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2007.05.12

信仰としての現代思想

私はまったくの無宗教になったのだが、
「宗教」にすがるかわりに、
きっと「思想」というものにすがっているんだろうなぁと思う。

最近、ふたたび「現代思想マイブーム」がおこっていて、
でも原典がむずかしいから、まずは解説書でも・・・とトライしていたりするんだけれども、
ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』とか、解説を読むだけで「ぐわ~!」となってくる。
その「ぐわ~!」は、きっと宗教の教義とかに触れたときの「!!」と、なんら変わらないんだろうなぁ、と思う。
「あぁ、ここには、自分が考えるべきテーマが、追い求める何かが、ある!!」という「思い込み」の魔力ったら。
まるで宗教みたいだ。
と同時に、かつてマルクスを読んだ人たちが、そのとき感じたであろう「ぐわ~!!」のチカラっていうものに、なんとなく共感を覚えてみたり。
あぁ、宗教っぽいんだよなぁ、と。

でも、とくに消費社会論的に考えると、
どのみち、「思想」も「消費の対象」になっていることは言うまでもなく、そこから見つめなおす冷静さがほしいところではあるが、それでもこの「ぐわ~!!」という感覚が、あまりに魅惑的なもんだから、よけいに「すがってしまう」、この逆説。

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