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2005.07.24

『道は開ける』をひたすら読む 第15章

第15章 「百万ドルか、天与の財産か?」

この章のポイントは、「不足しているものを数えるのではなく、恵まれているものを数えてみよう」ということだ。

あなたは両眼を10億ドルで手放す気があるだろうか? あなたの両足と何かを交換したいと思うだろうか? 両手は? 聴覚は? 子どもは? 家族は? あなたの財産を合計してみよう。そうすれば納得できるはずだ。たとえロックフェラー、フォード、モルガンという三大財閥の金塊すべてを積まれても、自分の持ち物を売り払う気にはなれないことが。 
 だが、私たちにはこれらの真価がわかっているだろうか? 残念ながらわかっていない。ショーペンハウエルが『われわれは自分に備わっているものをほとんど顧慮せずに、いつも欠けているものについて考える』と言ったが、確かに『自分に備わっているものをほとんど顧慮せずに、いつも欠けているものについて考える』傾向こそ、地上における最大の悲劇と言ってもよい。おそらく不幸をもたらすという点では、歴史上のあらゆる戦争や疾病に劣らないであろう。

ローガン・ピアソール・スミスという人の言。「人生には目標とすべきものが二つある。第一は自分の欲するものを手に入れること、第二はそれを楽しむことである。数ある人間のうちでも、第二のことを実践できるのは賢者だけでしかない」

これらのことは言い換えると「いかに今を生きるか」ということにもつながってくるわけで、「今を楽しむ」、「今あるものを大事にする」ということなんでしょう。

これに関連して・・・なぜか一昨日ぐらいから、「現状に満足する」ことと「現状に決して満足してはならない」という考え方についてウダウダと考えていたのだけど、そもそも「現状に満足してはならない」って、いったいどこで学ぶ思想なんだろう? と疑問に思ったわけである。 それに加えて、「現状に満足してはならない」という「思想」と、そこに「ハングリー精神」という言葉が、自動的に結びついていて、あたかもそれら二つが同じものとして認識されやすいということにも思い至る。はてさて、いったい「現状に満足してはならない」ということは、どこで身についてしまう考え方なんだろう? しかもなぜそれが「ハングリー精神」と同一視されてしまうのだろう? この二つの言葉は決してセットではなく、別々に考えておきたい。じゃないと、なんか気持ち悪い。

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