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2005.01.07

タイヤ交換

いま夕刊を読んで初めて知ったが、来シーズンからのF1はさらにルールが変更されるようで、使用するタイヤを予選から決勝まで同じセットにして走らなければならないそうだ。つまり「ピットでのタイヤ交換」という作業がレース中において今後なくなるわけである。

セナの死後、F1の規定が「スピード削減」の方向に行ってしまい、しかし一方では、さすが最高峰の技術競争の場ゆえに、逆にスピードが増していたという矛盾した状況が続いていた。抑えられれば抑えられるほど、「智慧」はあらゆる方向にあふれ出し、全体的にマシンが進化していくという様は、自然の生態系にも通じる現象のような気もして、それはそれで消極的な意味で感動を覚える。どんどんマシンの規定が厳しくなり、マシンの美観がどんどん損なわれ、私すらも観てられなくなっていくのだが・・・そう、それでもスピードが衰えないという、この大いなる矛盾。これが最近のF1だった。

さて、そんな状況で、ついにはタイヤ交換が禁止されていくのである・・・。おそらく来シーズンからのF1のピット作業は、単なるガソリンスタンドのごとく、給油だけしてさっさと走り去る、そんなシーンが目白押しであろう。
かつて、F1が好きになりだした頃は、給油の義務がなかった。F1のピット作業は、いかにタイヤ交換をすばやく終えるか、という一点に集中していた。だいたい8秒ぐらいで、4本のタイヤを変えるために、総勢14人ぐらいのスタッフがマシンに群がってはサッと仕事を終え、マシンを送り出すのである。

あぁ、あのシーンこそ、F1で大好きなシーンだったかもしれない。

そして、F1にはいろいろ学ぶことが多かったが、タイヤ交換こそ、人生の奥深さをよく表していたような気がする。

というのも、タイヤ交換というのは、誰かがミスをすれば、それだけもたつき、1秒や2秒のロスが致命的なものになる。そしてひどい場合は、たった一本のタイヤの、一本のボルトが締まらないだけで、10秒や20秒が無残にもムダになってしまう、悪魔のような出来事も起る。

そのようなシーンにおいて、コクピットのなかのドライバーは、何もすることができない。ただ、待つのみだ。その直前まで、死ぬ思いでコンマ5秒や1秒の空間を削りまくって走ってきたのに、タイヤ交換の些細なトラブルで、一気に10秒や20秒が飛んでいく、その瞬間において、ドライバーは何を思うのだろう。ヘルメットの向こうにある表情を、我々は想像せずにはいられないのである。

そして、最も優秀なドライバーとは、たとえそんな状況におかれても、再スタートをきったときに、ふてくされることもなく、ただクールに、自分の限界に再び挑む、そんな人間なのであった。

自分ではどうにもならない事情で、何かがもたついたり、何かが失われたり、誰かが過失を犯しても、決してそこで腹をたてないようにしたいと、私はF1ドライバーの姿を通してずっと思ってきた。そしてむしろ腹を立てるぐらいなら、そんなことに時間を費やすより、いかにそのロスからプラスに転じることができるか、すぐに切り替えて考えられるようになりたい、と。セナやシューマッハーは、そういう人たちであった。悲運をすぐに受け入れて、すぐさま反撃に転じようとし、そして実際に最後の最後で逆転しちゃうのだから。

あぁ、F1のタイヤ交換は、そういうことを考えさせてくれる絶好の共同作業だった。それがなくなるということは、ますますさびしい気分が募る。

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Comments

お、名文!!ドラマでいうと、1クール進んじゃう感じかなぁ?後に振り返ると。時代かねぇ‥

Posted by: toyotti | 2005.01.08 00:14

お! 褒めてくれてありがとう!(笑)
ていうか褒め返しになるかもしれないが、あなたはけっこうそういう意味ではセナみたいに困難さをすぐプラスに転じるタイプですよね。

Posted by: タテーシ | 2005.01.08 01:13

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