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ZINE
- 『Tシャツ印刷であそぶZINE』(2015)★ N E W !★
- 『SOLO JOURNEY BY THREE』(2014)
2014年の夏に行ったオランダ・ドイツの旅で撮影したモノクロ写真をあつめた冊子。無線綴じ製本、部数100冊のみ。
B6版 64ページ 900円
●お問い合わせは作者・タテイシナオフミ本人へ。
メールアドレス:
prog_howe(at)hotmail.com
●お取り扱い店 FOLK old book store(HP)
- 『FOOTBALL ACTIVIST』vol.1
(2013)
「サッカーを生活に、生活をサッカー的に」のコンセプトで、ちょっとズレた角度でフットボールカルチャーを探求すべく作った新しいZine。創刊号のテーマは「サッカーファンならではの方法で楽しんでみる、市民マラソン大会の応援~Jリーグサポーターよ、沿道に集まろう!」ということで、サッカーのZineのくせに「マラソンの応援をしよう」と呼びかける一冊。
▲サッカーウェアのランナーを見つけてこうやって応援してみませんかという話。
A6判16ページ。価格は500円。
お取り扱い店
<オンラインショップ> ●Lilmag (リンク)
<東京> ●SHIBUYA PUBLISHING BOOKSELLERS(リンク)
そして作者に直接お問い合わせをされたい場合は、
prog_howe(at)hotmail.com
のメールまでよろしくおねがいします。
- 『DIY TRIP:手作り印刷物とDIY精神をめぐる旅~シアトル・ポートランド編』(2011)
Do It Yourselfの考え方や態度に感化された著者が、ふとしたきっかけでZineづくりをサポートするポートランドのNPOの存在を知り、現地に行って実際に見学し、そしてDIY精神あふれるアメリカ西海岸の空気を味わおうとして行った旅の記録をまとめた初のZine。
定価(税抜き)800円※第2版より。送料別。
著者から直接購入を希望する場合のお問い合わせは prog_howe(at)hotmail.com まで。
『DIY TRIP』お取り扱い店
<online>
Lilmag (HP)
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恵文社一乗寺店 (HP)
<大阪>
FOLK old book store(HP)
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フリーペーパー『ハウ』
バックナンバー紹介
(お問合せはメールにて)
- 21号(2012年7月)
「私はこういうことだってパンクだと思っている」というテーマで、2つの記事を収録。ひとつは職場の学生さんたちとバンドを組み、15年ぶりぐらいのなんちゃってベーシストと化した話。もうひとつは、ひょんなことで空港の待ち合いロビーで「ゴルゴ13」のお面をかぶって人を待つことになった話。どこがパンクなのかと真顔で問われると困る部分はあるものの、こうしてネタを追求して生きていく限り、私はパンク精神のことを想い続けるのであろう。 - 20号(2010年9月)
テーマ「ベルギー、フランス、ハイタッチ」。ついに20号に達した節目の作品だが、なぜかこの号も冒頭はヨーロッパへ向かう飛行機の中で書き始められていく。2号連続の旅行ネタ。そして向かった先ではF1ベルギーグランプリのVIP待遇観戦とパリおよびモン・サン・ミッシェル訪問。いったいなぜそんな旅をすることになったのか? その理由自体が大きなネタであり、この号を書き終えて印刷するまで、旅に出る理由を訊かないでほしいと周囲の人々にお願いした結果がこれである。そんなこんなで旅から戻って急ピッチで仕上げ、フリペを読んだ上司のSさんもビックリの展開。 - 19号(2010年1月)
「旅をしながらフリペをつくる」。自身4度目、そして父を連れての2度目のイギリス旅行の記録。移動をしながらその場で8センチ×12センチほどの紙にフリペの原稿を書きまくるという実験。なぜ父をイギリスに連れて行くことになったのか、その経緯を紹介して「単なる親孝行フリペ」になっていくかと思いきや、さすがネタの神様は予測不能な事態を次々ともたらし、その時々における手書きの文字が、作者の動揺や怒りを率直に表すこととなる。 - 18号(2009年6月)
特集(1)は「フリーペーパー展に行ってきた」。南陀楼さんのフリペ展にできる限り参加しようと、福岡・大阪・名古屋の3会場をまわり、トークライヴの模様をレポート。「実際に行ってみる」というその行為自体がネタであり、南陀楼さんの追っかけみたいな状態になっているさまがポイント。特集(2)は、前号のつづきで「アナタの作ったフリペが読みたい!」架空対談。フリペ仙人がついに口を開き、フリペづくりの神髄を語るんだか語らないんだか。 - 17号(2008年10月)
「MAKE YOUR LOVELY ZINES. アナタの作ったフリペが読みたい」。フリーペーパーをなぜ作るのか? どうやって作るのか? 配布をどうするのか? といった事柄を、作者タテーシと3人のキャラクターがアッパー気味なテンションで繰り広げる架空対談。「DIY/パンク精神を、別のコトバで書いてみたらこうなった」感じが伝わってくれればと希望をこめつつ。この号は福岡で開催された本のイベント「ブックオカ」での関連イベント「フリーペーパー=小さなメディアの放つ光」展への参加が決まったことから急きょ制作され、半ばネタ的に仕事帰りの電車内の時間を利用して、すべて手書きで作ってみたこともまた良い想い出。 - 16号(2007年3月)
- 15号(2004年10月)
- 14号(2003年11月)
- 13号(2003年・春)
特集「THANK YOU FOOTBALL 2002.」、この言葉がすべてともいえる号。2002年ワールドカップにおいて私がしでかしたこと、考えたこと、日本のサッカーについての複雑な想い、それらすべてを記録。とはいえ冒頭からサッカー云々よりも「ワールドカップとは世界のサポーターの『ネタの披露大会』だ」と言い切って「お面の作り方」の解説から始まるという、相変わらずな文化系的スタンスに満ちた内容。こうしてこの号においてはひたすらサッカーについてのことだけを書きつけてある。なお、この号は当時の日本代表を指揮していたトルシエ監督の通訳だった、かのフローラン・ダバディ氏に@niftyのイベント会場で渡すことができたという想い出もある。 - 12号(2002年4月号)
N先生にいただいた「ガラスのペン」を使って表紙の文字を書いた。そして「12」という号数に「サッカーにおける、12人目の選手」という意味を込め、日本代表のエンブレムにあるヤタガラスを添え、近づいてきたワールドカップへの意気込みを表現している。しかし本号の特集は「冬のロシア祭り」。まったくサッカーと関係なく、ただロシアについて取り上げたわけだが、その後ワールドカップで日本代表がロシア代表と闘うことになったのは奇遇であった。特集ではトイカメラの「LOMO」やテルミン、映画『チェブラーシカ』や『宇宙飛行』についての記事が並ぶ。当時なぜかロシア的なものに触れる機会が多かった。特にこの時期まだ珍しかったLOMOについては多くの問い合わせをいただく。またその他の記事では地味ながらも「新聞各紙にみるコメディ俳優の顔写真の扱われ方研究~ローワン・アトキンソンを例に~」は、『ハウ』らしさをうまく表現できたと思えるネタ。 - 11号(2001年5月)
- 10号(2000年?月)
このあたりから制作ペースが落ち、この号は1年遅れで発行したらしい。表紙は中村俊輔。この当時、私の最大の関心事は、シドニー五輪におけるサッカーU-23日本代表のことであった。まさに同世代の自分をそこに投影していたのであった。印象的な記事は「バケツリレー問題」。正しいバケツリレーのやり方についての解説。細かいネタをあらためて驚きの目で見つめなおす姿勢は『ハウ』の存在意義そのものである。「白い放物線は採石場の芝を駆けて」は、はじめて京都サンガの練習場を訪れたときの苦笑まじりのレポート。オマケの『HOWE-GTR』には、「プログレは、きっといつか、あなたに役立つ」という特集記事があり、私が自分の力量で解説しうるプログレ・ロックの魅力を最大限面白く表現できたと自負できる内容。これに満足したのか、それ以降、プログレ・ロックの話は『ハウ』で書かなくなる。 - 9号(1998年10月)
表紙のイラストは、ある友人の彼女さんに描いてもらったもの。本号の記事にはヒロポンの通う大学に行ってみた話や、高校時代の友人を訪ねた福岡旅行の記録、そして「『ノルウェイの森』の忘れ難いシーンを訪ねて」は、村上春樹が書いた道順に沿って東京の街を歩き、改めてその創作描写が現実世界の条件に照らして理にかなっていたことが判明し、その発見を伝えたい一身で書きまくった記事。改めて読むとこの号ではそういった「旅の記録」が多く、まさに大学3回生の時期の、途方もなくダラダラした時間の流れを刻んでいるようである。また、オマケの『HOWE-GTR』は、スーパーカーというバンドに出会った衝撃や、鈴鹿のF1日本GPについての記事など。個人的にはF1について書いた文章のなかでは最も力のこもった良い内容だと思える。これに満足したのか、それ以降『ハウ』においてはF1についての文章をあまり書かなくなる。 - 8号(1998年5月)
この号から「版下のようなものを作って、そこから記事を切り貼りする」という、ごく常識的な制作方法に切り替える。それまではひたすらワープロから感熱紙に印刷したものをそのままコピーしていたため、原版の保存ということをまったく意識していなかった。この号ではハイパーヨーヨー体験記、家中の小銭を集めて換金した話、当時のバイトの話、2人乗りF1マシンに万が一乗ることになってしまった場合の注意点、滝田栄に会った話などが書かれている。またオマケで作った別冊のフリペ「HOWE-GTR」では、U2のポップマートツアーや鈴鹿のF1日本GP、そしてピンクフロイド「原子心母」の話など、当時の作者のサブカルチャー的生活の最高到達点ともいえる部分をそのまま紙にぶつけたような内容となっており、今読み返すとところどころ冷や汗が出る。 - 7号(1997年10月)
- 6号(1997年?月)
- 5号(1997年3月)
特筆すべきは、この号で何気なく「はじめてインターネットをさわったときの衝撃」や「eメールというものを取得する予定」について語っていることだろう。この当時から、個人でホームページを作るという新たなメディア展開が波及していくわけだが、それ以前にフリーペーパーという手段で遊んでいた私は、なぜかその後も紙媒体での表現活動をやめることがなかった。もしフリペを作り始めるのが1年でも遅れていたら、ここまでフリペにコミットしていたとは思えない。この号では友人が作ったフリーペーパーについての記事や、京都好きの友人に連れて行ってもらった寺社仏閣の話、そしてミスチルのライヴにはじめて行った話や、自主ゼミの勉強会の計画などが語られていて、当時の大学生活の雰囲気がフルに表れており、ブログ時代の今から見れば「わざわざ紙に印刷して配らなくても」と思えてくるネタが多い。 - 4号(1996年11月)
この頃の制作ペースの早さには驚くばかりであるが、それだけ時間があったということか。スティーヴ・ハウの写真を表紙にし、あくまでも「プログレッシヴ・ロック」を周囲の人々に認知させたいという野望を捨て切れていない様子がうかがえる。本号では新コーナーとして「ヒロポンに告ぐ」が開始。友人ヒロポンの言動をフューチャーしたこのコーナーは、その後もひそかに人気記事として続いていく。そのほかの記事には当時大学の講義で習った統計学の「t検定」についてのデタラメ解説や、大学のコピー機で両面印刷ができた喜びを報告した記事など・・・つまりこの時代の『ハウ』は、あくまでも作者の周囲の人々に向けたパーソナル・メディアの試みであった。 - 3号(1996年8月)
- 2号(1995年6月)
- 創刊号(1995年5月)

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- 私のzine『DIY TRIP』も紹介いただいています!『自由に遊ぶDIYの本づくり リトルプレス! Zine! フリーペーパー!』
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