『道は開ける』をあらためて読む 第12章 その1
第4部 平和と幸福をもたらす精神状態を養う7つの方法
第12章 「生活を転換させる指針」
ということで、第4部まで辿り着いた。
ただ、ざっと読み返した感じでは、この第12章は、やったら内容が濃くて多岐にわたっている。
今日はそれらを一括してブログに書くほどの気力もないので、まずは序盤の記述について触れよう。
「われわれの人生とは、われわれの思考が作り上げるものにほかならない」byマルクス・アウレリウス
この言葉が最初に紹介されるわけだが、このような名句は、あらゆる自己啓発書の類に必ずでてきますな。それこそジョセフ・マーフィーやら、ジェームズ・アレンやら、とにかくいろいろ・・・
ちょっと話がそれますが。
自己啓発書がたくさん売られているということは、たくさん買われているわけで、(そして私はもっぱらそういう本を古本屋で仕入れて読むのがパターンなのだが 笑)、ことあるたびに同じようなことが言われていて、きっとかなりの人がこういうメッセージを受け止めているはずなのだが、しかしここで「タテーシの法則」とでも言いたくなる傾向として、だからといって、日常生活で上記のようなことを人に面と向かって言う人はほとんどいないというのが、実はこの種のフレーズを消費する我々の社会において非常に興味深いことではないかと考えている。これはまた別の機会に考えてみたい。
さて、カーネギーはそこでうまいことを言う。
私の言い分は、万事につけて底抜けの楽天家になれと主張しているように聞こえるだろうか? そうではない、積極的な態度を身につけようということだ。別の言葉で言えば、自分の問題に神経を集中しなければならないが、悩む必要はない。では神経を集中するのと悩むのとはどのように違うのか? 実例を示そう。交通が渋滞しているニューヨークの通りを横断するときに、私はいつも自分の動作に神経を集中するが、別に悩みはしない。注意を払うというのは、問題の本質を見きわめ、冷静にそれを処理することである。悩むというのは、常軌を逸して無益な円のまわりをグルグルと回ることなのだ。
いささか強引な例だけど、こういうカーネギーが私は好きである。今日はここでとめておきます。
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