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2005.05.11

iPod photo をさわってみた

友人のMSK氏が買ったというiPod photo(60GB!)を触らせてもらった。最初は、ついついいつものクセで「バッテリーどうよ?」とか恨みがましく聞いてみたり、「あれ、なんで画面がカラーなん?」と、実は本機種についてすっかり無知なところを露呈してみたり、キャアキャアとはしゃいでいたのだが、とにもかくにも、アイポッド・フォトというだけあって、写真が鮮明に表示されているじゃないか。

で、ここからがポイントなのだが、友人MSK氏はかなり早い時期からデジカメを導入して、僕らとの果てしなく微妙でウブな大学生活の様々なシーンを切り取ってくれていた人なのだが、そういう彼がもっていた画像データのすべてが、案の定というか、やはりというか、この60ギガの怪物はすっかり飲み込んでおり、写真をみながら音楽も聴けるという状態で、(かつバッテリーも快調で)動いているのである。ひぇえ。

で、例のタッチホイールをぐるぐる回すと、彼が今まで撮影したすべてのデジカメ画像が、信じられないスピードで表示されていく・・・

 思った。これは21世紀の僕らに与えられた「マイ走馬灯」だ。文字通り、走馬灯なのである。
 そういう想念を抱かずにはいられない。とっても微妙な感覚なんだけど、確かにそれは「あたらしい体験」のひとつではないかと思った。(ちょくちょくMSK氏からは、僕が「あたらしいツール」にことごとく懐疑的な反応を示すことについて憎まれ口をたたかれるのだが)

 実はこの感覚を、もっと上手にいえたらいいなと想いつつ、ぜんぜんいい言葉がでてこない。
 なんか、軽いカルチャーショックでもあるので、「うーん、なんなんだろう、この不思議な感覚は」と思っている。
 
 ひとつのポイントは、それが自宅のPCや外出先のノートPCではなく、iPodのような小型の携帯端末で展開される「画像のスライドショー」だからかもしれない。画像の内容だけでなく、「どこで、誰と、何の曲を聴きながら、この画像を見て、そして何を思い出すのか」という側面。
 「走馬灯」が、実際の「環境」の中に埋め込まれて体験される、という感じか。(うーん、わかりにくくてすいません)

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Comments

喜んでもらえて俺も嬉しいです。

「走馬燈」というのはおもしろい表現ですね。
たしかにピッタリだと思います。

Posted by: MSK | 2005.05.12 00:07

バッテリー(笑)。

違うかもしれないけれど、まー主観やけど、

私は「心理的な距離と実際の距離」が、ほぼ一致する最後の世代か?とか思う・・・。

デジカメ、みんな持ってはるやん~パソコンでのコミュニケーションや掲示板、ブログetc、写真や動画までもを駆使して一瞬に海外と日本がつながってしまう今、心理的な距離がヒジョーに近くなったやん。

ぽつねん、と海外にいれたのは貴重かもしれない・・・というか、ただ年取ってきたんやなー!!

Posted by: hanachirusato | 2005.05.12 21:28

MSK氏>
ほめてもらえて僕はうれしいです(笑)

ハナチルサトさん>
そう、たしかに僕らは年をとりました。もうすぐ平成生まれが大学生になるとです・・・
心理的な距離と実際の距離。
タイムラグの妙味、みたいなものが失われつつあるかもしれません。
最近のCMでも、デジカメ写真撮ったら穴に落ちて、その先にコンビニがあってすぐダッシュ、みたいなノリですからねぇ。

Posted by: タテーシ | 2005.05.13 00:05

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