『道は開ける』をひたすら読む 第28章
第28章 「不眠症で悩まないために」
ついにこの本の最終章まできた。本当はこのあとに付録「私はいかにして悩みを克服したか 実話31篇」というのがあるのだが、こればかりは割愛してもいいだろうと思った。
というわけで、この本の最後で語られるのは、「不眠症」、つまりいかに安眠を得るかということで、本の終わり、そして一日の終わりにもふさわしい感じがする。
不眠症で困るのは、眠れないことそのものによる疲労ではなく、不眠症であることをクヨクヨ悩むことによってもたらされる疲労であるとカーネギーは述べている。そこがこの章のポイントだろうと思う。自分自身も「明日はやく起きなきゃいけない」とか「こんな日に限って眠れなかったらどうしよう」とかいう、余計なプレッシャーを感じさせて床に入ると、たいがい寝付きがわるいので、とても思い当たるフシが多いのであった。
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というわけで、この章のまとめもそこそこに、この本を改めて読み返す本連載がゴール地点に辿り着いた。せっかくなので、あらためてこの本をブログで取り上げたことについて、自分なりの感想を述べたい。
この連載を思い立ったのは、ちょうど夏の始めの頃、周囲の人々が何かとしんどい状態に追い込まれることが多くて、自分が援助やアドバイスなどをできるような状況でもなく、ただひたすら話を聞くことしかできないことが集中的に起ったことによる。そこで、自分からの意見を言う代わりに、自分自身がいままでにも多くの示唆を受けてきたカーネギーのこの本をあらためてたどりつつ、ちょっと遠回りかもしれないが、少しずつ何らかの有益な考え方や好転へのきっかけを共に見出せていければ、と思ったからである。それが結果的にどこまで有効なものだったかは分からないのだけれど。
それともうひとつ、このブログを読んでくれていた人の反応についてひとつだけ触れておきたい。それは、この本で述べられている主張や提案について、「これが実践できるのは、よほどの人間でないと無理だ」という感想である。 たしかに、こういう態度が取れるに越したことはないんだけど、でもやれるとしたら聖人のような人じゃないと無理かもねぇ・・・と私も本音では思ってしまうし、そういう意見について、私はなんともうまく返答できないままであった。
ただし、最近の私は、こう考えるようにしている。
「だからといって、“自分には無理だし、現実的でないし納得できないから、自分とは関係ない”とすぐに思考停止するべきではないはずだ」と。
つまり、「思考停止しないためのネタを提供してくれる」という意味で、この『道は開ける』という本を読みつづける意義はあるはずだ、と思うのである。
「なにやら聖人のような振舞えをしろ、と書かれている。でもそんなのできるわけない。」と思うとき、ではなぜ、それができないように思えるのか、何によってそういう思いを抱くようになったのか、そういったことを、じんわりと考え続けるために・・・自分なりの「生き抜くための工夫」がひらめく、その足場を見出すために・・・そこで、すぐに思考を放棄するのはもったいない、と思うのである。
というわけで、ああああー、はい、私も、今夜また、ウジウジと考え続けます・・・あれ、これって不眠症になりやすいパターンかもね(笑)
Comments
この章を言い換えるとこういうこと?
「自作PCの労は、自作PCを作ることそのものによる疲労ではなく、自作するまでクヨクヨ悩むことによってもたらされる疲労である。」
だとしたら楽しみも苦しみも紙一重ですね。
Posted by: MSK | 2005.10.14 00:15
あぁ、そう、そうなんだろうね・・・(笑)
Posted by: タテーシ | 2005.10.14 01:10
今日たまたま社長と話をする機会があって、その時にこのカーネギーの話が出ました。
最初、誰かわからん…と思ってたら、ふとこの記事を思い出して、とりあえず難をのがれることができました!
ホント助かりました、ありがとうございます(笑)
Posted by: chiemi | 2008.07.02 00:17
chiemi>おおお、元気でしょうか。社長もカーネギー好きなのかもしれませんね。いざというときに実社会で役に立つ記事をこのブログが提供できていることに、ちょっとした嬉しさを感じてしまいます。ぜひ『道は開ける』読んでみて!
Posted by: HOWE | 2008.07.02 22:19