『フットボール批評』28号「無観客劇場への覚悟はあるか」
今日からJリーグが再開される。なんとかここまで、こぎつけた。
そんななか『フットボール批評』最新の28号、特集は「無観客劇場への覚悟はあるか」。今回も非常に読み応えがあったので、いくつかコメント。
まず冒頭のJリーグ村井チェアマンのインタビュー。コロナ禍で個人的にも毎日の仕事生活に疲弊しつつある状況で読んでいるからか、この記事において村井チェアマンの発言に触れると、素直に「この人、すごい有能!!」と平伏したくなった。思考と決断と実行のスピードの早さ、そしてサッカー業界の外からやってきたがゆえに、変なところでの考慮をせず、ひたすらJリーグ理念を判断基準として動こうとしているところに我々ファンは一定の信頼感を寄せることができるわけだ。
「新型コロナウイルスの本質的な意味は『分断』にある」という村井氏の意見は、広く社会全般に共有されてほしい問題提起ではないだろうか。
新連載「汚点:横浜フリューゲルスは、なぜ消滅しなければならなかったのか」。これまでもサッカー産業の暗部に切り込んできた田崎健太氏による原稿なので、今後の展開がすごく楽しみ。まさに『批評』だからこそこういうテーマは正面切って掲載していく意義がある。確かに言われてみたら当時はクラブの消滅についていろいろと考えるところはあったけれども、そもそも横浜フリューゲルスというクラブの成り立ちについて思い及んだことはなかったなぁ、と。そこでこの連載では、クラブの出発点が1964年東京五輪の時期に結成されたサッカー少年団だった、というところから歴史語りが始まっていき、思わぬ人物の関わりが明らかにされ、続きが早く読みたい・・・!となる(おそらくやがては単行本化されるとは思うので期待したい)。
そして何より、コロナ禍における経済的損失が不可避となってきたサッカー界およびスポーツ界にとって、第二のフリューゲルスを生み出さないようにするためにはどうするか、という裏のテーマも図らずも背負うことになっていくと思うので、なおさら雑誌としても大事にしていってほしい連載。
最近の『批評』の連載ですごく楽しみになっているのが「世界サッカー狂図鑑」。さまざまな国の市井のサッカーファンをじっくりと取材し、文章とイラストで親しみやすく紹介してくれる。今回はマレーシアのジョホールバル出身のサポーターさんで、イスラム教徒としての生活様式と、サッカーを熱くサポートしていく日々がどのようにリンクしていくかが興味深い。そして今回は「番外編」として、この国で芝を作る日本人の奮闘ぶりもレポートされている。こちらも「すげぇぇー!!」となる。サッカーというスポーツの及ぶ世界の広さをあらためて実感。
今号では、以前別冊で出た「フットボール戦術批評」のエッセンスが「ミニ版」として収録されていて、あえてサッカーが観られないなかでこういうガチな戦術論を載せてきたこと自体が面白い。そして期待以上に前のめりになる記事ばかりだった。ひとつはシメオネ監督のアトレティコがリバプールとのCL戦で見せた「ゲーゲンプレッシング2.0」といえる組織的ボール奪取の理論の話。
もうひとつはベガルタ仙台を指揮していた渡邉前監督と岩政大樹氏の対談「ポジショナルプレー実践論」。これは指導者目線で語られたがゆえに、「いかに選手に分かってもらうか」というベクトルが、そのまま読み手である我々素人にたいする「いかに読者に分かってもらうか」という方向性に一致していくので、記事の中で岩政氏がひとりで熱く盛り上がっていくポイントと、読み手の私のほうもシンクロして「そういうことですかー!! なるほどーー!」となった出色の対談。
ちなみに普通こういう対談形式の記事は「聞き役の合いの手」が省かれることが多い。しかしこの記事では
「岩政:はい」
「岩政:あーー」
っていう、やたら挿入される岩政氏のこの短いリアクションが誌面で再現されていると、読んでいるこちらのリズムにも同調してくるので、このスタンスはわりと悪くないと個人的には思っている。
そしてこちらも印象に残った記事としては、元Jリーガー井筒陸也氏とサガン鳥栖・小林祐三の対談。もともと音楽活動などサッカー選手以外の顔も積極的に見せていた“パンゾー”選手だったが、その発信力ゆえにいろんな言葉を持っている選手だということが改めて分かってすごく刺激的。コロナ禍におけるJリーガーは何を考えるべきか、という井筒氏の問いかけに対して小林祐三は、
「一回、絶望したらいいんじゃないと思うけど。
そこで絶望できるというのも、一つの指針になるなと思っていて。
でも、僕は絶望できなかった」
刺さるフレーズである。
ほかにも「フットボールにたいして盲目的にならないようにする、ほどよい脱力感」というテーマも興味深く、「子供のときからサッカーしかやってませんでした」というのが、日本の部活動のありかたなども含めて果たしてどうなんだろうかという教育文化的な側面にも通じるものがある。 やー、小林祐三に連載記事書いてもらえないだろうか(笑)。つまり、こういう『批評』のようなメディアこそが「語れるJリーガーを見いだしていく」という機能を果たしていくのではないかと思っていて、普段だとなかなか話せないことも、『批評』のような場だったら、心の内を自分のリアルな言葉で紡いでもらえるのではないかと、そういうことを改めて期待させた号だった。
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