キューブリックの遺品
私は、いわゆる「学者やクリエイターの書くメモ、構想、スケッチのノート」などの類にとても興味がある。それが生原稿であるということ以上に、その人が自分の頭の中からどういう形式でアイデアを構成しているのかをかいまみれたりするのが、ドキドキするわけだ。学研都市の「私のしごと館」では黒澤明のアイデアノートが展示されていたのだが、予想以上にノートにとても分かりやすい字で書いてあって、なんだか私が描いていた人物イメージとはまた趣が違うような、その明快な字面に、映画監督としてのきちっとした仕事ぶりを果たすぞという意気込みを感じた。
また、ロンドンのブリティッシュ・ライブラリーに常設展示してあるジェイムズ・ジョイスの生原稿に出会ったのは実に強烈な思い出で、世紀の問題作『フィネガンズ・ウェイク』(・・・もちろん私は読みこなせません。はじめて出会ったのは高校生の頃ですが、村上春樹とかしか読まなかった私には、世の中にこんな印刷物が存在していいんだろうか? という素直な驚きに魅了されつつ、プログレッシヴすぎるその内容についていけず・・・)の、生原稿の一部だったわけで、作品の内容と同様、言葉の羅列が暴力的なまでに混乱の様相を示しており、文章なのか言葉の落書きなのかが分からない、でもどこかしら何らかの「筋」が見えてきそうな・・・そういう神懸り的な迫力を目の当たりにして、しばし恍惚感を覚えたことがある。
さて、昨日の夕刊で、「故スタンリー・キューブリック監督の遺品が英国の芸術大学に寄贈」というニュースがあって、何気なく読んでいたのだが、とても興味深いことが書いてあったので、思わず切り抜いた。
キューブリックはどうやらナポレオンについての映画を作る構想があったようで、結局は映画として完成させることはできなかったらしいのだが、それゆえに彼の残した多くの遺品のなかにはナポレオンについての資料がたくさんあるらしく、記事によると「キューブリック氏はフランスから取り寄せた数百の文献を基にスタッフと数年がかりでナポレオンに関する情報を25000件ものカードに分類してファイルしていた」というのだ。
2万5千件のカード・・・
いやはや。
よく書いた! そして、よくぞ残した!!(笑)
私はかねてより、卒論を書いたりする若い学生さんにアドバイスを求められると、まずもって「あらゆる情報を、手書きのカードに書きなさい。絶対に書きなさい。」と脅迫めいたほどの勢いで勧めるのであるが、どうにも学生さんの中には、「手書きでカードを書くことにどんなメリットがあるんだろう?」という疑問を持ったまま作業にあたっている場合もたびたびあって、苦々しい思いをする。しかしこの記事を読んで、なおさらその「信条」は間違っていないはずだと思った。
ナポレオンの姿を撮影する前に、あの天才キューブリックでさえも、25000件のカードを作るところから始めるんだ! と。
「そんなに労力をかけてカードを作る暇があったら、すこしでも映像化に向けて動けば早いやん」とか、そういうツッコミも可能かもしれないが、そうじゃないところが、やはりキューブリックのすごいところでもあるわけだ。
良い作品をつくるための、黄金律のようですらある。「まずは、取り上げたいテーマについて、徹底的にカードをつくる」。大学の正門に刻み込みたいぐらいだ。 ニート対策で派遣会社とタイアップするよりも、こういう「作業方策」を叩き込んだほうが、どれだけその後の人生に役に立つか。
まぁたしかに、この25000件のカード、必ずしも「手書き」じゃないとは思う(笑) つまり、タイプライターで打ったものかもしれない。しかし、それでもなお、私は「手書きカード信奉者」だ。
キューブリックは、カードをつくりながら、どういう気持ちでナポレオンに立ち向かっていったのか。果たせなかったその想いについて、ぜひ現物のカードを見ながら想像したいところである。
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Comments
あっぱれ、エクリチュール。
Posted by: hanachirusato | 2005.10.26 10:03
カードって、他の人がどうやって書いてるか気になるね。
お手本見せてよー。
Posted by: ナセルノフ | 2005.10.26 19:59
笑 そうそう、お手本見せてよー。
カード化、じゃあ自己ノート的な「日記」なんかはある種“自分についてのカード化”ってことかいのぅ?ブログなんかも。それは裾野を拡げすぎか。
大事だと聴いてもなかなか実現できないカード化。まだ「カード化してよかった!」と実感したことないから、ついつい白いノートにでもたまにメモったらええやん‥と思いがちで(苦笑)
Posted by: toyotti | 2005.10.26 22:07
おうおう、書いてくださって。(笑)
カードを書くのは大事ですよ。(ね?笑)
でも、カードはあくまで、論文の骨格を形作るときに必須なのだと思う。
これをだな、文を論理展開させていくのは、もう自分の頭しかないような気がします。この意見は、いつまでも変わらないって。
アイデアは、カードじゃなくてノートに書くしね普段。
一応、分けてる。そんなに資料、多くないし。
あと、大学の正門に刻みこむんですか。手伝いますよ。(笑)
Posted by: かほり | 2005.10.26 23:08
toyotti、かほり>そう、まさにいま、あなたたちに言いたい(笑) ウダウダ言わんと、書け書けー!!
ノートにとどまると、「線的思考」のままで終ってしまいがちになって、カードにすることで、前後の文脈をバラバラにして、あらためて一個のものとして認識できる、のが良い所なんでしょうかね。
Posted by: タテーシ | 2005.10.27 00:39
タテーシさん、以前(半年前なのか3年前なのかわからん)3夜連続でキューブリックのドキュメンタリーやってへんかった?バリーリンドンの光、ライティングについていたく感服しました。
電気がない時代の話だから、電気の照明ではなく自然光か蝋燭だけを使う。だからその為にNASAなどで使われるようなレンズをカメラにくっつけたそうで。それも簡単にくっつくようなものじゃないらしいし、やっぱり英国人て、よい意味でエキセントリックな人を輩出しますねー。
私、長いものは書いたことないけれど(せいぜい10ー15ページ)、いつもレフィルタイプのノートにブレインストームと下書きしていました。そうすると切り離せるし、前後を変えられる。あとはさみで段落ごとに切ったりしていました。永住権取ったら院へ行こうかな・・・そうすると20万ぐらいで済むのだー!!カード、覚えてこう!
Posted by: hanachirusato | 2005.10.27 15:24
あー、20万で院いけたらいいなぁ(笑)。
キューブリックといえば、私はとにかく「2001年」なんで、そのへんの資料本とかを読んでいて、グッとくることが多くって。たとえばあの映画で地球から指令を送る人物は、実際に宇宙開発の関係者の人を使ったとかで、その人がセットに座ってカメラが回っているとき、貧乏ゆすりをしていたのでセットからコツコツ音が聞こえていたら、そこでキューブリックはその貧乏ゆすりをやめさせるんじゃなくて、わざわざスタッフに頼んでその人の足にカーペットを敷いたっていう。つまり、その人の行う貧乏ゆすりそのものにも、彼は大きな意味で「リアリティ」を感じ取ったんだろうな、ということで。へぇぇーー、と思ったわけで、この話がとても忘れられないのです。すごい良いセンスだなぁ、と。
Posted by: タテーシ | 2005.10.28 01:20