映画/movie

2020年4月12日

昨年末に放送されたガンバ大阪の特番をあらためて観て、ロッカールームにカメラが入ることについて考えた

 先日ブログで「過去のJリーグの試合を配信してほしい」と書いたが、DAZNでまさにそういうコンテンツが配信された。ヴェルディ×レッズの93年ニコスシリーズの優勝決定試合、解説は北澤豪。ハットトリックを決めたカズに早い段階で北澤が抱きついていったシーンを観て「カズダンスをさせるタイミングを逃してしまった」と反省していたのが微笑ましい。改めて当時を振り返ると、背番号は選手固定じゃなくて、この試合で出場停止だったラモス瑠偉にかわって菊原志郎が10番をつけていて、そのせいもあってか「元祖・天才的なオーラ」を放っていたりするのが興味深かったり。DAZNそのものは単なる配信プラットフォームで、実際の番組は外部製作会社などがあれこれ関係しているのだろうから、番組の最後にいちいちスタッフロールがでてこない。だから誰に感謝して誰をホメたらいいのか分からないが、とにかく今後もこういう展開を期待している。

 NHKーBSでも93年のJリーグ開幕ゲームを先日の日曜日に改めて放送していた。ずいぶん何度も目にした映像として、マイヤーの第1号ゴールの印象が強すぎるせいか、そのあとの試合展開はあまり記憶になく、あらためて今回観ているとマリノスのエバートンによる同点弾の第2号ゴールに感じ入るものがあった。これは木村和司のコーナーキックのチャンスからで、ここで木村はふと相手の間合いを崩すようなショートコーナーでボールをナナメに蹴り出して、それを受けたエバートンがまさにマイヤーのゴールと似たような場所から似たようなシュートを決めた。あの試合のテンションを考えると、自分の最大の武器であるはずのプレースキックのチャンスの際に、状況を見てすかさずショートコーナーを選択できてしまう木村和司の凄みを改めて思い知ったわけである(2年前のW杯は、まさに最後の最後でそこの選択をミスって日本代表はベルギーに負けたわけで)。

 こうしてコロナウイルスの関係で自宅で過ごす時間が長くなると、過去に録りためていたテレビ番組を振り返ることも多くなる。先日は、昨年末に関西ローカル局であるMBSで放送されたガンバ大阪応援番組の特別版、400時間におよぶロッカールームの撮影映像をもとにしたドキュメンタリー番組を観た(その後、この素材をもとにしたDVD商品が制作されている)。
 宮本監督体制で闘った19年シーズンの、そのロッカールームをホーム・アウェイ問わずすべてひたすら定点観測するべくスタッフがカメラを取り付けるところから始まるのだが、見終わったあとはこの「ロッカールームにカメラを置くこと」の是非をおおいに考えさせられたのである。
 よりによってこのシーズンはガンバにとって難しい試合が続いてしまい、おのずとドキュメンタリーの視聴者の側もハラハラしてしまう展開になっていく。静かに落ち込む試合後のロッカーの様子、叱責してなんとか次につなげようと声を枯らす宮本監督、うつむく選手たち・・・そうして毎試合繰り広げられるこのロッカールームでの選手とコーチングスタッフたちだけによる濃密なコミュニケーションのぶつかり合いみたいなものが、確かに視聴者にとって興味深いのは確かなのだが、果たしてそこで期待されている「選手や監督たちのありのままの素顔」が本当に・本当に・本当に・あの状況だと言えるか、そして現場の選手たちに微妙な影響を与えていなかったのだろうか、そこに尽きるのである。

 この「ロッカーにカメラ問題」はかねてより高校サッカー選手権の放送をめぐってもしばしば議論されている。そしてロッカーにカメラが入ったことで「大迫半端ないって」という、日本サッカー史に残ると断言していい珠玉の名シーンが生み出されたのも確かである(ちなみにあれは、そのあとの監督の「オレは大迫に握手してもらったぞ」まで含めての名シーンとして記憶され続けてほしいわけだが)。とくに負けたチームのロッカーは感動シーンを生み出す装置と見なされるわけで、せっかくの選手と監督とのあいだの、これでチームが終わっていくという彼らのサッカー人生のなかで忘れがたい大切な時間のときに、カメラがその現場に土足で踏み込んでいいのかどうか。これは本当に難しい問題ではあるが、ひとつの補助線として考えられるのは、高校サッカー部においては、監督やコーチが「教育的な判断」を持って、場合によってはカメラの撮影を拒否できる余地はあるだろうという点が挙げられる。そのうえでほとんどの場合は、選手たちの記録を残してあげようという監督や関係者の判断によりカメラがその場を撮影しているように思える。

 そんな高校サッカーにおける「選手たちの素顔」は、二度と戻らない一度きりの選手権という舞台においてのものだからカメラがその場に同席してもオープンに展開されるのかもしれないが、これがプロサッカーにおける勝った負けたの過酷な現場になると、やはりカメラが入った時点で「素の様子」は期待できないのではないかと思うわけである。

 たとえばチームがうまくいっていないときに宮本監督が「何か言いたいことはないか!?」と選手に問いかけて、誰かの応答を待つシーンがある(これを「ワークショップのファシリテーション」という観点で捉えることも可能なのでそういう方面でも興味深いやりとりなのだが)、とかくこの現場の状況だと、カメラの存在が絶対にジャマになっているはずである。言いたいことがあっても、選手の胸の内には「カメラの前だしなぁ・・・」という思いが絶対に、どこかで、あるのではないだろうか。もちろん極限状況なので、カメラどころじゃない部分は当然あるだろうし、放送では使えないシーンもあったかと想像するし、番組で明かされた部分ではハーフタイムのとき、失点のシーンをめぐって仲間にたいして本音で問題点を指摘したりする迫真のシーンもある。そこは間違いなく圧倒的に「素」なのだろうけど、ある時間や局面になると、ふとそれも「カメラ」の存在がどこかで意識されるのではないかと想像される。

 つまりここが大事なポイントなのだが、逆に言うと、もし「カメラがあろうが、オレは気にせずに本音をぶつけるぜ!」という選手がいたとしたら、それは番組制作側にとっては実に喜ばしいけれども、おそらくそれ以外の人々からは「人としてもサッカー選手としても、状況判断が甘くて視野が狭いのでは」とすら見なされる可能性があるのだ。そんな環境下で誰があえて自分に不利な振る舞いを好んで選択するだろうか?

 なのできっとあのシーズンにおけるロッカールームでは、ひょっとしたら宮本監督だって、本当はもっと他に言いたいことがあったり、もっとブチギレたりしたかったかもしれない。そしてシーズン途中加入の立場ゆえに悶々としつつ、自責の念を含めつつもあえてここぞのときにチーム全員に向かってストレートに苦言を述べた宇佐美だって、その行為は勇気のあることだったが、本当の本音のところはもっと他にあったかもしれない。総じて言うと、この番組で観た限りでは、「これはいつものロッカールームの様子ではないんじゃないか」という思いがずっとつきまとってくるのである。なので今後はカメラを入れずにそっとしておいてあげたほうが、結果的にチームのためかもしれないと、わがままな視聴者は思うのであった。

 ちなみにこの番組で分かったことだが、ロッカールームで試合後に提供されるケータリングにおいては、大量のコカコーラやアクエリアスが置かれていた。疲れたあとに糖分を補給するにはてっとり早いのかもしれないが、アクエリアスはともかく、コカコーラが大盤振る舞いされる状況はあまり想像していなかったので、そこも興味深かった。

 あと、「監督が選手たちに怒鳴るロッカーローム」において思わぬ存在感を発揮してしまうのが、外国人選手の通訳担当者だということも印象的であった。強い口調で宮本監督が叫び続けていて、一瞬、その語りが途切れる緊張感ただよう静寂のなかで、ボソボソと聞こえてくるのは、ポルトガル語で淡々とそのメッセージを伝えている通訳さんの声・・・。これって、怒る側も相当やりにくい状況なのだろうなぁと思うし、通訳さんも現場の空気感を損なうことないよう気を遣いながら必死に通訳業務を全うしようとしているから、いやはや過酷な労働である。

 そして話の趣旨は変わるが、この番組をトータルで振り返って思うに、負けたあとのロッカールームでしょんぼりする選手たちをカメラが捉えようが、勝ったあとの喜び合う高揚感をカメラで捉えようが、どんな状況においても、出来上がった映像作品としては「結局のところ誰よりも男前で、主役を取っちゃうのが監督」となってしまうことが、いまのガンバ大阪所属選手たちにとって「ある意味でハンデ」ではないかと、よけいな同情をしてしまうのであった。怒っても困っても笑ってもダントツでカッコよくて絵になるんだから、なんなんだよあの監督は、っていう(笑)

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2014年7月13日

今大会、ブラジルの大敗よりも驚いたことがある。

代表チームが決勝進出をきめたときのアルゼンチンの人々の様子を集めた、感動的な動画。

自分とは何のつながりもない国の人々の姿なのに、涙が出そうになるのは、つまり「同じ夢を共有しているから」なんだと気づいた。「平和に暮らしたい」ことと「ワールドカップで優勝したい」というのが、世界中で究極の目標としてみんな夢見ている。それを実感させてくれるのだ。


おばちゃんがテーブルに座ったまま拍手しているシーンとか、ヨーロッパの映画みたいな雰囲気。サッカーのもたらす一番素敵なシーンをたくさん集めて、じつに印象的な作品になっている。編集の技が秀逸。

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そして今大会は、開催国のまさかの大敗で驚くばかりであるが、
個人的に最も驚いたのは、私の長姉が知らぬ間にサッカーファンになっていたことだ。

今大会をテレビで観ているうちに、サッカーが面白くなってきたそうである。
(そういう意味では、今回は地上波で全試合の中継があったことは良かったのである)

がんばって深夜早朝に起きつづける姉とリアルタイムでサッカーの試合をみながらメールを打ち合うことになる日がくるとは。

そうやって人生の途中でひょんなことからサッカーを「発見」することがもたらす面白さを少しずつサポートしていければと思う。

メッシとネイマールに注目していたようなので、ちょうどこの2人が一緒にプレーしているクラブチームがあることもオススメしておいた。

そんなこんなで大会も残すところ決勝戦のみ。姉にとっておそらく初めて真剣にワールドカップという大会を見守り続けた末のファイナルに、どういう印象を受けるのか。個人的にはそこも楽しみになってきている。

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2013年12月 7日

寝る前にひとこと

いけるぞ、この組み合わせ・・・

と思ったが、よく考えてみたら、

ファルカオとドログバを抑えることが求められます、ので。

もういちど闘莉王呼ぶか!?

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2012年9月25日

映画館でマジ泣きしながら観た『コッホ先生と僕らの革命』に、日本のサッカーファンとして心からの「ありがとう」を伝えたい

Kakumei

ドイツにおけるサッカーの創始期を描く、史実に基づく映画である。
1874年。イギリス帰りのコッホ先生が、サッカーボールを手にドイツに戻り、名門校で英語を教えることになる。

規律と服従を重んじるドイツ式教育のなかにあって、「自主性」と「フェアプレー精神」と「仲間を大切にする気持ち」を育みたいと思い、コッホ先生はイギリス留学中に出会ったあたらしいスポーツ、サッカーを通した授業を取り入れる。

ただしサッカーは国民教育的観点(またブルジョワ的価値観)からみると「野蛮」なものであり、従来の体育教育にはそぐわないものとして、同僚の教師や教育後援会の圧力によりコッホ先生とサッカーは排斥されようとする。

そうして学校ではサッカーが「禁止」となり、こっそりやっていた校外でのサッカーもバレて禁じられていく。しかし最終的に、国からの「視察」というイベントが契機となって、サッカーというスポーツが教育現場で活用できるかどうかという判断がされることになり、生徒たちの知恵と努力で試合にこぎつけるところが物語のクライマックスであるわけだ。

この、勇気ある先生と子供たちの存在があったからこそ、ドイツでサッカーというスポーツがはじまったのだという想いで映画をみると、もう映画の序盤から私は『探偵ナイトスクープ』における西田敏行みたいな状態になっていた・・・最初にコッホ先生が学校にサッカーボールと荷物をかかえて現れるシーンから・・・この一個のボールから、その後の100年後の状況を想うと、もう、涙腺がグワ~~っと。「早すぎ!」っていう(笑)。

そしてなにより、サッカーを通して培われていくフェアプレーの精神や、親や先生に服従するだけでない、ひとりひとりが自主的に考え行動する「フットボール的精神性」が、普段の生活の中でも活かされるのであるというメッセージがこの生徒たちの変容や成長を通して描かれているのであり・・・もう映画の中盤あたりからスイマセン、いい年こいて、たまらず涙と鼻水が流れたままで・・・(笑)

コッホ先生が公園で生徒たちに「想像してみてほしい、あらゆる街にサッカーチームができて、みんなが試合を楽しみにするような世界を」と呼びかける、そのシーンが印象的で・・・(この、この状況がですよ、仮にフィクションであったとして、そんなセリフが当時語られていなかったとしても)このコッホ先生の想いが実を結び、サッカーの魅力に感化された生徒たちを始まりとして、やがてドイツにサッカー文化をもたらし、そこからあらゆる地域における総合的スポーツクラブの伝統を生み・・・そしてクラマーさんが日本にやってきてこの国のサッカーの近代化に尽力した縁で、そのドイツの状況を現地で目の当たりにした日本の先人たちの「感動」が、その後の20世紀末の日本にJリーグを生み出す「原動力」へとつながっていった歴史を想うと・・・この今のJリーグの姿を、コッホ先生や「サッカーって、なんだそれ?」って最初は不思議そうな目をしていたあの生徒たちに見せてあげたい・・・「すべては君たちの勇気のおかげやぞ!」・・・と思うと、もうダメです、涙が止まらなかった。

このときのコッホ先生の想いが、そのまま100年を越えて、まさに僕らの日常にまで届いていること。サッカーを愛する我々が今まさに生きている世界をも含めて捉えうる壮大なストーリーの「原点」に、あらためて最大級の「ありがとう」を伝えたくなる映画である。

なお、全国で公開中だが上映されている映画館が限られており、そして非常に残念なことに「京都シネマ」ではパンフレットが売り切れだったので買えず、再入荷もないとのこと。なので私の知り合いのかたで、もし映画館でこの作品のパンフレットみつけた方はぜひ僕のぶんも買っておいてほしいですマジで!!

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