イモラの3番グリッドの奇妙な因縁 1
昨日、久しぶりにF1について書いたのだが、今日からちょっと数日間は、ちょっと変わった視点からF1のことについて書きたいと思う。
これは私がずっと長いあいだ気になっていたことであり、かつ、どんなに調べても、誰も未だにそのことについて(少なくともネット上では)触れていないので、この機会に今回ここでちゃんと書いておこう、と思ったからである。
まずこの一連の話の起点となる主人公を今日は紹介しておきたい。
昨日も触れたが、カナダが生んだ孤高の天才レーサー、ジル・ヴィルヌーヴがその人である。
1977年にF1デビュー。66レース出場、通算6勝。ポールポジション2回。
ワールドチャンピォン経験なし。
戦績だけを見ると、彼よりも立派な成績を残したF1ドライバーはたくさんいる。しかし彼が未だに神格化され続けるのは、その燃えたぎるレーサー魂そのままの激しく華麗なドライビングで真紅のフェラーリを駆った、そのレーシングスタイルにあった。暴れる跳ね馬を押さえつけ、カウンターをあててテールスライドでコーナーを駆け抜けていくジルのフェラーリは、まさに70年代後半から80年代初期の熱くスリリングなF1シーンを代表するカリスマであった。
アートワークはThierry Thompsonによる"At the Beach" (1980)。
しかしジルは1982年ベルギーグランプリの予選において悲運としか言いようのない事故によって帰らぬ人となってしまう。
早すぎた彼の死は、モータースポーツにおける計り知れない損失であった。
彼の死を悼み、母国カナダのモントリオールにあるF1開催地のサーキットの名前は「ジル・ヴィルヌーヴ・サーキット」となった。
そしてジルがつけていたナンバー「27」はその後もフェラーリにとっての特別なカーナンバーとなる。(数年前に、F1の規則改正の影響でカーナンバー割り振りの自由度が少なくなったため、現在では27番のカーナンバーは事実上存在しなくなり、フェラーリが27と28のカーナンバーをつける可能性がなくなったのは、残念である)
さらに、彼が最後にレースを闘った、イタリア(サンマリノGP)のフェラーリの本拠地、イモラ・サーキットでは、彼がスタートした3番グリッドの路面に、大きなカナダ国旗が描かれたのである。
ということで、この小論では、ジルの死後にカナダ国旗が描かれた「イモラ・サーキットの3番グリッド」についての、非常に謎めいた“因縁”について、述べていきたい。
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