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2006.11.07

1991年の催涙スプレー

いまさらだが、先日引退したF1ドライバー、ミハエル・シューマッハのこと。
21世紀になってからはなぜか急にF1に魅力を感じなくなり、あまり真剣にレースを観なくなったのであるが、そんな私がテロテロと日常生活を送り続けている間に、ミハエル・シューマッハは引き続きたくさんのレースに勝ち続けていたようで、16年間のF1ドライバー生活が終わってみると・・

ワールドチャンピオン 7回
通算優勝回数 91回
通算ポールポジション 68回

という、すべてにおいて「歴代1位」の、とてつもない記録を打ち立ててF1界を去っていたのである。
おそらく当分、この記録がすべて塗り替えられることはないだろう。

そんなシューマッハの引退。
ひとつの時代が終わるんだなぁ、とあらためて実感。

そして、この大記録を前にシューマッハの偉業を思うとき、かならず胸に去来するものがある。

それは、1991年のロンドンでのこと。

当時ジョーダンというF1チームに所属していたベルギー人のレーサー、ベルトラン・ガショーは、恋人とともにタクシーに乗っていた。
Gacho

ところが、何らかのトラブルにより、ガショーはタクシー運転手と口論になる。
そこでガショーは、携帯していた護身用の「催涙スプレー」を、その運転手に放射した。

しかし、イギリス国内において、催涙スプレーの使用は違法行為とされていた。
よって、ガショーはロンドンで逮捕されてしまうという非常事態に陥ったのである。

数日後、奇しくもガショーの母国であるベルギーでグランプリが開催される。
しかしガショーは拘留されており、ジョーダンのチームはガショーを解雇せざるを得なかった。
その結果、代役として、ひとりの新人を起用することとなった。
その新人こそが、ミハエル・シューマッハである。

無名のシューマッハは、代役で臨んだはじめてのF1グランプリの予選において、なんと7番手のタイムをだし、その才能を見せつけた。
そのインパクトゆえに、その次のグランプリが開催されるときには、突如「電撃移籍」として、強豪のベネトン・チームがシューマッハを引き抜いたのである。

突然現れた驚異の新人レーサーは、ベネトン・チームでその才能を発揮し、デビューからまる1年たった、因縁のベルギーGPでさっそくF1初優勝を飾る。そして2年後の1994年、かのアイルトン・セナ事故死で思い出されるシーズンにおいて、初めてのワールドタイトルを獲得するわけである。
こうして、その後の活躍は、上に記した大記録更新の数々が物語っている。

つまり、
ミハエル・シューマッハは遅かれ早かれF1グランプリの世界に登場し、大活躍する逸材であったのは間違いないのだが、
このエピソードからも分かるように、シューマッハの登場を「予定よりも早めた」のは、あの日のイギリスで、ベルトラン・ガショーがタクシーの車内で放った1発の催涙スプレーが原因であったのだ。

あの催涙スプレーのおかげで、シューマッハはグランプリ界に強烈なインパクトでデビューを果たし、その結果として若手ドライバーにしては異例なほどスムーズに有力チームへの移籍を勝ち取ったわけである。

歴史を変えた、1発の催涙スプレーだ。

そういう意味でも、ミハエル・シューマッハという人物の、「持って生まれたもの」には、驚くばかりである。

16年間おつかれさま。
ひとつ、ベスト・レースを挙げるならば、1998年のハンガリー・グランプリだろう。
「絶対無理だろう」という言葉を、文字通り覆した鬼神の走り。

Schumacher_1998_hungary_rg

<どうしても書き足したくなった、補足>
ちなみに、ガショーは同じ1991年にもうひとつの“歴史”をつくっている。彼は、同年の「ルマン24時間耐久レース」において日本車がはじめて優勝した(そして、いまだに日本車はあれ以来勝っていない)、あのマツダ・ワークスチームの3人のドライバーのひとりである。
ガショー、ハーバート、バイドラーの3人の名前は一生忘れることはないだろう。なのでガショーというドライバーは、あの当時のモータースポーツにハマっていた日本人としては格別に思い入れのある存在である。

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Comments

シューマッハーのデビュー、懐かしいですな。
その時、俺はまだ小5でした。
16年という時間の流れを感じます。

Posted by: mizuix☆ | 2006.11.07 22:35

終わりましたね。
そんなきっかけがあったとは知りませんでした。
新鮮な驚きです。
16年。
TOPであり、つねに最前線であり
ライバルはシーズンごとに変わるにもかかわらず
赤コーナーに立ち続けたのが彼の記録には
残らない偉業だと思います。

Posted by: カスタード | 2006.11.07 23:00

小5ですか。僕は中2です(笑)>mizuix☆

たしかに、常にチャレンジャー魂がありましたね。最後らへんは、「ブリヂストン勢力の唯一のエース」みたいな形で、ミシュランタイヤと闘っていた、という印象があります。>カスタード

Posted by: HOWE | 2006.11.08 22:50

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