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2024年6月 2日

セレッソ大阪「フォトサポシート」を体験してみた

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セレッソ大阪はスポンサーであるニコン社とのタイアップ企画として「フォトサポシート」という座席を設けることがある。写真撮影に適した特別エリアでポジションが取れて、クラブの公式フォトグラファーからのレクチャーもあるとのこと。4月の川崎フロンターレ戦を観に行きたいと思っていたら、たまたまこの試合でフォトサポシートの設定があったので、思い切って申し込んでみたらチケット購入権利が当たったので行ってみた。

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スタジアム脇のJRの高架下でニコン社はブースを構えていて、そこで受付等を行う。

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そして希望者には、台数に限りはあるがニコンのカメラをレンタルすることもできる。
ちなみにレンタルカメラの設定はあらかじめサッカー撮影用に事前にセッティングしてくれている(=あまり変にいじらないでほしい)とのことだが、初心者な私は「画像の容量は小さめにしてほしい」とリクエストしたら、スタッフさんが快く応じてくれた。

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で、それぞれ参加者には特製ビブスが配布される(終わったら持って帰る)。

ビブスを着て、借りたばかりのごっついカメラ(重たい)で周囲の試し撮りをしながら、イベント開始まで少し待つ。

で、こういうイベントごとでは「開始前までの手持ちぶさたな時間帯」というのものは往々にして発生するものだが、周囲をうかがうとすでにこの現場には「一人だけ色の違うプレス用のビブスを着ている、明らかに本日のレクチャーを担当するためにいるのであろうクラブ公式フォトグラファーさん」がやはり手持ちぶさたな状態で待っていた。せっかくなら「普段発揮しない社交性ブースト」を強引にオンにして、この開始前の時点でその人に話しかけて、いろいろ日ごろ疑問や課題に思っていることを質問したらよかったのに、それができなかったことが私の反省点である。まぁ、他の参加者さんも一様におとなしくイベント開始を待っていたわけで。

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あのとき社交性ブーストを発揮できなかったことが悔やまれるのは、いざニコン社から本日のイベント開始が告げられ、さっそくそのフォトグラファーさんの講釈が始まったものの、与えられた時間がタイトだったのもあってか思った以上に内容があっさりとしていたからだった。参加者の写真技術のレベルもまちまちなので、どこにポイントを置けばいいのか迷うところもあっただろう。講釈のなかで覚えているポイントは「時間帯によって変わる太陽の光の向きを意識すること」「サッカーのルールを理解したうえで、次の動きを予測すること」「我々プロは必ず一脚を使う」ということだった。うむ。

ちなみにこのイベントでも通常時と同じく三脚は使用不可なのだが、一脚は使ってもいいとのこと。借りたカメラが重たいので、一脚を持ってきていた私はホッとした。でも私のちゃちな一脚が耐えられる重量なのかどうかが微妙だったので、あわててスマホで一脚のマニュアルを確認したりした。

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こうして、いざ設定された座席へと移動する。ホーム側とアウェイ側の2箇所に分かれていて(申込時に選べる)、私はアウェイを選択していた。ニコン社のスタッフさんが先導し、黄色いビブスを着た我々がゾロゾロとついていき、試合前でごったがえす人混みのなかをかきわけて、顔パス状態で指定のエリアにつく。受付時にクジを引いて渡された番号札のところがこの日の座席となる。

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というわけで、この絶好のポジションで心おきなく写真が撮れるわけである。
そして借りたカメラの性能の良さにも舌を巻く。やはりいい機材はいいんですね(当たり前だ)。

ニコン社の人から「マスコットたちにも、このシートにいる皆さんに向かって愛嬌を振りまくようにお願いをしてある」というので、まずは彼らを撮影。

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うん、たしかにキレイに撮れる。毛並みのところとか、本物の動物みたいなリアリティが(←おい)。

そんなわけで、「天気は快晴」×「絶好の場所」×「最高に性能のよいカメラ」の合わせ技で、ひたすら撮影を楽しみ、迫力のある絵が撮れたわけである。

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ニコン社の人も巡回してくれて、何かあった場合に相談できたり、必要に応じてレンタルカメラのバッテリー交換もしてくれる。エリア全体は仮設の柵で囲われており、場内スタッフが門番をしてくれているので、チケットがわりのビブスさえ着用していれば荷物や機材一式を座席に置いたまま席を離れることもできるので助かる。

で、あまり長々と写真を羅列するのもアレなんで、「今日の3枚」ということで自分的にツボだった以下の写真をチョイス。

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そう、このイベント参加が決まって「この日一番撮りたい絵」としてイメージしていたのが、吠えるキム・ジンヒョンである。
試合後半は自分の前がセレッソの守備側だったので、ことあるごとにジンヒョンの様子をチェックしていた気がする。

次はこちら。

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この日の主役は、プロ人生ではじめて古巣と対戦することになった登里享平で、試合前のアップの様子。フロンターレの選手達を見やるノボリは何を思っていたか。冷静に振り返るともっと構図やフレーミングを工夫すればよかったのに・・・と思ってしまうが、いずれにせよこの日のニコンのレンズだからこそ撮れたようなシーン。

そして最後も登里。

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セレッソが勝利し、そのあとすぐに鬼木監督のところに挨拶にいき、感極まって泣いていた様子。
負けた後だけど、登里にたいしてこういう笑顔になれる鬼木監督もいい味だしている。

登里については、私はかつて2012年シーズン前に宮崎県を訪れていくつかのJクラブのキャンプ地をめぐる旅をしたことがあったのだが、フロンターレの練習試合のあとにファンサをしてくれた際、登里に「夏のロンドン五輪がんばって」と声をかけたら、さわやかな笑顔で元気よく「ハイ!」と答えてくれたのが印象的で、しかし残念ながらその後の本大会のメンバーには選ばれなかったけれども(今思えば大迫勇也も選外になるほどのハンパないチームだったわけだが)、ずっと注目をしていた思い入れのある選手だったりする。

で、本当ならばそのあと「フロンターレサポーターが待つゴール裏へ挨拶にいく登里」の写真も撮りたかったのだが(なのでアウェイ側の座席を買った)、セレッソの選手たちの場内一周の挨拶が終わるとすぐにニコン社のスタッフさんがやってきて、全員すみやかに同じタイミングでスタンドから撤収をしなければならず、文字通り涙を飲んでその場を離れざるを得なかった。もうこれはどうしようもなかったので、仕方ない・・・。

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こうして再び高架下のブースに戻り、レンタルカメラに内蔵していた記憶媒体もニコン社のものだったので、そのあとは自分の持ち込んだSDカードに写真の転送作業をしてもらうことになり、人によっては待ち時間が発生するので流れ解散となった。

ニコン社としては、同社が運営している「フォトサポ」への投稿や登録もアピールする機会でもあるわけで、私も今回「HOWE」のハンドルネームで初めてアップロードしてみた。(このリンク)でこの日撮った他の写真も観られるかと。

撮影することそのものを楽しめたのはもちろん、我々にレクチャーをしてくれたフォトグラファーさんも試合になればピッチ脇で通常業務に勤しんでいて、その様子も目で追って応援したくなったりするのもなんだか面白かった。次にこういう機会があれば、ええ、ぜひ積極的に話しかけにいきたい(笑)。

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『ひと撮りいこうぜ!!』

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2024年3月23日

写真たち:U-23日本代表×マリ代表の親善試合&山田楓喜の左足とパフォーマンスは要チェックや!

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先日の日曜日にひさしぶりに行ってきたサンガスタジアムに、つぎの金曜日の夜にまた行くこととなった。
U-23日本代表がマリ代表との親善試合をここでやるというので、職場から直で現地に向かうことに。

今日もカメラを持ってきたので、南側ゴール裏から撮影にトライするも、ぜーんぜん自分としては上手く撮れないので、もっと修行が必要。

で、開始早々いきなり町田ゼルビアの平河が先制点をあげて驚いた。先日のA代表の北朝鮮戦みたいだ。

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目の前で喜んでくれてうれしかったですよ。

自分なりに納得のいく出来映えの写真が少なすぎるので、一気にアップしますが・・・

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と、試合は1-3でU-23マリ代表が勝ちきり、テストマッチとはいえもうちょっと日本のゴールシーンが観たかったところ。防寒対策をしていたけれども、それでもやたらと寒い夜だったし、「熱さ」が欲しかった。

で、マリ代表には8番をつけてキャプテンマークを巻いたブバカール・トラオレという選手がいた。プレミアリーグのウォルバーハンプトン・ワンダラーズFC(長いからウルブズと略すのが一般的だが、声に出して読みたい正式名称ではある)でプレーをしているということで、このピッチにはプレミアリーガーがいたわけだ。実際にこの日の試合もほとんどのボールが彼を経由していたんじゃないかと思えるほどに、チームの心臓として中盤に君臨していた印象。

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自身で3点目も決めていたが、相手のプレスをうまくかわしてボールを取られずにキープして試合をコントロールしていたり、さすがにうまかった。

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ちなみに私はこの日、トラオレに敬意を表してウルブズのネクタイ(2012年にチェルシーのアウェイ戦を観に行ったときにクラブショップで買った)を身につけて職場からやってきた次第。
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▲ダサいと思っていた狼のエンブレムが妙に可愛らしく見えるので好きなデザイン。でもキラキラしてて派手なので普段あまり職場では使ってない。

あとマリのゴール裏サポーターがたくさんの太鼓を軽妙なリズムで演奏し続けていて、クセになる心地よさがあった。

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そしてU-23日本代表においては見どころがいくつもあるわけだが、最近気になっているのは京都サンガから期限付き移籍で今季は東京ヴェルディでプレーしている山田楓喜だ。

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開幕のマリノス戦で圧巻のフリーキックを決め、そして先日の新潟戦でも再び見事なFKを決め、いまJリーグでもっとも危険なキッカーの一人であり、個人的にも「左足のフリーキッカー」っていうジャンルはやはりどうしたって特別な思い入れとともに注目したくなるわけである(ていうか、それまで山田楓喜を知らなかった自分は、地元であるサンガの試合をついサボッて観に行っていないことがバレバレですいませんっていう気分にもなっています、はい)。

短い助走から左足で繰り出されたその開幕戦の衝撃的なフリーキックについては、ヴェルディ公式でこのような見応えのあるムービーが作られていた。必見。

この、手で顔をおおうゴールパフォーマンス(ディバラみたい)が印象的で、話しっぷりからも若手選手とは思えない堂々たるマインドを感じさせる。

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そんななか、この記事を書くにあたって調べていたら、東京ヴェルディはこんな公式グッズを作っていたことを知った。

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おお、加入後のファーストゴールを記念したタオルですか。

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ほう、写真は本人がチョイスしたと。なるほど・・・

で、そのタオルというのが














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顔、みえてへんやん!!www


いやー、なかなかの怪グッズが爆誕(笑)
あえて横方向からの写真を選ぶか・・・まぁ、ある意味で神秘的なミステリアス感は出せているのか・・・?

でもよくみたら、受注生産品で、すでに販売終了しているのね・・・
一瞬、買おうか迷ったのだが(笑)

そんなわけで、パリ五輪の出場権をかけた4月のU-23アジア杯においても、これでまたさらに楽しみが増えた。「セレブレーションもゴールの一部」と言ってのける山田楓喜にはその左足で世界の強敵たちを震撼させて、「知り合いの子どもと約束した」というゴールパフォーマンスをこれからも披露しまくってほしいものである。


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2024年1月 9日

遠藤保仁の引退にあたって

今日、遠藤保仁が引退を発表した。

何か書かねばならないと思った。なので、下書きもなくザッとブログを書いている。

ただでさえ、小野と高原の勇退に感傷的になっていたところへ、このニュースである。
この突然の引退宣言というのも、なんだか最後まで遠藤らしいなと感じてしまう。タイミングをずらし、誰にも予想できない動きを、飄々と。

私はずっと、ひょっとしたら遠藤保仁は、しれっとキング・カズの記録を塗り替えることを狙っているんじゃないかと常々思っていた。だからあと10年ちかくは、いつもの「のらりくらり」とした感じで、サッカー選手として現役を続けていくのではないかと勝手に想像していた。

それに、遠藤はそのキャリアのなかで大きなケガと無縁の、まさに鉄人級のサッカー選手だったという印象があった。とはいえ今回あらためてウィキペディアで彼の長いキャリアを読み返してみると、ところどころでケガや病気の記述があり、なぜかそういう印象とは無縁の人物だと勝手に思っていたことに気づかされた。

遠藤が京都パープルサンガにいた頃、学生だった私はたまにサンガタウンに行って練習を見学していたのだが、若かりし遠藤がファンの求めに応じて気さくにサインをしていた姿を思い出す。私はその頃、サンガの選手からサインをもらうことにはこだわりがなく「いつでもサインはもらえるだろうから」とか思っていたのだろう、結局なんだかんだ遠藤のサインをもらいそこねたまま、25年ちかく経ってしまった。

あの頃、城陽のサンガタウンにいくと遠藤のほかに、カズがいて、松井大輔がいて、パク・チソンがいた。でもその後、それぞれがあのようなスケール感でサッカー選手としてのキャリアを歩んでいくなんてまったく想像していなかったわけで。

そんなわけで、私が近距離で観ていた時期の遠藤保仁は、横浜フリューゲルスでの切ない物語が記憶に新しく、そしてトルシエ監督率いるワールドユース日本代表での活躍から、その後の五輪代表への期待感をただよわせていた、まさに「これから」の時期だった。それでも、あそこまで長く代表キャップ数を重ねるような選手になるなんて、誰も予想していなかったはずだ。
同時代に中田英寿や稲本潤一などと代表でポジションを争う形になったことは遠藤にとって良かったのか悪かったのかはなんとも言えないが、中田を筆頭に海外クラブで活躍することが日本代表メンバーにおいてだんだんと当たり前になっていくという、その過渡期のなかで、ひたすらJリーグを代表する選手として(ときにJ2リーグも闘い)実績を積み重ねて、代表チームの軸として長く活躍したことは、すなわち国際レベルの経験値が毎節のJリーグへ還元されていったとも言えるわけで、そのことは日本サッカー界における多大な功績のひとつだったと思える。

引退と同時に、古巣のガンバ大阪でのコーチ就任が発表され、ふたたびパナソニック・スタジアムで彼の姿が観られるのかもしれないと思うと、私のような単なるミーハーなサッカーファンでもスタジアムや練習場に足を運びたくなるというものである(そういう意味でも、ガンバとしては非常に良い『補強』を行ったと言えるのではないか)。選手じゃない立場になったときの遠藤保仁は、果たしてどんなコーチングをするのか。あの独特のなんともいえないリズム感をただよわせるレジェンドの言動に、若い選手たちはついていけるのか(笑)(←不思議ちゃんな雰囲気の遠藤も私と同じAB型なので、そういう部分で昔から勝手に親近感を抱いている)

こうして自分自身の年齢や過ぎ去った時間を思いつつ、「あの選手とあの選手が、今度は監督として対決するのか」という妄想を、少しずつ楽しみにして生きていくことにもなるのだろうと、あらためて今夜は「ヤット」のことを思いながら、感傷にひたるわけである。

そしてこんな同じ日に、フランツ・ベッケンバウアー氏の訃報にも接することとなった。心からご冥福をお祈りする。

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2023年12月25日

夏の思い出&今年もありがとうございました

中村俊輔の引退試合は仕事がなければ絶対行きたかった・・・!(でもチケットはとれなかっただろうなぁ)。
現役を終えてから時間をおいていたとはいえ、やはり「いつかはこの日が来るんだろう」という、ぼんやりとした感慨みたいなものがあって、スカパーの録画をみながら、いやもうこのフリーキック見せられたらまだまだイケるやん!? と思ったし、多くの人もそう感じたのでは。
将来、どこかの監督になってもフリーキックのシーンで「俊輔蹴って!」とか言われそうな気もする。
挫折を知り、苦労を重ねてきた選手だけに、指導者としてどうなっていくのか、その第二章も楽しみにしています。

そして小野伸二も引退したわけで、この選手についてもいろいろと語りたいところではあるんですが、日本代表での実績として「ここぞという大事な試合のときに限ってなぜか出られない巡り合わせの多かった選手」っていう印象がすごくあって、そしてシドニー五輪予選のときに負ってしまった大ケガの影響が、その後の彼が本来たどり着くべきはずだったステージを遠ざけてしまったのではないかという「悲運の天才」という見立てがどうしてもぬぐいきれなかったりするのです。それでも彼は運命に負けじと、全身でサッカーを楽しむようにボールを華麗に扱い、観る人を魅了し続けたプレーヤーだったことは忘れないでいたいと思います。

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そしてもうひとつ、ブログで書きそびれていたのですが。
夏に、JFLのティアモ枚方対沖縄SVの試合を観に行ったわけです。

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たまゆら陸上競技場。
暑かった。

一緒に行った友人のFくん(初めてオランダ旅行に行ったとき、到着した空港であのヨハン・クライフに出くわして一緒に写真に収まり「アムステルダムへようこそ」と言ってもらえたという、サッカーファンとして垂涎の幸運に恵まれた過去を持つ)が、現役時代からの二川孝広のファンということで、いま監督をしているティアモ枚方の試合を観にきたわけです。
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フタさん!!

ティアモ枚方のコーチ陣には、G大阪・横浜FCでプレーしていた寺田“ちんさん”伸一氏がいたり、そして京都サンガでプレーしていた大槻紘士氏もいて個人的に懐かしかったり。
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そしてこの日の対戦相手には、この男がいたわけですよ!
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自分と同世代ということもあり人生で一番日本代表を応援していたと言っていいシドニー五輪世代の代表的ストライカーには強い思い入れがあり、最近買ったばかりのカメラでひたすら激写していました。

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選手兼監督として沖縄SVを率いて、今シーズン限りでの現役引退が発表されていたので、そういう意味でもこの日の試合は見逃せなかったわけです。

試合前の両監督の挨拶シーン。
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ここで私のカメラは痛恨のピントぼけ(笑)。いい笑顔だったのに・・・

この日、高原はスタメンで出場。うぉぉ。
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まさか本当にピッチでプレーする高原が観られるとは。
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ただ残念なことに前半早々に、脚に違和感を覚えたのかピッチを去ることに。
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辛そうだった。

そんなわけで最大のお目当て2名はベンチにいることになり、使い慣れないカメラでひたすらスローシャッター撮影にトライしながら選手の動きを追いかけて楽しみました。
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高原はそのあと、監督としてベンチから戦況を見つめ続けていて、そして沖縄SVが先制点をあげる展開に。
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そうしてFくんと私の関心はやがて「二川監督は選手達に声を荒げて指示を出すのかどうか」というところに移っていくいくわけです。
現役時代、孤高の無口キャラゆえに「言葉はいらない、プレーで魅せろ」というフレーズの横断幕まで出ていたことが思い出されるわけです。

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無言。


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たまに、立つ。

そして、無言。

・・・いやはや、恐れ入りました。
(まぁ、実際はベンチから声を出していたけど、客席側までには聞こえていなかったんだろうなとは思うわけですが)

そんなこんなで、試合は沖縄SVがそのまま逃げ切りまして。
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最後の最後まで高原直泰の存在感が印象的でした。
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ただひたすらに、おつかれさま・・・高原&俊輔&小野!!

そうして、人生は続く!!


・・・ということで今年のFOOTBALL ACTIVISTブログはこの記事で締めくくりたいと思います。
読んでいただきありがとうございました-!!

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▲「試合後のミーティングでも、フタさん言葉少なめ・・・!?」と、そこばかり気になってしまう我々。

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2021年4月18日

ボルシアMGのスタジアムでクリストフ・クラマーに会う:スタジアムめぐり旅2014・ふりかえり(その3)

ケルン、レバークーゼンときて、この日の最後はボルシアMGに向かってみる。
ウィキペディアの表記に従えばMGは「メンヒェングラートバッハ」だが、私の場合は「メンヘングラッドバッハ」って発音してる気がする。

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中央駅。時計を見ると15:30に着いたようである。

スタジアムのある「ボルシア・パーク」は、駅からちょっと離れているのでバスで向かうことに。バス案内所みたいなところがあり、わざわざプリントアウトしてくれて、乗るべきバスの情報を教えてくれた。

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▲ab=出発地、MG Hbfはメングラ中央駅、Bstgは今となってはよく分からないので調べたら「乗り場ホーム」のことだった。
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▲バスの切符。

とはいえ知らない場所でバスを乗ると、どこで降りていいか分からない場合が多い。バスのルートマップを案内所でもらえたらそれで対応できるが、おそらくこのときはそういうものが得られなかったのだろう。そして当時はポケットWifiも持たない旅だったのでグーグルマップをオンラインで使うこともできなかったため、私が取った対策は「バス停に置いてある案内をデジカメで撮影しておいて随時確認する」というものだった(でも膨大な選択肢のなかからルートマップを探すよりもこの方法がいちばんてっとり早いので、その後も私はこのやり方を好んで使っている)。以下、7番と17番のバスルートをご参考まで・・・
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こうしてボルシア・パークのバス停に到着。
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向かう先にみえるスタジアム!
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チーム仕様のアウディ!
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で、たまたま私がたどりついた時間帯は、トップチームの練習が行われていた。その脇ではユースチームらしき子どもたちの練習も行われていて、しばし見学。
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で、トップ選手たちにサインをもらうべく出待ちの列もできはじめていた。
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ただこの写真から分かるように、すごく良い天気の日だったのに、このときだけすごく黒い雨雲が急にやってきていて、突発的に大雨になった。
なので、多くのファンがみんなで雨宿りをすることになり、私も一緒になってたたずんでみたり。
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こういう時間、わりと楽しかったりする。

すると練習が終わったようで、選手達がファンサービスをしてくれた。そのなかに私が推しているクリストフ・クラマーが! この一ヶ月前には南アフリカでワールドカップ決勝に出ていたあのクラマーが!(脳しんとうを起こしてあえなく交代になってしまったが)。
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「日本から来たよ~!」「サンキュー」のやりとり。ファンひとりひとりに丁寧に対応してくれた。とはいえ、雨上がりですぐに引き上げたかっただろうオーラはすごく感じたので申し訳ない(笑)。

ところで、このスタジアム併設の建物はわりと気軽に入れるゾーンとなっていて、ロビーではトロフィーが展示されていたり、
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そしてカフェ空間もとても充実していた。
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このときの雰囲気としては、ユースチームの練習にきた子どもたちの送り迎えをしにきた親御さんが多い感じで、こういう「スタジアムと練習場と、くつろげる空間」の近さがとても良いなぁと思った。

スタジアムから少し離れたところにプレハブっぽいグッズショップが。
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ビールの国らしくグラス類も充実。本当はすごく買って帰りたいところだが、旅行中の激しい移動が多いと手を出しにくい。
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▲デジカメでこのグラスだけアップで撮影していたということは、このグラスを買おうかどうか迷っていたのだろう(笑)。
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▲ちなみにアイスクリームも売っていた。

最後には雨もあがり、充実した気分でスタジアムを後にした。
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▲帰りのバス停。ここに限らず周辺もはげしくスプレーでいろいろ描かれていた。

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▲駅に戻り、夕食でケバブとコーラを。当時のメモをみると「店で若者3人がずっと歌っていてうるさかった」とのこと。

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2021年1月 3日

今年もよろしくおねがいします


 大変な日々が続いていますが、今年もよろしくおねがいします。

 お正月の天皇杯をじっくりと観ることができたことそのものに、まずは感謝したい気分。そして1ー0リードの展開で中村憲剛が結局出場することができなかったことについて試合後も議論を呼んでいるが、いずれにせよ最後の最後まで「熱く語り合えるもの」を提供しつづけた中村憲剛という選手の「運命のありかた」にシビれる。いつもオフシーズンのときの欧州サッカー解説も見事ではあるが、そういう意味では「言葉」と「体験」を豊富にあわせ持っている人だから良い指導者になる人だと思うので、そのときを心待ちにしたい(時間ができたら、今のうちに早くオシムさんとじっくり対談とかしてほしい)。

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 さて、11月末からあっという間に時間がすぎてしまったが、ねこじしさん企画のJユニ・オンラインマラソン大会に、何か自分でも出来ることを・・・と思い、賞品を出させていただいた。「トートバッグ工房」というところでサコッシュのカバンを作ってみた次第。
 かねてから、この「You'll Never Walk Alone」の言葉を元ネタにしたフレーズをマラソン応援のなかで使いたくて、まさにこのオンライン大会にふさわしいエールになると思い、迷うことなくデザインを作成。

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 ねこじしさんと相談し、ランナーの記録は自己申告になるから賞品のことは終わるまでのサプライズとさせていただき、賞品現物の受け渡しは大阪ダービーの試合終了後にスタジアム前で行うことに。

 今年は結果的に、開幕戦以来のサッカー生観戦がこの大阪ダービーになったことで、感慨深くスタジアムで過ごす。試合の中身がどうのというより、コロナ禍で両チームのサポーターがチャントを我慢して、手拍子だけで応援する光景を忘れないでいようと思った。

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 ダービーの結果次第では、ねこじしさんのテンションも心配されるところだったが、試合はドロー決着となり、終了後に待ち合わせ場所に向かうと・・・

 

 

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 ということで、律儀というか何というか(笑)。


 せっかくなのでタテイシもバナーを掲げさせていただく。

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 そうして実際のオンラインマラソン大会では55名の参加があったようで、これって本当に凄いことだと思う。ウェブでの呼びかけでこれだけたくさんのサッカーファンが自分の意志で、ユニフォームを着てひとりで走り続ける・・・私はその様子をひたすらツイッターで見守るだけのチキン野郎であったが、「いま日本のあちこちで、サッカーユニフォーム姿のランナーさんが走っている状況」というのは、まさに「あなたは独りで走っているのではない!」という“ユルネバ精神”を思わせてグッとくるものがあった。

PS:そしてお正月になって、ねこじしさんから「4月に第2回開催」とのリリースが! そうなると賞品はもはやサプライズではできないのでそのあたりは未定で!(笑)

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2020年6月27日

『フットボール批評』28号「無観客劇場への覚悟はあるか」

今日からJリーグが再開される。なんとかここまで、こぎつけた。

そんななか『フットボール批評』最新の28号、特集は「無観客劇場への覚悟はあるか」。今回も非常に読み応えがあったので、いくつかコメント。

 まず冒頭のJリーグ村井チェアマンのインタビュー。コロナ禍で個人的にも毎日の仕事生活に疲弊しつつある状況で読んでいるからか、この記事において村井チェアマンの発言に触れると、素直に「この人、すごい有能!!」と平伏したくなった。思考と決断と実行のスピードの早さ、そしてサッカー業界の外からやってきたがゆえに、変なところでの考慮をせず、ひたすらJリーグ理念を判断基準として動こうとしているところに我々ファンは一定の信頼感を寄せることができるわけだ。
 「新型コロナウイルスの本質的な意味は『分断』にある」という村井氏の意見は、広く社会全般に共有されてほしい問題提起ではないだろうか。

 新連載「汚点:横浜フリューゲルスは、なぜ消滅しなければならなかったのか」。これまでもサッカー産業の暗部に切り込んできた田崎健太氏による原稿なので、今後の展開がすごく楽しみ。まさに『批評』だからこそこういうテーマは正面切って掲載していく意義がある。確かに言われてみたら当時はクラブの消滅についていろいろと考えるところはあったけれども、そもそも横浜フリューゲルスというクラブの成り立ちについて思い及んだことはなかったなぁ、と。そこでこの連載では、クラブの出発点が1964年東京五輪の時期に結成されたサッカー少年団だった、というところから歴史語りが始まっていき、思わぬ人物の関わりが明らかにされ、続きが早く読みたい・・・!となる(おそらくやがては単行本化されるとは思うので期待したい)。
 そして何より、コロナ禍における経済的損失が不可避となってきたサッカー界およびスポーツ界にとって、第二のフリューゲルスを生み出さないようにするためにはどうするか、という裏のテーマも図らずも背負うことになっていくと思うので、なおさら雑誌としても大事にしていってほしい連載。

 最近の『批評』の連載ですごく楽しみになっているのが「世界サッカー狂図鑑」。さまざまな国の市井のサッカーファンをじっくりと取材し、文章とイラストで親しみやすく紹介してくれる。今回はマレーシアのジョホールバル出身のサポーターさんで、イスラム教徒としての生活様式と、サッカーを熱くサポートしていく日々がどのようにリンクしていくかが興味深い。そして今回は「番外編」として、この国で芝を作る日本人の奮闘ぶりもレポートされている。こちらも「すげぇぇー!!」となる。サッカーというスポーツの及ぶ世界の広さをあらためて実感。

 今号では、以前別冊で出た「フットボール戦術批評」のエッセンスが「ミニ版」として収録されていて、あえてサッカーが観られないなかでこういうガチな戦術論を載せてきたこと自体が面白い。そして期待以上に前のめりになる記事ばかりだった。ひとつはシメオネ監督のアトレティコがリバプールとのCL戦で見せた「ゲーゲンプレッシング2.0」といえる組織的ボール奪取の理論の話。
 もうひとつはベガルタ仙台を指揮していた渡邉前監督と岩政大樹氏の対談「ポジショナルプレー実践論」。これは指導者目線で語られたがゆえに、「いかに選手に分かってもらうか」というベクトルが、そのまま読み手である我々素人にたいする「いかに読者に分かってもらうか」という方向性に一致していくので、記事の中で岩政氏がひとりで熱く盛り上がっていくポイントと、読み手の私のほうもシンクロして「そういうことですかー!! なるほどーー!」となった出色の対談。
 ちなみに普通こういう対談形式の記事は「聞き役の合いの手」が省かれることが多い。しかしこの記事では

「岩政:はい」

「岩政:あーー」

っていう、やたら挿入される岩政氏のこの短いリアクションが誌面で再現されていると、読んでいるこちらのリズムにも同調してくるので、このスタンスはわりと悪くないと個人的には思っている。

 そしてこちらも印象に残った記事としては、元Jリーガー井筒陸也氏とサガン鳥栖・小林祐三の対談。もともと音楽活動などサッカー選手以外の顔も積極的に見せていた“パンゾー”選手だったが、その発信力ゆえにいろんな言葉を持っている選手だということが改めて分かってすごく刺激的。コロナ禍におけるJリーガーは何を考えるべきか、という井筒氏の問いかけに対して小林祐三は、

「一回、絶望したらいいんじゃないと思うけど。
そこで絶望できるというのも、一つの指針になるなと思っていて。
でも、僕は絶望できなかった」

 刺さるフレーズである。
 ほかにも「フットボールにたいして盲目的にならないようにする、ほどよい脱力感」というテーマも興味深く、「子供のときからサッカーしかやってませんでした」というのが、日本の部活動のありかたなども含めて果たしてどうなんだろうかという教育文化的な側面にも通じるものがある。 やー、小林祐三に連載記事書いてもらえないだろうか(笑)。つまり、こういう『批評』のようなメディアこそが「語れるJリーガーを見いだしていく」という機能を果たしていくのではないかと思っていて、普段だとなかなか話せないことも、『批評』のような場だったら、心の内を自分のリアルな言葉で紡いでもらえるのではないかと、そういうことを改めて期待させた号だった。

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2020年4月21日

本当にどうでもいい話かもしれないのだが

こんにちは。

ひきつづき先の見えない生活が続いていて、張り合いのない日々ではあるが、そんななかコネタを。

最近DAZNでは過去のプレミアリーグの名勝負などが随時配信されていて、そのなかで1994-95シーズンにおけるブラックバーン・ローヴァーズの優勝決定の試合があった。

いまは2部リーグにいるが、トップ・ディビジョンがプレミアリーグとして新設された1992-93シーズンから、2004-05シーズンにチェルシーが優勝するまでの間は、「マンチェスターUとアーセナル以外でプレミアを制した唯一のクラブ」として特異なポジションを誇っていたわけで、近年のレスターほどではないにせよ、この優勝はなかなかレアなものと言える。

この時代のことはまったく知識に乏しく、ブラックバーンにはアラン・シアラーがいて活躍したことぐらいしか知らなくて、映像をみていると元チェルシーのグレアム・ルソーもこのときの優勝メンバーだったことを今回はじめて知った(つまりその後のルソーがチェルシーに長く在籍していたあいだは、チームのなかで数少ないプレミアリーグ優勝経験者だったことになる)。

 

で、そんな昔の試合映像をダラダラと眺めていると、思いもがけない発見があった。

 

ブラックバーン・ローヴァーズFCといえば、このエンブレムである。

Blackburn

そう、バラである。

設立が1875年とのことでイングランドでも古いほうになる。調べたらエンブレムもいろいろな変遷があったようだが、チームの位置するランカスター地方を代表する花が赤いバラとのこと。イングランドのクラブは紋章風のエンブレムが多いので、こういうビジュアル直球型のデザインはやや珍しいとも言える。ちなみに下に書いてあるラテン語は「技術と労働」という意味。ArtとLabourか。


そして、

この奇跡の1994-95シーズンにおいて、ブラックバーンのゴールマウスを守っていたキーパーというのが・・・



Flowers

 

「フラワーズ」さん、なのである。

 

すごい、と思う。

 

見事なオチだ。

・・・すごくないですか?

Flowers

「フラワーーズ!!」

 

     ( し つ こ い ? )

Savage10_20200421222901

 

やー、素直に感動しましたよ、ワタシは。

そういうことってあるんですね、と。

外出自粛のなか、ひとりで家にこもりつつも、こういうネタは大事にしていきたいのである。

 

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2020年3月21日

イングランド史上最高のフォワード、ウェイン・ルーニーは「詩を書くこと」が好きだという驚きの事実に「…なるほど!」となる

いまDAZNで配信されている、BBCドキュメンタリーのウェイン・ルーニー編を「いまさらルーニーもなぁ」と思いつつ(失礼)、それとなくダラダラと観ていたわけだが、何が驚いたかって、ルーニーは少年期から「詩を書くことが好き」だという。

奥さんと付き合い始めたときはもちろん、結婚後も、旅先などで妻や子どもたちよりも先に早く起きて、詩をしたためて贈ったりするとか。

いや、ほんと失礼で申し訳ないのだが、ルーニーがそういうことをする人だとは、これっぽっちも思っていなかった。

「文章を書くことは好き」と本人も認めているわけだが、16歳で衝撃のプレミアリーグデビューを飾った「怪童」が、同じ頃リバプールのとある高校の国語の授業を楽しんで受講していたのかもしれないと思うと、それまで思い描いていたルーニー像が、また違った印象になる。

そして私は今回、「ルーニーは文才がある」という新事実を前にして、あらためて「なるほど!」と、深く納得したわけである。

それはどういうことかというと、ルーニーのサッカー選手としての際立った特徴のひとつとして、「どんな選手と組んでもうまく機能する」というのがあると思えるからだ。彼のキャリアのハイライトはマンチェスター・ユナイテッド時代になるが、その在籍中、ファン・ニステルローイ、カルロス・テベス、クリスティアーノ・ロナウド、ズラタン・イブラヒモビッチなど、「超個性的」とも言える点取り屋が来て活躍しては去っていったわけだが、ルーニーはこうした選手たちと常に良いコンビネーションを築き上げていった。彼はゴールゲッターでもあるがチャンスメイクにも長けていて、コンビを組むアタッカーといかに連動していくかを高いサッカーセンスでもって成し遂げていった印象があるのだ。

で、「文章を書くこと」というのは、「相手とのコミュニケーションへの心遣い」というものが非常に重要になってくる作業であり、相手の立場や状況を察知して、自らの表現をそのときどきに応じて適切に発動させる行為だとすると、ルーニーが「詩を書くのが好き」というとき、それは彼のサッカー選手としての(そして人としての)根本的な「姿勢、スタイル」にも見事に直結しているのではないか、と思うのである。味方を活かしつつ自分もチャンスで狙っていく。それをルーニーのレベルでやられたら、そりゃあ相手は大変である。

ちなみに日本のサッカー界でも、田嶋幸三氏(いまコロナウイルスで大変なことになっていてお見舞い申し上げます)がかつて『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(光文社新書、2007年)という本などで紹介しているが、JFAアカデミーでも育成年代のサッカー選手にたいして論理的思考や言葉の運用能力を向上させようという取り組みが行われているわけで、このあたりは日本全体の教育そのものの重要性に直結するところだから個人的にも興味深い部分である。いずれにせよ若いサッカー選手たちには「ルーニーは、詩を書くのが好きだってよ!!」と言い聞かせたいところである。

 

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2019年10月20日

久保建英のユニフォームの名前表記はTAKEじゃないほうがいいのでは問題




もちろん、どうでもいい話かもしれない。



しかし今のマジョルカにおける「TAKE」の表記を見るにつけ、これから久保建英が世界のサッカー市場に向けて名前を売っていくにあたっては、やはり「KUBO」のほうがいいのではないかと、お節介なおじさんは思ってしまうわけである。

もちろん、気軽に名前を呼びやすく、ファンからも覚えられやすいのはTAKEのほうだろう。ただよく考えてみてほしいのだが、ペレの本名はエドソン・アランテス・ド・ナシメント 、ジーコの本名はアルトゥール・アントゥネス・コインブラ で、彼らが本名のままで活動していたら、もしかしたらここまでの世界的知名度は得られなかったかもしれない。でもTAKEの本名は「TAKEFUSA KUBO」なのだから、そのあたりは何も心配することなく「KUBO」の名前で売り出していいのではないか。

Take


本人がどれほどそのことを意識しているかは分からないが、Jリーグおよび日本代表において、ちょっと前まで「久保」といえば、久保竜彦のイメージが強かったわけだ。

Dragon

それでも久保建英はまだまだこれからたっぷり日本代表選手として活躍できる時間も可能性も大いにあるわけで、そのうち「日本代表の久保といえば久保建英」となるだろう。ひょっとして「建英」の漢字名を「たけふさ」と読まれにくいことについて、日本人向けには「オレはタケだ」というアピールは一定の効果があるかもしれないが、充分その存在を知られている日本市場にはそこまで気をつかう必要はないと思う。


そしてこの問題を考えるうえで、さらに私が気をもんでしまうのは、すでに日本代表でも海外挑戦においても、久保裕也という先達がいることだ。

Yuyakubo

いまベルギーリーグのKAAヘントに所属しているが、このまま久保建英がスペイン1部でブレイクしていくと、むしろ久保裕也のほうが、名前を売るという意味では不利になっていく。「YUYA KUBO」となると、名字は久保建英とカブり、名前のほうはブレーメンの半端無い大迫勇也とカブってしまうわけである。

Osako

この事態は、実はすごいことかもしれないのだ。日本人サッカー選手が世界で挑戦するようになり、その人数が増えていくと、こうした「名前も名字もカブる問題」が発生しやすくなるのである。その最初の事例として、この久保裕也が挙げられよう。

そこですぐ思い出されるのは中田英寿と中田浩二のことだ。同時代において、二人とも同じぐらい日本代表選手としても活躍していたわけで、そして中田英寿は自分のユニフォームにHIDEと書くこともなくナカタで闘い続けた。その後マルセイユやバーゼルで海外挑戦をした中田浩二は、ひょっとしたらこの名前カブり問題に少しは苦しんだ可能性があるかもしれない。仮に、私が当時の彼に話ができる立場にいたら、「もし世界中で覚えられやすい登録名を考えているのなら、いっそのことロック・ドラマーのコージー・パウエルにあやかって、ユニフォームの登録名を“COZY”にしてみたらどうか」と提案したかった・・・まぁ、本人にしてみたら「自分は自分、だからナカタでいく」という気概でいたのだろうけど。

Kojinakata

▲マルセイユのときはトルシエが監督だったな。

Kojinakata2

▲「NAKATA」カブりに悩まされたのか、つづくバーゼルでは「KOJI」の表記だったことを今回初めて知りました。

でも確か中田英寿が欧州で活躍したあとの代表のユニフォームでは中田浩二は「K.NAKATA」と書いていて、ヒデのほうは何も変わらず「NAKATA」だった記憶があって、それはちょっと不公平な気がした記憶がある(←ここはうろ覚えなので間違っていたらすいません)。

というわけで、今こそ私は、久保裕也が今後、そうした「名前カブり問題」のちょっとしたアヤを乗り越えて、世界の舞台で輝けるようにと願うばかりである。



そして、この文章を書いている途中に気がついたのだが、高校卒業後にいきなり海外挑戦となった宮市亮も、アーセナル(=フェイエノールトへのレンタル)やボルトンにいた頃は、背番号のネームを「RYO」にしていたわけである。

Ryo

うむ、やはり売り出し中の若手選手は、いきなりファーストネームを押し出すのはやめたほうがいいのではないかという気になってきた。

ちなみにその後、彼が長く在籍することになるザンクト・パウリではMIYAICHIのネームになっている。

Miyauchi

それにしてもザンクト・パウリのユニフォームは書体も風変わりで、あいかわらず独特な雰囲気だな。

・・・というわけで書いている自分でも予想外だったが、久保建英の話題で書きはじめて、最後は宮市のいるザンクト・パウリの話になっていく記事となった。

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