『LIVE FOREVER』
昨晩、京都みなみ会館が1000円の日だったので、最終日の夜9:45分上映にもぐりこむ。
この映画でいうところの「ブリット・ポップ」と呼ばれる英国音楽シーンについて、私はリアルタイムで体験したとは言いがたい。当時私は、なんとまぁ、プログレッシヴ・ロック「だけ」を聴いていた・・・その楽しさを誰かに伝えたくて、こんな「ハウ」なんてフリーペーパーまで勢いで作ってしまっていた・・・まったくもって時代に逆行しすぎていて、なんだか今思えば自分が逆に「かっこいいぞ!?」とか勘違いしそうになった。それぐらい、この映画を観ながら、あぁ10年前の英国って、こんなにステキな音楽が勃興していた楽しい時代だったのね、でもボクはなぜか縁がなかったんだね・・・と再認識して、最初はひとり暗闇でオヨヨとなりかけた。もちろん『ロッキング・オン』誌を「よく分からないままに、立ち読みでバラバラとめくっていた」だけあって、オアシスやブラー、パルプやスウェードといったバンド名だけは知っていた。でもそれぐらいだった。彼らの音楽を普通になんのてらいもなく聴きだしたのは、すでにミレニアムが過ぎたあとぐらいだった。
では、この「ブリット・ポップの当事者たちが語る“あの頃オレは”的ドキュメンタリー映画」が、ヘタレな私にとってシンパシーを感じにくい、どうでもいいやと思える作品であったのだろうか?
答えは、ノーーーーー!!!
自分でも驚くぐらい、ノォーーーー!!!
・・・いや、確かに観る前は、私もそんなにハマらずに「ふーん、あぁーん、そぉー、へぇ~・・・」というノリになるだろうなとタカをくくっていた。私が今日この映画を観るのは、単なる音楽ファンとしての好奇心であり、イギリス好きであり、単に今日は1000円で観られるからだ、といった具合に。
しかし! この映画は、実のところ「ブリット・ポップを通して語る、90年代イギリス現代史ドキュメンタリー」だった!! つまりこれは、まんま「カルチュラル・スタディーズ」の良質な教材だった!! ・・・ポピュラー音楽についての好事家的ドキュメントなんてものではなく、この作品はいわゆる80年代・保守党政権の「サッチャリズム」への死に物狂いなカウンターから派生した、ブリット・ポップの躍進ぶり+ブレア労働党=“クール・ブリタニア”へと至る90年代英国のドッタンバッタンぶりを、非常に冷静に捉えつくしたドキュメンタリーであった。と同時に、ここでもやはり「アメリカの影」というサブテーマも控えており、ボクらはギャラガー兄弟やデーモンくんらの語りを吸収しつつ、そこに確実に存在している「政治的なる影」の存在を徹底的に思い知らされるわけである。
良質のドキュメンタリーは、作り手の意見を押し付けない。そしてこの映画は、単に音楽好きの観点から楽しめることもできるし、また一方では、20世紀末の英国政治や大衆文化における劇的な展開を追体験して楽しめることもできる。それぞれの見方でそれぞれの意見が見出せるという意味で、久しぶりに熱くなった。書物の文章からでしか想像することのなかった、サッチャー政権下での若者の意識とか時代の空気を、オアシスの大音量のうねりの中でヒシヒシと感じることができ、ぜひもう一度観たい! と思ったしだいである。
あと、この映画を観るまでまったく気がつかなかったが、オアシスが3枚目の「ビィ・ヒア・ナウ」を出した4,5日後にダイアナ妃が事故死するという「歴史的タイミング」。つまり、ブリット・ポップは、1994年米国でカート・コバーンが自殺した直後に誕生し、1997年8月のダイアナ妃の逝去とともに事実上終わったムーブメントだったのだ。こんなに短期間に起こった出来事だったとは、ハタで観ていてもぜんぜん感じなかった。長ったらしいプログレッシヴロックばかり聴いている場合じゃなかったのかもしれない。
新聞紙を模したパンフレット。このチープっぽさが、「まさに!」って感じ。しかも価格は300円で、実際に安い・・・
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