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2005.09.16

『道は開ける』をひたすら読む 第24章

第24章 「疲れの原因とその対策」

 人間は精神的作業だけでは疲れないらしい。脳みそはどんなに長時間働かせても疲れることはなく、疲労の原因は精神的、情緒的態度によるものだと述べられている。
 ということで、自然に緊張して体がこわばったりしていないか、自己点検してみよう、とカーネギーは説く。

 で、私がこの本で一番といっていいほど影響を受けた箇所が以下の引用だ。
 精神的労働をすることによって、こんな不要な緊張が生じるのは、なぜだろうか? ジョスリンは「ほとんどの人は、困難な仕事は努力する気持ちがなければうまくいかないと信じこんでおり、このことが大きな障害となっている」と述べている。そこで、私たちは精神を集中する時に顔をしかめ、肩をいからせ、努力という動作をするために筋肉に力を入れるが、それは私たちの脳の働きを助けることにはならない。

 緊張は習慣である。休息も習慣である。悪い習慣は打破することができるし、良い習慣は身につけることができる。

 ということで、まずは何より筋肉、とくに目の筋肉をリラックスさせよう、とのこと。個人的にも普段から難しさを感じるところだ。

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Comments

あたし、一度タテーシ殿に、
「くろねこちゃんのみけんのしわ」について
指摘をうけたことがありますよ笑
でも、それって悪い意味じゃなかったんだけど。
わたし、起きてるときって起きてる分のちからすべてを出し切ってるように思えます。
もう、だって、横になるとのびたくん顔負けの速さで「ねむりのくに」へ向かっちゃうんだもん。そして、ねむりはなによりの栄養なんですよ。

Posted by: くろねこちゃん | 2005.09.17 03:38

「早起きは三文の徳」とは、お金が入ってくる、仕事が多くできる・・・・・という意味ではなく、本来漢方医学では、

11時から1時までは 肝臓を回復させる。
1時から3時までは  心臓を回復させる。
3時から5時までは  その他の機能を回復さ
せる。

という意味なのです。
ということで、この時間帯にしっかり眠れば、不病息災・・・、お酒を飲んだあとでも、これを守れば、次の朝に差しさわりはないのではないでしょうか。
そして、これを良い習慣にすればよいのでは。

あんまりややしいことを実践しようとせず。
終了。

Posted by: かほり | 2005.09.17 07:26

失敬。

「早寝、早起きは三文の徳」。

早く寝なければ、早く起きれないのですから。
電車で寝るか、学校で寝るか、会社で寝るか、になってしまうでしょう、とどのつまり。(FM802宣伝より)

ついでに、何かを一生懸命しているときはこわい顔になりますって。
その緊張感は常に持っておいたほうがいいのでは。

くろねこさんの、「みけんのしわ」も、それはそれで立派ですよ。

悩んでいるのとは別にして。

Posted by: かほり | 2005.09.17 08:43

くろねこさん>眉間のしわ、実は僕自身も昔からけっこう眉間にシワを作る人だったので、ついつい他人の眉間も気になってしまうんです。
かつて英語の時間、先生に「そんな怖い顔するな」とか言われて以来、すごく気にしているのでした(笑)

かほりさん>そうです。「一生懸命何かをしていると、自然に怖い顔になる」のは、僕もそれが当然だと思っていましたし、その緊張感が大事かな、と思うわけですが、しかしいつもこの本に立ち戻ると、「でもそれって、果たして本当にどうなん?」という問いかけがあるわけで・・・だからこそ僕はこの本でこの箇所が一番印象的なんですね。いったいなぜ「緊張感」がそこまで大事なのか? そこまで必要とされているのか? それを大切だと思わせる文化的条件は何か? というあたりで、きっと僕らの新しい思考が開けてくるんじゃないかな、とめっぽう本気で考えてみたくなるわけです。

Posted by: タテーシ | 2005.09.17 22:35

休息が緊張の栄養?
それとも、緊張が休息の栄養?
そんな単純な図式じゃないのかもしれないけど・・・

少なくとも、わたしたちの社会では、
「休息が緊張の栄養である」ことが通念のようですが。

話は飛ぶかもしれないですが、
「休符も音符だ」とかなんとかいう文句をどこかできいたことがありますです、ハイ。

Posted by: くろねこちゃん | 2005.09.17 22:47

「緊張する」というのは、私の場合、やはり目の前に(自分にとって)偉大な人がいるときや、偉大なものを乗り越えるときに生じるものです。

そりゃあ、リラックスできて事が前に進めばよいですよ。体がこわばると、確かに脳みそも動かないしね。
でも、考えてみてくださいな、予測できませんから、目の前に何が起こるのか。

しかし、次の日から「さあ、がんばらなきゃ」と思わせてくれるのは、その前の日にもらった緊張感だったりする。

で、いつか、それを乗り越えたときにその緊張そのものを自分に吸収できるときがくるんですよ。
これが私にとっての「成長」になっている、と自分では思っていますが。

そしてその人が自分を緊張させているものをパクリまね。(できるだけ自分に取り込む)
何でこの人の前では緊張するのか・・・一応分析したりもしつつ。(笑)

よく慣れるというけど、これは吸収したから、なのだと考えています。(それだけ成長したのだと。)=生きることは成長し続けることだ。←強引ですが。

Posted by: かほり | 2005.09.17 23:06

また、誤字。

5段落のパクりまね→パクりますね。

休息は欠かせない根本的な人間の栄養。
緊張は、付加価値ってとこではないでしょうか。(これは賛否両論あるでしょう)

このような公開ブログ。
これも、私にとっては緊張しながら書いているのですよ。(笑)

不特定多数の人に見てもらえることは、よいことです。
まだ、慣れませんが。(笑)
いつか、書きたい文章がスラスラと書けることを祈りつつ・・・。ハイ。(笑)

Posted by: かほり | 2005.09.17 23:17

たしかに、リラックスの指導のとき、よく力を抜く前にいったん力を入れてから、力を抜くようにするほうが、かえって筋肉がリラックスするみたいに、「緊張が休息の栄養」みたいな気もしてきますね。>くろねこちゃん
そして、カーネギーの引用でも書いてますが「不要な緊張」というのが、考え直すべきものであるならば、「糧になる緊張」という、ある種“適切な緊張”は、大事になってくるのかもしれませんな。>かほりさん

Posted by: タテーシ | 2005.09.19 00:15

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