孤高であること、自分を信じること
1年ほどまえ、京都の街中を舞台に繰り広げられる全国都道府県対抗女子駅伝をなにげなくテレビで観ていたときである。
ある区間で先頭の集団が、大きなS字カーブのコーナーに差し掛かった。
そしてそのS字カーブを抜けると、いつの間にか1人のランナーが、その集団からだいぶ前方を走っており、彼女はそのまま先頭で突っ走っていった。
S字カーブで何があったのか。
その答えは、その選手はひとりだけ「アウト・イン・アウト」のラインで走ったからだ。
これはべつに陸上競技に限らず、日常生活における「常識」なんだろうし、特にモータースポーツが好きな人にとっては、基本中の基本である。(未だに私などは、廊下を歩くときなど、無意識にこのライン取りを選んでいる気がする)
このように、できる限りスピードを落とさずに高速でコーナーを曲がるためには、このようなライン取りで走行すべきなのである。アウトサイドからコースに進入し、一気にインサイドの角(クリッピングポイント)を狙い、出て行くときはまたアウトに流れていく、ということである。
なので、S字カーブのときは、以下のようなライン取りになる。
で、
私にとってあのシーンでとっても興味深かったのは、あの集団の中で、1人を除くすべてのランナーが、一緒になって、「道なりに」走る非効率なルートを選んだことである。
長距離ランナーなら、みんな普通にあのような急なS字コーナーにさしかかったら「アウト・イン・アウト」を実践するかと思っていたのだが、そうではなかった。そこに私は注目したい。
つまり、唯一「アウト・イン・アウト」のルートを選んだあのランナーは、自分の信じる道を走るために、集団の走る方向とは違う、あさっての方向へ走り出さなければならなかった。
なので、テレビで観ていても、その動きはちょっと異質に映ったりもするのである。たしかそのときのテレビカメラも、唯一集団から離れるように走り出したその選手を捉えるために、カメラをひかざるを得なかったと記憶している。
それぐらい、彼女の取った行動は、その場の「集団の雰囲気」からすると、完全に異質だった。
あの瞬間、それぞれのランナーの判断には、どんな駆け引きがあったのだろうか。
いろんな可能性を考えてしまう。
つまり、
(1)多くのランナーは、「アウト・イン・アウト」の原則を知らなかった
(2)多くのランナーは、「アウト・イン・アウト」の原則を知っていたが、それを実践することを阻む要因があった
もし(2)だとすると、「集団の圧力」というものの持つ非合理さがとってもリアルに感じられる実例として挙げられよう。
なんせ、全員が真剣勝負で走っているなか、S字カーブを抜けたとたん、気がつけば1人だけ大きなリードを保って先頭に踊り出たわけである。残された多くのランナーは、走りながら、「あれ、あれ、あれ・・・?」とか思ったはずである。
あのシーンに居合わせたすべてのランナーに聞いてみたい。「なぜ、あなたは集団と一緒に、S字カーブをわざわざ道なりに走ったのか」と。
そして一方で、唯一「アウト・イン・アウト」のルートで走った選手にも、「あの状況で、自分の判断にとまどったりはしなかったのか?」とも聞いてみたい。
このシーンが今でも強い印象として残っているのは、スポーツに限らず、人生全般においても通じる何かを考えさせてくれるからだ。
たとえば、「何かをつかみとるためには、集団から離れて“愚か者”になる時期が必要なのではないか」といったことである。
Comments
むずかしい・・・
Posted by: かほり | 2005.11.26 10:29
いろいろ考えさせられるようなことがあるな~
って思って、思わず、書き込みしてしまいました!
なんかものすご~く奥の深いような・・・。
きっと私は集団を抜ける勇気がないように思
います。。。人と違うことをすることが怖いくて、
きっと人と同じように人の背中を追っているよ
うな、そんな気がする・・・(>_<)
けど、時には自分を信じて、人と違う道にそれ
てみる勇気も必要だと感じました!!!
人の後ろについたり、人と同じことをしてるだ
けじゃ、新しいことを見つけることも出来ない
し、時に失敗することもあるかもしれないけど、
それを学びステップアップすることもできないんじゃないかな~って思いました!
Posted by: ゆかっぺ | 2005.11.26 17:18
あー、真剣に再読したら意味が分かった。
私の場合は、皆がしていないことをしてしまう本能がある。
ので、実はこういう一人違った行動をする人が非常に気になり、また自分と似ているところがあるので、好きになったりします。
多分、そのランナーはかなりの負けず嫌いなんでしょう。
で、ランの場合は成功か失敗かはその場で判断つくけど、人生は愚か者で突っ走ったまま自分はどこに今いるのか、途中で分からなくなりタイムアウト・・みたいな。
この場合もそうだけど、常に周りを意識しながらも計算して孤高になるということが大切なんやろうな。
すみません、反省します。(笑)
Posted by: かほり | 2005.11.26 20:16
ゆかっぺ>愚か者になった状態のゆかっぺを期待しています(笑) 「マジメに、愚か者をやってみる」という感覚がありえるんじゃないか、ということを僕は考えています。その人らしさを損なわずに「愚か者」になる、という感じ。
かほりさん>愚か者として突っ走ることに自覚的であれば、ある程度の道は見失わない、というふうに考えます。つまりそれが「計算」の必要性かも、ということで。
Posted by: タテーシ | 2005.11.26 23:18
俺は、愚か者だろうなぁ。
Posted by: toyotti | 2005.11.27 00:26
君の場合は愚か者プレイを楽しんでいるフシすらあるし(笑)
Posted by: タテーシ | 2005.11.27 16:34