ワールドカップ/World Cup

2018年8月26日

“なでしこフィーバー”の完結と、あたらしい歴史への闘い

 興奮から一日たって。

 まず大枠の話。
 2011年のワールドカップ優勝を小学生のころに見ていたであろう世代が、Uー20女子ワールドカップを制覇した。ここにひとつの「なでしこフィーバー」の完結を見た思いがする。今回の決勝戦でのフジテレビNEXTの中継解説は野田朱美氏だったが、何度も「ここからが本当の勝負」というようなことを言っていて、それはU-20代表の彼女たちだけでなく、「すべてのカテゴリーでW杯を制覇してしまった後の日本女子サッカー界」にたいする気持ちでもあったのだろうと自分は受け止めた。一連の「フィーバー」はここで完結したのだから、後はいったい何を目標に、どういう方向性でこの業界を活性化させていかねばならないのか。言うまでもなく、男子サッカー界はそういう意味での「完結感」はまだ味わっていないのである。あのW杯を優勝しないことにはたどり着けないわけだから。
 なので来年の女子W杯フランス大会は、新たな歴史をどういうふうに紡いでいくのかの難しい第一歩となるのだと思う。誰しもが、この「強豪国」の立場になったあとの状況について、まったくの未知なのである。

 試合のこと。

 グループステージからずっと、キーパーのスタンボー華はパンチングが多くてキャッチングが不得手かと思えるプレーぶりが続いていたので、序盤からスペインもそのあたりを狙っていた気がする。スタンボーに弾かせてコーナーキックを奪い、そこからセットプレーの高さでいくつか決定的なチャンスを作っていた展開にはヒヤヒヤさせられた。もちろん、この試合でスタンボーはいくつかファインセーブを見せてはいたが、終始キーパーは今回のチームでウィークポイントだった。でもそれは女子サッカー全体においてもこの難しいポジションで人材が豊富な国は存在していないと思うので、「どっこいどっこい」の話なのだろうけど(そう思うと日本と対戦したときのパラグアイ代表のキーパーが神がかっていたのですごく印象的だった)。

 それでも前半終わり頃に宮澤のスーパーゴールが決まり、いい流れで後半につなげることができた。ずっとポゼッションで圧倒しているはずなのに、なぜかリードを許してしまっていることに戸惑いの色を隠せないスペイン。そこへ宝田、長野がゴラッソを立て続けに決め、W杯の決勝という舞台にも関わらず、このあと時間稼ぎをするわけでもなくさらに4点目を狙うべく前線から鬼神のプレスで走りまくっていた彼女たちの姿には末恐ろしいものを感じさせた。この感覚は男子W杯では未だに体験したことのない味わいであり、つくづくこの試合が地上波で全国放送されなかったことの損失を思う。どんなに気持ちのいいサッカーだったか。手を抜かず、お互いの技術力の高さを信じ合ってひたむきに走りきり、すべてが良い距離感でパスワークが行われ、深い信頼関係にある監督が苦しい時間帯に鼓舞し続ける・・・これが「自分たちの、日本のサッカー」なのだった。グループステージのパラグアイ戦以降、もうこのチームは崩れないという自信すら漂わせていたわけで、そりゃあ優勝するわな、とすら思わせた。日本サッカー史上類を見ない「超攻撃的チーム」がそこにあった。

 本当なら1点を返された直後に、流れを変える意味でも、FWからの守備を活性化させるべくすぐに村岡真実を投入してほしかった・・・そうして疲弊したスペインにトドメを刺す華麗なマタドール役と化す村岡を期待していたのだが、実際に投入されたのは残り数分のところであった。しかし最後の最後で歴史的なピッチ上に村岡が立てたことには、オルカ鴨川を応援するすべての人々、およびなでしこ2部リーグでがんばっている多くの選手・関係者が感銘を受けたはずだ。

 さらに言うと、表彰式でキャプテンの南がワールドカップを掲げるシーン、および大会名の書かれたバナーを前にして全員で記念写真を撮るときの村岡真実のポジショニングはどれも申し分なく、猛者たちの中でもしっかり彼女らしい才覚(?)を見せていたことを個人的には高く評価したい(笑)。

20180825

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2018年8月22日

日本サッカー協会のHPも少し狂乱ぎみになっている?U20女子代表の決勝戦に備えよ!

 前回のチェルスキーな記事では、新加入のジョルジーニョについてうっかり書き忘れていて、それでもって新生アーセナルとのロンドンダービーまで制して開幕2連勝となり、改めてジョルジーニョの存在について自分なりに感想を述べたいところだが、申し訳ないがいまはU-20女子ワールドカップである。
 日本代表“ヤングなでしこ”(わたしは『プチなでしこ』というネーミングのほうがいいんじゃないかとずっと思っている)が同カテゴリーでは初の決勝進出を果たし、スカパーでしか生中継していなかったフジテレビも今度はいよいよ地上波でも放送することになった。しかし地方ローカルでは放送がないようなので、関西地方(カンテレ)でも観られない。今回のチームにおいては宝田沙織、林穂之香、北村菜々美のセレッソ大阪組のユニットがすばらしい働きをしているのだが、彼女たちの奮闘が関西地方のお茶の間で視聴できないことは残念である。

 ユニットで捉えると、セレッソ組に対して、右サイド寄りに植木理子、宮澤ひなた、宮川麻都の日テレベレーザ組がさすがの技術力の高さを誇っていて、中盤で「いかにも10番」な雰囲気で自信満々にプレーしている長野風花が元レッズであることを思うと、センターバックにかけてのゾーンは浦和レッズのユニットが形成されている。これが今回のU20代表の基本的枠組みだと思える。

 そのなかで今大会間違いなく驚異的に存在感を発揮しているのは、今はベレーザに指定強化選手として籍を置いている18歳の遠藤純である。JFAアカデミーは女子サッカーにおいては本当に育成機関として素晴らしい仕事をしていると認めざるを得ない。攻守に走りまくり、そうかと思えば左足で絶妙のパスを精度良くガンガン通してくる。2戦目からスタメンに入るや、もはやこのチームは遠藤の仕掛けからすべてのスイッチが入るかのようで、「機動力のある中村俊輔みたいだ!!」と思えてくる。ドイツ戦でのプレーヤー・オブ・マッチを獲り、次の準決勝イングランド戦では相手から警戒をされるも、その遠藤の存在に刺激されてか反対サイドからの仕掛けが活性化し、決勝点は宮澤のクロスバー直撃からの、走り込んでいた遠藤のヘディングで決めることとなった。
 いやはや、遠藤純、とんでもない選手がまた現れた。ゴール前のフリーキックでは「右で蹴るのか?左か?」という感じで、かすかに微笑を浮かべる長野とポーカーフェイスの遠藤が並び立ち、それはかつての中田英寿と中村俊輔の姿を連想させた・・・(すまないが、こういうシーンではおっさんの郷愁に浸らせて欲しい)。ともあれ、決勝戦でもし負けたとしても、日本にとってはこの大会で遠藤純という傑出した個を見出したことで、すでに大きい成果を上げたのではないかと思っている。

 そしてこのチームにおいて攻撃の流れを変える切り札として、我らがなでしこリーグ2部・オルカ鴨川FCから選出された村岡真実14番がベンチに控えているのである。サッカーにおける背番号14は伝統的に「ジョーカー的存在」であったり「影のエース」の雰囲気があると思っているので、まさにこの番号は彼女によく似合う。ほぼ毎試合で途中から入り、ひたすら前線からボールを追いまくる。多少の粗さはあるものの、がむしゃらに何度もアタックを繰り返す姿は、普段の彼女のキャラクター性も相まって、チームを元気づけるものがある。それゆえに池田太監督からもそうした役割が期待されているのだろう。

 U20代表といえば、私にとってはどうしたって藤田のぞみの存在が最初にあったわけだが、こうして新たな才能が次々と新しい扉を開いてくれて、村岡真実のような選手が藤田のぞみの後に続いていく歴史を今まさに見守っているわけである。そう思うと2018年の私のサッカー的想い出のなかで、非常に重要な一戦を迎えることになる。私としては決勝戦で村岡真実のゴールを観たい。ひたすら、それを願っている。
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 ちなみにオチとしては、いまグーグルで「U20女子日本代表ワールドカップ」などの言葉で検索して、トップにでてくるリンク一覧のなかで、こういう画面になるのだが

U20_1


よーーく見てみると、

U20_2

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「 を ~ ! ! 」

・・・・落ち着け!落ち着けってば!!(笑)

と、本当に些細なところではあるが、そんな感じである・・・。

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2018年7月30日

森保一が日本代表監督になることで困ること

Tajimayamero

 ワールドカップが終わり、放送権の関係やらでNHKなどは総集編の特番を作ることもせず、せっかく盛り上がったのにお茶の間向けサッカーコンテンツは一気に消え去り、もう何事もなかったかのような雰囲気になって、Jリーグでは一通りイニエスタとトーレスの来日(と離日)騒動を経て、そして気づけば今日は7月30日で、みなさん一ヶ月前なんですよ、日本とポーランドが試合をやったのは・・・。このスピーディーな時間感覚にうろたえてしまいたくなる感じをよそに、結局ハリルホジッチ解任からのワールドカップの総括もあいまいなまま、日本サッカー協会はもともと五輪代表の監督だった森保一を次のA代表の監督も兼任させると発表した。

 この状況にたいする私の考えを一言で述べるとすれば、

「困った。」

 である。
 今日はその話をくどくどと述べていく。

 なぜ森保一が日本代表監督になると困るのか。
 それは、森保一が「とってもいい人」だからである。

 私個人の想い出を述べさせてもらえば、彼が広島の監督に就任した最初のシーズン、開幕前の宮崎キャンプで私がいろいろとJクラブの練習試合見学を楽しんでいたとき、たまたま森保氏に遭遇したのである。すかさず私はエルゴラッソ選手名鑑の森保監督の写真のところにサインをお願いすると、彼は快く引き受けてくれた。そして私が「がんばってください!」と述べつつ森保氏からペンと選手名鑑を受け取ってすぐカバンにしまおうとした、その数秒の間、なんと森保一は、右手を差し出して握手を待ってくれていたのである。

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この、数秒の「握手待ち」のあの瞬間に、私は「ヒャーー!!すいませんーー!!」という焦燥感のなかで森保一がどういう人物なのかを、ひたすら感じ取ったわけである。ひとつの握手のなかに、森保一の限りない「いい人オーラ」を見出さずにはいられなかった。

 そんなわけで私が書くまでもなく、森保一が「いい人」でありまくる理由はあちこちで述べられているだろうと思う。そういうわけで、森保一は日本サッカー界における国民的評価に照らしても「圧倒的にいい人」であり、それゆえに、私は彼が日本代表監督になることで、困ってしまうのである。

 なぜ困るのか。それは、「人格者にたいして、批判的な目で見ることが難しいから」である。私たちは、森保一の代表監督としての仕事に、ツッコミどころを見出しにくくなるのではないか、そういう危惧があるのである。

 考えてみたら、これまでワールドカップを闘った日本代表監督というのは、どこかしら「ツッコミ、文句、懐疑心」をもって評価対象とされてきた人たちなのである。98年フランス大会の岡田監督はカズを外して城を重用したことで「永遠のツッコミどころ」を背負っているし、02年のトルシエ監督はまず最初に「ヴェンゲルじゃねぇのかよ、誰だよコイツは」というスタートラインから始まった(さらに、やがてトルシエの通訳のほうが面白いじゃねぇかというツッコミも展開していく)。続く06年の「黄金の中盤」ジーコ体制では「戦術が見えねぇ!!」という当初の危惧のまま最後まで変わらずじまいだったし、10年南アフリカ大会では再び岡田監督になり、当時の大会前のヒドい言われようは今年の代表チームのありかたを想起させた。14年のザッケローニ監督も「結局クラブチームのほうが性に合ってたんじゃないの」ってことで、そこからアギーレ、ハリルホジッチと連綿と続く「この人で大丈夫なの?」っていう感じは、常に代表監督の存在感をある意味で照らし続ける指標でもあった。

 そこにきて日本サッカー界は、森保一という、おそらく今までにないぐらい品行方正で誰からも文句のつけようのないナイスガイをA代表の監督にしてしまった。これでは、「森保、アカンわー!!」というノリにはなりにくい。「森保一が選ぶのなら、間違いない」「森保一がそういう交代カードを切ったのだったら、それが正しいのだ」と、私はどうしても、今後の「森保ジャパン」の試合をみて、「あれがダメだ、こいつじゃダメだ」と言い切れる自信がない。
 しかも、森保一は2020年東京五輪のU-23代表監督として最初の大仕事に向き合うわけだが、これはつまり「森保が育てた若い代表選手を、次のワールドカップで開花させていく」という流れも暗に要請されているわけで、そうなると「いい人が愛情込めて育てた若い子たち」を、私は軽くバッサリと批評することに人道的なためらいすら覚えてしまうかもしれない。

 そういうわけで、私は困っている。 「いい人」である森保一が、いちばんボコボコに文句を浴びせたくなる代表チームの監督になってしまうことに。

 そもそも、たとえば代表の試合を観ながら腹が立ってきて「もりやすー!」と叫びたくなるような状況において、それをツイッターなどで文字に書き写したときに「森保ー!!」ってなっても、元々の名前が「森保一」なので、「森保ー!」も「森保一!」も同じ意味合いに捉えられて、「ー」に込めたネガティブな思いすらも、その名前ゆえに吸収されてしまうのである。これが「いい人の徳」なのかもしれない。そういうことすら思い至らせる、いい人・森保一新監督には、ひたすら困ってしまう可能性がある。

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2018年7月16日

無事には終わらなかったワールドカップは、それでもやはり素敵な祭典なのだと思う

 ワールドカップが終わった。決勝の後の表彰式のときに、「このロシア大会が無事に終わってよかった」という印象をそのままツイッターにも書いてしまったのだが、試合途中で乱入した観客が、実は反プーチン政権を訴え続けている、かのプッシー・ライオットのメンバーだったことを知ったあとにおいては、「これは無事に終わったことにならない」ということを認めざるを得ない。最後の最後で大きなモヤモヤが残っていった。

ある意味で 「このサッカーの祭典がどういうものの基盤のうえで成立しているかということに想像をめぐらすように」ということにも気づかせたプッシー・ライオットのその後がどうなるかについての心配も当然ながら、彼女たちの計画が実行されるに至ったうえで、それを防げなかったシステムや関係者への影響、それにかこつけてますます何らかの力がかかってくることも想像される(仮に乱入したのが表彰式の最中であれば、彼女たちはプーチンにかなり近づけたかもしれないわけで)。
 多くはあまり大きくは報じないだろうけど、「楽しかったですね」で終わりかけた大会が、多くのハードル(オフサイド・ライン)をかいくぐって裏を取られて得点を決められたような感じになった。
 彼女たちの抱えるリスクのひとつが、ロシアと関係のないフランスとクロアチアの方面からも非難を受けることでもあったし(特にピッチ内に政治を持ち込むことの悲劇を体験してきたクロアチアにとってはなおさら)、それを引き受けてでも計画を実行しないといけなかった実状について、あらためて思い至らせる。

 以下はそれをいったん脇に置いて、純粋にサッカーについて書いておく。

 今回は全試合が地上波で放送されたこともあり、たくさんの人が楽しみやすい大会だったとも思う。不思議なほどスコアレスドローの試合もほとんどなく、これはいろいろ意見が分かれるところだが、大会公式球の「キーパー泣かせな」仕様によるところも大きいのかもしれない。もちろんそれは主催者側の狙いでもあったのだろう。

 そして私がもっとも印象的だったベストゲームを選ぶとなると、準々決勝のロシア対クロアチアの激闘になる。ツイッターでもさんざん賞賛したのだがあらためて書くと、開催国として「どこまでいけるか?」という期待に満ちたスタジアムの雰囲気のなかで、不利と思われていたロシアが見事な先制点を挙げたところから、一気に試合の流れはドラマチックになっていき、クロアチアのキーパー、スバシッチ(試合中に亡くなった旧友のことをシャツに印刷してプレーを続けている)が足を負傷するあたりのアヤが最後の最後のPK戦への複線となっていくあたりや、奇跡の同点弾を決めたがPK戦でゴールを外したロシア代表のマリオ・フェルナンデスが実はブラジル出身の帰化選手で、よく調べると彼のキャリアにも紆余曲折があったり・・・など、両チームの選手たちが試合展開やあらゆる局面においてそれぞれにキャラが立っていくシーンがあちこちに含まれていて、ピッチにいる全員にスポットライトがあたる感じが普段の試合以上に多かった印象があり、まるでひとつの壮大な映画を観ているかのようだった。見終わったあとにも残る余韻にかきたてられるものがあったので、再放送でフルで見直したほどだ。

 その他のコネタでは、決勝戦直前に国際映像で流れたオープニングムービーのなかに、現地ではしゃぐサポーターをムービー用に整列させて映していて「あっ!」となった。そこにはメキシコからやってきたサポーターたちで、一人だけ奥さんに反対されてロシアに行けない仲間のために、その人の等身大パネルを持ってロシアまでバスの旅を敢行するというネタでじわじわ有名になった「等身大パネルのハビエルさん」がいたのである。ほんの一瞬のことだったが、まさか決勝の直前で出てくるとは!と、ジワッとくるものがあった。こうしてちゃんと公式的にハビエルさんネタがフォローされていたことが分かり、「よかったなぁハビエルさん!」と妙な連帯感(お面ネタをやっているからか 笑)を覚えた次第である。
 そもそもハビエルさんの等身大パネルを持ち込んだ人々も、5人組でバスでメキシコからロシアまで旅しようぜなんていう企画を実行しちゃうわけで、なんというか、みんな大いに人生をサッカーがらみで遊び倒しているわけで・・・

 こういう人々の営みを観たり知ったりすることで、あらためて言いたいことがあるとすれば、「ここまでみんなが感情的になったりバカになったりできるワールドカップという時空間は、やはり貴重なんじゃないか」ということに尽きるわけだ。

 例えばこの、初出場だったパナマ代表の初戦の国歌斉唱を中継していたときのテレビのコメンタリーの動画などを観ると、何かを成し遂げることや、それを見守って応援し続けることの強い感情的な想いなど、こういうところに普遍的な何かを見いだしたくなる。そしてプッシー・ライオットのメンバーたちもそこは同じ価値観を共有していると思っている。試合乱入の是非はともかくとしても。
 そして大会そのものがたとえ危ういものの上に成り立っているとしても、ワールドカップは、少なくともグラウンドの上においては、フットボールがもたらしてくれるものに感謝したくなる4年に一度の機会でありつづけてほしい。

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2018年7月 3日

決勝点のことをずっとグズグズと考えている。

あのときもし自分がルカクだったら、あのスルーはできただろうか?
あの状況で、エースストライカーとして、自分が点を決めるという責任感のなかにおいて、それでもあえて「スルー」を選択できる度胸や冷静さや視野の広さというもの、そこにあらゆるものが凝縮されているように思う。

勝とうが負けようが当事者であろうとなかろうと、3失点目の「組織的プレー」は見事だったとしかいいようがない。かねてより「日本は組織的ではなく、単に集団行動が得意なだけ」という指摘があって、ずっとそのことを考えているのであるが、まさにあの失点シーンは日本以上に、彼らのほうが組織力で上回った結果であった。

(最後の本田のコーナーキックについても批判はあるが、直前のゴール前FKでの感触がよかったから、その調子で蹴りたかったのだろうなと想像される)

ただ、こうして悔しがれるのも、日本が2点を先制するというすごい展開だったからこそだ。

フェライニ投入により流れが変わってしまった(ヘディングで決められた)という展開は、まるでドイツ大会の初戦のオーストラリア戦みたいな感じであり、どことなく既視感がありつつ・・・

そしてこの試合はちゃんと最初から最後まで自宅で起きて観ていたが、私はハリルホジッチお面を着用していなかった。もはやハリルお面がなくても今大会の日本代表はじゅうぶん楽しませてもらった、ということで、もはやお面の出る幕じゃないとは思っていたが、もしかしてお面を着けていたら負けなかったのかもしれない・・・? と、どうでもいいことまで「たられば」を考え続けている。

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2018年6月29日

今後、代表戦でのイエローカードは「ポイント失効」という異名で呼ばれるのかもしれないと思った夜

Good

 結局自宅で2画面にしてH組グループステージ最終節を観た・・・とはいえ、ほとんど寝てしまっていた。気づいたときにはなんだかよく分からなかったが(フェアプレーポイントなんて知らなかったし、もし知ってたらイエローカードが出るたびに『ポイント失効!』ってみんなツイートするんじゃないか? そして今後おそらく、日本でそういうつぶやきが多くなるのではないだろうか)、日本が決勝トーナメント進出を決めたとのことで、ひとまずハリルも祝福。

 日本の後半の「ボール回し」がけっこう批判を受けているようで、私としては、そこまでプリプリしなくても、という気分である。
 最近つくづく、国際大会というのは「結果を楽しむもの」としておいて、そして「サッカーの内容を楽しむ」のは、各国の日頃のリーグ戦のなかにあるものだと私は感じるようになった。だからいくら攻めずに時間かせぎをしようとも(とはいえセネガルが同点にするかもしれない不安はあったわけで、完全にギャンブル采配だったが)、それはそれで結果オーライであればすべてよし、である。
 だからこそ今まさに必要なのは「代表の試合ほどの格式はなくても、サッカーの面白さが凝縮されている国内リーグを観たら面白いぞ、日本にはJリーグがあるぞ」というメッセージだと思う。
 ちょうどサガン鳥栖のフェルナンド・トーレス師匠獲得決定的のニュースが来たけど、これはタイミングとしたら日本代表がW杯で敗退した(あるいは優勝した)あとにしてほしかったなぁ。

 つまらない時間稼ぎのボール回しが評判悪いのは、一見するとそれが攻める姿勢を見せていない消極的なものと思われるからであろう。でもサッカーはその仕組みとして、後ろ向きになろうとも結局は「攻めの一部のプロセス」であることからは逃れられていないはずで、守り通してもなお、それは「攻めていることの一部」だと捉えることが可能である。どの方向から世界を捉えるかで、そのおかれた状況が変わっていくことがサッカーの(そしてこの世のあらゆる事象の)不思議で美しい魅力のひとつであるはずだ。

 「ポゼッション率」という指標が、なおさらそういう本質を見えにくくさせているような気がする。ポゼッションを高めた方が勝つ確率が高まるなんてことは絶対にないことぐらい、サッカーファンなら誰しもが実感できているはずなのだ。ボールは「単なる目印」でしかなくて、本当に大事なのはボールをとりまくすべての世界の流れであり動きであり、22人の立ち位置だ。

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 日本とベルギーの試合の前に、ベスト8に上がった場合の対戦相手となるブラジルとメキシコが対戦する。でももしかしたらメキシコが勝つかも知れないし、そうなったときに日本的には「ロンドン五輪の準決勝のリベンジ」というドラマが遠くに浮かび上がってくるだろう。そこへ、ある意味では「W杯因縁の相手」であるベルギー代表が立ちはだかるというのもストーリーとしては悪くない。

 あとプレミアリーグ好きの日本人チェルシーファンの目線でいえば、アザール、クルトワ(そしてデブライネやルカク)を擁するベルギーとガチで対戦できることは実に嬉しい出来事であり、そして反対側のトーナメントの山・・・いくぶん簡単そうに見える山・・・にベルギーを抑えて見事G組1位なんかになっちゃったイングランド代表が入ったことにも微笑を浮かべてしまいたくなる・・・「ひょっとしてイングランド、今回は決勝行けるんちゃうの?」みたいな・・・あくまで夢想、として(笑)

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2018年6月25日

恵比寿フットニックにてハリルホジッチお面をつけて日本×セネガルを観て、予想外の展開にふるえた夜

 そもそもハリルホジッチお面をつけてパブで日本代表のW杯の試合を観ようと思った理由は、「このまま日本代表の試合を観ても楽しめないと思ったから」である。

 しかし結果的には、お面を着けようがシラフで観ようが、グループリーグのこの2試合は興味深い展開となった。

 2回も追いつくような試合展開、その他の惜しいチャンス、そしてセネガル選手たちの「さすが」とも言えるレベルの高いプレーに戦々恐々になったり、などなど。普通にお面ナシでじっくり観ていたい試合であった。

 振り返ると、この日はとても長い一日となり、早朝から出かけて袖ケ浦でオルカ鴨川FCの応援をしたあと、すぐバスで東京に戻り、数年ぶりにお会いするチェルシー&札幌サポのYさんご夫妻にご馳走になり、普段聞けないレベルの熱くてディープなチェルシー話を楽しませていただいた。その後解散して、いったん宿に帰り(はじめてカプセルホテルに泊まった)、心を整えてシャワーも浴びて23:30ごろにはじめてのフットニックへ。

 試合の30分前に入場するシステムで、店内に入るなりハリルお面をつけ、近くにいた人たちからイジられ、店の雰囲気に慣れるまで所在なげに立っていたが、やがてお店のつながりで?写真を撮影している担当らしき人に手招きされ、試合前にはセネガルの応援にきているお客さんなどと一緒に記念写真みたいなのを撮られたり。前回のHUBよりも小さめの空間なので、おおむねほとんどのお客さんから「あ、ハリルいるのね」という感じの雰囲気になっていった(気がする)。
 

 いずれにせよお面を着けていても着けていなくても試合は楽しかった。先制されてもあまり悲観的なムードにならず、「もともと期待されていないがゆえの開き直り」とも言えそうな、あの南アフリカW杯に近い状況が生まれていたような気がする。
 2つのゴールシーンにおける店内の爆発的な騒ぎっぷりや、お客さんがめいめいに表現する感情、そういうものを(お面越しに)味わうことができてよかった。この予想外の展開に、素直に「見くびっていてゴメン!」という気持ちやら、「あぁ、ますますハリルの立ち位置が難しいっ!」と余計な心配をしていたり(笑)
あと外国人のお客さんでやたらハリルお面にからんでくれて、なぜか何度も「途中で思いだしたかのように」改めてお面をみて笑ってくれたりするお兄さんがいて、ベラベラベラーと喋ってきてもほとんど聞き取れなくて、それもゴメン! っていう気分になった。

 そして最も想定外のことで、個人的にテンションがあがったのは、この現場には井澤エイミーさんが普通にお客さんとして来ておられたことである。近年はスカパーで「ニュルブルクリンク24時間レース」をチェックしていたりするのだが、マルチリンガルゆえに様々な人々に取材できるエイミーさんの的確かつハートフルなレポーターぶりがとてもステキで、私は以前からツイッターもフォローしていて・・・つまりは密かにファンなのだが(笑)、私はお上りさんよろしくお面つけたまま一緒に写真をお願いした。しかもエイミーさんは「ブログにあげてもらってもいいですよー」とおっしゃったので、すごく恐縮ではあるが、せっかくなので今回の記事ではエイミーさんとの写真だけをアップさせていただく。

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やー、京都から来てよかった。
どの写真でもハリルは嬉しくなさそうな表情なのだが、どういうわけかこのエイミーさんとの写真では、ちょっとご機嫌良さそうに見えてくる(笑)

ちなみに次の日本×ポーランド戦は、当初から「何もせず、自宅でテレビでみるつもり」であった。まさか3試合目に日本代表がグループリーグ突破をかけた試合をすることになるとはまったく想定していなかったからである。
どうも最近は、サッカーサポーターとしての強迫観念にかられた言動に走りがちな傾向があるため、この夜も「ハリルお面をつけたら、今のところ負けナシ!」と思ってしまい、木曜日の試合も自宅でひとりTV観戦であったとしても、ひょっとしたら、ハリルお面を着けて観ているかもしれない。

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2018年6月20日

ハリルホジッチお面をつけて日本代表×コロンビア代表をHUBで観た件

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予定通り、ハリルホジッチお面をつけてのワールドカップ日本代表第一戦、コロンビアとの試合を、昨日京都三条のHUBで見届けてきた。
以前私とともにお面ネタをやってくれたF氏とともにこの日を迎えるべくHUBのテーブル予約席をとったのだが、さすがにF氏は今回は何も着けずにシラフであり、こんなお面マニアな変態とともにパブでのW杯観戦をすることとなる宿命を受入れてもらうしかない。待ち合わせの直前、F氏から送られてきたLINEには「なんか、試合楽しみなのと一緒に見るのスッゲー嫌なのが同居しています 笑」とあって、さもありなん、と思った。私のほうがF氏より年長者なのをいいことに、こういう茶番に付き合わせてしまって申し訳なくも思う。

幸い我々は座席エリアの予約を取っていて、店に入ってしばらくは腰を落ち着けて談笑する時間があった。その間に必死に心を整えるべく、あーだこーだと喋り続けた。


お店に入ったあと、なかなかお面をつける気分にはなれない。その恐怖心や緊張感といったものについて、これはまさに試合前の選手たちと同じような感覚を共有できているんじゃないかと一瞬思ったが、それは言い過ぎかもしれない。私は単に自作のお面をつけるだけである。選手たちはいまからワールドカップの初戦を闘う。比較してはいけない。

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でも、やるしかないのである。散々な日本代表の試合を少しでも楽しく過ごしたいがためのお面ネタである。そのネタとしてハリルを選んだことが果たして良いのかどうかは、やってみないと分からない部分もある。ましてや今回のハリルホジッチお面は、単にお面だけでなく、胸元に「くまモン」のバッジ(手作り)をつけ、そして実物のリアリティを高めるために(そして自らのハゲを隠すために)「白髪のかつら」まで仕入れてきたのである。これで私の本気度がうかがえよう。

キックオフ約一時間前、意を決して店内の個室トイレに入り、お面やカツラを装着してみた。すると奇しくもそのタイミングで突然トイレの外で、お店のスタッフがマイクで「これから始まります!」みたいなMCトークを行い、にわかに店内から「ウォォォーーー!!」と歓声があがった。

それにより、私はなおさら、トイレの外に出るタイミングを図るのに必死だった。誰かトイレの前で待っていたら申し訳ないなと思いつつ、しばらく様子をうかがい、とりあえずほとぼりが冷めた頃にドアを開け、最初に出くわす若い男子客が「うわっ!」となり、そこから先は、もう誰に対しても私はずっと決死の覚悟でハリルホジッチ監督として振る舞うだけである。






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そんなわけで、この日は終始こんな感じで、たくさんの人が的確にハリルホジッチお面をイジってくれた。


そうして運命の第一戦だが、結果は周知の通りである。

「勝つとは思わなかった・・・」

というのが偽らざる部分である。

そう、私は3連敗を予想していた。しかも無得点3連敗もやむなし、という感じであった。

それがこのような展開になろうとは。

試合内容についてはいろいろと思うところがあるが、後半はテレビモニターを見る場所を少し変えて、むしろお客さんのリアクションのほうを重視して見ていた部分もある(みんながハリルお面に慣れてきた頃でもあった 笑)。つまり、2018年ワールドカップの、ひとつの試合のひとつの想い出として、この密集した中で「勝てるかも! 勝つんだ!」という熱気のなかで身を浸しているこの状況をひたすら味わおうと思った(お面ごしに)。

や、ぶっちゃけ、みんなこんなに「ウェェェーイ!!」な状況になってハイタッチしまくるこの結末、予想していなかっただろう?(笑)

そんなわけで試合後もいろんな方々にツッコミを入れられたり写真に収まったりした。

でもどんなに中の人が喜んでいても、写真に写るハリルホジッチがまったく嬉しそうに見えないのが、ジワジワくる。

そしてオチとしては、リアルな感覚として、「いまの日本代表が勝ってしまうと、ハリルホジッチとしての立ち位置が辛くなってくる」というのがあった。それは本当に、予想外のことであり、そこの感情的対処法は、まだ想定できていなかったのである。

こうして第二戦、セネガルとの試合では恵比寿のフットニックに単身でお邪魔することとなる。第一戦で得た自信を胸にがんばろうと思う・・・そう書くとサッカー選手のそれみたいだが、繰り返すが私はお面をつけてボーッとするだけである。

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▲試合後に撮った写真で、喜んでいるはずなんだが、うっかり「所在なげなハリル」のような写真になった。

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2018年6月 2日

「ハリルホジッチお面」をつけて、少なくとも2戦は日本代表の試合をパブで観る予定であることをお知らせします

 表題の通り、ついカッとなって、ハリルホジッチのお面を作った。

 ディテールを高めるためにお面だけでなく、その他の部分でもできるかぎりの準備を整えている。もちろん、心も整えたい

 ロシアW杯に向けた日本代表をとりまく状況があまりにもダウナーで、ここまでワクワクしないワールドカップになるとは想像もできず、日本サッカー協会のせいでつまらなくなった日本代表のありかたに憤慨して終わるのでなく、できる限り自分なりに楽しめるワールドカップにするためにできることはないかと思い、ハリルホジッチお面をつけることにした。

 

 もしハリルお面に文句があるなら、田嶋会長に言ってくれ、という気分だ。 

 でもきっと多くのサポーターはハリルお面を見て、それなりに乾いた笑いを共有してくれるのではないかと思う。4年ぶりの大一番で、想像もしなかった監督がテレビにアップで映って、何がポリバレントだポリデントじゃねえぞ的な気持ちになりそうな中、みんなでハリルホジッチ監督のことを、そしてパラレルワールドのように「あったかもしれない、もうひとつの日本代表」のことを想うのだ。そのかたわらで、ハリルのコスプレが一人ぐらいいてもいいではないか。ましてや、試合の日のパブリック・ビューイングはどこも入場料を払って来店しているわけだから、ハリルお面の男をみて「日本代表にはもともと期待してなかったが、ちょっとは笑えたし、まぁいいか」と一人でも多く思ってもらえたら、うれしい。

 

 というわけで、私なりのサッカーへの愛を、ふたたび「お面ネタ」で披露させてもらうことになる。今月41歳になったばかりなんだけどな、やることは2002年と変わってない感じで、そしてワールドカップに関しては、あの時期の気持ちのまま、変わっていない。

 

 というわけで初戦のコロンビア戦は観戦しやすい時間帯なので京都の三条のHUBで予約を取った(仕事帰りに、ハリルのお面・・・)。

 2戦目のセネガル戦については、この日にオルカ鴨川FCの応援に行っているので、東京にいられる! となり、かねてからずっと行ってみたかったサッカーパブの聖地、恵比寿FooTNikの予約をゲットした(翌日もちろん仕事休みますすいません)。

 ひとまずこの2連戦、公共の場でハリルホジッチになる予定。フランス語喋れないけど。

 

 もしかしたら当日になったら、ほかに同じネタを仕込んでいる人に出くわすかもしれないが、それはそれで。お手やわらかに。

 

 ちなみに今読んでいただいているこの文章の下書きは、その第一戦の会場となるHUB三条店内で書いた。チケットを電話予約したとき、「なるべく5月中にお店に来て、前もってチケットを購入しておいてください」と言われたので、その通りに店にいき、ついでに一杯飲みながらいつものようにポメラでブログを書いているわけだ。さらにレジでは店員さんに勧められてついついHUBのポイントカードまで入会した次第だ(良い商売だ)。 しかもそろそろ帰ろうかと思ったら、さっき応対した店員さんが通り過ぎざまに、壁の張り紙を指差して「チャンピオンズリーグ(決勝のパブリック・ビューイング)もやってますので!」と言ってきた。すかさず「知ってるよ!」と叫びたいのをガマンする。

チェルシーファンにも遠慮なく喧嘩売ってくるあたり、よい店だ。

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2015年7月 2日

なでしこの決勝進出、ツェフの移籍。

 仕事中の朝に試合がライヴで行われているので、今日の準決勝の劇的な幕切れもあまり実感がわかず、そして決勝戦も生中継を観ることがないままに過ごすことになりそうだ。もし仮にW杯連覇という偉業を達成しても、その状況を見続けていた4年前ほどの感動は得られないのだろうが、これはこれで別の意味合いでもの凄いことだと実感しつつある。つまりワールドカップで日本女子代表が、決勝を闘っている状況を、わりあい冷静に受け止めながら日常を送っている、っていうことに。

 カナダからイングランドに話をうつすと、この11年間チェルシーを支えてくれていたペトル・チェフのアーセナルへの移籍がついに決定した。

 しかしこの移籍のすごいところは、クラブ側が実に愛情と感謝に満ちた雰囲気で彼を送り出し、ファンも選手も皆が納得して、チェフの新しいチャレンジを応援できるような展開を作り出せたことだ。この意味で、これは歴史的な移籍劇だったのではないだろうか。

 アーセナル側の関係各位は脳天気に喜んでいるだろうけど、果たして君らはこの数年間、こういうハートフルな形で主力選手をよそのクラブに移籍させてあげられたことがあったか? ということをチャントに乗せて歌ってやりたい気分なのである(笑)。赤デビルしかり、水色シティしかり。

 かつてツェフが加入したときに、クディチーニがセカンドGKとして立派にベンチを守ってくれていた。その役割をクルトワ加入後にツェフも担ってくれていた。そういう意味でツェフがいた11年間、チェルシーはおそらく世界でもっとも豪華なキーパー陣を擁していて、キーパーで悩む必要がなかったのは本当に幸いだった。

 寂しさが薄いのは、ツェフもいつかは再びチェルシーに戻って仕事をしてくれそうな気がするからだ。たとえばクディチーニとともにキーパーを育ててくれたりしたら・・・そんな夢のような状況を想像してしまえるのは、やはり幸せなことである。

Carlo_cech

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