横断幕と暮らす日々(その14):これまでと、これから
このシリーズの記事が更新できないままであった。
昨シーズン9月29日の日産フィールド小机で行われた横浜FCシーガルズ×オルカ鴨川の試合以降のことは、このブログでは書いていないままである。
いろいろとブログのためにメモ的な文章は書き残しているものの、いまさらそれらを順番に並べてアップする気持ちにはなれないほどに、そのあともいろいろと・・・本当に、いろいろなことがあった。
まず現況を先に述べると、2018年シーズン終了を持って藤田のぞみのオルカ鴨川FCの退団が発表された。しかし、その後の移籍先は不明のまま時間は流れていき、こうして新しいシーズン開幕を迎えることとなった。
これについて私が知り得ることは何もなく、しばらくはオルカでプレーするものとなんとなく思っていただけに、驚きと切なさを持ってその知らせを受け止めた。結果的に18年シーズンはほとんどの試合に出場できたことから、さまざまな心配をよそに身体面では好調を維持していたように見受けられ、もしかしたら1部リーグのクラブへの移籍もあるのかと当初は思ったが、こうして今の段階では何も決まっていない状況ゆえに、ますますこのことについて何かを書いたりすることが難しい気分である。
9月の小机からも数試合を引き続き応援していったわけだが、特に感傷的な気持ちで振り返ってしまうのは、10月21日、ホーム鴨川での湯郷ベルとの試合であった。開幕前にスケジュールが発表された時点で、湯郷ベルのサポーターである旧友のフィオリオ氏からは「この試合は一緒に前日から鴨川入りして、ちゃんと観光してから試合を観よう」と誘われ、秋の鴨川の「小旅行」を決め込んでいたわけである。
しかしシーズンが展開していくにつれ、事態は想像だにしなかった流れとなり、この試合の結果次第で湯郷ベルの3部リーグ降格が決まってしまうというものになってしまった。1部入れ替え戦へ可能性を残すオルカとしても絶対に負けられない一戦で、なんとかオルカが勝ったわけだが、とても思い入れのある湯郷ベルの選手たちやサポーターさんたちの気持ちを思うと複雑すぎる試合となった。さらにはこの試合の終盤に接触プレーで藤田のぞみが大ダメージを負ってしまい、試合どころではないほど心配したが、大事には至らずに試合後のサイン会の現場には姿を見せていて、おおいに安堵した。そんな状況でオルカは勝ち、ベルは降格が決まり、何とも言えないアンビバレントな感情が残っている。その一方で、予定通りこの週末において初めて私は鴨川の地を友人とじっくり歩いて、今まで行けてなかった場所も訪れることができ、房総の広い海の美しさや晴れ渡った大空の印象が、今でもじんわりと心の中に息づいている。
その翌週のリーグ最終戦は姫路に乗り込みハリマアルビオンのホームで1ー0の勝利をあげ、惜しくも入れ替え戦には届かなかったが、ポジティブな終わり方となった。そのあとに控える皇后杯には都合があわずに応援に行けないことが分かっていたので、シーズンしめくくりの出待ちでは、いつも以上に気合いを入れて差し入れを渡すことができた。そのときの笑顔や雰囲気が、ハタでみていたアンチ銀河系さんに「envyでした」と言わしめるほどに素敵だった。このときのことは私にとって(今、思い返せばなおさらに)ひとつの宝物のような時間となったわけである。
その後、皇后杯での敗退を受けて、ファン感謝祭の日程が決まり、その実施前日にオルカ鴨川FC公式サイトより藤田のぞみ他数名の選手の退団が発表されたのである。あの姫路でのまぶしかった笑顔を何度も思い返しつつ、このとき私は二度目の「鴨川前泊」を行い、ファン感謝祭に行くこととなった。
先に書いておくと、ファン感では午前に選手とファンが一緒にチームを組んで参加できるミニサッカー大会が開かれ、あいにく藤田のぞみとは同じチームにはならず、対戦相手として一試合だけ同じピッチで向き合えた。そのあとの懇親会では本人ともゆっくり話をさせてもらえる機会があり、とはいえどういう声かけをすればいいのか難しい状況でもあり、できることはとにかくこれからの本人の進むべき道が輝かしいものであることを祈りながら、今年のこれまでの奮闘ぶりを労うことであった。
そんな感じだった。
そしてもうひとつ、この日のことについて書いておきたい。
当日の朝にサポーターのTさんのご厚意で駅から車に乗せてもらい、現地に赴くと、最初のプログラムであるミニサッカー大会がはじまる前に、すでに体育館ロビーではコアサポーターの方々が、白い横断幕にガムテープで文字をせっせと描いていた。それは前日に退団が発表された全員の名前を入れた、感謝の意を伝える幕だった。
その作業風景を最初は横で眺めていたのだが、どうやら「のぞみ」の文字が描かれるはずの部分が空欄のままとなっていることに気づいた。
そして驚くことに、そこは私が描くことになっていたのであった。
黒いガムテープを渡され、驚いたり恐縮したりする気持ちもほどほどに・・・つまり「時間がない」ので、戸惑う暇もなく、下書きもない状態で、自分の直感をたよりに「のぞみ」の3文字をすばやく仕上げるというミッションがはじまったわけである。
私はかつて読んだことのある(この記事)について必死に思い出そうとしつつ、見よう見まねでガムテープをちぎり、ひたすら貼り続けた。サポーターの方々からは「初めてとは思えない!」などと励まされながら、おっかなびっくりで文字を組み立てていった。
そうやって文字を描きながら、こうした機会をさりげなく用意してくれた、オルカ鴨川のサポーターの方々の気持ちに、こみ上げてくるものがあった。
3月に私がはじめてこの鴨川という場所を訪れたときには、誰も知る人がいなかった。それがこうして今は、選手個人の追っかけサポであるにも関わらず、大事な横断幕の文字を作らせてもらっている・・・こうしてサポーターのみなさんに自分のような存在もまた支えられていたわけで、私もなんとかこの日まで遠征を繰り返すことができたのであった。
サッカー選手としての藤田のぞみにとって、オルカ鴨川FCで過ごした日々が本当のところはどういうものだったのかは分からないが、ひとつ確実にいえることは、ここは温かい人々によって見守られているサッカークラブだということだ。おかげで私にとっての「心のクラブ」がまたひとつ増えたのである。そうやってサッカーをめぐる「縁」はこれからも続いていくのだ。
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