一瞬と永遠が出会うとき
つい先日、何必館・京都現代美術館の「アンリ・カルティエ=ブレッソン」展にいってみた。いつもお世話になっている先生の影響で、最近たまたまこの写真家のインタビュー映画のVTRを観ていて「へぇ、この人が“決定的瞬間”という言葉を生んだのね」と記憶に新しく、そうかと思えば、タイミングを同じくしてつい先ごろ逝去してしまったのだから、驚いた。
ほとんどノートリミングだというその写真作品の構図の素晴らしさ、陰影の美しさには魅了される。ブレッソンの場合、あくまでも報道写真家としての作品でもあるのだが、報道写真というカテゴリーに関しては、どんな状況であれ、シャッターを切る瞬間に「構図、美的配置」を意識せざるを得ない写真家の本能っていうやつに、私は少々意地悪なまでに興味深く思っている。つまり「瞬間を伝える」という職業的使命と、「この瞬間を美的に、驚異的に、切り取りたい」という芸術家としての本能とのせめぎ合いが、どういうところで結節するのか、ということだ。報道写真を見るときにはいつもそういうことを感じてしまうが、ブレッソンの場合は、緊迫した現場の写真が少ないように見受けられるので、わりあいそのへんは落ち着いて楽しめた。スペインの石畳の道を走る自転車の残像を、玄関前の渦巻き状の階段から見下ろして撮影した作品など、「日常性の美的瞬間」が集約されている感じがして、好きだ。
「刻々と変化する“現在”は、私にとってつねに最大の関心事であり、必要なものはすべてそこにある。あとは自ら行動し、その本質を認識できるかどうかである。私はあらゆる可能性が満ちた一瞬を捉えるために写真を撮り続けてきたのである。」 HCB
Comments
こんばんわ。
時々拝見させていただいてましたが、今日は書き込んでみました。アンリのセリフ、よいですね。一瞬と永遠。
僕はこの前スェットロッジというものに参加してきたのですが、それは小さなロッジの中心に石を真っ赤に焼いたものをどんどん入れながら祈りや話しをするというもの。石はネイティブ・アメリカンにとって永遠に近い年月が刻まれた叡智の結晶とされるらしいんですが、それが真っ赤に燃やされた後はスカスカになってしまうんです。石の叡智をもらうと考えるとか。
永遠と一瞬に関連してちょっと思い出したので言及。
石、京橋にサラスヴァティーという石のお店がありますねえ。
HP見ると石探しから自分探しがはじまるというメルマガ発行していましたよ。http://www.healing-s.com/
Posted by: 絵本館 | 2004.10.04 23:02
サンキュー書き込み! です。スェットロッジ、よさそう! やってみたい! 石の叡智を吸収できそう。呼吸を通して、語りを通して、いろんなものが自らを通り抜けていくような感じ・・・ そして京橋にそんなお店があるとは知りませんでした。いちよフィールド先でしたが(笑)貴重な情報ありがとうです!
Posted by: たてーし | 2004.10.05 01:28
また台風ですねー。ハウ15号できましたのロゴ、いいですね。さてネットを放浪していると、パワーストーン占いを発見したので、ご紹介します。http://aora.jp/reading/aora.html
こんなことばかっりやってるわけではありません・・。念のため。
Posted by: 絵本館 | 2004.10.09 00:10