藤田のぞみ/Nozomi FUJITA

2019年3月27日

横断幕と暮らす日々(その14):これまでと、これから

このシリーズの記事が更新できないままであった。


昨シーズン9月29日の日産フィールド小机で行われた横浜FCシーガルズ×オルカ鴨川の試合以降のことは、このブログでは書いていないままである。
いろいろとブログのためにメモ的な文章は書き残しているものの、いまさらそれらを順番に並べてアップする気持ちにはなれないほどに、そのあともいろいろと・・・本当に、いろいろなことがあった。

まず現況を先に述べると、2018年シーズン終了を持って藤田のぞみのオルカ鴨川FCの退団が発表された。しかし、その後の移籍先は不明のまま時間は流れていき、こうして新しいシーズン開幕を迎えることとなった。

これについて私が知り得ることは何もなく、しばらくはオルカでプレーするものとなんとなく思っていただけに、驚きと切なさを持ってその知らせを受け止めた。結果的に18年シーズンはほとんどの試合に出場できたことから、さまざまな心配をよそに身体面では好調を維持していたように見受けられ、もしかしたら1部リーグのクラブへの移籍もあるのかと当初は思ったが、こうして今の段階では何も決まっていない状況ゆえに、ますますこのことについて何かを書いたりすることが難しい気分である。

9月の小机からも数試合を引き続き応援していったわけだが、特に感傷的な気持ちで振り返ってしまうのは、10月21日、ホーム鴨川での湯郷ベルとの試合であった。開幕前にスケジュールが発表された時点で、湯郷ベルのサポーターである旧友のフィオリオ氏からは「この試合は一緒に前日から鴨川入りして、ちゃんと観光してから試合を観よう」と誘われ、秋の鴨川の「小旅行」を決め込んでいたわけである。

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しかしシーズンが展開していくにつれ、事態は想像だにしなかった流れとなり、この試合の結果次第で湯郷ベルの3部リーグ降格が決まってしまうというものになってしまった。1部入れ替え戦へ可能性を残すオルカとしても絶対に負けられない一戦で、なんとかオルカが勝ったわけだが、とても思い入れのある湯郷ベルの選手たちやサポーターさんたちの気持ちを思うと複雑すぎる試合となった。さらにはこの試合の終盤に接触プレーで藤田のぞみが大ダメージを負ってしまい、試合どころではないほど心配したが、大事には至らずに試合後のサイン会の現場には姿を見せていて、おおいに安堵した。そんな状況でオルカは勝ち、ベルは降格が決まり、何とも言えないアンビバレントな感情が残っている。その一方で、予定通りこの週末において初めて私は鴨川の地を友人とじっくり歩いて、今まで行けてなかった場所も訪れることができ、房総の広い海の美しさや晴れ渡った大空の印象が、今でもじんわりと心の中に息づいている。

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その翌週のリーグ最終戦は姫路に乗り込みハリマアルビオンのホームで1ー0の勝利をあげ、惜しくも入れ替え戦には届かなかったが、ポジティブな終わり方となった。そのあとに控える皇后杯には都合があわずに応援に行けないことが分かっていたので、シーズンしめくくりの出待ちでは、いつも以上に気合いを入れて差し入れを渡すことができた。そのときの笑顔や雰囲気が、ハタでみていたアンチ銀河系さんに「envyでした」と言わしめるほどに素敵だった。このときのことは私にとって(今、思い返せばなおさらに)ひとつの宝物のような時間となったわけである。

その後、皇后杯での敗退を受けて、ファン感謝祭の日程が決まり、その実施前日にオルカ鴨川FC公式サイトより藤田のぞみ他数名の選手の退団が発表されたのである。あの姫路でのまぶしかった笑顔を何度も思い返しつつ、このとき私は二度目の「鴨川前泊」を行い、ファン感謝祭に行くこととなった。

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先に書いておくと、ファン感では午前に選手とファンが一緒にチームを組んで参加できるミニサッカー大会が開かれ、あいにく藤田のぞみとは同じチームにはならず、対戦相手として一試合だけ同じピッチで向き合えた。そのあとの懇親会では本人ともゆっくり話をさせてもらえる機会があり、とはいえどういう声かけをすればいいのか難しい状況でもあり、できることはとにかくこれからの本人の進むべき道が輝かしいものであることを祈りながら、今年のこれまでの奮闘ぶりを労うことであった。

そんな感じだった。

 

そしてもうひとつ、この日のことについて書いておきたい。

当日の朝にサポーターのTさんのご厚意で駅から車に乗せてもらい、現地に赴くと、最初のプログラムであるミニサッカー大会がはじまる前に、すでに体育館ロビーではコアサポーターの方々が、白い横断幕にガムテープで文字をせっせと描いていた。それは前日に退団が発表された全員の名前を入れた、感謝の意を伝える幕だった。

その作業風景を最初は横で眺めていたのだが、どうやら「のぞみ」の文字が描かれるはずの部分が空欄のままとなっていることに気づいた。

そして驚くことに、そこは私が描くことになっていたのであった。

 

黒いガムテープを渡され、驚いたり恐縮したりする気持ちもほどほどに・・・つまり「時間がない」ので、戸惑う暇もなく、下書きもない状態で、自分の直感をたよりに「のぞみ」の3文字をすばやく仕上げるというミッションがはじまったわけである。
私はかつて読んだことのある(この記事)について必死に思い出そうとしつつ、見よう見まねでガムテープをちぎり、ひたすら貼り続けた。サポーターの方々からは「初めてとは思えない!」などと励まされながら、おっかなびっくりで文字を組み立てていった。

そうやって文字を描きながら、こうした機会をさりげなく用意してくれた、オルカ鴨川のサポーターの方々の気持ちに、こみ上げてくるものがあった。

3月に私がはじめてこの鴨川という場所を訪れたときには、誰も知る人がいなかった。それがこうして今は、選手個人の追っかけサポであるにも関わらず、大事な横断幕の文字を作らせてもらっている・・・こうしてサポーターのみなさんに自分のような存在もまた支えられていたわけで、私もなんとかこの日まで遠征を繰り返すことができたのであった。

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サッカー選手としての藤田のぞみにとって、オルカ鴨川FCで過ごした日々が本当のところはどういうものだったのかは分からないが、ひとつ確実にいえることは、ここは温かい人々によって見守られているサッカークラブだということだ。おかげで私にとっての「心のクラブ」がまたひとつ増えたのである。そうやってサッカーをめぐる「縁」はこれからも続いていくのだ。

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2018年10月 5日

横断幕と暮らす日々(その13):名前を大声で呼ばれる

 試合終了直前、藤田のぞみがペナルティエリア付近から放ったミドルシュートは綺麗な弧を描いてネットに吸い込まれ、2-2の同点ゴールとなった。

 うれしさもひとしおで、なぜならばここは、京都だったからだ。

 よりによって私の地元で、劇的なのんちゃんゴールが炸裂したのである。親孝行ならぬ、「サポーター孝行」である。最高なのである。いつもだけど! 

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 バニーズ京都SC戦は、9月22日に山城運動公園陸上競技場で行われた。京都に住んでいながら、そして職場からも近いはずなのだが、この運動公園に足を踏み入れたのは初めてであった。

 年に一度、片道千円もかからずにたどり着けるなでしこ2部リーグの試合会場であるが、千葉からのコアサポーターのみなさんの到着を迎え入れるだけではなく、この日は旧知の湯郷ベルサポーターであるフィオリオ氏とMさん、そして“アンチ銀河系”さんも試合会場に来ることになっていて、ベルの試合のないときでも、こうして「元ベルの選手やその他諸々」を追いかけている人々の行動力には脱帽である(脱帽というか、むしろ「何らかの精神的な脱臼」と表現したくもなってくるが)。

 というわけで私個人の感覚では、「客席のみのダービーマッチ感」が少しだけあって、ピッチの上のオルカ鴨川FCを応援しつつ、身も心もスタンドではオルカのサポーターとともに声を出し続け、そしてスタンドの反対側に座っているベルサポーターの友人関係の動きも気にしながらの試合だった(元湯郷ベルの人気選手加戸ちゃんがバニーズにいる)。フィオリオ氏に至っては、ちょっと歩いてやってくればいいものを、向こうで座りながらLINEを飛ばして私と対話してくる有様で、10月末の鴨川でオルカは湯郷ベルと対戦することになっているが、きっとこういう感じになるんだろうなと思った。

 試合ではオルカの浦島によるゴールで早い時間帯に先制でき、5月の対戦時のように大量得点を期待していたがなかなか難しい時間が続き、後半になってからは流れが明らかにバニーズに傾き、気がつけば2点を返されていた。

 そしてこの日は来ると豪語していたはずのアンチ銀河系さんの姿は試合開始時には見られなかったが、きっと反対側のバニーズのほうでベルサポーターとともにいるかもしれないと勝手に思っていた。すると試合途中で突然アンチさんは姿を見せ、相変わらずどこのチームのサポーターかよくわからなくなっている状態で大量の荷物が収まっているパンパンのトートバッグを座席に置き、「のんちゃんのゲーフラを見に来た」とか「ハムスターを観察するタテーシさんを観察しに来た」とかなんとか言っていた(彼のたくさんいる推しの選手のなかに藤田のぞみも入っていて、「ハムスター」とよく呼んでいる)。そうして声出し応援をしている私にちょいちょい話しかけてきたりもしていた。

 そういう状況だったので、藤田のぞみの美しいミドルシュートがゴールに入ったとき、一瞬の狂喜のあと、すぐに思い至ってしまったことは、もしかしてアンチさんがこの日のラッキーボーイなのかもしれないということだった。私は今シーズン14試合ほどスタジアムで見続けてようやく2点目ののんちゃんゴールを観たというのに、アンチさんはいきなりこのビューティフルゴールに立ち会えたわけで、悔しいがこのおじさんの謎めいた運の強さを思った。

 ゴールを決めたあとの出待ちはすがすがしい。たしかにチームが勝ちきれなかったことは残念でもあるが、少なくとも本人に話しかけるテーマには困らなかった。会場から出てきたのんちゃんを早めにつかまえて差し入れを渡し、ナイスゴールを称える。
 また、フィオリオ氏の知り合いのご高齢の女性ファンが、のんちゃんとご自身が一緒に収まっている記念写真を手にサインをほしがっておられたので、その人のアシストに入ってサインがしやすいように手伝ったりした。そうしてこの日も次々とファンにつかまっていくのんちゃんであったが、自分はこの日やるべきことをすべてやり終えた気分で、すっかりリラックスしてフィオリオ氏と談笑していた。

 すると突然、遠くのほうから

「タテーシさーん!!」とアンチさんの声。

 

驚いて振り向くと、

明らかに一人だけチームバスに乗り遅れそうなのんちゃんを立たせたまま

「一緒に写真に入ってー!!」
とのこと。
この気持ちはありがたいのであるが、「一緒に撮って欲しい」とは一言も頼んでいないし(笑)、まったく事前に打ち合わせもなく、このときの私はただひたすら「ヒャーー!!」となり小走りで駆けつけて「すいませんすいません忙しいところすいませーーん!!」とひたすら口走っていた(と記憶しているが頭は真っ白だった)。

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幸いのんちゃんは終始笑顔でいてくれていた(と記憶しているが自信がない)が、おそらくこの写真に収められた私の顔はただひたすら謝ってばかりの動揺に満ちた表情だったかもしれない。そういうわけでこの日は完全にアンチさんの天真爛漫さ?にやられっぱなしであった。

 おそらく次にアンチさんと遭遇するときにこの日の写真プリントをいただけるものと期待しているが、それはきっとアンチさんのサポートするもうひとつのクラブ、ハリマアルビオンとのリーグ最終節のときになるかもしれない。そしてそのときどのような順位になっているかはお互い想像できないほどに、1部リーグへの昇格争いは大混戦となってきて、ひょっとしたらハリマとは最終節での「大決戦」もありえるのだった。

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2018年9月17日

横断幕と暮らす日々(その12):ゲーフラとも暮らす日々

 出待ちをするなら、ましてや選手の個人サポーターを自認するのであるならば、本人にどういった声をかけるのかをあらかじめちゃんと考えておかねばならないと自省した日。

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 リーグ杯のグループリーグ最後の試合は7月14日のニッパツ横浜FCシーガルズとの一戦。会場は三ツ沢球技場で、ここはJリーグでも使用される球技専用スタジアムだけに、ピッチも観やすくて、サッカーを観に来ることの愉しさをじっくり味わえる場所だと感じた。

 この日はありがたいことに、関東在住のYさんがオルカの応援席にやってきてくれた。当ブログでもたびたび登場する、チェルシーFCのスタジアムツアーに初めて参加したときにたまたま同じ組になってから交流が続いている方である。オルカのユニフォームをまとい、そしてゲートフラッグを手にし、チャントの応援の声だしに精を出す私の姿をかたわらで見守って(?)、かつ写真に収めてくださった。

 ともあれ、この日も苛烈な暑さがおそいかかる日で、藤田のぞみはスタメンとして、バランスよくポジションを構えてここぞの場面でボールを奪う仕事が目立った。そして後半途中で交代した。

 得点が決まるときは決まるもので、齋藤敏子のゴールを皮切りに3点を奪って勝った。カップ戦の決勝進出には届かなかったが、このあとの中断期間を挟んだ肝心のリーグ戦に向けて良いイメージで終えられることが何よりこのチームには大事だった。

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 ただし出待ちのとき、ふいに現れた本人を前に、どういうわけか何も言うべき言葉が出てこず、ついとっさに「前の試合のゴールは本当によかったです」みたいな話をしてしまった。ちなみによく考えるとこの日の前の試合、リーグ杯のちふれエルフェン戦は私は「欠席」していたので、「前の試合のゴール」は3週間も前の出来事である。そりゃあ相手にとってもリアクションに困る微妙な感じになり、そしてその様子を後ろで見守っていたYさんも、このあっけなく終わったやりとりに「え、これで完了?」という雰囲気だった・・・。そういうわけで、私ももう少し気のきいた声かけができるようになろうと反省した日である。

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 この試合後からスケジュールは中断期間となり、かのU-20代表はフランスでワールドカップを戦った。オルカ鴨川から代表に選出されていた村岡真実は、フォワードの交代カードの切り札として奮闘していたこと(そして表彰台の上でもフォワードらしく良いポジショニングをキープしていたこと)は先の記事で述べたとおりである。

 U-20ワールドカップ初優勝という最高の結果をひっさげて、大会終了後最初の公式戦となった9月2日のスフィーダ世田谷戦において、さっそく村岡真実はスタメンでの出場となった。選手紹介のアナウンスのときは村岡にたいしてスフィーダのゴール裏サポーターからも拍手がおこっていた。

 この日の会場である「味の素フィールド西が丘」は、国立スポーツ科学センターの敷地のなかにある球技専用のスタジアムで、声出しをするサポーターはゴール裏側のスタンドに陣取ることができた。ピッチとの距離が近く、シュート練習のボールもすぐ飛んでくる場所だった。

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 試合中もたまたま私が一番ゴール寄りの場所に立っていたので、久しぶりにゴールキーパー目線からの試合観戦を楽しめた。なにより、この日もスタメンだった藤田のぞみがゴール前に進入してシュートを狙い、惜しくも外れたその力強いボールが私のところに飛んできたことが良い思い出となった。本来ならそのボールをそのままキャッチするか、パンチングで弾くかしたかったのだが、案の定受けとめることができず、ピンボールのようにベンチを行ったり来たりするボールをあたふたと追いかけることしかできなかったわけだが(試合中に選手が蹴ったボールを触ったのは、2009年に訪れたウエストハム・ユナイテッドの在りし日のホーム、アップトン・パークでのチェルシーとの試合中、バックスタンドにいた私と父のところにボールがやってきたとき以来だ。これはすごい幸運だとボールの手触りを味わいつつ、すぐにピッチにボールを戻さなかったので、ミヒャエル・バラックが「早くよこせ」と言わんばかりにこっちを見ていたことが懐かしい)

 このときのシュートに留まらず、この日の藤田のぞみは他にもシュートを狙ったり、前線へのスルーパスをたくさん試みていた印象だった。しかしなかなか状況を打開できず、後半に入ってサイドバックの吉田紫穂が負傷退場となった関係で、前線にいた村岡真実がサイドバックの位置に下がった。するとこのポジション変更直後に村岡が後方から上げたボールを永木真理子がヘディングでゴールに叩き込んで、それが決勝点となった。村岡の存在感が際だつ内容だった。

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 そして出待ちでは前回の反省をふまえ? 今日はスルーパスをガンガン狙ってましたね、という声かけをのんちゃんにさせていただく。もっとも他にもたくさんいるファン対応に勤しむ状況にあっては、あまり長々とした対話はいつもできないのだが。
 この日は全体的に出待ちの場の雰囲気がなんとなくゆったりと和んだ感じだった。試合に勝てたことが大きいのだろうが、暑い夏が終わろうかという気候もそうさせたからかもしれない。そしてたくさんの贈り物を抱えた村岡真実は凱旋試合後の疲れをみじんも感じさせないいつもの陽気さで、バスが出る直前までひっぱりだこだった。

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 この翌週、私は人生で最大級といえる強烈な台風を体験し、北海道では地震が起こり、落ち着かない日々が続いていたが、9月8日は伊丹空港から飛行機で松山市へ。愛媛FCとのアウェイ戦に臨む。

 総合運動公園に着いて路線バスを降り、広場を見渡すと、遠くからいつものオルカのコアサポーターのみなさんがこちらに向かって歩いてくるタイミングだった。しかも横一列に並んだその様子が『Gメン'75』のオープニングを思わせたので一人で笑ってしまった。そのことを伝えるとコールリーダーのEさんが突然「あの滑走路の『75』のロゴはベニヤの張りぼてだったんですよ」というトリビアを披露したり、みなさんだいたいそのあたりの世代・・・(笑)。

 

 試合会場となる愛媛県総合運動公園球技場は、Jリーグ愛媛FCのホーム「ニンジニアスタジアム」の裏手、丘のふもと側にあった。ちょうどこの日は愛媛FCとカマタマーレ讃岐のJ2リーグ戦も夜に開催されるので、ニンジニアスタジアム周辺では試合準備が行われつつあり、Jリーグのサポーターの姿もちらほらと見えていた。

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 ウォーミングアップ開始前、選手監督スタッフがアウェイサポーター席の前に来て挨拶をするとき、Tさんが村岡真実ゲーフラを掲げ、そのとなりで私も藤田のぞみゲーフラ(ネットでの公開が遠慮されるやつ)を掲げた。愛媛FCサポーター側をチラッとうかがうと、こういうゲーフラを掲げている様子はなさそうで、この澄んだ山間ののどかな球技場のチープな客席のなかにあっては、このゲーフラもかなり目立ってしまう。そのせいか、選手たちの何人かがこのゲーフラに反応しているようにうかがえ、そして藤田のぞみ本人もなんだか苦笑しているように見えた。インパクト重視のこのゲーフラが試合前の彼女たちに変なムードを与えてしまっていないか、いまさらそういうことを軽く心配しつつ私はキックオフを待った。

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▲コールリーダー用の特製ボード。

 雨が降ったり止んだりで難しいピッチのなか試合が行われ、苦労しながらの試合展開。先発の藤田のぞみはこの日は前節よりも攻撃参加を控え、ボール奪取の動きを多く見せていた印象。相手が2位のチームだということもあったが、前節と違いこの日はスタートから齋藤敏子とのコンビで中盤を構成していたからかもしれない。いつも感じていることなのだが、イタリア代表のレジェンドでいうと、ピルロのように後方から絶妙なパスを配球したかと思えば、ガットゥーゾのように闘犬のごとく相手ボールに食らいついて奪い返す、そこが藤田のぞみの真骨頂である。

 そんなこんなで拮抗した試合展開が続き、「アウェイで2位相手の試合、スコアレスドローでも御の字だよな・・・」というムードになって、試合終了を迎えようかというそのとき、最後の交代カードで入っていたフォワード土屋佑津季が、まさに昇格争いに加わるターニングポイントとなりうるミラクルなシュートを豪快に決めて大勝利を挙げたのであった

 沸き立つアウェイサポーター、そして雨がまた降り出してきた。横断幕を早々に片づけ、そして何人かは急いで帰路にむかう。人数の少ないこの日の出待ちでは、村岡真実のお母さんとはじめてゆっくり話をさせてもらったり。
 設備が整っているわけでもない試合会場なので、待機しているバスまで距離があり、大雨のなか選手スタッフは駆け足で移動。そんな状況で藤田のぞみをつかまえて、急いでいるなか恐縮だったが、この日はどうしてもアップ前のゲーフラの件について本人に尋ねてみたかった。あのゲーフラ、他の選手も笑っていたようだけど、実際どうなんでしょう?

「、好評です。」

と笑顔で言ってもらえた。なんだか文頭に「、」をつけたくなるような感じ・・・そう、若干この「、」のなかに苦笑い要素が入っていたような気がする(笑)。

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本当はこのあとのJ2の試合も気になっていたのだが、ますます雨が強くなり、立ちっぱなしでコールを続けていた疲労もあり、いますぐホテルにチェックインして横断幕とゲーフラを干したい気分だった。グッズ売場で愛媛FCのピンバッジを買い(一平君グッズは迷ったがスルー)、ホテルに着いてバタバタと横断幕などを干したりして、時間に余裕ができたので閉店間際の道後温泉に行ってみたりした。

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今年は夏に大きな旅行を予定していなかったので、この愛媛遠征が唯一といっていい、旅行らしい旅行のつもりで楽しみにしていた。しかし翌日も雨で、あまり出歩く気分にもなれず、とりあえず正岡子規記念博物館に行ってみた。見所の多い展示でそれなりに楽しんだが、そうこうしているうちに午後になると雨がさらに強烈になって避難勧告発令・警報レベルになり、JRが運行休止となったことをスマホで知る。夕方にゆっくり鉄道で帰ろうとしていた私はやむなくJR松山駅に駆けつけて切符をキャンセルし、急きょ飛行機の予約をとって松山空港へバスで向かって予定外のルートで帰着することとなった。てんやわんやだったが、アウェイでの劇的勝利、そしてゲーフラのことも含めて? 充実感は残った。

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2018年7月22日

横断幕と暮らす日々(その11):全力で楽しめ!

 

 ネットを揺らしたシュートは、ゴール前に走り込んだ背番号8番が放ったものだった。

 かつての私が、サッカーファンとしてついぞ生で観られないまま終わってしまうもののひとつなのだとあきらめていた、ある種の「憧憬」のひとつが、目の前で現実のものとなった。スタジアムで藤田のぞみのゴールをこの目で見ること、これは個人的にいままで巡りあえなかった出来事であった。覚悟を決めて何度もスタジアムに通い出したからこそ立ち会えたこの瞬間に、ただただ感慨深いものを覚えた。

 それがこの日のすべてである。

 

 

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 男子の日本代表がワールドカップの初戦を勝利したことで次のセネガル代表との試合に(想定外の)注目が集まる中、この試合のある早朝に私は品川駅で降りて、バスで袖ヶ浦市陸上競技場へ向かった。アクアラインがあるおかげで袖ヶ浦へはこのルートが一番良いだろうと、友人のM・フィオリオ氏がアドバイスしてくれたのが3月のシーズン開幕の時期だった。あのころには想像もしていなかったことがその後、日本代表をめぐって起こったわけで、いろいろな気持ちを抱えながらの袖ヶ浦行きとなった。

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 ひきつづきカップ戦ということでこの日も藤田のぞみが出場するかも分からず、そして雨が午前中から降り続いていた。新しく作ったものの、まだ一度もかかげていない、彼女のためのゲートフラッグを横断幕とともに持参しており、もし掲げることができたとしても雨のデビューになるのだろうかと思った。

 袖ヶ浦バスターミナルから住宅地を少し歩いたらすぐに競技場があり、隣接する野球場では、「オルガウラカップ」と称したジュニアのサッカー大会が実施されていた。その様子を観ることができたのは(大雨だけど屋根がないのは仕方ないにせよ)時間つぶしにはよかった。

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 横断幕の掲出作業に入らせてもらい、この会場ではきわめて地味なエリアにしか横断幕は出せなかったが、練習前にアップやストレッチをめいめいが行う場所のすぐ近くだったので、それなりにのんちゃんたちが横断幕について会話をしているとおぼしき状況も見受けられた。

 

 無事に藤田のぞみが先発ということが分かり、ゲートフラッグを構えた。小心者ゆえ、後ろの人に邪魔にならないような端っこのポジションに座り、選手入場がはじまる。私ははじめてゲートフラッグを掲げることができたわけだが、両脇のつっぱり棒は(カバンにおさめて運べるようにするため)、あまり深く考えずに作ったゲーフラの全長とほぼ同じ長さであり、ゲートというよりも「布そのものを持っている」ような代物である。そしてはじめてゲーフラを出して感じたのは、風を受けるとすごく手に重く感じ、それゆえにゲーフラをあげることはちょっとした根性を要することなのだということだった。風にも負けず、雨にも負けず(幸いこのときには雨は止んだ)、ひたすら何かを願いつづけてゲーフラを天高く掲げて・・・スタンドの端っこで目立たないかとは思うが・・・。

 

 そうして、決勝進出の目がまだあるカップ戦、スフィーダ世田谷との試合は、開始8分の浦島のゴールで幸先よく先制し、そこから藤田のぞみのゴールへとつながっていったのである。結果3ー1で勝利し、私のゲーフラのデビュー戦で、のんちゃんのゴールが生まれたことは控えめに言っても最高の日なのであった。


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 そしてフィオリオ氏からはLINEで再三、この日にゲーフラにサインをもらえと説得され続けていた。私としてはこのゲーフラは・・・試合前に掲げておいてこんなふうに思うのもなんだが・・・その内容について、ご本人を前にして堂々と広げるにはなんとなく抵抗感があった。というのも、このゲーフラは某有名絵本のキャラクターを、ひたすら手作業で模写をしてオルカ鴨川8番バージョンに仕立て上げた内容であり、著作権を侵害している!と言われてもその通りですねすいませんごめんなさいとしか言いようがなく、ブログの読者には申し訳ないがウェブ上では気軽に掲載できないレベルのものだからだ。

 

しかしよりによってゲーフラをデビューさせたその日に本人がゴールを決めたのだから、たしかにこの奇跡的なタイミングを逃すとサインをもらうきっかけを失いかねないこともよく分かっていた。そこで心を整えて、気持ちを切り替えて、サポーターのTさんに出待ちの時にマジックペンをお借りして(そう、ペンすらこの日は用意していなかったのであった。まったく心が整ってない・・・)、ひたすらのんちゃんを待った。

 

すがすがしい表情のご本人に、まずはゲーフラを折り畳んだ状態でサインをいただく。そして厚かましいことに、(前回の富津でサインをもらったポストカードに、本人の自筆プリントで書いてあった言葉をふまえて)「全力で楽しめ!」というフレーズを書き入れてくださいとお願いをする。

「・・・『め』、ですか?」

「そうです、『楽しめ』、で・・・」と伝える。

 

そして最後のお願いで、ゲーフラを持った姿で写真を撮らせていただく。そのときこのゲーフラの全貌をはじめて目にしたのんちゃんが「あ、★★だ。」と某絵本のキャラクターに反応してくれた。それ以上の感想はなかったが、撮影した写真でも素敵な笑みを浮かべていたので、ひたすら安堵。

 

こうしてテンション高くふたたびバスに乗って東京に向かい、チェルシーサポのYさんご夫妻と久しぶりにお目にかかり楽しい夕食をいただき、そのあと私は再び心を整えてからセネガル戦を見届けるべく恵比寿のフットニックに向かい、ハリルホジッチお面をつけて楽しんだのは先日書いたとおりである。

 まったく見知らぬ場所でハリルホジッチお面をつける勇気がわいたのも、のんちゃんのゴールと、ゲーフラを手に写真に収まってくれたときのあの笑顔のおかげだったからである。サッカーをめぐる生活を全力で楽しんでいること、それは、間違いない。

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2018年7月 4日

横断幕と暮らす日々(その10):見つからない答え

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 5月最後の日曜、エルフェン狭山とのアウェイ戦は埼玉県の鴻巣市立陸上競技場で行われた。

 スタジアムに着くとオルカサポのTさんから、「オルカ鴨川FC」とスタンプが入った小さい色紙に、のんちゃんサインが入ったものをいただく。スタンプはご自身で作られたものらしい。ありがたく頂戴する。

 横断幕の掲出のとき、Iさんというサポーターが持参していた手作りのフェルト素材のものに感じ入る。チリ国旗がなかなか売っていないので・・・ということで、忠実にチリ国旗をあしらって、そして他の選手たちのニックネームもちりばめていて、これを完成させる作業量は相当なものだったと思う。

 横断幕の設置場所は広々としていたが、風でめくれないように固定させるところがなく、地面の排水溝のフタを手であけて、そこの穴を通していくなどの対処が必要となった。



 荒川恵理子の250試合出場セレモニーを経て始まったこの日の試合は惜しい展開で、2失点を追いつき、幻のゴールもあったが、最後の最後で決められてしまった。マリアが不在で、前回のようなプレッシングがうまく機能しなかった印象。

 

 そして出待ちでは、かの「仙台のファンが作った藤田のぞみ横断幕」のまさにその所有者がこの日の会場にいて、「横断幕にサインをもらう」と意気込んでいたのでできる限りサポートしようと自分も控えていた。しかし、いつまでたっても彼女は姿を見せず、「消えたのんちゃん」の行方を探していたのだが結局この日は誰も会えずじまいとなった。そのあと現場の情報では、浦和時代のチームメートだった某選手のご家族とともに早々に別行動で会場を去ったとのうわさ。ここは埼玉だから十分ありえる話だなと思った。

 

 というわけで結果的にこの日の私とのんちゃんの接点は、Tさんに試合前にいただいたサイン色紙だけとなったのである。こういう日もあるよと自分に言い聞かせながらも、何か意味のあることをして帰ろうと思い、いつもより早く東京に着くことをいいことに、ちょっとした買い物をして少しは気が晴れて、京都に帰った。

 

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 6月は仕事の都合でさすがに毎週は観にいけず、10日のカップ戦、ニッパツとの試合で、ふたたび富津臨海陸上競技場へ。前回来たときは横断幕が張り出せなかった会場だったので、私はこの再訪の機会をめざして新たにゲートフラッグを作ってきた。案の定今回も、なぜか試合前日になってオルカFCの公式サイトで「個人向け横断幕は不可」となったので、なぜこのタイミングで周知してくるのかもビミョーだなぁと思い、「だったらこんなに早く会場入りする必要もないよな」と考え、富津駅から歩いて競技場に行く前に、(この日は大雨の予報でもあったので)近所のイオンモールで時間をつぶすことにした。

 ちょうど雨が降り出してきたところで、屋根のないスタジアムでお昼ご飯を食べるぐらいなら・・・と思い、イオンモールのサイゼリアで早い昼食を取ることにした。そして私がサイゼリアにいくと必ずチェックする、「キッズメニュー」に描かれている「間違い探しクイズ」をひたすらにらみ続けるということをしていた。

 ちょうど同じタイミングで「湯郷ベル×バニーズ京都」の応援準備にいそしむ友人のM・フィオリオともLINEでやりとりをしていて、この世界最高レベルと思える難しい間違い探しクイズの画像を送ってみたりしていたのだが、彼からは「近所にいるならさっさとスタジアムに行け」というニュアンスで返信があり、「でもどうせ横断幕出せないし」と、ヘソを曲げた気分で引き続きサイゼリアで間違い探しを眺めつつダラダラしていた。するとネットで発表されるスタメン情報を逐一チェックしているフィオリオ氏からのLINEで「そんなことしているから、今日はのんちゃんベンチ外だぞ!!」とのお知らせ。

 

 

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 ・・・まぁ、シーズン中に何度でもこういうことはありえることは覚悟していた。昨シーズンの湯郷ベルでもさんざんそれは体験済みである。

 そして今日はカップ戦なので、いつもと違うメンバーで臨むことも十分ありえるから、そこも十分理解できる(そして当然ながら、唯一このとき心配だったのは、本人のコンディションに何か問題があるのかどうか、ということである)。

 

 しかしよりによって今日に関しては「富津は横断幕出せない」+「大雨(屋根なし)」+「本人ベンチ外=ゲートフラッグも出せない」、ということで、(あいかわらず最後まで答えが分からないままの)間違い探しクイズを眺めつつ、自分が今日ここにいる意味を今回ばかりは改めて沈痛な気分で考えてしまう。

 

 それでも気を取り直し、オルカのために大雨のなかをレインコートで飛び込む決意を固め、スタジアムへ。間違い探しはけっきょく最後まで分からずじまいだった。

 

 スタジアム周辺の「オルカ横町」ではいくつかのブースが立ち並び、そしてオルカのグッズ売場のテントには、この日ベンチ外の選手が店番をしていて、きわめてナチュラルに、のんちゃん、GK有馬、MF松長の豪華メンバーが並んでいた。あまり普段ありえない光景なので、しどろもどろになりつつ、一通りの今日の気持ち(ベンチ外でとっても残念です、でも仕方ないですよね・・・)を伝えつつ、(オルカの物販で前回売り切れてて買えずじまいだった)のんちゃんのポストカード(『全力で楽しむ!』と本人の筆跡がプリントされている)を購入させていただき、そしてその場でご本人にサインをいただいた。

 

 というわけで試合前にすでに自分としては目的を果たした気分になり、あとは「全力で楽しむ!」とのご神託を自分に言い聞かせ、雨の中ひたすらオルカを応援することに専心した。

 個人的にはこの日オルカ加入後、初の試合出場となったDFの吉田紫穂選手の奮闘ぶりに注目した。大阪体育大学出身で、同校の女子サッカー部監督は遠い昔にちょっとした縁のあった方なので、いつか吉田選手にもそのことを話してみようと思っている。

 しかしなかなかに難しい試合で、0ー1の敗戦。私が観に行けなかった先週のリーグ戦では勝てていただけに、なんだか自分も申し訳ない気がしてくる。

 ちなみにこの試合で、コールリーダーのEさんが、とつぜん「シャララーラーララーラー」と聴き慣れない歌を歌い出し、かねてからやりたかったという新しいチャントを試合中に披露した。その場で何回か歌っているうちに、とても良い感じに思えてきて、お気に入りのチャントになった。もともとなでしこジャパンの代表のときに歌われていたものを拝借しているとのことで、「攻めろオルカ鴨川、誇りを胸に」という歌詞である。それがずっと頭に残ったまま、帰路についた。

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▲このなかに10個も間違いががあるなんて。

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2018年5月16日

横断幕と暮らす日々(その9)小さい傘のなかで、静かな時間が流れた日

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 ゴールデンウィークは2連戦。5月3日は愛媛FCレディースとの試合で、またしても雨予報のなか、今年2度目の鴨川へ。しかし幸い到着時には雨も止んでくれた。とりあえず自分は晴れ男なんだと信じて生きていたい。

 京都から最短で到着しても、どうしても横断幕掲出の開始時間よりあとに到着することとなり、一仕事終えたオルカのサポーターの方々に今回もフジタノゾミ横断幕の掲出を手伝っていただく。そして聞けば仙台のファンの人からの藤田のぞみ横断幕も登場していて、これで3枚の藤田幕が並ぶことになった。仙台の方の幕には英語で「絶対的な自信と謙虚な姿勢」の座右の銘が書かれていて、私のは(特に深い意味はなく)ドイツ語版なので、被らなくてよかった。なんとなく。

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 この日の試合の入りかたはよかったのである。開始早々、藤田のぞみから放たれた前線へのロングフィードにハンナ・ディアスが抜け出して、力強く相手DFを抑えながらキーパーと1対1に持ち込んで上手にゴールを決めた。藤田のぞみの好判断と高い技術、そしてハンナの強さと巧さがかみあったナイスゴールで、この勢いで押し込んでいったのだが、強い風の影響もあって難しいシーンが多く、相手のセットプレーで追いつかれる。後半になるにつれ自らで流れを相手に引き渡したような感じになり、ミスからの安い失点もあったが、なんとかコーナーキックからの流れで押し返して2ー2ドローに持ち込んだという内容。前半の良かった時間帯に追加点をあげられなかったのが悔やまれる。

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 リーグ戦未勝利のまま出待ちを続けると、どういう声かけが適切なのか本当に悩む。

 終わったあと、時間があったので安房鴨川駅まで歩いてみようと思ったが、コアサポのEさんが車から声をかけてくださり、お言葉に甘えて駅まで送ってもらう。Eさんはクラブ創設時に、まったくの部外者として応援に関わった最初の数名の一人とのことで、それまでサッカーの応援をしたこともなかったため、ほかの人からいろいろと教えてもらいながら身につけていったという、とても謙虚でフレンドリーな方である。

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 鴨川での試合を経て、私は連休を思い切り堪能したあと、連休最終日は伊賀FCくノ一との試合のため伊賀上野駅に。もはや鴨川と比べるとあまりに近所で申し訳ないぐらいだ。

 くノ一の試合でちょっと楽しみにしているのは、「くノんちゃん」というマスコットに会えることだ。そのミステリアスな美貌に加え、試合前のダンスなどで発揮される恐ろしいほどの身体能力の高さには、さすが忍者だとうならせるものがあり、私は世界のサッカーシーンを見渡しても、スペインのRCDエスパニョールが誇る「ペリコ」の次ぐらいに好きなマスコットだと推したいぐらいである。
 最後に私がこの伊賀のスタジアムに来たときは、藤田のぞみが浦和レッズにいた時代であり、数年ぶりのこととなる。そして試合前にスタジアムグルメを味わうべくブースをウロウロしていた私は、とんでもない光景に遭遇した。

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「・・・!?」

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 たまたまこの日、交通安全キャンペーンで伊賀警察署がブースを出していたのだが、くノんちゃんは警察関係者に向かって刀を振り回し、「突き」まで繰り返していたのである! 実際はこの刀には穴が開いていて、サヤに納められている石鹸水の効果で、刀を抜いて振り回すとシャボン玉があたり一面に生み出されるのであった。

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 このときのくノんちゃんはハタで見ていても本当に警察官を殺傷しかねない緊張感をただよわせる俊敏な動きを見せ、表情が読めないだけに、なおさら「マジで狂気な感じ」でもあった。

 くノんちゃん【の中の人】はもしかして警察官に何らかの恨みでもあるのだろうかと心配になるほどだった。

「なんてパンクなんだ、くノんちゃん!」

と、私は改めて惚れ直した次第である。

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 ▲そんなパンクなくノんちゃんに感化され、直後に物販で買ったキャンディー。そしてこれがどことなくソワソワさせる理由をしばらく考えたら、このイラストでは素顔を見せているのな。

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 この日、横断幕を掲げさせてもらった流れで、私はゴール裏アウェイ応援団に混じらせてもらって、初めて声出しの応援をした。日差しがきつく(それはメインスタンドでも同様だったが)、お互い熱中症に気をつけあいながら、この数試合で身体になじんできたオルカ鴨川のいろいろな応援歌やチャントをコールさせてもらう。
 コールやチャントをやるとなると、試合展開の全体像を追いかけることに注力することとなり、いつものように藤田のぞみを軸に据えてピッチの状況を観るという見方ではなくなってくるのも、やってみて初めて感じ得ることであった。それはそれで、ボールや人の動きのなかで、どこまで彼女が存在感を発揮できるのか、それを見極めていくことでもある。

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 しかし・・・この試合でもなかなかオルカはチャンスを作れず、0ー1で敗れる。途中出場のチリ代表、マリアがオフサイドぎりぎりのところを狙った「幻の2ゴール」があったり、GK有馬のPKストップなどもあったが、とにかく今欲しいのは結果、である。これで5戦を終え2分け3敗。出口は見えない、でも出待ちは行う。藤田のぞみを前にしたとき、とっさに出た言葉は「続けていこう」である。彼女個人は的確なプレーや良いペース配分での戦い方ができていると思うので、この状態を続けていって欲しい。ただ、新加入選手でスタメンを取っている選手たちにとっては、この長いトンネル状況は非常にしんどいであろう。


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▲試合終了直後、アウェイサポーターのところにまで挨拶に来てくれて、シャボン玉のパフォーマンスまで披露してくれたくノんちゃんに和む。えらいよ。

 先日車で送ってくださったEさんと選手バスを見送ったあと、この日はJR伊賀上野まで一緒に歩き、Eさんは奈良から夜行バスを取ったとのことで、そのまま途中まで「ぶらり鉄道の旅」をご一緒する。Eさんは鉄道好き、旅好き、オルカ好き、そしてお酒好きなようで、コンビニで買い込んだお酒を列車内でも美味しそうに飲み続けて、いろいろな話を楽しく聞かせていただく。そのなかでふと、「(オルカにいる)選手たちには、良い足跡を残していってほしいんだよ」ということを言っていたのがすごくグッときた。ずっとチームを支えているからこそ到達しうる感情というものだ。選手は来て去るものとして捉えると、私のような選手サポーターもまたしかりなのであるが、そうしてまた動き続けることで何らかのつながりができては濃いものになっていくような感じがあり、今自分はそれを実感しつつある。

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5月13日は再び鴨川でバニーズ京都戦。この日もしだいに大雨になる予報。

毎回最短で到着しても、横断幕掲出時間がすでに始まっていて、いつも現場では私が来たときにはすべての横断幕が手際よく張られている。一仕事終えたEさんからは「場所、空けておいたよ!」とありがたい声をかけていただく。カタカナ表記のちょっと風変わりなフジタノゾミ幕がこうして受け入れられて、素直にうれしい。

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 ゴール裏芝生に行き、のんちゃんのバッジを世田谷戦で譲ってくれたTさんが横断幕の設置を手伝ってくれた。その作業の途中、Tさんから「グッズ売場で写真が売られているの知ってます?」と教えてもらう。気になったのでそのあとでオルカのグッズ売場のテントをのぞくと、オフィシャルカメラマンが撮影した試合前の選手集合写真が試合ごとに売られていた。勝てない試合が続いていて、緊張感が拭えない気分で鴨川に来たが、この写真のなかで見せているメンバーの表情はどれも試合前の高揚した、晴れやかな表情を浮かべていて、現地で遠くから眺めているとなかなか気づかない微細なニュアンスを感じ取れる。

 「こういうのは良いねぇ」と思いながら売場の写真を眺めていたら、とつぜん売場の女性スタッフから「藤田さんのファンですよね?」と言われ、とってもうろたえる(笑)。まだ8番のユニフォームを着ていない状態でそう言われたので、なんで分かったんですか!?と尋ねると、以前の試合会場で見かけたので、と言われる(しかも8番ユニを着たり着なかったりする日があったにも関わらず、である)。鴨川陸上競技場の3試合目でまさかグッズ売場の人にまで認識されるとは。 

 ホームゲームのチケットには毎試合2人の選手の姿が印刷されていて、この日はGK國香想子と藤田のぞみだった。そしてその2名の選手がマッチデイプログラムでフューチャーされていた。そこに書かれていた「浦和レッズLを退団し、もうサッカーはする気にならなかった。」という文章で始まる藤田のぞみのコメントは、その後の苦悩、そして周囲の人々のサポートのおかげで再び勇気を出してなでしこリーグに復帰するにあたって、「残された選手人生をオルカに尽くしたいと決意した」という想いが書かれており、いままで藤田のぞみに関して発表されたあらゆるテキストのなかでもかなり重厚なものになっていて、ちょっと驚いたぐらいである。そして改めて自分がいる場所、ここでなにをするべきなのかを問いかけられている気がしていて、なおさらに、昨年の湯郷ベルでの復帰に際してすぐに応援に駆けつけられなかった自分の「意気地のなさ」にも直面するわけである。

 そんなわけで、この日のマッチデイプログラムは私にとって非常に重要なアイテムとなった。

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 この日もコール応援の人々の後ろにつかせてもらい、いつもサポーターさんがスタジアムの隅に段ボールに入れて置いてくれている「貸しメガホン」を借りて応援した(遠方からなので荷物を厳選して持って行っている私にとっては本当に非常にありがたいシステム)。

 オルカはついにハンナとマリアの北米・南米外国人ツートップがスタメンとなり、ファーストディフェンスをきっちりこなし、全体的にプレスがうまく効いていた。外国人サッカー選手が2人してボールを奪いに襲いかかっていくシステムはこの国のリーグでもわりと珍しいほうだと思うのだが、その勢いたるや並の選手でなくても焦ってしまうはずである。そうして相手のミスを誘い、勢いを抑えにかかったのでたくさんのボールを高い位置で奪うことができた。やはり多少無理をかけてでも前からのチェイスをさぼらずにやり続けると、かなり優位に試合が進められる。

 早いうちに挙げた先制点は、藤田のぞみのヘディングパスが起点になって、ハンナが受けてシュートを打ち、キーパーがこぼしたところをマリアが詰めて決めた。
 そこからいい波に乗って、4ー0の大勝。何よりゼロで抑えられたことが大きい。
 つまりはオルカ鴨川の今シーズン、個人的に現地で観た試合のなかでの待望の「初勝利」を挙げ、勝ったときにサポーターが歌うチャントが、当然ながら聞き慣れないものであり、その新鮮さも含めて、安心感があった。これで流れが変わってくれれば・・・

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 そして出待ちでは笑顔でのんちゃんを迎えられたことも、勝ったことと同じぐらいうれしかった。

 試合終了直後に雨が本降りになり、のんちゃんに差し入れを渡した後、ほかのサポーターが彼女を呼び止めて、手渡すものを準備する間、すこし手間取っていたようで、そのときのんちゃんは雨の中で「待ち」の状態になった。
 すると手を頭に乗せたままの彼女は私に「すいませんー」と言ってきて、それは自分の傘に入れてほしいという意味だった。

 なので形の上では一瞬だけ、ほんの一瞬、いや、こういう状況だと正確な時間感覚は狂ってしまうようで、実際はけっこう長い時間だったかもしれないが・・・のんちゃんと相合い傘になった・・・その間、なにも言えなくて、お互いずっと無言で、それはとても静かな時間だった。

 持ち歩きを優先してモンベルの小さい折りたたみ傘しか持っていなかったが、相手が小柄なので助かったと思えばいいのか。これは相合い傘をするには小さすぎるかもしれないなぁ、大きい傘を持っていなくて申し訳ない、といったことを考えていた(と記憶しているが、すべてはあいまいである)。

 緊張すると、どうでもいいことばかり考えてしまう。

 その流れで、試合前に横断幕を手伝ってくれたTさんが気を利かせてくれて、持っていたタブレットで我々の写真を撮ってくださった。感謝に堪えない(笑)

 そしてコアサポのKさんご夫妻からは、車で駅まで送りますよ、とのありがたいお申し出が。もはやすべてのコアサポさんからのご支援によって私の鴨川通いが支えられていて、本当に恐縮である。Kさんご夫妻は家族で浦和レッズのゴール裏を闘ってきた方々だそうで、オルカの選手たちにたいするその熱さの源泉を思うとさもありなん、である。「浦女」としての赤い血が流れている藤田のぞみがひきつづきKさんたちに頼りにされるようなプレーが続けばと願う。

別れ際にKさんが「オルカ鴨川が1部にあがって、レッズと闘うべく駒場に行く日を楽しみにしている」という旨のことを言ったのが、とても印象的だった。自分もまた、駒場に行きたいと思いつづけている。

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2018年4月24日

横断幕と暮らす日々(その8):横断幕を掲げなかった日のことについて

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 今回は2試合の記録をまとめて。

 4月15日。雨が降ると分かっていて、ずぶ濡れになることも分かっていて、それでもスタジアムの空の下に横断幕を掲げに行くべく、早朝から新幹線に乗り込むときの気持ちを味わいつつ。
 長靴まで持って行ったので、いつもより荷物も重い。朝から眠い。
 ただこの日はまだ近いほうである。東京駅から地下鉄東西線に乗り、江戸川区陸上競技場に向かった。海沿いの風が吹き続ける感覚が印象的だった。

 しかし結果的に、東京駅に着く頃には雨が止んで、この日は一度も傘をさす必要がなかった。そういう意味ではとてもラッキーな一日だったのである。

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 ただしリーグカップの試合のほうは、オルカ鴨川にとっては拙い線審のジャッジに苦しめられる不運もあって、スフィーダ世田谷に0-1で負けた。

 チームは不運でも自分にとってラッキーだったことは、試合前の横断幕の掲出の際、今回はオルカのサポーターの方々にも助けていただき、すみやかにフジタノゾミ幕を掲げさせてもらえたことだ。しかもサイズをみるや、「こっちのほうが目立つから」と言って、ちょうど良い長さの手すりのほうに移動することを勧めていただいた。

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 そしてさらに、一緒に横断幕の掲示を手伝っていただいたうちの一人のサポーターさんに試合後に声をかけられた。この日のスタジアムでオルカ側で売っていた選手缶バッジのガチャポンで、藤田のぞみのバッジが出てきたから、定価で買いませんかとわざわざ申し出てくださったのである。当然二つ返事で申し出をありがたく受けた。

 また、別のコアサポーターさんにもお話を聴かせてもらう機会があり、発足後どんどんカテゴリーを駆け上がっていったこのクラブについて、いろいろな想いがあることもうかがえた。

 こうしてサポーターさんの温かさに触れる旅でもあった。

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 出待ちのとき、負け試合の後にも関わらず藤田のぞみは笑顔を返してくれて、それがいつも以上に印象に残った。この日もボール奪取に奮闘し、バランスを重視してポジションを取り、攻撃の形がつながらない状況にも我慢し続けてパスを試み、それらの奮闘が結果につながらないことについてはさぞかし苦々しい気持ちであろうと思われた。しかしファンの前に現れたときのあの笑顔にはこちらが逆に励まされ、次の日曜日もまた新幹線に乗る決意を固めさせるのである。
 彼女の笑顔の要因には、結果が出ないなりにもサッカー選手として充実した鴨川での日々があるのかもしれないし、温かいサポーターさんたちが作る雰囲気も影響しているのかもしれない(そしてどこに行ってものんちゃんは人気者で、なかなかすんなりと彼女を捕まえることはできない)。

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 ひきつづきのリーグカップ戦。オルカは翌週4月22日にちふれエルフェン埼玉と対戦した。
 暑いぐらいの晴天で、絶好のサッカー観戦日和であったが、ここにきて新たな問題が発生した。二日前にオルカの公式サイトをみると、今回の試合が行われる富津臨海陸上競技場では、スペースの都合上、「選手個人の横断幕は掲出不可」とのこと。日本中のサッカー観戦の現場で、横断幕ってそのほとんどが選手個人がテーマになっていると思うのだが、それらが掲示できないという。
 去年の湯郷ベルとの日々でもいろいろな目にあってきたつもりだが、こうしてまた新たな試練が待っていようとは。

 というわけで、横断幕を掲示できないことが分かっていながら、横断幕を携えてスタジアムに向かうときの気持ちってやつも味わいつつ、新幹線と在来線を乗り継いで、約4時間かけて青堀駅にたどり着く。初夏を思わせる青空と、冷たい風が肌に心地よく、静けさのただよう青堀駅から20分ほど歩いて、無駄に存在感を放つイオンモールを目指した。そのすぐそばが運動公園になっている。

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 横断幕の受付時間に、念のため「今日は選手個人の横断幕の掲示はダメなんですよね?」と確認を取るべく、受付にいた2名のスタッフに尋ねてみた。
 しかし応対してくれたスタッフはきょとんとして、何も知らなかったようで、私はクラブの公式サイトの一番新しいお知らせを見てくださいと伝えた。現場では今回の措置がそこまで特別なことではないと受け止められているような雰囲気がうかがえたので、よりいっそう残念な気分になった。

 屋根のないメインスタンドに来ると、まったく横断幕は張られていなかった。確かにスペースの都合で「どの選手名の横断幕が取捨選択されるか」という事態が起こるのはセンシティブな問題であり、運営側としてはそういうややこしさはできれば避けたいと思うことも分かる。しかしその結果「横断幕ゼロの光景」が簡単に生まれてしまうことで、本来サッカークラブとして創りたいはずの世界を、自分たちであっさり取り逃していることになってはいないだろうか。それはあたかもサッカーに例えると、「そんな簡単にボールを奪われて、平気な顔をしていられるのか?」ということでもある。

 もっと言うと、今後通常のスタジアムでも掲示しきれないぐらいに選手応援のための横断幕が大量に作られる可能性だってありえる。そうなったときにどういう対処方法があるかは、考えておいても損はないテーマであろう。

 たとえば、こうした問題を単に「問題」として深刻に受け止めるのではなく、これを逆手に取って、クラブとしての「色」を出すチャンスとして活用することだってできるはずなのである。例えば「今日は関東出身の選手の横断幕だけ掲示してください」とか「今日は血液型がO型、AB型の選手のみ」「今日は誕生月が偶数の選手のみ」とか、とにかくいろんなネタで縛りをいれる方式を導入すれば、スペースの事情をくんで「しょうがねぇなぁ」とサポーターは毎回苦笑いしつつなんとか協力してくれるはずだろうし、選手だって理解してくれるだろうと思うがどうだろうか。運営側と、選手・サポーターとの距離が近いなでしこリーグのクラブだからこそできる工夫はたくさんあると思うし、そういう方向性でピンチをチャンスに変えていく姿勢は、ピッチ上でのサッカーの試合と同様、私たちの普段の生活や仕事のなかでも通じるものがあるはずだ。

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 先週の江戸川で親切にも藤田のぞみバッジを譲ってくれたTさんというサポーターの方が私を見つけてくださり、この「横断幕ゼロ」の状況については私と同じく苦々しい気持ちでいたようで、今回の件や、そのほかいろいろとオルカの試合運営のありかたについて説明をしてくださった。Tさんから声がけをしてもらったおかげで、「遠くから来て横断幕を掲げに来てくれているのに、申し訳ない」という言外のメッセージをいただいた感じがして、それで私の中では収まりがついた。

 それでも同時刻に湯郷に行っている旧知のM・フィオリオ氏からは再三LINEで励まされ、どうにかして横断幕をアピールする方法を探っていくことになり、近くにいる人にお手伝いをお願いして、選手入場のときだけ横断幕を座席から掲げようと決めた。そのためにできるだけ邪魔にならないよう最後列の座席を選んだのだが、幸いその横に、人のよさそうなご夫婦がやってきてくれたので、事情を説明して、選手入場から集合写真の撮影が終わるまで、フジタノゾミ横断幕を一緒に広げて揚げていただいた・・・そして聞けば、このご夫婦はこの日スタメンで出場していたディフェンダーの平田美紀選手のご両親だった! 娘さん以外の選手の幕をあげさせてしまっていて本当に恐縮であったが、快く引き受けていただき、感謝にたえない。

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 試合のほうは打ち合いとなり、村岡真実(開幕戦から輝きを見せていたので注目している)のロングすぎるシュートが見事に決まって盛り上がったり、全体的にプレスの意識も高く、いい試合をしていたのだが、どうしても最終的な詰めの甘さが出てしまい、2-3の逆転負けを喫した。
 エルフェンの前線には荒川恵理子が相変わらずの力強いボールキープ力を発揮していて、見た目もプレーぶりも圧巻の存在感で、これは正直いまの男子日本代表でも欲しいタイプのフォワードだと改めて思った。そしてその荒川と藤田のぞみが何度もボールを競り合うのは実に見応えがあった。
 中盤の底でボールを奪ったあとには深い位置からロングパスを試みて、何本か惜しいシーンを演出していた。このスタイルで攻守の要となっていて、最後までしっかり走りきっていただけに、この充実ぶりをチームの結果につなげられないことにこの日ももどかしさを覚えてしまう。

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 出待ちのとき(・・・今に始まったことではないが、負け試合のあとは、いつもおおいに緊張感を覚える)、本人に尋ねてみると、選手入場のときに掲げた横断幕はちゃんと見えていたようで、それだけで私は満足して帰路につける。
 そして今回の「横断幕禁止」の件のおかげで、背番号25の平田選手のこともしっかり認識できるようになったので、それはポジティブな側面である。こうして少しずつオルカの選手たちのことを理解できるようになっていく。

 ちなみに・・・平田選手のご両親との対話のなかで、うっかり誤解を与える受け答えを私がしてしまったせいで、ご夫妻は試合が終わる頃まで私がフジタノゾミの父親だと思いこんでおられたようだった。非常に申し訳ない!!

・・・や、なれるものなら、なりたいですけども!!!(笑)

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2018年4月 4日

横断幕と暮らす日々(その7):口で笑って、目で詫びる

 いきなり昭和歌謡の話になるが、新沼謙治に『青春想譜』という曲がある。苦しい生活のなか、彼女が主人公の名前で故郷の母に宛てて送金をしたことに「出過ぎた真似をするな」と主人公が怒るのだが、そのあとの歌詞が「口で叱って/目で詫びる」と続く。私が愛聴するザ・コレクターズのポッドキャスト「池袋交差点24時」で、ここの歌詞が素晴らしいと絶賛されていて、それで私もこの曲のことを知ったのである。

 で、オルカ鴨川がリーグ2戦目に湯郷ベルと試合をしたこの日のことを振り返ると、この「口で叱って、目で詫びる」のフレーズが思い出されてきたのである・・・ただし、さしずめそれは「口で笑って、目で詫びる」というような、原曲の機微からはほど遠い風情ではあるが・・・

 

 なでしこ2部リーグの日程を誰が組んだか知らないが、はじめてオルカ鴨川のホームスタジアムでの開幕戦を観に行ったすぐあとに、この湯郷でのアウェイ戦が設定されたことには少し感謝したい気持ちであった。慣れ親しんだ「いわばホーム」にすぐに戻ってくることで、鴨川の洗礼を浴びた直後の私は、フィオリオ氏がいつものように運転してくれる岡山への高速道路ですら、「ちょっと近所」に移動するような感覚であり、ひとつの大冒険が終わったあとの、なんともいえない安心感につつまれていた。

 

 ただし、現実的には湯郷ベルのサポーターとしてのフィオリオ氏が乗せている男は、いわば「今日の敵」のサポーターになるのである。それを頭では分かっているのだが、湯郷へいくことの心地よさを隠せなかったのも確かだ。ましてや本来なら乗せてもらっているお返しに、数日前見てきたばかりのオルカのチーム状況などを彼に報告することもできたはずなのだが、この前の私は藤田のぞみ以外の選手のプレーをちゃんと観ておらず、かつ、サッカーの試合を生で観るときにしばしば採用する、「特定の選手の動きを軸にして目線を定めながら、あたかもピッチ上の選手が『首ふり』をするときのように、周辺部分およびボールの行き先を瞬間的に追いかけて、目線を行ったりきたりさせる見方」(私はこれを『リベログランデ方式』と勝手に呼んでいる)を実践していたので、全体的なオルカのチーム状況を語れるようになるにはまだまだ時間がかかりそうなのであった。「のんちゃんのことしか観てないし、まだオルカを1試合しか観ていないから~」と、笑って応えつつ、目で詫びた。

 

 現地に着くと、よく見かけるベルのサポーターさんたちが列に並んでいて、朝10時に横断幕の掲出が予定されていた。実は昨シーズンの日程の関係で、美作のホームスタジアム(通称ラサスタ)で横断幕を張るのは初めてだった。そして私は「いつもの人たち」とは別方向に向かって、アウェイゴール裏のほうへ横断幕を出さないといけない。そしてどうやらこの10時の時点では私だけがオルカ側で作業をしなければならなかった。このスタジアムでの横断幕掲出は「メインスタンド側に近いほうから掲示する」ということだったと思い出し、このような形でフジタノゾミ横断幕を張った。

 

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 結果的には、このあと試合開始前になってオルカサポーターの方々がやってきて、横断幕は増えたので事なきを得たが、この時点では藤田のぞみだけの横断幕が静かに掲げられているだけなので、「果たしてこれでよいのだろうか」といたく不安になっていた。そうして心許なく紐をくくりつけていると、背後からベルのスタッフの人がやってきて「おつかれさまです、今日はよろしくお願いします」と言われたので、その場で私はオルカのサポーターとして応対しないといけなくなり、「たった2試合目なんですけどね」とは口には出さず、にこやかに会話を交わして、目で詫びた。

 

 ちなみにこちらの横断幕が張り終わること、振り返ると反対サイドでは多くのベルサポーターが協力してたくさんの横断幕を手際よく掲示していて、私はこの日どうしても近づいて写真に撮りたかった横断幕があったのでベル側ゴール裏に走っていった。そしてうっかり、足を踏み入れてはいけないアップ用のスペースをショートカットしてしまい、その場にいたサポーターのみなさんに注意され(それは試合中に客席から一斉に発せられる「オフサイド!」のかけ声のようだった)、これについては目で詫びるどころじゃなくて、しっかりお詫びしたい。

 試合は藤田のぞみが2試合連続のスタメン出場。序盤にベルのミスやフリーキックでオルカが2点をリードする展開に。ただし前半のうちにユメのゴラッソが決まり、後半にはカンゴールで2点差を追いついて、その後もベルが猛攻を続けて引き分けで終わるという試合だった(ベル側の記述に馴れ馴れしさが出てしまうのは仕方がない)。去年のベルの試合ではあまり感じられなかった「攻める姿勢」が随所に見られた印象だが、それだけオルカ側の後半の出来映えが苦しく、藤田のぞみもなんとかバランスを取ろうと苦心していたように見えた。リードを守りきれなかったことに守備的MFのアンカーポジションの彼女としては負けに等しい内容だったかもしれない。

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出待ちのときは、ベルとアウェイ側はそれぞれ別の出口となっていて、ベルの様子を気にしつつひたすらアウェイ側で待っていた。この日は前回と違って晴天だったので、ちょうど買ったばかりの背番号8番のユニフォームにサインをもらおうと待っていた。オルカの他の選手たちのことも少しずつ顔と名前を識別できるように、目で詫びつつ「おつかれさまでした」を言い続け、いざ藤田のぞみが登場したら、やはり最もファンからのサイン攻めにあっていて、なかなかバスにたどり着けない様子。一瞬やめようかとも思ったが、とにかく天候が良かったので、いい条件下でサインを書いてもらおうと勇気を出して本人に声をかけ、しかも私はサインに添えて書いてほしい言葉として、松江の方言「だんだん」(ありがとうの意)を追記してもらうことに成功した(しかものんちゃんご本人から「だんだん」の正しい発音を教えてもらった)。悔しい試合でお疲れのところ、本当にありがとうのんちゃん、ということで、この日いちばん、目で詫びた。

 

 オルカの選手を乗せたバスを見送ったあと、「だんだんサイン」をいただいたことの達成感と放心状態ゆえ、よろよろとベルのファンサービス現場にたどり着いたときは、こちらもそろそろ時間切れがスタッフによってアナウンスされようとしていたところだった。自分がこの日はオルカ側の人間であったこともあり、そして「よく考えたら今後しばらく湯郷には来ない」ということをあまりこのとき認識できていなかった私は、ここで手を抜いてひたすら「だんだんサイン」のことを振り返ってボーッと突っ立っていた・・・ここでがんばって労いの声をかけておくべきベルの選手の姿を探さなかったことは、これも目で詫びるどころの問題ではなく、今となっては後悔するばかりである。

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↑向かいの「みまさかアリーナ」のなかにこのようなビッグフラッグ寄せ書きコーナーがあって、つい魔が差して、男子日本代表と関係なく「Allez!! フジタノゾミ!!」と、これのどこかの場所に小さく書いたのは私です。

 

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2018年3月23日

横断幕と暮らす日々(その6) 鴨川から鴨川へ

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 買ってからまだ一度も使う機会がなかった長靴を履いて、朝5時に家を出た。
 長靴のまま新幹線に乗り、特急に乗り換え、11時ごろに安房鴨川駅に着く。

 実際に味わっても、その「遠さ」をあまり感じなかったのは、もうすでにさんざんこの距離を覚悟しつづけていたからだろう。

 雨風が強く、そして冬に逆戻りしたかのような寒さのなか、駅に着いたのはスタジアムで横断幕掲出の受付が始まっていた頃合いだった。運良く駅前からすぐタクシーに乗ることができ、行き先を告げると、運転手さんはこの日にこの地でサッカーの試合があることを知らなかった。道ばたには「1部昇格!」の文字が書かれたオルカ鴨川FCの広報看板が多数立っていて、そこに気づいた運転手さんは「この試合に勝てば1部昇格なんですか?」と無邪気な質問をしてきたので、一通りの状況説明を試みた。

 やがて運転手さんは「(このために)京都から来たんですか!?」とそれなりに驚いてくれた。運命の導きによって私は鴨川の流れる街から、鴨川と呼ばれる海辺にやってきて、そうして鴨川市陸上競技場にたどり着いた。

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 受付で横断幕掲出の許可証をもらい、ゴール裏の芝生エリアに行くと、すでにほとんどの横断幕が設置されていた。幸いまだスペースがあったので、急いで掲げさせていただく・・・ただし冷たい雨と風が強く、昨年の淡路島での台風を思わせる感覚があった。でもあのときは、私の周りに湯郷ベルのサポーターさんたち・・・ほとんどの名前も知らず、でも顔はよく見る人たち・・・がいて、一緒になって突風を受けつつ、暴れる横断幕を押さえて雨に打たれながら少しずつ紐をくくりつけていった。あのときの状況に似たものを、自分はそのときひとりで感じていた。同じ頃、湯郷ベルは、アウェイで愛媛FCとの開幕戦を迎えていた。

 こうしてあらたなフィールドで、藤田のぞみを応援していくことになり、そして少しずつ自分もこの新しいチームに親しんでいこうとしている。2部リーグ開幕戦、相手はASハリマアルビオン(湯郷ベル関連でお世話になっているアンチ銀河系さんが応援しているもうひとつのクラブでもある)。幸い先発出場の背番号8番はアンカーの位置で、見慣れた仕事場を任されていた。職人技でいくつかのボールを奪い、そして幾度となく良質のパスを前線に送っていた。足下のコンディションが悪いにも関わらず、ペース配分が良かったのか、後半の最後までスプリントの勢いが落ちることがなかったことが印象深かった。

 ただしどうしてもチームの連携がまだまだ発展途上の雰囲気で、可能性の低い前線へのロングボールと、ぎこちない展開ばかりでシュートチャンスが作れない。前半は耐えたが、後半はミスもあって立て続けに3失点。

 愛媛の山奥(マチュピチュと呼ばれているらしい)で湯郷ベルの開幕を見守っているフィオリオ氏から随時LINEが入り、ベルも3失点して完敗したとのこと。4日後の日曜日には、この両チームで試合をするわけで、ますますやりにくい状況になった。

 雨と風、季節はずれの極寒、そしてこの遠すぎる距離感の果てに、負け試合後の出待ちは寒々とした気分でいた。思ったよりも早く選手たちが出てきてくれて、この長旅のなかで唯一の“見慣れた顔”をみつけ、手短にメッセージと差し入れを渡すと、「横断幕、ありがとうございました」の返事。雨風にさらされ続けた横断幕も私自身も、この言葉ですべて報われる。

 ・・・そして、そう、この言葉を聞くと、またここに来続けることを自分のなかで奮起せねばならないのである。それは自分自身にとって、ある意味での闘いなのである。大げさかもしれないが。

 果たして何回ここを訪れることになるのだろうか。それを予見するかのように、帰りに電話で呼んだタクシーの運転手は、たまたま行きと同じ人だった。
「あー! 京都のお客さん!」

鴨川から鴨川へ。不思議な魅力を湛えたフットボーラーを追いかける旅は今年も続いていく。

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2018年1月26日

チェルシーFCとオルカ鴨川FCにおける“新背番号8”をめぐって

Number8

思えば今シーズンのプレミアリーグが夏にはじまり、その開幕を現地で見届けたあと、いろいろな葛藤を経て、湯郷ベルの試合をできる限り応援にいくという覚悟を決めて秋から冬を過ごしている。そんな日々のなかで、海外サッカーは「横目で眺める」という感覚になっていった。もっともプレミアリーグの優勝争いはすでにクリスマス時点で決着がついてしまっているような展開であるが・・・そうこうしているうちに、エバートンからロス・バークリーがチェルシーに加入した。そして背番号は、ずっと空き番号となっていたかのスーパー・レジェンド、スーパー・フランク・ランパードがつけていた「8番」となった。大きな意味をもつ番号がついに継承されることにひとつの歴史のターニングポイントを思う。ランパードと比較される運命とともに、新たな歴史を築いていくプレーを楽しみにしたい。

そして先日、オルカ鴨川FCに移籍した藤田のぞみの背番号も「8番」と決まった。
本人は背番号には特にこだわりがなさそうな印象があるが、とにかくどんな背番号であれ、いま置かれた環境のなかで、全力をつくして自らのサッカー人生を悔いの無いものにしていくための闘いが続いていく。

ところで背番号が8番となったことで、以前やったのぞみ7号に乗ってのぞみ7番を応援しにいく」という企画の第2弾、今度は偶数番号なので東京行きの新幹線となって「のぞみ8号に乗ってのぞみ8番を応援しにいく」というネタができそうだ。
鴨川の流れる古都から、鴨川と呼ばれる海へと・・・遠いが・・・。

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