イモラの3番グリッドの奇妙な因縁 3
(前回からのつづき)
ジル・ヴィルヌーヴの死により、カーナンバー27のフェラーリを誰が受けつぐのか。
名門フェラーリという重圧、そしてジルの後任という責任感。
あの当時、この重すぎる大役を務めることができた人物は、今考えてもやはりパトリック・タンベイしかいなかったであろう。
なぜならタンベイは、ジルの親友であったからだ。
F1通算2勝、ポールポジション2回。フランス出身のパトリック・タンベイもまた、生涯成績だけを見ると歴戦の勇者たちの群像に隠れてしまう存在ではあるが、この1982年~83年にフェラーリに在籍し、ジルのいなくなった「空白」を見事に埋め、堅実な走りで悲劇続きのフェラーリ・チームに2年連続コンストラクターズ・タイトルをもたらした功績は特筆すべきところである。なにより、ジルの後継として27番のフェラーリに乗ることを決意した、その「勇気」には敬服する。
パトリック・タンベイ(左)と、ジル・ヴィルヌーヴ(右)
そして、なんとタンベイはジルが死んで一年後の1983年、あの因縁のサンマリノGPにて、彼の魂を受けついだ赤い27番のマシンで優勝を果たすのである。
一年前の、まさに同じ場所においてジルが果たそうとして逃した聖地イモラでの勝利を、親友タンベイは同じ27番のフェラーリで勝ち取ったのである。
そしてこの劇的な勝利には、もうひとつ大きなポイントが存在する。私はそちらのほうにより感慨を覚える。
それは、タンベイが勝ったそのイモラでのレースにおいて、彼はあの3番グリッドからレースをスタートさせていたという事実である。
予選のグリッドは、狙って取れるものでもない。
一年前に親友が最後にレースをスタートさせた地点から、親友が乗るはずだった同じカーナンバーのマシンを駆って優勝する・・・この歴史的事実は、むしろ奇跡だといってもいいのではないだろうか。
こうしてモータースポーツの神は、ときとして不思議な驚きをもたらしてくれるのであるが、この時点においては「イモラの3番グリッドをめぐる因縁」は、「美談」として受け止められよう。
しかし、その後の歴史をさらにたどると、あの3番グリッドをめぐる出来事には、美談とは対極に位置するものがかすかに見え隠れするのであった。
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