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