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2004.10.09

鈴鹿の雨、寒空の記憶

台風の直撃により、鈴鹿のF1日本GPは史上初めて日曜日に予選と決勝をまとめて行うことを決めたらしい。
おそらくチームスタッフにとっては無茶苦茶大変なことになるだろうけれど、でもそうするしかないよな、なんせ10年に一度あるかの巨大台風らしいので・・・。

ただ心配なのは、この3日間のためにずっと前からキャンプを決め込んでいる人びとである。
おそらく鈴鹿サーキットの周辺に、そういう人がかなりの数「住んでいる」はずである。今年は佐藤琢磨のおかげでチケットも完売したらしいから、間違いない!?

かつて私もそういうファンのひとりだった。
1996年、愚かなまでに、ほとんど装備なしで野宿を決め込むが、だんだん精神的に不安定になっていく状況で、「手元にあるものを駆使して乗り切る」ことに集中し、徐々に楽しい気分すら起ってきて、勇気がわいてきたあの夜のことは、自分の生活史のなかで、あるひとつの「決定的な出来事」だったりする。
1997年は、友人とともに、装備を整えて、手ごろな場所で寝袋を並べて野宿した。11月だったからやたら寒く、みんなの持っているビニールシートを地面ではなく柵に広げるなどの工夫で風をしのいだ記憶がある。最後に行った1998年は、野宿用に車を出してきて、火曜日にサーキット前の駐車場へ停めて、いったん帰宅し、木曜日から再び鈴鹿入りするという、今思えば豪勢な野宿だった。
その2年の間、私はサーキットホテル周辺でドライバーや関係者からサインをもらったり、軽く会話を交わすことに熱中していた。それはまさに一年間のあらゆる努力が結実する活動であった。ドライバーはもちろん、チーム関係者の顔と名前を出来る限り頭に入れておき、そういう人々と話をしたり一緒に写真に収まって遊んだ。最近はどうなっているか知らないが、「ちょっとした観察力と、見た目に惑わされない批判的精神」さえあれば、ホテル周辺に立ち入ることは、誰でも可能だったのだ。それを思うと、サーキット周辺で明日も野宿をする人は、きっと他にやることもないから、台風の中でも誰か外に出ないかと、ホテル周辺でズブ濡れになりながら「出待ち」しているかもしれないな・・・。(それでも併設のボーリング場にドライバーが来る可能性が高いよな、明日は特に)

スポーツというより、あらゆる意味での経済格差が勝負を分けかねない近年のF1のレースそのものには、今も気持ちが冷え切ってしまっているのだが、昔も今も、F1グランプリという「イベント」としての側面は心ひかれるものがある。

そのなかでも、こうして年に一度の3日間のために、鈴鹿という限定された場所の地図を丹念に読み込み、あらゆる些細な情報をも見逃さず、いかに楽しく、その時間をこの地域で過ごすかという、なんともいいがたい「別のゲーム」ってやつは、確かに今でもときめいてしまう。サーキット前の交差点にはシェル石油のスタンドがあり、北東に進むと深夜でも営業しているお弁当屋さんがあるということや、正面入り口からすぐ右手の通路を行けば、コースの西側エリアへすぐに通じる近道がある・・・なんてことをひたすら研究していた時代だった。日常生活を送るにはまったくのムダ知識ばかりだったが、一年間のうちのその3日間だけ、「住人」になるための、ありとあらゆる最善を尽くす努力が無性に楽しかったのである。
 そんな僕が最後に辿り着いた結論は、F1が走らない、通常営業日である木曜日の鈴鹿も最高に楽しいということだった。観客席がどこも開放されていて、メインスタンドにいけば、ピットに並ぶ今年のマシンと、明日からの準備に忙しいメカニックたちの仕事を好きなだけ観察できた。そして足をのばして、ほとんど誰もいない夕方のヘアピン席で友人と座っていたら、コースの下見をするF1ドライバーたちがヘアピンコーナーをゆっくりとスクーターで駆けていく。僕らは手を振り彼らを大声で呼び、その声を聞いて彼らも手を振って答えてくれる。うるさいF1マシンに乗っていたらまず成立しないコミュニケーションのかたちだっだ。ジャン・アレジは、後藤久美子を後ろに乗せて楽しそうにスクーターを走らせていた・・・暮れなずむヘアピンコーナーの片隅から、僕らはアレジの名を呼び、二人はそんな僕らに微笑んで手を振ってくれた。あれは、まちがいなく僕らだけの時空間だった。そういうことを思い出しながら、やっぱり鈴鹿ってF1が走ろうが走らないでいようが、毎年この時期になるとなんとなく行きたくなる場所なんだよな、と思うのであった。

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