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July 2006

2006.07.31

これからのチェルシーを一言で斬る&ベルカンプ引退試合

そうそう、すっかりワールドカップが終わったあと、なんだか「おつかれさまモード」に突入していたんだけれども。
俊輔のセルティックはすでに開幕を迎えたわけで。しかも1ゴール決めたわけで。
なんだかんだ、はじまっています。

もはやチェルシーについても、実はぜんぜんフォローできていなくて、
あえて一言で現段階のチェルシーを評価すると、

私のお気に入りな選手に限って、先にいなくなってしまうのね。

グジョンセンしかり。ダフしかり。

さらにいうと、よりによって、補強される選手には、あえてツボを外すかのような人選が多いのね。

バラックしかり(どこで使うんだ)。カリューしかり(出番あるのか)。噂では、アーセナルからアシュリー・コールを獲得するかもしれないってんで、なんでそこまで補強するかなぁ、と。ウェイン・ブリッジでいいじゃないか。そうじゃなきゃ、ブリッジ獲得の際に追い出した、我らがグレアム・ル・ソー兄貴に申し訳がたたないじゃないか(笑)

あ、もう一人のビッグ補強、アンドリー・シェフチェンコに関しては、わりと昔から好きなキャラで。なんかこう、背負っている物語のシリアスさを払拭するために走り続けているような雰囲気が、ドラマを感じさせます。
でもチェルシーというチームにうまくハマるかどうか。
そして、シェフチェンコとドログバを起用するために今年4-4-2のフォーメーションにするとなると、なんだか大丈夫なんかなぁ・・・という感じにもなります。

ひさしぶりにチェルシーネタでした。

あ、デニス・ベルカンプの引退試合! たまたま終わりかけのところだけ観られて、真摯な気持ちで拝見させていただきました。新生エミレーツ・スタジアムのこけら落としの試合で引退試合をするという、このシチュエーションだけで胸がいっぱいですな。今後100年は使うであろう新スタジアムの最初のキックオフは、ベルカンプの父と、ベルカンプ本人と、ベルカンプの息子がお互いボールを蹴りあうという、きっとリアルタイムで観たら泣くぞこれは、というシーンだったようで。
思えば、「あ、もっとディープなサッカーファンになりたい」と思わせたきっかけが、あのアルゼンチン戦終了直前のベルカンプの必殺トラップ&シュートだったわけで、そういう意味でも感慨深いのでした。

「ボールをとめる」という動作のなかにアートと詩学があることを教えてくれたデニス・ベルカンプに、心からの感謝を。

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2006.07.30

いい心

 イーココロ!というサイトがある。(こちら
 このサイトに加入している各種のネットショッピングのサイトでお買い物をすると、少しばかりの募金などができるシステムになっている。私はこのサイトを知ってから、文房具をネットで買う場合、アスクルではなくオフィス・デポに切り替えた。ちなみに仕事先ではカウネットだったりするんで、ちょっとおしい。

 ちなみにオフィス・デポは外資系だけに、よくみるとオシャレな外国製文具が何気なく売られているので、たまに楽しい。あきらかに規格が日本のものとあわないのがわかっているんだけど、なんとかこのデザインであらためてファイル関係をそろえたいなぁとか思わせる、このムダなジレンマが味わえる。

 と、たまにはこのブログも役に立つ情報が読めるのであった。

 さて、自作パソコンにオープンオフィスをインストールしてみた。
 Wordならぬ「Writer」というソフトは、見た目ほとんどワードと同じなのだが、微妙に違うところもあり、さらにいうと、なんとなく「使いやすそう」な予感に満ちている。ほとんどまだ触っていないのだが、これから少しずつ慣れていきたい。
 むしろ楽しいのは、「ワードではこうだったけど、このライターというソフトではどうなのか?」という点を手探りで身につけていく感覚で、これはなんだか、旅行にいった先での、日常動作における何気ないまごつき、に通じているような気がする。よその家のしきたりに従わないといけない、心地よい不自由さというか。
 ワードで仕事をすることに飽きた人にも激しくオススメだ。ちょっとした刺激になるはずだ(逆に仕事が滞ること間違いなし)。

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2006.07.29

なれない新居

いま、MSK氏から薦められたFirefoxというブラウザをインストールして、この新しい自作パソコンから、はじめてブログの更新を行っているところ。
なれない新居で、まだダンボールの残る部屋のなかで一日が終わっていくような気分。
勝手がまだわからない感じ。
でも、しょせんパソコン上のことなので、このブログがなにで書かれようとも、読んでもらっている状況では、なんにも変わらない。それがくやしいのだが、いままさに、これを書いている私は、ちょっとしたカルチャーショックです。どうにも伝わらないだろうけど。

この自作パソコンのために買ったキーボードは、かなり吟味して選んだつもりではあるのだが、やはり値段も手ごろすぎたのか、キータッチが思った以上に軽すぎて、軽すぎて、なんだかぜんぜん文章を作っている気分になれない。ただでさえ不慣れな新しいパソコンのなかにあって、このキーボードのフワフワ感が、さらに慣れない感を増幅させている。
・・・つまりのところ、意外に私は、パソコンに対して、なんだかんだとヒューマンな手触りを求めているんだろうか、とも思う。

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2006.07.28

さしずめ「マスオ、昼ごはん見込みちがい」の巻

いつも金曜日の昼ごはんは同僚のmizuix氏と決まってボンズで食べていた。

今日もボンズかと思いきや、ロイヤルホストの表にかかげられていたノボリをみて、ふとmizuix氏は「カレーが食べたい」というので、
「(ロイホは高いから)ガストにしましょう」と私は提案した。

ガストに入り、メニューをみる。

ない。
カレーらしきものがない。
メニューにはカレー関連のものなど、なにひとつなかった。

Savage10_1
「日替わりランチ、ライス大盛りで」

「どうしてくれるんですか」
と憤慨するmizuix氏。

なんだか、「サザエさん」の、それぞれのお話のタイトル紹介の直前に流れる、ちょっとしたエピソードのシーンみたいな感じだった。微妙に気まずかった。

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2006.07.27

「ピンクフロイド・コンサート・データベース」

たまには、マニアックな話がしたい。


「Pink Floyd Concert Database」

よくバイトでデータベースを作っていたりする私にとっては、こういう愛ある仕事に触れるとうれしくなる。
でも、いったい誰が作っているのかなど、細かいことはよくわからないのだが、とにかくこのページがすごい。
ピンク・フロイドのライヴについての記録が、いろいろ検索できる。

おそらくこのサイトはブートレッグをおいかける人々のために作られたのであろう。
いちばん上のリストにある「Lists」から辿ると、ツアーの日程とかを一覧表示してくれる。しかもよくみると同じ日付、同じライヴ会場のデータが並ぶ。これはつまり、「作られたブートレッグのバージョンごとに、その日のライヴデータが記録されている」ということだ・・・さらに、ブートレッグにつけられたタイトルをクリックすると、ブートレッグのジャケット写真までご丁寧に表示されるのだから、かなり驚いた。Brutishtemptation_dfp_front_1同じ日のブートレッグでも、こんなにいろいろなバージョンが作られてしまうんだなぁ、と、なんだか博物学的に面白がってしまえる。Pinkfl70pepper願わくば、もうちょっとデザイン的にも秀逸なブートがあってもいいんじゃないか、とは思うわけだが。Pinkfloydpepper

でもこの驚きを共有できる知人がいないので、ひとりでいつも驚いてみるわけだが。
こんなすさまじいデータベース、よく作ったなぁ。インターネット時代の恩恵を感じてしまう。

・・・オチがなくて申し訳ないが。

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2006.07.26

すいません、

と、すぐに謝ってしまいがちです。僕も。
最近はかなりこのへんを意識して、なんとかして『すいません』ではなく『ありがとうございます』と言えるように努めてはいるものの、気を抜いたらガンガン謝りまくってます。パン屋のレジとか、職場の電話とかで。
もはや長年において染み付いてしまった条件反射。

そんなに悪いことしまくってるわけでもないんだけどね…
なので、普段の僕との会話でつい『すいません』がでたら、ツッコミを入れてやってください。

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2006.07.25

ジダニズム

今日のヤフーニュースで、こんなニュースが報じられていた。

Zidane1

英騎手が馬に頭突き 振り落とされ、腹いせ

 【ロンドン25日共同】英中部ストラットフォード・アポン・エイボンの競馬場で23日、騎手が出走前の競走馬から振り落とされた腹いせに馬に頭突きを食らわせたことが分かり、監督機関が調査に乗り出した。
 その“瞬間”は競馬専門テレビにもはっきりと映し出され、25日付の英各紙はサッカーのワールドカップ(W杯)決勝で頭突きをしたフランスのジダン選手になぞらえ、大きく報じた。
 話題の主はポール・オニール騎手(26)。競走馬シティーアフェアーに騎乗して障害レースに出ようとしたところ、馬が暴れて振り落とされた。同騎手は、手綱を引いて馬を引き寄せた上で、ヘルメットをかぶったまま馬の鼻に一撃。
 同騎手はその後、この馬に騎乗し、レースで4位になった。
(共同通信) - 7月25日10時20分更新

ということで、先日も書いたとおり、もはや「頭突き」という行為は、世界的にその「意味」が変容しつつあるのである。このオニール騎手だけでなく、以前にも競走馬に対して頭突きをしたことのある人はたくさんいたはずである(きっと)。しかしもはや、時代は変わったのだ・・・そう、頭突きに関しては、「ジダン以前/ジダン以後」という明確な歴史的分岐点が発生してしまったのである。
こうなると、頭突き行為もあらゆるシチュエーションで「ネタ」として認知されやすくなるのである。

さて。
ところで。

このニュースを読みながら、さらに気になったことがひとつ。

もういちど、上に挙げたヤフーニュースの画面をみてほしい。
クリックすると拡大するので、ぜひみてほしい。



























Zidane2

Amazon16_2
「お、お父さんも頭突きしてるっ!?」

このヤフーニュースのサイトは、いろんな企業広告が上部に表示されていて、たまたま、ニンテンドーDSの広告が動画になって流れていたのだが・・・妙に、「おそるべしマーケティング!」とか勝手にひとりで盛り上がった。

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2006.07.24

BOAT

ごくたまに、なんかこう、そのときの気分や状況に、とつぜん閃光がはしるような音楽が、iPodのランダム再生で流れてくる。
閃光、というのは大げさかもしれないけど。
今回は、mizuix氏が教えてくれたBOATというバンドの「ALL」という曲だった。
昨晩、遅々として進まない自作パソコンの環境整備に手を焼いていたときだ。(私は、インターネットの接続がスムーズにできたためしがない)
その音楽が流れるや、手が止まる。一点を見つめて、ずっと聴き続けてしまう。
・・・あ、単に集中力の欠如かもしれないのだが(笑)

音楽の「ひとめぼれ」は、けっこうあるなぁ。
すっかり今日は、ずっと仕事場でもかけていた。
最近は、音楽をなるべくかけないでいく方向であったのだが。

ただ残念なことに、調べてみると、BOAT名義ではすでに存在しないバンドであった。
こんなカッコいい音楽をやっておきながら、一瞬のきらめきを残してバンドが消えていくとは。
そんなんが多いなぁ。
出会ったときにはすでに、みたいな(笑)

でもそれがまた、僕がソロアーティストではなく「バンド」を好む理由かもしれない。
人と人が組むということの、普通の意味での奇跡を感じられるからだろう。

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2006.07.23

ティーアンドコーヒーアンドトーキングアンドティーアンド・・・

この土日のことを書こうと思っても、なかなかまとまらない。
気づいたのは、この2日でなんらかの「単独ないし誰かとカフェおよび雑貨屋でお茶やジュースをいただくことのできたひととき」が5パターンほどあった。
土曜日が久しぶりに晴れたせいもある。久しぶりにチャリに乗って外へ飛び出したい衝動があったんだ。それにしてもこのお茶タイムの頻度は、あまり社交的でない私には珍しい集中打。ありえないぐらいだ。
しかも、ひとつひとつのお茶タイムの密度の濃さったら。
ヘタしたら、「この夏いちばんの思い出」がさっそく完成されてしまったかのような濃度。
あぁ、2006年の夏の思い出が、ジダンの頭突きと、つかないパソコンの電源だけに彩られませんように! という気分でもあったので。

ともあれ、土日をともに過ごしていただいた皆様方に、感謝っす。あざーっす。
あたらしいハウをつくるためにあーだこーだと物を考える時間もとれたりしたので、ひさしぶりに味わう高揚感などもあったり。
あーー、つくります。つくりたいです。20代最後の夏における瞬間の、ディストーションでノイジーな脳内サウンドを刻み込むかのように。

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2006.07.21

「独立芸術大学」構想

というのを、今日の朝歩きながらフト思いついた。

学ぶ人が同時に教える人にもなる、コストを限りなく押さえた芸術表現教育の場だ。
自分の持ちネタをダシに、単発的にいろんな人につくり方を教えたりする。
スキルや洗練度は、そんなに問われない。大切なのは、異業種というか、異なるジャンルとの「出会い」であり、人との出会いである。自己表現が、単なる評価の対象で終始するんじゃなく、そこを媒介として何が生み出せるか、に可能性を感じたい。
生徒として教わった人は、別の機会にどこかで自分の得意ジャンルの「先生」として、誰かを教えたり、あるいは発表会をすることが奨励される。
芸術といっても、生活における技術全般を扱うので、上手なアイロンのかけ方とか、おいしいラーメンの作り方とか、そういう種目を教えてもいい。
そういったものが集積して、いろんなイベントやら展覧会とかがうまれる契機になったり。

とくに奈良市近辺には芸術大学がないので、そんな奈良は伝統的な日本文化を語っていいのか、と言いたくなる。なのでこのような市民参加のインディペンデントな自主管理型のアート・カレッジがあれば素敵だ。学びの場なんだか、カフェやクラブのようななんでもあり空間なんだか、よくわからない感じで。

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2006.07.20

今日は散文です

 ブログに何か書かなきゃ、と思うときに、何かまともなものが書けたためしがない。
 そして一方で、本当に書きたいことは、ブログに公表することすら、ためらわれることが多いね(笑)

 そういえば、この数日、何人かの方々に、「パソコンの電源がついてよかったですね」とか言ってもらえて、照れくさい。
 電源がついただけで、祝福のコトバをもらうっていうのは、なんだかよく考えるとすごく恥ずかしいな。
しかも、ロクなトラブルでもなく、単なる私の記号認識能力の欠如ゆえのトラブルでもあったので・・・まぁ、それでも、「めでたい話」として祝福されるのは、たまには微笑ましいので、ぜひみなさんも自作パソコン作ってみてください。自分でいちいち配線つないで、スイッチ入れたら、モニターにウインドウズXPの「ようこそ」のメッセージが表示されるという、このちょっと倒錯した感じもまた、ハラワタを刺激して、オツなものです。(以前のハウのネタにもしましたが)

 とはいえ、まだちゃんと自作パソコンをメインで使う体制を整えていないのであった。
 この一ヶ月、パソコン製作のために、ただでさえひどかった部屋のスペースはえらいことになっていたのである。

 そのうえ、さすがに自作パソコンだけあって、何にも余計なソフトが入っていない。ちなみにOSとしてウインドウズXPのOEM版を買ってインストールしたわけだが、そこにはワードもエクセル(つまり、Officeだ)も入っていないため、これでは何にも作業ができないことに、起動してから気づいたのである(あぁ、これだから初心者は)。

 ここでまたマイクロソフト社の製品を買い足すのは、本当に心の底から腹立たしいので、ひとつ決めたことがある。そう、以前から気になっていた「Open Office」を使うぞ、ということだ。オープンソースでフリーに流通している、ワードやエクセルに互換性のあるソフトウェアだ。これを使うほうが、私が今回自作パソコンにトライした趣旨に合致するし、ぜったいそれでいこう、と決めた。
 もしこの選択の影響で、仕事に影響が出てしまった場合は、ごめんなさい、と今のうちに謝っておこう。

Savage10
ごめんなさい。


 話は変わって。 (って、こんなブログ書いている間に、パソコンの周辺を掃除したほうがいいんじゃないかとも思うが)

 よく古着屋でTシャツを探しているときに、「あ!このプリント、いいデザイン!」と思っても、それがTシャツの背中の面にプリントされていて、前面には何もない、というのがあったりする。で、たいていの場合、私は前面にプリントのあるほうが好みで、シャツと一緒に着ても背中は隠れるから、そういうのはあえて買わずにスルーしてきたのだが、最近になって、それはもったいないことだと思うようになった。
 つまり、これからは、そういうTシャツもどんどん取り入れて、前面の空白エリアには、自分で何か付け足せばいいんだ、ということに思い至った。(DIY精神だ、と普段から言っているわりに、なんだこの認識の遅さは)
 なので、何らかの標語やメッセージをアイロンプリントとかで入れ込んでいけば面白いはずだ、と思ったので、最近はそのためのいろんな標語などを考えていたりします。そう遠くないときに、また作るかもしれません。

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2006.07.18

もし月がなかったら

前にも書いたことがあるが、天文学について見聞きする行為を、私は「天文学セラピー」と勝手に呼んでいる。

このまえも、スカパーで「もし月がなかったら」というドキュメンタリーがあったので、思わずイントロのほうは立ったまま観ていたり。

月の成り立ちについては謎だらけのようで、決定的な学説はないらしいのだが、ひとつ確かなことは、「月と地球の距離は、毎年4cmずつ離れていっている」ことらしい。

月の引力のおかげで、地球の地軸は安定しているらしいのだ。
でももし月がどんどん地球から遠ざかれば、そのぶん地球の回転軸がおかしくなって、いままで普通に回転していた地球が、ランダムな方向へ、むちゃくちゃに回転することになる。
そうなると、北極や南極の氷は速攻で溶けたりして地球上が水没することは、中学生でも想像しやすいだろう。それに留まらず、人間の予想を上回るとんでもない気象状況になって、たぶん人間が住み続けることなんてできやしないだろう。
このことは、SFの話ではなく、実際に、現実に今もなお、「月が毎年4cmずつ地球から離れている」という観測結果が示している「マジでリアルな話」なのだから、いつかきっと、何万年後ぐらいには、起こり得るわけだ。

と、まぁ、そういう途方もない話を、いろんな天文学者たちがコメントするわけだが、思うに彼らは普段からそういう話に浸っている影響で、日常の悩み事なんて、「ほんとーーーに、どうでもいい、些細なこと」ぐらいのレベルで捉えているんじゃないのか、それはきっとかなり幸せなことなんじゃないか、と私は昔からそう推測している。
なので、できれば大学とかで『天文学を学ぶ学生』と『そうじゃない学生』の2グループに、心理テストを実施して、心の病に対する耐性度とかを比べてみたら、ぜったいに有意差が算出されるんじゃないのか、とにらんでいる。
ちなみに、私はこのごろ、心理学は別として、天文学と文化人類学は、“自分自身をちょっと幸せにするコツを習得できる学問”ではないかと力説しているのである。

ともあれ。
宇宙のはなし、ヤバイっすね。
どのみち、なにをしても、なんにも残らないことは「確定」しているっぽい。
よく「永遠に残るもの」なんて概念を僕らは使うけども、そもそも地球とか太陽系そのものが消滅したら、そんな「考え方」すらも、跡形もなく消えてしまうわけだ。およよ。
そう思うと・・・なんなんだ、この「すがすがしさ」は。
ヘタしたら、単なる「ニヒリズム」になるのかもしれないのだけど、
でもそうではなく、「なら、いまここで地球があって、生きている我々に降りかかっている、どーしよーもないほどの偶然とか奇跡」に対して、ただひたすら感謝したくなる。これが私にとっての天文学セラピーなのだ。

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2006.07.17

・・・。

昨日のつづき。

もはや直視したくない、物言わぬ自作パソコン。
しかし、せっかくの休日、時間のあるうちに向き合わないと。

もういちど、ケースのフロントパネルからでたケーブルの、マザーボードへの接続をチェックする。
今回の作業のなかで、もっとも「マニアっぽいと感じた作業」だったからだ。

Dsc06401
↑ マニアな作業。細けぇんだよ。

でも、解説書およびマザーボードのマニュアル等を何度もつきあわせ、さすがにこれ以上間違えようがないだろう、というぐらい慎重にやったつもりだったので、改めて確認しても、とくに不備はないと思われる。

「ふう・・・」

ため息。いったいどこでトラブルが生じているのか。
やはり、組み直すしかないのか・・・

でも諦めの悪いわたしは、せっかくこうしてフロントパネルケーブルの配線を改めて確認したんだから、もういちど電源を入れてみようと思った。
やってもムダなんだろうな、とは思いつつ。

オン。

「・・・・」

やはりまったく無反応のパソコン。
むぅ。

部屋には、昨日からの流れで、ソニック・ユースの曲たちをシャッフルで流しまくっていた。
空虚な心境で、しばらく耳を傾けつつ・・・

Sonicyouthx
こういう「DIY手作りインディーズ風情」、いいわぁ~。
と、逃避ぎみに、ロックが鳴ってます。


で、
さきほど確認したフロントパネルのケーブルのなかには、「電源が入れば、ランプが光る」ための配線がひとつあったことを思い出す。
私の感覚では、「そんなランプのためにも、わざわざ配線をひとつ割り当てて、マザーボードにつなげないといけないんだなぁ」というものだ。これも、冷静に考えたら「当然だろ」とツッコミを入れられるのだろうけど、とにかく、素人というのはそういうものなのだ。きっと。
しかも私は、考えてみたら、ケースのフロントパネルにおいて、そういった「電源が入ったら、ランプが光るぞ」という機能が反映されているかどうかを、なぜか今までまったく確認していないままじゃないか、と思い至った。電源が入ったかどうか、パソコンの作動音だけで判断してしまっていたのだ。つまりケースの側面が透明になっているのもあって、その側面から中身を確認して、CPUのファンが回るかどうかといったことばかり注目していたのである。

で、電源ユニットの主電源をオフにしたつもりで、あらためてケースのフロントパネルをよく見てみると、なにやら緑色の光がひとつ。

あれ?

あれ?

主電源、オフだろう??

Dsc06463
あたらしく取り付けた電源ユニット。


あらためて、主電源のスイッチを切り替える。

すると、フロントパネルの緑色のランプも消えた。

あれ?

え??




Amazon16_1

あああああああっ!?

オレは、主電源のオン/オフの記号(○ と ―)を、
正反対に認識していたのか!?!?

主電源オン=○、ではなく「―」のほうか!?

では、
「―」にスイッチオン、

そして、

フロントパネルの、スイッチを、押すと?






On


ついたーー!!

Shearer2
Shearer9_1
Shearer6_1
Shearer3
Shearer8

やった!!
ついた!!
動いた!!

思わず、アラン・シアラー先生のように、右手を挙げて走りまくりたい気分になった。

このケースはフロントパネルに、音量、ケース内温度、ファンの速度を知らせてくれるメーターが3つ並んでいて、それらが水色に光るというものであった。
その光とともに、CPUファンの動く音がひびく。
多少の騒音も、今なら天の声のような響きだ。(どうせ、また改造したくなるんだろうけど)

ともあれ、この数週間続いていた、なんともいえない苛立ちが、一気に解消された。
この後、ウィンドウズXPのインストールやら、マザーボードのドライバのインストールやらで、いったん作業を終える。

夢のようなひとときだ。いや、大げさなんだろうけど。
でも、本当にちゃんと動くとは、実は正直思っていなかったのである。
これを組み上げるプロセスのなかで、実は何度も「あ、ヤバイかも」と思えたところがいくつかあるからだ。

もちろん、自作PCはこれからもトラブルを発生させるであろう。

しかし、今回のことで、大いに学んだことがある。

失敗と決め付ける前に、ほんとーーに、どうしようもない、くだらないところでミスがある可能性を捨てきらないように。

あぁ・・・
主電源のオン/オフの記号を勘違いしていた、ただそれだけのことで・・・

もう少しのところで、ナセルノフ氏の示唆をうけて、「パソコンケースに頭突きする写真」を撮るところでした。

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2006.07.16

テクノロジー

ようやく、つかないPCの電源をもってソフマップへいく。
「パソコンクリニック」でみてもらう。番号札は516番。誕生日と同じ数字。

で、
あっさりと「故障品」の認定をもらう。
なんだか、嬉しいんだか哀しいんだか。人生で初めて購入したパソコンの電源ユニットが、よりによって故障品だったということに、なんともいえないやりきれなさを感じる。

購入して1ヶ月は過ぎてしまっていて、5日オーバーしているが、でも特別に今回は「初期不良」として対応してもらう。ということで、ここで商品をそのまま取り替えることもできたのだが、その代金分でいっそ別の電源ユニットを購入できないかとお願いしてみた。
何せ、メーカーサポートからのメールの返事も来ないままだし、そんないいかげんなメーカーのパーツは使いたくない。そしてなにより・・・主電源のついている電源ユニットがほしい・・・。

そんなわけでクリニックの店員さんの同行のもと、新しい電源ユニットを選ぶ。店員さんはただ同行しているだけなので、私が何を選ぼうがどうでもいい感じで「はやく選んでくれ」オーラが感じられたので、何も分からないまま、とりあえず前回の電源よりも2倍以上値段の違うパーツを選んでおく。最終的な決め手は「パッケージがちょっとオシャレだった」という、それだけの理由だったのだが。(これ

こうして、ハイスペックな電源ユニットを手に入れ、改めて自作パソコンに接続。

スイッチオン。

反応、なし。

・・・・・・・。

St3276

そういえばパソコンのケースのネジをしめながら、
ギターを弾いて、パンク・バンドを組みたいという衝動にかられた。
「見た目、ぜんぜんパンクじゃない、ハードコア・パンク・バンド」だ。
かつてアズテック・カメラのライナーノーツにも、同じようなことが書いてあって、「パンクっぽくないキャラで、パンクを演奏することの破壊力」みたいなことが書かれていたのを思い出す。
そうなんだよな、パンクじゃない人々が、パンクな音を奏でるのは、すごく美しいはずなのだ。
今なら、歌いたいテーマはたくさんあるじゃないか。反グローバリゼーションとか、難民とか、頭突きとか。

Sonicあ、バンドを組みたいと思ったのは、ちょうど昨日、日本橋にいったついでに中古CD屋でみつけた、ソニック・ユースの古いプロモ・ビデオ集に起因しているんだろうな。半分ほど観たのだが、やっぱりソニック・ユースは独特だ。「ハマる」ほどにはいかないかもしれないが、絶対に無視できない潔さとかっこよさがあるバンドだなと去年ぐらいから注目している。なんせいまだ現役で、新作アルバムが出たばかりで、それでもいつまでたってもインディーズ臭さがあるのがすごいよな、と。何せ、デビューして25年もキャリアを重ねたメンバーたちもかなりアダルトなはずなのに、「ソニック・ユース」だもんな(失礼)。なんか、失礼ついでにあれだけど、不思議なほど「自分も入りたい、と思わせるバンド」なんだよなぁ、ソニック・ユース。や、なんというか、自分の好きな「音の感覚」というか、自分がバンド組んだら、今ならこういう音を出したい、ていうツボを、ソニック・ユースは連発しているんだよな。機会をみつけては昔の作品を追っているのだが、毎回驚かされまくりで。あぁ、高校生のときに、プログレではなく、もっとこういう音のバンドから好きになっておけば、もう少しシャインな男の子(意味不明)になれたかもしれない、とすら思えてくる。

と、関係ない話をこのまま続けたくなるような、
かなりのやりきれなさ。

主電源のオン/オフで、何の反応もないのだが、唯一、キーボードのnum lockキーあたりのランプが、一瞬ついたり消えたりする。つまり電気は通っているのだろう。

自分にたいする失望やら、落胆やら。
パソコン、最初から組み直しか。
もはやほとんど、やる気ナシ。

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2006.07.15

頭突きを開放しよう

もはや、「頭突きワークショップ」とかを主宰する人がでるかもしれない。
あれこれと、頭突いてみよう。精神を開放しよう、みたく。
「頭突きイベント」とか、「頭突きバー」とかね。
あ、意味わかんないっすかね。頭突きバー。ほら、「文芸バー」とか「哲学バー」みたいなもんです。
飲み会とかで、僕もつい頭突きするようなタイプなんで、「バーで頭突き」って、親和性高い気がします。

ジダンとマテラッツィの件になると、それは人種差別問題とかも含むんで、それはもちろん由々しき問題なんだけど、あの「頭突き行為」そのものだけを取り上げると、前にも書いたように、あれはロック精神溢れる出来事であり、我々にとって「日常生活的に共感できるパッション」がうかがえるような気もする。サッカーを観てあんなに自分の精神生活にグッと入り込むようなシーンって、そんなになかったかもしれない。

「頭突きワークショップ」とか「頭突きセミナー」風にいえば、「私たちの心の中のジダンが、いま頭突きをしようとしています」っていうか。あ、やっぱり意味わかんないっすかね。

ともあれ、今回の件で興味深いテーマは、「頭突き」という行為の意味するものが、全世界的に「ちょっと変質」する可能性が、なんとなーく「合意・共有」されそうな雰囲気があるっていう。(こういう事例を『ミーム』っていうのかね)

先日isaac氏が教えてくれた、youtubeの動画にも、このようなものがさっそく作られております・・・
http://www.youtube.com/watch?v=js0vOgjBfD8

だって、ねぇ? これから、どんな頭突き行為をみても、どうしても「あ、ジダンだ」とか思ってしまうわけで。

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2006.07.13

シド・バレットがここにいないから

Syd2

昨日、isaac氏のメールではじめてシド・バレット死去のニュースを知る。
享年60歳。
合掌。

ピンク・フロイドの最初期のフロント・マンであり、精神を病んで脱退したのちも、その存在が常にピンク・フロイドの作品群に「投影」されつづけた人物である。

BBCのニュースサイトでは、訃報に際して、近年の姿が掲載されていたりする。

でも、
60年代を知らない私にとっては、もはや「想像上の生き物」という感覚の人物であるため、この訃報にも、感情的な哀しみというものが沸き起こりにくい。しかし、「今後永久に、シド・バレットから何かが語られることはない」という事実を思うと、そこに横たわる空虚感は、なんともいえない。
結局のところ、シドにとっては、この現実世界はどのように見えていたのだろうか、ピンク・フロイドというバンドは彼にとってどういうものだったのだろうか、などなど・・・

初期の作品である『バイク』などを聴くと、ファニーで朗らかなポップなセンスと、闇を見据えた絶望感の組み合わさった独特のバランス感に、鳥肌がたつ。すでにこの曲を作っているシド自身はもちろんのこと、聴き手である私たち自身もが、「よくわからない、あっちの世界」に笑顔のまんま引き込まれそうな、一瞬の「心地よい恐怖」をもたらす、あの音楽たち。それは確かに狂気の天才、「狂ったダイアモンド」の仕事であった。

まさに、かつてピンク・フロイドは、『狂ったダイアモンド!!』と歌い、そして同時に『あなたがここにいてほしい』という名曲を作った。
アコースティックギターで切々と歌い上げられる、素朴なメッセージ・ソング。
しかし、どこかで響き渡る、なんともいえない緊張感。
このバンドは、常にシドとそうやって対話してきたのであろう。

最近ある本でみかけた記事で、「おまえがここにいないから」というタイトルでフロイドを語る評論があって、すごく良いタイトルだと思った。
でも今になってみると、それはまさに現実的に、「アンタが、ここに、いないから」といいたくなる気分で一杯である。
なんせ、先日のライヴ8の、「一日だけの再結成」。
そう、「再結成」といっても、本当の意味で、このバンドはどこでなにをしようとも、シド・バレットの存在抜きでは語れないのだ。
あぁ、もう、再びこのようなタイミングは訪れないのだろうか、ね。

ご冥福をお祈りします。

Floyd52


B36aa

Syd


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2006.07.10

あえてジダンの頭突きをリスペクトする

不覚にも、再び熱がぶりかえして、またしても週末に臥す。
予定をすべてキャンセルし、多方面に迷惑をかける。

そんな状況だったので、ついにW杯の決勝戦が遠いドイツの地で行われつつあるときも、グッスリ寝ていた。
で、たまたま起きたら、案の定延長戦にもつれこんでいた。

そんな視聴者がいうのもなんだが。

今回のジダンの頭突きを、あえてリスペクトしておきたい。

新聞には「愚かな結末」とか書かれているが、
そうじゃないのだ。

あの頭突きは、「ロック精神」として考えると、偉業なのである。
ジダンは、「ロックンロール」だったんだ。
そのことに気づかせてくれたのだ。

考えてもみてほしい。
世界最高のテクニック、エレガントなプレースタイルをもち、栄光のキャリアを歩んできたジダン。
1998年、自国開催のW杯でフランスを初優勝に導いたジダン。
いったんは代表を引退するが、再び2006年の代表のために復帰し、「W杯で現役を引退する」と宣言。
すると、現役最後の試合が、なんとW杯の決勝戦という大舞台。
この映画のような展開に、私は思わずブログで「このW杯は、まるで大会まるごとが“ジダン引退記念イベント”化してきている」と書こうかとすら思っていたほどだ。あらゆる人々を巻き込んで、自分の花道としてすべて飲み込んでしまう。これがスーパースターというものか! と。

しかし、それを一瞬で「すべて無」にしてしまう、その破壊力。
まさにそれは、ロックンロールではないか。
僕らが最近、忘れがちなスピリッツ。

たしかに、「サッカー選手として許される行為ではなかった」といえる。フランスの監督もそうコメントしていた。
しかし、一方でこう思う。「その瞬間」に、まさにサッカー選手としての「人生」が終ってしまう状況下の人間に、そのようなブレーキが何の意味を持つというのだ。
「目の前の敵に、一発くらわせる」。
この、初期衝動。
人類が太古から引き継いできた、あの衝動。
勝利への情熱とか向上心とか名声とか業績とか、何よりフランス代表としての責任とかファンとかチームメイトとか家族とか、そういう人々の想いや責務をたくさんたずさえて生きていながら、そう、その「衝動」によって、すべてを「無」にできる。
あの瞬間、ジダンは本当の意味で「サッカー選手」から、「ひとりの人間」に還ってきた、そういう儀式でもあったんじゃないか。手や足ではなく、よりによってあの特徴的な頭で、自らのサッカー人生のラスト・プレイを飾る。あぁ、ロックだ。ロック魂だ。ワールドカップそのものには、人生において何の価値もないんだっていうことを歌い上げたかのような。
そういう衝動は、もっと今の時代に見直されてもいい。

<だからといって、サッカーの試合でどんどん頭突きせよ、ファールせよ、といっている文章ではないからな。あくまでもジダンの文脈のように、そのプレイが人生の最後の瞬間になる、というぐらいの覚悟があってはじめて成立する“ロック魂”だからな。>

かつて、初期の「ハウ」にも、同じように「ロック魂」について書いたことがある。
そして奇しくも、そのときネタにしたクリントン元大統領が、先日のW杯の会場近くに突然出没し、お客とともに戯れ出して、場が騒然となるというハプニングが報じられていたところだった。かつてクリントンは、来日したときも似たような「ゲリラ戦」をかまして、ニュースのネタになっていた。
「さすがクリントン、危険を顧みない“ゲリラ・ライヴ”的ロック魂は、健在か!?」と微笑んでいたところであったが。
いやはや。類は友を呼ぶのか。
偉大なロックンローラーが、このドイツ大会を締めくくってくれた。
なんせ、大会MVPは、それでもジダンが獲得しちゃったんだもんな。さすがだ。もう言うことない、ロックの帝王だ。

そんなジダンに、youtubeでみつけた映像を捧げたい。
1985年の元祖ライヴ・エイドで、若き日のU2が「BAD」を演奏したときのシーン。
日本の学生服を着た(!)ボノが、興奮のあまり客席のところまで降りていって、女性と踊るパフォーマンスをやらかして、会場をなんだかよくわからない状況に陥れさせて・・・
あとで関係者にむちゃくちゃ怒られたという伝説の名演(笑)。Badbono
(映像はこちら

その後ボノは「なんであんなことしたか分からない」とか言っていた記憶があるのだが、それはそうとしても、大事にしましょう、衝動は。ええ。

ひとりの行為が、ひとりのシャウトが、ひとつのシーンが、多くの人々にふれ、いろんな思念や議論や当惑をまきおこす。
これこそロックの本質。

あぁ、今回のワールドカップのまとめがこんな風になるなんて、まったく予想だにしなかったが。
僕はとにかく、ジダンにやられた。それだけだ。
そのロック魂に、リスペクト。

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2006.07.06

『さよなら、消費社会  カルチャー・ジャマーの挑戦』

『さよなら、消費社会  カルチャー・ジャマーの挑戦』
カレ・ラースン 著、加藤 あきら 訳

抵抗をデザインするアーティスト――カルチャー・ジャマー
メディアやブランドが提案する生き方なんか、クールじゃない。過剰な消費をくり返すライフスタイルから抜け出して、ダイナミックでセクシーな、自分らしい「ほんとうの生き方」を追い求めよう。メディアと消費とエコロジーを問い直し、「消費する日本人」に向けて、新しい文化と価値観の創造を呼びかける。
(帯のコピーより)

大月書店より6月に邦訳が刊行され、まさか日本語版が出るとは思っていなかった本なので、非常に、非常にうれしい。

この本をどのように紹介すべきか、ずっと悩んでいて、その悩みっていうのは、あまりにもコトバがあふれすぎてしまうからである。
なんといえばいいのか・・・私にとっては、とくにこの10年ぐらい引きずっている「なんだかうまく表現できないけど、ムカついてくる、実体のみえにくいモヤモヤしたもの」があるのだが、この本およびカルチャー・ジャミングのムーブメントにおいては、痛快なまでにそれらがみごとに言語化され、考察の対象となっているからである。その対象とは消費社会であり、政府と企業体との関係であり、商業主義であり、マスメディアであり、そして消費者である我々が接するあらゆる文化、製品、コミュニケーション、エコロジーなどなど・・・

この本を自分なりにヒトコトでまとめると、「自分が主体的に消費を選び取れる世界にしていきたいね」ということだ。つまり「消費するな」というのではなく、あまりにも我々は消費活動を「強迫観念を植え付けられ、押し付けられすぎている」のであり、そのおかしさを自覚し、どうにかその関係を転覆させるための知恵とアクションが求められつつあるということだ。
あ、ちょっとあまりにもソフトなまとめ方だな。もうちょっと別の言葉で言い直そうか。「グローバル企業とそれを守るあらゆる取り巻きを叩きのめそう。そのための方法は、たしかにある」ということだ。

うーん、やはりまだまだ自分にはこのことを言語化することがうまくできない。
でも、これからも私のあらゆる活動には、このカルチャージャミング的な問題意識がベースになっていくものと思う。
なので、一緒に闘っていきましょう。

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2006.07.05

6月の行事

先日、「ああもう7月だなぁ」と思って、そこで初めて気がついて驚いた。

今年の「ルマン24時間耐久レース」が、僕の知らないあいだに終っていた。アウディが今年も優勝したとかって、いや、聞いてませんし。
あぁ、だから、この6月、何か重大な「見過ごした感」があったんだ、と。

あの耐久レース特有の、「心地よいダラダラ感」。
でもやはり歴史のあるイベント特有の「締めるところは締める」雰囲気。
プロっぽさと、アマチュアっぽさの入り混じる、「なんでもあり」的な、ちょっと泥臭い匂いとか。

あのレースは、毎年楽しみにしていたんだよなぁ。
出てるドライバーとかマシンとかは知らないままでオッケーで、とにかく24時間走り続けたあとの「おつかれーーー」的なノリのためだけに、観る。だって、一瞬気を緩めたら、「なんか、これってすごくマヌケなレースじゃないか?」とか思ってしまうときがある。「・・・なんで、80年以上前から、こんなレースを・・・わざわざ好き好んで24時間連続で走るんだよ・・・なんで24時間ずっとピットクルーが待機してるんだよ・・・なんでお客がいるんだよ・・・ダラダラ走っているだけなのに・・・」とかなんとか・・・・でもそれを言ったらおしまいなんで、すぐに押し殺すわけです。そんな邪悪な思いは。
実社会でクルマがなくなっても差し支えないけど、ルマンのレースは永久に続いて欲しいなと思うぐらい(おい)

しかし、私がレースの存在をあたかも「なかったかのように」捉えたのは、無理もないようだ。
というのも、実はこのレースの日は、例の「日本☓クロアチア」戦とカブっていたようで、
その影響で日本ではテレビ中継まったくなしという異例の状態だったのだ。

去年から放送権はスカパーにうつって、去年は勢いあまって24時間レースを、24時間ずっと生中継という、もはやそれは自虐ネタとして笑ってあげるべきなのかとすら思わせる前代未聞のチャレンジングな放送を試みていたのだが・・・

何が怖いかって、こうしてイベントのまえにテレビが「番組宣伝」しなかったら、私はそのイベントが「存在すること」を、すっかり綺麗に忘れてしまうことができるということだ。そういう状態は避けたい。

・・・・・。

さて、ミサイル7発というのは、ひょっとしたら今回のW杯で日本が3試合で7失点したことへのオマージュなんだろうか、と思ったり。や、案外ミサイルの本数に関しては、そういうアホみたいな理由だったりするんじゃないかなと。

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2006.07.04

先週末のこと&ヒデのその後

ひさしぶりに、ちゃんとした発熱をくらってしまい、週末はずっと床に伏せていた。

そんなコンディションで、深夜「ポルトガル☓イングランド」の放送に喰らいついていたんだから、ちょっとぐらいグチや弱音を吐かせてもらってもいいだろう。
なぁ、イングランド。
もう「個人内W杯」は終了した気分。さよなら、私のジャーマニー2006。さよなら、ヘンなライオンのマスコット。でも不思議に日本国内のテレビ放送では決して映らなかったね、あのライオン。すごく謎だ。
Kuma
おまえだよ

はぁ。
半年ぐらい前から「ルーニーか、ジェラードか、ロナウジーニョの大会になると思う」とか吹きまくっていました。
はい、すいません、3人とももういません。
そう、あとはまさに、ロスタイムの騒ぎみたいなもんで。

そんなことで、ずっとフテ寝していた私を知ってか知らずか、
例の「電源のつかないままの自作パソコン」のことを気にしてくれていた私のパソコンメンター・MSK師匠が、私がPCケースや電源ユニットを買った日本橋のソフマップにその日わざわざ改めて出向いてくれていたのだった。
電話でそのことを知り、これこそ神の使いだと感激し、「僕の代わりに、店員に電源のことを聞いてください・・・ぐふっ・・・」となったわけで。
 で、聞いてもらったところによると、やはり私の買った電源ユニットには「主電源」がついていないらしい。
 「そのかわり、電源が入っていたら、背面のLEDランプが点灯する」とのこと。
 うーん、そんなもの、点灯しませんよ。コンセントを差し込んでも。
 というわけで、ますます電源ユニット単体が怪しくなってきた。ソフマップなので、「コンピュータ・クリニック」に持ち込むことになりそう。また近いうちに日本橋行きかよ・・・ついでに誰か一緒に中古CD屋でも巡りませんか。

さて、そんなこんなで。
中田英寿の引退。
一晩あけて、なんだかもう慣れてしまった感があるが。

スポーツ新聞とかの見出しには、中田英寿の今後について、

「大学進学か」

  とか

「タレントか」

  とか
 
「キャスターか」

  とか

「ビジネスへ進出か」

  とか、

 いろいろ憶測を呼んでいるわけですが、


 そこでワタシ、ハッと思ったのであります。


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2006.07.03

ヒデ引退!?

いまニュース速報で流れてびっくり。

まず真っ先に思ったのは、
不謹慎だが、「いまのCM契約はどうなるんだ」ということ・・。

その次に思ったのは、
「これから何するんだろう・・・あ、このまえニューヨークにビル買ったっけ」
「昔からヒデには、引退後にファッションブランドを立ち上げて欲しいなぁと思っていたっけ」
ということ。

そのまた次に思ったのは、そう、これがもっとも個人的には重要なのだが、
いま、このタイミングで引退されると、
ものすごく「重い宿題」が残ってしまう、ということ。それを突きつけられたなぁ、という気分。
つまり、うまくまだコトバにできないけど、今回のジーコJAPANにおけるヒデを通して、やんわりと、うすうすと、明るみになってきた、「日本人としての課題」というものが。
それはサッカーだけに限らない射程をはらむ問題じゃないかと、思っている。

いまはとにかく、そういうことで。
続報を待つのみ。

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