イモラの3番グリッドの奇妙な因縁 5
(前回からのつづき)
1994年5月1日。
この日付は忘れられない。
サンマリノGP。
ひとつの終焉。アイルトン・セナの死。
この年のイモラは、前日の予選中にもローランド・ラッツェンバーガー(オーストリア)が事故死するという悲劇にみまわれている。F1で死亡事故が起こったのは、12年前の1982年以来のことだった。つまりジル・ヴィルヌーヴがベルギーGPで、そしてリカルド・パレッティが(サーキットにジルの名が冠されたばかりの)カナダGPのスタート事故で亡くなって以来のことだった。(ちなみにパレッティは、ディディエ・ピローニのフェラーリの後部に衝突して激突死してしまった。それを思うと、この年のピローニはあらゆる悪運がとりついていたとしか思えない)
むしろ12年間、F1で死亡事故が起こらなかったことのほうが奇跡だったのかもしれない。
この出来事を境に、F1は根本的な変革を求められる。スピードの低減化、マシンの安全性強化、コースの改修・・・。
その流れが本当に果たしてよかったかどうか、それはここでの議論ではない。
セナの事故で背筋が凍るのは、事故の現場が、最も親しかった友人のゲルハルト・ベルガーが1989年に起こした炎上事故とまったく同じタンブレロ・コーナーで起こったことだ。そして上の写真でも分かるように、「あの瞬間」、セナの近くを走り抜けるフェラーリのベルガーの姿が切ない。
そして、衝撃的なのは、このレースの「3番グリッド」には、ベルガーの乗るカーナンバー28のフェラーリがいたという事実だ。
さらにもうひとつある。
私が確認した限り、なぜかこの年のイモラ・サーキットは路面の補修等が行われたのか、ジルのために捧げられたはずのカナダ国旗が、なぜか路面から消去されていたのである。
私はこのレースの予選の模様をテレビで観ていたとき、あるべきところにカナダ国旗がなかったことを、不可解に思った記憶がある。そして嫌な予感は、その後的中することになり、この年のイモラは「呪われた週末」としてモータースポーツの歴史に永久に記憶されることとなった。
いかがだっただろうか。もちろんこれは、単なる偶然の出来事の積み重ねだと思われる。むしろ、自分でもそう思っていたいほどである。
セナの死後、イモラ・サーキットのレイアウトも改修され、タンブレロ・コーナーはかつてのような高速コーナーから変貌を遂げている。そして1994年以後、イモラの3番グリッドには、何度もあの「皇帝」ミハエル・シューマッハーがフェラーリを駆って「帰還」しており、その後の因縁とは無関係な状態になっているのが、せめてもの救いである。
それでもやはり思う。また再び、イモラの3番グリッドには、ジルのカナダ国旗が描かれていてほしい、と。
そうすると再び「因縁」がうまれるのかどうかは定かではないが、まるで何事もなかったかのような改修後のイモラ・サーキットをみるたびに、ジルのスピリットを出来る限り後世にも伝えたい、一ファンとしての不満がそこにはある。
(おわり)
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Comments
記事、読ませて頂きました。
身震いしますね、この偶然というか因縁というか。
現在イモラで3番グリッドにフェラーリがついても何も起こらないのは
カーナンバー改正によるものかもしれませんね(笑)。
ただ、少し気になる事があります。
カーナンバーが改正された1996年から2004年までの2ndドライバーの
カーナンバーを合計すると見事に28になります。
その時は94年にイモラでの悪夢を予感させたバリチェロが4位に付けていましたが、
もしあのとき3番グリッドについていたら、・・・何が起きていたんでしょうね。
そしてもしM.シューマッハーの操るフェラーリのカーナンバーが
いつか合計27〜28になった時にイモラで3番グリッドを獲得したら、etc。
気になって眠れません。
Posted by: 匿名 | 2005.04.17 18:46
コメントをありがとうございます。
カーナンバーの合計という新説に、私も身震いしました。なんだかすごいですね。
もちろん単なる偶然だと思いたい部分があります。
でもこれについていつも思うのは、ジルのことだけに限らず、世の中のいろんな現象の裏には、ちょっと注目してみると、いろんな因果が実は存在しまくっているんじゃないか、ということです。人との出会いとか、つくづくそういう部分の存在を信じてしまいそうな感じですもんね・・・
Posted by: たてーし | 2005.04.18 09:29