イモラの3番グリッドの奇妙な因縁 4
(前回からのつづき)
パトリック・タンベイがジルの後を継いでフェラーリに乗り、因縁のイモラ・サーキットの3番グリッドからスタートして見事に勝利を飾った1983年。
では、その「美談」となった1983年以後、フェラーリのマシンがカナダ国旗の描かれたイモラの3番グリッドに「帰ってきた」年はどれだけあるだろうか? その答えを探すべく過去のデータを調べると、意外な事実が判明する。
なぜか1984年から1988年の5シーズンにわたって、長らくサンマリノGPの予選3番手にフェラーリが入ることはなかった。そして6シーズンぶりに、ようやくフェラーリが3番グリッドを獲得するのである。
つまりそれは、1989年のことである。
そう、ご存知の方も多いであろう、このレースでは、有名な事故が起こる。
フェラーリのゲルハルト・ベルガー(オーストリア)がレース開始早々、タンブレロを曲がりきれずに外壁にクラッシュし、マシンが大炎上するというアクシデントである。
奇跡的にベルガーが無事であったのが何よりである。
そして今あらためてこのシーンをみて気づいたのだが、背後にある看板はフェラーリが当時使用していたオイル関連のサプライヤー、Agip社のものであるが、同社のシンボルキャラクターである「キメラ」の絵の前でフェラーリが炎上しているという図式がなんともいえない・・・キメラとは、ギリシャ神話の動物で、頭がライオン、胴は山羊、しっぽが蛇で、「火を噴く怪獣」とされているのであった。
なによりベルガーは、フェラーリの28番を・・・いみじくもピローニの番号だが・・・をつけて走っていた。そしてこのレースで3番グリッドからスタートしたのは、27番のフェラーリを駆るナイジェル・マンセル(英国)であったのだ。タンベイの優勝以後、久しぶりにあの3番グリッドに“カーナンバー27”のフェラーリが帰還したレースで、よりによって衝撃的な事故がフェラーリを襲ったのである。
こうして89年のサンマリノGPはフェラーリに不可解な大事故をもたらしたレースとして記憶され続けている。
そして次にフェラーリがあの3番グリッドに戻ってくる年が、1991年である。
この年も、フェラーリに不可解な出来事が起こる。
3番グリッドを獲得したのは、やはり赤い27番のフェラーリ。ドライバーは名手アラン・プロスト(フランス)。
決勝のスタートを前に、全車がゆっくりとコースを一周する、フォーメーション・ラップ(パレード・ラップ)の最中に、それは起こった。
濡れた路面の影響もあったのか、スロー走行の最中に、プロストのフェラーリはコースアウトを喫し、そのままマシンが停止してしまったのである。
そして、あの3番グリッドだけが「空席」のまま、レースはスタートせざるを得なかった。フェラーリの聖地で、フェラーリがスタート前に脱落するという、F1史上でも稀に見る「珍事」が起こってしまったのである。
フォーメーションラップという極度にスローな状態での走行中に、アラン・プロストともあろう超ベテランが、なぜあのような不可解なコースアウトを演じたのか未だによくわからないが、ともかく奇妙な出来事であるのは確かであった。
そして当時の私は、ジルについての歴史的探求に心酔していた時期でもあったため、この頃から次第に「イモラの3番グリッドにフェラーリが戻るとき、何かが起こる」という奇妙な因果を感じるようになったのである。
そんな根拠のない「妄想」が、最も悪いかたちで再び現実のものになるとは思いもせずに・・・
それは3年後のことである。
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