擬似イベント
最近のマイブーム言葉:「擬似イベント」。
自然発生的ではなく、人工的に仕組まれ、メディアで報道されたりすることによって、意味や現実味をおびてくるイベント、という感じの意味。
ダニエル・J・ブーアスティンの『幻影の時代』という1960年代に書かれた本で提唱された概念。
かつてメディア論を専攻していながら、この古典を読んでないままだったので、最近になって読んでみたのだが、てっきり時代遅れの古臭い内容だと思い込んでいた私は猛反省。ここで挙げられている事例がいちいち面白かった。ていうか今でも十分通用する議論ではないかと思う。つまり、現代社会はますますあらゆるものが擬似イベントと化している証拠なのだろう。
で、2002年のときの日韓ワールドカップについて、昔の「ハウ」でも書いたのだけど・・・あのチュニジア対日本戦の歴史的現場に立会いながらも、全くリアリティを得られない感じに動揺した私は、その状態のまま夜のミナミの道頓堀川飛込みエリアの狂乱騒ぎの現場にも赴いたのだが、そこでは「サッカーの存在しない空間であるにも関わらず、こっちのほうがよっぽどサッカー的に満ち足りた気分が得られる場所ではないか」と強烈に感じたわけで、あの「よーわからん複雑な気分」というのは、つまりのところワールドカップというものが擬似イベントであった、と考えるとちょっと腑に落ちる。私はハナからサッカーそのものを体験しようとはしていなかったんだな、きっと。
▲ このような「ピクシーお面」をつけて狂乱騒ぎの道頓堀に向かったら、いろんな人が一緒に写真を撮ろうと言ってやってきてくれた。2002年W杯の思い出のワンシーン。
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