2020.01.03

『キネマ/新聞/カフェー:大部屋俳優・斎藤雷太郎と「土曜日」の時代』、そして『スヌーピーの父 チャールズ・シュルツ伝』のこと

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 あけました。今年もよろしくお願いします。


 年末から年始にかけてブログを書きあぐねていた。単にダラダラしていただけなのだが、年末に読んだ2冊の本のことを書こうとしていて、うまく消化できていないのか、コトバにできなかった。それでも正月明けのこの時期には、少しは気合いを込めて文章を書いてみたいと思う。

 強引にまとめると、この2冊を私は同じようなテーマをもって読んでいたといえる。そのテーマとは、「一人の人間がコツコツと何らかの活動を続けること」だった。

『キネマ/新聞/カフェー:大部屋俳優・斎藤雷太郎と「土曜日」の時代』(中村勝・著 井上史・編、ヘウレーカ・刊)は、1930年代に京都のさまざまな映画撮影所を転々としていた無名の大部屋俳優、斎藤雷太郎が「読者が書く新聞を」の想いで手弁当で『土曜日』という新聞を発行し、やがて反ファシズムの文化運動として弾圧されていった、その歴史を描いている。


キネマ/新聞/カフェー――大部屋俳優・斎藤雷太郎と『土曜日』の時代

中村 勝
ヘウレーカ (2019-12-14)
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 この本の主役である斎藤雷太郎は、困窮のなかから家具職人になり、ひょんなことで舞台・映画界に関わっていくようになり、そのなかで激動の世情をまとう政治や文化に関する見聞を独学で身につけつつ、映画界の不安定な世界を必死に渡り歩きながら、1936年に『土曜日』という新聞を創っていく。「読者が書く新聞」を目指す以上、執筆者たちには平易な文章を徹底して求め、さまざまな層の読者に届かせることを強く重視したり、また今も京都に残る「フランソア」のような喫茶店に設置してもらって販売網や読者を広げていくというアイデアなども斎藤による工夫の表れであった。

 そしてやがて迫り来る言論弾圧の流れのなかで斎藤たちの活動も押さえられることになるのだが、驚くべきはこうしたインディペンデントの新聞事業を「黒字」のままで運営できていたことであった。これはもう相当に凄いとしか言いようがないわけで、こうした活動における「高い理想や主義主張と、経済観念のバランス」の取り方が示唆するものは興味深いところである。原稿を依頼する学者先生たちとの協動に苦心しつつ、広告主への営業をかけていき、そうして読者からの声も紙面に反映させて、どんどん流通を工夫して発信を続けるという、この絶妙な舵取りを最後まで「黒字」でこなしていった斎藤雷太郎の人物としてのずば抜けた興味深さが浮かび上がってくる。

 そしてこれはありきたりな感想になってしまうが、斎藤雷太郎が目指していたものは、そのまま現代におけるSNSの仕組みに近いところにあったわけである。だが、SNSでは成し得ない独特の機能が『土曜日』の試みにはあり、それはカフェで新聞を囲んで議論をするというような、生身の人間同士のかかわり合いを創出することであった。そういう意味では「紙の発信」の普遍の強みみたいなものも伺えて、そこが個人的には感じ入るところでもあった。

 この本は著者である中村勝が、晩年の斎藤雷太郎への取材を通して80年代に京都新聞紙上で連載をした内容がメインとなっており、その中村氏が昨年に急逝したことを受けて、有志の尽力によりこのたびの刊行となった。ゆえに読者は、当時の新聞連載の記事内容と、その斎藤雷太郎の活動を追ったジャーナリスト・中村勝の想いといったもののはざまで、ふたつの次元で対話をするように読むこととなる。新聞連載時から幾年も過ぎたあとの今の時代だからこそ語り得る、編者たちによる解説・解題によって、最後の最後でうまく腑に落ちていく感覚があった(たとえば新聞連載では、途中から話の主題が当時の京都の映画産業をめぐる精緻な歴史事実の整理がひたすら続くような様相を示していくことになり、本来のテーマからどんどん離れていくような不安を覚えるのだが、それもまた当時の新聞連載の独特の雰囲気を想像しながら読むほかない)。
 あと巻末には、この本のために書かれた、斎藤雷太郎の息子さんによる寄稿があり、これがじつに素敵な味わいのエッセイとなっていて、斎藤雷太郎の人となりが温かい手応えとなって残った。

 

そして年末を飾ったもう一冊の本は『スヌーピーの父 チャールズ・シュルツ伝』(デイヴィッド・マイケリス・著、古屋美登里・訳、亜紀書房・刊)である。スヌーピーの漫画『ピーナッツ』の作者についての決定版ともいえる重厚な評伝で、待望の翻訳が刊行された。


スヌーピーの父 チャールズ・シュルツ伝

デイヴィッド・マイケリス
亜紀書房
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 この本をひとことで表現するとなれば「ダークサイド・オブ・ピーナッツ」と言えるもので、訳者あとがきによれば、取材協力した遺族からは出版された内容をみて憤慨されたようで、このあたりはジャーナリズムのあり方としても非常に難しいところではある。残された手紙や資料なども駆使し、作者シュルツの暗部にもしっかり踏み込んで書ききっているため、『ピーナッツ』の漫画にたいする理解がさらに深まっていく(人によってはショックを受けたりもする)本となっている。


 私はかねてから、いわゆるキャラクターグッズの商標として用いられる『ピーナッツ』のキャラクターが表象するかわいらしくて無邪気な雰囲気とは裏腹に、原作の漫画について語られる、独特の辛辣さや寂しさみたいなものがどうしても気になっていて、この世界を創造した作者シュルツの個人史が大きく反映されているという説にずっと関心があった。なのでこの本を読むと「やっぱりそうだったのねぇ」と、まるで長年の問いにたいする答え合わせのような部分があちこちで顔を出すのである(たとえば、子供と犬しか登場しない漫画を描き続けてきたはずの作者シュルツ自身は、実生活では子供が苦手で嫌いだったりしたようである。でもだからこそ客体として突き放した角度から眺め、漫画として表現しやすかったのかもしれない)。

 そしてこの本でたびたび驚かされるのは、そうしたシュルツ自身の生活における浮き沈みにまつわるさまざまな感情的発露が、その当時描かれた漫画の端々に暗に込められていることを、評伝の著者が漫画作品の引用を通していくつも示唆していることである。つまりシュルツは、周囲の人間を信用していない代わりに、全世界にいる漫画の読者にたいしては自らの気持ちをペンを通して秘やかに吐露していくことで、なんとかバランスを取っていたことが伺えるのである。どれほど作品が成功を収めても常にあらゆることに不安を抱え、表向きは謙虚でも、その内側では途方もない野心と対抗心を燃やし続け、漫画を描くこと以外の自信は得られず、画板の前に座りペンを動かすことによる平穏だけを求めて苦悩の日々を過ごしていたシュルツの姿が想像される。

 あと私がとくに気になっているのは、シュルツの漫画家デビュー前の軍隊時代の部分である。著者はアメリカ人だからかそのあたりはあまり重視しなかったのかもしれないが、軟弱な(?)子供時代を送ったはずのシュルツ青年が、病死で母親を失った直後の失意のなかで入隊させられた軍隊で、どういうわけか驚くほど順応し、階級も上がっていき部下からも慕われる軍人に成長してその任務を全うしていくのであった。絵を描くこと以外においては「何をやってもダメで悩み多きチャーリー・ブラウン」そのままのような子供だったはずのシュルツが、アメリカの軍隊というシステムのなかで極端に順応していった(させられた)ことについて、私からすれば「そこにこそシュルツのその後の人生全般における屈折した何かを読み解くカギが眠っているのではないか」と思えてしょうがないのである。(アーティストと軍隊生活という意味では、最近の映画『トールキン 旅のはじまり』にもつながるテーマかもしれないが)。

 この本のエッセンスが見事に凝縮されたと思える一文が446ページにある。

敵の縄張りにいる感覚、悪意のある攻撃を受けている気持ち、ウェイトレスと戯れて恋愛に発展する可能性(シュルツの両親の出会いがそうだった)、遠くのどこかにいるまだ見も知らぬ素敵な少女――そういったものすべてがシュルツがこれまで体験してきたテーマだった。それが田舎育ちのいとこのなかでたったひとりの都会っ子として、美術部の生徒たちのなかで自分のあり方を求めていた孤独な高校生として、フランスからドイツに侵攻していった陸軍歩兵として、さまざまな編集者に次々に拒絶されてきた大志を抱く漫画家として、自己矛盾を抱えた60年代の有名人として(「一瞬にして持ち上げられたと思ったら、次の瞬間には地面に叩きつけられている」)、愛されたことがあるかどうか疑っている永遠に少年らしさが抜けない、永遠に孤独な男として生きてきたシュルツのテーマだった。

 

 ちなみに時を同じくして、河出書房新社からは『完全版ピーナッツ全集1950~2000』が刊行されることとなった。谷川俊太郎の日本語訳で古くからたくさんの単行本が刊行されているが、全作品を収録する全集としては意外にも日本初の試みということで、全25巻が刊行予定となり(さんざん逡巡したあげく私も発注した)、このタイミングでの『シュルツ伝』の刊行の意味はとても大きかったと思う。

ちなみにこの『全集』の各巻での装丁デザインは、どういうわけかキャラクターの顔に「影」がかかっているところが、非常に興味深いのである。『シュルツ伝』を読み終えた読者の目には、その陰の部分にこそ、この膨大な漫画作品の本質的な何かを感じ取ってしまいたくなる。

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そういうわけで、この年末には「自らの信じるものごとをコツコツと探求し続けてきた人」の本を読みきったわけだが、そういえば12月初旬には、「自らの信じるものをひたすら歌い続けてきたロックバンド」であるU2の来日公演を体験していたこともブログにはまだ書いていないことに気づく・・・その話はまた今度で。今年もできるかぎりコツコツ文章を書いていきたい。

 

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2019.12.18

今年も鈴鹿にいった話

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今年も11月のとある金曜日に休みをもらい、鈴鹿サーキットへ行ってきた。4年前、たまたま金曜日に休みを取ったが特にやることもなく、「久しぶりに鈴鹿へ行ってみようかな」と思いつき、偶然その日が「Sound of Engine」という、ヒストリックカーの走る週末のイベントのための「練習走行日」にあたることを知ったのである。で、いざ行ってみるとそこには写真でしか観たことのないような古いF1マシンがたくさん並び、パドックからピットガレージ、そしてピットウォールまで歩いていけて、丁寧にメンテナンスされた古い車のエンジン音やその走りを浴びるように体感できたのである。それがきっかけで私は、それまですっかり遠のいていたF1グランプリの世界に再び目を向け、特に70年代から80年代あたりのレトロなF1マシンを追うことに人生の愉しさを見いだせる方向性が残っていることに気づき、それ以来この時期はかならず金曜日に休みを取って鈴鹿を訪れているのであった(しかも金曜日は遊園地に入る料金だけでサーキットエリアにも立ち入ることができる。これ以上ない素敵な空間なのである)。

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 しかし、イベント公式サイトの最新情報を日々チェックするうちに、どうやら昨年までのメインスポンサーであるRichard Milleが今年は撤退したようで、その影響で海外からやってくるマシンの数が相当減っていることが伺え、そのあたりからちょっと不安な気持ちになっていった。
 それでも今年は6輪ティレルP34が目玉マシンとして登場するし、その一方でこちらもレーシングカーの歴史に残る革新的なティレルの名車「019」も走るわけで、期待は十分抱いていた。

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 で、実際に来てみると、どうも運営側は昨年までの「ユルさ」を許さない雰囲気のようで、盛んに「一般客はスタンドから観てください」とのアナウンスが繰り返された。もちろんほぼすべての客は去年までもずっと節度を守っているはずなのだが、こう言われても仕方のないほどにユルい、つまり「危険な状態」にあったことは同時に認めざるを得ない。私も2年前にはたまたま2つのピットの間の支柱あたりに身を寄せていたせいで、「自分のまわりを5台ぐらいのF1マシンがアイドリング状態で囲んでからピットアウトしていく」という、なんとも非現実すぎるシーンを味わったのだが、冷静に考えるとかなり危ない立ち位置でもあったので、今年はそういう場所そのものに一般客を立ち入らせないような対応になってしまった。その影響か、各団体のガレージも今年はシャッターを下ろすところが多かった気がする。モータースポーツって見せ物だし、このイベントは競争が目的ではなく、テクノロジー面での企業秘密などは無関係の「クラシックカー」のイベントなのだから、そのへんはもっとオープンでいてほしいのだが、図に乗ったマニアのわがままが過ぎると言われたら、何も言い返せない。

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そんなわけで、間近でエンジン音を聞くぐらいがかろうじて可能な楽しみ方で、あこがれの古い車に鼻先をつけるぐらいの距離でじっくり観察できる機会は稀だった。
今回のゲスト・ドライバーのひとり、ピエルルイジ・マルティニと、彼の所有する6輪ティレルP34の練習走行前などは、さすがにお客さんもピット前に集合していて(もちろん節度は守りつつ)、私もその一人だったわけだが、どうもマシントラブルが直らなかったようで、練習走行の時間には間に合わなかった。マルティニも走りたかっただろうに。

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そんなわけで例年になくテンションは下がる一方だが、さらに追い打ちをかけるように、サーキット内のレーシングカート場「アドバンスドカート」が閉鎖されていたのである。この跡地にできるカートのアトラクションが、どうも「親子でチャレンジ」みたいなことが書いてあって、これもイヤな予感しかしない。

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レーシングカートが誰でもちょっとした講習ののちに運転できる場所というのが、遊園地という装置のすぐそばにあるということがこの鈴鹿サーキットのすばらしい点だと思っていて、遊具とかアトラクションとは無縁の「ガチのレーシング体験」ができてこそ、サーキットならではの取り組みだと思っているのだが・・・そして何よりペーパードライバーである私が年に一度だけ運転免許証を持っていることに意味が見いだせるような、エンジン付き自動車を思い切り運転できる貴重な場であったので、秋晴れの空の下、受付のあった暗い入り口の前でしばらく固まってしまった。

そんなわけで、毎年の秋の秘かな楽しみだったこのイベントもひとつの曲がり角を迎えているのかもしれないが、「回顧的モータースポーツ趣味」という新たなジャンルを見つけさせてくれたこの場所にはやはり感謝しかない。
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そして今年になってようやく気づいたのだが、YouTubeでは、古いF1レースの中継映像を世界中のマニアがアップしてくれているのである。なのでもっぱら最近はそればっかりをテレビで流す生活を送っている。いろんな言語の動画があるのだが、中学生だった当時の私が知ったら卒倒しそうな貴重映像がいくらでも無料で観られる時代になっており、写真でしか観たことがないF1マシンの、実際の動く様子が手軽に確認できてしまうわけで、こんな時代がくるとは・・・と遠い目で画面を眺めてしまう。

 

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そんなわけで、最近は静かに自分のなかで、ふたたびモータースポーツ熱が高まっている。ただし後ろ向きのベクトルで、だが。

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2019.12.14

MARTINI RACING風のウェットティッシュケース

ふとキャンドゥの100円ショップにいったら、こういうものをみつけた。

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ウェットティッシュのケース。

白くて角張っているのがとってもいい感じ。

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中ふたが着脱可能なので、そのへんもよくできている。

 

最初これを出先のキャンドゥでみたとき、荷物がかさばるので、後日あらためて他の近所のキャンドゥで買おう・・・と思ったのだが、いざ探してみるとぜんぜん他の店になくて、こういうのは100均とはいえ一期一会なのねぇと痛感し、面倒だったがもう一度同じ店に出向いて購入。(追記:Seriaでも売っているみたいです → こちらなど参照)

 

これを欲しくなった理由としては、パソコンで印刷したシールでデコレートできそうだと思ったからである。

というわけで、最近凝っている、レトロでちょっとケバい雰囲気の「MARTINI RACING」風にアレンジしてみた。

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▲こういうイメージです。

 

いくばくかの試行錯誤の末、シールを貼ってみると・・・



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うむ。

深く考えずにシールを配置してみたら、なんだかプレゼントのリボン包みみたいなノリになったので、妙に可愛げが増したな。

以上、最近の工作ネタです。

 

★作ったシールの原画のPDFをアップしてみます

ダウンロード - martinie382a6e382a7e38383e38388e38386e382a3e38383e382b7e383a5.pdf

 

 

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2019.11.11

ずっと気になっていた「地味ハロウィン」に参加してみた話

 

 案の定、ひとりで「地味ハロウィン」に行ったことは友人たちにバレてしまったわけだが。

 あらためてブログでその報告をしたい。

 

 デイリーポータルZが数年前から提唱している「地味ハロウィン」はかねてからぜひ参加したいと思っていたイベントだった。今や類似のイベントがほかの地域でも行われるようになってきたのだが、やはり最初は本家本元での現場を味わってこそだろうと思い、こっそりと渋谷の東京カルチャーカルチャーまで行ってきた。

 ところで、地味ハロウィンに参加するにあたって最大のポイントは言うまでもなく「自分はどんなネタで仮装をするのか」にある。以前からあれこれと妄想を重ねてたどり着いたネタがいくつかあり、そのうちのひとつにしぼって数ヶ月前から少しずつ衣装をそろえていたのであるが、初めての本家・地味ハロウィンが近づくにつれて「果たして本当にこのネタでいいのだろうか、そして自分の人生はこれでいいのだろうか」といったような疑念が消えることはなかった(まぁ、だいたい毎日そういうことで思い悩んでいる気もするが)。

 

 そんななかイベントの直前になって、ある友人がかつて「速読術を教える塾みたいなところで事務アルバイトで入ったはずが、腕を見込まれて、速読を教える側になった」という話をしていたことを急に思い出し、「ー!!あああああ!!」となった。

「速読術の指導者」。 シャツにネクタイ(つまり普段の仕事着)、それに分厚めの本を一冊持って行けば完成する仮装。これこそ地味ハロウィンらしいネタではないだろうか。そして毎回写真でみる限り、参加者は「名札」をぶらさげることになりそうだから、その名札も含めて速読術を教える人っぽい雰囲気になりそうだ。

 ・・・と、思いついた直後の盛り上がりから、時間が経つにつれ冷静さが加わってくると、この地味ハロウィン独特の難しさに直面することになる。それは「ある対象となるものを自分が表象すると、その対象をどこかでバカにしていると見なされる」という問題である。

「あんたは速読術をバカにしてんのか!?」と言われると、うむ、たしかに心のどこかで「ホントに読めてんの?」と思っている部分があるのは認めざるを得ない。その一方でほんのちょっとだけ、「できることなら自分も速読を身につけてみたい」というあこがれの気持ちもある。で、速読術というよくわからないものごとについてそれを教えることが仕事になっている人が(自分の友人も含めて)この世の中に存在していることに「マジか!」という素朴な驚きがあるわけで、その驚きをほかの人とも分かち合いたい勢いだけでネタにしてしまった部分もあり、このあたりはなんとも言い難い部分である。そういうことを考え出すとたちまちモヤモヤすることとなったが、すでにそのときにはシャツにネクタイ姿、そしてカバンには分厚い本が入っている状態で新幹線に乗っていて、早朝から渋谷の東京カルチャーカルチャーに向かっていった次第である。

 駅を降りて歩くなかで、周りの人々もひょっとして地味ハロウィンの仮装をするのだろうかと妄想すると、歩いているだけでニヤニヤしそうになる。それと同時に、会場に近づくにつれてやはり緊張感も出てきて、開始時間までまだ時間もあるし、どのタイミングで会場入りすればいいか考えあぐねつつ、ビルの周りをうろうろ周回したり。

 今年の地味ハロウィンは事前に無料チケットを申し込み、3部入れ替え制で行われた(つまり去年あまりにも人が殺到したらしいのである)。Peatixのサイトにつながり、スマホに同社のアプリを入れたらスマホ画面からチケットが表示される。

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 会場に入る前に、入り口に置かれたカウンターで名札に「どんな仮装をするか」を記入するよう求められた。マジックペンが備え付けられているが、自分でペンを持ってきたら自由な色でカラフルに書けるだろう。名札ケースには白色と緑色が用意されていて、緑を選ぶと「取材NG」という意思表示になる。カウンターのテーブルには「地味ハロウィン」のロゴ入りシールとかデイリーポータルのステッカーなどが無造作に置いてあり、早いもの勝ちでもらえるような状態だった。
 で、この時点で周りの人たちが名札になんと書くのかが気になってしまったり、逆に自分の(あまり自信のない)ネタをここで書いてしまうことに、どことなくためらいが生じる。単なる名札に何かを記入するのに、ここまで気恥ずかしさや戸惑いを覚える感覚は新鮮である。

 開場までまだ時間があったようで、店の裏の非常階段みたいなところに順番に整列させられた。ライヴハウスの開場前みたいなノリだが、さっそく怪しげな装いの人や、まったく何のそぶりも見せない一般人的な人まで(まぁ、ほぼすべてここにいるのは『一般人』というカテゴリーなのだろうけど)ずらっと階段ぞいにたたずみ、その人たちを横目に結構な階数を上った気がする。何人かは先ほど書いた名札をつけていたので、どうしてもそこに目がいくし、私は私で恥ずかしさのなかで慎重に名札を見せないように階段を上がっていった。

 やがて開場とともに再び下の階に移動し、お店のあるフロアに戻ってきた。男女それぞれに更衣室も案内されるが、更衣室内に荷物を置いたままにはできず、クロークやコインロッカーなどもない。荷物は参加者各自で持ったまま動くことが求められるので、もし仮装の関係で大きい荷物になる場合はこのあたり事前に注意が必要だ。

 ステージのあるメイン空間には中継動画配信のスタッフさんやら、デイリーポータルZのライターさんたち、そして東京カルカルのスタッフが、朝一発目の回ということもあって、文字通り「待ちかまえて」おり、そこにぞろぞろと「一般人たち」が足取りもおぼつかずに加わっていく感じになった。私は更衣室も必要としない素のままの格好なので、なおさら浮かないようにと、とりあえずカバンから分厚い本だけ取り出して、名札を表に向けてかけて、そのままステージでしゃべっている林さんと古賀さんを直立不動で眺めていることしかできなかった。デイリーポータルのイベントに来たのは久しぶりなので、お二人を拝見するのは10年以上ぶりであった。いつも記事を読んでいるから分かっていたが、お二人ともお変わりなく、陽気な雰囲気で心和んだ。

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 そんなわけでオープニングのトークが展開され、さっそく参加者が一人ずつステージにあがって仮装を披露する運びとなった。受付で渡された名札カードの裏には整理番号が印字されていて、その番号順を目安にステージに上る。動画の中継もあるからか、テンポよく次々と順番に紹介されることになるわけで、もしあまりに張り切って早めの整理番号を受け取ってしまったら、自分の場合はテンション的に厳しかったかもしれない。なお、整理番号順にフロア脇の待機コーナーに並ぶことになるが、「いま何番から何番までお呼びしています」というアナウンスが特にかかることはないので、並んでいる人や、待機列の端にいるスタッフさんあたりに個別に直接尋ねて、いま何番目ぐらいの人が並んでいるかを知ることとなる。なのでステージにあがる決心がつかない人でも、クヨクヨと悩んだあげくに遅れて並ぶこともできるので、このあたりのユルい感じは大切だ。

 

 列に並んでいるあいだに、スタッフから小さいホワイトボードとペンを渡され、そこに名札と同じように「何の仮装か」の説明を記入する。ステージにあがるときにMCの古賀さんに渡すと、「何の仮装でしょうか」と問われて自分が答えるときに、ホワイトボードを客席に向かって提示してくれる。一人で来ている人は荷物ごとステージにあがって、適当なところに荷物を置いておいて、トークが終わったらホワイトボードを持ったままステージ上手のほうに移動して、スタッフによる写真撮影をしてもらって、ステージを降りて客席に戻るという流れだった。各回が3時間のイベントで、おそらく参加者は150人から200人ぐらいで、舞台上では一人1分ぐらいの感覚で回っていく。

 

 私の整理番号は58番目だった。いざステージにあがると、緊張と戸惑いの入り交じった不思議な時間が一瞬で流れていった感じである。林さんと古賀さんに挟まれつつ、言いたいことは言えたし、それなりにフロアの人々も笑ってくれたので、ひとまず安心した。どちらかというと「顔芸」で勝負するネタのような感じになったが、これは緊張や恥ずかしさが高ぶっていたがゆえかもしれない。

 

 ほとんどの時間は床に座って各参加者の仮装披露を楽しませてもらったわけだが、新しい発明品の披露のような、次々と繰り出されるイノベーション(?)に「そう来たかー!」とうなってしまうばかりであった。このあたりは公式サイトでまとめられているので(私のネタも含め)じっくり堪能していただければと思う(こちら)。そして「よくこんな小道具を準備しましたね」っていうポイントにはすかさず林さんや古賀さんからツッコミが入るのだが、かなりの割合で「Amazonで買いました」という返答だったので、つくづくAmazonっていろんなものが売っているのね・・・と感じさせたり。
 そして、ステージ上で仮装を成立させるためにポーズを取ったり「キメ顔」を披露したりする参加者の多くがとても素人とは思えない巧さで、ひょっとしたら演劇部出身の人が多いのかもしれないとすら思えた。

 

 そして今回参加して、何が最も印象的だったかというと、それぞれの仮装ネタ以上に、それらを打ち合わせナシで即興で応対していく林さん・古賀さんによる細やかで見事なさばきっぷりなのであった。この企画に参加するにあたって、仮装の内容が事前に審査されることもなく、それぞれが好きなように仮装ネタを持ち込んでいくわけなので、ステージ上のお二人(そして運営側スタッフ全員も)は、これからどんなネタが持ち込まれるかまったく分からないまま、次々とコメントをつけたりツッコミを入れたり笑ってあげたりする。この反射神経、引き出しの多さ、臨機応変・変幻自在のトークにはひたすら感銘を受けまくった。
 たとえば「正直、あまり面白くないネタ」だったり「あまり笑えないネタ」というのもあるわけだが、そういうものも林・古賀の手にかかると、それなりに見どころのある仮装として成立するようにちゃんと笑顔になれる着地点を持って行く。もはや、「地味ハロウィン」のイベントとしての存在意義がどーのこーのと言われることとかを超越して、このイベントを考えついて実行に移したデイリーポータルZという老舗サイトの、常に斜め上をいく面白さを体現しつづけてきたこのお二人の鬼才とも言えるポテンシャルがいかんなく発揮されまくる進行っぷりを目の当たりにできることが、このイベントのすべてかもしれない。

 そんなわけで一通り仮装の披露が終わると、残り時間はフロアでの参加者同士の談笑や写真の撮りあいのような流れになった。

 私が今回の参加者のなかで「これは!」となったネタのなかで、特にひとつだけ挙げるとすると、この人かもしれない。




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 「登山具店のマネキン」。

これを自分が思いつかなかったことを大いに悔しがらせるような、そういう意味でこれこそが地味ハロウィンのお手本のような作品ではないだろうか。(マネキンに問いかけると、やはり『暑いです』と答えてくれたが 笑)そして談笑タイムのときに参加者があちこち動き回っているときもこの人は壁際でマネキンらしく微動だにせず固まってポーズを取り続けていたので、そのあたりのプロ根性(?)を見るにつけ「この人は信頼できる・・・」と思わせた。でももし次の機会のときに別の仮装でお目にかかっても、言われなければ「あのときのマネキンの人だ」と分からないのが残念ではある(笑)。

 

 そして突然、マイクをもった女性と、デジタルビデオカメラをもった男性が近づいてきて「取材いいですかー?」と聞かれた。「フジテレビ 報道」と書かれた腕章がネックストラップから下げられていて、失礼ながら「これは仮装ですか?」と真剣に聞いてしまったが、「いえホンモノです」と言われ(それでもどこかで疑ってしまわざるを得ないのがこのイベントの面白さの一部であるが)、素直に取材を受けた。一通り速読術の指導者として本をパラパラめくって見せたり、速読術ができるのかと聞かれたり(できません)、普段の職業を聞かれたりした。放送されるとすれば明日の朝になりますと言われたが、念のため確認したら関東ローカルなので、関西では観られなかったため、それはそれで少し安心した(笑)
 そうして最後に集合写真を撮って解散となる。何せ3部入れ替え制であり、このあたりは潔くすみやかな退室が求められるので、本をカバンにしまって東京カルチャーカルチャーを後にした。それにしても3時間のこのイベントを1日に3回転するというのは、かなりの労力であろうと想像される。

 

 そう、冒頭に述べた通り、私は今回この地味ハロウィンに出ることは友人たちに伏せていた。しかしさすがSNS、結果的にいろいろと反応をいただく。

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特に「!」となったのはこれである。

 

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仕事で交流のあった中国からの元・留学生さんが、本国からメールで教えてくれたのであった。。。

中国でも紹介されてんのか!!!(笑)

この「速読法の指導者」が、

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って文言で紹介されると、もはやこれはネタなんだかよく分からないスケールの話になってきた。

 

 ・・・そんなわけで、もし良いネタが新たに思いついたら、またこの現場に戻ってきたいと思う。そういう「くだらないこと」にも思いを馳せるだけの心の余裕をもって日々の身の回りを観察していくことって、実はものすごく今の日本で生きていくなかで大事かもしれないとマジで思っている。

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2019.10.25

なぜこの写真がジワジワくるのか

先月にこういうツイートをした。

 

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サッカー選手たちの練習場でのヒトコマ。

なんてことのない写真ではあるが、ジワジワくる面白さがあって、でもその理由がうまく説明できず、モヤモヤしているのである。今も。

 

その直後に友人のToyottiからこういう返信もあった。

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なるほど、「丈長めの練習着の統一感」というのは、たしかに面白さに寄与している要因かもしれない。

しかもこのスタートレックの写真、見事に服装の色がブルーで、そこもオツである。

で、このネタについてあらためて先日ふと思い出して、スマホに保存してあった画像を見返しては、「うーむ、なぜ面白いのだろう」とふたたび考え込んでしまった。

そこでひとつ、新たな説を思いついた。

 

これは背景の問題なのかもしれない、と。

 

チームの練習場で、広いグラウンドの、特に何てことのない場所でたたずんで、複数の人間が固まって写真に収まっていることで、適度に背景が遠くに浮かび、その「なんとも言えない中途半端な場所っぷり」が、この面白さを支えているのかもしれない。

もし、このポーズのまま、たとえば「浅草の雷門の前」みたいな観光地で記念写真に収まっているシチュエーションを想像してみると、とたんにこの様子は「ありきたり」に思えて、あまりそこまで面白くないかもしれないのだ。

・・・と、ここまで書いても本当にそれが答えなのかどうかも自信がもてず、さらにいえば「だからどうした」っていう話ではあるが。

まぁ、基本的にこのブログは「だからどうした」ってネタばかりですが・・・

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2019.09.23

F1メカニック対抗いかだボートレース、そして過去の不思議な縁について

かつてF1を熱心に追っていた頃、「カナダGPが行われる場所はセントローレンス川の中州なので、各チームのメカニックによる手作りいかだボートのレースが毎年行われている」というのを本だか雑誌だかを読んで知り、世界中をサーカスのように回るF1関係者たちのつかの間の娯楽として、その光景を想像しては微笑ましい気分になっていた。

それがどういうイベントなのかあくまで想像するしかなかったのだが、こうして数十年たつとYouTubeみたいなものが出てきたわけで、ふと思い立って調べると、やはりそのボートレースの様子もいくつかアップされていた。いつものことながら、こうして過去に自分が知りたかった物事が映像として観ることができることに、あらためて驚異を覚える(そうやって過去の想い出ばかりに浸って、現在のテレビをますます観なくなるという症状もあるのだが)。

で、最近の様子は(こちらの動画)で確認できるが、どうやらレッドブルがスポンサー?みたいな感じになって、いかだの作り方ももしかしたらルールが設定されていて、そしてチームだけでなくFIA(国際自動車連盟)の関係者も参加していたり、イベントとしてオフィシャル感があったりする。レッドブルは何にでもお金出すのねぇ、と(笑)。

そして約30年前、1990年に行われたレースの様子も確認できる。(こちらの動画)より・・・こちらはかなりフリーダムでカオスな世界が展開されていて、たぶん長らくはこういうノリでやっていたんだろうと想像される。フェラーリは資金と技術力を投じてガチなモーターボート状態のマシンを作り込んで参加していて「それは、いかだじゃないだろう!」とツッコミを入れたくなるし、逆にお金のなさそうなチームは本当にありあわせの材料だけでいかだを作っていて果敢に川に漕ぎ出していて、その対比がなんとも哀愁を誘う。なまじF1マシンのメカニックたちだからそのへんの廃材を組み合わせて船を作るなんて朝飯前のようで、それぞれに工夫?が見られるのも興味深い。なにより半分冗談みたいなノリが大らかでいいなぁと思う。

ちなみに、なぜ急にそのいかだレースのことを思い出したかというと、ネルソン・ピケという往年の名レーサーについてウィキペディアで見たことがきっかけである。実はピケは、このお遊びのいかだレースのために優勝トロフィーを用意したらしく、それからは「ネルソン・ピケ杯」という名称でいかだレースが行われていたとのこと。牧歌的な時代の空気を感じるなぁ。

そしてなぜウィキペディアでネルソン・ピケについて調べたかというと、昔のピケが、他の周回遅れのマシンのミスで追突されてリタイアし、腹が立って相手のドライバーに殴りかかった動画を久しぶりに見たからである。これは大昔から「世界のスポーツ珍プレー」みたいなテレビ番組で必ず紹介されていたようなシーンなので、子供の頃から記憶に強く残っていた。(この映像)である。時代は1982年で、私がF1ファンになるだいぶ前の時代の話なので、リアルタイムではもちろん体験していないシーンだ。

で、よく考えたら私はこのとき殴られた側の、マイナーなチームのマイナーなドライバーのことを知らないままだった。この人はエリセオ・サラザールという、今に至るまでチリ出身では唯一のF1出場経験のあるレーサーとのこと。そしてサラザールについてウィキペディアで調べると、驚きの事実が分かった。彼にとってレーサーとしてチャンスを掴んだ転換期ともいえる偶然の出来事があって、1979年にイギリスでF3レースを観たあとにヒッチハイクで帰ろうとして、そのときにたまたま拾ってもらったのが、当時ブラジル人出身の若手有望F1レーサーとして頭角を現しつつあったネルソン・ピケだったとのこと。同じ南米出身ということもあったのか、ピケがサラザールをレース関係者に紹介して、そうしてサラザールはやがてF1にステップアップしていった・・・そんな不思議なご縁で、あのような「珍事」があったのかと思うと、より味わい深い。人生ってそういうことがあるのねぇと、こういうエピソードに触れるとテンションが上がるので、このブログでついつい書き残したくなった次第である。

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2019.09.16

水俣病を学ぶ旅

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このあいだ、初めて水俣市に行く機会があった。現地では「水俣病センター相思社」のスタッフさんのガイドによって、水俣病に関するいくつかの関連場所をめぐることができたのだが、この問題は過去の歴史どころか現在進行形で今の時代に地続きであるということを改めて思い知った旅となった。

 まず印象的だったのは、肥薩おれんじ鉄道「水俣駅」を降りると、駅の正面すぐにチッソ社(現代はJNCという社名に変わった)の正門がドーンと鎮座していることだ。企業城下町という表現があるが、まさにここはそうなのである。歴史的に塩づくりが主要産業だったところに、近代的なハイテク工場を誘致したことで、この一帯は周辺地域から働き手を集めることとなり、街が形成されていった。さらに対岸にある島々から、「いつか子供や孫の代が工場で働けたら」の望みをもって、漁民が移り住むようになり、それが町外れの漁村を形成していったわけである。こうした事情により、近距離の範囲内で「都市部と農村部」がセットで急速に発展したという特徴があり、私のように農村の生活を知らず、物心ついたときから「企業に勤める」という「文化」に囲まれてきた人間にとっては想像力が試されるところだ。水俣病を考えるにあたり、「そもそもチッソはどういう企業として日本のなかで発展していったのか、それに応じて地域住民がどのようにひとつの企業を受容していったのか」という「前史」を知ることがとても重要だということをその場で実感した(無知ゆえに私はそうした話の時点でお腹いっぱいだったのだが)。

 このように「豊かさ」をみんなで求めていったはずの街や村に、やがて水俣病の公害汚染が引き起こされていくわけで、あらためておだやかな内海を取り囲む対岸の島々を実際に見やると、内海ゆえの地理的条件のなかで有毒汚水が対流・沈着していく感じを体感的に想像してしまう。説明によると当初チッソの工場は鹿児島のほうに作られる見込みだったのが、いろいろな経緯で水俣に誘致されたとのことで、もし海流の違う地域に作られていたら、こうした公害に伴う問題の発見は遅れていたり、文字通り水に流されていたかもしれないという可能性も考えさせられる。

 JNC社と名前を変えたチッソ社は現在も水俣で工場を稼働させているし、その周辺にあるさまざまな会社もほとんどがチッソの関連会社として動いていて、当初はチッソ工場内にあった購買部までもがそのまま発展して地域のスーパーマーケットチェーンにまでなったりもしていて、あらゆるものがチッソ社とともに「発展」していって、今に至る。

 それゆえ、住んでいる人々も多くはチッソの関連会社で勤めているわけで、こうした地域で「公害の歴史」を風化させずに共有し続けることがどれほど難しいことか、相思社の方の語りの端々にそれが伺えた(たとえば、地元であればあるほど、そこで育つ子供たちの親の多くはチッソに関わる仕事に就いてるため、水俣病公害のことを学ばせることは現場の教員にとって非常に難しい状況だそうだ)。

また同時に、JNC社で開発・製造される工業製品の数々ははまちがいなく今の私の生活にも役立っていたりする。そのこともまた事実である。たとえば私の趣味のひとつが「市民マラソン大会の応援」であることが相思社の人に伝わると、「ランナーの位置を計測するチップの部品などもこの会社で作っているんですよ」と教えられたり。

 そして「水俣病」と、土地の名前がそのまま病名になってしまったことで、この名称変更を求める住民運動も続いているそうだ。そう言いたくなる人々の気持ちも分かるものの(あるいはそれもまた政治的な動きであるのだろうけど)、水俣で起こったことから日本全国や世界へ発信されていったこの痛ましい出来事の存在を示すためにも、やはりこの病名には意義があると個人的には思う。「メチル水銀中毒症」と言われても記憶に残りにくい。

 そうした流れとともに、この水俣病の存在を「環境問題」として捉えさせようとする動きというものも、あちこちに微妙なかたちで漂っていて、「環境問題」となった瞬間に抜け落ちていく「責任の所在」が曖昧になっていくことの居心地の悪さを覚える。いわく「環境問題=現代に生きる私たち全員が責任を負っています」というような。
(それゆえ、当時の状況を伝える看板のたぐいも、そこに書かれる文章のひとつひとつは、多様な“綱引き”によって形成されているので、読解には注意を要することになる)

 見学ツアーのなかでとくに印象的だったのは、公害を伝える「史跡」は、チッソの工場内にもまだ残っていることだった。ガイドの方が工場の塀の向こうにわずかに見える排水浄化装置のことを説明してくれたのだが、これは水俣病の存在が指摘され始めた初期において、病気の原因の疑いが有毒の工場排水にあることを受け、「表向きのアピールのために」作ったものであり、実際の浄化機能はなかったとのこと。こうしたごまかしの姿勢が一定期間続くことで、長らく「空白の年月」として原因究明や公害認定の道のりがさらに遠のいていき、被害をさらに拡大させたことは厳しく糾弾されるわけだが、そうした「経済発展至上主義の影」が形としてまだ現存しているのである。そしてその近くには監視カメラが当然あったりするわけだが、我々はこの何気ない塀の向こうの建造物に、さまざまなものを見いだせるのである。

 その翌日に訪れた市立水俣病資料館では当時の様子を伝える新聞記事のスクラップブックが年代別に並べられていた。最初はネコなどの動物が変な死に方をする奇病として報じられていき、それがやがて地域住民の中にも奇病が発生していることが分かっていき、どんどんその謎が広がりを見せる。しかし一向に原因や改善が見られないことへの戸惑いが、無実の住民の悲痛な姿をとらえた写真(当時の社会規範における許容範囲としてのものとはいえ、非常に生々しく)とともに報じられ、真相をすでに知っている新聞記事の読み手としての自分はこの「謎の病気」をめぐる叫びにたいして、やりきれない思いを抱かずにはいられない。

そうして紆余曲折を経てやがてひとつの原因にたどりつくも、それが一企業の引き起こした「公害」として認定されるまでにはさらに途方もない時間と運動が必要となっていった歴史が、スクラップブックの「背幅」を通して実感できる。先に述べた「偽りの浄化装置」が作られたときの新聞記事ももちろん確認することができ、この「偽り」で表向きの収束を見たのか、このあたりの時代は一気に報道量も減っていき、スクラップブックも薄かったりする。しかしこの「薄さ」の向こうに、健康だったはずの人生を奪われて次々と苦しんでいったたくさんの人々の姿があるはずなのである。

 近々、水俣の問題を追って撮り続けた写真家ユージン・スミスを題材にしたジョニー・デップ主演の映画作品が公開されるとのことで、水俣は改めて世界的な注目を集める場所になるであろう。話によると水俣はロケ地でもなく、セルビア方面で撮影が行われ、細部のディテールなどはどうしても実際のものと異ならざるを得ない内容になっているそうだが、こうした「自分たちでは振り返りたくない過去」を見据えるためには、外部からの視点を持ち込むことが有効なのかもしれない。それはまた、まさに今の日本の政治的社会的状況においても言えることだろう。

 

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2019.08.28

服屋で店員に話しかけられないようにするためのジェスチャーがほしい

世界的にファッション業界で用いられるその時々の流行色は、インターカラーという「国際流行色委員会」でおよそ2年ぐらいの時間をかけて話し合った末に決められているそうだ。
そうやってファッション業界に影響を及ぼす仕組みが国際的レベルで整っているのであれば、流行色を決めるだけでなく、「服屋の店員に話しかけられないようにするジェスチャー」もついでに決めて、周知してもらえないだろうかと私はずっと切望している。

気持ちは分かるのだ。服屋の店員も、仕事をしている姿を上司や同僚に見せないといけない。
何も買うつもりがないくせにうっかり服屋に入ってしまった私のような客にたいしても近寄っていかないといけない。そうして、面倒であったとしても「そのファーつきのカットソーは最近流行りのカタチで」とかなんとか言わないといけないのだ。これがもし「カットインからのファー」だったら、「あぁサッカーで中央に切れ込むドリブルを仕掛けてから、遠くの位置にセンタリングを上げたいのね」と私でも理解できるのだろうが、この現場においてはファーのこともカットソーのこともよく分からないので、「頼むから僕に話しかけないでください」の微笑みを浮かべるしかないわけだ。

また、店員から「気になる服があれば、広げて見てみてくださいねー」と笑顔で言われても、私のような客はその言葉をどうしても真に受け止めることはできない。その言外には「たたむの面倒だから、買うつもりのない服は手に取るんじゃねぇよ」というメッセージが込められているに違いないと考えてしまうのだ。

さらに「サイズをおっしゃってくださったら用意しますので、気軽に言ってくださいね」という切り口で話しかけてくるパターンもある。これはまだ気が楽になる声かけかもしれないが、いざ試着しようとすると、頼んでもいない他の服を持ってこようとしたりするのでやっかいだ。ベルトを手に取っただけなのに、店員がすかさずズボンとパンツと靴下を持ってくるかのような勢いだ。

もちろん、店員が客に声をかけるのは「お前の侵入をこっちは把握しているからな」のメッセージを伝える意味で防犯上においても重要だ。それも分かる。なのでサッカーに例えるならばゴール前の守備のごとく規律のとれた堅い守りにたいして、私のような客は「マークに付かれる前にこっちから離れる」という、素早い動きだしが求められるわけだ。「店員が近づくまでにどれだけの服にタッチできるか競争」をやっているかのように。なので、客がいなくて、置いてある服の分量が極端に少なくて、店員が立ち尽くしているような服屋なんて到底立ち入ることはできない。

そういうわけで、「誰にも話しかけられたくない」という意志を服屋の店員に伝えるジェスチャーが存在すれば、お互いにとってウィン=ウィンになれるはずなのだ。店員はムダに客に話しかけなくて済むし、客はそれでいろんな服屋に入りやすくなるし、ファーつきカットソーだって気軽に買えるかもしれない。

ジェスチャーというと大げさかもしれないが、指で鼻の下を押さえるとか、左手で右の耳たぶをつまむとか、ヒジの関節をアゴにつけて歩くとか、そういう程度でいいのだ。そうしたしぐさで店に入ってきた客には、店員は声かけを控えるという国際的ルールみたいなものが発動してほしい。

でも現状では、どんな動作をしても店員は近寄って話しかけてくるのである。まいったもんである。

p.s.そのほかに実践的な解決策として考えたのは「日本語が分からない外国人のふりをする」というアイデアだが、こんな時代においてはメンバーズカードをうっかり作らされたりすると、すべてがパーになるのであった。

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2019.07.14

アウトドアの新しい楽しみ方「チェアリング」に興味がわく

たまたま書店でこういう本をみかけて、即買い。

椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門 (ele-king books)
スズキ ナオ パリッコ
Pヴァイン (2019-03-28)
売り上げランキング: 279,951

持ち運びの楽な折りたたみ椅子をもって、それを屋外において、限りなく荷物を持たずに、自然のなかでひとときを過ごすというアクティビティが「チェアリング」と名付けられていて、それが知る人ぞ知る密かなブームになって、こうして書籍まで刊行される運びになったようだ。

こういうことはもちろん以前からもそれなりに行われていたのだろうけど、「あらためて特定のアクションに名前をつける」ということで生み出される新たな「うごき」みたいなものに私は興味をひかれる。

日本チェアリング協会(笑)による、チェアリングを実施するうえでの注意点はこれだ。

・人様に迷惑をかけない
・ゴミは持ち帰る。むしろ掃除して帰るのかっこいい
・市井の人々に威圧感を与えない(酒をよく思わない人もいるので)
・私有地に無断で立ち入らない
・騒がない(KEEP CALM)
・公共の場を占有しない
・装備を増やしすぎてキャンプにしない

思い立って椅子とともに外へ行き、できれば近所にコンビニとかトイレがあれば嬉しくて、そうしてほどよい場所にスペースをみつけたら、そこで椅子を置いて座り、静かにその風景を味わう。

考えてみたらシンプルなことなのだけど、ある程度しっかり意識しないとこういうアクションを実行に移すことはなかなかできにくいものである。「チェアリング」は日常生活をすこし別の角度から眺めて、自分を取り囲む世界を新たな気持ちや視点で見つめ直す「工夫」だったり「アイデア」のひとつだと思う。

というわけで、お酒を飲まなくても、好きな過ごし方をすればいいわけで、私も折りたたみ椅子(と、虫除けスプレーとか)を手に入れるところから始めようと思う。

この本の著者たちが以前デイリーポータルZで書いた記事がとても詳しいのでリンクを貼っておく(こちら)。

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2019.07.07

もはや自分の持ってる黒い電子機器をすべて「ピンク・フロイドの機材」にしてしまいそうな勢い

近年はKING JIMのポメラを使ってブログの下書きなどを書いたりすることが多い。外出先でがっつりテキストを書くだけでなく、最近は自宅の机にも適当に置いておいて、すぐに何かが書けるようにしている。パソコンの起動を待つことなく、スパッと「はい、テキスト書いてね」という感じになるスピード感が好きだ。

しかし、こともあろうに最新のDM200という機種で「バッテリー方式」を採用してしまったKING JIMには、「目を覚ませ!」とマジで言いたい。バッテリー頼みのポメラなんて「使えないノートパソコン」と同じようなものに成り下がってしまったも同然で、それはつまりクズだ。長いこと放置していて、ふとした機会に使おうと思っても、乾電池の予備さえあれば何の心配もせずに起動して書き続けられる作業環境を創出させることがこのポメラの唯一無二の良さじゃないのか。月に1回ぐらいしか更新できていないブロガーだって立派なヘビーユーザーなんだぞ(笑)。

なので、ひとつ前の機種になるDM100は、「乾電池が使える」ということで、KING JIMの商品開発者やマーケティング担当者が「やっぱりバッテリー方式はクズだった」ということを正直に認めて改心してくれるまで、今後も使い続けることになるであろう。というか、もはやこのDM100はポメラという機種のなかで「これ以上は進化しなくてもいい」と思えるほどの完成度の高さなので、もしこれが故障してもおそらく次に買うのもDM100になるだろうと思う。

そんなわけで、この黒い筐体に愛着を覚えると、ふと以前作った「ピンク・フロイドの機材っぽく見えるキャリーカート」のネタ(こちら)を想起し、ポリカーボネイト専用スプレーで同じようなものが作れるのか実験してみた。

小さめのロゴを切り抜いて、スプレーで塗装してみると・・・

Img0079

はい、問題なし!(笑)

塗装が剥がれることなく(今のところ 笑)、しっかりと定着。

少しだけ液だれしてしまったところがあるが、おおむね満足。

もはや何がなんだか、って感じであるが。

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2019.06.29

企業ノベルティグッズを探すことにハマっている

 最近はちょっとした日用品を手に入れようと思ったら、まずとりあえずオークションサイトで調べることが多くなった。ヤフーオークションの場合だと「アンティーク、コレクション」のカテゴリのなかの「広告、ノベルティグッズ」のカテゴリーを選んだ上で、その都度ほしいアイテム名を検索すると、しばしば味わい深いものに出会えたりする。

 単なるノベルティグッズだったりすると、モノとしての品質とか使いやすさなどは期待できないわけだが、こうした企業ロゴ入りグッズには何とも言えない「鈍くささ」だったり、ある種の皮肉めいた面白さを感じてしまう。そしてそうした「記号」を日常の中にどう取り入れるかをあれやこれやとイメージして楽しむ。

 ふとしたことから調べてみて楽しかったのは、エプロンである。このジャンルもいろいろな企業ノベルティが存在しており(じつに多くの企業がエプロンを販促グッズにしているという、そうした事実そのものにまずは圧倒されるわけだが)、そのなかでいろんな航空会社のものが出品されている状況に出くわした。オークションサイトの画像を載せるのは控えるが、おそらくあるマニアの人がずっと集めていて、それらを処分しようとしているとおぼしき状態で、特にそこまでエプロンを必要とはしていなかったが、あれこれと欲しくなってしまうほどにファニーなデザインのものが多かった(アエロフロートの旧ソ連っぽさ全開のデザインとか、とくに)。

 先日実際に手に入れたものは、アンティークショップが出品していた、イタリアのお酒メーカーMARTINIのロゴが印刷されたグラスセットである。同社は古くからモータースポーツ界における熱心なスポンサー活動でも知られており、昔からこのロゴには親しみがあるのでそういう系統のグッズも探していたら、このグラスにたどり着いた。説明によると、MARTINIのお酒を提供するお店だけに配布された宣伝用のものらしく、家でお酒をほとんど飲まないくせに、どうしても気になって落札した(幸運にも競合相手がおらず、とっても安価に済んだ!)。販促用に作られた非売品とはいえ、分厚い底のおかげで手に取ったり置いたりするときの安定感がよくできており、これはこれで何かと普段使いしたくなる・・・もっぱら、ジュース飲んだり(笑)。

Martini 

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2019.05.20

平成最後の読書と、令和最初の読書

 読みながら、これが平成最後の読書になるのかもしれないと感じたので、4月30日を目標に読み切ったのが『ねじまき鳥クロニクル』だった。最近は「村上春樹再マイブーム期」で、特に近年のインタビュー集やエッセイなどを読んでいて、その流れで重い腰をあげ、今まで食わず嫌いだった長編も少しずつ手を出そうと思ったのである。でもこの作家の物語世界は、一年に一度読むぐらいがちょうどいいかもしれない。『ねじまき鳥』のおかげで、ゴールデンウィークのはじめごろはなんとなくフワフワとした気分になっていた。作者がこれを書いたのが1994年で、その後村上春樹は阪神大震災にみまわれた日本に戻り、オウムの事件に関心を寄せていく時期になるので、そう思うと平成を振り返る時期には図らずもどこかで共鳴していた気もする。

 なので令和になってからの最初の読書は地に足の着いた、現実的な内容の本を・・・と思い書店でウロウロした末に手に取ったのは、地に足が着くどころかずっと浮かんでいるようなテーマ、つまり空の旅についてのエッセイ、『グッド・フライト、グッド・ナイト:パイロットが誘う最高の空旅』(マーク・ヴァンホーナッカー著、ハヤカワ文庫)であった。現役パイロットでありつつ優美な文章を書くイギリス人作家による大空への賛歌。特に印象的だったのは、夜の飛行時における窓からの景色が好きであるという、根っからの「空マニア」としての記述であった。

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旅客機のすぐ下を、空っぽの大地が流れていく。暗い地表は天国と同じくらい遠く思える。また地表には、人の創った光も自然の炎も思いがけずたくさんある。都市や小さな集落が光によって描きだされる。闇が支配する時間に、光の文字で記された本のページのような地表を眺めていると、夜間飛行は、人間が地上に生んだ光の美しさを再確認するだけのためにあるような気がしてくる。生きとし生けるものすべてが星々に包まれていることを、思い出すために飛んでいるように思えてくる。

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 暗いコックピットから見る星々は息をのむすばらしさだ。高高度ともなると星々に遠近感が生まれ、夜空は三次元になる。宇宙に“深さ”という言葉を使ってもいいような気がしてくる。古の光が貫く深さから成る、宇宙という名の海だ。
 月のない夜は小さな星まで見えるので、意外にも星座の存在感は薄れる。乱気流や湿気のせいで11キロ下の地表までは届かない弱い光まで見えるがゆえに、星座の輪郭が埋もれてしまうのだ。逆に新しい星座を考えようと思えばいくらでもできる。天の川が初めて本物の川らしく見える。光のひとつひとつが水の粒だとしたら、暗黒を流れる星の雲といってもいい。

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と、このように美しい文(または見事すぎる訳文)が続くのだが、「なるほど、そんな世界があったのか!」と、いままで夜に窓際の席からじっくり外を眺めたことがなかったことを激しく後悔している。とはいえ、特に夜間飛行のときは、窓は閉めたままにしないと客室乗務員から注意を受けるので、そのあたりは悩ましいところではある。

前回、飛行機に乗って海外に行ったのが2年前のロンドン行きの大韓航空になるわけだが、行きのソウルからの乗り継ぎ便では、ばっちり窓際を予約して、「おろしや国酔夢譚」の世界を思いつつ、ロシア上空での地表の景色を楽しみにしていて、ずっと窓の外を眺めていた。しかしかなり早い段階で「シェードを下ろせ命令」が客室乗務員からそれとなく通達され、なぜこんな明るい時間帯に!? 誰も寝ないのに? これを楽しみに窓際の席を(しかも追加料金で最前列を)予約したってのに!! と納得がいかなくて、ちょっと半開きにしてそのままボーッとしていたら、トイレ待ちで通路にいた子供が、わざわざ身を乗り出して私の窓を完全に閉め切りやがったのである(笑)。いくら大人げないと言われようが、私はそのときばかりは内心、おおいに憤ったぞ。そのことをこの記事を書きながら思い出したわけで、ふたたびまた腹立たしくなってきたので、だから次に飛行機に乗るときは、毛布をかぶって窓をあけてずっと外を見ているかもしれない。こうして私の場合、この本の流れるような文体のごとく落ち着いた優雅な空の旅とはほど遠いのである。

 

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2019.04.28

旅先での「寸劇スリ」(寸劇詐欺)にご用心

 仕事の関係で、いろいろな国の領事館などがメールで配信している海外危険情報を目にすることが多いのだが、ロシアの在ウラジオストク日本総領事館がこのまえメールで送ってきた、現地で流行りつつあるスリの手口がなかなか絶妙だったので紹介したい。

 バス停や横断歩道など、そこで立ち止まって何かを待っている状況だとする。あなたの前にはアジア系観光客がいる。そこへ現地のロシア人が近づいてきて、よくみたら目の前の観光客のポケットから財布を奪おうとしている! ・・・のだが、うっかり財布が地面に落ちてしまい、あわててロシア人は逃げ去った。
 アジア系観光客はスリに狙われたことに気づき、後ろにいたあなたに言いがかりをつけて詰め寄るのである。あなたは当然自分は何もしていないと言い張るが、言葉がうまく出てこない。そこであなたは身の潔白を晴らすべく上着やカバンのポケットなどを相手に調べさせることとなり、その混乱に乗じてあなたの所持品が盗まれるという手口だ。

 領事館のメールではこれを「寸劇サギ」と書いてあって、やや緊張感を欠いたファニーな響きを感じないでもないが、他に表現しようのない的確なネーミングでもある。以前からそういうことはあちこちで行われていたのかもしれないが、私はもし自分が実際に狙われたら、たぶんまんまと被害にあう可能性は高いなぁと感じた。

 そもそも現地人のスリの役と、アジア系観光客の役という「配役」が絶妙ではないだろうか。「現地のスリがアジア系観光客を狙う」という、自分にとっても当事者性の高い場面設定のなかに一気に引き込んで、「そこにあったはずの無関係さ」をいきなり排除して、「寸劇のキャスト」に無理矢理組み入れられてしまう感じが巧妙である。

 しかも「スリが失敗する」というストーリーによって、その現場を目撃してしまった人は、いくら勇敢な性格であっても、逃げていくドジなスリをあえて追いかけようとする可能性は低くなるはずだ。場合によっては「被害にあわなくてよかったですね」と、自分から被害者役に近づいてしまいたくなる気持ちも出てくるだろう。そのうえで被害者役のアジア系観光客の予想外の反応にさらされると、冷静な判断力ができなくなる可能性は高い。

 一連の出来事すべてが自分をターゲットにした寸劇だとすると、この状況に少なくとも一定時間は巻き込まれるしかないわけで、なかなかそこから冷静になって「ひたすら逃げる」という判断はかなり難しくなるわけだ。

 よくある海外旅行先での詐欺被害の手口だと、たいていは犯人が被害者に話しかけるところから始まるので、気をつけてさえいれば警戒心マックスで状況にあたれる。よく聞く「ケチャップ強盗」も寸劇の要素があるとも言えるが、事前にそのことを注意しておけば、衣服に突然ケチャップなどがついたことを認識したら、その場で立ち止まって「どうしよう」とか思うのではなく(話しかけてくる奴をガン無視して)ひたすらその場から(できれば怒りを表しながら)離れることで事態はある程度回避できる。そういう直接的なやり方ではなく、寸劇サギは他人同士の偶発的トラブルという事態を通してターゲットの心の隙に入り込んでくるので、これを考えた人のずる賢さには脱帽してしまう。

 こういう詐欺の手口は、悲しいかな常に新しい手法が試行錯誤して開発されていき、うまくいけばすぐ広まっていくわけで、不謹慎だが「その手があったのか!」と唸ってしまう。

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2019.04.22

時代の変わり目における「かたち」

 そもそも西洋かぶれの自分はなるべく西暦を使いたいと思っているので元号は仕方なく用いているにすぎないのだが、それでも時代区分の節目に立っていることについて、どこかしら落ち着かない気分にはなっている。

 天皇が新しく即位して元号が変わったからといってもちろん何か社会が変わるわけでもなく、むしろ書類仕事的に面倒くさい手続きや調整が増えるだけで、これまでの「平成」を一挙に過去のものにしようとする政治的な狡猾さにも気をつけないといけないわけだが、そういう手触りのない時代感覚の変わり目において、改元の節目を「物理的に」味わえる唯一といっていいかもしれない場所を知ったので、この落ち着かなさを抱えつつ、思いきって東京まで行ってみたのである。

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 行き先は国立公文書館。ここでいま、期間限定で「平成」の改元の書が特別に展示公開されているのである。当時の官房長官、小渕氏が掲げたあれだ。

(写真も撮ってよかったのでうれしかった。そしてあまり客も少なかった)

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 あらためて現物を前にした直感的な印象としては、「額ってこんなにシンプルな薄めの色だったっけ」ということだ。このすっきりした感じが、書かれた文字の凛とした印象を高めている気がする(そのあとネットで当時の写真を確認すると、たしかに同じ額のように見える。まぁ、天皇が崩御したあとの改元なので、変に目立つ額に入れてもダメなんだろうけれど)。

 そして「平成」の文字であるが、やや変色した和紙の上にかすかに残る墨のかすれや、細かい部分などを自分の目で確認できたので、文字通り時代の変わり目を捉えたひとつの芸術作品として堪能させてもらった。ひとつの書にたいしてここまで自分自身を丸ごとぶつけるように見つめることは、これからもないかもしれない。

 もちろん、元号はやはり単なる記号みたいなものでしかないのだが、この紙の上に書かれた文字としての元号は、確かにほんの少し自分の人生とわずかながら重なったわけで、それなりに「手応え」を感じることはできた。時代性にたいして「手応え」を覚えるのも変な話かもしれないが。

そうして、そのあと出口の近くになると、複製ではあるけれども日本国憲法の「前文」の文書が展示されていた。その前文をあらためて当時の空気感を想像しながら黙読することで、やはりどうしたってこれは格調高く心に響く日本語の文章だと再認識させてくれた。浅はかな政府と広告代理店なんかが結託したかのように打ち出すキャッチコピーまがいの政策ワードとは雲泥の差であって、そういう部分でも公文書館に来てみてよかったと思った。あぁ、平成は終わる、本当に終わる。終わってしまう。そして相変わらず不安げな政治的統治はこの国で続く、それだけだった。

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▲自分の影とかさねて「平成」を写し取ることのできる場所。

 

「平成の書」は現在の特別展「江戸時代の天皇」の期間中、ゴールデンウィークいっぱいは一般公開されているようだ。

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2019.03.31

ピンク・フロイドの初代マネージャーのピーター・ジェナー氏をめぐる話、そして2019年の神戸でピンク・フロイドの音楽につつまれた話

奇しくもピンク・フロイドのネタが続く。

イリノイ州アーバナ・シャンペンからお送りしているコミュニティラジオ「harukana show」番組ホストのMugikoさんは、ロンドンでのフィールドワーク調査の流れで、60年代後半のロンドンのアンダーグラウンド文化に携わった人々にインタビューをしているのだが、今回ピーター・ジェナー氏との会見を行ったということで、その放送回に私も日本からウェブマイク越しに参加させていただいた。

今回の機会をいただくにあたって、あらためてピーター・ジェナー氏について調べると、この人こそはピンク・フロイドの最初のマネージメントを行った人物であり、そこから音楽業界に本格的に関わっていった元・経済学者という経歴を持っている。

私が興味深く思ったのは、ピンク・フロイドのデビューアルバム『夜明けの口笛吹き』のオープニング・ナンバーである『天の支配』、この曲のイントロに流れるノイジーな人間の声の主がジェナーさんだということである(これもマーク・ブレイク著『ピンク・フロイドの狂気』で初めて知った)。
つまり、ピンク・フロイドというモンスター・バンドのアルバム・レコード史において、一番最初に登場する人間の声は、実はシド・バレットではなくピーター・ジェナー氏の声になるのである。そういうこともあって私は、Mugikoさんがジェナー氏にインタビューを行う前に、いくつかの質問事項にそえて「記念に、私の名前を呼びかけるようなボイス・メッセージをぜひしゃべってもらって、録音してほしい!」という無茶なリクエストをさせていただいた。そしてありがたいことに実際に(期待以上の)メッセージを見事にいただけたのであった(それは今回のharukana showでも聴ける)。

すかさず私はスマホのメール着信音にそのジェナー氏からのメッセージ音声を加工して設定した・・・が、スマホのメールをGmailで利用していて、そこの着信音にはうまく機能しないようで、おかげでまったく関係ないタイミングで突然「タテーシ、ハロー!」とジェナー氏の声で鳴ることがちょくちょくある。これはこれでビビるのであった。

というわけで、番組のポッドキャストは(こちら)より。

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そしてさらに別件で、ピンク・フロイドのネタは続く。

4月に神戸で行われるアートイベント「078」の一環で、「TIME TRIP COSMOS with PINK FLOYD」という催しが神戸税関の古い建物の中庭でつい先日開催されたのである。フライヤーには「伝統建築・神戸税関中庭を華麗にライトアップ、美しい建物の姿を幻想的に浮かび上がらせる空間演出。ピンク・フロイドの良質な音楽を響かせる時空を超えた幽玄の夜」とのこと。入場無料だったので気軽にでかけてみた。

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神戸税関は1927年に立てられた古い庁舎と、阪神大震災後に増築された部分とが連結されているようで、「近代産業遺産」ともなっている建築とのこと。

こうしたモダンな建物の開放的な中庭に立ち入ること自体もおもしろいのだが、ここで大音量で、よりによってピンク・フロイドの曲をひたすら流すという試みなのであるから、なかなかマニアでトンガったイベントである。工業大学の学生たちの手による大きなブタのモニュメントも置かれ、夕闇が少しずつ濃くなっていくなかでライト・ショーが壁面を照らし、音楽プロデューサー・立川直樹氏による選曲でピンク・フロイドが流れていく。

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そして肌寒い中でもお客さんはけっこう入っていた。老いも若きもただ中庭に突っ立ってデビューアルバムから近年の作品までを含めた19曲をじっくり聴き入る2時間あまりのひととき。なんだろうなこの2019年の光景は。
そしてなによりこの建物がよりによって税関局だというのに、そこで『マネー』という題名の曲が鳴り響いていたわけで、その状況はなんだか確かにフロイド的だなーと感じていた。

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そしてさらに翌日は、この神戸税関の向かいにあるデザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)にて、テクニクス社の最高級オーディオを用いてピンク・フロイドのレコードを鑑賞するという企画も行われた。こちらは有料のイベントではあったが、ダメもとで申し込んだら参加できたので、2日連続で神戸へ。

私はオーディオ機器には明るくない。というのもこの分野にもし深入りしたらそれこそとんでもない人生になるという怖れもあり、あまり手を出さないように努めている。いつもお世話になっている鍼灸師さんがけっこうなオーディオ愛好家で、自宅でいかにお気に入りの音楽を最高のコンディションで味わうか、その環境づくりをめぐる奮闘ぶりをよく施術中に聞かせてもらっていて、自分としてもその話は確かに魅力的なのだが、近づくと絶対に泥沼だなぁと思っている。

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で、この総額一千万円ぐらいのシステムで、この日は名盤『狂気』を全曲フルで聴いてみるということとなった。
レコード盤の持っている情報量の豊富さ、そして音響機器のセッティングがうまく決まれば、聴き手をつつむ音の波の配置や奥行き感がとても立体的になっていくことを、全身で体感したわけである。
「あぁ、私はこれからの人生において、このアルバムをこれ以上の良好な条件では聴けないのかもしれない」とか思うと、たしかに「今までとは別物のように」聴こえてくるわけである。さすがに立川氏が言うように「聴いたことのない音」までは、私の耳ではそこまで探れなかったが、「良いオーディオ機器は、そりゃあ確かに良い」という、至極あたりまえのことをじっくりと納得させられた時間であった。

ちなみに私個人の歴史でいえば『狂気』を初めて聴いたのが高校生のときで、当時はそこまで好きな作品でもなかったが、今となってはすごく好きなアルバムになっている。聴き続けることで、歳を取るごとに自分のなかでも変容していくものがあるのかもしれない。あらためて全身で集中して『狂気』の生み出す世界に没入したこの時間はたしかに貴重なものだった。

『狂気』のあとの残り時間は客席からのリクエストを募って『吹けよ風、呼べよ嵐』と『Sheep』の2曲ほど聴いたわけだが、個人的には『エコーズ』のあのイントロ部分だけでいいから聴いてみたかった。

そんなわけで、オーディオシステムのすごさ以前に、私なぞはやはり「レコード盤って、やっぱりいいんですねぇ」っていうレベルのところで、あらためて新鮮な体験となった。やばい、レコードプレーヤー欲しいかも(笑)。

何より、その日は朝からちょっと頭が重たくて体調がそんなによくなかったのだが、このレコード試聴体験が終わったあとは体調もなぜか回復して、体がスッキリしていたのである。最高級オーディオ機器はここまでフィジカルに響くものなのかと、試聴会が終わったあとの帰り道にジワジワとその威力に敬服するというオチである。

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2019.03.04

ピンク・フロイドのV&A博物館の展覧会告知ポスターを手に入れたのである

昨年の夏にDIYファクトリー(大阪店は閉店してしまったが)で「壁紙の貼り方」を受講して、盆休みはもっぱら自宅の壁面の一部を輸入壁紙で覆うという試みに専心していた。

しかし案の定、あまりうまくいかず、なんとか壁紙は貼ったものの、乾くにつれて壁紙の継ぎ目のところが収縮して、隙間が空いてしまうことになった。やり直す気持ちにもなれず、そのまま放置していた。

で、少しでもこの隙間をごまかすために、大きめのポスターでも壁にかけようかと、なんとなく思っているうちに、海外オークション通販の「セカイモン」で、2017年夏に行ったヴィクトリア&アルバート博物館のピンク・フロイド展覧会の告知ポスターなるものが出品されていて、そんなものを見てしまったら買うしかないだろうと、高い送料もおかまいなしにオーダーした次第であった。

海を渡って届いたポスターはところどころ割れていたりしてダメージがついていたが、それゆえに「実際にどこかで掲示されていた感」があるのでオッケーだと思った。大きさはヨコ61cm×タテ99cmなのでわりと大きく、V&A博物館のイベント案内としてロンドンの地下鉄の構内などで貼られていたんじゃないかというファンタジーをかきたてる(まぁ実際は単に余って処分に困ったあげくのオークション行きだったとしても、だ)。

せっかくなのでフレームに入れて飾りたいので、近所のバックス画材へ(ちなみにこの店は最近改装して、2階にはZINEコーナーが設置されている)。ロンドンの地下鉄駅で掲示されてそうな無愛想でシンプルなシルバーのフレームをオーダーで作ることにした。

そして、出来上がってお店に受け取りに来るときに、ポスターの現物を持っていったらその場で店員さんがポスターをフレームに入れてくれるとのこと。所々痛んでいるシロモノなのでちょっと迷ったが、勇気を出して(?)現物を持って受け取りに行ってきた。

実際にフレームをみると確かに大きく、そしてポスターも丸めたまま保管していたので、私と店員さんの二人がかりでやらないとうまく紙がフレームに入らなかったので、やはり現物をお店に持っていって正解だった。店員さんもポスターの内容をみて「かっこいいですね」とか言ってくれるので、恐縮のあまり早口で事情を説明するに至ったり(笑)。

車を持っていないので、バスと徒歩でこれを持って帰るつもりだと店員さんに告げると「なるほど・・・」とつぶやき、「このまま持ち歩くと目立ちますよねぇ」と大きな紙を表面に貼ってもらい、持ち手までつけていただく。それで無事に帰宅できた。

で、以前から持っていたピンク・フロイド関係のもう一枚のポスターである『原子心母』のやつと並べて壁にかけてみた。

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バッチリである。サイズ感といい、この「何がなんだか分からない感じ」といい(笑)

特に今回のは「V&A」のロゴがとっても効いている。ロンドンの地下鉄でよく見かける告知ポスターの感じが旅情を思い起こさせて。

そして冷静に思い返すと、この『原子心母』の牛のポスターも、以前に「セカイモン」で手に入れたものだった。

あともうひとつ冷静に考えると、これで別に壁紙の隙間の問題が解決しているわけでもない。

まぁいいか。

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2019.02.10

カフェ・アノニマの閉店

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京都の左京区に引っ越してからは、休みの日のお昼ご飯どきなど、しばしば「カフェ・アノニマ」を訪れていた。

今日ひさしぶりに行ったら、お会計のときに店主さんに「長く通っていただいていましたよね」と突然言われ、「じつは16日に閉店することになりました」とのこと。入口に張り紙があったのに気づかず、いつも通りおいしいご飯とカフェラテをいただいた直後、「ええええええ」と動揺。

「男おひとりさま」が立ち寄りやすい雰囲気で、
本棚が充実しているブックカフェでもあり、
多種多様な「カフェめし」や、当然ドリンクもすべからく美味しく、
BGMもそのときどきで渋い選曲だったりもして、
自転車で気軽に行きやすくて駐輪しやすくて(←意外にこれは重要)、
つまりは私にとっては「非の打ち所が無い、素晴らしいカフェ」であったのだ。


ここはラーメン屋の天下一品の総本店がある交差点から、東にたった数十歩いけばたどり着けるカフェなのだが、いかんせん場所がちょっと見えにくくて、それゆえに文字通り「穴場カフェ」の雰囲気も、たしかにあった。ラーメンを求めて行列を作っている人をみるたびに、この人達が食後にちょっとカフェに寄るのなら、せっかくならアノニマにいけばいいのにと思うほど、「いつ来ても確実に座れる感じ(=ゆえに男おひとりさまでも行きやすい)」という状況ではあったかと思う。ちなみに私はたとえここがブックカフェであっても、「男おひとりさまは、個人経営のカフェでは食べて飲んだらすぐに店を出るのが流儀」と考えているのであるが、居心地が良すぎる部分も客単価の低いカフェ経営においてはいろいろと難しいところがあるのかもしれない。

あらためて入口の張り紙を読むと、2004年オープンから約15年にわたり頑張っていたことが分かった。

「カフェアノニマがあなたの心の中で  あなたのカフェであり続けてくれれば 嬉しく思います」
とのメッセージ。
しかと受け止めたい。

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2019.01.26

映画『マイ・ジェネレーション:ロンドンをぶっとばせ!』を観て、平成の終わりに60年代ロンドンをあらためて想う

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やー、あらためて映像で観てもツィギーはやっぱりステキだ、ホントにステキ。
それが一番の感想かもしれない(笑)。

想像以上に、(良い意味で)“教材的な”内容で、60年代ロンドンのユースカルチャーを捉えていて、これでもかと当時の映像の洪水を見せてくれる。そしてまた、この前後の歴史的展開を照射しつつも、うたかたの幻のようだった刹那の輝き、刺激的かつポップさゆえの儚さ、そういった感傷をも、同時代を知らない我々に味わわせてくれるような時間だった。

この時代の生き証人として俳優のマイケル・ケインがナビゲート役を務めているのだが、ところどころで若き日のケインがロンドンの街を歩き回る映像が差し挟まれていて、このスケッチ的な映像資料が、あたかも50年後にこの映画を作るために記録されていたのではないかというぐらいに見事にハマっていたのも印象的。

なにより、この時代を彩るサウンドトラックも期待通りで、心なしか音質も素晴らしくて、京都シネマってこんなに音響良かったっけ? って思ったぐらい。唯一気になったのは映像のなかで「モッズ」の説明が出てきたときのBGMが(確か)ストーンズだったので「ちょっとそこはなぁ~」って感じになったことぐらい。
DVD版が出たらダラダラと部屋で流しっぱなしにしたい感じ。

そう思うと、この当時の「退廃的とみなされていた」カルチャーの担い手たちがちゃんと元気でいるうちに、こういうドキュメンタリーをちゃんと作っておくことは本当に大事だよなぁと思った。なので今度は誰か英国70年代プログレッシヴ・ロックのちゃんとしたドキュメンタリー映画を作ってくれ・・・と思わずにはいられない・・・(笑)
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パンフも表紙のデザインが良かった。このメガネほしい。
ちなみに右の渦巻きは、BBC「トップ・オブ・ザ・ポップス」をモチーフにしたマウスパッド(昔、スカパーの懸賞で当てた 笑)。

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2019.01.02

お店の空きスペースを有効利用。コインロッカー不足に対応したシェアリングサービス「ecbo cloak」を利用してみた

あけましておめでとうございます。
今年もできるかぎりたくさん書いていきたいと思います。できるだけ・・・

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さて。
旅行などで大きい荷物のあるとき、大都市のターミナル駅などでは、コインロッカーが空いていないことがほとんどである。そしてスーツケースなど大きい荷物になると、さらにロッカーの数が限られている。「荷物預かり所」を設けている駅はよほど大きい駅じゃないとないので、なかなか困るわけである。

それでネットで調べると「ecbo cloak」というサービスがあることを知り、このあいだ初めて使ってみた。
店舗の空きスペースを利用して、ネットを介して「ここなら荷物預けられます」と検索されて、利用者とつなげるシェアリングサービスである。

会員登録をして、自分が預けたいエリアを検索すると、地図付きでいろいろなお店が表示される。そこからは手軽に自分の持ち物の個数などを選択していけば、あとはお店の営業時間に応じて予約ができる。

先日私が使ったのはとあるデパートの服屋さんだったのだが、レジに持っていくと「チェックイン」の作業が行われ、荷物の写真をその場で店員さんが撮影していた。
(何らかの処理が行われるたびに、登録してあるメールアドレス宛に通知がちゃんと来る)

ひとつ注意しないといけないのは、「この時間に取りに行く」ということを現場でも改めてはっきりさせておかないとお店側も困るので、そこだけはコインロッカーほどの気軽さはない(料金は1回いくらなので、もちろん遅刻しそうならあらかじめ電話連絡をすればいいだけなのだが)。

そしてもうひとつこのサービスが興味深いと思うのは、荷物を受け取りにいったついでに、私はその預かってくれたお店の商品もついでにチェックすることとなり、ついつい記念にTシャツを買ってしまったことだ(笑)。また場合によっては、旅先についてのちょっとした情報などもそこの店員さんに質問しやすい雰囲気も出てくるだろう。いくつか検索されたお店のなかで、自分の親しみやすいジャンルのお店を選んだことにより、そうした「旅先での予想外の出会い」も楽しめたわけである。

AirbnbとかUberとかは、日本の行政の強固な姿勢により普及は難しいが、コインロッカー業界においてはあまり既得権益を守る必要がないためか、このシェアリングサービスはすでに利用可能なわけで、今後はもっとお店が参加してほしいと思う次第である。

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2018.12.31

今年最後の読書は、パン職人の自叙伝。

 今年は結局フリーペーパーも書かず、ZINEづくりに向けた作業もまったくはかどらずに終わっていく。
 ただ、インプットの面において久しぶりに読書欲が旺盛な周期に入ってきたのか、今年はめっぽういろんなジャンルの本を読んできたように思う。ただし今年最後の読書のきっかけは意外なところからやってきて、つい先日顔を合わせた旧友のM・フィオリオ氏が「これを読め!」と(強引に)貸してきた、ドミニク・ドゥーセ氏の自叙伝『ドミニクドゥーセ、リスタート!』(伊勢新聞社、2014年)となった。


 ドミニク・ドゥーセって、誰? となるのも無理はない。我々にとってその名前が特別なのは、90年代の初めに我々がF1マニアだった頃、鈴鹿サーキットで出店していたパン・お菓子屋のフランス人オーナーシェフとしてこの名前を深く記憶に留めていたからだ。特にフィオリオ氏がこのお店のお菓子を気に入り、彼が買った缶入りのお菓子に添えられていたリーフレットもなんとなく印象的だった。それで私もずっとドミニク・ドゥーセという名前を、聖地としての鈴鹿サーキットのこととセットで想い出のなかにしまっている。

 ただそれから25年ぐらいたって、お互いF1ファンではなくなっている今の状況において、フィオリオ氏がこの本を私にどうしても読ませたかったのは、我々はドミニク・ドゥーセが当時どういう想いでフランスから来日して、三重県の国際レーシングサーキットに店を構えて、その後どういうことがあったかということをまったく知らないまま生きていたからである。別にそんなことを知らないままでも、それはそれで問題はないのだろうが、この本を読むと「そんなことがあったのか、ドミニク!!」と、まるで遠い親戚のおじさんの知られざる驚きの過去をこそっと告白されたかのような、その数奇な人生の浮き沈みがなんとも驚きの連続だったからである。

 そもそもドミニク・ドゥーセは、87年に鈴鹿でF1日本GPを誘致するにあたって海外からの選手や客に対応できる良質の料理人の必要性が検討されたことで、サーキットの運営母体であるホンダから熱心なオファーを受けて日本に来ることになったそうだ。そこからの日本社会への適応に関する苦闘ぶりを読むにつれ、結局この人は日本のバブル期における「ノウハウがなくても金で解決すればいい」的なありかたに翻弄された人のようにも思えてくる。苦労して母国でパン職人になり、腹をくくって日本に来たからにはフランスの味をたくさんの人に伝えようという使命感をもって頑張り続けるも、遠くに住む家族との問題や、サーキットから独立してお店を展開するも、あやしい事業提携話にひっかかって悲惨な目にあったりと、幾多の困難を経て「ドミニク・ドゥーセの店」のブランドを守り抜き、今は原点である鈴鹿に本店を構えて「リスタート」をきっているドミニク氏の職人魂を思うと、今すぐにでもお店に出向いて、パンやカヌレを食べたい気持ちになってくる。

 「鈴鹿に行けばドミニクのパンが食べられる」ということでファンも多かったという幾多のF1ドライバーたちとの交流もまた、彼のパン職人としての来歴を語るうえでは欠かせない部分であるが、「私も、彼らとは違ったレースを、必死で走っていた」という一文がすごく、光っている。

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