出待ちをするなら、ましてや選手の個人サポーターを自認するのであるならば、本人にどういった声をかけるのかをあらかじめちゃんと考えておかねばならないと自省した日。
リーグ杯のグループリーグ最後の試合は7月14日のニッパツ横浜FCシーガルズとの一戦。会場は三ツ沢球技場で、ここはJリーグでも使用される球技専用スタジアムだけに、ピッチも観やすくて、サッカーを観に来ることの愉しさをじっくり味わえる場所だと感じた。
この日はありがたいことに、関東在住のYさんがオルカの応援席にやってきてくれた。当ブログでもたびたび登場する、チェルシーFCのスタジアムツアーに初めて参加したときにたまたま同じ組になってから交流が続いている方である。オルカのユニフォームをまとい、そしてゲートフラッグを手にし、チャントの応援の声だしに精を出す私の姿をかたわらで見守って(?)、かつ写真に収めてくださった。
ともあれ、この日も苛烈な暑さがおそいかかる日で、藤田のぞみはスタメンとして、バランスよくポジションを構えてここぞの場面でボールを奪う仕事が目立った。そして後半途中で交代した。
得点が決まるときは決まるもので、齋藤敏子のゴールを皮切りに3点を奪って勝った。カップ戦の決勝進出には届かなかったが、このあとの中断期間を挟んだ肝心のリーグ戦に向けて良いイメージで終えられることが何よりこのチームには大事だった。
ただし出待ちのとき、ふいに現れた本人を前に、どういうわけか何も言うべき言葉が出てこず、ついとっさに「前の試合のゴールは本当によかったです」みたいな話をしてしまった。ちなみによく考えるとこの日の前の試合、リーグ杯のちふれエルフェン戦は私は「欠席」していたので、「前の試合のゴール」は3週間も前の出来事である。そりゃあ相手にとってもリアクションに困る微妙な感じになり、そしてその様子を後ろで見守っていたYさんも、このあっけなく終わったやりとりに「え、これで完了?」という雰囲気だった・・・。そういうわけで、私ももう少し気のきいた声かけができるようになろうと反省した日である。
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この試合後からスケジュールは中断期間となり、かのU-20代表はフランスでワールドカップを戦った。オルカ鴨川から代表に選出されていた村岡真実は、フォワードの交代カードの切り札として奮闘していたこと(そして表彰台の上でもフォワードらしく良いポジショニングをキープしていたこと)は先の記事で述べたとおりである。
U-20ワールドカップ初優勝という最高の結果をひっさげて、大会終了後最初の公式戦となった9月2日のスフィーダ世田谷戦において、さっそく村岡真実はスタメンでの出場となった。選手紹介のアナウンスのときは村岡にたいしてスフィーダのゴール裏サポーターからも拍手がおこっていた。
この日の会場である「味の素フィールド西が丘」は、国立スポーツ科学センターの敷地のなかにある球技専用のスタジアムで、声出しをするサポーターはゴール裏側のスタンドに陣取ることができた。ピッチとの距離が近く、シュート練習のボールもすぐ飛んでくる場所だった。
試合中もたまたま私が一番ゴール寄りの場所に立っていたので、久しぶりにゴールキーパー目線からの試合観戦を楽しめた。なにより、この日もスタメンだった藤田のぞみがゴール前に進入してシュートを狙い、惜しくも外れたその力強いボールが私のところに飛んできたことが良い思い出となった。本来ならそのボールをそのままキャッチするか、パンチングで弾くかしたかったのだが、案の定受けとめることができず、ピンボールのようにベンチを行ったり来たりするボールをあたふたと追いかけることしかできなかったわけだが(試合中に選手が蹴ったボールを触ったのは、2009年に訪れたウエストハム・ユナイテッドの在りし日のホーム、アップトン・パークでのチェルシーとの試合中、バックスタンドにいた私と父のところにボールがやってきたとき以来だ。これはすごい幸運だとボールの手触りを味わいつつ、すぐにピッチにボールを戻さなかったので、ミヒャエル・バラックが「早くよこせ」と言わんばかりにこっちを見ていたことが懐かしい)。
このときのシュートに留まらず、この日の藤田のぞみは他にもシュートを狙ったり、前線へのスルーパスをたくさん試みていた印象だった。しかしなかなか状況を打開できず、後半に入ってサイドバックの吉田紫穂が負傷退場となった関係で、前線にいた村岡真実がサイドバックの位置に下がった。するとこのポジション変更直後に村岡が後方から上げたボールを永木真理子がヘディングでゴールに叩き込んで、それが決勝点となった。村岡の存在感が際だつ内容だった。
そして出待ちでは前回の反省をふまえ? 今日はスルーパスをガンガン狙ってましたね、という声かけをのんちゃんにさせていただく。もっとも他にもたくさんいるファン対応に勤しむ状況にあっては、あまり長々とした対話はいつもできないのだが。
この日は全体的に出待ちの場の雰囲気がなんとなくゆったりと和んだ感じだった。試合に勝てたことが大きいのだろうが、暑い夏が終わろうかという気候もそうさせたからかもしれない。そしてたくさんの贈り物を抱えた村岡真実は凱旋試合後の疲れをみじんも感じさせないいつもの陽気さで、バスが出る直前までひっぱりだこだった。
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この翌週、私は人生で最大級といえる強烈な台風を体験し、北海道では地震が起こり、落ち着かない日々が続いていたが、9月8日は伊丹空港から飛行機で松山市へ。愛媛FCとのアウェイ戦に臨む。
総合運動公園に着いて路線バスを降り、広場を見渡すと、遠くからいつものオルカのコアサポーターのみなさんがこちらに向かって歩いてくるタイミングだった。しかも横一列に並んだその様子が『Gメン'75』のオープニングを思わせたので一人で笑ってしまった。そのことを伝えるとコールリーダーのEさんが突然「あの滑走路の『75』のロゴはベニヤの張りぼてだったんですよ」というトリビアを披露したり、みなさんだいたいそのあたりの世代・・・(笑)。
試合会場となる愛媛県総合運動公園球技場は、Jリーグ愛媛FCのホーム「ニンジニアスタジアム」の裏手、丘のふもと側にあった。ちょうどこの日は愛媛FCとカマタマーレ讃岐のJ2リーグ戦も夜に開催されるので、ニンジニアスタジアム周辺では試合準備が行われつつあり、Jリーグのサポーターの姿もちらほらと見えていた。
ウォーミングアップ開始前、選手監督スタッフがアウェイサポーター席の前に来て挨拶をするとき、Tさんが村岡真実ゲーフラを掲げ、そのとなりで私も藤田のぞみゲーフラ(ネットでの公開が遠慮されるやつ)を掲げた。愛媛FCサポーター側をチラッとうかがうと、こういうゲーフラを掲げている様子はなさそうで、この澄んだ山間ののどかな球技場のチープな客席のなかにあっては、このゲーフラもかなり目立ってしまう。そのせいか、選手たちの何人かがこのゲーフラに反応しているようにうかがえ、そして藤田のぞみ本人もなんだか苦笑しているように見えた。インパクト重視のこのゲーフラが試合前の彼女たちに変なムードを与えてしまっていないか、いまさらそういうことを軽く心配しつつ私はキックオフを待った。
▲コールリーダー用の特製ボード。
雨が降ったり止んだりで難しいピッチのなか試合が行われ、苦労しながらの試合展開。先発の藤田のぞみはこの日は前節よりも攻撃参加を控え、ボール奪取の動きを多く見せていた印象。相手が2位のチームだということもあったが、前節と違いこの日はスタートから齋藤敏子とのコンビで中盤を構成していたからかもしれない。いつも感じていることなのだが、イタリア代表のレジェンドでいうと、
ピルロのように後方から絶妙なパスを配球したかと思えば、
ガットゥーゾのように闘犬のごとく相手ボールに食らいついて奪い返す、そこが藤田のぞみの真骨頂である。
そんなこんなで拮抗した試合展開が続き、「アウェイで2位相手の試合、スコアレスドローでも御の字だよな・・・」というムードになって、試合終了を迎えようかというそのとき、最後の交代カードで入っていたフォワード土屋佑津季が、まさに昇格争いに加わるターニングポイントとなりうるミラクルなシュートを豪快に決めて大勝利を挙げたのであった。
沸き立つアウェイサポーター、そして雨がまた降り出してきた。横断幕を早々に片づけ、そして何人かは急いで帰路にむかう。人数の少ないこの日の出待ちでは、村岡真実のお母さんとはじめてゆっくり話をさせてもらったり。
設備が整っているわけでもない試合会場なので、待機しているバスまで距離があり、大雨のなか選手スタッフは駆け足で移動。そんな状況で藤田のぞみをつかまえて、急いでいるなか恐縮だったが、この日はどうしてもアップ前のゲーフラの件について本人に尋ねてみたかった。あのゲーフラ、他の選手も笑っていたようだけど、実際どうなんでしょう?
「、好評です。」
と笑顔で言ってもらえた。なんだか文頭に「、」をつけたくなるような感じ・・・そう、若干この「、」のなかに苦笑い要素が入っていたような気がする(笑)。
本当はこのあとのJ2の試合も気になっていたのだが、ますます雨が強くなり、立ちっぱなしでコールを続けていた疲労もあり、いますぐホテルにチェックインして横断幕とゲーフラを干したい気分だった。グッズ売場で愛媛FCのピンバッジを買い(一平君グッズは迷ったがスルー)、ホテルに着いてバタバタと横断幕などを干したりして、時間に余裕ができたので閉店間際の道後温泉に行ってみたりした。
今年は夏に大きな旅行を予定していなかったので、この愛媛遠征が唯一といっていい、旅行らしい旅行のつもりで楽しみにしていた。しかし翌日も雨で、あまり出歩く気分にもなれず、とりあえず
正岡子規記念博物館に行ってみた。見所の多い展示でそれなりに楽しんだが、そうこうしているうちに午後になると雨がさらに強烈になって避難勧告発令・警報レベルになり、JRが運行休止となったことをスマホで知る。夕方にゆっくり鉄道で帰ろうとしていた私はやむなくJR松山駅に駆けつけて切符をキャンセルし、急きょ飛行機の予約をとって松山空港へバスで向かって予定外のルートで帰着することとなった。てんやわんやだったが、アウェイでの劇的勝利、そしてゲーフラのことも含めて? 充実感は残った。
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