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March 2005

2005.03.31

きょうの資本主義  牛丼屋にて

今日、大手牛丼チェーン店にいくと、新しいポスターが1枚だけ店内に貼られており・・・

それは「スマトラ島沖地震への募金をありがとうございます」という内容のカラーポスターだ。大きさはA2ぐらいか。

全国の店舗で募っていた募金の総計が記されている。
実はつい先日まで、そこには別のポスターが貼られていた。それは「新潟地震への募金をありがとうございます」というものだ。
そのポスターをみたときは、客が自分ひとりだったこともあったので、思わずデジカメで撮影してしまったほどだ。

ううむ・・・もはやこれ以上書かなくてもいいだろう。

誰かそういうことをするのを止めなかったんだろうか? 企業の判断として、議論はなかったのか?

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2005.03.30

ジーコよ

日本 1-0 バーレーン

オウンゴール1本で勝って納得すると思ってんのか・・・

玉田の交代について。鈴木隆行が下げられて、高原と玉田の2トップになったのだが・・・
どういう理由で鈴木を下げたのか、その理由が今一番知りたいところ。
昨年のアジアカップで結果を残した鈴木と玉田のコンビのほうが成熟度という意味では絶対的に優先されるチョイスではないのか。それを捨ててまで高原とのコンビネーションに期待する、その根拠はどこにあったんだろうか。

あとハーフタイムのジーコの指示が紹介されていたが、
「あせるな」
「精度を高く」
「相手はカウンター狙いだから、集中を切らすな」

って・・・・
そんなこと 、 オ レ で も 指 示 で き る ような気がします

あぁ、ジーコJAPAN。
成長物語ではなく、単なる場当たり的なチーム編成の「強運物語」の連続。
あぁ。
今日の試合をみるにつけ、中田のボランチがどうだとか、そういうことよりも、ことごとく先日のイラン戦での、何の脈絡もない唐突な4バックの布陣のことを再度思い出してはムカついてくるのであった。

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2005.03.29

グラフィディア

Wired Newsより「街の落書きがウェブにリンクするアートプロジェクト」。

ちょっと考えがまとまりませんが、ひとまず今読んだばかりの印象。

「グラフィディア」。そうきたか。むしろメディア・アートの側が従来のグラフィティの様式を利用する例と捉えればいいのか。
青字に下線を引いた判読可能の文字があれば、それはグラフィディアだというルールになるのだろうが、それも結局は従来のグラフィティの暗黙のルールによって、存在そのものがことごとく覆われてしまう可能性ももちろんあるわけだ。

でも一般側にとっては、いずれにせよ街の壁が汚されているようにしか思わない。事情を知らない人(がほとんどなのだろうけど)にとっては、何が描かれようが、それは「落書き」でしかないわけだし。
そうなると、作者へのアクセス通路が確保されているグラフィディアは、別の意味でリスキーな実践者とも言える。壁に描いたことには変わりないわけで。
そして、鑑賞者の側に「メールでアクセスさせる」というかなり高いハードルを要求しているところがポイントだ。なんか自分から迷惑メールの攻撃を被りにいくような感じ。

でもこういうのもアリなのだ。きっと。
確実に、何らかの問題提起にはなっていると思えるので。

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2005.03.28

パメラ・コールマン・スミス


そんなこんなで、今日はいろいろあって久しぶりにタロットカードについて想いをはせた日であったのだが、タロットのことをマジメに調べると、わりとヨーロッパのルネサンス期の絵画とか(それこそダヴィンチとか)、錬金術のことだったり、図像学的にも通じるところが感じられたりして、けっこう勉強になるんじゃないかとか思うようになってきた。

とくにタロットカードのスタンダードともされる「ライダー・ウェイト版タロット」は、その描かれた図柄のなんともいえない味にひきつけられるので、一年前ぐらいから手元に置いて、たまに眺めている。

とくにこの図柄を描いたアーティストのパメラ・コールマン・スミスという女性の存在感というのもまた、妙にひきつけられる。この人の肖像写真をみるにつけ、なんだか謎めいた笑みに、どういうわけか「時代を超えた神秘」を感じてしまう。19世紀に生まれた人のような気がしないというか、妙に現代的な感じもするというか・・・

pcs

こんな人。わりと不遇のうちに亡くなられたらしい。まさか自分の描いた78枚のタロットの図版が、後世にタロットのスタンダードにまで発展するほどの影響を持つとは思っていなかったりするかもしれない。
ともあれ、これはウェイトという魔術研究者によって細かく指示を受けて作り上げられた、かなり意味深な内容の絵たちなので、それはそれですごいエネルギーを永遠に持っている作品でもある。

tarot1
とくに好きな図柄3点。
なんか、本当にどういうわけか、心引かれるものがあります。
きっとピンク・フロイドの音楽に感じる魅力の、同じような部分で共鳴している気がします。

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2005.03.27

New Order 「Krafty」日本語バージョン

ついにリリースされたニューオーダーの新譜「Waiting for the Siren's Call」の日本盤の目玉は、ボーナストラックとして収録された「Krafty」の日本語バージョンである。これはASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文による日本語歌詞を、あのバーナード・サムナーが歌うという、誰もが最初は冗談だとしか思えなかったであろう企画である。

何が驚いたかって、あんなに演奏も歌にもやる気を感じさせることがない(むしろその芸風で我々を感動させてくれていた)あのバーニーの歌う日本語が、めっぽう「上手」だということだ。そんな大して日本に興味なんてないんだろうに、それでもバーニーは、かなりうまく日本語で歌っている! それだけでも感動だ。そんな器用な一面を持っていたとは。いやはや、これはもっと全世界的にアピールしてもよかったトラックではないか、と。

でもって、後藤正文の、英語詩の韻をかなり意識した日本語訳が、おそらくバーニーの歌唱の一助とも思われるわけで、それはそれでよくがんばったとも思うのだが、でも、でも、でも・・・あの、いいでしょうか。この曲のいちばん美しいサビの部分の日本語歌詞が、

「先に暗号で 君を成さない」

っていうのは、さすがに、もうちょっと、どーーにかならなかったんでしょうか??(涙)
たしかに 「Give me another night」 というフレーズを発音すれば、それとなく「キミヲナサナイ」っていうふうには一応聞こえるけどぉーー・・・でもそれってかなり「空耳アワー」のレベルじゃないかと・・・

この曲の原詩をあらためて味わうと、わりと社会的なテーマが流れていて、「そうあるべきだった人生」へ目を向けて、でもって「テレビのなかの暴力や戦争」という世界観を抱えながらも、どうかもう一度チャンスをつかんで、この世の素晴らしさを再認識できるようになりたい、という願いが込められている、ように思うのです。(しかも、そういうことをバーナード・サムナーが相変わらず青臭いナイーブさ全開で切々と歌い上げるところに感動を覚えるわけで)

うーん、「先に暗号で」っていうのは、まさにそれこそが暗号めいていて、その解釈がいったいどういうところから来ているかが気になってしまう・・・おかげで、オリジナル版を聴いていても、ついサビのところは脳内で「Just give me one more day」の歌詞は「先にアンゴウで~♪」と変換されてしまう・・・

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2005.03.26

今日の収穫

今日の収穫は、高視聴率に気を良くしたテレビ朝日がたっぷり生放送の枠をとってくれたおかげで、試合に負けたあとも記者会見がライヴで観られたりして、充実した反省会ができるということでしょうか。

だから、なんで4バックだったんだよ、と。

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2005.03.25

ROXY MUSIC


先日描いたマンガ「モロゾフの論客」の登場人物である手品師の髪型は、以前からこういうイラストを描くときに好んで描きたくなるパターンの形であったのだが、その原型は何かと自問すれば、それはロキシー・ミュージックのブライアン・フェリーに行き着くんじゃないかと思い至った。
そこで、かつて私が雑誌で見て猛烈にインスパイアされた、デビュー当時のフェリーの写真と同じものをネットで探したら、見つかった。うれしくなった。

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どうよ、この髪、この服装、この背景、そしてこの表情(笑)。
でもこれこそが、フェリーおよびロキシー・ミュージックというバンドの魅力なんだろうと思う。
今でも好んで聴くことがあるのだが、でもどっちかというと、このバンドが放射する、妖しさとケバケバしさが素敵だと思う。

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そんなロキシーで、未だに気になっているのが、ボックス・セットの存在である。
というのも、ボックス・セットのジャケットの写真が、ロキシーにしては妙にクールだからである。

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いや、クールなんですって、これが(笑)。というのも、ディスコグラフィーを見れば分かると思うが、ロキシーのアルバムジャケットというのは、ことごとく「意味もなくセクシー美女登場」系なものばかりであり、しかも今の時代からみると、どうしてもまともに見てられない感じのものだらけなのである。それを思うと、この写真は顔だけをフューチャーしているため、落ち着いた印象があって、なんだかハッとさせられる厚みを感じるのだった。

しかもこの写真は、実物でみると若干ピンぼけ、ブレ気味なのである。それがなんともいえないムードを演出している。ボックスセットの大事な表紙が、そんなふうに「ちょっと不明瞭」な美女の写真というのが、なんだか「ケバケバしいロックバンド、ロキシーミュージック」のはっきりしすぎるイメージをうまーく神秘的につつんでいるような、そういう感じがする。

そういえば「More than this」はついこの前まで車のCM曲になっていた。後期ロキシーは誰もが知っているヒット曲もあったり、かと思えば初期ロキシーは、ブライアン・イーノがオリジナルメンバーだったり、あと上の写真でもあるようにほとんど未成年だったはずのエディ・ジョブソンが電子バイオリンを弾いていたり、考えてみたらとんでもないバンドだったんだなぁと再確認。

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2005.03.24

10000ゴールは誰だ?キャンペーン・・・ぜひ応募を

J2京都サンガがなぜか3連勝で首位に立っていて話題騒然のJリーグ、今年はわりと地味に開幕。
J1リーグは、大宮と川崎の昇格組を加えてチーム数が18に増え、さらに初の1シーズン制となり、ようやく国際基準にふさわしい順位争いが期待できるであろう・・・・
・・・と書いておきつつも、

すいません、今はチェルシーFCのことで激しくエネルギーを使っているので、ほとんどJリーグのことはほったらかしです。

しかもよく見たらジェフユナイテッド・市原が「千葉」とかいう名前に改称されているし、なんだかタイミング的に「楽天」とか「ソフトバンク」とかと同じぐらいイメージがアヤフヤで、非常に嘆かわしい。しかもなんだよ「千葉」って。いいかげんそういう大きなエリアの呼称はやめようぜ。「FC東京」は「FC調布」であってほしいし、なにより京都サンガは「城陽サンガ」でいいんだよ。

で、話は変わって、Jリーグでは通算10000ゴール達成が目前のようで、いったいそのゴールを挙げるのは誰か? というキャンペーンが開催されております。 →こちら
ネットでの応募は一日一票、ハガキでも応募できるみたいなので、これをご覧の方々、ぜひお願いですから、一緒にこまめに投票しましょう! なんせ商品がなぜか豪華!!(笑) 当選1名様に500万円分の旅行権利が!! 
つまり、すごくマイナーな選手を選んでもいいわけです。そのほうが当たったときの当選可能性が高いわけで。大穴狙い歓迎なわけで、要は、結局のところ誰に投票したっていいんです(笑)
なんか、いざフタを開けてみると「誰やねんキミ!?」っていう選手が決めてそうじゃないか。

もう少しマジメに予想するとなると、なんだかこういう節目のゴールは外国人選手が決めそうな予感がある。
なんせ1993年、Jリーグの記念すべき1ゴール目を決めたのはヴェルディのマイヤーだったじゃないか(今どこでなにしてんだか)。初代得点王もマリノスのラモン・ディアスだったし。
というわけで、今日一発目に送信した予想は、ジュビロのチェ・ヨンスだ。

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2005.03.23

痛快!モロゾフの論客

N会長へ。先日は本当に本当にありがとうございました。
深夜2時までフラフラ踊っていた私とTYのために、自宅を開放してくれていて。
あなたが翌日就活のために朝6時に自宅を出ることを知っていながら、お約束のように私とTYはプレステで「ウイニングイレブン」をやり続けたよ。
おかげで私は壁パスのコツを体得できたよ。そしてベッカムを操作して直接ゴールを決めた綺麗なフリーキックはぜひあなたにも見せたかったよ。

あなたが外出する頃、僕らは眠りにつき、目が覚めたあとは激しい罪悪感と自己嫌悪が襲ってきたよ。

そんなやり場のない感情を鎮めるために、僕はあなたにお礼として4コママンガを描き残したね。
描き終わったあと、妙に気に入っちゃったんで、思わずデジカメで撮影したよ。

タイトルは「痛快! モロゾフの論客」

DSC04571
(クリックすると拡大します)

起きかけのTYにみせたら「ぜんぜん論争になってない」と言って、また眠りに落ちたよ。

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2005.03.22

五本指くつした その後


こうしてブログに書いてしまうと、さっそく現実的なレスポンスが返ってきやすい昨今の事情を反映してか、

DSC04462

さっそく着用して私の目の前に現われてくれたMSKさん(仮名)、どうもありがとうございました(笑)
そして笑ってしまってごめんなさい。今後は僕も前向きに検討させていただきます。
でもごめん、それでもやっぱり、今でも笑ってしまいそうです。

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2005.03.21

ひとつの成功の裏にはね、

 よく晴れた午後、卒業式を終えたばかりと思しき袴姿の女子学生と、そのお母さんが向こうから並んで歩いてきた。

 そしてお母さんのほうが、私とすれ違う瞬間、娘の傍らでこんなセリフを述べていた――

 「・・・ひとつの成功の裏にはね、」

 まさに一瞬のひととき。そのあとに続くセリフは聞こえなかった。

 ひとつの成功の裏には、いったい何があるんだろうかね。


--------------
 調査士#5のみなさま、ご卒業おめでとうございます。いつだってみんなは最高です。

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2005.03.19

五本指くつした

 普通の、どこにでもある男性向けのソックス売り場をみていたら、つま先が五本指に分かれている靴下がいろんなデザインで売られていた。但し書きで「健康にもいい」と書いてあったりして、ちょっと前ではこんなにたくさんの種類で五本指のものが売られていることはなかったから、これは大きな前進だろう。
 で、思わず自分も購入してみようかと手に取ったのだが、ちょっと待てよ、と思った。
 何か、それでもまだ、ちょっと抵抗があるのだった。
 
 いくらこのような靴下売り場のコーナーで安価にたくさんのデザインで五本指の靴下が揃っていても、僕の友人がこれを履いて飲み会のお座敷に現われたと想像すると、まだ今の時点では、どうしてもツッコミを入れたくなるだろうなと思ったのである。
そんなこと、別に気にしなくてもいいところではあるのだが、なんだかまだ、思い切って踏み込めない領域がそこにあるなぁ・・・と、ひるんでしまったのだ。

 というわけで、日々プログレッシヴを標榜している私ではあるが、靴下に関してはまだ保守的なままである。
 なんとか近いうちにがんばってトライしてみようかとは思う・・・まぁ、きっとたぶん、履き心地のよさにハマってしまうんだろうけど。

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2005.03.18

デルニエにてハウ

 以前このブログに、地元奈良の美容院Dernieについての微笑ましい印象を綴った記事を書いていたのだが、案の定、知らぬ間に、目ざとい店長さんにこのサイトの存在を発見されていた(笑)。いやー、ネットの検索力ってすごいね~(なんじゃそら)

 店に入って、せっかくいつものように涼しい顔(を装って)で待ち時間に新聞でも読んでいようかと思っていたのに。スタッフのSさんにのっけからブログのことを嬉しそうに探られるとは。まさか美容院にきて机に頭を抱えて伏してしまうことになろうとは。

 あぁ、私は今までひた隠しにしていた「自作フリーペーパー発行人」としての顔をさらけだすしかない。なんか一般人を装っていた特撮アニメの悪役みたいな気分であった。「フハハハハ、バレてしまったらしょうがない!!」っていう。あとは開き直ってしまうしか道はない。

 もう「HOWE」を作って10年目になるのだが、どういうわけか、いつまでたってもフリーペーパーのことを人に説明するときには思い切り恥ずかしい感覚がある。実名で書いて印刷してバラまいて、めっぽうそれで楽しんでいるはずなのだが、とくに自分に近しい身の回りの人々に対しては、未だにどこかで「後ろめたい恥ずかしさ」がある。だから地元の奈良においては、今まであまりHOWEを配布しようとは思わなかったのだ。なんとなく、だけど。

 先日、姉が開催させてもらった「夜猫」さんでの2日間カフェにおいて、私はあらかじめ折りたたんだHOWEをまとめてその場にいた方々に配らせていただいたのだが、奈良でこのようにHOWEを配布したのは初めてであったのだ。
 そしてこの日も、なぜかタイミングよく持参していたバッグには、HOWEの最新号が常備されていたのだった(笑)まさか美容院でHOWEを配るとは。ちょっと笑えた。

 でもいずれにせよ、どこで配っても当然ながら違いはそんなにないわけで、あまり自分にとっての「恥ずかしさ」にこだわらず、書いてしまったものは、「自分から手放す」感覚で、どんどん発信することに集中していこう、という気分になってきた。
 ということで、今後は「夜猫」さんと「Dernie」さんにHOWEを置かせていただけるよう、精進する次第であります(笑)

 美容院でHOWEを配りたい! なんて、10年前の自分が聞いたらどう思うだろうか。
 ていうかHOWEを置いてしまうような美容院なんて、後にも先にもデルニエさんだけでしょう。
 なんせ、HOWEを読むより・・・・・・店長さんとスタッフさんの、愛憎うずまく舌戦(?)を聴いているほうが何倍も楽しかったりするんですって!!(笑)
 文章でこの舌戦を書くことは不可能です。ぜひお近くの方はご来店ください。そしてぜひ「ライブ」で楽しんでください。・・・って、宣伝しちゃっていますが、いやマジで。

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2005.03.17

ボッシュート

 今日はたまたま友人Uがクルマで来ていたこともあって、なぜか、どういうわけか、結果的に、バイトのあと気分転換にスーパー銭湯にいくことになり(先日お世話になったばかりの京都府公衆浴場組合のみなさますいません。町の銭湯は独りのときに行きたいと思っています。)、入浴後のロビーでダラダラしていてなぜか広島のカキの話とかになって、「魚が食いたくなってきたよな」というので、回転寿司屋で「3皿だけ食べようぜ」となった。実際には4皿食べたけど。
 で、「30分経ったネタは廃棄」という看板を眺めつつ、じっくり選ぶ皿を吟味していると、向こうサイドのレーン(なんといえばいいのだ、あのくるくる回るコースは)で、一部の皿が自動的に真横にスライドして落下していたりする。「センサーか何かで30分たった皿だけが落ちているはず」と友人Uは言う。僕はそういうシーンを見たことが今までなかったので、ちょっとびっくりしてしまった。いったいどういう仕組みになっているのやら。
 そのうち、向こうサイドで時折聞こえる「ガシャッ」という音に「あぁ、これでまたひとり落下か・・・」とか思ってしまうと、もはやそっちに意識が向いてしまったりするので困ったものである。

 今日もオチはないけど、なんだか日記風に書きたくなる一日でした。雨はザーザーでした。

 明日卒業式を迎えたりするみなさま、おめでとうございます。

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2005.03.16

無題

桜玉吉が9.11直後の沖縄で、ふと流れてきたボブ・マーリーの「ノー・ウーマン ノー・クライ」に心を射抜かれたような感じになったのと似たような体験として、今日の私は、昼飯に入った牛丼屋でおもむろに流れてきた椎名林檎の「ギブス」にやられました。マル。

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2005.03.15

「嫉妬」タグで


おなじみ、京都中で見受けられる謎のタグ「嫉妬」。

DSC03975

この判読しやすさを利用して、なにかイベントにつなげられないだろうか、と思った。
たとえば、参加者を募って地区別にわけて探し出してカウントしたりマッピングしたりとか。
あるいは集められる限りの嫉妬タグの写真を並べて、いろんな観点からランキングを作ってみるとか。

こんなに一生懸命書き散らしてくれているので、何かこちら側からも動いてみたい、という感じが、どうしてもある。・・・すごい微妙なスタンスですが。

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2005.03.14

ブックオフにて

少しのあいだ立ち読みをしていて、ざっと目を通した本で立ち止まった箇所。

ほしいものは、すぐに手に入れるべく動き出せ、ということについて。
利点が2つある、とのこと。
利点1:すぐに手に入るかもしれない
利点2:それが本当に自分が欲しいものだったかどうかが、わかるかもしれない

うむ、たしかに。

どうしても、好きなおかずは最後に残すタイプなんで・・・。

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2005.03.13

応援

道端で、
なんの事情かわからないけど、
とにかく巨大なものを持ち運んで歩いている人をみると、
応援したくなりませんか。

なんでそんなベニヤ板を悔しそうに運んでいるんだ? とか
君はいったいロフトで何を買ったんだ? とか
君はいったいどんな芸術作品を創作しているのかね? とか
おばあちゃん、今からいったいどこへ行くのだい? とか。

たいがい、大きい荷物を運ぶ人々の、何らかの使命感に満ちた、しばしの苦しさを押し殺すかのような表情が好きです。

あ、あと、たまに際立って白い煙を吐き出して走り去る車やバイクも応援したくなりますね。
もう、明らかにそれは何かヤバくないか!? ぐらいの。
ちょっと心配するんだけど、なんだか自分ではどうしようもないから、通り過ぎゆく瞬間に応援するしかないの。

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2005.03.12

5 8 6

「586」というニューオーダーのファンサイトを最近みつけました。作者の歪んだ(?)愛情ゆえの、爆笑ものの文章がたまりません。自分には絶対書けない、愛憎入り混じるディスコグラフィ紹介やら人物辞典たち・・・。でもって、これを読んで改めてニューオーダーの魅力にハマりそうな感じです。

もう、ほんと、なんでこんなに演奏下手くそなのに、そのヘタっぴさが圧倒的に美しいと思わせるんだろう?

最近、ことに「ニューオーダー的なるもの」を日常の中で模索してしまいがちです。
明らかに欠落しているものがあるんだけど、その欠落がなきゃ成立しないんじゃないかという、なんともいえない魅力ってやつ。

いつまでたっても「Face Up」とか、聴くたびに泣きそうになります。ほんっとテキトーな感じで歌っているんだけどね、バーニー氏。

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2005.03.11

「さぁ!銭湯へ行こう」へ行こう!

こんばんわ。

さて、ついに開催されます、京都府保健福祉部衛生・薬務総括室主催の公開シンポジウム「さあ! 銭湯へ行こう ~地域のみんなで健康づくり~」!!

●趣旨:心身の健康づくりや生活習慣病予防への関心が高まっている中、公衆浴場(銭湯)が地域の中でこれまで担ってきた機能をより一層充実させ、健康づくりという視点で、銭湯がどんな役割を果たせるのか等を議論・検討する。
●日時:平成17年3月14日(月曜日)午後1時30分~4時30分
●場所:ハートピア京都(京都府立総合社会福祉会館)大会議室  (京都市中京区竹屋町通烏丸東入る清水町375番地)
●内容:
  (1)講演(研究発表)
   テーマ:「公衆浴場と健康づくり」
   京都文教大学人間学部文化人類学科学生によるフィールドワーク調査結果の発表
  (2)パネルディスカッション
   テーマ:「さあ!銭湯へ行こう ★地域のみんなで健康づくり★」
    ※ 入場無料、申し込み不要です。お気軽にご参加ください。

てなわけで、ひょんなことからこの数ヶ月にわたってフィールド調査のお手伝いをさせていただいております。一番の個人的収穫は、自分自身が公衆浴場について以前よりも抵抗感がなくなり、むしろ「近くになんで銭湯ないねん!」と思ってしまうぐらい、実は銭湯大好き野郎になりつつあることでしょうか。

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2005.03.10

aggregate 5-4


かなたの夜は

寝ぐせも直さず家を出る僕に

内容の

濃い

朝を はこんできた


・・・なんてポエムを私に作らせてしまうほど、今朝のチェルシー☓バルセロナ、すげー!。今季スカパーでチャンピォンズリーグを視聴しないぞと決めた私を大いに悔しがらせた。今しがた「すぽると!」でハイライトを確認。なんて試合だ。ごめん、まったく想定外でした。年に一度あるかないかの「心臓に来る試合」だったんだろうなぁ。

それにしても、かたやACミランとマンチェUの試合、二試合とも1-0っていうのが、なんともイタリア野郎の相変わらずな試合運びが想像できて、苦笑ではある。いや、もちろん、1-0で逃げ切る試合の美学も理解はするけども、でも今朝のようなチェルシーとバルサの激突、合計得点が5-4なんてーのを見てしまうと、いやぁ、やっぱり欧州の頂点を争う闘いはボコボコに殴り合ってほしいよなぁ、テンション上がるよなぁ、と切に思うのであった。

いやー、正直、バルサには勝てんだろうとばっかり思っていました・・・すいません。

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2005.03.09

Blues & Black & White

普段そんなにチェルシーの公式サイトをチェックしているわけではないのだが・・・たまたま、ピクチャーギャラリーを開いたら、下のほうに地味ぃ~に「Black & White」なるページがあって、そこをクリックすると、なんとまぁ、ページのデザインも白黒に変わって、でもって「チェルシーFCの白黒写真ギャラリー」が閲覧できる。知らなかったよそんなこと(笑)

まぁ~さすがに国内一ファッショナブルな界隈に居を構えているだけあって、オシャレさ加減を気にするチーム(?)、モノクロ写真の数々が秀逸! こんなに良い写真持ってたなんて、なんでもっとアピってくれなかったのさ!! どれもこれもすごくいい味出していて、一気に観まくった。どうやら John Ingledew と Francis Glibbery という両氏の手になる写真だそうで、ほんと、普通に写真作品として好きだなぁ。

とくに「The Players」のところに3枚も載っている元キャプテン、デニス・ワイズの写真が最高にフォトジェニックでおもしろい。ていうか、やはりこの人の存在感って独特だなぁ。ガッツと根性と愛嬌とファニーさ、あらゆる魅力を備えた選手ということで、チェルシーファンからとびきり愛されていたのがよくわかる。
写真家の腕もあって、本当によい表情を切り取っていますね。あまりに気に入ったので、勝手に掲載しちゃいます。(すいません)


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ジョーカーもっているよワイズ。自分のキャラを本当に知り尽くしているんだなぁ(笑)
でもこれらの写真に収まっている時点でこの人何歳だったっけ?(笑)なんかどうみても20代にしか見えないよなぁ。カズと同い年だったっけ。現在はミルウォールFCで今シーズンも監督兼プレイヤーをやっておられます・・・

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2005.03.08

ブログというもの

新聞でも、新しい言葉として「ブログ」が紹介されるようになったようで、2004年は日本における「ブログ元年」だそうで・・・。
たしかに、流れにそのまま乗せられたような感じで私もブログを始めたクチだが、個人的には「単に簡単だから、やってます」って感じになっている。
もっと味のある文章を書けたらいいなと思いつつ、しかし実はそんなにじっくり書けるほどの時間がない、というのがある。こんなフリーターまがいの日常でも「書く時間がない」とか言っているのだから、普通にはたらく人々にはもっと時間がないかもしれない。
でも、とりあえず道筋はできつつあるということか。ブログの隆盛について「国民総コメンテーター状態」とは誰かが言っていたが、なんのことはない、それでいいんです。言うべき価値があろうがなかろうが、とにかく書き続けること、そのプロセスの中にしか見えてこないものがある。ブログがその一助になれば、それはそれでいいんじゃないかと。

今日の話はオチがない(笑)。

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2005.03.07

納戸

納戸を「なんど」と読むのを最近はじめて知りました。
納屋と納戸を一緒にして「なや」とか読んでいました。

ジル・ヴィルヌーヴの話を五夜連続で書いて、ひとりテンションを高ぶらせていたので、急に何も書くことが思い浮かびません。F1について書ける最高のネタを出し尽くした感じです。
ジルは、なんというか、僕にとっての「F1」を語る上での最後の砦みたいなもんだなぁ、と改めて今回思いました。

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今回の記事のために、一気にいろいろな画像をネットで(勝手に)拝借させてもらいました。本当にまだまだいろいろな画像があって、改めてネットの世界のディープさに驚いたり。上記のジルのサイン入りの写真とか、すごいなと。

あと、大昔のレースごとのポスターとかプログラムの表紙とか、今見るとすごーーく味があって、なんだかこれだけは今後もこだわって収集してみたくなりました。新たなF1の楽しみ方に気づいてしまったかもしれません。

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83年ベルギーGP。スポンサーであろうタバコの銘柄「GITANES」のパッケージデザインを巧みに取り入れて、味のあるビジュアル世界をかもし出しています。劇画風タッチがいいなぁ。ていうかGITANESの踊り子マーク、カッコいい。

ちなみにジルの息子のジャックは、同じレーサーとしての道を歩み、1997年にF1のワールドチャンピォンを獲得しています。今年久しぶりにF1のレギュラーシートを獲得したようで、先日の開幕戦をみたらザウバー・チームからエントリーしていましたね。元気そうでなにより。ジャックがかつて全日本F3のカテゴリーで闘っていたことも今となってはトリビアです。やはりヨーロッパにいると、いつまでも「ジルの息子」というイメージだけが先行していたみたいで、そのへんで苦労していたようです。

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ここにきて急に思い出した。唯一といっていいぐらい、鈴鹿での追っかけ時代に、本当に会えずじまいで終ってしまったのがジャックだったなぁ。一番会いたかった人物だったんだが・・・

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2005.03.06

イモラの3番グリッドの奇妙な因縁 5

(前回からのつづき)

1994年5月1日。
この日付は忘れられない。

サンマリノGP。

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ひとつの終焉。アイルトン・セナの死。

この年のイモラは、前日の予選中にもローランド・ラッツェンバーガー(オーストリア)が事故死するという悲劇にみまわれている。F1で死亡事故が起こったのは、12年前の1982年以来のことだった。つまりジル・ヴィルヌーヴがベルギーGPで、そしてリカルド・パレッティが(サーキットにジルの名が冠されたばかりの)カナダGPのスタート事故で亡くなって以来のことだった。(ちなみにパレッティは、ディディエ・ピローニのフェラーリの後部に衝突して激突死してしまった。それを思うと、この年のピローニはあらゆる悪運がとりついていたとしか思えない)

むしろ12年間、F1で死亡事故が起こらなかったことのほうが奇跡だったのかもしれない。
この出来事を境に、F1は根本的な変革を求められる。スピードの低減化、マシンの安全性強化、コースの改修・・・。
その流れが本当に果たしてよかったかどうか、それはここでの議論ではない。

セナの事故で背筋が凍るのは、事故の現場が、最も親しかった友人のゲルハルト・ベルガーが1989年に起こした炎上事故とまったく同じタンブレロ・コーナーで起こったことだ。そして上の写真でも分かるように、「あの瞬間」、セナの近くを走り抜けるフェラーリのベルガーの姿が切ない。


そして、衝撃的なのは、このレースの「3番グリッド」には、ベルガーの乗るカーナンバー28のフェラーリがいたという事実だ。

start_imola94a


さらにもうひとつある。
私が確認した限り、なぜかこの年のイモラ・サーキットは路面の補修等が行われたのか、ジルのために捧げられたはずのカナダ国旗が、なぜか路面から消去されていたのである。
私はこのレースの予選の模様をテレビで観ていたとき、あるべきところにカナダ国旗がなかったことを、不可解に思った記憶がある。そして嫌な予感は、その後的中することになり、この年のイモラは「呪われた週末」としてモータースポーツの歴史に永久に記憶されることとなった。


いかがだっただろうか。もちろんこれは、単なる偶然の出来事の積み重ねだと思われる。むしろ、自分でもそう思っていたいほどである。
セナの死後、イモラ・サーキットのレイアウトも改修され、タンブレロ・コーナーはかつてのような高速コーナーから変貌を遂げている。そして1994年以後、イモラの3番グリッドには、何度もあの「皇帝」ミハエル・シューマッハーがフェラーリを駆って「帰還」しており、その後の因縁とは無関係な状態になっているのが、せめてもの救いである。

それでもやはり思う。また再び、イモラの3番グリッドには、ジルのカナダ国旗が描かれていてほしい、と。
そうすると再び「因縁」がうまれるのかどうかは定かではないが、まるで何事もなかったかのような改修後のイモラ・サーキットをみるたびに、ジルのスピリットを出来る限り後世にも伝えたい、一ファンとしての不満がそこにはある。

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(おわり)

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2005.03.05

イモラの3番グリッドの奇妙な因縁 4


(前回からのつづき)

 パトリック・タンベイがジルの後を継いでフェラーリに乗り、因縁のイモラ・サーキットの3番グリッドからスタートして見事に勝利を飾った1983年。

 では、その「美談」となった1983年以後、フェラーリのマシンがカナダ国旗の描かれたイモラの3番グリッドに「帰ってきた」年はどれだけあるだろうか? その答えを探すべく過去のデータを調べると、意外な事実が判明する。

 なぜか1984年から1988年の5シーズンにわたって、長らくサンマリノGPの予選3番手にフェラーリが入ることはなかった。そして6シーズンぶりに、ようやくフェラーリが3番グリッドを獲得するのである。

 つまりそれは、1989年のことである。
 そう、ご存知の方も多いであろう、このレースでは、有名な事故が起こる。

 フェラーリのゲルハルト・ベルガー(オーストリア)がレース開始早々、タンブレロを曲がりきれずに外壁にクラッシュし、マシンが大炎上するというアクシデントである。

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 奇跡的にベルガーが無事であったのが何よりである。
 そして今あらためてこのシーンをみて気づいたのだが、背後にある看板はフェラーリが当時使用していたオイル関連のサプライヤー、Agip社のものであるが、同社のシンボルキャラクターである「キメラ」の絵の前でフェラーリが炎上しているという図式がなんともいえない・・・キメラとは、ギリシャ神話の動物で、頭がライオン、胴は山羊、しっぽが蛇で、「火を噴く怪獣」とされているのであった。

 なによりベルガーは、フェラーリの28番を・・・いみじくもピローニの番号だが・・・をつけて走っていた。そしてこのレースで3番グリッドからスタートしたのは、27番のフェラーリを駆るナイジェル・マンセル(英国)であったのだ。タンベイの優勝以後、久しぶりにあの3番グリッドに“カーナンバー27”のフェラーリが帰還したレースで、よりによって衝撃的な事故がフェラーリを襲ったのである。

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 こうして89年のサンマリノGPはフェラーリに不可解な大事故をもたらしたレースとして記憶され続けている。

 そして次にフェラーリがあの3番グリッドに戻ってくる年が、1991年である。
 この年も、フェラーリに不可解な出来事が起こる。

 3番グリッドを獲得したのは、やはり赤い27番のフェラーリ。ドライバーは名手アラン・プロスト(フランス)。

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 決勝のスタートを前に、全車がゆっくりとコースを一周する、フォーメーション・ラップ(パレード・ラップ)の最中に、それは起こった。

 濡れた路面の影響もあったのか、スロー走行の最中に、プロストのフェラーリはコースアウトを喫し、そのままマシンが停止してしまったのである。
 そして、あの3番グリッドだけが「空席」のまま、レースはスタートせざるを得なかった。フェラーリの聖地で、フェラーリがスタート前に脱落するという、F1史上でも稀に見る「珍事」が起こってしまったのである。

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 フォーメーションラップという極度にスローな状態での走行中に、アラン・プロストともあろう超ベテランが、なぜあのような不可解なコースアウトを演じたのか未だによくわからないが、ともかく奇妙な出来事であるのは確かであった。

 そして当時の私は、ジルについての歴史的探求に心酔していた時期でもあったため、この頃から次第に「イモラの3番グリッドにフェラーリが戻るとき、何かが起こる」という奇妙な因果を感じるようになったのである。

 そんな根拠のない「妄想」が、最も悪いかたちで再び現実のものになるとは思いもせずに・・・
 それは3年後のことである。

 (つづく) 

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2005.03.04

イモラの3番グリッドの奇妙な因縁 3

(前回からのつづき)

 ジル・ヴィルヌーヴの死により、カーナンバー27のフェラーリを誰が受けつぐのか。
 名門フェラーリという重圧、そしてジルの後任という責任感。
 あの当時、この重すぎる大役を務めることができた人物は、今考えてもやはりパトリック・タンベイしかいなかったであろう。

 なぜならタンベイは、ジルの親友であったからだ。

 F1通算2勝、ポールポジション2回。フランス出身のパトリック・タンベイもまた、生涯成績だけを見ると歴戦の勇者たちの群像に隠れてしまう存在ではあるが、この1982年~83年にフェラーリに在籍し、ジルのいなくなった「空白」を見事に埋め、堅実な走りで悲劇続きのフェラーリ・チームに2年連続コンストラクターズ・タイトルをもたらした功績は特筆すべきところである。なにより、ジルの後継として27番のフェラーリに乗ることを決意した、その「勇気」には敬服する。

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パトリック・タンベイ(左)と、ジル・ヴィルヌーヴ(右)


 そして、なんとタンベイはジルが死んで一年後の1983年、あの因縁のサンマリノGPにて、彼の魂を受けついだ赤い27番のマシンで優勝を果たすのである。

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一年前の、まさに同じ場所においてジルが果たそうとして逃した聖地イモラでの勝利を、親友タンベイは同じ27番のフェラーリで勝ち取ったのである。
 
 そしてこの劇的な勝利には、もうひとつ大きなポイントが存在する。私はそちらのほうにより感慨を覚える。

 それは、タンベイが勝ったそのイモラでのレースにおいて、彼はあの3番グリッドからレースをスタートさせていたという事実である。

 予選のグリッドは、狙って取れるものでもない。
 一年前に親友が最後にレースをスタートさせた地点から、親友が乗るはずだった同じカーナンバーのマシンを駆って優勝する・・・この歴史的事実は、むしろ奇跡だといってもいいのではないだろうか。

 こうしてモータースポーツの神は、ときとして不思議な驚きをもたらしてくれるのであるが、この時点においては「イモラの3番グリッドをめぐる因縁」は、「美談」として受け止められよう。

 しかし、その後の歴史をさらにたどると、あの3番グリッドをめぐる出来事には、美談とは対極に位置するものがかすかに見え隠れするのであった。

 (つづく)

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2005.03.03

イモラの3番グリッドの奇妙な因縁 2

(前回からのつづき)

ジル・ヴィルヌーヴが最後のレースを走った1982年サンマリノGP、イモラ・サーキットでの出来事は、彼の直後の事故死に永遠の暗い影を投げかける、哀しいレースであった。

フェラーリチームの地元、イモラにて、フェラーリの二台は1位・2位を快走していた。トップを走るジル、そして2位にはカーナンバー28をつけたフランス出身の新進気鋭のドライバー、ディディエ・ピローニ。
レースも残りわずか、1-2フィニッシュを目前にしたチームの方針は、エースのジルのトップを守る、というものだった。しかし最後の最後までピローニはジルの背後から攻め続ける。ジルは当初、このピローニの行為を「観客へのファンサービス」だと思っていたと伝えられる。
しかし油断していたジルをパスしたピローニは、そのまま1位でチェッカーフラッグを通過したのである。

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 思えば1979年、やはりフェラーリで成長株だったジルは、チームにおけるナンバーツーとして、南アフリカ出身のジョディ・シェクターのワールドチャンピォン獲得を忠実にバックアップした実績がある。
 そのジルがついにナンバーワンドライバーとなり、名実ともにフェラーリのエースとしてチャンピォンを狙える立場になった矢先にこの「事件」は起こった。ピローニの行為に動揺したジルの表彰台における憮然たる表情は、今見てもなお心苦しいものがある。さらに私の考えを付け加えるならば、ピローニの行為に対する直接的な憤慨よりも、そのときのジルにとっては、常にどんな状況でも限界を極めようとする攻撃型レーサーとしての自分自身が「油断してしまった」ことについて、激しい後悔が沸いていたのでは、と想像するのである。

 決してジルとピローニが不仲だったわけではない。むしろ関係は良好だったとも伝えられる。そしてこのレースの結末によって、二人の間に「溝」はできたかどうか、それを史実は確認する間もなく、次のレースの予選中にジルは帰らぬ人となってしまうのであった。

 ちなみにピローニも同年のドイツGPの予選中に大事故を起こし重症を負い、レーサーとしてのキャリアを終えた。そして1987年に、転身したパワーボート・レースの事故により命を落とすという悲劇に見舞われている。そしてまた、ピローニの双子の子どもには、両者のファーストネームを取って「ディディエ」と「ジル」と名づけられたという。

Pironi-lettre-Didier

 果たしてあのレースの前後において、二人の間にはどのような世界が横たわっていたのだろうか。両者のその後の悲運を思うと、この答えの出ない永遠の謎に、切なさは消えないわけである。

 こうして、82年のイモラは、F1史上でも格段に際立った「遺恨」の残るレースとして記憶されるものとなった。

 そして、ジルの死後、あのレースでジルがピローニに攻め入れられたコーナーには、「ヴィルヌーヴ・コーナー」という名称が冠せられることになる。
 これは、第一コーナーの「タンブレロ・コーナー」に続く、二本目のカーブに該当する。

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 当然ながら、模型のモチーフにもなる。

 イモラに残る、3番グリッドのカナダ国旗。そして、タンブレロの高速カーブを抜けたあとの「ヴィルヌーヴ・コーナー」。

 しかもイモラは、フェラーリの聖地である。

 そしてジルは、フェラーリにおける“聖人”となった。

 この後、イモラには「何か」が宿ったのではないだろうか。そうとしか思えない出来事が起こっているのである。

 次回からは、その後のイモラにおける、「3番グリッド」にまつわる出来事をたどっていく。

 (つづく)

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2005.03.02

イモラの3番グリッドの奇妙な因縁 1

昨日、久しぶりにF1について書いたのだが、今日からちょっと数日間は、ちょっと変わった視点から、F1のことについて書きたいと思う。
というのも・・・F1グランプリについては、最近めっきり関心が薄くなっているテーマでもあるのだが、今日から書くことは、僕がずっと長いあいだ密かにこだわってきたことであり、かつ、どんなに調べても、誰も未だにそのことについて(少なくともネット上では)触れていないので、この機会に今回ここでちゃんと書いておこう、と思ったからである。

まずこの一連の話の起点となる主人公を今日は紹介しておきたい。
昨日も触れたが、カナダが生んだ孤高の天才レーサー、ジル・ヴィルヌーヴがその人である。

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1977年にF1デビュー。66レース出場、通算6勝。ポールポジション2回。
ワールドチャンピォン経験なし。

戦績だけを見ると、彼よりも立派な成績を残したF1ドライバーはたくさんいる。しかし彼が未だに神格化され続けるのは、その燃えたぎるレーサー魂そのままの激しく華麗なドライビングで真紅のフェラーリを駆った、そのレーシングスタイルにあった。暴れる跳ね馬を押さえつけ、カウンターをあててテールスライドでコーナーを駆け抜けていくジルのフェラーリは、まさに70年代後半から80年代初期の熱くスリリングなF1シーンを代表するカリスマであった。

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アートワークはThierry Thompsonによる"At the Beach" (1980)。

しかしジルは1982年ベルギーグランプリの予選において悲運としか言いようのない事故によって帰らぬ人となってしまう。

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早すぎた彼の死は、モータースポーツにおける計り知れない損失であった。

彼の死を悼み、母国カナダのモントリオールにあるF1開催地のサーキットの名前は「ジル・ヴィルヌーヴ・サーキット」となった。

そしてジルがつけていたナンバー「27」はその後もフェラーリにとっての特別なカーナンバーとなる。(数年前に、F1の規則改正の影響でカーナンバー割り振りの自由度が少なくなったため、現在では27番のカーナンバーは事実上存在しなくなり、フェラーリが27と28のカーナンバーをつける可能性がなくなったのは、残念である)

さらに、彼が最後にレースを闘った、イタリア(サンマリノGP)のフェラーリの本拠地、イモラ・サーキットでは、彼がスタートした3番グリッドの路面に、大きなカナダ国旗が描かれたのである。

ということで、この小論では、ジルの死後にカナダ国旗が描かれた「イモラ・サーキットの3番グリッド」についての、非常に謎めいた“因縁”について、述べていきたい。
(つづく)

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2005.03.01

鈴鹿から富士へ?

F1日本グランプリの開催地が将来的に鈴鹿サーキットから富士スピードウェイに移行されるらしいなどと言われている。もはやF1の情報から遠ざかっているのでなんともいえないのだが、鈴鹿を所有するホンダ vs 富士を所有するトヨタの構図でもあるわけで、どうなることやら。

もともと富士スピードウェイは1976年、77年と二年ほどF1を開催したことがある。
ちなみに私の好きな故ジル・ヴィルヌーヴは若かりし頃に富士を走り、立ち入り禁止区域にいた観客を巻き込む事故を起こしてしまい、死傷者を出してしまったという哀しい逸話がある。
F1の開催がその後ぷっつりと途絶えたのはその事故が原因だったからか? ちょっとそのへん文献を読んだうえでの記憶があいまいではあるが、無関係ではないと思える。

1987年に鈴鹿にF1グランプリが戻ってきて以来、鈴鹿では毎年必ずF1が開催されている。
・・・やっぱりスズカはいいぞぉ。
なんせ、遊園地とホテルが隣接しているのだから。ついでにいうと、天然温泉浴場やボーリング場、レストランなども併設してあり、もともとの娯楽施設が充実しまくっている。そういう豪華なサーキットは世界中どこを見てもないはずだ。だからこそ、鈴鹿は多くの人にとって過ごしやすいサーキットである。つまり「想い出の起点」をあちこちに作ることができるという意味で、マニアから子どもまで、多くの人にとってオープンで親しみやすいわけである。

しかも故アイルトン・セナに「神を見た」と言わしめたのも鈴鹿の空だし、セナが死んだ年のレースは、スタート時に異様な雨が降り出して、まさにこれはセナの涙雨だろうと納得するしかないほどの雨量が一気にやってきたりしたわけで、なにかと神懸りな「聖地」と化しているわけだ。

しかもあのコースレイアウト。世界で唯一の立体交差。ゲームで鈴鹿を走ればよくわかるが、あの立体交差のおかげで、右回り中心のゾーンから、一気に左回りのコースになっていく。あのバランスの良いレイアウトのおかげで、何周走っても飽きない奥の深さがある。

というわけで、鈴鹿の魅力は尽きない。
もし鈴鹿でF1が開催されなくなったとしたら・・・それはそれで、やっぱりさびしい。いまや最近のF1にはめっきり情熱を感じないものの、やっぱり「鈴鹿という場所」には、何もなくても、たまーに、行きたくなるのである。

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