今夜もココログ崩壊ゆえに
携帯電話でいちよ記事を送ってみます。
なぜか携帯電話からだと記事がアップできるという状況です。
毎日このブログをご覧の方には大変申し訳ないです。
そして携帯電話からでもなにか気の利いたネタを書ければいいんですが、やはり私には携帯で文章を書くということが非常に難しいです。両手ですばやく携帯メールを打つ若者はみんなすごいと思います。ファミコンで勝負したくなります。
携帯電話でいちよ記事を送ってみます。
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そして携帯電話からでもなにか気の利いたネタを書ければいいんですが、やはり私には携帯で文章を書くということが非常に難しいです。両手ですばやく携帯メールを打つ若者はみんなすごいと思います。ファミコンで勝負したくなります。
気がつけば今年のJリーグは今週末で終わり。
そして、優勝争いがとんでもないことになっていて、5チームが最終戦で優勝の可能性を残している。こんな楽しいシーズン、後にも先にもなかなか観られない。
だのに、今年の私はほとんどリーグ戦の状況をフォローできていない。サッカーをテレビで観ることよりも、ほかにやりたいことのほうが上回ってしまい、いまやスカパーでチェルシー戦の生中継だけを追いかけるのがやっと、という状況である。そしてJリーグを観ていないわけだから、おのずとtotoのサッカーくじもまったく買えていない。totoを買い続けているファンはすごいと思う。そんなシーズンに限って、Jリーグはやたら白熱し、さすがに最終節はどこかで腰をすえて観ておきたいのだが、どうもそれも難しそう。
関西人としてはガンバにもセレッソにも、どっちも優勝してほしい気分でいっぱいだ。ただ、この数試合のガンバの失速ぶりを思うと、正直セレッソの勢いのほうに可能性を感じる。
個人的にいちばん辛いのは、「なんだ結局アントラーズじゃん」みたいな展開だ。この期に及んで「さすが王者は最後の最後で勝ち方を知っているなぁ」で終ってしまうのが、ちょっともったいない。それぐらい、今年の混戦ぶりは貴重な記憶として残しておきたいではないか。
こんにちは。
昨晩はココログの不調により、記事を書くのを放棄し、ぐっすり眠ったあとは「何を書くつもりだったか」をすっかり忘れてしまったタテイシです。
普段はメモ魔であることを自認しつつも、そういうときにメモをとっていない。確実に人生の縮図です。
というわけで、ネタに困ったときは「パソコンなんて大嫌いなタテイシによる自作パソコン制作への迷い道」のコーナーです。
また少しだけ、進展しました。
先日、パソコン用のスピーカーを買いました。
ていうか、机上に置いて、普段からiPodなどをつなげて使いたいスピーカーを探していたのです。
で、さんざん迷ったあげく、「値段が安い」「ソニー製だし」「デザインも悪くない」ということで、すごく小ぶりのスピーカー(SRS-A201)を選びました。1980円。
ほかにもソフマップ店頭にはさまざまなスピーカーが展示されてましたが、この安さでこのデザインなら・・・音が悪くてもいいか・・・という判断で導入。(つまり、性能はいいんだろうけど、デザイン的に手を伸ばしたくなる製品ってものすごく少ない)
表の部分だけ黒くて、あとは真っ白なプラスチックのボディがかわいらしいです。大きさは、だいたい500mlのジュースの紙パックぐらい。
で、最初にこのスピーカーで流す曲は慎重に検討したいと思うものの、「うむ、やはりピンク・フロイドだろう」ということで即決。さっそく「FAT OLD SUN」をかけてみる・・・「まぁ、音質やボリュームは悪かろう。期待してもしょうがない・・・」と思ったんですが、
「なぁーーにこれ! ぜんぜんいけるやーーん!」(笑)
いやはや、部屋で使うぶんには、まったく問題を感じなかったです。ていうかそんなにオーディオの質をききわけられるほどの耳もないからなんだろうけども。
パソコンショップのうるさい店内で試聴すると、ほんとうにみすぼらしい音量で(笑)、まったく期待していなかっただけに。
というわけで、「なんでもっと早く導入しなかったんだ」と思ったわけです。これでパソコンで作業しながらネットラジオも心地よく聴ける。
「自作パソコンへの道」、これでまた一歩前進です!! ダァー!!
・・・でも、果たして本当に進んでいるのかはまったくもって微妙。むしろ後退ぎみ。
あと足りないものは、ケースと電源とマザーボードとCPUとメモリと内蔵HDとディスプレイとキーボードとマウスですからね。はっきりいって、「ほぼ全部」です・・・
ああ、ぶっちゃけ、面倒くさい・・・(笑)
1年ほどまえ、京都の街中を舞台に繰り広げられる全国都道府県対抗女子駅伝をなにげなくテレビで観ていたときである。
ある区間で先頭の集団が、大きなS字カーブのコーナーに差し掛かった。
そしてそのS字カーブを抜けると、いつの間にか1人のランナーが、その集団からだいぶ前方を走っており、彼女はそのまま先頭で突っ走っていった。
S字カーブで何があったのか。
その答えは、その選手はひとりだけ「アウト・イン・アウト」のラインで走ったからだ。
これはべつに陸上競技に限らず、日常生活における「常識」なんだろうし、特にモータースポーツが好きな人にとっては、基本中の基本である。(未だに私などは、廊下を歩くときなど、無意識にこのライン取りを選んでいる気がする)
このように、できる限りスピードを落とさずに高速でコーナーを曲がるためには、このようなライン取りで走行すべきなのである。アウトサイドからコースに進入し、一気にインサイドの角(クリッピングポイント)を狙い、出て行くときはまたアウトに流れていく、ということである。
なので、S字カーブのときは、以下のようなライン取りになる。
で、
私にとってあのシーンでとっても興味深かったのは、あの集団の中で、1人を除くすべてのランナーが、一緒になって、「道なりに」走る非効率なルートを選んだことである。
長距離ランナーなら、みんな普通にあのような急なS字コーナーにさしかかったら「アウト・イン・アウト」を実践するかと思っていたのだが、そうではなかった。そこに私は注目したい。
つまり、唯一「アウト・イン・アウト」のルートを選んだあのランナーは、自分の信じる道を走るために、集団の走る方向とは違う、あさっての方向へ走り出さなければならなかった。
なので、テレビで観ていても、その動きはちょっと異質に映ったりもするのである。たしかそのときのテレビカメラも、唯一集団から離れるように走り出したその選手を捉えるために、カメラをひかざるを得なかったと記憶している。
それぐらい、彼女の取った行動は、その場の「集団の雰囲気」からすると、完全に異質だった。
あの瞬間、それぞれのランナーの判断には、どんな駆け引きがあったのだろうか。
いろんな可能性を考えてしまう。
つまり、
(1)多くのランナーは、「アウト・イン・アウト」の原則を知らなかった
(2)多くのランナーは、「アウト・イン・アウト」の原則を知っていたが、それを実践することを阻む要因があった
もし(2)だとすると、「集団の圧力」というものの持つ非合理さがとってもリアルに感じられる実例として挙げられよう。
なんせ、全員が真剣勝負で走っているなか、S字カーブを抜けたとたん、気がつけば1人だけ大きなリードを保って先頭に踊り出たわけである。残された多くのランナーは、走りながら、「あれ、あれ、あれ・・・?」とか思ったはずである。
あのシーンに居合わせたすべてのランナーに聞いてみたい。「なぜ、あなたは集団と一緒に、S字カーブをわざわざ道なりに走ったのか」と。
そして一方で、唯一「アウト・イン・アウト」のルートで走った選手にも、「あの状況で、自分の判断にとまどったりはしなかったのか?」とも聞いてみたい。
このシーンが今でも強い印象として残っているのは、スポーツに限らず、人生全般においても通じる何かを考えさせてくれるからだ。
たとえば、「何かをつかみとるためには、集団から離れて“愚か者”になる時期が必要なのではないか」といったことである。
銀行の窓口で、古くから持っていた口座についてあらためて調べてもらっていたとき、自分に関して銀行が登録しているデータをあらためて確認してみると、なんと性別が逆、「女」として登録されていることがわかった。
しかもその性別欄の不備を私が指摘するまで、行員のひとは気がつかなかったようで、「あ、ほんとうですネ」と、少しはにかんだ雰囲気が、ちょっと可愛かったりした(笑)
というわけで、長いあいだ私は女性としてその銀行に登録されていたことになる。
まぁ、別にそれで特に困ることはないんだけど、
なんか妙に落ち着かない気分にもなった。
今日はそれだけ。
はやく寝ます。
以前ここで紹介した、コンセントタップ・・・
これについて「正式な商品名はなに?」などの問い合わせが数人の読者さんからあったので、実際にちゃんと調べてみた。
ELPAという会社の、「フィットタップ」という商品名なんだけど・・・
ELPA社のホームページにいって探しても、影も形もなく。
な、なぜなんだ。どうしてこんなキャッチーでポップな商品が、公式サイトのカタログに載らないんだ。
もしかしてすでに生産中止? デッドストック品?
ちなみに、そのほかで探したところ、雑貨を紹介する「ザッカクウカン」というサイトで紹介されていた。
ちなみに、そこの記事で「白地のベースがちょっと地味なので、カラフルなマジックでいろいろ落書きしてもいいかもかもです。」とあって、うむ、やはり考えることは一緒か!?
こういうサイトで紹介されるぐらいだから、やはりコンセント業界においては、ある種ユニークな商品なのかもしれない。
しかしそれならなおさら、なぜこんな魅力的な商品がメーカーのサイトで紹介されないのだろうか。
しかも「フィットタップ」というネーミングも、気になる。
使い始めて一ヶ月が経とうとしているが、いったい何がフィットしているのか、いまいちつかめない。むしろ、こういう可動式のコンセント口って、抜き差しするときにグラつくから、たまにイライラすることすらある。そしてそれに呼応するかのように、使い手の私生活も一向にフィットする気配もない(笑)
この商品のウリは、むしろそのカラフルな色彩にあるような気もするし、「フィット」などという性能よりも、じゅうぶん訴求効果があるはずなのだが・・・
郵便局にいったら、お知らせ掲示板のところあたりに、かなり大きい垂れ幕状のポスターで
年賀はがき 好評発売中!
とあった。
掲示板に貼るには、かなーり、大きいサイズだった。なにか特殊なデザインがあるわけでもなく、イラストが入っているわけでもなく、ただ黒いゴシック体の文字が大きく書かれていて、年賀はがき 好評発売中! とあるわけだ。
いや、わかっている。
べつに、こんなこと、世界の諸問題と比べれば、本当にどうだっていいことなんだ。
それは、じゅうぶん、わかっている。
でも、どうしても、最近の私は、そういうものに触れるたびに、いちいち突っ掛かってしまうのだ。
「好評発売中」・・・。
年賀はがきですよ。
毎年毎年、この時期に発売されている、あの年賀はがきです。
おそらく、自分が生まれる前から存在していただろうし、自分が死んだあとも存在しつづけるかもしれない。
そんな年賀はがき。毎年毎年、同じように作られては消費されていく、あの年賀はがき・・・
いったい、どこがどう、好評なんだ? それを教えてくれ!
「最近の年賀はがき、ちょっと感じ悪いよね~」なんていう会話ってありえるのか?
など、ついつい何かに向かって問いかけてしまいたくなるわけだ。
なにをそんなに不機嫌になってしまうのか。
でもきっと、それは「空虚な言葉を、無自覚に乱用する」っていう風潮に、抵抗したいからかもしれない。なにより、そういう言葉に限って、僕らに何かを無理やり押し付けてくる、その「強引さ」がいやなんだろう。
さらにいうと、この「好評」の文字は、都市空間における「落書き」の存在と似たようなものとして捉えたくなる。落書きは都市空間の美観を損ねるだのあーだこーだ言われるものであるが、それと同じくらい、このまったく根拠のない「好評」の文字も、公共空間でデカデカと配置されて、僕らに何かを要求する。その在り方についても、どこかであーだこーだと言い続けないと、ちょっと落ち着かない気がする。
なんせ、僕自身も、そういう無自覚ワードを連発して、何かを(当然のように)強く要求していることが多いかもしれない。きっとそのへんで思い当たるフシがあるからこそ、なんだか自分以外のものについて見過ごせなかったり厳しくあたったりしているのだろう。
とっても可愛くて感じのよいお嬢さんとウハウハな(変換したら『右派右派』になった)日々を送っていらっしゃる、北欧系美男子なんだけど実は三枚目のnumさんから、結婚バトンがまわってきた。
◆Q1◆結婚したい?
したいしたいしたいしたいー
◆Q2◆何歳で結婚したい?
いますぐにでも
◆Q3◆結婚相手に何を求める?
ギャンブル精神
◆Q4◆子供は欲しい?何人?
2人
◆Q5◆相手が浮気した!どうする?
反省する
◆Q6◆夫婦円満の秘訣は?
しらない
◆Q7◆結婚したら仕事やめる?相手にやめて欲しい?
・・・まず自分の仕事がほしい
◆Q8◆結婚生活に求めるものは?
お互いあんまり期待しないこと
◆Q9◆新婚旅行は何処行きたい?
クロアチア沿岸リゾート
◆Q10◆今、結婚したい人いる?
いません
◆Q11◆バトンをまわす人?
toyotti、ぜひ
今はいってきたニュースです。
なんと、“プレミア番長”ロイ・キーン主将がついにマンチェスター・ユナイテッドを退団!!
年齢も年齢だし、いつかは来る日なのだが、こうして唐突にこられると、ちょっとビックリ。
しかしこのリンク先のBBCニュースのロイキーンの顔写真、もうちょっとなんとかならなかったのか。これじゃあ、本当に悪人っぽい(笑)
「グラウンドに立っているだけで、チームがひきしまる」というその存在感(だけ?)でユナイテッドの黄金時代を支えてきたといっていいロイキーン。彼のいないユナイテッド・・・ますます倒しがいのない、若造だらけの味気ないメンツになっていく(笑)
最近、郵政公社ではいろいろな写真入り切手の通販を展開しているようで、郵便局でこんなチラシを見かけたりする。
さだまさしの、ソロ通算コンサート3333回を記念する特別写真付き切手シートだ。
3333回ってすごいな。さすがだ、さださん。
で、
最近、こういうチラシ類において、「どういうデザインでアピールするのか」ということを強く意識するわけだけども、このチラシの写真は、使い方がどうも気になる。
なんせ、
しかも
まぁ確かに、ギタリストにおいて、このポーズはよくあることである。それはわかる。演奏が終ったあとの決めポーズだったりするわけだ。あるいは、弾き終ったギターを、ステージ袖のスタッフに放り込むような粗暴なポーズ・・・でも、それだったらいつからさだまさしはロック野郎になったんだ。
でもいずれにせよ、なんだかやっぱり落ち着かない写真である。このチラシにおいてはアンバランスに作用しているような気がする。もちろん人それぞれの好みがあるわけだが、もう少し普通の写真を採用してもよかったんじゃないのか、と思った。
こうして、どうでもいいツッコミをブログのネタのために考えていたとき、思い出したことがある。
同じように、郵政公社のカウンターで、以前みつけたチラシがこれだ。
ジーコ・ヒストリー! ZICO HISTORY!!
ジーコ伝説が切手に刻まれる
ZICO HISTORY写真付き切手
とのことで、ジーコ伝説が3150円+送料500円で切手に刻まれてお手元に届けられるらしい。
一方では僕らのサッカーファンとしての今後の人生にはジーコの果たした日本代表での数々の采配ぶりが永遠に刻まれかかっているという状況であるわけだが・・・
チラシの隅っこには、“サッカーの神様”・ジーコの築いてきた数々の伝説がプリントされている見本写真がある。
これは10枚の切手のうち8枚の部分だけを切り抜いてみた画像なのだが、これを見て分かるように、
ジーコ伝説の10個のうち2つは、2002年~05年における日本代表監督のときの時代らしい。
ワールドカップ前だからしょうがないし、なによりこの切手は日本で作っているから、しょうがないのは当然なのだが、この時代がジーコの人生においてどういう意味で「伝説」になるのか、いまだその意味は確定していないことに、なんとなく不安感を覚えるのは私だけじゃあるまい!!
たのむよ神様。
そろそろ親善試合ではアレックスのバックアップを試してくれ。
ていうかあのポジションは明らかにアレックスに不利な仕事ばかり押し付けていることに気づいてくれ。
仕事場では、年末年始にかけて2つの公開講演会やらシンポジウムがあり、その準備におわれているところである。そんな状況において、日々たまっていく資料をある程度整理するためには、クリアファイルを使わざるを得ない。
で、経費節約のため、仕事場に昔から放置されていたらしい古いクリアファイルを発掘し、それを再利用して使っている。
だが、このファイルが実に汚く、透明部分が黄ばんで変色し、そしてクリアファイルのビニールにつく独特の白いキズみたいなのも、みっちりとまんべんなくついている。
文房具に多少のこだわりを持っている私としては、さっさと新しいクリアファイルを導入したいところであり、今使っているクリアファイルは、しょせん「一時しのぎ」のつもりで使っていたのだが・・・
今日、仕事の合間にそのクリアファイルを取り出して、今手がけている仕事についての書類をパラパラとめくって眺めているうちに、突然スパークするものを感じた。
あたらしい仕事の書類が、どことなくレトロな雰囲気に見えてくる(笑)
いまクリアファイルに入っている書類は、1ヵ月や2ヵ月後に用意されている未来の出来事についての記録であるのだが、なんだかそういう書類たちが、この黄ばんだボロボロのクリアファイルに収められていると、それらが「かつて起った古い出来事の集積」を再認識させてくれるような、微妙に心地よい感覚をもたらしてくれるのだった。
それは驚きに近い発見であった。まさにそれは、私にとってピンク・フロイドの古いライブ音源の海賊盤を聴くときに感じる「密かな快楽」に近いものがあった。微妙な、ビミョ~な、心地よさ。「古いアーカイブ」のみが発することのできる、時空間を越えた「何か」を、自分の生々しい「今」が捉えていることの「密かな快楽」みたいなもの・・・そういう感じをあらためて発見したのであった。
古いクリアファイルを使うことで、なんてことのない「今のアーカイブ」を、強引に「古く」させ、そういった感情をかきたてることができる・・・そうなると、私にとって「うまい具合に古ぼけたクリアファイル」は、ひるがえって「お金を出してでもほしくなる逸品」と化すんじゃないか・・・と、そこまで想像してしまう。
書類棚の奥で忘れ去られた、どうしようもなくボロボロになって変色している空っぽのクリアファイル。
たぶん、この世にたくさん存在しているんだろう。
今の僕なら、それらをフルに活用できそうな気がする。
困ったときはサッカーか音楽のネタだ。
このまえ熊本にいく途中、佐賀県鳥栖市にあるJ2サガン鳥栖の本拠地「鳥栖スタジアム」の横を電車で通ったのだけれど、はじめて間近でみるにつけ、あらためてこのスタジアムは世界でも指折りのカッコいいスタジアムかもしれないと思った。
昔友人が鳥栖駅からこのスタジアムの写真を撮って、僕にくれたのであるが、その頃からこのスタジアムにはどこかしら魅力を感じていたわけだ。
なかなかありそうでない、鳥かごのような鉄骨むき出しの外観。
芝生の管理も評判がいいようで、これほど充実したサッカー専用スタジアムが日本にもあるんだということはもっと誇ってもいいはずだ。
しかも駅前。思いきり鳥栖駅の前。そして周辺には大きなビルやマンションがない。かなり平坦な地域であり、それがまたいっそう、どことなく無骨な雰囲気をかもしだし、郷愁をさそうのであった。
今日になって、ここ連日のココログ不調に関するお詫びのメッセージがアップされている。
「2005年11月13日(日) 23:00 - 11月14日(月)01:40の間、ココログの管理画面へログインしづらい状態が発生しておりました。」
ということで、その原因が
◇原因:不特定多数のサイトより、短時間に大量のトラックバックスパムが送られたことにより、アクセスが集中し、レスポンスが低下したため。
だそうで。
私の予想通り、ある意味では「サイバー攻撃」だったわけで・・・
ただ最近じゃ真剣に「サイバー攻撃」ってのが怖い。見えないところで、ひそかに国家間や企業間のサイバー攻撃合戦が行われているかもしれないわけで、「防衛のためのサイバー専門戦闘員」を国家が養成してしまうと、結局ここにも「国家が最大のテロ首謀者になるやん」というツッコミが可能になってくるわけで。
あと別の話になると、「トラックバックスパムが大量に送られてきたから」という理由も、結局のところは、僕らユーザーの側が確かめようもないので、「あってないような理由」にも思えてくる。
この調子で、あらゆる言い訳を「スパムが大量に送られてきたから」というフレーズで済ませてしまえる気もする。
たとえば
スパムが大量に送られてきたんで、ピザの配達が遅れました。
とか
スパムが大量に送られてきたんで、卒業アルバムの冒頭を飾るはずの学園理事長の写真が、ぜんぜん関係ないどこかのオジさんの写真になってしまいました。
とか、
僕なら「あぁ・・・そうなのか」と、すぐに納得してしまいそうだ。
ブログを書いてみます。この連日連夜、この時間帯において、書いた記事をアップロードしようと思ったら、しばらくして「ただいま混雑しております。申し訳ありません」という画面になってしまい、その画面が表示されると、さっきまで書いていた記事もまるごと消滅するという、悪夢のような状態に陥るわけです。
「申し訳ありません」というメッセージ表示が、さらに申し訳ない状態にユーザーを追い込んでしまうという悪循環・・・まるでエレベーターに向かって駆けてくる人を乗せてあげようと、「開く」のボタンを押したつもりが、うっかり逆のボタンを押して、一生懸命走ってきたその努力を無為にするかのごとく、その人を勢い良くドアで挟み込んでしまうような心境に通じているわけです。
ということで、記事を書くのに費やした夜の貴重な時間をどうしてくれようと、やり場のない怒りにふるえていたわけで。
ただ、昨日書いていた記事は、最後の最後までアップするべきかどうか軽く迷っていたような内容だったので、きっとこれは神様が「今はこの記事を公表すべきではない」ということにしたのかな、と思うようにしました。
対策としては、書いた記事はアップロードする前にメモ帳に貼り付けること、ですな・・・
しかしまぁ、ほんと、どうしたんだ@ニフティ。ココログの大容量化に踏み切ったことが何らかの障害を引き起こしているのだろうか。
ちなみに今日のココログ管理画面での「お知らせ」欄には、昨日の夜のことについては何も触れられていないので、ひょっとしたら混雑していたのは自分の脳みそと自分のパソコン環境だけだったのか、という疑念も沸き起こっております。
えー、店長さま、bayashiさま、すばやいコメントをありがとうございます。
僕のこんな説明で、コメントをいただけるとは(笑)
まったく分かりにくい説明ですいません。
ていうか店長さん、ひょっとしてすごく映画マニアだったり!?(笑)
1945(英)シーザーとクレオパトラ
1956(米)ヘレンオブトロイ
1964(米)ローマ帝国の滅亡
まったく知らない作品ばかりです。
むしろそっちが気になってきます。
で、今日僕に直接T氏から助言があったりして、「それは『イントレランス』ではないだろうか」ということになり、帰宅してブログをみたらbayashi氏からも『イントレランス』と挙げられて、教えていただいたサイトをみて・・・
うぁっ!!
はい、たしかに『イントレランス』だと思います。
すごい、「ゆりかごを揺らす女」は、やはりポイントだったんですな!!!!!
1916年の映画!! たしかにすごいアホほどデカイ撮影セットと大量のエキストラ!!
これだよこれ!!(笑)
いやー、たいへん嬉しいです。
さっそく観なきゃ。
ていうかこの監督、読んでみるとすごいな(笑)
なんか、あらためてブログで問いかけることの威力を感じました。
これからもよろしくお願いいたします!
小学生ぐらいか中学生ぐらいの頃、休日の午前中か昼間の時間帯にテレビでやっていた外国映画のことが最近気になっている。
それは、ずいぶん古い映画で、モノクロ映画なんだけど、全体に水色だか緑色だか、単色の色合いがかかっていて、そういう古い画質の作品。
内容は、たとえば『ベン・ハー』みたいな、ヨーロッパあたりの古代都市を舞台にした映画で、おそらく戦争モノの映画。異様なエキストラの数でもって兵士の戦闘場面が表現されていて、古代都市のセットなど、どうやって作ったんだというぐらいスケールの大きい映画。昔の映画によくあるように、人の動きが妙にチョコマカしている感じ。チャップリン映画みたく。
あるシーンで、暗い部屋に、赤ちゃんがベッドか乳母車に横たわっていて、女性が語りかけているシーンがなぜかおぼろげに記憶にあって。
とかく、非常に古いフィルムで、きっと映画が誕生したての頃に、かなりの費用をかけて作ったもののようで、そういう意味での「名画」として紹介されていたんだろうと思う。
きっと当時、口をあんぐり開けて観ていたんじゃないかな、と思う。
今思うと、あの映画が放っている独特の「古さ」とか「単色がかったモノクロの味わい」っていうのが、なんともいえず「ピンク・フロイドのブートレッグ的魅力」に通じていて、ずっと気になっている。
どなたか心当たりのあるかたはご一報ください!
昨日結局アップできなかった父の絵を、ようやく公開。
いくつかスキャンしたうち、秋らしい作品を一枚。
ぜひ画像をクリックして、拡大表示してみてください。
遠くから見ると写真のようにみえる、この精緻な画風は、さすが性格が出ている・・・
あまり身内を褒めずに生きていきたいが、父の絵だけは例外にさせていただきたい。
この筆さばきは、どうやったって僕には無理だ。
そして、父の絵をみるたびにいつも思うのだが、
これだけの創造性や技術力を持っていながら、
今までの人生のほとんどの時期において、自分のために絵を描くこともなく、
ましてや他の人に自分の絵を見せることもしなかった、ということが、
僕にとってはずっと抱えてきた謎であり、問題意識であり、わだかまりだったり。
「表現できない、させない」ための「何か」は、部外者が「応援」するだけでは、どうにも動かない部分があることも痛感している。
最近、自分のそういった「しこり」の存在を、こうして言語化できるようになってきた。
きっと僕自身の「表現」や「研究」に向かうきっかけは、そのへんから派生してくるものかもしれない、とも考えている。
それはさておき、人生初の展覧会も始まったわけで、そこから何らかの新しいきっかけが生まれるといいな、と思っている。
この前も紹介したが、先日より「7人の文化祭」と称したグループ展が開催され、私の父が人生ではじめて、自分の絵画作品を人前に披露することになった。
先日このブログでそのことについて触れたとき、ついでに父の描いた水彩画の画像も公開できればよかったのだが、それには抵抗感があった。なぜなら、このブログを運営している@ニフティの「ココログ」において、私に残された容量が、残りわずかとなっていたからである。父の絵の画像なんて重たいものを掲載すれば、すぐに容量が尽きてしまい、いよいよココログのバージョンアップ版を、有料サービスで申し込まないといけなくなり、それをするぐらいなら他の無料ブログサービスに乗り換えようか、などと考えていたところである。
しかし、人生におけるタイミングの良さというのは健在で、なんと4日前、なんの前触れもなく(・・・少なくとも私にはそうだった)、ココログは「大容量化」を果たし、ある日突然、容量が2ギガバイトに増えていた。びっくりした。たかだか月々数百円の出費でクヨクヨしていた私を恥じた。ありがとうココログ。
というわけで(ココログの突然のサービス改善に感謝の気持ちを込めつつ)、私ははじめて父の描いた絵をネットで公開することにした。
さて、今日のネタも「ここがヘンだよ日本語文章」であります。
先日、マクドナルドで昼食を取ったのです。
で、商品をのせるトレイに、いつものように紙のシートが置かれるんですが、そこにはこう書いてあった・・・
ファーストフード。そのおいしさや安心は、スローにつくられています。
ええと、文章としてはおかしくないんです。
内容も、まぁ、分かるんです。その気持ち・・・「スローフード」とマクドナルドは対照的なものではないんですよ~、という訴え。もちろんそんなこと誰も信じないのは明白ですが、まぁ、そこは別に今回の記事では問われるポイントではない。
でも、重大なツッコミどころがあります。
☓ ファーストフード
○ ファストフード
だからな!? わかってんの!?(笑)
英語で書いたら(書くまでもないけど) fast food なんです。 first food ではないんですよ!?
ちなみに、グーグルの画像検索で「fast food」を調べたら、
はい、いつものように、見慣れた食品がたくさん検索されます。
で、
「first food」で調べると、予想がつくと思いますが
「我が家のベイビーのはじめてのお食事の様子」が検索されるわけっすよ。
どうなんでしょうか。たしかに「赤ちゃんのはじめての食事は、スローにつくられています」という主張は、論理的には間違ってはいないんですが。
でも、いずれにせよ赤ちゃんはマクドナルド食べませんからぁ!! 残念っ!!!
たしかにネットで調べると、日本語においては、もはや「ファーストフード」という表記のほうが優勢になっているようで、言葉の使い方が誤ったまま、それが定着した例として挙げられるわけです。
「ファーストキッチン」というファストフードチェーンの存在も、その誤用を促進させることにダメ押しの役割を果たしているんでしょうか。
しかし、やはり「ファーストフード」というのではなく、「ファストフード」である、ということをもっと意識させておかないと、なんだか落ち着かない気分になるわけです。ここでいう「ファスト」の意味、その「速度」のために、どういうコストが支払われ、どういう利益が追求されて、その結果どういう商売としての特殊なシステムが成立しているのか、消費者が考え続けるためにも、これは「ファースト(つねに最優先の選択?)フード」ではなく、「ファスト、(ただ単に早いだけの・・・とにかく急がなきゃいけない・・・その速度のために尋常じゃないシステムで働いている人々がいるんだぜ・・・)フード」であることを認識すべきだと思うわけです。
で、そんなファストフード業界の同義語ともいえる、最大手のマクドナルドが、自社の広告で、堂々と自分たちを「誤用の言葉」で説明しているわけで・・・・
うがった見方をすれば、自分たちを「ファーストフード」と再定義させ、「ファストフード」という言葉の効力を失わせることで、「スローフード」などの言葉が本来持っている意味に対抗/回避しようとしている戦略だとも思えるわけであります。
「ファーストフード。その言葉の意味は、スローにゆがめられています。」
それでも、「言葉」を粗末に扱う文章に対しては、とくにそれが主流メディアであればあるほど、厳しめにツッコミをいれておきます。
グーグルのニュース・コーナーでみかけた先日のニュース・・・
「仏暴動、最悪の車1300台放火・全土に拡大」です。
まぎらわしいですね。この文章を書いた人は、一度でいいから読み返してほしかったところです。
書いた本人にとっての言葉のリズムの流れで「これでいい」という主観的な判断が先行し、その結果読み手に負担を強いるパターンの文章です。(私もよくやってしまいますが・・・)
この文章だと、読み手によってはこんなイメージになってしまうわけです。
たとえば・・・
いろんな自動車があって、
でもって、ある暴動が生じたことで、「最悪のクルマは何か?」とみんなが探し回って、
ターゲットが定まったら暴徒たちがよってたかって
「最悪のクルマ」をつぎつぎ燃やしまくる、と。
そういう文章ですよね、これは。
あるいは、理屈の上では、また別のイメージが生成可能で、暴徒と化したのが実は自動車自身で、コンピューター制御された自動操縦モードのクルマ(『ナイトライダー』みたいだ)が、何らかの原因で次々と放火行為を行い、その狂った状態の“最悪なクルマ”の台数が1300台になって大騒ぎしているという出来事を表現しているかのような文章でもあるわけです。(もちろん、ありえないけど)
しかし、「仏暴動、最悪の車1300台放火・全土に拡大」という文章の意を損なわずに修正するとすれば、どういうふうにするのがよいか、というのはけっこう悩むところです。
もっとも妥当なのは、句点の位置を変えるだけの処置で、「仏暴動最悪の、車1300台放火・全土に拡大」がいいんでしょうけど、でもどうしてもそうしたいなら、「仏暴動史上最悪の、」と付け加えたいところです。ただし、そうなると「『仏暴動史』、ってなんなんだよ」となるわけです。まるで「戦後フランスの民衆暴動史―とくに乗用自動車への攻撃における意味づけを中心に―」といった感じの、よくできた学術研究のテーマみたいになるわけで。
かといって「仏史上最悪の、」という書き方も、厳密に考えるとまずい。なんせフランス全体のあらゆる歴史において、本当に車1300台への放火が(暴動に限らず)新記録なのかどうかは、かなり慎重になって調べないと、文章の信頼性が危うくなるからです。
そんなこんなで、このブログを書きながらかなり考えてしまいますが(最初はこんな記事にするつもりはなかった・・・写真載せて終るだけだと思ったんだが・・・こうしていつも時間を食ってしまう 笑)
私なりの最終結論としては、以下のことを提案したいと思います。
そもそも、「最悪の」とかいうフレーズを、やたらめったら使わないようにする。
「仏暴動、車1300台放火」のほうが、ニュース報道であればなおさら、客観性が高いと思います。
どうしても、歴史上の新記録が達成されてしまい、そのことをどうしても強調したいのであれば、「史上最悪の」とかいうフレーズを使えばいい、ということです。
同様に、ニュースだったらなおさら、「深刻な」とか「壊滅的な」とか「未曾有の」といったフレーズも使わないほうがいいですよね。
(しかし、放火された台数は誰がカウントしたんだろう)
油断していたら、昨日のぶんの記事を書き損ねた・・・。1日の過ぎるスピードが速すぎるように感じる。
さて、今日も自作パソコンについて前進させるべく、本屋に行ったついでに、ようやくこういう本を見つけることができた。
自作の鉄則。2006年版。
もはや自作パソコンも「イミダス」とか「知恵蔵」ばりのアップ・トゥ・デートな流れのなかで語られるのである。
だが。
中身をあまり確認せず買った僕もあれなんだが、
いきなり出てくるテーマが「デュアルコアCPU」だったり「SLI(=Scalable Link Interface)」だったりして、
なんだかよくわかりません。
・・・つまりのところ、やや中級向けの本のようだった。
しかし分からないなりに、パラパラと我慢して読んでみると、それなりに分かってきたこともある。
たとえば、
・コネクタのピンは絶対破損させてはいけない。
・マザーボードを箱からいったん外に出すときは、外箱の上に載せて置くのがベスト。
・中学校の技術の時間で習った「ネジをしめる順番」は、パソコンの組み立て時にも同様に当てはまる。
・ATX規格は確かに重要なんだろうけど、インテルって体育会系だよな。
・赤い表紙に黄色のロゴって、ラーメン屋特集号みたいだよな。
・京都市左京区高野にある丸山書店が24時間営業しているのはすごいな。
などのことが、「今日分かったこと」であった。
だんだん勢いがついてきた。このまま一気に部品を買いに行こうかな~!? という気分である。
こういう変なタイトルがつくときは、このブログで何気なく連載している「パソコン嫌いによる自作パソコンへのヘナチョコ珍道中」の時間なのであります。
ていうか、最近ではブログの記事をうけて「自作パソコンはどうなりましたか」と聞かれることがたびたびあるのですが、いかんせん、「まったく、何も進んでいないです」とキッパリ答えざるを得ない状況なんですな。本当に。
本当は・・・自作パソコンよりも、いまは自転車がほしかったり、実務上いま早急に必要なのはパソコンではなくICレコーダーなんじゃないかと思っていたりするんで、自作パソコンなんか今はどうでもいい、なんて、そんなことは、なかなか言えないわけです。(←書いてるがな)
ただし、一方では、今使っているノートPCの残り容量などを考えると、そろそろ真剣に動かないとヤバイよな、という気にもなっているので、なかなかジレンマです。
そんなタテーシの、ちょっとした進展を今日は報告。
「今後のことを考えて、部屋用にコンセントタップを買いました。」
うむ。
それだけ・・・(笑)
・・・しかも、この2週間ほど、何回か大型電気店に足を運ぶ機会があったんですが、そのたびにこの手のコンセントタップを見ていて、なぜか「見るだけで、買わない」という状況を繰り返しておったわけです。なぜに、2000円程度のタップを買うのに、そんなに何度も見ては悩み、結局買わずに店を出ていたのか。今となっては謎です。ただおそらく自分の中で不満だったのは「なぜこんなに、部屋のインテリアにふさわしくない色が多いのか」ということだったんでしょう。
しかしそんなことも言ってられないので、思い切って買ったわけです。
ジョーシンにて、ひとつだけ、なんだか昔のiMacを連想させるレゴブロック的なデザインのものを見つけたので、これを選びました。
でも果たしてこれがパソコン用に向いているのかどうかはわかんないままですが(笑)
でもとりあえず、これにて一歩前進!! ←コンセントタップごときで前進感を覚えている私は、果たしてこれでいいんでしょうか??
むー、とりあえず今後はちょっとハイペースで、進めていきたいと思います。
賛否両論あるグーグル・マップスをはじめて使ってみた。
とくに、モードを「サテライト」に切り替えると、これでかなり遊べる。
いやはや、ついにここまできたか、という感じであり、大都市になると、ズームのレベルもかなり高いところまで設定されている。
言うまでもなく私はこれでロンドンの街を調べるわけであるが・・・そして、サッカーファンなら誰しもがやるであろうが、私も例に漏れず「スタジアム探し」をしてしまう。
クリックすると拡大します。これをみると、つい「スコットランド・ヤード」のボードゲームを思い出すね。
ただ、ロンドンの場合だと、スタジアムがどこにあるかはすぐにわかってしまう。チェルシーの本拠地、スタンフォード・ブリッジなどはすぐに分かるのであった。
で、スタジアムにどこまで迫れるか、グィーンとよってみると
ここまで近づけるのである。ヘタすれば、日光の加減によっては、フィールドに誰かが立っていても分かるのだろう。
グーグル・マップスで判読できる世界中のあらゆる競技場で、どこかで何かのスポーツが行われていやしないか、探してしまいたくなる。
こういう情報が自宅のパソコンで入手できてしまう状況において、どうにかしてユーモアや笑いのテイストを取り入れた活用方法を編み出したいところである。
プライバシーやら軍事利用やらがどうのこうの、とか言う脇でね。
今日もパソコンネタです。
エクセル、使っていますか。
なんだかんだ、ちょくちょく使いますよね。
で、エクセルのセルに色なんかつけたりしますね。
色つけ、大好きです。色をつけるためにエクセルを使っているんじゃないかとさえ思います。(半分ウソ)
で、いつも思うことが二つあって。
1.エクセルで重要な部分やパーツを色付けする際、全体的に「配色センスがめちゃくちゃ」になりがちで困ってしまう。
これは、たぶん色を決めるときの「パレット」に問題があるんじゃないか、と。
統一感のある色のテーマごとでパレットが選べたらいいのに、と思う。いちいち配色を考えずに、順番に端から色を選んでいけば、それなりに見栄えのよい配色で色が決まっていくようにすればいいんじゃないか、と。つまりあれです、無印良品の服やインテリアは、何も考えずにかき集めてひとつにまとめても、ぴったりとカラーコーディネートが出来てしまう、あの統一感ゆえの便利さです。
もちろん、こういうのはカスタマイズ自由だろうから、本当は自分でその配色パレットを作るべきなんだろうけど・・・だから今日はそのことについてこれ以上触れない。
そしてもうひとつ思っていることは、「パレットで選んだ色と、実際にセルに乗せたときの色に、微妙な差を感じる」
これは! けっこう何気なくみなさん感じていませんか?? 「あれ、なんか思ったほどいい色じゃないなぁ」と思いませんか?
というわけで、実際に比べてみましょう。
使うソフトは、フォトショップ・エレメンツ。 フォトショップでは「スポイト」という機能があり、これで色をクリックすると、その色の成分がちゃんと判明するのである。
パレットの部分が表示されているところをプリントスキャンして画像ファイル化し、フォトショップ上に画像として開きます。今回はエクセルの初期設定で「薄い水色」とされている箇所をテストします。
で、その横に、実際にセルに大きく塗ってみた「薄い水色」の箇所を、同様の手順でテストしてみます。
その結果、
すいません一緒でした。
ちなみにパレットの部分は、BMP画像ファイルで読んでいます。というのも、JPEGに劣化させると、色ムラができて、それこそスポイトで調べるたびに、違う色になってしまうのでした。
いずれにせよ、エクセルを疑った私が浅はかだった、ということです。
パレットの色も、実際にセルに乗る色も、まったくぴったり同じ、という、この当たり前のことを今日は検証できて、ちょっとはぐっすり眠れそうです。
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