2020.08.13

「COVID-19とスポーツ応援」@HarukanaShow のことなど

ひさしぶりにハルカナショーで2回にわけてトークをさせていただきました。テーマはCOVID-19とスポーツ応援。
こちら)と(こちら)を参照。

 毎年やっているマラソン大会の応援については本当に何とも言えなくて、いまだ考えがまとまらないので改めてブログで書くことがまだできていないのだけれども。いったいどうなることやら・・・。
 そして今回、Ryutaさんと話をさせてもらうなかで、アメリカの大学スポーツのありかたが、「場合によっては、一番身近に応援できるスポーツチームとしての存在」というものであるという認識に、なるほど~!となった。NCAAという枠組みが盛り上がる理由の一つはそこかもしれない(私が子どもの頃、NCAAブランドの商品が出回っていたので、その規模感というか、盛り上がりっぷりはそれとなく知っていた。ウィキペディアにもそのことが少し載っているが)。国土が広いから、自分の住むエリアから遠く離れた大きい都心部のプロスポーツチームより、むしろ近所の学校のスポーツチームのほうが応援したくなる気持ちが高まる可能性。アメリカは「学校の部活動」がやはり重要なのかもしれない。ヨーロッパ的な「地域のスポーツクラブ」も当然あるのだろうけれど、アメリカ人にとっての部活動の感覚は、日本のそれとどこかでつながっていて、ある側面では異なっているような気もする。このあたりは実際に住んでみないと感じ得ない部分かもしれない。

 そういえば『ライ麦畑でつかまえて』の主人公のホールデンも、高校ではフェンシング部のマネージャーをやっていて、対外試合に向かうべく部員と移動するときに、地下鉄に用具を忘れてきて試合ができなくて、帰りは皆から冷たくされて・・・となり、それであの小説のオープニングは、ホールデンが予定より早く高校の寮に戻ってきたので、全校挙げて応援に詰めかけているフットボール部の重要な試合の様子を遠くから眺めるところから始まる。アメリカの学校文化を語るうえでの部活動という「枠組み」とホールデンとの微妙な距離感をサリンジャーは描いていたとも言えるかもしれない。

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2020.07.05

ウイリアム王子は「シードル男」だった

 前にこのブログでも紹介したが、イギリスのウイリアム王子はホームレス体験を率先して行ったことだったり(この記事)、2011年の結婚直前のときは仲間と公園でサッカーを楽しんだことだったり(この記事)、何かと親しみを覚える人物である。

 でも個人的に親しみを覚える大きな理由は、私より年下なんだけど、私と同じように頭髪環境が非常に寂しいところにある。もし実際に会って話をする機会があれば、「ハゲトーク」で分かり合えて仲良くなれる自信がある。そもそも王室の人間なんだから、本当だったらカツラでも植毛でも何でもし放題だったはずなのに、頭髪を自然のままにさらすメンタリティにも大いに敬意を表したくなる。ウイリアム王子がそういうスタンスなので、私も自らの頭髪環境はナチュラルさを保とうと誓っている。

・・・って、何の話なんだ(笑)

 それはそうと、先日のニュースで、そんなウイリアム王子がロックダウン解除を前に、とあるパブを訪問したことが報じられた(こちら)。
 王子であれ庶民であれ、パブでお酒を飲んだり誰かと語らう時間はイギリス人としての欠かせない人生の楽しみのひとつなんだろう。
 その報道のなかで感じ入ったのは、ウイリアム王子は自らを「シードル男」と称していて、このとき注文したのは800円ほどのシードルとのこと。

 私は普段あまりお酒を飲まないのだが、梅酒とかシードルはだんだん美味しく感じられるようになってきた。確かに飲み屋さんのメニューでシードルが置いてあるとそれを頼みたくなる。
 うむ、ウイリアムもシードル派なのか。ますます親近感がわくじゃないか。今日から私も「シードル男」と名乗ろうかとすら思う。

 ちなみにウイリアム王子がこの日頼んだシードルは、アスポールというメーカーのものらしい。自分は今まで見たことがない。通販で仕入れたくなってきた。

<追記>そのあと7月4日にイギリスでは「パブとかレストランとか、営業再開!」となったとたん、街中にみんな押しかけて、すごい浮かれっぷりになっている様子が伝えられていて、ちょっと心配にすらなってくる(例えばこちらの動画)。でもまぁ、こうなっちゃうよなぁとも思う。

 

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2020.06.21

「肩をすくめる読書」

 ずっと気になっていたが、なかなか挑む気になれなかったアイン・ランドの小説『肩をすくめるアトラス』を、このたび読み終えることができた。

 長い、ひたすら長い物語だ。でも小説としてそれなりに楽しんで読めたのが「意外」だった。
 というのもアイン・ランドの作品は小説というよりも「思想書」みたいな扱いで、1957年に発表されたこの『肩をすくめるアトラス』は彼女の最高傑作とされており、「アメリカ人が聖書の次に影響を受けた本」に選ばれるぐらいなので、アメリカ人の社会的意識や価値観などを理解するためには格好のテキストなんだろうという感じで、関心を寄せつつもずっと横目に見ていた感じであった。

 そしてなぜか日本語版はすんなりと手に入りにくい書物(その事情は後述)だったのでなおさらカルト的な存在感を放つ本であり、その分厚さも含めて容易には近づく気になれない小説であったのだが、最近になって手に取る意欲をかきたてたのは、たまたまオリヴァー・ストーン監督の『スノーデン』の映画をもう一度見直してみたことがきっかけだった。最初に観たときには記憶にまったくなかったのだが、スノーデンがCIAに入るための試験を受けるとき、その後彼にとって非常に重要な上司となる面接官が、話の流れで『肩をすくめるアトラス』からの引用を語りかけると、スノーデンが『私の信条です』と返すシーンがあったのである。つまりはそういう位置づけで語られうる小説であり、CIAで生きるようなアメリカ人の思想形成においてもあの作品が持っている「意味合い」がある程度共有されているのだろうということが伺えたわけで、うむ、ここは気合いを入れて向き合ってみるかとこのコロナ禍のステイホームな状況下で思い直したわけである。

 

 で、アイン・ランドが14年間をかけて執筆したというこの『肩をすくめるアトラス』の要約を、無謀を承知で私なりにヒトコトで説明すると、

「自分では何もできない無能なヤツらは、できる人間の邪魔をするな」

ということなんだと思う。ひたすら長い物語を読み続ける読者にたいして、一貫して作者が訴えかけてきたメッセージは、シンプルにこのことだけだったと感じている。

 ストーリーのあらましを説明すると・・・時代設定が明確にされていないので少しSF風であり、50年代のようにも思うし近未来のようでもあるアメリカが舞台。メインの主人公は大きい鉄道会社の副社長を務める若い女性。創業者の子孫として誇りを持っており、社長である兄と対立しながら鉄道の経営に自らの能力を発揮して邁進している。石油産出で盛り上がるコロラドへの路線を再建するべく、鉄鋼の新素材を開発した実業家との協働により自らの信念によって事業を進めようとするも、政府や企業カルテルによる規制施行に翻弄され、そしてさまざまな業界の気鋭のリーダーたちが表舞台から不可解な形で次々に姿を消すという現象が起こり・・・ということで、このあたりが1巻目の話で、残り2巻でさらにいろ~んなことが起こっていく。企業小説でもあり、ややミステリー小説でもあり、やや恋愛小説でもあり、ちょっとSF風ディストピア小説的な、そういう意味で「結局なんなんだよ」というツッコミも入れたくなるが、この膨大すぎるページ数を前にすると「さもありなん」となるわけである。そりゃあ取材や執筆に14年もかかるわ。

 本のカバーに書かれた説明文では「利他主義の欺瞞を喝破し、二十世紀アメリカの進路を変えた資本主義の聖典」とあって、この物語が示す「できる人間の邪魔をするな!」というメッセージが、現在に至るまでのアメリカ主導における自由主義経済、市場原理、ひいては「個人の成功に基づくアメリカン・ドリーム」の存在を支える根本的な考えかたに結びついているんだろうと思う。旧ソ連からアメリカに亡命同然でやってきたアイン・ランドにとっては、自らのルーツを踏まえて、いわゆる社会主義的な思想への徹底した拒否感を小説執筆の形で昇華させていったのであろう。
 そしてこの小説で徹底的に糾弾される「たかり屋」のありかたやその構図は、まさに今の日本における自民党政権やアベ政治の拝金主義を連想させるし、一つの寓話として現在でもリアルに通用する部分があるかもしれない。

 ここまで影響力を誇る(らしい)本なので、当然のように賛否両論もあって、今はそうした論考をあれこれ探して読むのが楽しい。翻訳家の山形浩生氏は独特の論調でかなり酷評していて、どちらかというと私も山形氏の意見に近い感じを今は持っている。でもこういうすさまじい物量の小説を完成させるためのエネルギーを一人の作家が燃やし続けるにあたっては、アウトプットされる主張が極端なカタチになっていくのは致し方ないのかな、という印象もある。

 そんなわけで、「これはみんな読んだほうがいいぞ!」という気持ちにもなりにくい小説であり、ひとつの読書経験としては貴重かもしれない、ぐらいに留めておきたい。というのも、すごく印象的だったのは、終盤のクライマックスで一人の人物が小説の中の時間で3時間にわたる演説を行うのだが、その演説部分を読むだけで確かに実際の時間で2時間ぐらいかかって、「普通に小説を読んでいるだけなのに、一人の人間が話し続けるという場面状況においては、そこを読み進めることがどうしてこんなに苦痛を伴うものなのか」と感じながらページをめくっていた。これは今までに味わったことのない種類の「しんどい読書」の時間だった。そして同時に、小説の中の人物たちが、このときの長い演説を聴いているときに感じていたであろう苦々しい気持ちを読者として一緒に味わうかのような不思議な感覚が残った。

 さらに、この小説全体に言えることだが、登場人物の発言の内容がうまくすんなり理解できない部分が非常に多く、そこはもはや私のキャパがオーバーしているだけの問題なのだろうけど(決して翻訳が悪いとは言いたくない。むしろこの長い小説を、一定のテンションを保って訳しきっただけでも偉業だと思う)、まさに『肩をすくめる読書』とでも言いたくなる。

 そして私がどうしても気になっているのは、これほどまでに社会的影響力が強い「古典的名作」であるのなら、どうして日本では大手の出版社が発行を手がけないのか、ということである。メジャーな出版社から出ていないがために、この本をリアルな書店で見つけることは難しく、私はネット通販で文庫版を3巻すべて入手するのにもちょっと苦労した(最近は増刷されたのか、在庫がでてきている)。

 この本の版元は「アトランティス」という出版社で、ネットで調べる限りとても大手とは言えず、そしてどうやらアイン・ランド関連の仕事しかしていないように思える。そもそも「アトランティス」というキーワードも『肩をすくめるアトラス』のなかに何度も出てくるので、まるでアイン・ランドの思想を広めるためだけに作られた組織のようにさえ映る。しかし、どうして? 版権の問題などはもちろんあるのだろうけど、長年にわたって大手出版社がこの本を扱えない事情でもあるのだろうか。

 そんなわけで、本の成り立ち自体が、まさにアイン・ランドの小説世界に出てくるかのように、ちょっと不思議な体裁をかもしだしているのであった。

 


第一部:矛盾律


第二部:二者択一


第三部:AはAである

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2020.06.18

最近は腸活をがんばっている

 春先に同僚のA氏が、「花粉症対策で毎日ヨーグルト食べてるんスよー」と言うので、そんなキャラだとは思ってなかったのでなんだか妙に面白く感じ、その流れで自分でもヨーグルトについて調べてみたら、なるほどたしかに「腸活」とはよく言ったもので、毎日食べ続けることで免疫力が上がるのなら、自分も心がけてみようとなった。折しもそのタイミングで新型コロナウイルスの蔓延もあり、もはや義務感のようにここのところずっと朝晩の2回、ハチミツをかけてヨーグルトを食べ続けているタテーシであった。

 ネットで「朝と夜で違うメーカーのヨーグルトを食べると良い」というお医者さんの記事を見つけて(こちら)、同じ種類の菌ばかりが腸に残ると、菌が「なまける」らしく、適度に違う種類の菌を入れた方が活性化するとのことで、それはすごく人間臭くて面白いなぁと思ったので、私もそれに従っている。朝は、どこでも入手容易なブルガリアヨーグルトに固定し、夜は数週間ごとに別のブランドのヨーグルトを試しているところである。当然、ここのところおかげさまで体調も良く、お通じも素晴らしい状態をキープしている。逆にいうと以前の私はそのあたりが極端なリズムによって動いていたような気もする。そういうわけで、「腸内環境を育てていく」感じをそれとなく楽しんでいる部分もある。

 買ってきたヨーグルト400gを1日100gずつ食べていくわけだが、記憶力が悪いのでたまに「これ何日目だ? いつ開封したっけ」となって、残量から判断するにしてもいまいち確信がもてずにモヤモヤしてしまうことも多く、先日からはキッチンに油性ペンを常備しておいて、開封時にフタに日付を書き入れるようにした。理由が情けないので「工夫してます」という感じに思えないのが切ないが。ちなみに森永のビヒダスはパッケージ外面に100gずつの目盛りが書いてあって、こういうのはありがたい。

 

 ただ、毎回ハチミツをかけてヨーグルトを食べているうちに、自分はもしかして単にハチミツを味わう口実としてヨーグルトを利用しているのではないかと思うようになった。プーさんか。そして本当であれば、もっとハチミツにお金をかけたいところでもある。どうしても「本物のはちみつ」を人生のどこかで一度でも味わってしまうと、近所のスーパーで簡単に手に入る他のハチミツにたいして心のどこかで白々しい気分になってしまうわけで、このあたりの葛藤を抱えつつも毎回ハチミツの味を堪能させてもらっている。

 奇しくも最近読んだ本に「ハチはなぜ大量死したのか」というルポルタージュがあって、ミツバチの健康被害が世界的に蔓延して、その数がどんどん減っているという報告に心を痛めているがゆえに、なおさら私はハチミツにたいする思いが強くなりつつある。

 それで思い出したが、15年ほど前ぐらいに『HOWE』のネタになるかなという期待を込めて、愛知県に住んでいる、観光客にミツバチについて語ってくれる養蜂家のおじさんのところまでわざわざ行ったことがあった。なぜかそのことをフリーペーパーにできなかったのは当時の私の力不足に他ならないのだが、とにかく養蜂の現場に触れたことはとてもいい経験になり、自分にもし土地があったら、ぜひ養蜂を趣味にしたいと思い続けている(案外都会の真ん中でも養蜂はできるみたいである)。そのとき話をしてくれた養蜂家のおじさんは、たしか脱サラして養蜂を始めたとかで、「ハチを見ていると、サラリーマンのようにがんばって働き続けるその姿に愛しいものを感じる」と語っていたのが懐かしい。

 

ヨーグルトの話だけ書くつもりがハチミツの話になったが、そんなこんなで私はおかげさまで最近とても健康ではあります、はい。

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2020.05.17

フロッシュ洗剤の匂いに、旅の記憶を呼び起こさせられる

10年ほど前に一人暮らしを始めるにあたって、長姉から「これはおすすめ」と、フロッシュの食器洗剤でアロエの香りのするタイプのやつを専用ボトルとセットでもらった。

 

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 水を混ぜて薄めて使うから経済的で、手にもやさしそうだし、特に食器洗剤にこだわりもなかったので、その後もずっとこのタイプを使い続けていた。

 で、ついこの間、洗剤のストックが切れそうなので買い足すべく、近所でフロッシュ製品を扱っているお店に行った。

 すると、どういうわけかこのアロエのタイプのものだけが売り切れていた。いつでもこの店で手に入ると思っていたのでストックがなくなるギリギリまで買わなかったことを後悔し、そしてこんなコロナの状況下だから、買い物のために外出する回数をできるだけ減らしておきたい気持ちもあったので、「仕方ないからたまには別のタイプの洗剤を試してみるか」と思い、「重曹入り」を買って帰ったのである。

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 フロッシュはドイツのメーカーがリリースしているはずなのだが、重曹入りのことを「Juso Plus」と書かれると、これは日本市場向けの製品なんだろうか、なんだか柔道がオリンピックで「Judo」と表記される感覚と似ているなぁ、などと思ったのが第一印象である。

 そしていざ使ってみると、この10年間近くずっと同じ種類の食器洗剤を使い続けてきたというのは、すなわちそれ以外の匂いが少しでもすると、「必要以上に匂いを強烈に意識する」ことを痛感したのである。

 最初の印象は、「すげぇ外国っぽい匂い!!!」である。うむ、これはもともとがドイツのメーカーだから、そりゃあそうなのかもしれない。ただ先ほど書いたように、もしかしたら日本だけに向けて企画された商品かもしれないという、かすかな推測があったので、なおさら「Juso」の日本語なまりの製品名からは対極にあるような「むっちゃ異国情緒」の圧力が押し寄せるこのフレーバーには、まず面食らった。や、「鼻に食らった」というべきか。

 そして次に浮かんできたのは、まさに「匂いの記憶」というものであった。人間の嗅覚が呼び起こす記憶にはしばしば驚かされるものがあるが、私にとってこのJuso Plusがかきたてたのは、「イギリスかドイツかアメリカのユースホステルの台所」だった。私の人生では海外でユースホステルに泊まったことがあるのは今のところその3カ国だが、自分でご飯を作ったりお皿を洗ったりするシチュエーションにおける、「あの場所の匂い」が、この洗剤のフレーバーと強く結びついたのである。

 なので、「久しくユースホステルを泊まり歩くような旅行もしていないな」とか「たまにはああいうちょっと不便な状況に身を置くのも楽しいよなぁ」とか「フツーに海外旅行行きたいよな、いま」とか、洗剤ひとつでいろいろなことを、食器洗いのつかの間のひとときに考えたりする日々が今続いていて、このアクの強い匂いにも親しみがわいてきている。

ひょっとしたらそのうちこの匂いにも慣れて、何も感じなくなるのかもしれないが。

 

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2020.05.09

動きの遅い私でも、いつでもメディアになりえること:『野中モモの「ZINE」:小さなわたしのメディアを作る』について

 

『野中モモの「ZINE」:小さなわたしのメディアを作る』(晶文社、2020年)

 

この本の帯にはこう書いてある。

「何かを作りたいと思ったら
 あなたはいつでも
 メディアになれる」

 フリーペーパーのようなものを作ってみたいと衝動的に思ったころの自分に言ってあげたい言葉だ。


 
 ごくたまに、若い人に向けて、自分が作っているものについての話をさせてもらう機会があったりする。そして私が高校3年生のときにフリーペーパー『HOWE』を作りはじめた頃のくだりで、必ず言いたくなることがある。
 それはきわめて当たり前のことなのかもしれないが、「人がメディアを語るとき、その人がどういう時代のなかで、どのような個人史においてメディアを捉えてきたか、そこを想像しながら聴いてほしい」ということである。

 私が自宅のワープロ機で最初のフリーペーパーの原稿を印刷したとき( とはいえインクリボンは高額だったのでめったに使わず、熱転写でプリントできる安い感熱紙であらゆる文書を打ち出していて、こうした保存がきかない紙で初期の『HOWE』を作っていたことを後々になって後悔することになるわけだが )、まだインターネットというものの存在は知らなかった。その年の暮れに「Windows 95」というパソコンの基本ソフトが発売されて盛り上がっている様子がニュースで盛んに報じられていたが、まだそのことの本当の意義やその直後に起こりうることはよく分かっていなかった。
 その翌年大学に入り、友人MSK氏に教えてもらい、図書館に置いてあるごく一部のパソコンだけがインターネットにつながっているというので、そこで私は初めてウェブサイトというものを見て衝撃を受け、それからはネットサーフィンに明け暮れるようになった。
 しかし私はそれでもホームページづくりではなく、すでに自分がカタチとして持っていた「新鮮な遊び」ともいえるフリーペーパー作りにもう少しこだわろうと思っていた。

 もしこのタイミングが少しでも違っていて、高校生の頃にインターネットに触れていたら、私はおそらく「紙によるメディア」を作ろうとはまったく思わなかったかもしれない。

 こうして個々人にとってのメディア体験を語ることは、その人の生きた時代なり技術史なりとの関係のなかにおいて受け止められることによってようやく「その時々の面白さや意味」が浮かんでくる。

 すでに『日本のZINEについて知ってることすべて』(誠文堂新光社、2017年)という決定的な仕事により、戦後占領期以後から現在に至るいくつもの自主制作印刷物について網羅的な解説をされた野中モモさんが今回の新著で取り組んだのが、まさにこの「メディア環境の変遷と個人史」を書ききることだった。まだ見ぬ若い世代の読み手にZINEの面白さや可能性を伝えるためには、やはりどうしてもこの作業が必要なのだ。おそらくご本人にとってしばしば書きにくさを感じるテーマだったかもしれないが、こうして日本のZINEカルチャーを応援し、また実践者としても試行錯誤してきた独自の取り組みのあれこれを読者と共有するためには、やはり野中さん個人による「私語り」からはじまっていくのが最もふさわしい。そしてそれは、決して「こういうルートがモデルである」というのではなく、むしろまったく逆で、「それぞれのオリジナルな自分だけの土壌から、いかにメディアを紡ぎ出すか」を示すことであり、そのひとつの手段としてZINEがあるのだ、ということだ。

 そして第2章からつづくのは、さまざまなZINEの作り手や、ZINEをめぐるコミュニティについての紹介になるのだが、そこにも「参考となるモデル」ではなく、「極めて独自の、他にない、その人ならでは」の話が連なっていく。だからこそZINEは「わたしがつくるもの/誰でもつくることができるもの」としての意味が深まっていくのであり、この本がトータルで伝えたいことも「お手本なんてないし、求められるクオリティなんて関係ないし、あなたの立ち位置から、自由に作ってみよう」なのだと思う。

 冒頭の帯のコピー、「あなたはいつでもメディアになれる」をあらためて考えると、これもそれぞれの読み手の世代によって、捉え方が違ってくるのだろう。今では誰でもメディアになれる(ならざるを得ない)ことは自明のことのようにすら思えるかもしれないが、この本でいう「メディアになる」というのは、技術革新のスピード感とは無縁のものだ。すでに広がっている、大きな組織や経済によって構成されてきた仕組みに同調するのではなく、それらと趣が異なる地平に降りていき、遠くにいるかもしれない誰かに向かって、自分の腕力でできる範囲で、その想いを放り投げ続けていくことなのだ。

 そうした試行錯誤が、たとえすぐには誰かに届かなくても、広い世界に向かって精一杯に腕を振って何かを投げたことで生じる、どこか心地よい疲労感が肩に残る感じ・・・その「手応え」みたいなものが、ZINEという「手間がかかって、なにかと遅いメディア」を自分の手で作り上げていくことで得られる楽しさなのだろうと思う。

 

 ・・・そして今回のこの文章はまさに、ここ数年のあいだ様々な言い訳を連ねて何もZINEやフリーペーパーを作ることができていない自分自身に、ダイレクトに跳ね返ってくるわけであるが・・・遠くに投げたいけど、その腕力もめっきり落ちてきまして・・・いやいや、がんばりますよ、ええ。

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2020.05.03

外に出かけられないし、掃除機をデコレーションしてレーシングカーっぽくしてみた

 掃除機を新しく買おうと決めたのだが、どうせなら以前やったネタのように、レーシングカー的なデコレーションがやりやすそうな掃除機を買おうと思った。つまり、性能とかは度外視である(もちろん価格は考慮したが)。
 そうしてさまざまな掃除機の「外観」だけをチェックした結果、購入を決めたのが東芝のVCーC7である。まるで掃除機のジャケ買いだ。

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 いかがだろうか。デコレーション欲をかきたてられないだろうか、なりませんか。ボディーワークの優美な曲線が、「マシン感」を醸しだしている。
 
 そうしてあらためて掃除機のデザインを、レーシングカーとの接点という文脈で眺めてみると、面白いことに気づかされる。タイヤがついていて、高速回転する部分があって音がうるさく、そしてサイクロン部分の透明パーツはドライバーのかぶるヘルメットのバイザーのようにも見えてくるし、さらに言うと吸引ホースだって、見ようによってはまるで「燃料タンクの給油ホース」のようである。つまり家電製品のなかで、掃除機はもっともレーシングカーの“様態”に近いのである。このことに気づいているモータースポーツファンはどのくらいいるのだろうか? 私は世界中で似たようなネタをやっている人をそれなりに探したつもりだが、ついぞ見かけなかった。どうしてもっと多くのマニアは、こんなにも「似ている」のに、自宅の掃除機をレーシングマシンっぽくデコレーションしようとしないのか!? (まぁ、家族の理解が得られないのだろうけど・・・)

 

 そんなわけで、私は(今回も)イタリアの酒造メーカー、マルティーニ社のスポンサーカラーを表現するべく、1971年のルマン24時間耐久レースで優勝したポルシェ917Kをモチーフにして、ひたすらステッカーを作って貼りまくってみた。

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▲この記事をアップする直前まですっかり忘れていたが、以前ドイツを旅したときに、ポルシェ・ミュージアムに行っていたのだった。この写真はそのとき観た別の917。

 

 今回は2種類のステッカー用紙を使ったが、ボディの白色部分には今回はじめて「伸びる素材」の用紙(透明タイプ)を使ってみた。これが程良い素材感で、マットな色調で貼り付いた部分にもなじみやすかった。黒っぽい部分には下地が透けない通常タイプのステッカー用紙を使っている。あとはいつも通り、ネットで企業ロゴを検索できるサイト(こちら)や(こちら)などを参考にしたり、カーナンバーの写真をIllustratorのソフトでなぞって自分で作ってみたりした。

 

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 こうして作ると、今にも勝手に走り去っていきそうな掃除機となった。スピード感ではあのルンバもまったくかなわない驚きのポテンシャルを秘めていそうだが、自動で掃除まではしてくれなさそう。

 

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 1971年のルマン24時間レースのことはもちろん、このポルシェについても本来はまったく自分には馴染みがなかったが、この掃除機とともに少しずつ親しみを覚えそうである。まぁ、そもそも掃除機に「ポルシェ」のロゴを勝手に貼り付けて「まるでポルシェがデザインしたような掃除機ではないか!!」と一人で盛り上がっている時点で、何かしら貧乏くさい気分になりつつあるが、そこは置いておこう。出来上がってしまったものは仕方がない。

 そしてこれは本気で真面目にアピールしたい部分なのだが、こういうデコレーションをすることで、掃除機を「見せる収納」として置いておくことができるのである。まるでお気に入りの楽器を立てかけているような感じで、この掃除機も部屋のインテリアの一部として、すぐ手の届くところに置いてあり、部屋の彩りになっているのである。
・・・「奥にしまえよ!」というツッコミは、ナシで。

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▲まぁ、単にどこに置いても家のなかで存在感出しまくりなので収納する気にもならず。

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2020.04.06

脳天気な記事を書きたいと思いつつ、最近読んだ『スノーデン独白:消せない記録』のことについて

 まったく時流に関係なく脳天気なブログ記事を書きたい、と思っている。

 ひとえに私は機嫌良く生きています、と言いたい。そりゃあこの国の政治家にたいして総じて腹立たしい限りであるし、そのうえで、選挙だけでなく、怒りを別のエネルギーでも表現していきたい。それが「機嫌良く生きぬくこと」ではないかと思う。自分の機嫌は自分で取ろう。人を頼らずに。最大の復讐は、ひとりひとりの個人が(見てくれだけでも)機嫌良く生き続けることだ。きっと。

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 最近読んだ本では『スノーデン独白:消せない記録』(山形浩生訳、河出書房新社、2019年)がとても面白かった。その表現は不適切なんだろうけど「面白かった」としか言いようがなかった。本人の手によるエドワード・スノーデンの自伝は、オリバー・ストーン監督による映画『スノーデン』の影響もあって、その記述からありありとヴィジュアル的にイメージがどんどん沸いてきて、緊迫感がリアルにつたわってくる。

 前に書いた、スヌーピー漫画の作者シュルツの自伝についての記事でも同じテーマに触れたが、スノーデンの人格形成期を振り返ると、この人にとっても軍隊生活というのは非常に重要なファクターだったことがうかがえる。そしてこのスノーデンの場合は、9.11テロによる衝撃から、きわめて直線的な愛国心ゆえに、パソコンオタクとしての我が身をふりかえることなくマッチョな軍隊の門を叩いたあたり、「徹底的なまでに実直すぎる人」なんだろうと思う(彼の人生最大の後悔は、9.11テロ後のアメリカによる戦争を『反射的に何の疑問も抱かずに支持したこと』だという)。結果的に訓練で追った足のケガの影響で彼は(幸か不幸か)軍隊を辞めざるをえなかったわけだが、その正直さがゆえに、結果的にパソコンスキルを活かしてCIAの内部に入って職業人として使命を全うしようとしたときに、徐々に分かってくる国家的陰謀にたいして、信じ切っていたものに裏切られるかのような、はげしい葛藤に悩まされていくわけである。


 その葛藤は、彼が日本の横田基地にあるNSA(アメリカ国家安全保障局)のセンターで勤務していた頃から始まったという。そこで開催される会議に出席予定だった技術担当者がたまたま欠席となりスノーデンが代役を頼まれ、そこで発表の準備のために中国による民間通信の監視技術に関する資料を読みこんだことが発端となった。本書の200~201ページではそんな彼の人生のターニングポイントともいえるそのときのことがこう綴られる。

「中国の市民の自由はぼくの知ったことではなかった。ぼくにはどうすることもできない。ぼくは自分が正義の側のために働いていると確信しており、だから僕も正義の味方のはずだった。

 でも読んでいるもののいくつかの側面には困惑させられた。ぼくは、技術進歩の根本原理とすら呼べるものを思い出してしまったのだ。それは何かが実行可能ならば、それは実行されてしまうだろうし、すでに実行済みである可能性も十分にある、というものだ。アメリカが中国のやっていることについてこれほどの情報を手に入れるためには、どう考えてもまったく同じことをやっていないはずがないのだ。そしてこれだけの中国に関する資料を見ている間に、自分が実は鏡を見ていて、アメリカの姿を見ているのではというかすかな考えがどうしても消えなかった。中国が市民たちに公然とやっていることを、アメリカは世界に対してこっそりやれる―― それどころか、実際にやっていそうだ。

 こう書くとたぶん嫌われるだろうけれど、当時はこの不穏な気持ちを僕は抑え込んだ。実際、それをなんとか無視しようとした。(中略)でもその徹夜の後の眠れぬ何日かを経て、ぼくの心の奥底ではかすかな疑念がまだ蠢いていた。中国についてのまとめを発表した後もずっと、僕はつい探し回ってしまったのだった。」

 その後の数年間の準備や葛藤を経て、この実直すぎる男が取った行動は世界をゆるがしていくことになる。そのことの重大さやカバーすべき情報量にはとても一読者の私にはついていけないのは当然なのだが、今回の自伝によって、「人生で最も重要な教えと言えるものを教えてくれたのは『スーパーマリオブラザーズ』だ」と言ってのけたり、人生ではじめてインターネットというものに触れたときの衝撃を隠すことなく素直に書いていくその筆調に、私はまさに同世代としての強い共感を覚えるわけで、それゆえに、政治的な意味とか社会的影響とはちょっとかけ離れたところで、ロシアで幽閉された生活を送っている彼の身を、不思議な親しみをもって案じてしまう。もっとも、いまはウイルスで世界中が幽閉生活となり、自分自身も身の危険を味わっている状況ではあるが・・・

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と、ここまで書いて文頭を読み直すと、「ぜんぜん脳天気な記事じゃない」と気づく。結局ウイルスの話やんけ、と。

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2020.03.23

家でできる趣味は、毎日全部やってみる(1ミリでも少しだけ)という作戦

 言いたいことはタイトルですべて表しているわけだが、まずこの話の前提として、日頃から私は、趣味というものを「ガス抜き」「息抜き」と捉える考え方を、どうにか変えていったほうがいいのではないかと思っている。

 趣味の時にガスを持ち込むのは、なんだかもったいないような感じがするのだ。
 ガスは脇に置いておけないか? と。
 そりゃあ確かに日常生活は腹立つことばかりだが、まずは少なくともガスを溜めこまないようにすること、ガスをどうにかして消化することに努めるべきであり、ただしその解消手段として「趣味をやる」というのは、何かが違うんじゃないかと思うのだ。

 たとえば息抜きでやっていることは「息抜きでやっていること」でしかない。「趣味」は、あなたが人生の時間、エネルギー、お金を投じて行っている、もっと大事なものではないだろうか。趣味が息抜きになるのかどうかは結果であって、最初から息抜きを目的にすべきではない。また、そのように周囲に思わせないことも大事だ。まわりの家族はそれで満足なのかもしれないが、息抜きと趣味は分けて考えておきたい。趣味とは、あなたの人生のなかで最大限に尊重されるべき、何らかの大きなものの一部である、と捉えたい。
 
 そこで本題である。家でできる趣味については、どんなに忙しい日でも、「やりたい趣味はすべてやってみる(1ミリでも)」という作戦を提案したい。

 そもそも最大のテーマは「時間がない」ということに尽きるわけだが、問題は時間が割けないこと以上に、与えられた時間との向き合いかたにある気がする。時間がないという思いにとらわれて見失いがちな、時間と向き合ううえでの意志や工夫というものを考え直すところがポイントじゃないかと思う。

 もちろん「それどころじゃないぐらい、日常の雑務に追われて一日が終わる!!」という日がほとんどかもしれない。しかし、その嵐のただなかにあってこそ、「それどころじゃないこと」に、ほんのわずかでも行動のリソースを振り分けてみること、それこそが、このつらい日常に抗していくひとつの戦略になるかもしれない。

 ほんの1ミリでいいのだ。本を開いて半ページだけ読むとか、楽譜を開いてみるとか、旅行先をネットで検索してみてひとつだけウェブページをみてみるとか、工作道具をひとつだけ机に出して準備しておくとか。ちょっとマヌケな感じがするのだが、しかし「何もできなかった」という印象で一日を終えることのほうが、いったい何のために自分が生きているのだろうかと、よっぽどマヌケな気分を味わうのではないだろうか。1ミリでもあらゆるものが進んでいけば、就寝するときの満足感みたいなものは、段違いに変わってくるはずだ。少なくとも私は、この作戦を実践することで、一日の終わりも穏やかな気分になって、そうしてぐっすり寝ている。

 うまくいけば、その1ミリがやがて2ミリとか5ミリぐらいになっていって、忙しい日常のなかで少しずつ趣味の時間を充実させていくことができるようになるんじゃないかと期待しつつ。

 そうやってこのブログ記事も、日々の1ミリを積み重ねて書いていくわけで・・・まあ、それでもこの更新頻度はなかなかあがらないわけだが(笑)

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2020.02.24

「時代より先に狂う戦略」:U2の90年代を思いつつ、昨年末の来日公演のこと

 思えばU2というバンドを聴くようになったタイミングは1991年のころで、中学生だった私は洋楽を聴こうと最初に手に取ったのが『魂の叫び』という邦題のアルバムだった(きっと当時から何かを叫びたかった子供だったんだろう)。そこから過去の作品を次々さかのぼっているうちに、リアルタイムで彼らは90年代最初のフルアルバム『アクトン・ベイビー』を発表することとなる。そのときの自分が熱心に過去の作品をたどっていた、80年代の熱くイノセンスな、そしてときに政治的なメッセージを込めた曲を演奏しているバンドと、現在において発表された最新アルバムの間には、なんともいえない別人格のような雰囲気があり、メディアでもこのU2の変貌をどのように受け止めるべきか迷っている雰囲気があった。いったいどうなってしまったのU2、ということだった。

 しかしこうして当時のことを思い返すと、あのときのU2の激変ぶりは、90年代を乗り越えるための絶妙な「戦略」だったということをあらためて実感できる。それは私なりの印象でいえば、「時代より先に狂う」ということだった。

 80年代における成功を勝ち取った汗くさい純朴なバンドがそのまま次の10年を迎えるにあたり、シーンのなかで急速に古くさいものと見なされて居場所を失っていくことを察知してか、この「時代より先にU2のほうが狂っていく」というあり方は、見事に効いたのである。それまでの「クソ真面目バンド」から「ケバケバしい派手好きロックスター」をあえて演出し、いわゆる「ポップ三部作」において打ち込みサウンドを積極的に取り入れたこのバンドの姿は、今だからこそ、それはすべて計算ずくの「暴走」だったということが伺える。

 たとえば90年代最初のツアーにおける「ZOO-TV」というコンセプトは、おびただしいモニターに無数のコトバやヴィジュアルが洪水のように観客を包み、錯乱ぎみの「ロックスター・ボノ」が様々な「仮装」をまとい、ステージ上からピザを注文して客席にふるまったり、ホワイトハウスに電話をかけてジョージ・ブッシュを呼びだそうとする。そしてライヴパフォーマンスと連動したヴィジュアル・アートの試みとして「架空のテレビ局」が共に動き、映像の洪水を垂れ流し、現実世界でリアルに進行中の湾岸戦争を強く意識した映像をもフォローしつつ・・・特にライヴのオープニングにおける、当時のブッシュ大統領の宣戦布告スピーチ映像をサンプリングして「We Will Rock You」とラップさせつつ「Zoo Station」のイントロに至る流れなど・・・「いったいあんたたちは何様なんだよ」というツッコミこそ、この実験的なツアーの神髄を言い当てていたかもしれない。つまり今から振り返ると、これはインターネット時代の到来を音楽ライヴとヴィジュアル・アートの形で表現した先鋭的なものだったと言えるのだ。誰しもが「誰でもないもの」になりえる、「何様」も「誰様」もない匿名/虚構のサイバー空間にただよい出る自我と、「どこでもだれでもたどり着ける混沌とした空間世界=近い将来に訪れるマルチメディア環境が解き放つ明暗」や「グローバリゼーション時代の到来における困惑や混乱」を表現しようとしていたU2。いやはや、私はついぞ映像でしか体験できていないが、あらためてあのツアーは音楽のみならず情報メディア史においても特筆すべきプロジェクトだったのである。

 こうして無事に2000年代を迎え、U2は「原点回帰」をうかがわせる『All That You Can't Leave Behind』を発表して、かつての素朴で純粋なU2が戻ってきたと全世界が確認し、すべては丸く収まり、そしてもはやそれ以後はこの地上で何をやっても無敵の存在となった。以前からもボノはロックスターの立場を利用して「世界一顔の売れている慈善活動家」となっていたが、この頃からさらに活動に注力してアフリカ諸国の債務帳消し運動などに邁進していく。したり顔の人々からは「偽善だ」という批判の嵐を浴びるものの、あの90年代の「先に狂う戦略」を思い起こせば、そんな逆風は彼にとってまったく無意味なのかもしれない。音楽がなしえる、人種や国境を越えた共感的パワーに支えられ、あらゆる壁を打ち壊すべく1ミリでも何かを動かそうと「熱量」を絶やさずに、偽善でも虚栄でもひたすらその信念を押し通すこと。それは当代随一の“クソ真面目ロック歌手”ボノだからこそ果たせる「やったもん勝ち」の闘争姿勢なのである。そうしてU2は今年でデビュー40周年。いつまでも変わらない4人、そして未だに仲良しな4人のおっさんたち。数十年のキャリアのなかでロックスターが陥りやすい変なスキャンダルもまったくなく「世界一、野暮ったいバンド」と自称して笑いを誘いさえする、それがU2である。

「終わりなき旅」とはよく言ったもので、その邦題がつけられた曲が収録されている『ヨシュア・トゥリー』のアルバムを全曲演奏するというコンセプトでワールドツアーが行われており、昨年12月4日にさいたまスーパーアリーナで行われた来日公演を観た。98年の「POP MARTツアー」のときにはじめて彼らのライヴを観て以来、20年近い時が流れてしまった。ちょうど当時の大阪ドームでのライヴを、たまたま別の場所でみていた同級生うめさんと、今回は一緒にチケットをとってライヴを堪能した。

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 もはや自分もいい歳になり、そしてそうそう何度もU2にお布施できる機会もないだろうから、今回はいろいろがんばったおかげでアリーナの前方スタンディングに乗り込んだ。いわゆる「出島ステージ」にも近くて、ラリーのドラムの背後あたりで、ドラムの生音が、会場全体にスピーカーを通して聞こえるドラムの音と当然ずれて届いてくるわけで、この距離感でU2の4人が演奏している時空間に、もう胸一杯の夜だった。セットリストとかどうのではなく、ひたすらホンモノのU2が目の前で演奏していて、そして技術の進歩を感じる広大なスクリーンには、アントン・コービン(写真家であり、あとジョイ・ディヴィジョンを描いた映画『コントロール』の監督もしたけど、すごい作品だった)による映像が鮮烈だった。

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 我々を囲む客の多くは外国人だったのも印象的だった。ひょっとしたら観光ついでにこのオセアニア~アジアツアーをバンドといっしょに回っている人も多いのかもしれない。そしてこれは今振り返って気づいたことなのだが、音楽ライヴ会場での「困りごと」でよく言われる「近くの客のほうが大声で歌い続けて、アーティストの歌声が楽しめない」という状況があるが、どういうわけか、このU2の現場では、まさに大声でみんなが歌う状況であっても、それを不快に感じることがなく、なんなら自分も歌うぞという勢いになってしまったほどだ(でも、肝心の英語の歌詞がよくわからないんだった)。会場の中心部だったからか、客の歌声に負けないエナジーがボノの歌にも、バンドサウンドにもこもっていて、その音圧が迫り来る状況だった。つまり、歌を聴くこと以上に、我々オーディエンスがこの現場で最も求めていた「熱さ」がそこには炸裂し続けていたかのようで、そうしてひたすら最後まで、いろんな民族が一緒になって歌い続けていた気がする。

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 そんなわけで、『ヨシュア・トゥリー』の80年代黄金期の曲たちをすべて演奏しつつ、新旧の名曲をおりまぜた圧巻のステージ・・・なにより、ボノの歌声の力強さが失われていなかったことがうれしかった・・・をカラダ全体で味わい、あらためてU2というバンドの存在に深い感謝の気持ちを抱いた次第である。
 終わったあとうめさんと会場の近所の居酒屋でゴハンを食べていたのだが、この夜に店内で流れていたBGMがずっとU2の曲だったのも、またよかったなぁ。

 

 そういうわけで、ライヴに行ったことからこのブログの記事を書きはじめてみて、あらためて90年代のことを思い起こさずにはいられず、自分なりにコトバにしてみた(2ヶ月ちかく、書いては消しを繰り返していたわけだが・・・)。でもこの「時代より先に狂う戦略」というのは、実は今まさに日本で生きている自分たちにとって重要な示唆を与えてくれるものになっているかもしれないな、と。それはまた別の機会に考えていきたい。

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2020.01.03

『キネマ/新聞/カフェー:大部屋俳優・斎藤雷太郎と「土曜日」の時代』、そして『スヌーピーの父 チャールズ・シュルツ伝』のこと

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 あけました。今年もよろしくお願いします。


 年末から年始にかけてブログを書きあぐねていた。単にダラダラしていただけなのだが、年末に読んだ2冊の本のことを書こうとしていて、うまく消化できていないのか、コトバにできなかった。それでも正月明けのこの時期には、少しは気合いを込めて文章を書いてみたいと思う。

 強引にまとめると、この2冊を私は同じようなテーマをもって読んでいたといえる。そのテーマとは、「一人の人間がコツコツと何らかの活動を続けること」だった。

『キネマ/新聞/カフェー:大部屋俳優・斎藤雷太郎と「土曜日」の時代』(中村勝・著 井上史・編、ヘウレーカ・刊)は、1930年代に京都のさまざまな映画撮影所を転々としていた無名の大部屋俳優、斎藤雷太郎が「読者が書く新聞を」の想いで手弁当で『土曜日』という新聞を発行し、やがて反ファシズムの文化運動として弾圧されていった、その歴史を描いている。


キネマ/新聞/カフェー――大部屋俳優・斎藤雷太郎と『土曜日』の時代

中村 勝
ヘウレーカ (2019-12-14)
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 この本の主役である斎藤雷太郎は、困窮のなかから家具職人になり、ひょんなことで舞台・映画界に関わっていくようになり、そのなかで激動の世情をまとう政治や文化に関する見聞を独学で身につけつつ、映画界の不安定な世界を必死に渡り歩きながら、1936年に『土曜日』という新聞を創っていく。「読者が書く新聞」を目指す以上、執筆者たちには平易な文章を徹底して求め、さまざまな層の読者に届かせることを強く重視したり、また今も京都に残る「フランソア」のような喫茶店に設置してもらって販売網や読者を広げていくというアイデアなども斎藤による工夫の表れであった。

 そしてやがて迫り来る言論弾圧の流れのなかで斎藤たちの活動も押さえられることになるのだが、驚くべきはこうしたインディペンデントの新聞事業を「黒字」のままで運営できていたことであった。これはもう相当に凄いとしか言いようがないわけで、こうした活動における「高い理想や主義主張と、経済観念のバランス」の取り方が示唆するものは興味深いところである。原稿を依頼する学者先生たちとの協動に苦心しつつ、広告主への営業をかけていき、そうして読者からの声も紙面に反映させて、どんどん流通を工夫して発信を続けるという、この絶妙な舵取りを最後まで「黒字」でこなしていった斎藤雷太郎の人物としてのずば抜けた興味深さが浮かび上がってくる。

 そしてこれはありきたりな感想になってしまうが、斎藤雷太郎が目指していたものは、そのまま現代におけるSNSの仕組みに近いところにあったわけである。だが、SNSでは成し得ない独特の機能が『土曜日』の試みにはあり、それはカフェで新聞を囲んで議論をするというような、生身の人間同士のかかわり合いを創出することであった。そういう意味では「紙の発信」の普遍の強みみたいなものも伺えて、そこが個人的には感じ入るところでもあった。

 この本は著者である中村勝が、晩年の斎藤雷太郎への取材を通して80年代に京都新聞紙上で連載をした内容がメインとなっており、その中村氏が昨年に急逝したことを受けて、有志の尽力によりこのたびの刊行となった。ゆえに読者は、当時の新聞連載の記事内容と、その斎藤雷太郎の活動を追ったジャーナリスト・中村勝の想いといったもののはざまで、ふたつの次元で対話をするように読むこととなる。新聞連載時から幾年も過ぎたあとの今の時代だからこそ語り得る、編者たちによる解説・解題によって、最後の最後でうまく腑に落ちていく感覚があった(たとえば新聞連載では、途中から話の主題が当時の京都の映画産業をめぐる精緻な歴史事実の整理がひたすら続くような様相を示していくことになり、本来のテーマからどんどん離れていくような不安を覚えるのだが、それもまた当時の新聞連載の独特の雰囲気を想像しながら読むほかない)。
 あと巻末には、この本のために書かれた、斎藤雷太郎の息子さんによる寄稿があり、これがじつに素敵な味わいのエッセイとなっていて、斎藤雷太郎の人となりが温かい手応えとなって残った。

 

そして年末を飾ったもう一冊の本は『スヌーピーの父 チャールズ・シュルツ伝』(デイヴィッド・マイケリス・著、古屋美登里・訳、亜紀書房・刊)である。スヌーピーの漫画『ピーナッツ』の作者についての決定版ともいえる重厚な評伝で、待望の翻訳が刊行された。


スヌーピーの父 チャールズ・シュルツ伝

デイヴィッド・マイケリス
亜紀書房
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 この本をひとことで表現するとなれば「ダークサイド・オブ・ピーナッツ」と言えるもので、訳者あとがきによれば、取材協力した遺族からは出版された内容をみて憤慨されたようで、このあたりはジャーナリズムのあり方としても非常に難しいところではある。残された手紙や資料なども駆使し、作者シュルツの暗部にもしっかり踏み込んで書ききっているため、『ピーナッツ』の漫画にたいする理解がさらに深まっていく(人によってはショックを受けたりもする)本となっている。


 私はかねてから、いわゆるキャラクターグッズの商標として用いられる『ピーナッツ』のキャラクターが表象するかわいらしくて無邪気な雰囲気とは裏腹に、原作の漫画について語られる、独特の辛辣さや寂しさみたいなものがどうしても気になっていて、この世界を創造した作者シュルツの個人史が大きく反映されているという説にずっと関心があった。なのでこの本を読むと「やっぱりそうだったのねぇ」と、まるで長年の問いにたいする答え合わせのような部分があちこちで顔を出すのである(たとえば、子供と犬しか登場しない漫画を描き続けてきたはずの作者シュルツ自身は、実生活では子供が苦手で嫌いだったりしたようである。でもだからこそ客体として突き放した角度から眺め、漫画として表現しやすかったのかもしれない)。

 そしてこの本でたびたび驚かされるのは、そうしたシュルツ自身の生活における浮き沈みにまつわるさまざまな感情的発露が、その当時描かれた漫画の端々に暗に込められていることを、評伝の著者が漫画作品の引用を通していくつも示唆していることである。つまりシュルツは、周囲の人間を信用していない代わりに、全世界にいる漫画の読者にたいしては自らの気持ちをペンを通して秘やかに吐露していくことで、なんとかバランスを取っていたことが伺えるのである。どれほど作品が成功を収めても常にあらゆることに不安を抱え、表向きは謙虚でも、その内側では途方もない野心と対抗心を燃やし続け、漫画を描くこと以外の自信は得られず、画板の前に座りペンを動かすことによる平穏だけを求めて苦悩の日々を過ごしていたシュルツの姿が想像される。

 あと私がとくに気になっているのは、シュルツの漫画家デビュー前の軍隊時代の部分である。著者はアメリカ人だからかそのあたりはあまり重視しなかったのかもしれないが、軟弱な(?)子供時代を送ったはずのシュルツ青年が、病死で母親を失った直後の失意のなかで入隊させられた軍隊で、どういうわけか驚くほど順応し、階級も上がっていき部下からも慕われる軍人に成長してその任務を全うしていくのであった。絵を描くこと以外においては「何をやってもダメで悩み多きチャーリー・ブラウン」そのままのような子供だったはずのシュルツが、アメリカの軍隊というシステムのなかで極端に順応していった(させられた)ことについて、私からすれば「そこにこそシュルツのその後の人生全般における屈折した何かを読み解くカギが眠っているのではないか」と思えてしょうがないのである。(アーティストと軍隊生活という意味では、最近の映画『トールキン 旅のはじまり』にもつながるテーマかもしれないが)。

 この本のエッセンスが見事に凝縮されたと思える一文が446ページにある。

敵の縄張りにいる感覚、悪意のある攻撃を受けている気持ち、ウェイトレスと戯れて恋愛に発展する可能性(シュルツの両親の出会いがそうだった)、遠くのどこかにいるまだ見も知らぬ素敵な少女――そういったものすべてがシュルツがこれまで体験してきたテーマだった。それが田舎育ちのいとこのなかでたったひとりの都会っ子として、美術部の生徒たちのなかで自分のあり方を求めていた孤独な高校生として、フランスからドイツに侵攻していった陸軍歩兵として、さまざまな編集者に次々に拒絶されてきた大志を抱く漫画家として、自己矛盾を抱えた60年代の有名人として(「一瞬にして持ち上げられたと思ったら、次の瞬間には地面に叩きつけられている」)、愛されたことがあるかどうか疑っている永遠に少年らしさが抜けない、永遠に孤独な男として生きてきたシュルツのテーマだった。

 

 ちなみに時を同じくして、河出書房新社からは『完全版ピーナッツ全集1950~2000』が刊行されることとなった。谷川俊太郎の日本語訳で古くからたくさんの単行本が刊行されているが、全作品を収録する全集としては意外にも日本初の試みということで、全25巻が刊行予定となり(さんざん逡巡したあげく私も発注した)、このタイミングでの『シュルツ伝』の刊行の意味はとても大きかったと思う。

ちなみにこの『全集』の各巻での装丁デザインは、どういうわけかキャラクターの顔に「影」がかかっているところが、非常に興味深いのである。『シュルツ伝』を読み終えた読者の目には、その陰の部分にこそ、この膨大な漫画作品の本質的な何かを感じ取ってしまいたくなる。

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そういうわけで、この年末には「自らの信じるものごとをコツコツと探求し続けてきた人」の本を読みきったわけだが、そういえば12月初旬には、「自らの信じるものをひたすら歌い続けてきたロックバンド」であるU2の来日公演を体験していたこともブログにはまだ書いていないことに気づく・・・その話はまた今度で。今年もできるかぎりコツコツ文章を書いていきたい。

 

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2019.12.18

今年も鈴鹿にいった話

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今年も11月のとある金曜日に休みをもらい、鈴鹿サーキットへ行ってきた。4年前、たまたま金曜日に休みを取ったが特にやることもなく、「久しぶりに鈴鹿へ行ってみようかな」と思いつき、偶然その日が「Sound of Engine」という、ヒストリックカーの走る週末のイベントのための「練習走行日」にあたることを知ったのである。で、いざ行ってみるとそこには写真でしか観たことのないような古いF1マシンがたくさん並び、パドックからピットガレージ、そしてピットウォールまで歩いていけて、丁寧にメンテナンスされた古い車のエンジン音やその走りを浴びるように体感できたのである。それがきっかけで私は、それまですっかり遠のいていたF1グランプリの世界に再び目を向け、特に70年代から80年代あたりのレトロなF1マシンを追うことに人生の愉しさを見いだせる方向性が残っていることに気づき、それ以来この時期はかならず金曜日に休みを取って鈴鹿を訪れているのであった(しかも金曜日は遊園地に入る料金だけでサーキットエリアにも立ち入ることができる。これ以上ない素敵な空間なのである)。

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 しかし、イベント公式サイトの最新情報を日々チェックするうちに、どうやら昨年までのメインスポンサーであるRichard Milleが今年は撤退したようで、その影響で海外からやってくるマシンの数が相当減っていることが伺え、そのあたりからちょっと不安な気持ちになっていった。
 それでも今年は6輪ティレルP34が目玉マシンとして登場するし、その一方でこちらもレーシングカーの歴史に残る革新的なティレルの名車「019」も走るわけで、期待は十分抱いていた。

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 で、実際に来てみると、どうも運営側は昨年までの「ユルさ」を許さない雰囲気のようで、盛んに「一般客はスタンドから観てください」とのアナウンスが繰り返された。もちろんほぼすべての客は去年までもずっと節度を守っているはずなのだが、こう言われても仕方のないほどにユルい、つまり「危険な状態」にあったことは同時に認めざるを得ない。私も2年前にはたまたま2つのピットの間の支柱あたりに身を寄せていたせいで、「自分のまわりを5台ぐらいのF1マシンがアイドリング状態で囲んでからピットアウトしていく」という、なんとも非現実すぎるシーンを味わったのだが、冷静に考えるとかなり危ない立ち位置でもあったので、今年はそういう場所そのものに一般客を立ち入らせないような対応になってしまった。その影響か、各団体のガレージも今年はシャッターを下ろすところが多かった気がする。モータースポーツって見せ物だし、このイベントは競争が目的ではなく、テクノロジー面での企業秘密などは無関係の「クラシックカー」のイベントなのだから、そのへんはもっとオープンでいてほしいのだが、図に乗ったマニアのわがままが過ぎると言われたら、何も言い返せない。

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そんなわけで、間近でエンジン音を聞くぐらいがかろうじて可能な楽しみ方で、あこがれの古い車に鼻先をつけるぐらいの距離でじっくり観察できる機会は稀だった。
今回のゲスト・ドライバーのひとり、ピエルルイジ・マルティニと、彼の所有する6輪ティレルP34の練習走行前などは、さすがにお客さんもピット前に集合していて(もちろん節度は守りつつ)、私もその一人だったわけだが、どうもマシントラブルが直らなかったようで、練習走行の時間には間に合わなかった。マルティニも走りたかっただろうに。

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そんなわけで例年になくテンションは下がる一方だが、さらに追い打ちをかけるように、サーキット内のレーシングカート場「アドバンスドカート」が閉鎖されていたのである。この跡地にできるカートのアトラクションが、どうも「親子でチャレンジ」みたいなことが書いてあって、これもイヤな予感しかしない。

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レーシングカートが誰でもちょっとした講習ののちに運転できる場所というのが、遊園地という装置のすぐそばにあるということがこの鈴鹿サーキットのすばらしい点だと思っていて、遊具とかアトラクションとは無縁の「ガチのレーシング体験」ができてこそ、サーキットならではの取り組みだと思っているのだが・・・そして何よりペーパードライバーである私が年に一度だけ運転免許証を持っていることに意味が見いだせるような、エンジン付き自動車を思い切り運転できる貴重な場であったので、秋晴れの空の下、受付のあった暗い入り口の前でしばらく固まってしまった。

そんなわけで、毎年の秋の秘かな楽しみだったこのイベントもひとつの曲がり角を迎えているのかもしれないが、「回顧的モータースポーツ趣味」という新たなジャンルを見つけさせてくれたこの場所にはやはり感謝しかない。
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そして今年になってようやく気づいたのだが、YouTubeでは、古いF1レースの中継映像を世界中のマニアがアップしてくれているのである。なのでもっぱら最近はそればっかりをテレビで流す生活を送っている。いろんな言語の動画があるのだが、中学生だった当時の私が知ったら卒倒しそうな貴重映像がいくらでも無料で観られる時代になっており、写真でしか観たことがないF1マシンの、実際の動く様子が手軽に確認できてしまうわけで、こんな時代がくるとは・・・と遠い目で画面を眺めてしまう。

 

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そんなわけで、最近は静かに自分のなかで、ふたたびモータースポーツ熱が高まっている。ただし後ろ向きのベクトルで、だが。

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2019.12.14

MARTINI RACING風のウェットティッシュケース

ふとキャンドゥの100円ショップにいったら、こういうものをみつけた。

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ウェットティッシュのケース。

白くて角張っているのがとってもいい感じ。

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中ふたが着脱可能なので、そのへんもよくできている。

 

最初これを出先のキャンドゥでみたとき、荷物がかさばるので、後日あらためて他の近所のキャンドゥで買おう・・・と思ったのだが、いざ探してみるとぜんぜん他の店になくて、こういうのは100均とはいえ一期一会なのねぇと痛感し、面倒だったがもう一度同じ店に出向いて購入。(追記:Seriaでも売っているみたいです → こちらなど参照)

 

これを欲しくなった理由としては、パソコンで印刷したシールでデコレートできそうだと思ったからである。

というわけで、最近凝っている、レトロでちょっとケバい雰囲気の「MARTINI RACING」風にアレンジしてみた。

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▲こういうイメージです。

 

いくばくかの試行錯誤の末、シールを貼ってみると・・・



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うむ。

深く考えずにシールを配置してみたら、なんだかプレゼントのリボン包みみたいなノリになったので、妙に可愛げが増したな。

以上、最近の工作ネタです。

 

★作ったシールの原画のPDFをアップしてみます

ダウンロード - martinie382a6e382a7e38383e38388e38386e382a3e38383e382b7e383a5.pdf

 

 

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2019.11.11

ずっと気になっていた「地味ハロウィン」に参加してみた話

 

 案の定、ひとりで「地味ハロウィン」に行ったことは友人たちにバレてしまったわけだが。

 あらためてブログでその報告をしたい。

 

 デイリーポータルZが数年前から提唱している「地味ハロウィン」はかねてからぜひ参加したいと思っていたイベントだった。今や類似のイベントがほかの地域でも行われるようになってきたのだが、やはり最初は本家本元での現場を味わってこそだろうと思い、こっそりと渋谷の東京カルチャーカルチャーまで行ってきた。

 ところで、地味ハロウィンに参加するにあたって最大のポイントは言うまでもなく「自分はどんなネタで仮装をするのか」にある。以前からあれこれと妄想を重ねてたどり着いたネタがいくつかあり、そのうちのひとつにしぼって数ヶ月前から少しずつ衣装をそろえていたのであるが、初めての本家・地味ハロウィンが近づくにつれて「果たして本当にこのネタでいいのだろうか、そして自分の人生はこれでいいのだろうか」といったような疑念が消えることはなかった(まぁ、だいたい毎日そういうことで思い悩んでいる気もするが)。

 

 そんななかイベントの直前になって、ある友人がかつて「速読術を教える塾みたいなところで事務アルバイトで入ったはずが、腕を見込まれて、速読を教える側になった」という話をしていたことを急に思い出し、「ー!!あああああ!!」となった。

「速読術の指導者」。 シャツにネクタイ(つまり普段の仕事着)、それに分厚めの本を一冊持って行けば完成する仮装。これこそ地味ハロウィンらしいネタではないだろうか。そして毎回写真でみる限り、参加者は「名札」をぶらさげることになりそうだから、その名札も含めて速読術を教える人っぽい雰囲気になりそうだ。

 ・・・と、思いついた直後の盛り上がりから、時間が経つにつれ冷静さが加わってくると、この地味ハロウィン独特の難しさに直面することになる。それは「ある対象となるものを自分が表象すると、その対象をどこかでバカにしていると見なされる」という問題である。

「あんたは速読術をバカにしてんのか!?」と言われると、うむ、たしかに心のどこかで「ホントに読めてんの?」と思っている部分があるのは認めざるを得ない。その一方でほんのちょっとだけ、「できることなら自分も速読を身につけてみたい」というあこがれの気持ちもある。で、速読術というよくわからないものごとについてそれを教えることが仕事になっている人が(自分の友人も含めて)この世の中に存在していることに「マジか!」という素朴な驚きがあるわけで、その驚きをほかの人とも分かち合いたい勢いだけでネタにしてしまった部分もあり、このあたりはなんとも言い難い部分である。そういうことを考え出すとたちまちモヤモヤすることとなったが、すでにそのときにはシャツにネクタイ姿、そしてカバンには分厚い本が入っている状態で新幹線に乗っていて、早朝から渋谷の東京カルチャーカルチャーに向かっていった次第である。

 駅を降りて歩くなかで、周りの人々もひょっとして地味ハロウィンの仮装をするのだろうかと妄想すると、歩いているだけでニヤニヤしそうになる。それと同時に、会場に近づくにつれてやはり緊張感も出てきて、開始時間までまだ時間もあるし、どのタイミングで会場入りすればいいか考えあぐねつつ、ビルの周りをうろうろ周回したり。

 今年の地味ハロウィンは事前に無料チケットを申し込み、3部入れ替え制で行われた(つまり去年あまりにも人が殺到したらしいのである)。Peatixのサイトにつながり、スマホに同社のアプリを入れたらスマホ画面からチケットが表示される。

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 会場に入る前に、入り口に置かれたカウンターで名札に「どんな仮装をするか」を記入するよう求められた。マジックペンが備え付けられているが、自分でペンを持ってきたら自由な色でカラフルに書けるだろう。名札ケースには白色と緑色が用意されていて、緑を選ぶと「取材NG」という意思表示になる。カウンターのテーブルには「地味ハロウィン」のロゴ入りシールとかデイリーポータルのステッカーなどが無造作に置いてあり、早いもの勝ちでもらえるような状態だった。
 で、この時点で周りの人たちが名札になんと書くのかが気になってしまったり、逆に自分の(あまり自信のない)ネタをここで書いてしまうことに、どことなくためらいが生じる。単なる名札に何かを記入するのに、ここまで気恥ずかしさや戸惑いを覚える感覚は新鮮である。

 開場までまだ時間があったようで、店の裏の非常階段みたいなところに順番に整列させられた。ライヴハウスの開場前みたいなノリだが、さっそく怪しげな装いの人や、まったく何のそぶりも見せない一般人的な人まで(まぁ、ほぼすべてここにいるのは『一般人』というカテゴリーなのだろうけど)ずらっと階段ぞいにたたずみ、その人たちを横目に結構な階数を上った気がする。何人かは先ほど書いた名札をつけていたので、どうしてもそこに目がいくし、私は私で恥ずかしさのなかで慎重に名札を見せないように階段を上がっていった。

 やがて開場とともに再び下の階に移動し、お店のあるフロアに戻ってきた。男女それぞれに更衣室も案内されるが、更衣室内に荷物を置いたままにはできず、クロークやコインロッカーなどもない。荷物は参加者各自で持ったまま動くことが求められるので、もし仮装の関係で大きい荷物になる場合はこのあたり事前に注意が必要だ。

 ステージのあるメイン空間には中継動画配信のスタッフさんやら、デイリーポータルZのライターさんたち、そして東京カルカルのスタッフが、朝一発目の回ということもあって、文字通り「待ちかまえて」おり、そこにぞろぞろと「一般人たち」が足取りもおぼつかずに加わっていく感じになった。私は更衣室も必要としない素のままの格好なので、なおさら浮かないようにと、とりあえずカバンから分厚い本だけ取り出して、名札を表に向けてかけて、そのままステージでしゃべっている林さんと古賀さんを直立不動で眺めていることしかできなかった。デイリーポータルのイベントに来たのは久しぶりなので、お二人を拝見するのは10年以上ぶりであった。いつも記事を読んでいるから分かっていたが、お二人ともお変わりなく、陽気な雰囲気で心和んだ。

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 そんなわけでオープニングのトークが展開され、さっそく参加者が一人ずつステージにあがって仮装を披露する運びとなった。受付で渡された名札カードの裏には整理番号が印字されていて、その番号順を目安にステージに上る。動画の中継もあるからか、テンポよく次々と順番に紹介されることになるわけで、もしあまりに張り切って早めの整理番号を受け取ってしまったら、自分の場合はテンション的に厳しかったかもしれない。なお、整理番号順にフロア脇の待機コーナーに並ぶことになるが、「いま何番から何番までお呼びしています」というアナウンスが特にかかることはないので、並んでいる人や、待機列の端にいるスタッフさんあたりに個別に直接尋ねて、いま何番目ぐらいの人が並んでいるかを知ることとなる。なのでステージにあがる決心がつかない人でも、クヨクヨと悩んだあげくに遅れて並ぶこともできるので、このあたりのユルい感じは大切だ。

 

 列に並んでいるあいだに、スタッフから小さいホワイトボードとペンを渡され、そこに名札と同じように「何の仮装か」の説明を記入する。ステージにあがるときにMCの古賀さんに渡すと、「何の仮装でしょうか」と問われて自分が答えるときに、ホワイトボードを客席に向かって提示してくれる。一人で来ている人は荷物ごとステージにあがって、適当なところに荷物を置いておいて、トークが終わったらホワイトボードを持ったままステージ上手のほうに移動して、スタッフによる写真撮影をしてもらって、ステージを降りて客席に戻るという流れだった。各回が3時間のイベントで、おそらく参加者は150人から200人ぐらいで、舞台上では一人1分ぐらいの感覚で回っていく。

 

 私の整理番号は58番目だった。いざステージにあがると、緊張と戸惑いの入り交じった不思議な時間が一瞬で流れていった感じである。林さんと古賀さんに挟まれつつ、言いたいことは言えたし、それなりにフロアの人々も笑ってくれたので、ひとまず安心した。どちらかというと「顔芸」で勝負するネタのような感じになったが、これは緊張や恥ずかしさが高ぶっていたがゆえかもしれない。

 

 ほとんどの時間は床に座って各参加者の仮装披露を楽しませてもらったわけだが、新しい発明品の披露のような、次々と繰り出されるイノベーション(?)に「そう来たかー!」とうなってしまうばかりであった。このあたりは公式サイトでまとめられているので(私のネタも含め)じっくり堪能していただければと思う(こちら)。そして「よくこんな小道具を準備しましたね」っていうポイントにはすかさず林さんや古賀さんからツッコミが入るのだが、かなりの割合で「Amazonで買いました」という返答だったので、つくづくAmazonっていろんなものが売っているのね・・・と感じさせたり。
 そして、ステージ上で仮装を成立させるためにポーズを取ったり「キメ顔」を披露したりする参加者の多くがとても素人とは思えない巧さで、ひょっとしたら演劇部出身の人が多いのかもしれないとすら思えた。

 

 そして今回参加して、何が最も印象的だったかというと、それぞれの仮装ネタ以上に、それらを打ち合わせナシで即興で応対していく林さん・古賀さんによる細やかで見事なさばきっぷりなのであった。この企画に参加するにあたって、仮装の内容が事前に審査されることもなく、それぞれが好きなように仮装ネタを持ち込んでいくわけなので、ステージ上のお二人(そして運営側スタッフ全員も)は、これからどんなネタが持ち込まれるかまったく分からないまま、次々とコメントをつけたりツッコミを入れたり笑ってあげたりする。この反射神経、引き出しの多さ、臨機応変・変幻自在のトークにはひたすら感銘を受けまくった。
 たとえば「正直、あまり面白くないネタ」だったり「あまり笑えないネタ」というのもあるわけだが、そういうものも林・古賀の手にかかると、それなりに見どころのある仮装として成立するようにちゃんと笑顔になれる着地点を持って行く。もはや、「地味ハロウィン」のイベントとしての存在意義がどーのこーのと言われることとかを超越して、このイベントを考えついて実行に移したデイリーポータルZという老舗サイトの、常に斜め上をいく面白さを体現しつづけてきたこのお二人の鬼才とも言えるポテンシャルがいかんなく発揮されまくる進行っぷりを目の当たりにできることが、このイベントのすべてかもしれない。

 そんなわけで一通り仮装の披露が終わると、残り時間はフロアでの参加者同士の談笑や写真の撮りあいのような流れになった。

 私が今回の参加者のなかで「これは!」となったネタのなかで、特にひとつだけ挙げるとすると、この人かもしれない。




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 「登山具店のマネキン」。

これを自分が思いつかなかったことを大いに悔しがらせるような、そういう意味でこれこそが地味ハロウィンのお手本のような作品ではないだろうか。(マネキンに問いかけると、やはり『暑いです』と答えてくれたが 笑)そして談笑タイムのときに参加者があちこち動き回っているときもこの人は壁際でマネキンらしく微動だにせず固まってポーズを取り続けていたので、そのあたりのプロ根性(?)を見るにつけ「この人は信頼できる・・・」と思わせた。でももし次の機会のときに別の仮装でお目にかかっても、言われなければ「あのときのマネキンの人だ」と分からないのが残念ではある(笑)。

 

 そして突然、マイクをもった女性と、デジタルビデオカメラをもった男性が近づいてきて「取材いいですかー?」と聞かれた。「フジテレビ 報道」と書かれた腕章がネックストラップから下げられていて、失礼ながら「これは仮装ですか?」と真剣に聞いてしまったが、「いえホンモノです」と言われ(それでもどこかで疑ってしまわざるを得ないのがこのイベントの面白さの一部であるが)、素直に取材を受けた。一通り速読術の指導者として本をパラパラめくって見せたり、速読術ができるのかと聞かれたり(できません)、普段の職業を聞かれたりした。放送されるとすれば明日の朝になりますと言われたが、念のため確認したら関東ローカルなので、関西では観られなかったため、それはそれで少し安心した(笑)
 そうして最後に集合写真を撮って解散となる。何せ3部入れ替え制であり、このあたりは潔くすみやかな退室が求められるので、本をカバンにしまって東京カルチャーカルチャーを後にした。それにしても3時間のこのイベントを1日に3回転するというのは、かなりの労力であろうと想像される。

 

 そう、冒頭に述べた通り、私は今回この地味ハロウィンに出ることは友人たちに伏せていた。しかしさすがSNS、結果的にいろいろと反応をいただく。

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特に「!」となったのはこれである。

 

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仕事で交流のあった中国からの元・留学生さんが、本国からメールで教えてくれたのであった。。。

中国でも紹介されてんのか!!!(笑)

この「速読法の指導者」が、

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って文言で紹介されると、もはやこれはネタなんだかよく分からないスケールの話になってきた。

 

 ・・・そんなわけで、もし良いネタが新たに思いついたら、またこの現場に戻ってきたいと思う。そういう「くだらないこと」にも思いを馳せるだけの心の余裕をもって日々の身の回りを観察していくことって、実はものすごく今の日本で生きていくなかで大事かもしれないとマジで思っている。

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2019.10.25

なぜこの写真がジワジワくるのか

先月にこういうツイートをした。

 

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サッカー選手たちの練習場でのヒトコマ。

なんてことのない写真ではあるが、ジワジワくる面白さがあって、でもその理由がうまく説明できず、モヤモヤしているのである。今も。

 

その直後に友人のToyottiからこういう返信もあった。

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なるほど、「丈長めの練習着の統一感」というのは、たしかに面白さに寄与している要因かもしれない。

しかもこのスタートレックの写真、見事に服装の色がブルーで、そこもオツである。

で、このネタについてあらためて先日ふと思い出して、スマホに保存してあった画像を見返しては、「うーむ、なぜ面白いのだろう」とふたたび考え込んでしまった。

そこでひとつ、新たな説を思いついた。

 

これは背景の問題なのかもしれない、と。

 

チームの練習場で、広いグラウンドの、特に何てことのない場所でたたずんで、複数の人間が固まって写真に収まっていることで、適度に背景が遠くに浮かび、その「なんとも言えない中途半端な場所っぷり」が、この面白さを支えているのかもしれない。

もし、このポーズのまま、たとえば「浅草の雷門の前」みたいな観光地で記念写真に収まっているシチュエーションを想像してみると、とたんにこの様子は「ありきたり」に思えて、あまりそこまで面白くないかもしれないのだ。

・・・と、ここまで書いても本当にそれが答えなのかどうかも自信がもてず、さらにいえば「だからどうした」っていう話ではあるが。

まぁ、基本的にこのブログは「だからどうした」ってネタばかりですが・・・

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2019.09.23

F1メカニック対抗いかだボートレース、そして過去の不思議な縁について

かつてF1を熱心に追っていた頃、「カナダGPが行われる場所はセントローレンス川の中州なので、各チームのメカニックによる手作りいかだボートのレースが毎年行われている」というのを本だか雑誌だかを読んで知り、世界中をサーカスのように回るF1関係者たちのつかの間の娯楽として、その光景を想像しては微笑ましい気分になっていた。

それがどういうイベントなのかあくまで想像するしかなかったのだが、こうして数十年たつとYouTubeみたいなものが出てきたわけで、ふと思い立って調べると、やはりそのボートレースの様子もいくつかアップされていた。いつものことながら、こうして過去に自分が知りたかった物事が映像として観ることができることに、あらためて驚異を覚える(そうやって過去の想い出ばかりに浸って、現在のテレビをますます観なくなるという症状もあるのだが)。

で、最近の様子は(こちらの動画)で確認できるが、どうやらレッドブルがスポンサー?みたいな感じになって、いかだの作り方ももしかしたらルールが設定されていて、そしてチームだけでなくFIA(国際自動車連盟)の関係者も参加していたり、イベントとしてオフィシャル感があったりする。レッドブルは何にでもお金出すのねぇ、と(笑)。

そして約30年前、1990年に行われたレースの様子も確認できる。(こちらの動画)より・・・こちらはかなりフリーダムでカオスな世界が展開されていて、たぶん長らくはこういうノリでやっていたんだろうと想像される。フェラーリは資金と技術力を投じてガチなモーターボート状態のマシンを作り込んで参加していて「それは、いかだじゃないだろう!」とツッコミを入れたくなるし、逆にお金のなさそうなチームは本当にありあわせの材料だけでいかだを作っていて果敢に川に漕ぎ出していて、その対比がなんとも哀愁を誘う。なまじF1マシンのメカニックたちだからそのへんの廃材を組み合わせて船を作るなんて朝飯前のようで、それぞれに工夫?が見られるのも興味深い。なにより半分冗談みたいなノリが大らかでいいなぁと思う。

ちなみに、なぜ急にそのいかだレースのことを思い出したかというと、ネルソン・ピケという往年の名レーサーについてウィキペディアで見たことがきっかけである。実はピケは、このお遊びのいかだレースのために優勝トロフィーを用意したらしく、それからは「ネルソン・ピケ杯」という名称でいかだレースが行われていたとのこと。牧歌的な時代の空気を感じるなぁ。

そしてなぜウィキペディアでネルソン・ピケについて調べたかというと、昔のピケが、他の周回遅れのマシンのミスで追突されてリタイアし、腹が立って相手のドライバーに殴りかかった動画を久しぶりに見たからである。これは大昔から「世界のスポーツ珍プレー」みたいなテレビ番組で必ず紹介されていたようなシーンなので、子供の頃から記憶に強く残っていた。(この映像)である。時代は1982年で、私がF1ファンになるだいぶ前の時代の話なので、リアルタイムではもちろん体験していないシーンだ。

で、よく考えたら私はこのとき殴られた側の、マイナーなチームのマイナーなドライバーのことを知らないままだった。この人はエリセオ・サラザールという、今に至るまでチリ出身では唯一のF1出場経験のあるレーサーとのこと。そしてサラザールについてウィキペディアで調べると、驚きの事実が分かった。彼にとってレーサーとしてチャンスを掴んだ転換期ともいえる偶然の出来事があって、1979年にイギリスでF3レースを観たあとにヒッチハイクで帰ろうとして、そのときにたまたま拾ってもらったのが、当時ブラジル人出身の若手有望F1レーサーとして頭角を現しつつあったネルソン・ピケだったとのこと。同じ南米出身ということもあったのか、ピケがサラザールをレース関係者に紹介して、そうしてサラザールはやがてF1にステップアップしていった・・・そんな不思議なご縁で、あのような「珍事」があったのかと思うと、より味わい深い。人生ってそういうことがあるのねぇと、こういうエピソードに触れるとテンションが上がるので、このブログでついつい書き残したくなった次第である。

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2019.09.16

水俣病を学ぶ旅

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このあいだ、初めて水俣市に行く機会があった。現地では「水俣病センター相思社」のスタッフさんのガイドによって、水俣病に関するいくつかの関連場所をめぐることができたのだが、この問題は過去の歴史どころか現在進行形で今の時代に地続きであるということを改めて思い知った旅となった。

 まず印象的だったのは、肥薩おれんじ鉄道「水俣駅」を降りると、駅の正面すぐにチッソ社(現代はJNCという社名に変わった)の正門がドーンと鎮座していることだ。企業城下町という表現があるが、まさにここはそうなのである。歴史的に塩づくりが主要産業だったところに、近代的なハイテク工場を誘致したことで、この一帯は周辺地域から働き手を集めることとなり、街が形成されていった。さらに対岸にある島々から、「いつか子供や孫の代が工場で働けたら」の望みをもって、漁民が移り住むようになり、それが町外れの漁村を形成していったわけである。こうした事情により、近距離の範囲内で「都市部と農村部」がセットで急速に発展したという特徴があり、私のように農村の生活を知らず、物心ついたときから「企業に勤める」という「文化」に囲まれてきた人間にとっては想像力が試されるところだ。水俣病を考えるにあたり、「そもそもチッソはどういう企業として日本のなかで発展していったのか、それに応じて地域住民がどのようにひとつの企業を受容していったのか」という「前史」を知ることがとても重要だということをその場で実感した(無知ゆえに私はそうした話の時点でお腹いっぱいだったのだが)。

 このように「豊かさ」をみんなで求めていったはずの街や村に、やがて水俣病の公害汚染が引き起こされていくわけで、あらためておだやかな内海を取り囲む対岸の島々を実際に見やると、内海ゆえの地理的条件のなかで有毒汚水が対流・沈着していく感じを体感的に想像してしまう。説明によると当初チッソの工場は鹿児島のほうに作られる見込みだったのが、いろいろな経緯で水俣に誘致されたとのことで、もし海流の違う地域に作られていたら、こうした公害に伴う問題の発見は遅れていたり、文字通り水に流されていたかもしれないという可能性も考えさせられる。

 JNC社と名前を変えたチッソ社は現在も水俣で工場を稼働させているし、その周辺にあるさまざまな会社もほとんどがチッソの関連会社として動いていて、当初はチッソ工場内にあった購買部までもがそのまま発展して地域のスーパーマーケットチェーンにまでなったりもしていて、あらゆるものがチッソ社とともに「発展」していって、今に至る。

 それゆえ、住んでいる人々も多くはチッソの関連会社で勤めているわけで、こうした地域で「公害の歴史」を風化させずに共有し続けることがどれほど難しいことか、相思社の方の語りの端々にそれが伺えた(たとえば、地元であればあるほど、そこで育つ子供たちの親の多くはチッソに関わる仕事に就いてるため、水俣病公害のことを学ばせることは現場の教員にとって非常に難しい状況だそうだ)。

また同時に、JNC社で開発・製造される工業製品の数々ははまちがいなく今の私の生活にも役立っていたりする。そのこともまた事実である。たとえば私の趣味のひとつが「市民マラソン大会の応援」であることが相思社の人に伝わると、「ランナーの位置を計測するチップの部品などもこの会社で作っているんですよ」と教えられたり。

 そして「水俣病」と、土地の名前がそのまま病名になってしまったことで、この名称変更を求める住民運動も続いているそうだ。そう言いたくなる人々の気持ちも分かるものの(あるいはそれもまた政治的な動きであるのだろうけど)、水俣で起こったことから日本全国や世界へ発信されていったこの痛ましい出来事の存在を示すためにも、やはりこの病名には意義があると個人的には思う。「メチル水銀中毒症」と言われても記憶に残りにくい。

 そうした流れとともに、この水俣病の存在を「環境問題」として捉えさせようとする動きというものも、あちこちに微妙なかたちで漂っていて、「環境問題」となった瞬間に抜け落ちていく「責任の所在」が曖昧になっていくことの居心地の悪さを覚える。いわく「環境問題=現代に生きる私たち全員が責任を負っています」というような。
(それゆえ、当時の状況を伝える看板のたぐいも、そこに書かれる文章のひとつひとつは、多様な“綱引き”によって形成されているので、読解には注意を要することになる)

 見学ツアーのなかでとくに印象的だったのは、公害を伝える「史跡」は、チッソの工場内にもまだ残っていることだった。ガイドの方が工場の塀の向こうにわずかに見える排水浄化装置のことを説明してくれたのだが、これは水俣病の存在が指摘され始めた初期において、病気の原因の疑いが有毒の工場排水にあることを受け、「表向きのアピールのために」作ったものであり、実際の浄化機能はなかったとのこと。こうしたごまかしの姿勢が一定期間続くことで、長らく「空白の年月」として原因究明や公害認定の道のりがさらに遠のいていき、被害をさらに拡大させたことは厳しく糾弾されるわけだが、そうした「経済発展至上主義の影」が形としてまだ現存しているのである。そしてその近くには監視カメラが当然あったりするわけだが、我々はこの何気ない塀の向こうの建造物に、さまざまなものを見いだせるのである。

 その翌日に訪れた市立水俣病資料館では当時の様子を伝える新聞記事のスクラップブックが年代別に並べられていた。最初はネコなどの動物が変な死に方をする奇病として報じられていき、それがやがて地域住民の中にも奇病が発生していることが分かっていき、どんどんその謎が広がりを見せる。しかし一向に原因や改善が見られないことへの戸惑いが、無実の住民の悲痛な姿をとらえた写真(当時の社会規範における許容範囲としてのものとはいえ、非常に生々しく)とともに報じられ、真相をすでに知っている新聞記事の読み手としての自分はこの「謎の病気」をめぐる叫びにたいして、やりきれない思いを抱かずにはいられない。

そうして紆余曲折を経てやがてひとつの原因にたどりつくも、それが一企業の引き起こした「公害」として認定されるまでにはさらに途方もない時間と運動が必要となっていった歴史が、スクラップブックの「背幅」を通して実感できる。先に述べた「偽りの浄化装置」が作られたときの新聞記事ももちろん確認することができ、この「偽り」で表向きの収束を見たのか、このあたりの時代は一気に報道量も減っていき、スクラップブックも薄かったりする。しかしこの「薄さ」の向こうに、健康だったはずの人生を奪われて次々と苦しんでいったたくさんの人々の姿があるはずなのである。

 近々、水俣の問題を追って撮り続けた写真家ユージン・スミスを題材にしたジョニー・デップ主演の映画作品が公開されるとのことで、水俣は改めて世界的な注目を集める場所になるであろう。話によると水俣はロケ地でもなく、セルビア方面で撮影が行われ、細部のディテールなどはどうしても実際のものと異ならざるを得ない内容になっているそうだが、こうした「自分たちでは振り返りたくない過去」を見据えるためには、外部からの視点を持ち込むことが有効なのかもしれない。それはまた、まさに今の日本の政治的社会的状況においても言えることだろう。

 

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2019.08.28

服屋で店員に話しかけられないようにするためのジェスチャーがほしい

世界的にファッション業界で用いられるその時々の流行色は、インターカラーという「国際流行色委員会」でおよそ2年ぐらいの時間をかけて話し合った末に決められているそうだ。
そうやってファッション業界に影響を及ぼす仕組みが国際的レベルで整っているのであれば、流行色を決めるだけでなく、「服屋の店員に話しかけられないようにするジェスチャー」もついでに決めて、周知してもらえないだろうかと私はずっと切望している。

気持ちは分かるのだ。服屋の店員も、仕事をしている姿を上司や同僚に見せないといけない。
何も買うつもりがないくせにうっかり服屋に入ってしまった私のような客にたいしても近寄っていかないといけない。そうして、面倒であったとしても「そのファーつきのカットソーは最近流行りのカタチで」とかなんとか言わないといけないのだ。これがもし「カットインからのファー」だったら、「あぁサッカーで中央に切れ込むドリブルを仕掛けてから、遠くの位置にセンタリングを上げたいのね」と私でも理解できるのだろうが、この現場においてはファーのこともカットソーのこともよく分からないので、「頼むから僕に話しかけないでください」の微笑みを浮かべるしかないわけだ。

また、店員から「気になる服があれば、広げて見てみてくださいねー」と笑顔で言われても、私のような客はその言葉をどうしても真に受け止めることはできない。その言外には「たたむの面倒だから、買うつもりのない服は手に取るんじゃねぇよ」というメッセージが込められているに違いないと考えてしまうのだ。

さらに「サイズをおっしゃってくださったら用意しますので、気軽に言ってくださいね」という切り口で話しかけてくるパターンもある。これはまだ気が楽になる声かけかもしれないが、いざ試着しようとすると、頼んでもいない他の服を持ってこようとしたりするのでやっかいだ。ベルトを手に取っただけなのに、店員がすかさずズボンとパンツと靴下を持ってくるかのような勢いだ。

もちろん、店員が客に声をかけるのは「お前の侵入をこっちは把握しているからな」のメッセージを伝える意味で防犯上においても重要だ。それも分かる。なのでサッカーに例えるならばゴール前の守備のごとく規律のとれた堅い守りにたいして、私のような客は「マークに付かれる前にこっちから離れる」という、素早い動きだしが求められるわけだ。「店員が近づくまでにどれだけの服にタッチできるか競争」をやっているかのように。なので、客がいなくて、置いてある服の分量が極端に少なくて、店員が立ち尽くしているような服屋なんて到底立ち入ることはできない。

そういうわけで、「誰にも話しかけられたくない」という意志を服屋の店員に伝えるジェスチャーが存在すれば、お互いにとってウィン=ウィンになれるはずなのだ。店員はムダに客に話しかけなくて済むし、客はそれでいろんな服屋に入りやすくなるし、ファーつきカットソーだって気軽に買えるかもしれない。

ジェスチャーというと大げさかもしれないが、指で鼻の下を押さえるとか、左手で右の耳たぶをつまむとか、ヒジの関節をアゴにつけて歩くとか、そういう程度でいいのだ。そうしたしぐさで店に入ってきた客には、店員は声かけを控えるという国際的ルールみたいなものが発動してほしい。

でも現状では、どんな動作をしても店員は近寄って話しかけてくるのである。まいったもんである。

p.s.そのほかに実践的な解決策として考えたのは「日本語が分からない外国人のふりをする」というアイデアだが、こんな時代においてはメンバーズカードをうっかり作らされたりすると、すべてがパーになるのであった。

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2019.07.14

アウトドアの新しい楽しみ方「チェアリング」に興味がわく

たまたま書店でこういう本をみかけて、即買い。

椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門 (ele-king books)
スズキ ナオ パリッコ
Pヴァイン (2019-03-28)
売り上げランキング: 279,951

持ち運びの楽な折りたたみ椅子をもって、それを屋外において、限りなく荷物を持たずに、自然のなかでひとときを過ごすというアクティビティが「チェアリング」と名付けられていて、それが知る人ぞ知る密かなブームになって、こうして書籍まで刊行される運びになったようだ。

こういうことはもちろん以前からもそれなりに行われていたのだろうけど、「あらためて特定のアクションに名前をつける」ということで生み出される新たな「うごき」みたいなものに私は興味をひかれる。

日本チェアリング協会(笑)による、チェアリングを実施するうえでの注意点はこれだ。

・人様に迷惑をかけない
・ゴミは持ち帰る。むしろ掃除して帰るのかっこいい
・市井の人々に威圧感を与えない(酒をよく思わない人もいるので)
・私有地に無断で立ち入らない
・騒がない(KEEP CALM)
・公共の場を占有しない
・装備を増やしすぎてキャンプにしない

思い立って椅子とともに外へ行き、できれば近所にコンビニとかトイレがあれば嬉しくて、そうしてほどよい場所にスペースをみつけたら、そこで椅子を置いて座り、静かにその風景を味わう。

考えてみたらシンプルなことなのだけど、ある程度しっかり意識しないとこういうアクションを実行に移すことはなかなかできにくいものである。「チェアリング」は日常生活をすこし別の角度から眺めて、自分を取り囲む世界を新たな気持ちや視点で見つめ直す「工夫」だったり「アイデア」のひとつだと思う。

というわけで、お酒を飲まなくても、好きな過ごし方をすればいいわけで、私も折りたたみ椅子(と、虫除けスプレーとか)を手に入れるところから始めようと思う。

この本の著者たちが以前デイリーポータルZで書いた記事がとても詳しいのでリンクを貼っておく(こちら)。

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2019.07.07

もはや自分の持ってる黒い電子機器をすべて「ピンク・フロイドの機材」にしてしまいそうな勢い

近年はKING JIMのポメラを使ってブログの下書きなどを書いたりすることが多い。外出先でがっつりテキストを書くだけでなく、最近は自宅の机にも適当に置いておいて、すぐに何かが書けるようにしている。パソコンの起動を待つことなく、スパッと「はい、テキスト書いてね」という感じになるスピード感が好きだ。

しかし、こともあろうに最新のDM200という機種で「バッテリー方式」を採用してしまったKING JIMには、「目を覚ませ!」とマジで言いたい。バッテリー頼みのポメラなんて「使えないノートパソコン」と同じようなものに成り下がってしまったも同然で、それはつまりクズだ。長いこと放置していて、ふとした機会に使おうと思っても、乾電池の予備さえあれば何の心配もせずに起動して書き続けられる作業環境を創出させることがこのポメラの唯一無二の良さじゃないのか。月に1回ぐらいしか更新できていないブロガーだって立派なヘビーユーザーなんだぞ(笑)。

なので、ひとつ前の機種になるDM100は、「乾電池が使える」ということで、KING JIMの商品開発者やマーケティング担当者が「やっぱりバッテリー方式はクズだった」ということを正直に認めて改心してくれるまで、今後も使い続けることになるであろう。というか、もはやこのDM100はポメラという機種のなかで「これ以上は進化しなくてもいい」と思えるほどの完成度の高さなので、もしこれが故障してもおそらく次に買うのもDM100になるだろうと思う。

そんなわけで、この黒い筐体に愛着を覚えると、ふと以前作った「ピンク・フロイドの機材っぽく見えるキャリーカート」のネタ(こちら)を想起し、ポリカーボネイト専用スプレーで同じようなものが作れるのか実験してみた。

小さめのロゴを切り抜いて、スプレーで塗装してみると・・・

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はい、問題なし!(笑)

塗装が剥がれることなく(今のところ 笑)、しっかりと定着。

少しだけ液だれしてしまったところがあるが、おおむね満足。

もはや何がなんだか、って感じであるが。

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