駒大苫小牧について、もうしばらく考えてみよう
駒大苫小牧の野球部をめぐる問題について、「生徒は悪くないのだから、優勝は認める」ということになりましたが、「それにて一件落着」みたいな雰囲気になっていることに、なんだかずっとひっかかりがあるわけです。「そうだよね、生徒が暴力ふるったわけじゃなくて、校長や監督や野球部長を処分すればいいんだ、優勝はそのままオールオッケー」みたいな展開。思考停止。
これにより、急速冷凍のごとくこのニュースも忘却の彼方ですよ。
とはいえ、僕自身もはっきりした考えをいまだに持てずにいるわけですが。
それにしても、なんなんだろう、このやりきれなさは。
僕は、今回のニュースがきっかけで、「そもそも高校野球ってなんなんだろう」とか、「そもそも学校の部活動って何なんだろう」、ひいてはホリエモンじゃないけど「“部活”って誰のものなの?」っていう、そういう議論になっていってくれないかな、という期待がどこかにありました。
今年、僕は甲子園へ大会を観戦にいきましたが、やはり高校生のプレーはハツラツとして好きです。野球を観る楽しさを改めて思い知りました。
でも、「だからといって、高校とか学校の単位で試合をしなくてもいいんじゃないか」という考えにもうなずけるものがあります。これは以前から述べているように、Jリーグのいう「百年構想」に共鳴した意見です。果たして学校の部活動は、何のためにつくられて、誰のためにあるのか? という、この難題について考えるひとつのきっかけとして、今回の事件は今後も検討されうるべきではないかと思います。
・・・にしても、 「生徒は無関係だから」みたいな物言いで、それで終わって本当にいいんだろうか。監督と野球部長とすべての部員の間に、大事なことが共有されず、知らされず、「無関係」であるような、そんな凝集力のないチームがあんな良いプレーを連発し、全国制覇できるものなのでしょうか。
そこにはある意味「大きな共犯関係」があるのではないのでしょうか。「暴力」をめぐる問題では、常にそこが問われるはずで・・・それを成立たらしめているものは、あるいはその露呈を巧みに回避させるものは、なんなんだ、と。この胸のモヤモヤは、きっとそのへんからわいてきている。
« ジュンジくんのブログ開設 | Main | ご契約 »
Comments
いやはや気持ちのよくない出来事です。「こまだいとまこまいこうこう」って、「ま」と「こ」が多くて口の中がもにゃもにゃするもんね。保護者から「ことを大きくしないように」というお願いもあったのだった。これは後半のニュースではあまり言われなくなった。
スポーツが好きなら、学校も地域のクラブチームもあって両方で楽しめたらええのにねー。
Posted by: hanachirusato | 2005.08.31 00:09
野球部の暴力問題とその後の展開を見るたびに、
太平洋戦争の始まる過程にそっくりで、ぞっとするときがあります。
Posted by: まつもと | 2005.08.31 10:33
私もいまいちよくわかっていないのですが、タテーシ氏の文章を以下に引用して考えてみます。
『監督と野球部長とすべての部員の間に、大事なことが共有されず、知らされず、「無関係」であるような、そんな凝集力のないチームがあんな良いプレーを連発し、全国制覇できるものなのでしょうか。』
それは、きっと彼らには大事なことではなかったから気にせず野球に集中できたのだと思います。
日常として、そういう暴力がまかり通った状況にあると、それが普通なのでしょう。
暴力という認識も少ないのかなあとも思います。
各種プロスポーツ選手らのテレビなどでの話を聞いていると、育てられていく過程で当たり前のようにその手の話がでてきますから。
Posted by: M.フィオリオ | 2005.08.31 20:34
みなさま、コメントありがとうございます。
なかなかうまく考えることができないので、コメントはとても助かりますね。
まつもとさんのおっしゃるとおり、「戦争」にも通じる「ビジネス、政治」の部分と、そして純然たる「教育」の側面もあったりして、なんとも言いがたい考えにくさがあります・・・
Posted by: タテーシ | 2005.08.31 22:53
こんばんは!!野球バカの店長です。
これは、ただ”暴力”で済んでしまうっていうのも問題だなって思います。僕自身も甲子園を目指して頑張った経験があります。が、殴られるっていう行動がどういったシュチュエーションで行われたかなんだと思うんです。ただ、理不尽に殴られるのは暴力です。暴力を肯定する訳じゃないけれど、この場合ははたして行き過ぎた暴力なのかには疑問が残ります。。
常に甲子園を目指している高校は、得てして問題が山積していると思います。大阪出身の選手が全国にどれだけ散らばっているか・・。
これ自体がなんか、全問題の核心にあたるような気がしてなりません。強い学校にする為に、いい選手を集める。そこに”太いパイプ”なる図式が出来上がり、お金すら発生してしまう。純粋にこの高校でやりたいというよりは、ここの方が、あとあと”良い方向”に向かっていけるだろうという大人の意見がちらちら見えてきてしまうのが嫌悪感を覚えてしまいます。
ただ、地方の学校の方が大阪より出やすいというのは事実ですけどね。。
こういう問題で、純粋に野球をやっている選手までもが、白い目で見られるような事があったら悲しいなって純粋に思います。。。
長々と書いてすいません。。とても気になる内容だったので・・・。
Posted by: 店長です。。 | 2005.09.01 19:43
店長さん>コメントありがとうございます! 暴力が起るシチュエーションをちゃんと考慮に入れておく、というのは、また違った視点で参考になります。そういう意味で、教育って難しい。
たしかに地方の強豪校に全国から選手が集まる実情も、かねてよりいろんな意見がありますね。僕の知り合いもそうだったのですが、生徒個人だけでなく、「後援会」としての父母の活動もかなり活発になるようで、遠征のたびに父母も何らかの協力が求められていたりして、遠方の高校との往復が大変そうでした。そしてもちろん、それは一度きりの人生の、かけがえのない夢のためであるのだから、一概に問題視もできないんですよねぇ。
Posted by: タテーシ | 2005.09.01 23:30
この記事のコメントを書きたい衝動にかられて書く。
これは、私もずっと考えていたけど、まず運動部とは何か?ということですね。運動は、体で覚えること、それ以上に大切なのはその部活にあった規則とか決まりってものがある。もし、被害者の野球部員がそれに反した行動をとっていたのなら、それなりのしつけは、むしろ必要だ。
しかし、被害者の父親が証言するような、そのような態度をとらずに本当にバットで殴られていたようなら・・・・刑事事件にもっていくべきなんじゃないかね。
そこが一つ疑問。
それに、父親の態度が懸命ではない。被害者の子供はどうなるのか、大きな問題沙汰になった後、学校でどのような顔をすればいいんねん・・・。本当に子供のことを考えて行動した結果なん?
そこが大きな疑問。
どういう事情があったにせよ、親と子供、また野球部の中で十分に話しあってだした結論とは思えない。
私の家だと、「お前の責任やろ。」とどんなときでも言われる。才能がないのも、もちろん努力しないのも自分。でもこれからは、自分次第。これを教わってこそ生きていける。強くなれるんですよ。この自己責任こそ、もっと私たちと同じくらいの年齢の人たち(特に高校生には)に気づかせてあげるべきことだと、思う。
あー、親がでる幕じゃないよ、って叫びたくなる問題だね。汗水流して頑張った部員の中でちゃんと最後解決しようよ。加害者もね、被害者もね、どっちも被害者だよ、これじゃあ。それだけじゃないね、他の部員もだなあ。
難しい野球連合のことは語れないけど、根本にある問題をメディアはとりあげたほうがいいと思う。
Posted by: カホリ | 2005.09.04 15:29
カホリ>コメントありがとうございます。たしかに親が出ること、というのは難しい判断が必要になりますね。なんともいえませんが。
Posted by: タテーシ | 2005.09.04 16:43