« June 2005 | Main | August 2005 »

July 2005に作成された記事

2005.07.31

祝!

COREさんご結婚おめでとうございます! きみに幸あれ!!

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.07.29

前から思っていたんだけど

totoを「バラ買い理論」で共同購入しませんか? と呼びかけてみる。
バラ買い理論とは何かという説明は、こちらのサイトをご参照あれ。

サッカーファンの友人、および
サッカーにはまるで興味のない友人、も。どうよ。
そう、もはやtotoの予想なんて、「あてずっぽう」とか「占いで」決めたほうがよっぽど当たりやすいと思われる。
変にサッカーを知っている人が予想しても、あまりよい予想ができるとはいえない。
僕だって、こういう予想のとき、タロットカードを引っ張り出してくるときもあるぐらいだ。

バラ買い理論でもいろんな買い方があるが、いっそ13トリプルに挑戦して、13人ぐらい仲間を募って「一人が一試合の予想を担当する」っていうふうにしてみたりね。(誰がどの試合を予想したかは伏せておいて・・・)

バラ買い理論の、13トリプルとかいうダイナミックな買い方の場合、どうしても個人で投資する気分にはなれず、どうせなら共同購入でいろんな人を巻き込んでスリリングさを共有して遊ぶほうがいいなぁ、という思いがあるわけです。

ていうか、職場とかでも「サマージャンボ共同購入」とかしている人もいるかと思いますが、どうせみんなでお金を出すなら、totoのほうが参加性が高くて盛り上がりますよ~、とアピールしておく。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2005.07.28

長居

セレッソとフィオレンティナの試合を堪能させていただきました。後ればせながらの誕生日祝いだといってチケットをプレゼントしてくれたAさんに感謝…。ボランティア仲間だというご夫妻にもお会いし、『いつも週末のホームの試合ではボランティアでスタジアム運営のお手伝い、アウェイの試合はゴール裏で思いきり応援してます。』って、凄いなあ〜と。これぞサポーターの理想的なライフスタイルや!と感銘を受けまくり、思わず自己紹介もそこそこに熱いトークをさせていただく。心から愛せるチームがあることの素晴らしさ。

そしてヒデ。
怪我の影響もあって、出られないことも覚悟していたが、後半途中までプレーしてくれた。ひたすら感謝。背番号が7に変わっていたのは新たな決意表明だったのか。
思えば以前にヒデを観たのもこの長居、そう、あのチュニジア戦だったなあと思いだす。世界も少しは変わったし、僕はあんまりしっくりしないけど、ちゃんと年はとった、のである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.07.27

『道は開ける』をひたすら読む 第17章

第17章 「レモンの効用」

「レモンを手に入れたら、レモネードを作れ」という名言がある。(ジュリアス・ローゼンワルドという人が言ったらしい)
レモンという言葉には、「不快なもの」という意味があるらしい。

置かれた状況にいらだち、意気消沈した女性に、その父親が書き送った二行の詩・・・
 刑務所の鉄格子の間から 二人の男が外を見た
  一人は泥を眺め 一人は星を眺めた

ウイリアム・ボリソという人の言・・・「人生で最も大切なことは利益を温存することではない。それなら馬鹿にだってできる。真に重要なことは損失から利益を生み出すことだ。」
僕はこの言葉がすごく好きである。
マイナスを転じてプラスにする、というのは、何においてもスリリングでありチャレンジングな実践の賜物だろうと思う。どんな劣勢でも、そこからチャンスをみつけてカウンター攻撃を決めてしまうサッカーチームのように。たとえバンドの重要なボーカルを失っても、そこで残されたメンバーが立ち上がっていくように。

そして「レモンをいかにレモネードにするか」という試みは、どちらにころんでも「失うものはない」とカーネギーは説得にかかる。
第一の理由・・・成功するかもしれない。
第二の理由・・・たとえ成功しなくても、マイナスをプラスに変えようとするだけで、後ろを振り返らずに前方を見つめることになる。消極的だった考えが積極的になり、それが想像力を活動させ、われわれを多忙にし、過ぎ去ったものを嘆く時間や気持ちはなくなってしまうだろう。

以上。
こういうところ、好きだなぁ、カーネギーさん(笑)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.07.26

『道は開ける』をひたすら読む 第16章

第16章 「自己を知り、自己に徹しよう」

この章は、「自分以外の誰かになるのではなく、ただとにかく自分らしく振舞わないと、さまざまな不調の原動力になる」ということを述べている。

若かりし日のデール・カーネギー自身、演劇学校に入って俳優をめざすべく、当時の人気スターの良いところだけを取り入れようとして失敗し、その後ビジネスマンのための話術の本を書くときも、すでに出版されているさまざまな著作からの良いところだけを集めた本を作ろうとして失敗し、このような経験から、「自分は自分以外の者になれるわけがない」ということを学んだという。

皆さんはこの世で何かしら新しさを持っている。それを喜ぶべきだ。自然が与えてくれたものを最大限に活用すべきである。結局のところ、すべての芸術は自叙伝的なのである。あなたが口ずさむのは、あなたならではの歌であり、あなたが描くのは、あなたならではの絵にすぎない。あなたは、あなたの経験や環境や遺伝が完成した作品であるべきだ。良くも悪くも人生というオーケストラのなかで、あなたは自分の小さな楽器を演奏しなければならないのだ。

ちなみにこの章の実例で紹介される、キャス・ダーレイという歌手について、ネットで調べてみたのだがまったく名前が出てこなくて、よくわからない。どなたかご存知の方はいるだろうか。 このダーレイさん、歌で身を立てることを夢見ていたが、口が大きく出っ歯だったため、それを気にするあまり歯を隠すように歌っていた。するとある人から「それがどうしたというのだ! むしろ口を大きく開けて悪びれずに歌ってごらんよ」と忠告され、それから口を大きく開けて聴衆のことのみに注意を払って陽気に歌いまくっていくことから道が開けた、というハナシ。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

俊輔セルティックへ

てなわけで、無事にセルティックへの移籍を果たした中村俊輔。
ホームページでは、「スペインへの足がかり」とか言ってますが、どうせなら英国内でその足跡を刻んでみてほしい気もしたり。

セルティックには、闘魂系コワモテ長身フォワード、ハートソンに、
ちょっと前までニューカッスルで「シアラー親分」の舎弟としてチョコマカ走りまくる姿が可愛らしかった、ベラミーという二人のウェールズ人がキャラ立ち万全でお待ちしております。
bellamydundeeunitedceleb

俊輔のピンポイントクロスにハートソンが根性一発で豪快に決めたり、
俊輔の絶妙のスルーパスにベラミーがダッシュ一発ワンタッチで決めたり、
そういうシーンを夢想しては、悦に入っています。

イングランドもそうだけど、全力で走り回らないとサポーターが許さない雰囲気があるので、どうか無駄走りに磨きをかけた俊輔も見てみたい気もします。
ちなみにマンチェのCロナウドとかって、テクニックでチョコチョコ魅せていても、なんか客席からは「笑われている」フシがあるので、俊輔もその華麗なテクニックで笑われるぐらい、派手にやってほしいです。スコットランドの同志に、秘儀「横須賀ルーレット」を見せ付けてやりましょう。あのシマシマのユニフォームならなおいっそう、ビジュアル的にナイスです。走れない場合でも、あなたならそのテクニックで世界のすべてを切り裂いていけるはずです。

さて、問題はナカータさん。
それでもフィオレンティーナ残留ですか。ブランデッリ監督とまたやりますか。
あ、でも今週は長居に来てくれるので、それはとっても楽しみにしているんですが(笑)
でも本当に、イングランドスタイルの中でヒデを観てみたい・・・イタリアでがんばることももちろん重要なんですが、こればかりは、ほんとに・・・

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.07.25

コミ・バト

タムオさん、bayashiさん、に敬意を表しコミックバトンを。

(1)所持するコミックの冊数
今見たら25冊ぐらい。ほとんど桜玉吉・・・

(2)今面白い漫画は?
ハマると怖いので、漫画を突き放した生活をしているのですが、産経新聞に連載されているスヌーピーの漫画は、毎日楽しみにしています。どうにかして、『ピーナッツ』においてシュルツ氏が描いた全作品を死ぬまでに読みたいなと思っています。たくさんありすぎて、何がなんだか。あ、つい先日古本屋でシュルツ氏の伝記を見つけたので、まずはここから読み始めようと思います。

(3)最後に買ったコミックは?
桜玉吉「御緩漫玉日記(1)」になってしまうのか。あう。

(4)よく読む、または思い入れのあるコミック

桜玉吉の作品・・・は、高校生ぐらいのときはあまりフォローしていなかったのだけど、大学時代に再びリスペクトの念が沸き起こり、今では「本当に大事な漫画家なんだ」と思わずにはいられない。

黒田硫黄『セクシーボイスアンドロボ』、および『茄子』・・・は、ナセルノフ氏から教えてもらった漫画家で、案の定、すぐにハマる(笑)。とくに『茄子』の短編集では、この作者にとっての心象風景なのか、「ひとつの部屋で時間を共有する男女」というモチーフがいくつか派生していて、その雰囲気がとても好きだったりする。

唯洋一郎『こちら埼玉 山の上大学ボクシング部』・・・昔、友だちの家に1巻だけあって、続きが異様に気になって自分で全巻そろえたが、大学時代における「過去を捨てまくった掃除」のついでに処分してしまい、今になって非常に後悔している作品。なぜなら、あまりにもマイナーな漫画だったらしく、古本屋でまず見かけない。ボクシング部の漫画のくせにボクシングをしたのは最初の頃ぐらいで、あとはひたすら不条理なギャグの連鎖と、ドタバタした大学生?生活と、「80年代っぽさ」におもいっきり満ちていた。そこが妙に好きだった。

佐々木倫子『動物のお医者さん』・・・ここで気が付いた。私にとっての「キャンパス・ライフ像」って、この作品における「H大学獣医学部解剖学教室」と、「埼玉・山の上大学」が原点なんだろうか、と(笑)

今回この機会に思い出して独りで盛り上がったのは、植田まさし『のんき君』『キップくん』シリーズ・・・これ、幼稚園ぐらいのときからの愛読書だった(笑) 父親の入院に際して同僚の人がお見舞いのときにくださったと記憶する、4コマ漫画の単行本だったのだが、すっかり私の愛読書と化し、この時点から私は「マジメに働かず、クールな素振りでひたすら笑いに精進するサラリーマン」の姿に素直に感化されていたのか、と思うと微妙な気分である。氏の作品では『コボちゃん』や『かりあげ君』がメジャーなのだが、私にとっては断然『のんき君』である。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べたら、芳文社から発行の漫画雑誌「週刊漫画TIMES」に掲載されていた、大手一流企業に働く平社員・のんきとその会社の仲間たちとの奮闘振りを描いた作品で、1983年から1984年にかけてフジテレビ「月曜ドラマランド」枠で3回に渡り、明石家さんまの主演でテレビドラマ化されたこともあった。
なにー!! さんまさぁーん!!??(笑) それは観てみたかった!!

(5)バトンをわたしたいひと
ナセルノフさん、ばろっくさぁーん(落ち着いたらメールください)、figueさん、ElasticMindさん、どうでっしゃろ。漫画にとてもこだわってそうな友人4名に。

| | Comments (9) | TrackBack (1)

2005.07.24

『道は開ける』をひたすら読む 第15章

第15章 「百万ドルか、天与の財産か?」

この章のポイントは、「不足しているものを数えるのではなく、恵まれているものを数えてみよう」ということだ。

あなたは両眼を10億ドルで手放す気があるだろうか? あなたの両足と何かを交換したいと思うだろうか? 両手は? 聴覚は? 子どもは? 家族は? あなたの財産を合計してみよう。そうすれば納得できるはずだ。たとえロックフェラー、フォード、モルガンという三大財閥の金塊すべてを積まれても、自分の持ち物を売り払う気にはなれないことが。 
 だが、私たちにはこれらの真価がわかっているだろうか? 残念ながらわかっていない。ショーペンハウエルが『われわれは自分に備わっているものをほとんど顧慮せずに、いつも欠けているものについて考える』と言ったが、確かに『自分に備わっているものをほとんど顧慮せずに、いつも欠けているものについて考える』傾向こそ、地上における最大の悲劇と言ってもよい。おそらく不幸をもたらすという点では、歴史上のあらゆる戦争や疾病に劣らないであろう。

ローガン・ピアソール・スミスという人の言。「人生には目標とすべきものが二つある。第一は自分の欲するものを手に入れること、第二はそれを楽しむことである。数ある人間のうちでも、第二のことを実践できるのは賢者だけでしかない」

これらのことは言い換えると「いかに今を生きるか」ということにもつながってくるわけで、「今を楽しむ」、「今あるものを大事にする」ということなんでしょう。

これに関連して・・・なぜか一昨日ぐらいから、「現状に満足する」ことと「現状に決して満足してはならない」という考え方についてウダウダと考えていたのだけど、そもそも「現状に満足してはならない」って、いったいどこで学ぶ思想なんだろう? と疑問に思ったわけである。 それに加えて、「現状に満足してはならない」という「思想」と、そこに「ハングリー精神」という言葉が、自動的に結びついていて、あたかもそれら二つが同じものとして認識されやすいということにも思い至る。はてさて、いったい「現状に満足してはならない」ということは、どこで身についてしまう考え方なんだろう? しかもなぜそれが「ハングリー精神」と同一視されてしまうのだろう? この二つの言葉は決してセットではなく、別々に考えておきたい。じゃないと、なんか気持ち悪い。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.07.22

『道は開ける』をひたすら読む 第14章

第14章 「恩知らずを気にしない方法」

どうでもいいけど、章のタイトルがだんだん、どこかのファニー系インディーズバンドの曲名みたいな感じになってくるなぁ。「仕返しは高くつく」「オガクズを挽こうとするな」「カブト虫に打ち倒されるな」とか。

ここで強調されているポイントがふたつある

人間とは生まれつき感謝を忘れやすくできている。だから絶えず感謝を期待していることは、みずから進んで心痛を求めていると言ってもよい。

幸福を発見したいと願うなら、感謝とか恩知らずなどを考えずに、与えるという内面の喜びのために与えるべきである。

なんか、「今シーズンはこんなにチームに貢献したのに、なんでこんな低い評価なんだ!」とかいって不満を述べるサッカー選手のことを考えてしまうなぁ。
ていうかレアルマドリーにおけるグティの心境かなぁ(とか、実例を出してしまう)
ええいグティよ、虚心でブチあたれ。
虚心でボールを追うプレイヤーほど怖いものはない。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2005.07.21

幻の一歩手前、夢の一瞬先

いつか作ってみたい本がある。
民俗調査の収集のように・・・
博物誌のように・・・
世界のサッカーチームのエンブレムを収集した本だ。

世界中のあらゆる地域で浸透したほぼ唯一のスポーツであるサッカーは、「チーム」という単位のもとで成立し、その存在を象徴化するために、かならずといっていいほど「エンブレム」が表現される。それは歴史的な変遷をたどることもあるわけで、エンブレムの収集は、比較文化の視点でも、そして図像・シンボルへの分析的な視点から考えても、格好のネタになるわけだが。

しかし、ここ数年来の、私の(ある種いいかげんで散漫な)文献調査においては、そのような視点から作られた本は、日本はもちろん、海外でも見出すことができなかった。

ところが、である。
いきなりヴィレッジ・ヴァンガードでこんな本に出くわした!

「世界のサッカーエンブレム完全解読ブック」

ついに・・・ついに現われたな、と思った。
くやしいなぁ、先越されたなぁ。
もちろん、この本も必ずしも「全世界のものを網羅した」とは言いがたいわけで、やはり書籍の形でまとめるには、標本対象が多すぎるから、なかなか難しそうである。
こういうネタは、今後はやはりIT技術におけるデータベース化のなかで築かれていくものなのかもしれないが。
それでも、とにかく紙の本の形で、「サッカーチームのエンブレム」だけにこだわった書籍が誕生したことを、今は控えめに喜んでおきたい。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

2005.07.20

プログレ・ロックの在りし日の姿にツッコミをいれる 2

このところ、年に1回か2回ほど訪れる「やたらプログレ聴きたくなる期」です。
とくに最近はYESの隠れた名曲「南の空」が好きです。
「南の空」が隠れた名曲だと思えるのは、久しぶりに聴いてみると、わずか8分ぐらいの曲に、「よくあるプログレ特有の構築美」がうまーく凝縮されていることがわかり、「テメー! やればできんじゃんー!」と思わせる内容だからです。20分ぐらい延々と演奏するのも、それはそれで(慣れれば)楽しいのだけど、8分あまりの短い間に、ギュンと自分たちの全力を尽くした曲っていうのも、ハッとさせられて好きなわけです。とくにこの曲は、出世作『こわれもの』に収録されているわけで、いままさに頂点を目指しつつある時期のバンドにおいて、スティーヴ・ハウがえらく元気一杯にギターを弾きまくっているわけで、微笑ましいわけです。

さて、今日はそんな「YES」の在りし日の姿に触れておこう。
たまたまネットで目にしてしまった画像です。
(ぜひクリックして画像を大きめにして見てみよう)
Yes0027


いったい・・・

どうやったら、こういう配色のステージ衣裳にたどりつくんだろう!?

とくに写真いちばん左、われらがスティーヴ・ハウ!
もはや、“何ものか”に例えようがありません!!

私のつくるフリーペーパーに彼の名を冠したひとつの要因は、彼の演奏中のなんともいえない「表情」に対する、なんともいえない情感にシンパシーを感じて、勢いで命名したわけだけど・・・この衣裳にはあまりシンパシー感じません

Yes_SteveHowe0001

| | Comments (0) | TrackBack (1)

2005.07.19

『道は開ける』をあらためて読む 第13章

第13章 「仕返しは高くつく」

と、いうことです(笑)
ほかに言うべきことがない(笑)

キリストが「自分の敵を愛しなさい」といったのは、単に道徳律を説いただけでなく、医学についてをも説いていた、とのこと。敵に憎しみを感じれば、自分が傷つくんだ、ということである。「私たちは聖者と違って、自分の敵を愛すのは無理かもしれない。けれども、自分自身の健康と幸福のために少なくとも敵を赦し、忘れてしまおう。これこそ賢明というものだ。」

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2005.07.18

『道は開ける』をあらためて読む 第12章 その3

第12章のつづき。

章の最後に、「今日だけは」というプログラムが紹介されている。シビル・F・バートリッジという人が書いたもので、カーネギーはこの文面をあらゆる人に紹介してきた、とのこと。

  今日だけは

1.今日だけは、幸福でいよう。リンカーンは「大抵の人々は、自分で決心した程度だけの幸福になれる」と言ったが、まったく至言である。幸福は内部から生じる。外部の事柄ではない。
2.今日だけは、自分自身をその場の状況に順応させて、自分の欲望のためにすべてを順応させることを控えよう。自分の家族も仕事も運も、あるがままに受け入れて、自分をそれに合わせよう。
3.今日だけは、身体に気をつけよう。運動をし、身体を大切にし、栄養を取ろう。肉体を酷使したり、軽視することは慎もう。そうすれば、身体は意のままに動く完全な機械になるだろう。
4.今日だけは、自分の精神を鍛えよう。何か有益なことを学び取ろう。精神的な無精者にはなるまい。努力と思考と集中力を必要とする物を読もう。
5.今日だけは、三つの方法で魂を訓練しよう。だれかに親切をほどこし、気づかれないようにしよう。ウイリアム・ジェームズが教えているように、修養のために少なくとも二つは自分のしたくないことをしよう。
6.今日だけは、愛想よくしよう。できる限り晴れやかな顔をし、穏やかな口調で話し、礼儀正しく振舞い、惜しげなく人をほめよう。他人の批判やアラ探しを慎み、他人を規則で縛ったり、戒めたりすることをやめよう。
7.今日だけは、今日一日だけを生き抜くことにして、人生のあらゆる問題に同時に取り組むことをやめよう。一生のあいだ続けるとしたら、嫌気のさすような問題でも、12時間ならば我慢できる。
8.今日だけは、一日の計画を立てよう。処理すべき仕事を一時間ごとに書き出そう。予定どおりにはいかないかもしれないが、ともかくやってみよう。そうすれば二つの悪癖――拙速と優柔不断と縁が切れるかもしれない。
9.今日だけは、たった一人で静かにくつろぐ時間を30分だけ生み出そう。この時間を使って、時には神について考えよう。人生に対する正しい認識が得られるかもしれない。
10.今日だけは、恐れないようにしよう。特に幸福になることを恐れたり、美しいものを楽しむことを恐れたり、愛することを恐れたり、私の愛する人が私を愛していると信じることを恐れないようにしよう。

これらの10項目は、そっくりそのままこの本の「ダイジェスト」みたいな感じもする。
ただ、全部をまとめて自分自身の日々の生活で実践しましょう、と言われても「ちょっと待ってぇなぁー」と言いたくなる箇所も多々あったりするわけだが・・・でもまぁ、それに向けて何らかの「チカラの入れ加減」を変えてみるだけの、些細な努力っていうのは、大事にしたいなとは思っている。

ちなみに、どうして僕がカーネギーの本とかのこういう名句に興味があるのかというと、これらの名句が、実は「あたりまえ」で「シンプル」な考え方を示しているに過ぎないはずなのに、なぜ普段の自分の考え方だったり、自分をとりまく社会的状況というのが、それらの「あたりまえ」で「シンプル」な考え方を押さえ込んでしまうようになっているんだろう、ということにある。社会的状況やら慣習やらが築いてきた、「もうひとつの“あたりまえ”」なものとは一体何なのか、を考えていくことが、自分の追求したいテーマなんだろうな、と今思った。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

2005.07.17

今日は祇園祭

ですが、後輩bayashiくん宅にてオールの様相をしめしております。イエーイ。今日は帰れません。なぜならトランプの大富豪をやっていたからです。いま休憩中です。
近所にきたついでに、前から欲しかった図書館の本を持ち込んでひたすら5円コピーしてきましたが、なんかある種の充実感をこの作業で感じつつ、何か一仕事をした気になっていたのですが、考えてみたら、これって単なるセコい作業じゃないかと、分厚い紙の束をかかえつつ、たこ焼きパーティーの輪に加わった次第です。低予算研究的生活ここに極まれり。
実は想像以上にいろんな後輩ちゃんたちがこのブログを読んでいただいていることが分かったので、襟を正して書き続けようと改めて思いました・・・襟を正してって、正しい使い方なんだろうか。あかん、まだちょっと酔いが回っています。

後輩bayashiくんのブログで、「ツイン・ピークス」を観始めたことを知り、私はほくそえんでいる。「ほくそえむ」と書くとすごく陰謀めいているが、うーん、そうですね、このドラマはハマるとちょっと手がつけられないよ~、と脅かしておく。(bayashiくんへ、リーディングバトンを書いてくださいね~。と、ふってみる)

ちなみに、以前深夜押しかけて、彼が起床する時間までウイニングイレブンをやり倒して罪悪感を感じた僕が血迷ってお詫びに描き残した4コマ漫画「痛快!*モロゾフの論客」をクリアフォルダの状態になっているマウスパッドの部分に挟み込んで使ってくれていたので、恥かしいやら嬉しいやら誇らしいやら(笑)

トランプの大富豪って難しいね。いろんな地方ルールもあって、なおさらに難しい。「8」がこんなに強いなんて、知らなかった。いつのまにそんなルールが進化していたんだろうか、いつのまに8はそんな実力をつけてきたのか、とついつい世間知らずぶりを露呈しています。
そして言うまでも無く、さっきからがんがん大貧民をキープしていたわけですワタシ(笑)

カウントダウンTVをやっているね。ケツメイシってこんな曲だったのね。あぁ、まったく時流がわかっていない。さっきコールドプレイを聴かせてもらいました。

だんだん眠たくなってきております。 真夜中は何食っても美味い(by ナンバーガール)。プリンおいしい。
ちょっとテンションが。
たった今「SE7EN」ってテレビ画面に表示されていました。寝ぼけているのかと思いましたが、韓流アーティストのようです。なんて読むんですか。やっぱりセブンなんですか。

まだ1時すぎなのに、ぜんぜん眠たい。
なんか、すごく大事なことを書こうとしていたのだけど、すっかり忘れた。

| | Comments (6) | TrackBack (0)

2005.07.16

今年の移籍

アーセナルのキャプテンであるパトリック・ヴィエラが、なんとユベントスへ移籍することが決定
本当に出るのかよアーセナル、って感じです。・・・いや、まぁ、個人的には別にいいんだけど(笑)
ただプレミアからセリエAにいったとたん、審判の判定基準の違いによって、当たる相手がことごとくファウルで倒れてイエローもらいまくって、かなりやりにくさを感じたりもするんじゃないか、とか思ったり。ただでさえプレミアでもハードな当たりでカードが多かったイメージがあるだけに。

ところで。
私は、ヴィエラをみるたびに、

patrick_vieira___4

なぜか、
いつも、
この人の顔を思い浮かべる。

p6

そして、この人をテレビでみるたびに、
私は
パトリック・ヴィエラを思い出すわけだ。

vieira


で、

同じように、私はロビー・ファウラー(元イングランド代表)をみるたびに、

fowler01

なぜか
いつも、
この人を思い出す。

makiko_tanaka

だから
この人をみると、
自然に
私は
ファウラーのことを思い出す。

fowler02

で、やっぱりファウラーをみると、

1998008

どうしても思い出してしまうのでした。

ちなみに中村俊輔よ、スペインに行きたいとかワガママいわず、素直にセルティックへ移籍してちょうだい! スコットランドも熱いってば!


| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.07.15

リーディング・バトン

タムオさんからいただいたリーディング・バトン。
読書についての質問です。

でもいきなり最初の質問が、本ではなく
1.お気に入りのテキストサイト(ブログ)は?(笑)
まっさきに思い浮かぶのは HotWired Japanのワイアード・ニュースの、とくにカルチャー欄。 そしてデイリーポータルZ。

面識のある友人のブログ以外で挙げるならば、たまにコメントをいただくミズイロバケツさんのブログ。 サッカーニュースの仕入れが早く、かつツボにくる記事が多いので、助かっています(笑)
サッカーでいえば、BBCのサイトとか、先日紹介したSOCCER UNDERGROUND BLOGとか、あとはサポティスタですね。それ以上、あまり深いところで普段からネットでサッカー情報を追いかけることはあまりないのでした。

あ、ナセルノフさんに教えてもらって以来、しっかり読んでいる、くるりの「岸田日記」もありますね。

2.今読んでいる本は?

デール・カーネギー『道は開ける』(創元社)・・・(笑) いろいろ事情があって、ええ(笑)

レイモンド・ウイリアムズ『完訳 キーワード辞典』(平凡社)・・・文化研究の古典。先日のカル・タイの浮かれっぷりの勢いに乗って、今更ながら汗かきつつ読んでいますが・・・これがなかなか(笑)

3.好きな作家は? 小説家としては、
ダグラス・クープランド 
尾崎翠 

4.よく読む、あるいは思い入れのある本
ダグラス・クープランド『ジェネレーションX』(角川書店) 永遠のテーマ。
ナタリー・ゴールドバーグ『クリエイティブ・ライティング』(春秋社) 私の日課。ひたすら書き続けることへの根拠。
ジュリア・キャメロン『ずっとやりたかったことを、やりなさい』(サンマーク出版) 学校の教科書にしてほしい。
デール・カーネギーの本各種 といっても3冊ぐらいだけど。
C.G.ユング『ユング自伝―思い出・夢・思想』(みすず書房) イメージを語るその言語表現に、戦慄に似た、不思議な魅力。
鶴見太郎『橋浦泰雄伝』(晶文社) かけがえのない、私の青春の一部。

そんなこんなで、
思いつくままに書いてみました。

| | Comments (5) | TrackBack (1)

2005.07.14

『道は開ける』をあらためて読む 第12章 その2

つづき。

この章は読みにくいし、クリスチャン・サイエンスの創始者が、瀕死の状態で聖書の一節を読んで「ただちにベッドから起き上がり、歩き回れた」というくだりは、「ホンマかいな!」といいたくもなる。いずれにせよ、人間の精神状態の持つすさまじい力について力説されているわけだ。

私が痛感していることは、私たちが日常生活で得られる心の安らぎや喜びは、自分の居場所や持ち物や、身分によって左右されるのではなく、気持ちの持ちよう一つで決まるという点だ。外部の条件はほとんど関係ない。

私の言い方は皆さんにとって――皆さんが難問を抱えて四苦八苦しながら針のように神経をとがらしているというのに――あまりにも話がうますぎるように聞こえるだろうか? 私が述べているのは、苦境でもなお意志の力で気の持ちようを変えうるという結構な話であろうか? そうなのだ、そのとおりなのだ! それだけではない。それを実践する方法まで伝授するつもりである。そのためには小さな努力が必要だが、その秘訣はいたって簡単である。

熱いなカーネギー。で、その「秘訣」とは、心理学では有名なウイリアム・ジェームズに依って、快活さを失った時、他人に頼らず自発的に快活さを取り戻す秘訣は、いかにも楽しそうな様子で動き回ったり、しゃべったりしながら、すでに快活さを取り戻したように振舞うことである

とのことである。いかがだろうか・・・?

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.07.13

『道は開ける』をあらためて読む 第12章 その1

第4部 平和と幸福をもたらす精神状態を養う7つの方法
第12章 「生活を転換させる指針」

ということで、第4部まで辿り着いた。
ただ、ざっと読み返した感じでは、この第12章は、やったら内容が濃くて多岐にわたっている。
今日はそれらを一括してブログに書くほどの気力もないので、まずは序盤の記述について触れよう。

「われわれの人生とは、われわれの思考が作り上げるものにほかならない」byマルクス・アウレリウス

この言葉が最初に紹介されるわけだが、このような名句は、あらゆる自己啓発書の類に必ずでてきますな。それこそジョセフ・マーフィーやら、ジェームズ・アレンやら、とにかくいろいろ・・・

ちょっと話がそれますが。
自己啓発書がたくさん売られているということは、たくさん買われているわけで、(そして私はもっぱらそういう本を古本屋で仕入れて読むのがパターンなのだが 笑)、ことあるたびに同じようなことが言われていて、きっとかなりの人がこういうメッセージを受け止めているはずなのだが、しかしここで「タテーシの法則」とでも言いたくなる傾向として、だからといって、日常生活で上記のようなことを人に面と向かって言う人はほとんどいないというのが、実はこの種のフレーズを消費する我々の社会において非常に興味深いことではないかと考えている。これはまた別の機会に考えてみたい。

さて、カーネギーはそこでうまいことを言う。

私の言い分は、万事につけて底抜けの楽天家になれと主張しているように聞こえるだろうか? そうではない、積極的な態度を身につけようということだ。別の言葉で言えば、自分の問題に神経を集中しなければならないが、悩む必要はない。では神経を集中するのと悩むのとはどのように違うのか? 実例を示そう。交通が渋滞しているニューヨークの通りを横断するときに、私はいつも自分の動作に神経を集中するが、別に悩みはしない。注意を払うというのは、問題の本質を見きわめ、冷静にそれを処理することである。悩むというのは、常軌を逸して無益な円のまわりをグルグルと回ることなのだ。

いささか強引な例だけど、こういうカーネギーが私は好きである。今日はここでとめておきます。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.07.12

テン

ワールドグランプリの最中だ。今回もテレビで全日本女子のバレーを応援している。
やはり今回のウリは新キャプテン竹下(テン)だろう!急にメディアで持ち上げられた感のある 「かおる姫」は確かに美人でかっこいいが、竹下(テン)はまさにそこにきて「女王」のごとく・・・すべての攻撃が、女王の命に則って鮮やかに展開されているわけだ。かっこよすぎる。ものすごい精度でボールをさばきつつ、もんのすごくクールでポーカーフェイスなあたり、ペルージャ時代の中田英寿を観ていた頃のドッキドキ感に通じている。

でもそんな女王は、「テン」と呼ばれている。なんだか「点」のような感じもしないでもない。
なぜテンというコートネームを授かったのかは分からないが、きっと「点のような」感じからきているんじゃないか、と勝手に推測している。
でもそれって、とっても「日本的」な気がする。ちょっと「禅」っぽくないだろうか。あの縦横無尽なボールさばきの震源地は、「点」から生じているのである。ワビサビを感じないだろうか。

というわけで、私はひたすらセッター竹下佳江(テン)のプレーにやられています。
いつかJTマーヴェラスの試合観にいこう・・・このチーム、元日本代表で、かつてHOWE誌上でも紹介した「見た目の雰囲気と実際のプレーのギャップがグッとくる」熊前チカコも移籍してきたから、私にとっては非常にキャラ立ちしたメンツの揃っているチームなんで最近気になっている。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

2005.07.11

『道は開ける』をあらためて読む 第11章

第11章 「オガクズを挽こうとするな」

「こぼれたミルクを悔やんでも無駄だ」というのは、よくあることわざであり、耳にタコであろう、と。
しかし、それでも、ことわざから学ぶべきことは多いのだ、とカーネギーは主張する。

フラッド・フラー・シェッドという人が、学生にむかって「ノコギリで木を挽いたことのある人?」と尋ねると、ほとんどの学生が手を挙げた。そこで彼は「ではノコギリでオガクズを挽いたことのある人は何人いるだろうか?」と再び尋ねると、手を挙げた学生は一人もいない。
「もちろん、オガクズを挽くことなどできるわけがありません!」。シェッド氏は説いた。「オガクズは挽いたカスなのです。過去についても、これと同じことがいえましょう。すでに終ったことについてクヨクヨと悩むのは、ちょうどオガクズを挽こうとしているだけなのです」

というわけで、終ってしまったことについていつまでもひきずりなさんな、ということをカーネギーはこの章で訴えている。

まぁ、それでも、私は先日の「いたスト」での惨敗を振り返っては、「やはりニューヨークの株を序盤に手放してしまったのは間違いだったんだよなぁ」と、くだらないことをいつまでもクヨクヨ振り返ってしまう・・・

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2005.07.10

プログレ・ロックの在りし日の姿にツッコミを入れる

さて、HOWEはもともと「現代に生きる若人のために、古き良きプログレッシヴ・ロックの魅力を伝える」ために作られたフリーペーパーだったのだが(本当か)、たまにはこのブログでも、そんな素敵なプログレッシヴ・ロックの在りし日の姿に敬意を払いつつ、愛をもってツッコミをいれておきたい

てなわけで、今回の一品はこれだ。ネットでみつけた、ジェネシスのブートレッグ盤と思しきジャケットの写真なのだが。

(クリックすると少し拡大します)
genesis_watford_cover

・・・なんだ、このステージ上の異様な混み具合は!?

よくみると、ちゃんとメンバー5人ともが写っているのです。(ギターとベースが2人とも向こうサイドに鎮座している。一人はシンバルで隠れているけど。)
しかも、なんでフィル・コリンズの叩くドラムセットが、こんなに前面にせり出しているんだろう??
この混雑の原因は、そのほとんどがこのでしゃばったドラムにあるんじゃないだろうか?
・・・演奏しにくっ!

しかもこのお客さんたち・・・
壁際によじ登っています。
もしかして、この異様に混み合ったステージが、観づらかったのでしょうか。
覗き込むようにして、食い入るように演奏を注視しているとです。

余計な心配をしてしまいます。
プログレの人たちって、張り切っちゃって、けっこう長い曲をやっちゃうのね。(いまさら言うまでもなく)。
だから、壁によじ登っている方々、かなり疲労困憊になるんじゃないかと。
私なら、こんな体勢でプログレを聴けといわれても、耐えられそうにありません。

でもそんなことお構いなしに、気持ちよさげにピーター・ガブリエル、タンバリン片手にスッピンで歌っております。

ちなみに、この「ワトフォード・タウン・ホール」っていう場所を調べたら、やはりいろいろ出てくるわけで、ネット時代のすごさを思い知るわけです。(ワトフォードはロンドンのすぐ北にある街で、サッカーでもわりと有名ですが)

こんな場所のようです。
WFD15

なんか、普通に立派なんですけど・・・
どうやったら、あんな狭っ苦しいステージが完成するんでしょうか!?

あ、でも、今書きながらフト気づきました。
こういう海賊盤のたぐいって、ジャケットに使われている写真が、その該当するライブ会場の写真である保証なんて、どこにもないわけだよな・・・(笑)
というわけで、この写真は、厳密にはワトフォード・タウン・ホールじゃない、と思っておきましょう。
きっとどこかの学芸会の発表だったんでしょう。
もしかしたら「ジェネシスのそっくりさんコンテスト」だったかもしれません。
これでぐっすり眠れます。

| | Comments (0) | TrackBack (2)

いたスト放浪記

ミカ・フィオリオ氏(仮名)に招かれたので、「いただきストリート」のお手合わせを願う。
今回のマップは「アメリカ大陸」。
対戦相手はドナルドとサキをチョイス。目標金額100000G。

私のアメリカ大陸における戦略は、「率先してハワイに飛んで、店を買占め、帝国をつくる」という、小学生レベルの分かりやすいものであったのだが、結論からいうと、今回ハワイ帝国を築いたのは、私ではなくフィオリオ氏のほうだった。
さらに結論からいうと、私は圧倒的な最下位で終わり、まさに惨敗。ううう。

以下は、ゲームをしながら私がつけたメモを参考に、プレイ中に出てきた発言などを列挙する。

・まさに「中国爆食」だ、このハワイも「爆食」だ!(タテーシ)
・いったい今回何度「ハワイ」と連呼しているんだろう(タテーシ)
・(対戦相手に)ドナルドを招聘したオレが間違いだった(タテーシ)
・今度はどうしたらいいんですか?(タテーシ)→知ったこっちゃないよ!(笑)(フィオリオ)
・(タテーシが)ビミョーに静かになってきたなぁ(フィオリオ)

・「避けられない運命には従え byカーネギー・・・」(タテーシ)

・・・とまぁ、いろいろ振り返ると本当にヘコんでくるが、まさかこんなときに、前日書いたブログの記事におけるデールカーネギーの名句を自分自身の胸に刻まなければならないとは。いい勉強になりましたよ・・・。

そして今回、「ハワイ帝国を作られた立場になり、その苦しみを味わう」という得がたい体験をさせていただきました・・・そしてそんなハワイ帝国に何度も飛ばされまくってしまう、サイコロ運の悪さ・・・(フィオリオ氏いわく、『サイコロに対する気合が足りない』)
でもってしまいにはフィオリオ氏に向かって「株を譲渡してくれ」だの(このゲームにそんな機能はない)、「店のひとつぐらい譲らんかい!」だの、むちゃくちゃなコメントを重ねてしまい、今思うと恥ずかしい限りです。

で、往生際の悪い私は、この惨敗ののち「もういちど勝負してください!」ということで、マップを「日本列島」にし、あらためて同じ対戦相手をチョイスしてプレイしたものの・・・

1位 ドナルド 203515G
 (東海地区を早々と独占、その後関西も制圧し、“サムライパワー”で圧勝)
2位 フィオリオ 49426G
 (試合を投げずに的確なプレーに終始。一時最下位から怒涛の追い上げ)
3位 タテーシ 15792G
 (北海道のヘリポートと税務署に固執し、やはり“帝国願望”で自滅)
4位 サキ 途中破産
 (タテーシの税務署に2連発でハマったのが痛い)

つーことで、ここでも「惨敗」っす。負けました。思いっきり負けました。キー!!

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.07.09

『道は開ける』をあらためて読む 第10章

第10章 「悩みに歯止めを設けよう」

まずこの章では、株式売買における「ストップ・ロス・オーダー」という方法について触れている。1株50ドルで買ったものを45ドルのストップ・オーダーにしておけば、もし株価が下落して45ドルになったときに自動的に売るようにしておけば、無駄な損失を広げなくてすむ、ということだ。これを人生における悩みにも応用してみよう、ということだ。

つまり、あまりにも悩み事にたいして「支払いすぎている」のである。その代償は、精神的安定、健康、などなど・・・

こうして、実例として、小説家への道を断念したときに、すっかり気持ちを切り替えて精算し、現在の仕事につなげたというデール・カーネギー自身の話や、50年前に夫がしでかした些細な小事に対していつまでも文句を言い続けていた彼の伯母の話、そしてカーペット1枚の値段のために口論となり一生口をきかなかったまま共同制作を続けていたオペラの作家コンビの話、最後にトルストイとその妻とのいさかいにまつわる教訓も紹介されており、いくつもの意義深いエピソードが語られる。

50年間に及ぶ地獄の生活―もとはといえば、二人ともそろって「ストップ!」というだけの分別を欠いていたからだ。どちらも価値に対する正しい判断力を持っていなかったために、「こんなことは即座にストップ・ロス・オーダー扱いにしよう。これでは人生を浪費するばかりだから『もうたくさん』と言おうじゃないか!」という台詞を思いつかなかったのだ。」

| | Comments (3) | TrackBack (0)

2005.07.08

『道は開ける』をあらためて読む 第9章

第9章 「避けられない運命には従え」

うーむ。
こんなテロの翌日ではあるが、「避けられない運命には従え」ときた。

私たちは長い人生を歩むあいだに、どうにもならない不愉快な立場に立たされることが多い。それはどうにもしようがない。選択は私たちの自由である。そういう立場を天命として受け入れ、それに自分を順応させることができるか、あるいは、一生を台無しにしてまでも反抗し、神経衰弱になるかいずれかである。

柔道の達人たちは、「柳のように曲がれ、樫のように抵抗するな」と教えている。自動車のタイヤが道路に逆らって、ひどい目に遭った話をご存知だろうか? 初期のころタイヤ製造業者はタイヤを作る際に道路からの衝撃に耐えうるものを作ろうとした。そのタイヤはボロボロに裂けてしまった。次に彼らは道路からの衝撃を吸収してしまうタイヤを作った。このタイヤは「よく耐えた」。私たちも人生の難路につきものの衝撃や動揺を吸収する方法を学びさえすれば、より長く、いっそう快適なドライブを楽しむことができるだろう。

いろいろなことを考えてしまうわけだが・・・たとえば「ノーガード戦法」の怖さとか(笑)、F1レースのピット作業において、クルーたちの作業がもたついて、2位との差が一瞬にパーになって追い抜かれてしまったものの、そのあとの落ち着きはらった鬼神の走りで、ギャップをジワジワと挽回していって最後には追い抜いて優勝してしまうときのミハエル・シューマッハーの姿だったりとか。
あのときのシューマッハーが、たとえばヘルメットごしに、クルーにむかって「なにやってんだ!チクショー!」とか怒鳴っているようにはやはり想像できないわけで、その後のスムーズな、かつ鬼のような走りをみるにつけ、もはや一瞬にして頭を切り替えて集中をそらさないようにしているような印象があるわけだ。さすが“皇帝”だなぁ、と。些細なことでいちいちジタバタしていないんだよ、皇帝にもなれば(笑)。

あるいは、審判の判定に血相を変えてまで抗議しない中田英寿の姿とか。彼が食い下がっているシーンなんてみたことがないわけだが(ちょっとみてみたい気もする)、そういう意味で私は彼の「スタイル」が好きなのだ。(彼の場合、血相を変えて抗議するのは審判ではなく、日本代表の選手たちなんだよな・・・最近の“鬼軍曹”的なヒデはめっぽう好きだな。なんか“ロイ・キーン度”が高騰して、“おっかね~”感が増して面白い)
「審判に何か言っても、得することなんてひとつもないから」と言い切る中田英寿。これもある意味「避けられない運命に従う」姿ともいえよう。

で、「自分はどうなんだ」となったときに・・・これもなかなか難しい。どうしてもこだわり続けてしまうものがあるよなぁ、と。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.07.07

fuck'n terror

テロを非難することも正当化することもこのごろじゃあ難しいのだが。
こういう方法以外でアピールすることはできるんじゃないのか、と。
あー、でも言葉につまる。同じことを僕らの側もやっているんだろうということが。
9.11のおかげで、無知だった自分が考えられるようになった「見えにくい問題」ってやつとかも。

ただ、
あの古い良き街が破壊されるのは耐えがたい。それはギリギリの本音。
キングズクロス駅、ちかくにユースホステルがあったんで、毎日使っていた駅。いつでも思い出の風景とともにあった駅。
くそう。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

『道は開ける』をあらためて読む 第8章

第8章「多くの悩みを締め出すには」

この章は、「悩みが実際に起りえる確率を、平均値の法則に基づいて算出してみよ・・・どんなに低いことか!」ということを、ひたすら事例を並べて紹介している。

たしかに、僕らが思い描く不安や悩みが、実際のものになる確率は、かなり低い。
でもどうしても、その思い描く「マイナスイメージ」の強力さってやつが、思考を支配しちゃうんですね、これが。
あれはいったいどうしてなんでしょう。そこまでして我々は「ドラマチックな人生」を生きたがるわけなのか、と皮肉を言いたくなるぐらい・・・

ところで、先日スポーツニュースで、メジャーリーグの外野席にいたお客さんが一試合で二回も、飛んできたボールをキャッチしていた光景が紹介されていた。これってかなりすごい確率ではないかと思うのだが、どうだろう。

うーん、やっぱり「起るときは起る」のか?(笑)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.07.06

思い入れのある5曲について

このまえ、ナセルノフさんから「ミュージック・バトン」をご指名いただきました。
ご存知の方も多いでしょうが、いまネットで広まっている、音楽に関する質問ネタです。
これに答えて、別の5人を指名して、同じ質問に答えてもらうという、諸説さまざまなお遊び? のようです。

で、これに答えようと、いろいろ考えていたのですが、質問のひとつである「特別な思い入れのある5曲は?」について、ずっと、ずっと考えあぐねていたのであった(笑)

「5曲か・・・。 うーーーん、思い入れのある音楽って、やっぱりたくさんありすぎるから、そのうちの5曲を絞るのは、むずかしい!!」

というわけで、次第に「どうしてこんな些細なことに、真剣に考え続けているんだ俺は!?」と、まさに昨日書いたカーネギーの教えに通じる、袋小路にハマってしまっていたわけですが・・・

で、さんざん悩んだあげく・・・私にとっての「特別な思い入れのある5曲」は、こ、これだ!!

1:原子心母 by ピンク・フロイド アルバム『原子心母』より
2:IF by ピンク・フロイド アルバム『原子心母』より
3:サマー’68 by ピンク・フロイド  アルバム『原子心母』より
4:FAT OLD SUN by ピンク・フロイド アルバム『原子心母』より
5:アランのサイケデリック・ブレークファスト byピンク・フロイド アルバム『原子心母』より

・・・・・・・ということで。結局、ピンク・フロイド『原子心母』収録の全5曲ということで、回答とさせていただきます。だは。

atomheartmothertranceremix
だれかこの「原子心母:トランスリミックス」盤を一緒に探してくれませんか。心から欲しています(笑)

結局はこれが一番自分にとってしっくりくる回答なんだな、ということを一週間かかって結論づけました。
やはり何はなくとも、そしてこれからもずっと、この一枚から始まるかな、と。

他の質問は・・・あまりパッとしない意見になるので、もうやめておきます(笑)バトンもここで止めさせていただきます・・・

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2005.07.05

『道は開ける』をあらためて読む 第7章

第7章 「カブト虫に打ち倒されるな」

この章の最初に、この本でも有数の劇的な事例が挙げられている。これもまた戦争時代の、日本軍とのからみになってくるのがいかにも時代を物語っているのであるが、それはともかく、潜水艦に乗り込んだある兵士が、運悪く出くわした日本軍によって爆弾を投下されつづけた15時間における絶体絶命の極限状態を耐え続けるなかで、過去に犯した自分の愚行や、日常生活上の悩みを想起しつづけるなかで、いかにそれらが取るに足らないことであったか、ということを悟り、もしふたたび生きて太陽や星を拝むことができたら、もう決して悩まないことを誓った、という話である。

ディズレリィの言、「人生は短すぎる。小事にこだわっていられない」
この言をうけて、アンドレ・モロワの言、「この言葉は私の苦難に満ちた多くの試練に際して、いつでも心の支えとなった。私たちはしばしば、忘れてもかまわないことがらのために、自分自身を台無しにする・・・私たちがこの地球上に生きるのは、わずか数年にすぎない。それなのに、一年もすれば皆から忘れられてしまう不平不満を悩みながら、かけがえのない多くの時間を無駄にする。もう、ごめんだ。私たちの人生を、価値ある活動、感覚、偉大な思想、真実の愛、永久の事業のために捧げよう。とにかく、小事にこだわるには人生はあまりにも短すぎる。」

こうしていかに些細な悩み事で、多くのトラブルが起きたかを実際の事件などを挙げて紹介されているが、最後に自然の事例が紹介される。コロラド州にある樹齢400年の木が、数え切れないほどの雪崩や暴風雨や落雷にあっても耐え続けたのであるが、最後はカブト虫の大群が押し寄せ、徐々に樹皮をやぶって侵入したことによって、徐々に木の生命力を破壊してしまったという。人間の指でつぶせる小さな虫のために、この巨木が倒されたという、この事実に対して、私たちはこの木に似ていないだろうか、とカーネギーは問いかける。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.07.04

カルチュラルタイフーン無事終了!

カルチュラルタイフーン2005。
というわけで、報告、無事に終りました。
同時刻の裏番組では面白いセッションもあったのに、それでも私たちのセッションを選んでくださったオーディエンスのみなさま、ありがとうございます。一人一人に握手したい気分です。本当に。

で、発表のあと、わざわざ来てくれて「おもしろかったです」とか「がんばってください」とか感想やコメントをくださった、若い学生のみなさま、本当に感激しました。こんな、ぜんぜん学問チックじゃない報告にそこまで反応してもらえたということが、どんなに私を勇気づけてくれたことでしょう。

僕も、ちょっと今回のイベントを機に、いろいろ考えを改める良い機会になりましたし、このタイミングで、今回の報告にトライしてみて、本当によかったなぁと思います。

さて、このイベントは、今回も最後の打ち上げがレイヴ・パーティーなどの形で開かれて、相変わらず、さすがだなぁ、と。しかも今回の打ち上げ開催場所は、京都大学の吉田寮の食堂。ずっとあそこは口実をつけて入ってみたかった空間だったので、今回はここに来れただけで感激でした。いやー、石垣カフェの件もあって、非常に緊張感と、ファニーさと、温かみの混ざっている、面白い場所ですね、やはり。

で、音楽が鳴り響くなか、イベントに参加した人々や、不思議系な人々やら、でもってアクティブな研究者の方々などが、みんなこぞって、あのアヴァンギャルドな吉田寮のホールにて、音楽にゆられて踊ったり談笑している、そのノリが心地よかったです。僕はなくなく家に帰ってきたわけで、こうしてブログを書いているわけですが、きっとまだパーティーは続いているのでしょう。学問っていうのが、単なる狭い形式の中に閉じ込められるんじゃなく、こういうグルーヴィーな雰囲気のなかから、動的に弾けていける感覚を共有できるような、そういう可能性をいつでも見せてくれる、稀有なイベントですね。大雨のなか、ご苦労様でした!

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2005.07.01

Time is right to retire - Zola

ジャンフランコ・ゾラが引退。ありがとう。
最後の試合、ユベントス戦であげたあのゴール、美しかった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« June 2005 | Main | August 2005 »